正直なところ。テンはレムが何を言ってくるのか予想はついていた。
自分を許さない代わりに、『許す』という行為の代わりに、なにをその穴埋めとするか、分からないわけではなかった。
自分がそれをするためにレムを深く愛すると決めたのだ。レムもそれと似たようなことを代わりとし、それで自分を納得させるだろう。自分の背中を追いかけてきているのだから、そのやり方を彼女なりの答えでなぞるはずだ。
決して自惚れているわけじゃない。これまでのレムを振り返れば自然とそう思えてしまうだけ。彼女が自分に行ってきた行為と、注いでくれた想いを顧みれば、流石にどんな鈍感でもそれくらいは分かる。
自分が語ったのは『レムをもっと好きになる』ことだから。それと類似する事とすれば、彼女も自分のことをたくさん愛するとでも語るのだろうか。たくさん尽くす、なんてこともありえるか。
なんにしろ。大方の予想を頭の中にいくつも用意するテンは、眼前で決意みなぎるレムに対して落ち着き払った様子で構え、
「レムは————テンくんと添い遂げます」
予想の斜め上をゆく答えに、情けなくも頭が真っ白になった。
▲▽▲▽▲▽▲
——添い遂げます。
「…………ん?」
にこやかに微笑んで告げられた一言に、テンの思考は停滞を余儀なくされていた。スイッチをオンからオフに切り替えられたかのようにその一言を聞いた以降、頭が考える力を奪われる。
唖然とする。とは、このことを表すのだろう。言葉を生む機能が動きをピタリと止めると、発声する口元も自ずと止まり、目をパチパチと瞬きさせることしかできなくなった。
言葉の意味が分からないからそうなったわけではない。寧ろ、言葉の意味が分かるからこそだ。添い遂げる、その意味をテンは知っている。
故に、自分の答えの形をなぞりながらも、しかしそれを軽々しく越える答えを導き出したレムに思考を麻痺させられた。
そんな様子に、溢れて溢れて、口元から一滴だけこぼれ落ちたような笑声を一つ。照れ臭そうに、むず痒そうに、口元を綻ばせたレムは繋がれた両手をにぎにぎとしながら、
「自分を許せない分、テンくんを愛することに決めたんです。許せないことなんて気にならないくらいテンくんを愛すると、自分に誓ったんです」
頬を染めて、レムは語る。
それを告げることがなにを意味するのか分かっていても。少し、否、とてつもなく先走ったことだと思っていても。
これは自分なりの覚悟だから。許せない自分を受け入れて、前に進むためには必要なことだから。私利私欲が含まれている部分もあるけれど、それしか思いつかない。
正解だとか、不正解だとか、そのようなことは一切考えていない。これが自分の『答え』なのだ。考えた結論として出た、自分が自分を納得させるための答え。素直に彼を愛せる方法。
なら、それに従うだけしかないだろう。
「ですからレムは、テンくんにレムの全てを捧げます。身も心も——一生も。今この瞬間から、レムは『テンくんのレム』になります。これからのレムの一生を、あなたに捧げさせてください」
切実な想いを真摯に伝え、レムは胸の中に残っていた愛を一つ残らず彼の心に注ぎ込む。もうずっと前から心に決めていたことを今、本人に受け止めてもらうために。
星々が所狭しと浮かぶ夜空の下、彼のことを好きな自分を自覚した瞬間から抱いた感情。その日から、伝えたくて伝えたくて、何度「言ってしまえ」と思ったか覚えていない、胸が苦しくなる想い。
それを、もうレムは我慢しない。気付いてくれたのなら気付いてもらえなかった分をここから解き放つ。そしてそれを、彼を愛する糧にしよう。
「レムの人生をかけて、あなたのことを愛したい。愛して、尽くしたい——それが、レムが出した答えの形です。それが、あなたの隣で
告げた声は真っ直ぐで。見つめる双眼には決意と覚悟が宿っていて。紡ぐ唇は震えていない。一番——世界で一番愛している人への愛の誓いは、決して、なにがあろうとも、折れはしない。
この時。その、レムの一つ一つを至近距離で受け続けるテンは形容し難い激情に襲われていた。
一人の少女が自分を変えようとして、今、縛られ続けていたものから解き放たれた。その理由が何ヶ月も前から毎日のように向けていた人への想い——その先にテンという自分がいることに耐え難い幸福感を覚える。
久しぶりに見た曇りのない瞳。話を始めた時は闇に満たされて、光なんて一筋もなかったのに。油断すれば簡単に呑まれてしまいそうな危うさがあったのに。
気が付けば、彼女の瞳には輝かしい光があった。澄んだ空をそのまま映し出したような二つの青色に、曇り模様は一切見られなかった。
愛する人を傷付けた罪に痛めつけられ、脳裏に描かれた過去の罪に痛めつけられ、結果として自責の念を抱き、血の夜から永久の闇に閉ざされていた心が、やっと晴れて。
それ一つで、レムを助けるためにしてきた全部が報われたような気がして。不意に喉の下から迫り上がった熱に、恥じらいを捨てた涙が目端から垂れた。拭おうとするも、繋いだ手をレムが離してくれない。
「どうしてテンくんが泣いてるんですか。レムだって泣きたいのを我慢してるんですよ。震えた声で話したくないですし。我慢、してるんですよ」
「いや……だって。レムのこと、色々と聞いちゃったから感慨深くて。俺がレムにしてきたこと、間違ってなかったんだって思えてさ。なんか、もう、むり。ほんと、ごめんね」
それまでは想いを連ねていた語彙力が崩壊すると、知らず知らずのうちに我慢していた涙腺が崩壊。堰き止めていた水がどっとなだれ込むような勢いで瞳が一気に潤い、数秒と経たずして声を押し殺しながら涙が溢れ出す。
隠すために拭おうと試みるも、やはりレムが手を離してくれない。曝け出せ、とでも言い表すように強く握りしめられている。
なら、せめて後ろを向いて——と思うも。かいた胡座の上に座るレムは腰に回した両脚を解放するつもりもないらしい。後ろを向くどころか顔すら背けられない。
これじゃ台無だ。全部終わるまでは泣かないようにしていたのに。閉じた口の中で歯を食いしばって涙を流す自分がレムにバレバレである。自分の男泣きとか、誰得だ。
それでも、この胸に流れ込む感情を抑え込むことは難しかった。嬉しくて、安心できて、ほっとして、安堵という安堵が意図的に張り詰めさせていた緊張の糸を緩ませて。
立て直すには時間がかかる。どうにかしてボロボロになった涙腺を直し、流れ続ける感情を飲み込まなければならない。ここまできたのだから最後まで走り抜けて———、
「ーー? ぁ………」
一瞬。指を絡めていた手が離れていく感覚に僅かに反応した数瞬後、首に両腕が回されるとボヤけていた視界が真っ暗に閉じる。優しい力で引き寄せられて、柔らかな感触に顔を押し付けられて、埋められる。
程なくして後頭部を穏やかな手つきで撫で下ろされると、テンは状況把握のために数秒間だけ時間を使う。
やがて、その時間も過ぎ去ると途端から「えっ、あ、ちょっ」と慌てた声で手をバタつかせ、
「な……に、してんの?」
「テンくんを胸に抱いているんですよ」
「いや。そーゆー意味じゃなくて」
微妙に意思の疎通が噛み合わず、テンは余計にあたふた。この体勢は色々とマズイことを察して抜け出そうと手を動かすが、強く抵抗するレムに更に体を引き寄せられる。
むにゅん、と。いかがわしい効果音がテンの頭の中で再生された直後、彼の動きは止まった。レムが物理的に止めたわけでもないのに、彼の抵抗は強制的に止めさせられた。
状況の構図は分かったものの、把握ができないテン。とりあえず、レムがネグリジェ姿だったことが唯一の救いだと思う。
そんな彼の心を乱したレムは「ふふ」と嬉しそうに笑い、
「だって、泣いていたレムをテンくんはこうして抱きしめてくれたじゃないですか。一度ではなく何度も。なので、これはそのお返しです。いえ、お返しなんて理由がなくとも、レムはテンくんが泣いていたら抱きしめます。抱きしめさせてください。抱きしめたいんです」
「テンくんがそうしてくれたように」と。そう言い繋ぎ、レムは彼の頭を自分の胸に埋める。先程までと立場が逆転すると、途端からレムは幸福感で胸が爆発しそうな衝動に駆られた。
一方的に抱きしめるのは、こんなにも素晴らしいものなのか。胸に埋められるのは全身で彼を感じることができて安心するが、埋めるのは埋めるのでまた違った安心感がある。
自分が彼に求められている安心感。一方的な抱擁に抵抗せず、受け止められる柔らかさに脱力する姿を見ていると、甘えてくれているんだなと思えて。とても安心してくる。
ーーいえ。そうではないですね
違う。ただ単に、彼を独り占めしている感があって嬉しいのだ。自分はこうみえて独占欲が強いから、好きな人を自分だけのものにしているような感覚に浸れて幸せなのだ。
——ソラノ・テンは自分だけの人。
あぁ。なんていい響きなのだろうか。この体勢のまま心の中でそう呟くと、変に興奮してしまう。これから先、実際にそうなるのだと思うと、むず痒くて心を掻き毟ってしまいたくなる。
「テンくん」
純愛以外に余計な混濁のない声、純度百パーセントの愛をテンの頭上から鼓膜の中に流し込んだレムが彼の名を呼ぶ。
「なに?」と。埋めた胸の中でそう返された瞬間、彼女は頭の中で完成した言葉に声を上擦らせながら、
「添い遂げるの意味、ご存じですか?」
「……………………………うん。知ってる」
長い沈黙の末、自分の想いは伝わっていたと彼に言われた。その沈黙はなんのためのものか。なんだっていい。だって今、レムの心はこんなにも高鳴っているのだから。
彼はその意味を知っていた。もしかしたら知らないかも、なんて思いを小さく否定した彼は、自分が彼とどうなりたいか、明確に理解している。
たったそれだけでレムは頬が紅潮し、呼吸が甘く乱れる。頭の中がそれ一色に染め上げられ、ふわふわした気持ちが全面的に表情に浮き出てくる。きっと加速した心音が彼の顔面に響いているはずだ。
そう考えると、とても恥ずかしい。自分で聞いて自爆した——なら、もう堂々としているしかない。
「あのさ……、レム」
荒ぶった精神を整えるための起承転結がレムの中で済まされる中、テンが言いにくそうに彼女の名を口にする。沈黙の中で何かしらの葛藤があったのか、その声は少しだけ沈んでいた。
眼下。依然として胸に沈む彼を見下ろすレムが「なんですか?」と、不思議そうに小首を傾げる。この状況で不思議がったのは、その沈んだ声を耳にしたからだ。
雰囲気に似合っていない。感極まって嬉し涙を流していた割には気持ちが落ち込んでいる。それに、こうしてレムがその異変に気付いている間、彼は言葉を一言も発していない。
言葉を挟む時間はあったにも関わらず、だ。レムの疑問符に答えるはずのテンは、彼女から言葉を挟む時間を与えられていたものの、しかし言い淀む。
何が理由か。否、理由があるとすればつい先ほどの発言に違いないとレムは即座に理解——理解したものの、やはり意味が分からなかった。
「その……ね。添い遂げるってことはつまり……。ふ、ふぅ……ふうふに、なる……と、いうことで正しいんだよ、ね?」
抱いた体が縮こまる挙動があった数秒後。肩をすくめるテンが歯切れの悪く、途切れ途切れな、弱々しい言葉を紡ぎ出す。
一文字発する度に声量が衰えていくそれは、最後の言葉を言い終わる頃にはレムの鼓膜が拾うことすら困難な程に小さくなっていた。正しいことを確認しているはずの彼は、自分が間違った事を聞いているかのように自信なさげな様子。
その様子を見てレムは察した。察せたのは彼の心を理解する能力が向上したから——否、そんなものではない。愛が成せる技だ。それ以外にないだろう。
彼には少し早かったか。なんてことを考えながらレムは「もちろん。そうですよ」と、若干俯いたテンの頭をあやすように撫で、
「添い遂げる。それはつまり、レムはテンくんと夫婦になりたい……ということ。生涯を尽くして愛すのですから、当然です。レムの全てを捧げるというのは、そういう意味ですよ」
「ーーーー」
代えの利かない想いを告げ、レムは想い人に対して一生の愛を誓うことを直球で投げ掛ける。夫婦になる、と。先走りすぎていると自覚しながらも、答えの形として形を成したものを曲げるつもりはない。
途端、確認したことが間違っていない事を把握したテンが黙り込む。表情が見えないから正確な顔色は伺えないが、レムの察しが正しいならきっと、埋めた胸の中で彼は困惑に歪んでいる。
そうなるのも仕方ないと、言ったレム自身も思っていたり。
いくら、自分の好きな人から一生の愛を捧げられたとて。まだ恋人関係にもなっていない女性から「夫婦になりたい」と言われることに困惑しないはずがない。色々と過程をすっ飛ばしている。
加えて、テンは自分に向けられ続ける想いとやっと向き合えるようになったばかりの
それが、レムにとっての『答え』だとしても、唐突に誓われるにしては重すぎる。故に、彼が今すぐにそれを受け入れられるかと自問自答すれば、答えは否定が返ってくる。
だからレムは、爆発した幸福感を最大限の抱擁という形で表した。
「困らせてしまったなら謝ります。やっぱり、少し気が早かったですよね」
「あ、いや。そんなつもりじゃなくて……あの、俺、まだ……レムと恋人にすらなってないから……色々とすっ飛ばしてるんじゃ、って……。でも! でもね! レムの……その、気持ちにはちゃんと応えてあげたい気持ちはあるんだよ! あるんだけど……まだ俺、レムと何もしてない、っつーか、恋人として接してあげられてないというか、その、あれだよ。応えていいまでの関係性——愛をレムと育めてない……と、俺は勝手に思ってて、だから、色々とお互いのことを理解して、もっとレムのことを好きになってからじゃないと…………。ごめん、ほんとにごめん。いつもレムからばっかりで、俺から何もしてあげられなくて、ほんと、俺って情け———」
「テンくん」
なにを言っているのか迷子になりつつあった必死な言い訳。未完成な器——その未熟さを取り繕うそれは、言っているテン自身、自分の伝えたいことが遠回りになりすぎて目をぐるぐる回してしまいそうな羅列。
それを止めたのは、世界に響き渡るレムの名前呼び。穏やかな声色と共に饒舌になりかけた口を塞ぐ彼女は、本当に嬉しそうに微笑を弾けさせると、
「急がなくても、焦らなくてもいいです。この答えのお返事は、今すぐには求めません。レムもやっと、テンくんを素直に愛せるようになったばかりで。テンくんだって、レムの想いと向き合ってくれたばかりなんですから」
ただただ優しく、愛おしむように、ほんのちょっとだけ残念がりながら。けれど、それを打ち消す程の幸福を感じつつ、レムは語る。
お互い、ようやく踏み出せた一歩目。指を絡めて手を繋ぎ、隣り合って歩む道を進み始めたばかりだ、答えを焦って求めるつもりはレムにはない。
じっくり、ゆっくり、二人の歩幅で、愛を育んでいけたらいいなと思っている。一歩ずつ、一歩ずつ。沢山の愛を経験して。時が経って彼の準備が整ったら、そうしたら返事を聞かせてほしい。
愛している、と。勢いなんかじゃなく、ちゃんとした心構えで伝えてほしい。
お返しに、自分も愛を伝えよう。
「ただ、レムの心はずっと……ずぅっとテンくんだけのもの、ということは知っておいてくださいね。この瞬間から、レムはテンくんだけのものです。……全て、奪われてしまいました」
純潔さえも。
そう、艶かしい声で囁くレムはテンの時が羞恥心に停止したのを視界に入れつつ、密かに自爆。余裕のある態度で己の
彼も
決して、まだ奪われたわけではないが、もはやここまで来れば予約したようなもの。自分の純潔な体が彼に汚されてしまうのは決定事項。というよりも、自分の体が彼以外を受け付けていない。
「もっと、自分の体は大事に扱った方がいいと思うけど」
自分が彼を襲うのが早いか、彼が自分に行為を促してくるのが早いか。
圧倒的に前者の方が早い予感しかしないレム。このままだと、冗談抜きで近いうちに夜這いに走りそうな彼女に、テンは揶揄うように言い出す。
時間の停止から抜け出した彼はレムの恐ろしく速い心音を横目にしながら、
「そんな風に言ってさ。もし、俺が獣になっちゃったらどうするのさ。いいの? 襲っちゃうかもしれないよ? 押し倒しちゃうかもしれないよ? こんな俺でも、一応、今年で十九の男なんだしさ」
「揶揄っているおつもりでしたらハッキリと申しますが。愛する人に永遠の愛を誓った女にとって、その発言は甘い蜜のようなものだと、テンくんは気付いていますか?」
「ーーーー」
縛りから抜け出したことで愛が爆発し、言いたい、やりたい放題のレムに反撃——の予定だったテンだが。刹那で見破られた揶揄いに返されたカウンターに何度目かの沈黙。自分が放った反撃の威力を上乗せした一撃に撃沈した。
胸に抱かれていたことが運の尽き。幼稚な抵抗をひらりと流すレムにがっちり拘束され、羞恥心に弾け飛んだテンは逃げたくても逃げられない。
我慢しきれず、ついに力ずくで離れようとするも、しかし病み上がりの力では勝てなかった。脱出に失敗したことでより一層、抱かれる両腕に力が入る。
完全に弄ばれているテン。小悪魔的な笑みをうっすらと浮かべながら「本当に初心なんですから」と微笑をこぼすレムは彼に「気を付けてくださいね」と、
「冗談であっても、そのような発言をされてしまうとレムは調子に乗ってしまいます。テンくんが発する性的な言葉はレムにとっては糖分の過剰摂取……麻薬のようなものなんです。与えられ続けてしまうと、我慢できなくなって、レムの方から動いてしまうかもしれませんよ?」
「今のは俺のせいじゃない。絶対に違う。レムが変なことを言ってくるのが悪いんだ。俺で遊ぶのが悪いんだ。……気をつけるべきはレムだよ」
「俺だって色々と我慢してんのに……」と。
ボソッと。口を尖らせながら最後にそう付け足してテンはレムの肩を掴みかかる。離せぇぇ!とでも言いたげな力加減で、全く離してくれる気配のない彼女の体からの脱出を図った。
そろそろ頭がおかしくなりそうな予感。漂ってくる女の子特有のそれを取り込まないように口で呼吸するのは息苦しく、それ以前に発育の暴力が凄まじすぎる。感触、感触がすごい。すごいとしか言えない。
暴走している。愛を解き放ったレムが様々な方向に暴走している。そして、暴走の行き先が全て自分に向けられると、理性がやすりで削られるが如くすり減る。
「レム。離せ。もう泣いてないから。ありがとうね。もういいよ」
「イヤですっ」
即答された拘束続行宣言。楽しげに語尾が跳ねると、なでりこを続けていた片手が顔面を胸元に押し付ける手に加わり、二つの手に押さえつけられるテンは完璧に身動きを制限される。
ダメだ。全く離してくれない。依然としてレムの暴走は治ってはくれず、「ふふふ」と子どものように無邪気な笑声が頭上から降ってくる。なんでだろうか、揶揄い返されている気がしてならない。
どうしてこんなことになったか。答えは単純かつ明快。自分が彼女に遠慮するな、わがままでいいと言ったからだ。素直に甘えていいと、そうやって他人を優先して自分を抑えがちなレムの心を解放したからだ。
要は、事の元凶は自分自身にあると。
「夫婦の件について、念のため申しておきますが」
如何にしてこの場を切り抜けようか頭の中で考え始めたテン。そんな彼の鼓膜を叩いたのは、レムの真面目な声色。
こうなった発端に話を戻す彼女は、纏う雰囲気は甘々のまま、けれど声だけは凛とすると、
「レムの準備は既に整っております。いつでも、レムを娶っていただいて構いませんよ。その心構えはテンくんと過ごした今までの中で整えてきました」
「ーー! 早くぅ……、離さんかぁい!」
淡々と、約束された未来を笑顔で語るレムにテンの羞恥心がついに限界を突破。弾けに弾け飛んだ感情が噴火すると、レムを布団に突き飛ばす勢いで肩を掴んだ両手を前へと突き出す。
渾身の力を振り絞ったそれは、辛うじてレムの力を上回り。目論み通りとはいかなかったものの、テンが身を捩って抜け出せる程度にまで拘束を緩めることはできた。
結果として彼は抜け出すことに成功。「あ……」と残念そうなレムの声を無視して大きく後ろに下がって距離を取る——はずだった。
「ちょ、おまっ……。いつまで座ってんだよ」
体を引こうとして気付く、というよりも思い出す。
胸に抱かれた事が衝撃的すぎて忘れかけていたが、今現在、レムは
その状態で体を後ろにスライドさせようものならレムがくっついてくる。距離を取るために下がっても彼女も一緒に下がる形になる。逃げたくとも、逃げられない体勢。
心身共にゼロ距離なレム。彼女を縛りから解き放てたのだから喜ぶべきだが、ここまで大胆になられると困ってしまう部分があるのは否めない。その大胆がレムにとって普通であることを加味すると余計に否めない。
つくづく思う。
『普通』とは、人間を多方面から困らせてくる厄介なものだと。
そして、
「ずっと座ってます。ここは、レムだけの特等席です」
レムとは、テンという自分の精神を容赦なしに抉ってくる女の子だと。
突き離された事が気に食わなかったのだろう、やや不服そうな様子の彼女はムスッとした顔でテンの肩に両手をかける。そのまま抱きつかないのは、彼の目を見て話がしたいからだ。
だって、ずっと見つめ合っていたい。自分はこの人の目が好きだから。
一見してぼーっとしてそうな目なのにその奥には明確な意志の力が宿っている、その目が好きだから。自分を抱きしめる時に見せる優しさに満ちた、その目が好きだから。
ずっと、こうやって、体に触れながら、この距離で見惚れていたい。罪に縛られていた今までの自分ではできなかったから、今の自分で思う存分———、
「………テンくん」
不意に、レムの頬が引き締まる。
甘々な様子しか漂わせていない彼女の気配がそれを境に急激に変わり、改まった声で眼前にいる最愛の名を呼んだ。
ふと、甘美な世界で溶けそうになる中、思い出した事があった。
それは自分が犯した罪。まだ、伝えなきゃいけないことを彼に伝えていなかった。どうして忘れてしまっていたんだろうか、それは今までの自分が犯した罪だというのに。
その、明らかな変化にはテンも気付いた。
ふにゃりと緩む表情が真面目なものとなると僅かながらに陰影が生じ、二人の間に流れる空気、その温度が低下していく錯覚を起こす。これは、レムの心が闇に閉ざされていた時の雰囲気に近しい。
唐突な切り替わり方に不穏なものを感じ取ったテン。彼は「急に改まってどうしたの?」と、探りを入れるように小首を傾げた。
「その………。腹部の、傷痕の件について、なんですが」
疑問符を浮かべる挙動に、レムは頼りない声で伝えそびれていた事を伝えるためにそう前置く。直後、どこか申し訳なさそうに話を切り出した彼女にテンは「あぁ」と納得。
どういった経緯でその事が口から出てきたのかは不明だけれど、今の言葉で彼女の態度に説明がついた。言った直後に視線を逸らす動作が見られたのにも説明がついた。
今更気にする事だろうかと思わなくもない。あれほど気にしていないと伝えたのだから、彼女自身もよく理解しているはず。
しかし、レムの態度は真剣そのもの。ならば、罪と真正面から向き合う彼女のそれを適当に受け流すことは許されないか。
態度の変化と、その理解を瞬間で済ませたテン。済ませられたのは愛が成せる技——否、それは恥ずかしいから、彼女の心を理解する能力が向上したからとでも表現しておこう。
レムが今回の罪を終わらせにきたのだと察した彼は態度を改めて真剣さを纏い、「うん。それで?」と前と同じように話を促す。彼女の口から語らせる手法は変わりない。
逸らした目を戻すレムは、受けの姿勢をとった彼に意を決しながら、
「本当にすみませんでした。謝らせてください」
「別にいいよ。気にしてない」
「それでもです。一度、今までの自分との節目として、謝りたいんです。区切りをつけさせてください」
テンの即答はレムも分かりきったこと。それ故に、言葉が返される間隔も短い。テンのことを真っ直ぐ見つめる彼女の瞳に迷いはなかった。本気で、謝ろうとしている。
いわゆる、罪の清算。決してこの程度で清算できるわけがないが、一つの境界線として。その自分を吹っ切るため。
今一度、レムは己が犯した罪を一つ一つ口にする。
「その傷はレムの至らなさが招いた悲劇。あの時からなに一つとして変われていないことが原因で、レムが暴走してしまったから。何一つとして進歩していないレムが、ダメだったから」
ダメだった。ダメ以外になかった。
あの炎の夜から姉の代替品として生きてきたのに、必死に努力してきたのに、それら全てに意味なんてなくて。意味があると思っていただけで。
そうやって罪から目を逸らして。結局、自分は同じ罪を犯してしまった。愛する人の命を危険に晒すような真似を。二度もしてしまった。
「姉様ならもっと上手くやれたはずのことをレムはできなかったから、テンくんを傷付けた。レムが無才で無力で、鬼族の落ちこぼれで、代替品にすら、成れなかったから」
何をしても姉に追いつくことはできなかった。追いつこうと努力しても、姉はそれを軽々しく突き放していく。どんなにがんばろうとも、凡人が才能に溢れた天才の背中を掴むことはできなかった。
この悲劇は、そんな自分への罪。姉に庇われた挙句、それが角が折られた原因となり、その償い一つまともにできなかった自分に与えられた神様からの天罰。
だから、
「——本当に、ごめんなさい」
誠心誠意。
テンの胡座から降りたレムは正座し、体を丸め込むように頭を下げる。自分の清算を黙って聞き入れてくれる彼に、彼女は自分のできる最大限で謝罪の言葉を告げた。
きっと、彼からすれば伝える必要なんてないのだと思う。けど、これだけは伝えなくちゃ自分の気が済まなかった。そうしないと、いけない気がした。
ごめんなさい。なんて言葉で補える罪じゃない事は自分が一番分かっている。自分の一生をかけても洗い流せる罪ではないと、心に深く刻んでいるのだから。
それでもだ。踏み出せずにいた一歩を踏み出し、彼と隣り合って歩くために。彼と添い遂げて、命尽きるまで一緒にいるために。
後ろめたい感情は、今ここで全て吹っ切る。それができないと自分は前と何も変わらない——そんなのは絶対にイヤだ。彼が自分に贈ってくれた、自分を救い出す言葉の数々を無駄にはしたくない。
「その謝罪、確と聞き届けました。レムの覚悟はよく伝わってきた。十分だよ」
言葉を挟むのは無粋な行いだとして口を閉じていたテンが口を開くと、彼は折り畳まれたレムの体を起こす。あまり謝罪の姿勢をされてしまうと、自分が苦しくなってしまう。
そこで「申し訳ございませんでした」ではなく「ごめんなさい」が選択されるところ、自分と彼女の関係値の高さが垣間見えるが。
「目を逸らしたい自分の
彼女の体を起こしながら、落ち着いた声でテンは語る。頑張って頑張って、躊躇していた一歩目をようやく踏み出せたレムに「えらい。えらすぎる」と称賛の声をかけつつ、顔を上げた彼女に笑みを見せた。
それは昔、レムが惚れた笑みだった。
どこまでも朗らかで、安心して緩んだ頬は子どもみたいに無邪気で、自分のことを見つめる瞳はとても温かくて。自分のことを終わりなく全肯定してくれる声は優しさに包まれていて。
たったそれだけで、レムは全身の力が抜けていく。縛りから抜け出したばかりで、不慣れなことを行った反動が、途端に心身共に影響を及ぼし。訳の分からない安堵感に襲われる。
「謝れたのは、レムがそれと向き合った証拠。俺に話してくれた事と向き合って、それで自分なりの答えを出した。それができたら、レムはもう前の自分とは違う。……一歩、やっと踏み出せたな」
全身が愛する人の温もりを求めたレム。我慢の糸が切れたように正座を崩し、弱く胸に飛び込んでくる彼女の体を受け止めつつ、テンは嬉々として言葉を紡いだ。
その気持ちはよく分かる。不慣れなことをすると無性にむず痒くなって、誰かに発散したくなるものだ。受け止めてくれる人に、全てをぶつけたくなってしまう。
『縛り』という観点において少し先をゆくテンには、今のレムの心を見透かすことなど容易い。だから彼は、無条件で彼女の体を抱き留める。お返しとして首に両腕を回された。
一度は開いた距離が再びゼロに縮まり、眼下、言葉そのままの意味で目と鼻の先にいる甘えたがりなレム。胸板に額を当てる彼女にテンは「一つ、聞くけどさ」と、
「今もまだ、自分がラムの代替品だ、って思ってる?」
それだけが、最後の気掛かりだった。自分の全身全霊を尽くして彼女を過去の縛りから解き放つために様々な言葉をこれでもかと注ぎ込んできたが、その一つだけがまだ不透明。
落ちこぼれてなんかない、自分はレムという名前の女の子を求めている。とは話したものの、確信を得たわけではない。
多分、大丈夫だとは思うが。確信を得ない限りは安心することができなかった。そうでないと、本当の意味で笑い合えない。
「テンくんは本当に、優しい人ですね」
その、自分の縛りを一つ残らず解放しようとする彼の姿勢にレムは堪らず顔色を明るく彩る。自分が抱えてきたものを一緒に抱えてくれるだけでなく、解決してくれる彼がとても輝いて見えた。
なんて答えようか。いや、考えるよりも心のままに想いを紡ごう。頭を使うと混乱してしまう。
それに、素直な自分を彼は求めているのだから。
「そう思ってしまう部分が無いと言えば嘘になります。レムだってテンくんと同じように、縛られていたものから抜け出したばかりですから。今すぐに、その自分を完全に変えることは、レムには難しいです」
後ろ向きな羅列にテンの顔が僅かに曇るのを真上に「ですが」と、レムは紡いだ言葉を否定すると、
「テンくんがレムで在るレムを求めてくれたから、レムが出来損ないではないと、落ちこぼれでないと、そう言ってくれたから。姉様の代替品のレムを否定してくれたから——。頑張って、その自分を変えていこうと思えました」
心の中で繋ぎ合わせられた言葉をそのまま紡ぐレム。特に飾ろうとも、取り繕うこともせず、純粋な想いのみを彼女はテンに伝える。
自分を救おうとしたテンの頑張りを否定するような気がして、申し訳なさを感じてしまう言葉を連ねたレムの態度は真っ直ぐだ。正気に満ち溢れた声をしている。
それはきっと、そこで完結しなかったから。
「レムはレムで在っても、いいんですよね? 姉様の代替品のレムでなくても、いいんですよね? レムは……レムらしく生きても、いいんですよね? レムは——レムを肯定しても、いいんですよね?」
聞き、数センチ、レムは距離を詰める。
今まで自分の存在を否定され続けたレムが自分の存在を全肯定してくれる人を求めるように、お互いの吐息が唇に触れる距離まで。
レムしか見えない。テンしか見えない。お互いがお互いのことしか考えられない。邪魔の入らない世界で、二人がこの悲劇を終わらせようとしている。
暗がりだった世界に夜明けが訪れるように。血の夜からずるずると引きずってきた悲劇に、炎の夜から無限に続くと思っていたレムの過去に、今ようやく、夜明けが訪れる。
それはきっと、テンの言葉で———、
「当たり前じゃん。レムはレムらしく生きていいんだ。レムはラムの代替品でも劣等品でもまして出来損ないでもない『レム』っていう名前を持った一人の存在なんだから女の子なんだから。それを拒む理由なんてない」
当然のように返された感情の言葉。勢いに任せた伝え方には句読点すら付かず、テンの必死さがよく表れていた。
必死——彼は、ずっと必死なだけだ。
何か大きなことを成す力が自分には無いと自覚しているから、彼はただ必死に手を伸ばす。その姿勢はこの世界に来た頃と何一つ変わらない。やれることに全力で取り組む。
その様子に、レムがどれ程の感動を覚えたか彼は知っているだろうか。
その懸命さに、心を震わせているレムに彼は気付いているだろうか。
「息をしている。声を出している。温もりがある、心がある——命がある。レムは『レム』っていう名前の一人の女の子なんだ。ラムの代わりにしていいはずがない。代替品に、なっていいわけがないよ。レムはレムになるんだ」
「俺が好きなのはラムじゃなくてレムだし」と、はにかむテンはむず痒そうにみじろぎ。その様に、レムが胸を打たれないわけがなかった。
故に。照れ臭そうにしながら明確な愛を直球で伝えてくれる彼に、もうこのまま口付けをしてしまっても良いのではないだろうかとレムは考える。
だって我慢できない。愛が抑えられない。自分を救い出す言葉しか発さない彼の唇が目の前にある。勢いで飛び出したらくっつく距離に、ある。
もう、しても、いいのではないか。
「レムがどう思ってても、俺はそう思ってる。何度でも言うよ。レムは、ラムの、代替品でも、劣等品でも、まして出来損ないでもない。レムは、レムなんだ。個で成り立ってる存在なんだ」
「ぁ………」
「それを無視することなんてできっこない。もう俺は、レムのことが好きになっちゃったから。お前の命を大切に扱いたいよ。扱わさせてほしい。生きてもいいか、なんて言わないで」
本気でキスする数秒前。しかしそれは、意図せずに止められる。
不意にテンがレムの体を強く抱きしめた。目標にロックオン、唇に照準を合わせたレムが獲物に飛び掛かる猫のように息を潜める中、彼女の額がテンの右肩に埋まる。お陰で、口付けはお預けに。
残念がるべきか。否、両腕の抱擁を代わりとして受けられたから良しとする。
それ以上に。最後の最後とばかりに愛を言語化した言葉を心に注いでくる彼に、沸騰した感情が喉から迫り上がるせいで、口付けなんて今はどうでもよくなった。
あぁ、泣いてしまう。また、泣いてしまう。
「生きててくれてありがとう、レム。レムが生きててくれたから、俺はレムと出会えた。自分が本気で好きになれる、こんなにも素敵な女性と出逢えた。嬉しい。ほんとに嬉しい」
言うと、首に回されたレムの腕に力が込められる。飽きることのない愛する人の体温を互いに伝え合うと、肩に顔を埋めたレムが波紋してきた幸福に無邪気な笑声を小さくこぼした。
生まれたことすら後悔していた自分が今、その人に強く求められている。
一番言ってほしい言葉を、一番言ってほしい時に、一番言ってほしい人が、余す事なく伝えてくれている。
嬉しすぎて、本当に死んでしまいそう。経験したことのない愛と幸福と満足感を感じて、どうにかなってしまいそう。
でも、あと一つだけ足りない。強欲な願いだなんて思っていても、どうせならその一つを最後に言ってほしかったな、なんてことを心の片隅で思って。
思って、
「——生まれてきてくれてありがとう」
救われた。
「——大好きだよ。レム」
たった今。レムは救われた。
暗闇から。引っ張り上げられた。
「ーー!」
もう、我慢の限界だった。
小刻みに体が震え出すと、それがレムの中の感情を解き放つ予兆となった。肺を圧迫される感覚がテンに襲いかかると、激情に駆られるがままにレムは彼を力一杯抱きしめる。
いけない。声が出てしまう。嗚咽に留まらない感情の紛糾が喉から噴火して、大泣きしてしまう。咄嗟にレムは口に触れるテンの衣服を噛みしめる。
はしたない。でもいい。これから色んな自分を見せる上でその自分も見せることになるのだから。曝け出してしまえ。
何か言葉を掛けたい。掛けたいのに。この感情を上手く言語化することができない。泣くことに意識が引き寄せられるせいで、言葉を紡ごうとすると泣き声となる。
「レムって、結構な泣き虫だったり?」
ーーテンくんのせいですよ!
「わーー! 分かった分かった! 俺のせいだ、ってことは仕草で伝わったから、それ以上強く抱きしめないで! 割と痛い!」
心の中で叫び、レムはテンがえび反りになりかける程に力を入れて彼の体を抱きしめる。泣き虫なのは否定しないが、その元凶は彼のせいだ。彼が自分を泣かせてくるのが悪いんだ。
思えば、この時間に流した涙の原因は全て彼にある。喜怒哀楽——主に『喜』と『哀』の涙が全体を占めているそれの責任の所在は、彼の背中に乗っかっているに違いない。
だから、
「責任——取ってくださいね。テンくん」
「ん? なにが?」
激情の余韻が引き、言葉を紡ぐことが可能になったレムがテンの肩から頭を離すと、至近距離で彼の瞳を見つめながら、
「泣き虫なレムはとても弱いので、テンくんに寄り掛かってしまいます。でも、そうさせたのはテンくんなんですから」
「まぁ、そりゃぁね」
「ですから、その責任を取ってください。これから沢山寄りかかるので、沢山受け止めてください。その代わり、レムもテンくんに寄り掛かられた時は受け止めます。持ちつ持たれつです」
「それでいいと思うよ。レムの抱えるものは俺も一緒に抱えるからさ、そうやって支え合っていこうよ。ほら、レムって一人で抱え込みがちだから、そうなる前に俺にも抱えさせてほしいな」
「はい。抱えてください。レムもテンくんが抱えるものは一緒に抱えます。どんな時でも、レムとテンくんは一緒です」
「運命共同体、ってやつ? なんか、照れるな……」
「運 命 共 同 体………っ!」
喜びも、悲しみも、苦しみも、幸せも、二人で一緒に分かち合おう。ひとりぼっちにはさせない、抱え込みがちな君の隣にはずっと自分の存在がある。一緒に支え合っていこう。
そんな意味合いを含めたテンの『運命共同体』発言に衝撃を受けたレムの声が感動に上擦ると、彼女の潤む瞳が名案ですとでも言いたげに煌めく。
この時間、最後の嬉し涙を頬に滴らせながら彼女は、テンが今まで見てきた中でも最高と言える満面の笑みを浮かべ、
「はい! そうしましょう! 今日からレムとテンくんは運命共同体です! お名前もソラノ・レムと名乗らせていただきます!」
「気が早すぎる!?」
「婚姻届、持ってきますね!」
「待て待て待て……うぇ!? 購入済み!?」
溌剌とした様子のレムが楽しそうに泣き笑う。その単語があまりにも嬉しかったのか、さらっと先を見据えすぎた行動を既に終えていたと不意にもテンに伝わった。
尤も、口ではそう紡いでおきながらテンの体から一ミリたりとも離れないのがレム。「大好きー!」という単語が全身から溢れ出る彼女は軽く戦慄するテンに頬擦り。
愛が爆発した結果だ。恋に一直線になったレムは誰にも止められない。いつもの、テンの事となると暴走しがちなレムが。いずれ、テンが最も愛おしいと思える姿のレムが。彼の前にはいた。
泣いて、泣いて、泣き止んだレムの表情は輝かしいほどに満面の笑み。涙なんて吹き飛ばしてしまうそれには、至近距離で見詰めるテンを見惚れさせる破壊力があって。
彼女を苦しめる全てから救い出す。そうして咲いた笑顔が一番可愛い——少し前、決意を固めるときに思った事だが、正しくそうなった。
一番可愛い。その笑顔を中心として優しい光が周囲を照らしていると錯覚する程に可愛い。世界一可愛い。見ているだけで釣られて笑みが溢れる。
それは、テンが頑張った理由だ。
ーー笑ったよ。この子、やっと満面の笑みを見せてくれたよ。ラム
顔の真横にあるレムの笑みを見ながら、テンは不意に思う。恐らく今、爆睡しているであろう桃髪の少女に。
託されたものはちゃんと果たしたぞと。自分のことを信じてくれた全幅の信頼に、全身全霊で応えてみせたぞと。
救った。救えた。自分はレムの心を丸ごと救うことができた。自分の言葉なら絶対に届くと信じて、願って、届くまで声をかけて、手を伸ばし続けて。
やっと、届いた。
「——テンくん」
名を呼ばれ、テンは自分の意識が心の中に引っ込み掛けていたことを知る。少しばかり感傷に浸りすぎていた。
小さくはっとすると、彼の視界に飛び込んできたのは頬が紅潮したレム。いつの間にか頬擦りを止めていた彼女は、熱っぽい吐息を彼の唇に当てながらにこやかに微笑むと、
「ありがとうございます、テンくん。レムを助けてくれて」
その一言には、伝えても伝えきれない感謝が込められていた。愛してやまないテンに対する沢山の「ありがとう」が、彼に届けられる。
それだけでよかった。テンは、それだけ聞ければ満足だった。
自分のしたことが、本当の意味で報われたと思えて。
「うん。どういたしまして」
手を伸ばし、テンは梳くように青髪を撫でる。優しく、穏やかに。
柔らかな手つきにくすぐったそうに目を細めるレムが、喉を甘く鳴らして甘えたがった。体を前に倒し、彼の胸にゆっくりと沈み込む。
心音を聞き、ひどく安心する。深呼吸し、ひどく落ち着いて。ずっとこうしていたくなって。
そんな彼女のことをテンは撫で続けた。やっと落ち着いた心を宥めるように。寂しがらないよう、温もりを感じれるように。
「ここ。やっぱり落ち着きます」
「気が済むまでいていいよ」
想いを伝え合う男女が、二人だけの世界で身を寄せ合う。
運命に縛られ、過去に縛られ。同じ痛みを抱えた二人が、長い時間を越えて解き放たれ、ようやく辿り着けた一時。
ずっとこうしたかった。ずっとこうなりたかった。
そう、行動で伝えるように、静かな時間の中で、二人はずっと、温もりを感じ合った。
——血の夜より。今日で八回目の朝日が、テンとレムを優しく照らし始める。
暗がりに包まれていた世界にようやく一筋の光が差し、闇の気配が消えていく。
それは、長く続いた悲劇の終わりを知らせるように。
悲劇の本当の幕引きを——象徴するように。