親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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この声、届け

 

 

 

 

「思ったんだけどさ」

 

「はい」

 

「今日でレムの涙、枯れるんじゃね?」

 

 

言い、テンは薄く笑う。

 

泣きに泣いたレムによって胸元が悲惨なことになった彼は、しかし気も止めない様子で右腕に両腕を絡めてくるレムに視線をやった。

 

本気半分、冗談半分のそれにレムは数秒間だけ考えるための沈黙。赤みがかった瞳を何度も瞬きさせる彼女は、思考の沈黙が過ぎ去ったことを感じると「それはありませんよ」と、

 

 

「テンくんにはこれから先、たくさん泣かされる予定ですから。レムの潤いは一生枯れません」

 

「その言い方だと、俺が好きな人を泣かすサイテーな男になるな。やめようか。ただでさえ嫌いな自分が大嫌いになる」

 

 

誤解しか招かない爆弾発言が口から飛び出すと、レムは溢れんばかりの幸を含ませた微笑。隣に座る男にゆっくりと重心を傾けると、その右肩に頭を乗せた。

 

命の重みが自分に預けられる感覚。温かい人肌が肌に触ると、不思議と心地良さを感じてしまうテンはその反応を横目に苦笑。

 

大切に扱うお人形を抱くように抱かれた右腕に当たる、レムの柔らかな二つの感触は絶対に意識しないまま、

 

 

「因みに。泣かされる、とはどういった経緯で?」

 

「経緯を聞かれてしまうと少し恥ずかしいですから、多くは語りません。代わりに、全てが嬉し涙ということ、とだけ言っておきます。レムはテンくんにたくさん啼かされてしまう予定ですから」

 

「泣かされる、ね。……ん? 最後のだけ雰囲気が違う気がしたんだけど。……気のせい?」

 

 

「気のせいですよ」と。そう返したレムにテンは「そ。ならいいけどさ」とだけ。

 

不意に、どことなく語る声が熱っぽくなったような気がしたものの、それ以上の追求は受け付けてないために素通り。内心、その意味に気づいているものの素通り。

 

全てが嬉し涙とは。この数十分間だけで人生に流す涙の大半を流し尽くしたのではとさえ思えるレムの瞳はまだ潤っているようで。これから先、自分は何度、彼女の涙を受け止めるのかとテンは考えた。

 

 

「こうして、テンくんの肩に寄りかかるのもまた一興ですね」

 

 

そんなテンの考えを遮ったのは、レムの猫撫で声に似た甘えた声。

 

肩をくっつけ、絶え間なく頬擦りを継続する彼女に意識が根こそぎ奪われる。話し始めたときに、これはしばらく離れないな、とは考えていたが本当に離れなくなった。

 

片時も離れようとしない。数分おきに体勢は変えているものの、今までの分を取り戻すかのようなレムは温もりを求め続けている。我慢、遠慮、それに類似する言葉を断ち切り、甘えたいだけ甘えている。

 

なんとも可愛らしいことか。お陰でテンの精神力が着々と鍛えられている。このままいくと、レム耐性のスキルがセルフで発動していてもおかしくない。属性やられ(悩殺)は防げそうだ。

 

尤も。レムはそれを軽々しく超越してくるため、どうなるかは定かではない。その範囲内で彼女の破壊力が収まるかどうか不安しかない。

 

 と、

 

 

「あ、そうだ」

 

 

悩殺云々の話は置いておくとして、テンは声を上げる。ポンと音を立てて頭の中に姿を現したそれに、彼は決して忘れてはいけないことがあったことを思い出した。

 

何だろうかと顔を覗き込むレムに彼は軽く笑うと、

 

 

「そういえば、レムの疑問に答えてなかったね。俺を傷付けたレムが、俺を愛する資格なんてあるのか、と。どうすれば自分を許せるのか、ってやつ」

 

 

過去の話に引っ張られすぎて薄れかけていた二つ。

 

危ないところだった。色々と語られて、語りすぎたせいで未解決のまま忘れ去ろうとしていた。それを解決せずにレムを救えるわけがないだろう。

 

ここで少し驚いたのは、レムも自分と全く同じ反応をしたこと。自分によって呼び起こされたそれらに「あ」と、忘れていたかのような仕草。間違えなくはっとしている。

 

彼女自身、忘れていいはずがないと心に刻んでいたはずだ。否、忘れたくとも忘れられない事——記憶に深い傷痕として抉るように刻まれていたはずだ。

 

なのにどうして今、彼女は期待に満ちた眼差しを自分に送ってくるのか。はっとし、忘れかけていたレムはレム自身を咎めるどころか、まるで「助けてください」とでも言いたげな瞳を自分に向けてくる。

 

 

 ーー救われてる予兆。と、思っていいんだよね

 

 

期待と希望を宿す青色の双眼。弱く煌めくそれにテンは吐息した。疲れたのではない、自分の言葉が彼女の心に届いていると不意にも実感できて嬉しいのだ。

 

信じて良かったと、そう思えたのだ。ちょっとだけ泣きそうになってしまったのだ。

 

 

「その二つの疑問。俺なりに考えてみました。考える時間があったかどうかは聞くな」

 

 

ふつふつと込み上げる感情をグッと堪え、テンは声を紡ぐ。

 

今夜——もはや、今夜と呼べる時間帯ではないものの。今夜の目標の一つともいえるそれを解決するべく彼は一度だけ深呼吸。レムに甘えられてふわふわした精神を整える。

 

そうして気持ちをリセットすると、

 

 

「じゃあ。まずは一つ目の疑問について話していくけど……、それでいい?」

 

「はい。お願いします」

 

 

若干、声に緊張感を持たせたテンがそう言った直後、レムは深呼吸。彼女なりに心を穏やかに保っているのか。或いはテンと同じくふわふわした精神を整えたのか。全く別の理由か。

 

いずれにしても。右腕に抱きつかれた状態で肺を膨らませたり萎ませたりされると意識外に追いやっていた感触が返ってくるテンとは違い、それで整ったらしい。

 

口内で舌を強く噛み締めた痛みで誤魔化すテンに再度「お願いします」と声をかければ、彼女のゴーサインは彼に伝わった。

 

舌先に前歯の歯形が残ったテン。暇をしている左拳を口元に当てて咳払いする彼は「よし」と小さく呟き、

 

 

「俺を愛していいのか悩んでいるレムに。一つ、質問します。レムの気持ちを素直に教えてね」

 

 

眼前。言葉そのままの意味でゼロ距離にいるレムに口元に添えた拳、その人差し指をピンと立てて、

 

 

「レムは、どうしたい?」

 

 

それは、疑問というよりも意志確認に近いものだった。自分のことを好きなのに、罪が邪魔をするせいで好きな気持ちを抑え込むしかないと語ったレムに対する、彼女の素直な言葉を聞くための一言。

 

答え方に幅がありすぎる疑問。何をどうしたいのか分からないレムは困惑するように目を細めて、

 

 

「どうしたい、とは……」

 

「自分を許せないだとか。罪深いだとか。そーゆーの全部放り投げて、俺とどうなりたい?」

 

「ーーーー」

 

 

細められた目が開いたとき、レムは自分の心に耳を傾けた。意識を外側ではなく内側に向けた彼女は、己の中にいる、テンのことが好きで好きで仕方ない乙女の声を聞いた。

 

好きなのに好きになっちゃいけない。資格なんてないのに、愛してしまう。そんな矛盾を抱える元凶はいつも同じことを言っている。自分が罪に苦しんでいても知らん顔で、毎日のように叫んでいる。

 

その声は、こうして彼と話していると増す一方だ。自分の中の『テンのことが大好きな自分』の声が抑えられなくなって、抱えている罪を放り投げてしまいそうになるのが分かる。

 

だって、彼は自分の何もかもを奪った。過去も、罪も、心も。時が経てば唇も奪って、最後には清純すらも奪って、レムという女の子が持つものを丸々奪ってしまうのだろう。

 

不快には思わない。寧ろ、奪ってほしい。この身この心は全て、彼に心酔しているのだから。喜んで捧げよう。彼が望むものは、なんだって差し出そう。

 

そんな自分が発し続ける声。罪に囚われて、何も分からなくなっても、その想いだけは刹那たりとも揺らぐことなかった声は——、

 

 

「恋人に……。なり、たい」

 

 

両腕を絡めた右腕を強く抱きしめながらレムは答える。

 

弱々しく、おずおずとした声ではあった。けれど、その声には揺らぎのない愛と想いが凝縮されていて、確かな力強さがあった。

 

矛盾していることは分かっている。自分の頭で考えた事と心で考えた事が相反して、無茶苦茶なことを語っているのは知っている。けど、その想いは曲げたくなかった。

 

彼が好きだから。否、好きなんて言葉で収まり切らない。愛していると、そう何度伝えても伝えきれない愛を彼に向けていると言おう。

 

 

「それが、レムの本音?」

 

「はい」

 

 

三回、頷いたレム。秘めてきたことを彼に曝け出す彼女に嘘はない。人を見る目に自信はないが、それくらいはテンにも分かった。

 

嘘は言っていない。素直なレムをレムは見せてくれている。途端、面と向かってそう言われてしまうと今更ながらに恥ずかしくなってくるテンは「そっか」と声を柔らかくして、

 

 

「じゃあ、それでいいじゃん。こんな俺のことを好きでいてくれるなら、それを貫いてよ。俺としても嬉しいし」

 

「でも………。レムは、テンくんを傷付けたんですよ? 今だって、今だって傷が痛んで辛いはずなのに。そんなレムがテンくんを愛していいんですか?」

 

「逆にダメな理由ってある?」

 

 

自分の否定を突き詰めるレムにテンは淡々と返す。レム自身ですら、否定したがる自分に嫌気が差してきたが、それでもテンの声が尖ることはない。一つ一つ丁寧に、難解に絡まった糸を解くように否定を否定していく。

 

そろそろ、否定という行為に敏感になってきた彼はレムの頭を左手の手刀で優しく——優しさに優しさを重ねた力加減で叩く。「あぅ」と、小さくレムの苦鳴が漏れると、叩いた部位に手の平を添えて、

 

 

「好きなら好き。それでいいじゃない。愛していいのかとか、資格がないとか、そんなつまんねーものに拘ってなんの意味があるの? 辛いだけでしょ? それとも、レムがレムを許せないから、それに拘るわけ?」

 

「………ごめんなさい。やっぱり、レムは面倒な女ですよね」

 

「待て待て待て。謝るな謝るな。別に、責めてるわけじゃないんだから。その一言で俺が一気に悪者になっちゃう。つか、女の子って基本的にそんなもんじゃないの? 面倒なくらいがちょうどいい、ってハヤトも言ってたよ」

 

 

「アイツ。俺より恋愛経験あるから参考になるぜ」と、自己否定癖のあるレムにテンは笑いかける。情緒不安定が発動すると直後から落ち込む彼女の頭を、髪を手櫛で梳かすように撫でた。

 

そこで謝罪の言葉が選択されるあたり、自分の指摘したことは間違ってもいないのだろうとテンは思う。レムがレム自身を許せないから、テンが何を言っても意味はないと。

 

素直になってもまだ心残りはある。それを解決しなければ、何も終わらない。

 

ならば一つ。テンはレムの情を煽るために少しだけ性格の悪い(いじわるな)疑問を投げかける。

 

 

「じゃあ、聞くけど。今ここで俺が、愛する資格なんてレムには無い、俺を愛するのは諦めてくれ。なんて言ったらレムは諦められるの? 諦めて、諦め切れるの?」

 

 

 ピタリ、と。

 

言った瞬間、レムの時が止まる。呼吸が止まり、瞬きが止まり、まるで静止画。世界が正常な時を刻む中で、レムだけが置いていかれる——ただ、右腕を抱く両腕だけには力がどんどん宿っていくばかり。

 

地雷を踏んだか。それも、超特大の地雷。

 

音を立てて稼働していた思考が静止したような風に見えるレム。処理落ちしたとも捉えられる少女が、テンには見えている。

 

ついでに、その瞳からフェードアウトしていくようにゆっくりと生気が落ちていくのも見えている。俗にいう、ハイライトオフ、というやつだ。

 

その様子を見てテンは「なるほど」と、納得。刹那だけ過ぎった考えが気のせいではないことを感覚的に理解した。

 

どうやら踏んでしまったらしい。レムの中の開けてはいけない扉を、開けてしまったらしい。

 

リゼロ民()はそれを、ヤンデレムと呼んだ。

 

 

「……やだ」

 

 

 ——じわり、と。瞳に涙が浮かび上がる。

 

 

「あ、ごめっ。本気で言ったんじゃ——」

 

「やだ。やだ………」

 

 

それを眼下に、テンは本能的にヤバいと悟った。

 

 

「レム、聞いて。冗談、冗談、じょーだん! 本気にしなくていいからね? ちょっとレムの心を俺の方に傾けようかなとしただけで、マジに思わなくても——あふっ!?」

 

「やだ、やだ、やだ………やだ……やだ…やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだーーッ!!」

 

 

悟った時には、すでに遅かった。

 

真横からの衝撃——飛びついたレムの力に流されるがまま布団に横倒しにされ、体がぐわんと揺すられる感覚を得た次には仰向けに寝かされ、右腕から離れたレムがテンの腹部に馬乗り。

 

僅か一秒足らずでマウントを取られたテン。見上げる彼が見たのは見下ろすレムの涙。先ほど話したような嬉し涙なわけがないそれが、頬を伝りながら何滴も服に落ちる。

 

テンの言葉をまるで聞かない様子。事実として今のレムの頭の中にはこの状態にさせるに至った発言が回り続けているだろう。冗談抜きで洒落にならない。

 

 

「やぁ……やだぁ。テンくんのこと、諦めたくないです。大好きだからぁ、愛してるからぁ。いじわる、しないでください。そんなこと、言っちゃだめぇ……っ。レムを、す……っ、すて。捨て、ないでぇ」

 

「捨てる!? いやいやいやいや捨てない捨てない! いやそもそも捨てるとかの問題じゃないからね!? どちらかと言えば捨てられるのは俺の方だと思うよ!? ほら、俺ってロズワールに拾われた人だから。それにね! 俺って、他人からもらったものは大切に扱うからさ! レムがくれたレムの全て、大切に扱うよ! うん! うん!! もちろんですとも!」

 

 

なんて冗談を倍以上の文量で言ってみるが、絶望一色に表情を歪めたレムには届かない。首を強く横に振り続けると、彼女の整えられた青髪がみるみるうちに乱れていく。

 

否、レムがくれたものは勿論、生涯を終えるまで大切に丁重に扱わせていただくつもりだが。今は、その辺の話をしている場合ではない。そんな呑気に物を語っていられる時間はない。

 

自分の体をテンの体に覆い被せるようにして、必死に、懸命に、その体にしがみつくレム。「やだ」を連呼する彼女は悪い癖が出たのだろう、自分の世界に完全に没入してしまっている。

 

優しく背中を叩く衝撃も、鼓膜を撫でる落ち着きを促す声も、瞳に映っているはずの愛しい人の焦った顔も、全部意識下にない。

 

寝台の上、スプリングが継続的にギシギシと鳴り響く空間で取り乱しながら燃え上がる二人——今のテンとレムを簡単に表すならばこの文章が適しているだろう。

 

その羅列だけで判断すれば大人な夜のそれ以外にないが。しかし、残念なことに乱れているのはレムだけの話であって、テンの場合は戦慄に震えている。そのレムも、恐怖に震えるという意味合いで乱れている。

 

どちらも、各々の理由で、乱れているのだ。

 

 

「ごめんごめんごめん! ちょっといじわるな質問だったね! 冗談だから! 例えばの話だから真面目に受け取らないで………って!? わぁーーっ!? いま、どっからモーニングスター(その物騒なもの)取り出したの!? 待って待って! しんじゃう! それ本当にしんじゃうやつだから。落ち着け! レム落ち着け! それを置いて俺の話を————」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

その後、どうにかこうにかレムの錯乱を鎮めたテン。どこからか取り出した、自分の愛用武器をレムが片手に携えた時は流石に死を覚悟したものの、なんとかなった。

 

仮にそのままゼロ距離で振り落とされるようなことがあれば少々雑な対応を——と考えたが、部屋が荒れていないのが未然に防げた証拠。

 

「好きです! 大好きです! 世界一愛しています!」と本気で叫んだ彼の声には反応してくれたのは彼としては幸いだった。どうすべきかと悩んで出た答えがそれとは、もっと他になかったのかと思うがレムとしてはこうかはばつぐん。

 

半ば、ヤケ気味に叫んだ結果としてヤンデレムの片鱗は姿を内側に引っ込めた。片鱗でなかったら、なんてことは考えたくもない。

 

いつの間にか、手に携えていた愛用の武器も忽然と姿を消しており。それが意味するのは、ヤンデレム状態に収集がついた、ということだと思いたい。

 

 そして現在———。

 

 

「テンくんのいじわる」

 

「いやもう。はい。ほんと、申し訳ございませんでした。二度と言いません。誓います。固く誓います」

 

「次、同じことを言ったら。レムはテンくんを殺して、自分も死にますから。いいですね?」

 

「………………はい」

 

 

 ーーそれは流石にヤンデレムすぎませんか!?

 

 

とは、絶対に口に出せないテン。

 

彼は耳元で囁かれたご機嫌斜めな忠告もとい心中予告に短く返事をするしか返す言葉がない。冗談なのか本気なのか、分かりにくい彼女の発言に背筋を凍らせながらも、彼は頷いた。

 

魔女教徒の大群をたった一人で相手にしていたテンも、こればかりは戦慄せざる負えない。徐々に常軌を逸した精神力を培いつつある彼は、しかしベクトルが違う恐怖には耐性が無かった。

 

当の本人であるレムは頬を膨らませてご立腹。絶望一色に染まっていた表情は消えたものの、代わりとして「私、怒ってます!」とでも言いたげな表情が姿を現した。

 

 その結果として、

 

 

「レム。悪かった。悪かったと思っています。数分前の出来事は心に強く留めました。ので、降りてください」

「イヤです」

 

「なら、せめて両腕両脚を解放してください」

「イヤです」

 

「この体勢は首が痛「イヤです」

 

「あの「イヤです」

 

 

現在、テンはレムに両腕両脚で抱きしめる体勢(だいしゅきほーるど)で抱きしめられていた。

 

首から両腕が回り、腰から両脚が回り、頑丈に締め付けられている。がっちりと、テンの体に沈み込むレムは刹那たりとも離れようとはせず。

 

 

「イ ヤ で す」

 

 

頑なに譲ろうとしないレムにテンは苦笑。

 

例え、冗談であったとしてもあのような発言は地雷だったようで。不本意にもレムの愛の深さ、その底知れなさがよく分かった。深まるばかりのそれに底などないのだろう。

 

勿論、不安がらせてしまった件については申し訳ないとテンは思うし、償いはするつもりだったが、まさかこの体勢になるとは予想外だった。

 

かいた胡座の上に座るレムは、座高も相まって頭の高さがほぼ一緒。否、レムの方が少し高い。

 

故に、その体勢をされると必然的にテンの左右どちらかの肩に顎が乗っかることになる。

 

そして、今回は右肩に乗っかった。尤も、それは左でも右でもさして変わらないため、特に気にする話でもないが。

 

——これは余談だが。テンは右耳が弱い。

 

 

「ちょっと待ってレム、そこで話されると耳元で囁かれる感じになってこそばゆい。色々とマズイ」

 

 

言った瞬間、レムの口角が不穏な雰囲気を漂わせながら釣り上がる。ニヤリ、と。小悪魔のように妖艶な雰囲気を彼女は纏い始める。

 

 

「……正直に話さなければ、レムに遊ばれることもなかったかもしれませんのに。テンくんは素直ですね。でも、そんなテンくんもレムは好きです」

 

「遊ばれる? なにを——」

 

 

なにをするの? そう言おうとした矢先、右耳に掛かった熱っぽい吐息にテンは体を大きく跳ねさせながら言葉を失う。唐突に鼓膜を吹き抜けたレムの「ふぅ」が、彼の心を舐めた。

 

くすぐられた余波が全身に波紋していく感覚にテンは身を固める。声を出さなかっただけマシだ。仮に変な声を上げていれば尚のこと遊ばれる。というよりも、レムに弱点がバレる。

 

否、驚いて顔を向けたテンは小悪魔顔のレムを見て、自分の弱点がたった今バレたことを察した。この顔は、良くないことを考えている顔——いたずら心満載で無邪気な笑み。

 

あぁ、これは、エミリアが頻繁に浮かべてくる笑みにそっくりではないか。楽しそうな。面白そうな。因みに、これに嘲笑が加わるとラムとそっくりになる。形はともかく、雰囲気は完璧に重なる。

 

 

右耳(ここ)、弱いんですね?」

 

「なにを言ってんのか。別に、弱くもないし強くもないよ。慣れてないから当然の反応でしょ」

 

「では、どうしてこんなにお身体を固くされているんですか? 変に、力が入っていますよ」

 

「だから、慣れてないから——」

 

「左耳の時は、ここまでの反応を見せていませんでしたけど。右耳の時は、敏感に反応するんですね。つまり、慣れていないにしろ、右耳は左よりも弱い、ということですか?」

 

 

反論するテンが僅かに晒した隙に鋭い一撃を突き刺すレム。テンと接した記憶は全て完璧に保存される彼女の頭はそのことを覚えていた。左右の違い、その反応の良さを忘れてはいない。

 

別に覚えていなくてもいい事を鮮明に記憶していたレムに思わずテンは押し黙る。テン自身も覚えていない過去の事実に、言い返すはずの口元が凍りついたように固まった。

 

その膠着こそが、何よりの肯定であると気づいたときには既に遅い。察した時には既に事は済んでいた。

 

不安にさせられた分。それを、ここぞとばかりにやり返すレムが「ふふっ」と。子どものように楽しげに笑うと、

 

 

「——大好きです」

 

 

先手先手をゆくレムが愛を囁く。耳元、ゼロ距離で、吐息混じりに。途絶えることのない想いを。

 

囁かれたテンの意識が精神世界の彼方に連れ去られそうになったのは言うまでもない。判明した弱点を執拗に攻め続けるレムに、不謹慎にも理性が崩壊しかけたのは語るまでもない。

 

なにが異性耐性だ、思いっきり貫通しているではないか。ものの見事に属性やられ(悩殺)状態まっしぐら。高級耳栓でもつけておけ。ウチケシの実でも頬張っておけ。

 

 

「レムを不安にさせたお返しです。もぅ、あんなこと絶対に言わないでくださいね。冗談でも、悲しくなってしまいます」

 

 

ひどく、震えた声が世界に小さく響く。耳元で聞いたテンしか聞こえない声量で発せられた声は決して冗談は言っていない。それまでの小悪魔な雰囲気を消失させ、心に届かせるように真剣な声。

 

くだらないことを考えていたテンは、その切なげな声にそれらの一切を遮断。意識を完全に切り替える彼は強く抱きしめられた痛みを受け止めながら、彼女の体を包み込み、

 

 

「言わない」

 

「約束ですからね」

 

「約束する」

 

 

互いの間で約束が締結されたことで、一時は死すら覚悟したヤンデレム騒動。

 

唐突に幕を上げたそれは、幕を下ろすことになった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「話、逸れちゃいましたね」

 

「そうだね。……もどそっか」

 

「はい。戻しましょう」

 

 

テンの冗談では済まされない冗談が発端となって発生したヤンデレム騒動。それによって破壊された雰囲気を、二人がそう言って再び構築していく。

 

あのような出来事があった以上、もはや雰囲気作りなどという概念が必要なのかと思うところはあるが、それでも二人は話し合う場を作るために世界の空気を切り替えるために己の気持ちを切り替える。

 

暴走したレムと、暴走させたテン。

 

それを外から見ている第三者にどちらに非があるか聞いた場合、批判の声がテンに多く寄せられそうな一件。

 

波が引いていくようにその余韻が消えていくと、世界の雰囲気が整い、二人もまた整う。そして、話し合いは再開される。

 

ただ、レムがテンに抱きつく体勢だけは依然として変わらないまま。

 

 

「えっと……。さっきは勢いで流しちゃったけど。俺の問いに対する答えとしては、諦められない、っつーことでいいんだよね?」

 

「当然です。諦められるわけがないですよ。逆に、レムがテンくんを愛する気持ち——生涯を尽くしても伝え切れないそれを無視できるとお思いですか?」

 

「思わない……と、言うのが正しいんだよね」

 

 

若干、爪を立てて服を握りしめてくるレムにテンは控えめに呟く。

 

疑問に疑問に返されると毎度の如く返答に困ってしまう上に。レムが自分のことを嫌うはずがないという、捉え方によっては気色悪い発言を答えとして発するのは抵抗があった。

 

それを堂々と言えるのはいつになるのか。少なくとも今はまだ無理だと確信したテンは、その思いを振り払うように頭を軽く横に振ると、

 

 

「なら、それでいいと思うよ。自分の気持ちに素直になればいい。好きなら、それに一直線になっちゃいなよ。レムにはその方が似合ってる」

 

 

「俺も、そうやって縛りから抜け出せたんだし」と、感慨深そうにテンは話す。彼自身、レムを好きになったことに一直線になったことで、今のようになれたのだから。

 

恋に一直線になるとはどういうことか。ラムの話を聞いてよく分かった。

 

それはつまり、自分の心に嘘をつかないということ。その人を好きになった自分を受け入れ、素直な自分と向き合うということ。

 

そこに、余計な事実の介入など要らない。

 

 

「レム、俺はね。誰かを好きになること、って大事にした方がいいと思うんだよ。その感情は、一番優先した方がいい。その人のことを本気で好きになったんなら、それを邪魔する事柄なんて投げ捨てなよ」

 

 

好きなんだから好き、その感覚は大事にしていきたい。だって、好きになってしまったのだから。自分はレムのことが好きになって、それから離れられなくなってしまったのだから。

 

好きになってしまったものは、仕方ないだろう。

 

なら。罪が有るだとか、傷痕がどうのこうのとか、そのような考えは要らないとテンは考える。

 

どうしてか、『好き』の感情は何事においても優先されるからだ。

 

万事において勝る感情——そう表現してもいい。自分に降りかかる不都合を押し退けてそれは心の中で強く光り輝き、何があろうとも揺らぐことはない感情。

 

愛が深ければ深いほど、その輝きは増すばかり。ならば、レムがそれを抑え込むことなんてする必要はない。全部をポイと放り捨ててしまえばいいのだ。

 

それができたらレムは———、

 

 

「できません」

「ですよね」

 

 

願望に近いそれがレムの一声によってシャットアウト。たった五文字にテンの考えが、ぴしゃりと音を立てて潰される。やはり、大元をなんとかしない限りは手の打ちようがないらしい。

 

テンが焦る様子はない。寧ろ、そう返されることを予期している彼は用意していた言葉を頭の隅っこから引っ張り出すと「なら」と、言葉を繋げて、

 

 

「俺から提案。レムが、自分を許す必要がなくなる方法。それを一つだけ提示しよう」

 

 

シームレスに二つ目の疑問の解決——レムを縛り付ける大元を叩く事にテンが静かに移ると、肩に顎を乗せたレムが僅かに小首を捻る動作。顔がこちらに向いた直後、唾を飲み込む音が喉元から聞こえた。

 

当たり前の反応だ。約一週間に渡って頭を悩ませて、心を苦しめ、挙句の果てには生命すらも脅かす悩みの種について触れられたのだから。

 

安心して助けられる心構えでいたとて、微塵も動揺しないわけがない。それでも彼女は、息を飲み、速る鼓動を宥め、彼の言葉の一つ一つに耳を澄ませた。

 

 

「今のレムは許せない自分を肯定することも否定することもできないから、どうしようもなく苦しむしかないんでしょ? なら、俺なりの抜け道を教えてあげる」

 

 

聞く姿勢をとったレムにテンは、ようやく話を切り出すための前置き。

 

レムの甘えを受け入れ、告白し、夢の世界から連れ出し、過去を一緒に抱え、レムの生まれた意味を考え、自分の縛りを語り、ヤンデレムを乗り越えて、やっと辿り着けた。

 

一体、どれほどの体力と精神力を使ったか。尤も、それもこれもレムのためだと思えば大したことでもないと思えてしまうのはどうしてか。

 

多分、否、絶対に、惚れてるからだ。自分とは、なんて簡単な男なのだろう。

 

そんな自分はさておき。テンは「いい?」とレムに言い聞かせるように、

 

 

「レムは、俺を傷つけた自分を許すことなんて絶対にできない。誰が許しても……俺自身がレムを許しても、レムはレムを許すことができない。好きな人を傷付けた事実は決して許されることじゃないから。……これが、レムの考えで正しい?」

 

「そうです」

 

「じゃあさ。その自分を受け入れてあげようよ」

 

 

言った声に、迷いは無かった。告げる行為そのものに、抵抗の気配は無かった。

 

ラムと話した時点から決まりきっていた答え。他の誰も——当事者であるレムですら思い浮かばなかった選択肢。

 

その自分を良しとする肯定でも、悪しとする否定でもない。受け入れる、という道を新たに示した彼にレムは数瞬だけ呼吸を忘れた。言われてみれば確かにありそうな答えだが、いざ言われると衝撃を受ける。

 

そんな考え、片隅にもなかった。どうしたら自分を許せるかばかり考えて、受け入れるなんてこと、しようともしなかった。

 

そもそも、自分にそんなことができるのか。

 

 

「レムはどうしたら自分を許せるか、って聞いてきたけど。俺からすればそれ以前の問題。別に、許せないなら無理に許す必要もないでしょ。無理やり許すよりも、許せない自分を受け入れる方がずっとラク」

 

「今のレムを、許容するということですか?」

 

「そ。受け入れるという意味合いで『許容』する。許せない自分を受け入れて、前を向いていく。そうしないと、いつまで経ってもそこから前に進めないし、辛いままだろうしさ」

 

「ーーーー」

 

「レムの場合は、自分が許せないところで立ち止まってるから今みたいになっちゃってんだよ。否定も肯定もできず、逃げることもできない。なら、もう受け入れて俺と一緒に前に進まない?」

 

 

声が帯びた力強さと共に紡がれる羅列に、レムは心の中に意識を向けるように瞑目。視界が暗がりに閉ざされると沈黙。数秒間、その姿勢を保ち続ければ彼女の精神は心に沈んだ。

 

そうして目を開けると、視界に広がっていたのは三本の道だった。地平線の彼方まで白で塗りつぶされた空間の中、そこにポツンと二本の足で立つ自分と、その前に存在する三つの道——否、一つの道。

 

真ん中以外は塞がれていた。左右の道、その入り口にはレムを拒絶する壁があって、近づこうとする気にならない。多分、それが『肯定』と『否定』に続く道なのだろう。

 

そして、最後に残されたのは正面の道。抱きつく青年が新しく作ってくれた『許容』に続く道。吸い寄せられるように近づくも、しかし入り口手前でその足は止まった。

 

足先。数ミリ進めばその道に踏み入れることができるのに、その数ミリを踏み出すことができない。許せない自分を受け入れるなんて考えなかったから、自分がその道を歩めるか分からないのだ。

 

すぐ先にある、目の前にある。目と鼻の先にある——けど、躊躇してしまう。せっかく、彼が示してくれた道なのに。

 

 

「許せない自分を受け入れること。って、レムには難しいことかな。今の自分を、一つの自分として許容してあげること。ってレムには苦しいことかな」

 

 

不意な温もりを感じ、レムは意識を心から外の世界へと引き戻される。その正体を探るまでもなく、目を開いた彼女は自分は彼の両腕に抱きしめられていることを理解した。

 

何回、何十回、何百回。求めたら求めた以上の愛を注いでくれる人の肌と自分の肌が接すると、レムはどうしようもなく安心してしまう。どんなに糸をピンと張ろうが、その途端から緩み切ってしまう。

 

そんなレムにテンは優しく語る。この声、届けと願いながら。それはまるで、『許容』へと続く道の入り口、その手前で躊躇するレムの前に立ち、手を差し出すように。

 

 

「だって辛いじゃん。仮に、今が永遠と続くなら、自分をどうやって許せばいいのか分からないままずっと生きるんでしょ。そんなの、辛すぎるし、悲しすぎるよ。俺は、好きな人にそんな風に生きてほしくない」

 

 

「押し付けがましいよね」と、軽くテンは息を吐くように笑うが、レムがそれに反応する気配はない。彼の話を黙って聞く姿勢を貫いている。

 

それを横目にテンは語る口を動かし続け、

 

 

「だから、許せるようになるまで受け入れてあげようよ、って話。それでいつか、許せる日が来たらいいと思わない? ずっと今の状態を引きずるよりも、その日を気長に待つ方がいいと思わない? もちろん、俺と一緒に」

 

 

目を逸らさず、真正面から受け止めさせる。受け止めて、前を向かせる。前を向かなければ、何も進まないのだから。そこに蹲ったままでは、何も始まらないし終わらない。

 

それをするための許容。それを答えの形として捉えるか、或いは答えの形を出すまでの妥協として捉えるかは人それぞれだが。

 

どちらにせよ、前に進むことが大切なのだ。

 

 

「ラムにはね、受け入れることは否定も肯定もできずに決断することから逃げた人間がすることだ。って言われちゃったんだけど、それは違うと思うんだ」

 

 

手厳しい意見だと思うと同時に、ご最もな意見だともテンは思う。自分がレムに示した選択肢は、あくまでその場しのぎにしかならず、決断の先延ばしにすぎない。逃げたと、そう言われても仕方ない。

 

確かにそうだ。ラムの言うことは頷いてしまうところはある。納得して、共感してしまう部分はある。

 

けれど、それだけで終わらせないのがテンだ。彼には彼なりの意見があるのだ。

 

 

「言ってて思ったんだけどさ。その自分を受け入れることは、逃げるためのものじゃない。レムの明日に繋げるためのものだよ」

 

「あし……た?」

 

「そう。言い方を変えれば、今を生きるためにするためのもの、かなぁ」

 

 

それらしい言い回しがパッと思い浮かばないテンは「んーー」と低く喉を鳴らすと、頭の中で言葉と言葉を縫い合わせながら、

 

 

「今を生きれない人に明日はないんだよ。未来なんてないんだよ。だから、未来(明日)に繋げるためにするんだ。まぁ、逃げてるとも言えるけども。これは、そんな言葉で馬鹿にできるもんじゃない」

 

 

自分を許容すること。それは、そのままの自分を一つの自分として受け入れて、前に進むこと。それを「逃げてる」なんて言葉で一括りにされていいだろうか。

 

いいわけがないだろう。

 

前に進もうと必死になっている人間に残された最後の選択肢だ。それを馬鹿にすることは許さないし、頑張っている人のそれを蔑む発言をする道理は他者にはない。

 

今、レムは前に進もうと足掻いているのだ。許せない自分をどうにかして許そうとして、今の状態から脱しようとして、自分を変えようとしている。

 

なら、それを後押ししてやるのがテンの役目。だから、彼はその道を示した。そして、その道を歩もうとする彼女を「逃げてる」などと言うつもりは一欠片もない。

 

今を変えようとして、未来に繋げる。そのためにその選択肢を選ぶことだって、答えとしては十分だろう。答えの形として何も不足していない。

 

正解、不正解などないのだから。

 

 

「生きないとだめなんだ。辛くても、生きないと。そうやって、前を向いていかないと。下を向いてちゃ、後ろを向いてちゃ、何も変わらない。その自分から一生変われないまま、苦しむことになる」

 

 

「レムはそれでもいいの?」と、テンは彼女に問いかける。彼自身、彼女と同じ境遇にあるために、その問いかけはある意味で自問自答しているとも言えた。

 

そうして返された反応は否定。首を横に振るレムが「イヤです」と、感情を押し殺した声で今の自分のまま時を過ごすことを拒絶。抱いたテンの服を強く握りしめた拳が彼女の心を激しく表した。

 

いいわけがない。今の自分のままでいたいなんて思うはずがない。その状態を良しとする自分なんて心のどこにもいない。

 

苦しみたくない。悪夢に魘されたくない。怖い思いをしたくない。なにより、素直な心で彼のことを愛せないような自分にはなりたくない。

 

変えたい、今の自分を。変わりたい、今の自分から。

 

こんな自分を好きでいてくれる彼に応えたい。どうしようもなかった自分に示してくれた唯一の道、その入り口で伸ばしている彼の手をとって、その先の景色を彼と一緒に見たい。

 

もうイヤなんだ。こんな風に寂しくなるのは。もうイヤなんだ。こんな風に悲しくなるのは。

 

なら、その道を歩みたい——歩みたいのに。どうすればいいか分からない。自分を受け入れる事がこれほど難しいとは思わなかった。

 

今まで、ありのままの自分を否定してきた自分に、今の自分を受け入れることなんて、とてもじゃないができそうにない。彼を傷付けた罪深き自分を許さないまま受け入れるなんて、困難だ。

 

どうすればいい。どうすれば自分は自分を受け入れることができるのか。

 

 

「テンくんは。許せないこと、ってありますか?」

 

 

新しい取り組みにレムは迷い、テンにその糸口を求める。彼が示した道に、もうそれしかないと全力を懸けて進むことを決意した彼女は必死に答えを探し続ける。

 

故に、自分の当たり前を壊して、光を与えてくれた人の声を彼女は欲した。自分一人ではできそうにないから。自分と同じ歩幅で、ずっと隣を歩いてくれる人に「助けて」と声をかけて呼んだ。

 

そうすれば、必ず彼は応えてくれる。

 

 

「あるよ。レムの想いに気づけなかったこと」

 

 

レムの心がその方向に定まると、過去を思い出すような声色でテンは語る。それは少し前、テンがレムに告白した時に話した内容に触れてくることだった。

 

ずっと、今までずっと。レムが向けてくれた想いを何一つとして気付いてあげられなかったことが、テンにとっての許されざる罪。

 

許せるわけないし、許していいと思わない。

 

 

「それで、レムのことをたくさん傷付けてきたから。好きな女の子を傷付けたことを許すなんて、俺にはできっこない」

 

「テンくんもなんですか? それなら、本当にレムとテンくんは同じところが多いですね。場違いに嬉しくなっちゃいます」

 

 

レムは想い人の身体を傷付け、テンは想い人の心を傷付けた。偶然か、必然か、互いに好きな人を傷付けたという意味合いでは同じ経験をしていることにレムの声が明るくなる。

 

こんなところでも共通しているとは。運命的な繋がりが、いよいよ現実味を帯びてきた予感に興奮しながら彼女は小首を傾げた。

 

そんなレムの期待とは裏腹にテンは「ちょっと違うかな」と、

 

 

「言ったでしょ。受け止める、って。自分を受け入れる段階のレムと違って、俺はもう、その自分を受け入れてるから。その先まで進んでるから」

 

「むぅ……。では、レムもすぐそこに行くので、待っててくださいね。それで一緒です」

 

「待つのは面倒だから迎えに行くよ」

 

 

ご機嫌斜めなレムが自分の背をトコトコと追いかけてくる光景を脳裏に幻視したテン。

 

行くと言われたから迎えに行くと反射的に返した彼は今、平然と言いながらも心の中では、自然な風にレムが発してくれた言葉に震え上がっていた。

 

今、レムはなんと言ったか。レムもすぐそこに行くと、そう言ったのだ。責任感が強く、想い人を傷付けた自分を受け入れるという選択肢を選んでくれるかどうか怪しい彼女が、そう言ったのだ。

 

それが何を意味するか、分からないテンではない。

 

 

 ーー俺の声、届いてくれたんだ

 

 

自分の声は彼女の心に届いていた。届いて、それから良い方向で彼女に変化を訪れさせてくれた。出せる全てを出し尽くしてやっと、届かせることができた。

 

なら、ここからが勝負。

 

このまま一気に彼女の心を闇から救い出す。二度と深淵に沈まぬように、掴んだ手は絶対に離さない。

 

 紡げ。言葉を紡げ。

 お前のできることを全てやれ。

 

 

「許せないことを許せないままにする事は別に、悪いことじゃないと俺は思う。許せないなら許せないでいいさ。でも、その代わりに、そこで止まることはしない」

 

 

首に回された手を取ると、テンは自分の体から彼女を優しく剥がす。途端、密着状態が解かれると抵抗するレムが腰に回した両脚に力を込め、口元が小さく「や」と声を落とした。

 

その寂しげな声を聞き、テンは右手と右手を、左手と左手を、それぞれ指を絡ませながら——恋人繋ぎをしながら微笑む。

 

完全に剥がすわけじゃないよ、と。

 

そう仕草で語る彼はレムと向き合った。今は、レムの目を見て話さないとダメだと思ったのだ。彼女の顔を見て伝えないと、好きな人としてダメだと判断したのだ。

 

ほぼゼロ距離。レムの僅かな呼吸音がハッキリと聞こえてくる距離で、

 

 

「自分が許せない。そんなの分かってる。じゃあそこからどうするの? っていうのを一つの答えとして出さないと。そうやって自分を納得させて前に進まないと、何も終わらせられないし、始められないでしょ」

 

 

要は、自分が許せないところで止まっているのがレムの一番の問題だと、テンは主張しているのだ。

 

許せないのを許せないままにするのは悪ではない。人間、生きてれば絶対に譲れない想いの一つや二つは出てくるだろうし、そこでわざわざ折れないことは問題にはならない。というのがテンの持論。

 

寧ろ、テンが問題視しているのはそこからどうするかということ。許せないなら許せないとして、許さない事をどう補っていくか。

 

許さないことはつまり、許すという行為を拒否したことになる。なら、その分の穴埋めをする必要があるのだ。許すことで終わるはずだったことを、別の形で終わらせる必要がある。

 

許さない代わりに何をするか、それが受け入れるために大切なこと。

 

 それに、

 

 

「前に進んでいかないと。立ち止まったままじゃ、何も変わらない。それにさ、進んだ先に答えがあるかもしれない。後ろしか見てこなかったけど、前を向いたら自分の探してた答えがあった——なんてこともあるかもよ?」

 

 

「そう思わない?」と首を傾げるテンは、聞き入るレムの熱心な表情を正面にしながら頭の上に疑問符を浮かべる。理想論を語りながらも、その言葉にはどことなく信憑性があった。

 

事実として、テンはそうやって前に進んだ結果として答えを見つけた。どうすればレムを傷付けた自分を受け入れられるか、自分に甘えてくるレムと初めて真正面から向き合って、それを見つけた。

 

テンが語るのは全て実体験と、それを元にした経験則。故に、彼の発言は全部が全部、過去の出来事を元にして作り出される。

 

話していることは全て、彼が一度は経験したこと。その経験を通して学んだこと。

 

ただ、それらを話しているだけにすぎない——これから同じ道を歩むレムにとって、それがどれほど力を持った論になるのかテンは知らないが。

 

 

「なんにせよ、前に進む。受け止めて、受け入れて、前に歩き出す。そうしないとさ、こうしてる間にも今は過去から遠ざかってくばっかりだし。いつまでも過去で立ち止まってちゃダメだ。今をしっかり生きるために、前に進み続けないと」

 

 

語り続けられるテンの言葉に、レムは自分の鼓動が恐ろしく速くなっていくのを感じた。繋いだ左右の手を握る手に勝手に力が込められていく。

 

それはきっと、予感がしたから。

 

自分と同じ痛みを抱えて、自分と同じ罪を背負って、それでいて自分とは違う答えを導き出した人。

 

そんな人の言葉を聞いて、自分は今、確実に自分の中で縛られていたことから解放されつつある。

 

そんな予感を、心が孕んだからだ。

 

 

「なら、テンくんはどうするんですか?」

 

「なにが?」

 

「その……、レムの想いに気づけなかったことが許せない。それを受け入れて、そこからどうするんですか?」

 

「レムをもっと好きになる」

 

 

瞬間、当然のように返されたレムは息が詰まる。

 

胸の高鳴る音が鼓膜の内側で甘く響き、思わず顔を俯かせた。予期の範囲内だとしても、突然に伝えられると乙女な自分が毎度のように飛び跳ねて喜んでしまう。

 

好きな人に、もっと好きになる、と言われて嬉しがらない女の子が世界に一人でもいるだろうか。否、いないはずだ。こんなに幸せな気持ちを共有できない人は一人としていない。

 

正解、不正解。正しい、正しくない。そのような概念から外れた問題。それに対する答えがそれに固まった事実。

 

もう、レムは己の許容範囲をとうに越えていた。

 

 

「それが俺の答えの形。許さないから、許せるようになるまでレムを好きになる。許せる日が来るまで——そんな日が来るかは知らんけど、そんな日が来るまで、レムのことをたくさん好きになるよ」

 

 

自信満々に言われた。芯の通った声で強気に言われてしまった。無理やり上げた顔の先、眼前で言い放つ彼に愛を捧げられて、レムは噴き上がる幸せに震える下唇を噛み締める。

 

好きになるうちに許せるようになればいいや。などと適当に語るテンは、しかしその適当さの裏側に並々ならぬ覚悟を秘めていた。

 

 

「だから俺は、レムを好きになった自分を受け入れたんだ。傷付けた分を……取り返したいから」

 

 

許せないことをそのままにする彼は、レムを愛すことから目を逸らす事を止め、自分の気持ちと素直に向き合っていると語った。

 

今までの彼にとって、それがどれだけ難しいことだったのか、レムは知らない。

 

だから、その言葉に宿された決意に彼女は気付かない。その発言が『ソラノ・テン』という男が、過去の自分を吹っ切った何よりの証拠だということを知る由もない。

 

そして、それはレムも同じだ。彼女だって、今から過去の自分を正しく過去の自分にする。過去を引きずってきた自分を振り払って、今を生きる今の自分に変わるのだ。

 

 

「レムもさ。今は許せなくても……例え、ずっと許せなかったとしても。許せるようになる日が来るまで頑張ろうよ。もし、もしも、自分が自分を許せるようになるとしたら。その日まで、前を向こう。俺と一緒に頑張っていこうよ」

 

「テンくん……。レムは……」

 

「じゃないと、ずっとそのままだよ。それでもいいの? レムは、その苦しみを抱えたまま生きていたいの? 抱えたまま生きるしかない、とかまだ思ってんならぶっ飛ばすよ?」

 

 

縋るような目で、必死に手を伸ばすような声色で、心配するような顔つきで、テンはレムの瞳を覗き込む。柄にもなく「ぶっ飛ばすよ」なんて言葉もかけて、彼は自身の必死さを懸命に表現した。

 

筋金入りの心を解き放つために、この世界と故郷で培ってきた十八年の経験を糧とし。

 

 そして、

 

 

「どうする。レムは、許せない自分を受け入れて前に進むか。ずっっとそのまま過去に蹲ってるか。決めるのはレムだよ。でも、俺としては前者を選んでほしい」

 

 

今、彼はレムの覚悟を問いただす。二人の関係にとって決定的なものとなる一言を、低い声で突きつけた。

 

これ以上の言葉はない。伝えれることは全て伝えた。もう、出し尽くした。絞って絞って、レムを縛るものから解放するための条件は整えた。頭の中は空っぽのオーバーヒート寸前だ。

 

あとはレム次第。レムが自分の想いを聞いて、どう感じて、どう思って、どのような答えの形を出してくれるか。それによって全てが決まる。

 

全てが始まるか。全てが終わるか。

 

それは分からない。

 

ただ、分かるのは。自分を見つめるレムの瞳には大きな決意が宿っていて、不安を消し飛ばしたような晴れ晴れとした表情をしていることくらい。曇りの一つもない、晴れ模様。

 

その時点で答えは出ているようなものだろう。安堵の吐息を弱く彼にレムは「ふっ」と小さく笑い、

 

 

「前に進みたいです。今のままの、テンくんを素直に愛せない自分から変わりたい」

 

「じゃあ、許せない自分を受け入れるために、レムはどうする?」

 

 

固まった決意にテンは畳み掛ける。瞬間の安堵を越えた彼はうっすらと口角を釣り上げながら問いかけを重ねた。

 

そして、その問いかけを最後にテンの役目は終了する。右も左も分からない彼女の手を引っ張り、暗闇の中で正しい道筋を案内する彼の役目は、無事にやり遂げられた。

 

変わりたいと言えた時点で、既にレムは変わっているのだから。そう決意した瞬間から、彼女は罪深い過去の自分を吹っ切れている。

 

あとは、レムが自分で答えを出すだけ。そこに自分の案内は不要。正解も不正解もない問いかけに、当人の意志以外は何も要らない。

 

 見守る。それだけ。

 

 

「レムは………」

 

 

温かい目に見守られながら、レムは考える。

 

今の自分を受け入れるためにはどうすれば良いか。どうしたら、真っ直ぐな想いでテンを愛することができるか。

 

許す行為の代わりとして、自分は何をすれば自分自身を納得させることができるか。絶対に無理だと決めつけていたことを真っ向から蹴散らすためには、何をするべきか。

 

考えて、考えて、考えて。そして見つけ出した、答えの形。

 

 それは、

 

 

「レムは——————」

 

 

 

 

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