親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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あの日のこと

 

 

 

 

「人里離れた村、ねぇ。じゃあ俺と同じ田舎者か」

 

 

語り始めたレムの言葉にテンが「なるほどなぁ」と一言。何一つとして納得のしていない、特に深い意味のないそれにレムは「はい」と軽く頷き、

 

 

「亜人族の中でも比類のない戦闘力を保有しながら、他の種と比較して子孫を残す力が著しく低いという弱点を持つのが鬼族というもの。他のような種の繁栄には至らず、それ故に、人里離れた土地でしか生きることができなかったんです」

 

「子孫繁栄が難しかったの?」

 

「はい。強力な個を生み出すことに長けていたものなので赤子を身籠る機会は多くはなかったと聞きました。……なので、レムが赤子を身籠るにはたくさんする必要がありますよ。テンくん」

 

「そうだね。…………………そうだね?」

 

 

なにか、適当に流していいわけがない発言がレムの口から飛び出した気配。

 

引っかかった彼は自分の胸を枕代わりにしているレムの顔を覗き込むも、彼女は頬を赤く染めているだけで。誤魔化すような咳払いをされれば、それ以上の反応は期待できそうにない。

 

諦めた彼は「まぁ、いいや」と、壁に軽く寄りかかって吐息した。

 

 

「そんな村で生を受けたのがレムと姉様です。決してあってはならない『双子』として生まれてきた——鬼族として未完成の『忌み子』です」

 

 

いくら、愛する人に全てを預けているからといっても、そう語るのに抵抗は生まれてしまうのだろう。語ったレムの声色は明らかに沈んでいる。心なしか少しだけ俯いて見えた。

 

自らの生い立ち、その出発点は彼女からすれば良いものではないはずで。忘却の彼方に捨て去ってしまいたくなる辛い過去を話させることに、テンは罪悪感を抱かないわけではない。

 

けれど、彼は止めない。彼女の物語を最後の最後まで聞く。全てを、彼女の心の全てを求めたから。受け止めると断言したから。聞いて、一緒に悩みたいと決めたから。

 

 語りを、促し続ける。

 

 

「どうして忌み子なの?」

 

「元来、鬼族は二本の角を授かって生を受けるのが当然の生物。種としての誇りと言っても過言ではないそれを、双子は片方ずつに分けられて生を受けてしまうんです」

 

「二本あるものが一本しか無い、ってだけでそんな風に扱われるのかよ」

 

「それ程までに、角は鬼族にとっては大切なものなんです。二本であることは絶対なんです。鬼族であることの象徴——そう語っても不思議ではありませんよ」

 

 

当然のように告げたレムに、テンは「角だけが、その人の本質でもないでしょうに」と喉を低く唸らせた。当然のように言えてしまう事実が、こんなにも悲しい。

 

浅はかな考えでそれを否定するつもりはないが。たったそれだけで彼女たちを同じ鬼族として扱わない人間とは、レムとラムを取り巻いていた人間の程度が知れた。

 

鬼族が保有する角は二本が普通、そうでない場合は鬼族として扱わない——その考えだけで二人を毛嫌いする。

 

 なんとも、

 

 

「心の狭い人間。って言ったら怒る?」

 

「仕方のないことです。角を失った鬼は『ツノナシ』と呼ばれ、鬼族としての人権すら剥奪されますから。それは一本でも同じこと。ですから、元からその状態で生まれた鬼を忌み子とするのは普通です」

 

「普通、か?」

 

「二本で在ることが一本でしか在れない。普通であることが普通でない存在は、鬼族にとっては異質。輪を乱す歪みは早い段階から消してしまう——それが普通なんです」

 

「……普通、ね」

 

 

二度、含みのある言い方で呟き、テンはレムの頭を優しく撫でる。「大丈夫。ゆっくりでいいよ」と、寄りかかる小柄な体が小刻みに震えつつあることを察した彼は彼女の身体を、それ以上の優しさで抱いた。

 

話すためならいくらだって待とう。レムの口から紡がれるまでずっと待とう。そのためなら、いくらでも温もりをあげよう。

 

それがテンにできること。震える体を温めてあげることしかできない彼ができる、唯一の癒し方。

 

しばしの沈黙を経て震えが治ると、レムは胸の中に溜まっていた息を深く吐き出す。それから、記憶を呼び起こすように、

 

 

「ですから、レムと姉様は生まれた日に処分されるはずだったんです。村の掟に従い、苦渋の決断を下した村長の手によって殺されるはずだったんです」

 

「でも、そうはならなかった」

 

 

見覚えのある発言。頭の中で原作の映像が勝手に流れたテンの声に、レムは「はい」とだけ。その肯定を聞きながら彼は、ここからが人生で一番真剣になる時だと心の中で己に言い聞かせた。

 

おふざけは要らない。冗談も要らない。軽口も要らない。いつものような自分は要らない。

 

ただ、真摯に、真剣に、レムの過去と向き合う時。

レムという一人の少女と、真正面から向き合う時。

 

 

「それは、なんで?」

「姉様の存在があったからです」

 

 

 即答。

 

過去を語る中で、今のところ最もハッキリと紡がれた姉の存在。迷いや躊躇の一切が感じられないそれがテンの鼓膜をやや強く殴りつけると、彼は密かに表情を歪めた。

 

今のはつまり。レムの中のラム至上主義、それが形として現れた瞬間。いついかなる時もそれが大前提として置かれる彼女はやはり、過去に縛られている。縛られて、そのまま生きている。

 

 

「ラムの存在がレムが生きている事と、どう繋がるの?」

 

「レムと一緒に生まれた姉様は、出来損ないのレムと違って天性の才を宿していました。角が一本であることを覆してしまう才能()の持ち主で、その事実の発覚が掟をひっくり返したんです。レムはその付属品に過ぎません」

 

「ーーーー」

 

 

 ーーだから、そんなこと言っちゃダメだって

 

 

そう言いたかったテンは、しかし「うん」とだけしか言わない。言ってあげたい、否定してあげたい、けど、言わない。否、言えない。

 

レムの語りを真剣に聞く彼は、レムが自分の胸の内を曝け出す行為を遮るような真似はできず、口内で暴れ回るそれをグッと飲み込む。一回一回それをしていてはきっとこの先、切りがなくなってしまう。

 

その代わり、後でまとめて言わせてもらうとして、彼はレムの話を聞いた。

 

 

「幼児期の姉様を、村の人は『神童』と崇めていました。村長は、歴代のどの鬼をも超える鬼となる、と。両親を含めた村人の全員が、姉様に頭を下げていた覚えがあります」

 

「殺しかけた相手によく言うよ。強さでしか優劣を決めつけられないからって、自分よりも格上の相手には忌み子と邪険にした人であっても顔色を変えるとか。………それが、鬼族の普通だって?」

 

「はい。それが鬼族の普通であり、掟であり——本能です」

 

 

 ーーくだらね

 

 

妙に、『普通』という単語に反応するテンは淡々と語るレムに自分の内側で雑に吐き捨てる。力でその人の本質を決定するなど馬鹿馬鹿しい。もっと他になかったのだろうか。

 

それはあくまで、その人の本質を見極めるための要素のうちの一つでしかないだろう。それ一つで全てを『そうだ』と決めつけるなんて、そんな酷い話があってたまるか。

 

しかし、それが鬼族が鬼族たる所以なのだろうと思えてしまうテンだった。だから、知識の浅い彼がそれを強く糾弾することはできない。

 

故に、テンはその思いを声の形としてぶつけなかった。レムとラムがその狭い世界で育ってきたのだから。

 

それを馬鹿にしてしまえば、その『普通』の中で生きてきた二人を否定することになる。それが当然だとしてきた二人の今までを貶すことになる。

 

尤も。ラムがそのような『普通』に縛られる人格者かどうかと聞かれれば答えはノゥだ。ラムならば、そのようなつまらない鬼族の束縛に抑え込まれるなんてことはありえないだろう。

 

ラムならば、の話だが。

 

 

「でも、それだけではなかったとレムは思います」

 

「ん?」

 

「確かに姉様は、卓越した才を持ち、同族から『神童』と首を垂れられました。事実として、それほどの力を宿していましたし。ですがそれは、姉様の人間性が、秀才である事と同等に光っていたからだとレムは思うんです」

 

 

尊敬するような、諦観するような、レムの想望。

 

自分の姉がこれほどに優れた存在であると。自分の何億倍——否、数値で表すことができないほどに自分よりも優れていると。

 

そう、テンに教え込むような口ぶりのレムは言葉を繋ぎ、

 

 

「こんなレムに、いつでも優しくしてくれる姉としての姿があったから。例え神童として謳われようとも、心優しいレムの姉様としての姿は変わりなかったから」

 

「だから、ラムという存在そのものが『神童』と呼ばれた。圧倒的な力を持つラムである前に、レムのお姉ちゃんであるラムとしての人徳があったから、村の人たちがラムのことを人として敬うようになった、と」

 

「その姿が、村の人たちの意識を変えてくれたのは間違いありません。忌み嫌われるだけだったのを、ひっくり返してくれたんですから。本当にレムの姉様は………どこまでも遠い存在です」

 

 

儚く言い、レムは首から回されるテンの手を握りしめる。感情の第二波が押し寄せる感覚——衝動的に震え始めた彼女はテンを求めた。直後、優しい声で「大丈夫、大丈夫だよ」と言われながら包まれる。

 

何が大丈夫なのかは両者とも分からないが、そうされるとレムは安心してくる。この人に「大丈夫」と言われると、大丈夫なんだなと思える。何度も包まれた両腕なのに、どこまでも温かく感じる。

 

 

「焦らなくていい、レムの歩幅に合わせるから。大丈夫、ずっと隣にいるよ」

 

 

レムの精神安定剤になりつつある現状。ふと、このままでは依存されてしまうのではとテンは考えたが、そうなったらそうなった時に考えることにした。後のことよりも今のことだ。

 

にしても、流石ラムと言うべきか。

 

まさか、彼女が村人の『レムとラムは忌み子である』という意識そのものを変えていたとは、流石としか言えない。普通という名の集団心理に対して単体で立ち向かい、真っ向からねじ伏せたと思うと尊敬しかない。

 

自信に満ち溢れたラムだからこそ、できたことだろう。あの性格の彼女だからこそ、成し得たことだろう。

 

どんな環境で育てば、傲岸不遜な毒舌我儘お嬢様が出来上がるのかと思っていたが。案外、元からなのかもしれない。ラムという少女は生まれたときからずっと変わらないのだ。

 

それが、レムに劣等感を抱かせた原因の一つなのかもしれないと思うと、凄まじい皮肉に感じてしまうのは気のせいだろうか。

 

自信に満ち溢れたラムと、自信の欠片もないレム。どちらがどちらに対して劣等感を抱いてしまうかなど考えずとも刹那で分かること。

 

それは、テン自身もよく知っている感覚。これまでに幾度となくハヤトと自分を比べて、嫌というほど挫折してきた絶望。程度はレムに劣っているにしろ、それなりに辛かったことは何度だってある。

 

劣化版、否、劣化にすら成れない。その背中がいつも遠すぎる。自分にとってカンザキ・ハヤトという男はどこまでも眩しくて、遠くて、見えなくて、諦めたことだってあった。

 

だからその苦しみは、少しなら分かる。全部は無理でも、分かってあげられる部分はある。

 

 

「鬼族としての才を授かり、比類のない力を保有しても不用に驕らず、鬼族である前に人として何一つとして欠点のない、正しく神童に成るべくしてこの世に誕生した存在」

 

 

震えが治ったレムが口を開けば、出てきたのはラムを褒めちぎる羅列。本人に聞かせてやりたいそれを聞いたテンは、その裏側に狂気的なものを本能的に察した。

 

 

「それが、レムの姉様です」

 

 

どうしてだろう。文字に起こすと妹が自慢のお姉ちゃんを褒める以外に他ならないのに、無感情な声で言われてしまうと、ただ事実を語っているようにしか聞こえない。

 

或いは、そうだと信じ込んでいるレムが自分の中で形成された『ラム』という存在を語っているような。姉ではなく『ラム』という存在そのものを語っているような。

 

どちらにせよ、その文章を声として発したレムに鳥肌が立ったのは間違いない。

 

 

「そして」

 

 

テンが戦慄している間にも、レムは言葉を紡いでいく。淡々と、無機質な声で、先へ先へと紡いでいく。

 

 紡いで、紡いで、紡いで。

 

 

「その後ろ姿についていくだけの出来損ない——それがレムという劣等品です」

 

 

 冷酷に、言い切った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

それは、自身のことを主観的にしか捉える事のできないレムが語った、彼女の中で確立された固定概念のようなものだった。

 

自分は鬼族の出来損ない。姉と比較するのも失礼だ。才能に溢れた姉に凡人の自分なんかが追いつけるわけがない。だって、自分は姉の劣等品だから。

 

レムの中のレムを、自分の価値観のみで主観的に捉えた言葉と表現するのが当てはまっているそれ。形成された自分を極度に蔑む文章を、彼女はつらつらと言い連ねていく。

 

 

「姉様と違って突出した才能もなく。扱えるマナも平均並み……いえ、角一本の鬼が出せる力の平均並みですから、角が二本である鬼よりも劣っているのは明らか。弱く、情けなく、惨めな未完成の鬼——それがレムです」

 

 

冷え切った声と共に並べられていく自己否定、嫌悪。ラムのことを話している時の声色とまるで違う音は、テンが聞いたこともない程に冷酷だ。きっと、その瞳からは光が落ちているはずで。

 

それはまるで、自分という存在を見下ろしながら、その欠点を叩きつけては嘲笑してるような物言い。そうでしか生きることのできなかった過去の自分を、彼女は笑っている。

 

その様があまりにも残酷すぎて、聞いていられなかったテン。受け止めると決めたものの、実際に彼女の口から聞かされるとそれなりに衝撃はあった。

 

そんな幼い頃からずっと苦しんできたのか、と。

 

自分の幼児期といえば、のほほーんとした生活を垂れ流してきたくらいで。特に何も考えずに毎日を過ごしていた。否、大抵の人間など基本的にそんなものだろう。幼稚園で缶けりをしていた記憶がある。

 

そんな時期——人として幼く、まだ心が出来上がっていない時期から彼女は毎日のように苦痛を味わってきた。そう思うだけで、呑気に暮らしていた自分が恥ずかしくなってくる。

 

ちょっとでもいい。彼女が自分に向ける罵詈雑言が一瞬でも止まればいいなと思い、テンは「因みに」とやや強めに言葉を割り込ませ、

 

 

「自分の生い立ちについては誰から?」

 

「両親からです」

 

 

 ーーどんな両親だよ

 

 

とは、心の中だけで言うとして、テンはレムの両親に舌打ち。なんとなく予想はついていたが、その頃のレムにどうしてそのようなことを話す必要があったのか。控えめに言ってありえない。

 

心が未熟な少女に話す必要がどこにある。物事を把握する力がある事と、現実を受け止める力がある事は決してイコールではないのだ。

 

勿論、それをレムの両親が理解していないわけがない——と、思いたい。であれば、それを話した理由は、

 

 

「姉様が神童と謳われなければレムと姉様の命は無かったと聞かされたことがあります。だから、レムも姉様みたいになれるように頑張りなさいと」

 

「『だから』の使い方おかしくない? 接続詞の前の文章と後の文章に繋がりがないと思えるのは俺だけ?」

 

「姉に求めたことを妹に求めるのは普通のことだと思いますよ。双子なら、尚更です。姉様のように立派になれと」

 

「普通、普通、って……呪いかよ。人にはそれぞれに個人差があるんだし、それは違うんじゃないの? ラムに求めることをレムに求めるのはおかしいよ。双子だから、って一緒にするのは違うと思う」

 

 

「レムはレム。ラムはラムなんだしさ」と、テンは言葉を付け足すがレムは反応しない。

 

『普通』という言葉に丁寧に引っかかる彼の言葉を受け流しているのか、それとも受け止めているのか。曖昧な彼女は傷付く自分を癒す発言に取り合う様子は訪れず、結局は時間と共に流された。

 

そのレム。彼女はテンの言葉が鼓膜に届いていないかのように「なので」と言葉を繋ぎ合わせると、

 

 

「レムもそれに応えたくて、努力はしたんです。期待に応えられるように、姉様に追いつけるように、できることは全て尽くして頑張ったんです」

 

 

「……頑張りは、したんです」と。過去の努力を振り返るレムが自分の言葉にそう付け足した声は、切なげだった。

 

姉の背中に追いつこうと奮起する、記憶の中で息をする幼い自分。

 

周りから期待されるばかりでなんの進歩もない状況をどうにかして変えようとする、未完成の自分。

 

なにか一つでも姉に勝ろうと拙い努力を無駄に重ねる——重ね続ける、滑稽な自分。

 

結果など目に見えた過去の自分、その後ろ姿を見ながら「ですが」と、レムは首を小さく横に振り、

 

 

「所詮、凡人は凡人にしか成り得ることはできません。ただの凡人が姉様のような存在に勝れるはずが……、なかった」

 

 

自分が何時間もかけて越えた壁を、姉は刹那で越えてしまう。それどころか、それ以上の成果を出してその先の先の先の壁まで一気に飛び越えてしまう。

 

自分が必死になって越えたそれを、姉は小さな水溜りをひょいと飛び越えるような気軽さで、軽々しく何度でも越えていく。

 

どれほどの時間を費やそうが、どれほどの努力を重ねようが、どれほどの力を振り絞ろうが、自分はもう見えなくなった背中に追いつくことはできない。

 

ずっとずっと遠くにいる小さい背中に、手を伸ばすことは叶わない。伸ばしても伸ばしても、虚しく虚空を撫でる。

 

次元が違う。そう言うのが最も適していた。見ている景色が違う。そう表現するのが当たり前だった。住んでる世界がかけ離れている。そうであることが普通だった。

 

自分と姉の間には、決して越えることのできない壁が存在している。

 

それを、欠かさず努力を振り絞っていたレムは幼い時点で悟ってしまったのだ。誰よりも身近で、世界で一番愛しい存在との間にそれがあると、悟らされてしまったのだ。

 

 

「全部、無駄だったんです。追いつこうとすることが間違っていたんです。生まれた時点で、レムと姉様の間には境界線が引かれていて、それを越えようとするなんて無理な話だったんです」

 

 

幼児期から胸の内に秘めてきた醜い自分の全てをテンに曝け出す彼女は饒舌だ。過去の自分に、或いは今の自分に、強く言い聞かせるようにレムは言葉を詰まらせることなく語る。

 

その様子はまるで、「馬鹿な話ですよね。笑ってもいいですよ」と、苦笑しながら言い掛けているようにもテンには感じられて。現に、振り返ったレムの横顔は薄く笑っていた。

 

それは喜びや幸を含んだものではなく、明らかに馬鹿にしているもの。どこまでも己を否定し嫌悪する彼女は、過去の自分が必死なった事すらも無駄であると軽蔑し続ける。

 

 

 ーーつらい。ただ、つらい

 

 

その笑みに己の中で呟き、テンはレムを抱きしめる。そうすることしかできないのが腹立たしかった。

 

細部まで知らなかったレムの物語。まだ前半戦だというのに、この時点でテンの精神は結構な勢いで削られている。表では平常を保てているものの、裏では語り続けられるレムの過去に倒れ伏している。

 

緊張の糸を緩めればきっと、情けない表情がすぐに浮かんできてしまう。抑えていなければ、独白を止めてしまいそうになる。

 

それはダメだ。全部聞くまでは止めてはいけない。今はその時間なのだから。レムと自分が、レムの過去と向き合うための、唯一の時間なのだから。今を逃せば、もう二度と聞けなくなる。

 

今しかない。レムのことを全部知れるチャンスは今しかない。だからテンは身を抉られるようなレムの過去を聞いても、絶対にそれを止めることはない。

 

 促して、促して、促して続ける。

 

 

「それで……その、さ。あの……、ご両親とか村の人たちはレムに対して……その、ひどい扱いとかはしてこなかった?」

 

 

問いかけたテンは恐る恐るといった具合。レムの顔色を窺うように横顔を覗き込む彼は、疑問符の行き先にいる彼女が返してくる反応に不安そうに頬を強張らせた。

 

これまでのレムの話を聞いていれば、当たり前の反応と言える。

 

神童と崇められたラムとは違い、特に突出した才を宿していないレム。常日頃から比較され続けたであろう彼女に向けられる目が、あまりよろしくないものである可能性は否定しきれず。

 

姉と比較した時、その差が天と地の領域を遥かに超えている妹。そんな妹に周りが何を思うのか、完璧である姉とは比較するのも烏滸がましい妹に、周りが何を思うのか。

 

そんな意味合いを含めたテンの問いかけに、レムは「はい。それはもう」と、

 

 

「優しかったですよ。両親は姉様と同等の愛を注いでくれましたし、努力するレムに期待もしてくれました。それは、同族も同じです」

 

「それは……っ」

 

「姉様のように立派になれ。姉様のように成るために頑張れ。姉様のように、姉様のように、姉様のように、と応援してくれました」

 

 

感情が抜けた声で話し終えた途端、テンが「それはレムにとって……」と震えた声で呟きながらレムを強く抱きしめる。彼女が震えているわけでもないのに、衝動に突き動かされるように。

 

その発言。誰一人として悪意などないのだろう。神童として栄光の道を威風堂々たる振る舞いで歩き続けるラムの妹に対して、掛けて当然の言葉を無責任に、無自覚に殴りつけているだけなのだろう。

 

双子ということも一つの原因としてあったのかもしれない。否、あったのだろう。

 

姿形が一つも違わぬからこそ、『鬼』としての性質が違うレムに対して姉のように成ってほしいと願う心を加速させ、比較することを促進させた。

 

それが、決して追いつけないと悟ったレムにとってどれほど苦しいことだったか。次元の違う存在のように成れと語る——そんな、無責任な言葉が許されるのか。

 

 いや、許されるわけがない。

 

 

「それはレムにとって………」

 

「生き地獄のようなものでした」

 

 

頭の中に出来上がった考えを投げかけられたレムの返答は刹那。直後、後ろで息が詰まった音を聞きながら、

 

 

「レムはレムなりに頑張ればいいと言ってくれた優しい姉様。努力する姿に期待を寄せてくれた両親。姉のように立派になれと応援してくれた同族——その全てが、レムにとっては苦痛でしかありませんでした」

 

 

三度目。その時の痛みが疼き出したように震え出したレム。堪え切れなくなった糸がプツンと切れたような彼女は、不意に体をくるりと反転させると、テンの首に両腕を回しながら、その右肩に額をあてがう。

 

彼が驚く気配は無い。首に回していた腕を背中に回しながら、抱きつく自分の体を粛々と受け止めてくれた。何も言わず、ただ優しく。

 

そんな風にされると、何年間も本音を堰き止めていたレムの口元は勝手に緩んでいて、

 

 

「誰も、レムを求めてくれないんです。ありのままの

レムを……両親も同族も——姉様以外の全ての人が、姉様のようなレムを望むんです」

 

「ーーーー」

 

「誰も、レムを見てくれない。誰も、レムの話をしてくれない。みんなが、レムがレムで在ることを肯定してくれない。レムの存在を許してくれない。……それが、姉様に追いつけないのと同じくらい辛かった」

 

 

 ——じんわりと瞳に涙が浮かび、一雫だけ軌跡を生みながら頬に流れる。

 

生涯、誰にも話すことなんてないと決めつけていた本音を打ち明けた彼女は、溢れる悲哀を我慢することは叶わなかった。

 

彼方に封印されていた記憶と共に感情が廻ると、レムは自分のことを求めてくれる、好きでいてくれる彼に縋りつく。こんな自分でも求めてくれた人に泣きついた。

 

その時、不意に過去の言葉が鼓膜を叩いた。

 

 

 ーー姉のようになれ。立派になれ。

 

 

そんなこと言わないでほしい。姉ばかり見ないで、自分のことを見てほしい。レムで在る自分の存在を、どうか許してほしい。

 

 

 ーーもっと頑張れ。努力が足りない。

 

 

お前に何が分かる。鬼としての質が違う人を目指す自分の何が分かる。それを姉として持った自分の何が分かる。裏で自分がどれだけの努力を重ねているか、全て知っているのか。

 

 

 ーーあなたならできる。

 

 

やめて、やめてくれ。その言葉が一番苦しい。その優しさが、なによりも心を抉られる。

 

無理だ。無理なんだ。自分が姉のように成ることなんて不可能なんだ。どれだけ足掻こうが、踠こうが、生まれた時から自分と姉の間には越えられない境界線があって。越えようとしても無理なんだ。

 

 だから———、

 

 

「だから、レムは諦めたんです」

 

「………なにを?」

 

「全てを」

 

 

悟り、悟らされ、毎日のように比較され、自分を取り巻く周りの目が自分ではない自分を見ているような感覚に襲われ、心が完全に打ち砕かれた幼児期のレム。

 

 

「常に光を浴び、明るく照らされる人生を歩む姉様の後ろ。その陰から顔を覗かせ、姉様を照らす眩い光に身を縮み込ませるのが自分。——そんな風に諦めて、レムは逃げたんです」

 

 

彼女はそれ以上、自分の心を傷つけないよう『姉に並ぶ自分』という人間を諦めた。

 

 

「そうすれば。両親の声も……同族の声も……姉様の声も……、毎日のように叩きつけられる受難の全てを、そよ風のように受け流して、認めることができたから。苦しいことから、レムは逃げたんです。逃げるしか……方法が分からなかったんです」

 

 

自傷するようなレムの告白に、テンは気休めの一つも出なかった。レムの凄惨な過去を聞いた今、掛けるべき言葉が頭の中で形作られてはくれない。

 

思考が麻痺したわけではない。考える力は生きている。紡がれた過去と向き合い、事実を受け止めて、そこから展開していくための力は熱を帯びて稼働している。

 

しかし、なにを言えばいいのかすぐには思い浮かばない。なにを言っても効果は期待できず、全て空振りに終わる予感しかしないのだ。悲哀一色に染まりかけたレムに届く言葉は、無い。

 

 と、

 

 

「もう、平気です。ありがとうございます」

 

 

体勢を戻したいのか、首から腕を引き抜いた彼女は身を回すと、再びテンに背中から寄りかかる。衝動が治った彼女は、震えていない。

 

自然、首に腕を回そうとしたテンだが。その両腕は誘導した彼女の手によって脇に回されることになった。今度は首ではなく脇、枕を抱くような体勢だ。

 

定位置に戻ったレム。彼女は含みのある吐息を一つだけ溢すと、

 

 

「そんな諦めがずっと続けばいいのだと、あの頃のレムは思っていたんです。………思っていられたら、どれほど楽になれたんでしょうね」

 

「なにか……あったの?」

 

 

言った直後、レムの横顔に明らかな陰が差す。弱く二人を照らす陽の魔鉱石が生じさせた陰影だと思うこともできるそれは、しかしテンには彼女の表情が陰ったと直感で分かった。

 

その理由が分からないテンではない。細部までは記憶していなくとも、重要な部分だけは鮮明なのだから。いつもは助けられてきた知識が、今に限っては嫌なくらいに心を抉ってくるのだから。

 

知っているから、分かってしまう。分かってしまうから、心が痛む。知っている事が裏目に出た事例はこれまでにも何度かあったが、これはその中でも一番。

 

原作知識を知っている人間のみが抱える悩みの種。それは、知らない自分を装わなくてはならない事。

 

故に、その問いかけが如何に残酷であったとしてもテンはレムに聞かなくてはならないのだ。知っているのに、知らないふりを貫くために。本当に面倒だと思う。

 

 それ以上に、つらい。

 

 

「——あの炎の夜。レムは姉様以外の全てを失ったんです」

 

 

テンの裏側のことなど知らないレム。

 

話してきた中で声の落ち込み度合いが最も増した瞬間、彼女は全てが変わった日のことを話し始める。ずっと閉じ込めてきた醜い自分の顔を、愛する人に見せ始める。

 

それは、自分の時間が止まった日のこと。それは、自分の心が凍りついた日のこと。それは、自分の全てが変わった日のこと。

 

人生の分岐点、或いは終着点、そう言い表してもいい日のこと。

 

 

「村が、何の予兆も無しに魔女教の襲撃に遭ったんです」

 

 

 ——魔女教。

 

『嫉妬』の魔女を崇める集団。四百年前、魔女が台頭してた頃から活動している筋金入りの狂信者。見つけ次第、即時滅殺しても良いとすら世界に認知されている極悪人の集まり。

 

ベアトリスに、エミリアの騎士になるなら知っておけと、そう言われてハヤトと一緒にその説明を受けた覚えがテンにはあった。

 

いずれ、戦うことになる殺戮集団だから、肝に銘じておけと。まさか、あんなに早く戦うことになるとは思わなかった。

 

エミリア然り。レム然り、ラム然り。ベアトリス然り。パック然り。ロズワール然り。ついでに自分とハヤト然り。

 

エミリア陣営の人間はなにかと『魔女』と縁があるようだ。これまでにも、これからにも、それに振り回され続けると思うと少しだけ憂鬱に感じてしまう。

 

できることならその縁、今すぐにでも断ち切ってしまいたい。

 

そのせいで、レムは苦しみ続けているのだ。

 

 

「目的は……分かりません。亜人として力のある鬼族の抹殺か、他の目的があったのか。魔女教の行動心理を把握することなんて不可能ですから」

 

「それはなんとなく分かった。戦ってて人間味が感じられなかったし。心が宿ってないんじゃねーの」

 

 

ポツポツと話すレムにテンは同意の声。

 

実際に相対した人間にしか分からない感覚だと思う。戦って、歪な気配を肌で感じ取らなければ、その言葉の意味はきっと理解できない。

 

殺意、覇気、威圧——否、感情そのもの。意志すらも感じ取ることができない無理解の存在。それが、テンが魔女教徒に対して察した感覚。

 

人ならざる者とは、あのような存在のことを指すのだと明確に分かった。

 

 

「それで、その日になにが?」

 

 

魔女教の感覚をお互いに共有したところで、テンは落ち着いた口調と態度で核心に迫る。レムの物語(過去)を語る上で、最も重要となってくる部分に、彼は容赦なく踏み込んだ。

 

ここまできたら後戻りはしない、させない。

 

勿論、レムを夢の世界から連れ出した時点でそのつもりなど一欠片もないが、テンは再び己の心に強く言い聞かせる。もう、絶対に彼女から目を背けたりはしない。ずっと向き合い続ける。

 

途端、意図せずに脇から回した両腕に力が入った。レムの体を包むだけの役割を果たしていたそれが、彼女を拘束するものに一瞬で姿を変える。

 

レムにはそれが、話すまで逃がさないと語っているように思えた。自分の過去を全て聞くまでは離してやらない、と。

 

仕草で言葉を語るような力の入れ方にレムは顔を俯かせて沈黙。覚悟しているとはいえ、話すことに抵抗が生まれないわけではないのだ。

 

彼のことは信用している。どれだけ信用しても足りない程に信用している——それでも、不安になるものは不安になるし、怖がってしまう。

 

 が、

 

 

「嫌わないよ」

 

「……信用、しています」

「うん。信用して」

 

 

沈黙してたレムの鼓膜を優しさに染まる声が撫でると、短いやりとりの末に彼女は沈黙を解く。自分の内心を察した彼の愛に、不安を消し飛ばされた。

 

嫌わないよ、と。たった五文字の一言なのに、こんなに安心させられる。嘘でもなく気休めでもない本心からの言葉が、面倒な女の心を甘く溶かしていく。

 

そうしてあの日のことを、一つ一つ辿るように、

 

 

「目覚めた時の感覚は、息苦しさと寝苦しさでした。普段は得ることのなかった感覚に、レムは目を覚ましたんです」

 

「寝苦しさ……魔女教の襲撃を察したとか? 気配を感覚で理解したみたいな?」

 

「いえ。単に、家が燃やされていたからです」

 

 

普通に言われた悲劇的な光景に、テンの喉が瞬間だけ凍りつく。

 

家が燃やされる事をそんな簡単に言ってしまっていいのか。否、それを凌駕する事実がその後に降り注いだから、大したことでもないと思えてしまうのか。

 

レムの身に刻まれた本当の悲劇は、家を燃やされた程度を痛くも痒くもないと彼女に思わせている。事実として、そうなのだろう。

 

 

「ただ壁を突き破って外へ出て。その時のレムは、姿を消した姉様の指示を仰ぐことしか頭にありませんでした。それがレムにとっては普通で、それが最も重んじるべき選択だから」

 

「ーーーー」

 

「魔女教徒から命を救ってくれた姉様がレムを見つけて、それからは全てを姉様に任せていたんです。レムにとって姉様は絶対な存在。それが最善で、最良で、最適解で、それ以上なんて有り得ない。ただ、信じていればいい。姉様の背中に隠れていればいい。それが——」

 

「レムの普通か?」

 

 

割り込んだテンの声はどこか怒気を含んでいて、レムは「はい」とだけ。それしか返す言葉が咄嗟に出てこなかった。

 

だって、そうでしかない。姉様のすることやることは全部が正しくて、自分はそれに従っていればいい。偉業を成し得ていく背中の後を、黙ってついていけばいい。

 

 それが、レムの普通。

 なにも、間違っていることなどない。

 

 

「魔女教徒に取り囲まれた瞬間も、レムは姉様がなんとかしてくれると信じ切っていました。信じて、信じて、信じて、信じて————」

 

 

正直なところ、その時のことはよく覚えていない。

 

全てを姉に委ねて。もう何も考えなくてもいいのだろうなんて狂気じみたことすら考えて。気がついたら魔女教徒に囲まれていて。

 

炎が揺れて。立ち上がった姉が泣きながら何かを叫んでいて。マナが爆発して。姉が規格外の力を見せつけて。そうすれば全部上手くいくのだと疑いもしないで。

 

 ただ、

 

 

「ほんの、一瞬でした」

 

 

 ただ、その瞬間のことだけは鮮明だった。

 

 

「レムを庇った姉様が、レムの目の前で角を折られたんです。鋼が、姉様の角を折ったんです」

 

 

忘れない、忘れるはずがない瞬間。そのことだけは一生涯、罪として心に深く刻まれるのだと。後悔の日々は無限に続くのだと。

 

 

「時間が遅くなったように感じました」

 

 

耳をつんざく姉の悲鳴が鼓膜に木霊して。眩しいくらいにずっと光り輝いていた姉の角が、炎の夜に散っていくのを見て。

 

途端から世界そのものの時が、音が、自分を中心として鈍くなっていって。

 

 

「その中でレムは、思ったんです。思って……しまったんです」

 

 

今まで姉と比較し続けてきた人たちのうるさかった声が一斉に止んで。歩んできた記憶が一挙に脳裏を駆け巡って。想いが、爆発して。

 

羨んでいた角が折れた、姉の身体的な心配をする感情よりも先に、

 

 

「——ああ、やっと折れてくれた」

 

 

 口元は、弧を描いていた。

 

 

 

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