親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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どんな君でも好きでいる

 

 

 

 

「………ぃ」

 

 

己の全てを尽くし、愛の告白をしてまでレムを夢の世界から連れ出さんとするテンの必死な呼びかけ。その決定的な一言を突き付けた彼に対してレムが発した第一声は、声にすらなっていなかった。

 

否、音にもなっていない。掠れた空気が喉から薄く吐かれただけの僅かな返事だ。届けられるテンの鼓膜には拾われず、発したレムの鼓膜にすら拾われず、布団に零れ落ちた。

 

 

「………ない」

 

 

二回目の返事は、極小な音ではあったものの、今度は音として両者の鼓膜に拾われた。大気を渡り歩いて鼓膜に流れ込むそれらは、しかしレムが伝えたいことを伝えるに欠けすぎている。

 

言霊に込められた想いも、意味も、声が伝えたい感情も。レムが今、テンに伝えたいことをなに一つとして届かせることができていない。

 

伝えたいのに、声が震えてしまうせいで上手く言葉を紡げない。溢れ出る大粒の涙を拭うのに精一杯で、嗚咽が言葉を形にするのを邪魔してくる。荒ぐ肺で呼吸をするのに必死になってしまう。

 

頭がくらくらする。息がくるしい。それ以上に胸がくるしくて、くるしくて、仕方がない。激しく脈打つ胸が、締め付けられるようにいたい。

 

 

「ゆっくりでいい。急いで話す必要はないよ。どこにもいかないから」

 

 

赤子をあやすような柔らかな声だった。男の子らしい声帯から作り出された低くて落ち着いた声は、テンが泣いている自分をあやしているものに他ならない。

 

指と指が絡め合う手。二度と離したくない手とは反対の手が後頭部に添えられると、涙でぼやけた視界が真っ暗に閉じる——見上げる額が彼の胸に押しつけられたのだ。

 

彼の鼓動が布越しに聞こえる。とくんとくんとくん、と。自分と同じくらい高鳴っている命の証が何度も聞こえてくる。

 

どうしてだろう。そうされると、不思議と安心感を抱いてしまう。彼の鼓動を聞いていると、体温に包まれていると、かすかな匂いを感じていると——彼の全てを体全体で受け止めていると、ひどく安心する。

 

 

「ほら。深呼吸、深呼吸。吸って……吐いて……吸って……吐いて……。そうそう。いい調子」

 

 

彼の声に合わせて深呼吸。鼻から自分の外の空気を中に取り込み、口から自分の中の空気を外に吐き出す。外の空気と一緒に彼の香りが中に侵入すると、頭が別の意味でくらくらしてくる。

 

もっと欲しい。もっと、もっと彼の命を感じたい。その想いが深呼吸を何重にも重ねさせる。ちょうどいい、涙を彼の服で拭うついでにもう少しだけ堪能させてもらうことにした。

 

本当に、本当に安心してくる。彼と指を絡めながら手を繋いで、抱きしめられながら胸に沈んでいると、一生このままでいてほしいと勝手に思える。

 

そうしているうちに。高鳴っていた鼓動、苦しかった息、胸、自分を恐怖させる要素はいつの間にか治まっていた。感情に支配されて溢れた涙も、今は止まっている。

 

 

「……落ち着いた?」

 

 

頭の上から落ちてきた疑問符。彼女を苦しめていたものたちがいなくなった事を態度で察したテンが首を小さく傾げている。

 

その疑問符を受けて今一度、レムは意識を己の内側へと向けた。鼓動の音を聞き、心の安定を見て、頭が別の意味でくらくらしているのを確認し、結果として落ち着いていると判断。

 

夢の世界から連れ出された余韻、その残存的な気配が完全に消失したことを自覚するとレムは胸の中で深く頷き、

 

 

「はい、落ち着きました。ですが……まだ、このままでいてほしいです」

「もちろん。レムが満足するまで」

 

 

どこか申し訳なさそうなレムに刹那で返されたのは果てしない親愛。そうすることが当然だとでも言いたげなテンは、レムの体を優しく抱きしめた。強くではなく優しく。

 

もう、強く抱きしめる必要はない。だってレムは、夢の世界から抜け出せている。なら、与えられ続ける温もりが虚偽でないと証明する必要は無い。それに、あまり強く抱きしめすぎると、自分まで癖になってしまう。

 

抱きしめて、抱きしめられて、そうして落ち着いてくるのはレムに限った話ではないのだ。テンだって理由の分からない安堵感に心が落ち着いてくる。ふわりと漂ってくるレムの香りが、頭をおかしくしてくる。

 

抱きしめるテンがそんな事を考えていることなど知らないレム。幸福色に表情が明るく染った彼女は今、向けられた親愛に対して心を感動に震わせているところだ。

 

だって今の言葉は、夢の世界の彼が言った言葉が現実世界の彼が言った言葉であると裏付けているから。人形でもなんでもない自分の愛した人が、本心で語った愛であると教えているから。

 

我慢しなくていい。無理しなくていい。抱え込まなくていい。泣きたいなら泣いていい。甘えたいなら甘えていい。

 

ずっとひとりで頑張るしかなかったレムにとって、それは奇跡のような羅列。自分の全てを受け止めてくれる人が夢ではなく、現実にいると分かっただけで、救われたような気分になれる。

 

加えて、それを言ってくれた人が自分にとって愛する人である事実。更に、その人が自分を愛してくれている事実。

 

嬉しくないわけがない。甘えたがらないわけがない。素直な自分を曝け出せる人に、抱きついてしまいたくならないわけがない。

 

 

「テンくん」

 

「ん?」

 

「このまま押し倒してもよろしいですか?」

 

「よろしくないです。壁に激突するから却下」

 

「でしたら、押し倒してくれても構いませんよ?」

 

「今はそんな雰囲気じゃないでしょうが……。いや、それ以前にそこまでの度胸はありません。抱きしめるので満足してください。前からのが飽きたなら、後ろからので頑張るので」

 

 

そのやりとりが甘い世界を柔らかく崩すきっかけとなった。

 

喉をゴロゴロと鳴らしながら甘えてくる猫を彷彿とさせるレムの甘え声にテンが半笑いしながら一安心。そのような発言が意識せずとも口から出ることが、レムの落ち着き度合いをよく表している。

 

それが言えるならレムは大丈夫。いつも通りのレムだ。実際に押し倒されたら冗談抜きで笑えないが、見上げてくるレムの目が嘘を言っていないことに軽く戦慄したが、とりあえず大丈夫。

 

当の本人は「むぅ……。残念です」と、本気で残念そうに視線を落とす。察するに、彼女は本気と書いてマジで押し倒すつもりだったのだろう。仮に「うん。いいよ」とでも言えば、今頃レムに襲われているに違いない。

 

レム然り、ラム然り、どうしていつもこの姉妹はシリアスという雰囲気に似合わない発言をしてくるのだろうか。つい先ほどまで部屋を満たしていた告白ムードはどこに行った。瞬間、刹那で消えた。

 

誰のせいだ。自分のせいか。お前のせいだ。弱シリアスキラーとでも呼んでほしい。

 

 

「それじゃ、落ち着いたところで質問の答えをーー」

「夢だと思いません」

 

「早いな」

 

 

一呼吸分の間も置かれずに即答された解答。食い気味に言葉を重ねたレムは指を絡めて以降から繋がれっぱなしの手を、ぎゅっ!と握りしめ、

 

 

「夢だと思いません。夢だと思いたくありません。夢だと思い込みたくありません。……テンくんが夢だなんて、そんなのイヤです」

 

 

願うように、祈るように、レムはそれまでの世界を否定する。夢だと、そう言って頑なに疑おうとしなかった世界に不満を感じてしまったから、目の前にいる人が本物の彼であってほしいから。

 

言った直後、テンが「やっと分かってくれた」と安堵のため息。疲労感を含んだ息が深く吐き出されると、体の内側に籠っていた熱が徐々に下がっていく。レムのために全てを尽くした心が、和らいでいく。

 

レムが自分の世界に閉じこもりがちなのは知っていたが、流石に疲れた。いくらなんでも筋金入りすぎる。告白までしてやっと解放できるとは、自分の精神がどれだけ疲れたか知ってほしいと思わなくもない。

 

それでも、まだ解決すべき問題が残っていると思うと、乗り越えるべき壁の多さに絶句。

 

ついでに、レムを夢の世界から連れ出す時点で精神力の半分を使ってしまった自分の弱さに絶句。

 

さらに、その壁が今さっき乗り越えた壁よりも遥かに高いと知っているから尚のこと絶句。

 

心の中の自分が口を半開きにして「デカ過ぎんだろ」と、レムの前に立ちはだかる大きな壁を見上げている。もしかすると、巨人でも埋められているのではないだろうか。

 

勿論、それを理由に諦めることは無い。高かろうがなんだろうが関係ない。十八年間という自分の人生——その集大成を飾るための壁としては不足なし。

 

望むところだ。軽く飛び越えてやる。

 

レムは必ず助ける。助けるったら助ける。なにがなんでも助ける。意地でも彼女を苦しめている全てから、救い出してみせる。

 

 

 ーーそうやって咲いた笑顔が、きっと一番かわいいよね

 

 

尤も、そのためには壁を乗り越える必要があるが。

 

 

「そう思うと、レムが夢から抜け出してくれて安心したよ。乗り越える壁が一つ減っただけでも心に余裕ができる。……あれで帰ってこなかったらどうしようかと」

 

「それは……本当に申し訳ありません。テンくんに要らない迷惑をかけてしまったのはレムの落ち度です。レムがダメだから。レムが弱いから。レムが迷惑ばかりかけてしまったから。無知で、無力で、甲斐性のない、未完成だらけだから。全部全部全部レムのせいでーー」

 

「待て待て待て待て」

 

 

特大の地雷でも踏んづけたか。テンと一緒にいると良い意味でも悪い意味でも情緒不安定になりがちのレムがその効果を発揮させると、途端から自己否定が加速し始める。

 

瞳から光が落ち、表情から感情が消え、声から色が抜けていくのはテンの気のせいではない。

 

故に、彼は大慌てで止める。胸元の声がどんどん弱く沈んでいくのを耳にした彼は、レムを抱きしめた片手で彼女の肩を大きく揺らして物理的に急ブレーキをかけさせた。

 

はっとするレムが不安そうに瞳を揺らしながらこちらを見上げるのを前にテンは、「それはダメだよ」と言葉を繋ぎ、

 

 

「またそうやって自分の世界に閉じこもる。せっかく夢から抜け出せたのに、もったいないよ。それに、自分のことを極限まで否定すると悪循環から抜け出せなくなるんだから、なるべくやめた方がいい」

 

 

「これ、実体験ね」と、呑気に笑ってみせるがレムからの反応は薄い。思い出したように沈む予兆が現れ出した彼女はやはり、いつもよりも情緒不安定だ。

 

分かりやすい反応に、レムは本当の意味ではまだ救われていないことをテンは改めて確認する。心の中で確認していたことをレムの反応として再確認し、それが『レムを助けたい』という気持ちを燃え上がらせた。

 

まだ自分のやるべきことは残っている。レムを夢の世界から連れ出したことは、それをするための準備段階に過ぎない。面と向かって彼女と話すための舞台を整えただけで、本番はここから。

 

目に見えて落ち込むレムに、テンは自分の笑顔をおすそ分けするように微笑みかけると、

 

 

「レムも、俺がハヤトと自分を比較して自分のことを自己嫌悪、自己否定したがる人間だ、ってことくらい知ってるでしょ。そうやって俺は今までに何度も落ち込んで、その度にレムに助けられてきたんだから」

 

「……レムと同じですね」

 

「そうね。レムと一緒だね」

 

 

お互いの共通点を声に出して二人が笑い合う。それは決して、嬉々とした感情を含ませたものではない。正真正銘、傷の舐め合いだ。

 

テンはハヤトの事で、レムはラムの事で、自己否定自己嫌悪することが昔から多々ある。

 

似たような境遇にある二人は、程度の差こそあれど同じ意味合いで己を卑下することがこれまでに多くあるために、その気持ちも多少なりとも理解できる。

 

それを知っているからこそ自分はテンに寄り添っていたいと思うのかもしれないと。絡めた手を離して身を回し、テンの胸を背もたれに使い始めたレムは不意に考えた。

 

なにせ、彼のことを気にかけたキッカケの一つは『自分と同じ痛みを持っている人間だから』というものなのだから。

 

多分、自分の影と彼の影を重ねているのだと彼に寄りかかりながら思う。彼の言葉を聞く度に。彼のことを知る度に。彼のハヤトに対する思いを聞く度に、その影は重なるばかりだったから。

 

 だから、

 

 

「だから分かるよ。それは極力やめた方がいい。考えれば考えた分だけ抜け出せなくなる。壁に頭ぁぶつけまくってやっと小鳥の涙程度に晴れるくらいだったから、それ以上やったら、もうお終いだよ」

 

「でしたら、もうレムは二度と抜け出せませんね。深く入り込みすぎて、僅かな光すら差さないところにまで引き摺り込まれてしまいました」

 

「なら、俺が今から引っ張り上げるよ」

 

 

永遠と続く深淵に引き摺り込まれ、そこで一生を終えるのだと儚く呟いたレム。数年以上も彷徨い続け、いつしか出口すら見失ってしまった彼女の鼓膜にそれを否定する声が飛び込んできたのは瞬間のことだった。

 

当然であるかのように言われた。自分が彷徨う深淵の中に灯りひとつ持たずに躊躇なく飛び込む彼に、そこから引っ張り上げると。手探りで探してでも、見つけ出すと。

 

迷い、乱れ、戸惑い。それに相当する言葉はこの胸を包み込む言霊には含まれていない。本気で彼は自分のことを闇から救い出すつもりなようで。

 

 

「なにを言ってーー」

 

 

真後ろから掛けられた声。全身の力を抜いて背中からテンに寄りかかるレムは、唐突なそれに思わず振り向こうとするが、それよりも先にテンがレムのことを後ろから抱きしめる方が早い。

 

後ろから首に両腕が回されて、ぎゅっと包み込むように引き寄せられる。振り向けなくなった代わりとして、レムは彼に捕まえられた。

 

あぁ、これでは離れたくても離れられないじゃないか。抜け出したくなっても、抜け出せないじゃないか。前からだけだったのに後ろ抱きつかれて、こんなに幸せな気持ちの自分が抵抗できると思っているのか。

 

卑怯だ、今日の彼は人が変わったように抱きしめてくれる。今までの分——まるで、彼が自分の気持ちを察せなかった分を取り返すような風に感じてしまうのは、雰囲気に流されすぎなだけだろうか。

 

 

「レムの言葉を遮るためとはいえ、急に後ろから抱きついちゃったけど……大丈夫だった? 嫌だったらそう言ってね。やめるから」

 

「やめないでください。寧ろ、しばらくこのままがいいです」

 

 

後ろから抱きしめられるという初めての感覚に即答し、その瞬間からレムは身も心もテンに委ねる。委ねてもいいと思える、心を預けられる人に自分という人間の全てを受け止めてもらった。

 

座椅子のように寄り掛かられたテンも、その姿勢を受け入れる。寄りかかるレムが完全に脱力したことで命の重みが自分の体に落ち、それに緊張しながらも彼は頑張る。

 

でも、これで話すキッカケは作った。この体勢ならレムは自分から逃げられない。抱えているものを全て吐き出させるまでは絶対に逃がさない。

 

 なら、話を始めよう。

 

 

「レムに助けられてきた、って言ったよね。レムは俺が悪循環に陥ってたらいつも寄り添って助けてくれた。なら、今度は俺の番だ。俺がレムをそこから助け出すよ」

 

 

「元より、そのつもりで来たんだ」と、テンは揺らぎのない声で語る。己の中でスイッチを切り替えた彼の口調は少しだけ強張って、それでいて相手の心に響かせるような落ち着きを纏っていた。

 

その声に嘘偽りは感じられなかったことにレムは深く息を吐いた。「俺がレムをそこから助け出すよ」と、その一言が自分にどれだけの衝撃を与えているか、テンは知っているだろうか。

 

心の闇に光が小さな音を立てて灯る感覚。まだ弱々しく、油断すれば深淵に呑み込まれてしまいそうなそれが生まれると、レムは僅かに頬を緩ませ、

 

 

「助けて……、くれるんですか?」

 

「もちろんだよ。悪いけど、今の俺に助けない選択肢なんてないんだわ。なにがなんでもレムを助け出すから、安心して助けられてほしい」

 

 

縋り付くようなレムにテンは即答するばかりだ。迷いの一切を振り切った彼はレムを助け出すことに戸惑いなどない。レムの全てを受け止めることに不安など微塵もない。

 

自分が助ける。他でもない、レムに愛された自分がレムを助け出す。自分以外がレムを助けることなど認めるものか。()でなくとも、レムを救うことができると証明してみせる。

 

決意、覚悟——意志は固い。ここから先、どんなことがあろうとも決して揺らがない意志は今、強く燃え上がっている。

 

そんな自分の意志が、レムにちゃんと伝わっているのだろうかとテンは思うが、

 

 

「なら、安心して助けられちゃいますね」

 

 

縋るような声色が安らいでいくのを聞き、その声に意志が届いた確信を得た。回された腕を握りしめながら寄りかかる少女に、全てを任せられた確証を得た。

 

事実として。今この瞬間からレムは、何度も預けてきた『レム』という女の子の心を、信を置く愛する人に預け切った。抱えているもの、抱えてきたもの、それら全てを含めて彼に渡した。

 

それはもう二度と、返されることはない。

 

 

「テンくん」

 

 

テンからの助ける宣言を聞いた途端、温かい気持ちが宿り、帯びていた暗い雰囲気がすこしばかり緩和したレムが愛しい名を呼ぶ。

 

呼ぶと、彼が「ん?」と低く喉を鳴らしながら首を傾げている気配。そういえば、前にも似たようなことが逆の立場であったなと、レムはふと考えながら、

 

 

「レムの話を、聞いてくれますか?」

 

「聞いてください、って言ってくれたら聞いてあげる。遠慮なんかすんな。なんせ、レムが寄りかかってる人はレムが愛した人で、レムのことが好きな人なんだから。確認しなくても全部聞くよ。レムの抱えてるものは無条件で受け止める。俺はレムが好きなんだし。好きな人の言葉はなんでも聞こう、なんでも受け止めよう」

 

「………ずるいです(ばか)

 

 

レムにしては珍しい——二度と発せられることのない「ばか」がテンの心に静かに炸裂すると、彼女は俯き、堪え切れなかった場違いな笑みを彼に隠しながら溢れさせる。沈んだ気持ちを押し退けてしまう程に、その羅列には深い愛があった。

 

本来、人を罵って使う言葉は、しかし今回のは全く違う。これは、歯止めが利かなくなった優しさによって噴火した嬉々とした感情を最小限に抑えたものだ。

 

たった一度の疑問符に返された無限に綴ることのできる愛。言葉の量が、テンがレムの心に注ぎ続ける愛情をそのまま表現しているもの。

 

遠慮して、自分を抑えがちなレムが言ってほしい言葉しか詰められていない欲張りセット。心に届けられた彼女の頬が緩むのは決定事項。

 

 

「いい、レム。今からレムが何を話してくれるのか、少しは分かるけど全部は分からない。だから、全部知りたいから言っておくけど」

 

「ーーーー」

 

「俺は、どんなレムの姿を知ったとしても軽蔑したりなんかしないよ。嫌いになったりなんかするわけないよ。良いところも悪いところも含めて『レム』なんだから。そーゆーところを丸ごと好きになる」

 

 

自分が彼に奪われていくのが分かる。既に奪われているのに奪われていく。奪われるものなどないのに、奪われていく。

 

心が孕んでいた懸念という懸念を察してくる彼に、不安という不安を根こそぎ蹴散らしてくる彼に、いくら信用しても信用し足りない彼に、奪われていく。

 

奪われて、奪われて、いつしか生きる理由すらも奪われてしまいそうになって。自分の生きる理由が彼になりかけると、もう全て話してしまえと心の声が聞こえて。

 

 

「テンくん」

 

 

宿った温かい気持ちに火照り、その名を再び呼んだレム。先程と全く同じ呼びかけに対する応答は、これも先程と同じく「ん?」と、喉を低く鳴らすというもので。

 

そのやりとりに先ほどのやり直しを求めたレムは首だけ振り返ると、

 

 

「レムの話を、聞いてください」

 

「うん。いいよ」

 

 

独白の開始をテンは快く受け入れた。即答する彼は回した手でレムの両肩を包み込むように抱きしめ、彼女のそれを聞く体勢をとる。さっきは彼女が聞いてくれたから、今度は自分が。

 

自分がレムにしてあげられることは、抱きしめたり、告白したり、支えたり、独白を聞いたりと、全部が全部レムの方からしてくれたことばかりで、自分の方から何かしてあげられないだろうかと思う。

 

レムがしてくれたことをなぞるだけでは、きっと取り返すことなんてできない。彼女が自分にしてくれたことがないことを、自分の方からしなければ自分はレムの想いに応え切ることなんてできない。

 

できることなら、この夜にそれをしてあげられたらテンとしては最高なのだが。残念なことに今の想像力では思いつかなかった。

 

 

「テンくんが眠っている間、レムなりに色々と考えたんです。罪を犯した自分と向き合ってみたんです」

 

 

独白の一ページ目。

 

その始まりを語るレムにテンはその考えを頭の片隅に追いやる。決してくだらないことではないが、今考えることではないだろうと彼はレムの言葉に熱を注いだ。

 

レムもその姿勢を肌で感じ取った。一言一句を聞き逃さぬよう息を殺すテンの胸に頭を落としながら、記憶を思い出すように言葉を紡ぎ始める。

 

 

「テンくんを傷付けた自分を許せるのかとか。テンくんを愛していいのかとか。自分を許せない自分がそれを許せるのかとか。本当に、色々と考え続けたんです」

 

 

語るレムの声はひどく落ち着いていた。辛く、悲しく、苦痛しかない、思い出すのも拒絶したくなる記憶を言葉として繋ぐ彼女は潔い。話すことを躊躇する気配もなく、伝えることを怯える様子もなく。

 

背中の温もりに伝えられた言葉のお陰で、レム自身も驚くほどに落ち着いている。

 

その、落ち着いたままのレムは、

 

 

「考えて。考えているうちに、もう何も分からなくなってしまいました。レムの考えていることが、レムは、分からなくなりました」

 

 

平然と、自分を見失ったことを告げた。自分の中で答えが何一つとして見つけ出せないと、敗北宣言を語った。

 

 

「いつの間にか、レムがレムを理解することができなくなっていたんです。いつもなら明快な自分のことが、今は他人のように分からない」

 

 

目を瞑り、レムはそのことを脳裏に思い浮かべる。

 

彼を傷付けた事実一つ。それだけが自分の心を掻き乱しては、様々な考えが爆発的に生じて悩みの種となって複雑に絡み合う。

 

その事実だけのはずなのに、何十もの罪と疑問が糸が絡み合うようにぐちゃぐちゃに混ざり合い、ごちゃごちゃになったそれらを解くのはとても難解で。

 

 

「テンくんを傷付けたレムがレムは許せなくて、テンくんを愛する資格なんてないと思ってて。でも、レムはテンくんのことが大好きで。大好きだから、レムも頑張って答えを見つけようとして、でも見つけられなくて」

 

 

好きなのに好きになっちゃいけない。そんな資格ないのに、愛してしまう。そんな矛盾を抱えているうちに、どうしたらいいか分からなくなった。答えの形を見つける事ができなくなった。

 

その罪と向き合おうとすると、過去に刻まれた一生の罪が頭の中を駆け巡るせいで、余計にどうしたらいいか分からなくなる。だって彼を傷付けた事実は、その罪が元凶なのだから。

 

背負う十字架が心に絡む糸を解くことを不可能にして、無理やり解こうとしているけど、そうすればするほど複雑に絡み合って、気が付けば自分自身が糸に絡まって、どうしようもなくなった。

 

 そして、

 

 

「レムは、どうすればいいんですか? どうすれば自分を許すことができるんですか? テンくんを傷つけたレムに、テンくんを愛する資格は、あるんですか?」

 

 

その疑問が、心を支配するようになった。

 

悪夢で目覚めては呼吸困難に精神を殺され、程なくして自分の罪と嫌でも向き合わされ、同じ疑問ばかりがいつまでも廻り続けると、答えの出せない自分に打ちひしがれる。

 

あの日から何も変わっていない己の弱さに、同じ過ちを二度も繰り返した己の愚かさに、繰り返しても解決することのできない己の未熟さに、贖罪をすることすらできない己の無力さに、打ちのめされる。

 

自分の犯した罪が数年越しに再び突きつけられると、自分はこんなにも脆くなってしまう。弱さしかないダメな自分が、贖罪で取り繕ってきた自分の内側から顔を出してしまう。

 

 

「全部、レムのせいです」

 

 

顔を出した弱虫な自分が己を責め立てると、レムも自分を責め立てる。罪だらけの自分に永遠と罵詈雑言を浴びせるのだ。

 

お前は一体、今まで何をしてきた。なんのために生きてきた。何をするために生きてきた。

 

 と。

 

 

「レムは、あの時から何一つとして変わっていない。変わる予兆すらない。変わった気でいただけで、あの時から一歩も前に進んでいない」

 

 

そんな言葉がレムの心臓を貫通する。

 

姉の代替品として生きてきた数年間が無駄であると強く叩きつける冷え切った怒号に、自分の人生を全否定されて。贖罪のためにしてきた事の全てが無意味であると笑われて。

 

実際にそうなのだろう。事実として罪は重なったのだから。

 

自分のせいで姉が傷付いたように、自分のせいで愛する人は傷付き、満身創痍に追い込まれた。元を辿れば自分を助けるために彼は死にかけた——これを同じ罪を重ねたと言わずしてなんと言うのか。

 

要は、間接的に自分はテンを殺しかけたことになる。命と同等のものを姉から奪ったように、命そのものを奪いそうになった。

 

 どうしてか。

 

 

「レムが出来損ないで、姉様の代替品にすらなれなかったから。鬼族の落ちこぼれで、何をしても本当の姉様には追いつけなかったから。その背中に触れることはおろか、近づくことすらできなかったから」

 

 

 どうしてか。

 

 

「本当の姉様には普通にできる事が、レムには普通にできないから。追いつこうとしても、追いつけなかったから。どれだけ努力をしても、無力で無才で弱虫で、何の取り柄もない凡人にしかなれなかったから」

 

 

 どうしてか。

 

 

「レムは残ってしまって、姉様は失ってしまったから。レムが生まれてきたこと、それ自体が間違っていたから。レムと姉様が………双子だーー」

 

「ダメだ」

 

 

否定して、嫌悪して。己の存在を否定し、ついにラムとの関係性すらも否定しようとしたレム。止まるはずのなかった声を止めたのは、不意に部屋に響き渡った張りのあるテンの声だった。

 

割り込まれたそれに瞑っていた目を開けるレム。彼女はテンの人差し指に拭われてやっと、自分が知らぬうちに涙を流していたと知る。流れている感覚はしなかったはずなのに、流れていた。

 

 

「自分が生まれなければよかったなんて、言わないでほしい。ラムと自分が双子であることに、疑問を抱かないでほしい。……身勝手な言葉だよね。分かってる。分かってるけど、ダメなんだ……っ」

 

 

数滴だけ流れた雫を拭うと、テンは回した腕でレムの体を抱き寄せる。その先の言葉を言わせたくなくて、黙って聞くはずの彼は物理的にレムの言葉を塞いだ。

 

一度でも話し出せば、全てを語り終えるまで止まることのないレムの物語(独白)と自己嫌悪、自己否定。過去の罪を思い出していくと途端に饒舌になるレムの言葉は、それ程までにテンにとって聞くに堪えないものだった。

 

決して知らなかったわけではない。細部までは覚えていないにしろ、テンは彼女の過去は知っている——知っているからこそ、聞くに堪えないものになったのかもしれない。

 

境遇を知っているから、言葉の意味を理解することができてしまう。雨のように降り頻る後悔の羅列、その痛みを感じてしまう。情の込められた声で語られれば尚更。

 

 

「なぁレム。一つ、提案してもいい?」

 

「はい。なんなりと」

 

「そのこと、俺に話してほしい」

 

「ーーーっ」

 

 

言った瞬間。肩を数ミリ程度跳ねさせると、戸惑ったレムが喉に声を詰まらせる。感情を言葉にしようとして、しかし叶わなかった彼女は小さな苦鳴が漏れた。

 

その間にも、テンは言葉を重ねていた。

 

 

「話してくれれば、俺も一緒に悩んであげられる。レムが抱えてるもの、一緒に抱えてあげられる……なんて、大層なことは言えないけど、軽くしてあげることくらいはできると思う」

 

 

レムの耳元でテンは鼓膜を撫でるように言葉を流し込む。心の中で何度も反響させれるような、そんな優しさで。

 

その言葉の意味。話を聞いているうちに、曖昧な知識だけでは、レムの心とちゃんと向き合うことができないとテンは判断したのだ。彼女の口から、彼女の過去を聞く必要がある。

 

どちらかと言えば。言った通り、彼女が背負う十字架を少しでも軽くしてあげたい気持ちの方が強い。ひとりでしか抱えれなかったものを、自分も一緒に抱えてあげたい心が大きい。

 

とにかく。彼女から直接、過去を聞く必要が今の自分にはあると即断したテンの行動は早かった。

 

 

「ずっと我慢してきたんだよな。苦しいのも、怖いのも、寂しいのも。全部全部、溜め込んできたんだよな。……きっと、今まで辛かったよね」

 

 

「俺が想像もできないくらい」と、指を絡ませてきたレムの手をテンは痛ましげな表情で握った。小刻みに震えているのは、彼女の心が震えている証だ。

 

 

「全部吐き出していいよ。全部叩きつけていいよ。レムが抱えてきたもの、俺に全部教えてよ。そうしたらスッキリするかもよ?」

 

「ーーーー」

 

「それを聞いて、それからレムと向き合いたい。レムのことを全部知って、それでレムを助けたい」

 

 

おそらく、彼は自分の過去を知りたいと言っているのだろうとレムは話の流れから察する。

 

自分の醜い部分しかない、誰にも明かしたくない罪を知って。その上で助けたいと、そう求めている。

 

なら、自分は応えるべきだとレムは思うが。

 

 

「テンくん……」

 

 

名前を呼んだレムはテンの横顔を見る。瞳に映し出されたのは何度も見てきた真剣な顔のテン。

 

自分の心と真摯に向き合おうとしてくれている、とっても安心してくる表情だ。安心してきて、絶対に嫌われたくないと思える人だ。

 

 絶対に、嫌われたくない人。

 

 

「何を聞いても、嫌いになったり……」

 

「しない。だから言ったでしょ。良いところも悪いところも含めて『レム』なんだから、って。まだ俺のこと信用できない?」

 

「そんなことありませんーー! ただ、誰にも話してこなかったものなので、何を言われるか分からなくて。ごめんなさい……、本当にレムは弱虫で面倒な女ですよね」

 

「こらこら、そーやって自分を卑下しないの。そんなこと思ってないから。俺の考えを勝手に決めないで。ついでに、勝手に落ち込まないで」

 

「テンくんがそれを言いますか」

「言うな。バカ」

「バカはテンくんです」

「じゃあ二人ともバカだ」

 

 

悪い癖が顔を出したレムを軽く注意し、テンは手を握りしめていない方の手で彼女の頭を弱く小突く。仕返しとして、またしても後頭部で胸に頭突きされる羽目に。

 

自分の悪いところを見つける才能に関して一級品のテンとしては特大ブーメランな発言。もちろん、レムが噛みつかないわけがなかった。

 

「そうですね。レムもテンくんもバカです」と。彼女らしからぬ発言が微笑みと一緒にポツリと口元から落ちると、彼女は笑いを一度だけ声にして。

 

ほぅ、と浅く息を吐き、気持ちの切り替えを簡単に済ませる。

 

 それから———、

 

 

「レムの生まれは、人里離れた鬼族の村でした」

 

 

と。その流れのまま、自分の過去()をテンに曝け出し始めた。

 

 

 

 

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