内容、ビミョーだったかなぁ。いつも通り、頭の中を空っぽにして読んでください。
今回のお話、前半部分は病みリアに使用されていたBGMを聴きながら書きました。2期11話で言うところの、Cパートのやつです。
いやぁ……BGMの力って偉大ですね。
そのとき、ソラノ・テンは世界の時が止まったことを錯覚した。ピタリ、と。そう音を立てて一定のリズムで動いていた時の歯車——その音が鼓膜から瞬間的に遮断される。
それまでは穏やかな時を刻んでいた雰囲気が一瞬にして凍りつき、窓の外で奏でられていた小鳥たちの囀りが途端に消え失せ、頬を撫でていたひんやりとしたそよ風が直後から絶対零度に変わる。
実際に世界が灰色に染まったわけでもなく、音の概念が消失したわけでもないが。しかし今、テンは自分の時が止まったことによる余波でそう錯覚してしまっていた。
——サァ、と。
自分の中から波が引いていくような感覚。心臓が止まったかと思う緊張感が足元から首元へと這い上がり、この世のモノとは想像し難い存在が放つ圧迫感と威圧感に心を鷲掴みにされている恐怖心に冷や汗がじんわりと浮かび上がった。
血の気が引く。この感覚を言葉にするなら、それが一番適している。経験したことのない恐怖——様々な恐怖を嫌と言うほど味わってきたが、どれにも当てはまらない。
死の恐怖、殺意を向けられる恐怖、人の形をした生き物を殺める恐怖。大切な人が傷つく恐怖、痛みを受ける恐怖、自分が置いていかれる恐怖などなど。それらが、この世界にきて経験してきた恐怖。
自分が克服してきたものも中にはあるが、現在進行形で
金縛りに遭ったように体が動かない。否、「動いたら死ぬ」と、本能と理性が抱き合いながら震えて叫んでいる。頭で考えても心で考えても、その共通の答えは刹那で出ていた。
眼前、距離にして約三十センチもない場所にいるエミリアの頭。甘える彼女の髪を優しく撫でようと手を伸ばし、そこでテンの動きは停止させられる。
電源の切れた機械のように、その最悪な体勢で止まった。止まったのは動きだけだろうか。否、呼吸、思考、口、表情——ソラノ・テンという人間が自己表現に使用する機能の全てが止まっている。
故に、彼の時は止まった。伸びた背筋、それにピッタリとくっつきながら、声をかけてきた一人の少女によって。
しかし、例えそんなことがあろうとも、世界の針は無感情に時を刻んでゆくもの。
テンの時が停止し、彼だけが置いていかれる中でも、世界の住民は動き続ける時と一緒に行動するのだ。
ーー終わったな
ーー終わったね
その時と一緒に行動する住民、ハヤトとパック。その光景を真横から見ていた二人は表情を引き攣らせながら奇しくも同じ感情を抱いていた。
目の前に広がる光景。左から順に、テンに撫でてもらおうと嬉しそうに頭を突き出すエミリア。その頭を撫でようとしたところで時間が止まったテン。彼の背中に
美少女二人にテンが挟まれる構図。うらやまけしらんなそれだが。片や、自分の世界に没入する少女。片や、ハイライトオフな黒いオーラを纏う少女という。
自分のことしか考えていない遠慮知らずな我儘嬢様、それがエミリアとレム。真ん中の青年を度外視した構図のせいで、外から見つめる二人には、テンがいっそ可哀想とすら思えてきた。
というよりも、
ーーレムのやつ、いつからいやがった?
己の内側で呟いたハヤト。彼は戦慄に目を細める。
レムがヤンデレ属性を発動したことは別に問題ではない。予想の範囲内。寧ろ、そうなっていない方がおかしい。問題はもっと他にある。
見えなかった。レムがテンの背中にくっつくまでの過程が、何一つとして捉えられなかった。扉が開く音も、閉まる音も、足音、気配も、姿も、それら全てがハヤトの瞳には映らず。
瞬きをした、次の瞬間にはいた。
おかしな表現だと思うが、実際に起こっている。まるで、レムが『テンの背中まで移動する』という一コマを飛ばして現れたようにそこにはいた。
テンがエミリアの頭を撫でる一コマ——その次のコマにレムはいる。漫画の一ページ繰ったら、そこにレムの姿はあった。頭を撫でる一コマにレムが描き足されている。
なるほど。どうやら、
現に、こうして戦慄するハヤトの隣に並んだメイド姿のラムの表情が、目を疑うような光景を見た後のものになっている。珍しい表情だ。
「なにが、しょうがないのですか?」
エミリアの喉が甘えたそうに鳴る音のみで形成された静寂が壊される時、レムが先と同じ言葉をテンに投げかける。
トーンが普段以上に下がった彼女の鼓膜を舐めるようなねっとりとした声と同時に、立てられた十本の爪がギチギチと皮膚を抉り、テンの背筋が凍りついたのは語るまでもない。
「なにが、しょうがないのですか?」
今、絶対に振り向いてはいけない気がする。振り向けば殺される。確実に殺される。ホラゲーの演出でよくあるやつだ。
その場合、テンは躊躇無しに振り向いて恐怖演出をビビりながら楽しむ人間なのだが。この場合、絶対に振り向けない。というか、体が動かないから振り向けない。
もし振り向いた場合、ゲームでも画面が暗転して終わるように、めのまえがまっくらになって終わる。所持金が減るどころの話じゃない。この勢いだと命が減る。
「なにが、しょうがないのですか?」
ガリガリと順調に爪痕を残していたレムの両手が緩むと、次の瞬間に彼女の両腕が腰を通って脇腹付近に回される。完全に彼の体を自分の体に拘束すると途端に強く抱きしめ始めた。
なにか、軋むような不穏な音が全員の鼓膜に届く。音源がどこかなど一々考えるまでもない。顔を青くしたテンを見れば一目瞭然。問題の脇腹ということもあって完全にクリティカルヒットしている。
起きて早々に死ぬ予感に、しかしテンが言葉を生むことはない。恐怖の硬直から解かれ始めた頭で打開策を練ろうにも最終的には、何を言っても無駄、という結論に至ってしまう。
それでも、この状況を凌ぐための言葉を———、
「テン? もう撫でてくれないの?」
ーーあ
ーー修羅場だ
ーー君の無事を祈っているよ
ーーご愁傷様
その一言にテンが悟り、ハヤトが目を瞑り、パックが菩薩顔、ラムが鼻で小さく笑う。
エミリアが無自覚無意識に放った爆弾発言により、全員が世界の時が止まったと共通で錯覚した瞬間だった。同時に、レムの負のオーラが爆発的に増幅していったと認識した瞬間でもあった。
エミリアとしては、ただ単に撫でてくれないテンに疑問を抱いただけなのだろう。早く撫でてほしい気持ちが表に現れただけなのだろう。期待の眼差しを送りながら彼を見つめる姿がそれを物語っている。
が、それは禁句だった。今、最も語ってはいけない事実だった。「撫でてくれないの?」だけならまだしも、彼女は「もう撫でてくれないの?」と。そう言った。
それが何を意味するか。エミリアを除いて、決して分からない全員ではない。そして、その『全員』の中には勿論の如くレムの名前も入っているわけで。
「あ、ふ……ぐ」
不意に、テンの苦鳴が弱々しく上がる。
レムが放つドス黒いオーラに呑み込まれつつあった外野の三人が鼓膜を叩いてきた救難信号にはっとすれば、見えたのは本気で顔色が悪くなったテン。
比喩表現抜きで悪くなっている。気分を害したものではないそれは間違えなく、物理的な影響が齎した生命の危機。表情に余裕がなくなってきたテンは、今にも口から血を吐き散らしそうな様子だ。
原因は勿論、レム。脇腹付近に両腕を回す彼女は青色の瞳が真っ黒に染まると表情から感情が抜け、無表情のままにテンを締め上げている。場所が場所なだけあって、その痛みは計り知れず。
その脇腹——鬼に呑まれたレムを助けるべく彼女と対峙した時に鎖が直撃した部位だ。鬼の力をモロに受けたのだから、被弾の程度も並のものではなく。
レムがそれを知らないはずがないのだが、残念なことに意識下に入っていない。正面にいるエミリアも意識下に入っていない。
故に。レム、エミリア、共に自分のことしか頭にない二人はその声に反応することはない。ヤンデレ属性を内に宿す少女達に、テンの悲痛な声は届かない。
否、届かせねばならないとテンは大きく息を吸い、
「——痛いッ! レム、痛い! すごくいたい! その脇腹! お前の打撃が直撃したところ! し……しぬぅ! マジで冗談抜きで本気で嘘なしで痛い! 離して! 離してぇぇぇ!!」
「ああ、テンくん、ごめんなさい。エミリア様から良からぬ発言が聞こえた気がしたものですから……人に取られるくらいならレムの手で壊してしまいたいと思って……」
「第一声がそれか!?」
「その後に、レムも死にます」
「やめてください」
愛する人の必死な呼びかけは届いたようで。瞳に光が灯ると凄まじかったドス黒いオーラが風と共に消失、表情が忘れていた感情を思い出すと焦ったような色が浮かび上がった。
軋む音が止み、腕の拘束が解かれると、状況が全く理解できないエミリアが「え、どうしたの?」と、あどけない表情をしている前でテンがへたり込む。
血の巡りが良くなった気がするテン。取り囲んでいたオーラに息が詰まっていた彼は深く吐息、冗談抜きで死ぬところだったと肩を僅かに小刻みに震わせていた。
「急にへたり込んだりしてどうしたの? ……もしかして、どこか悪くなったり!?」
そんなテンのことを心配したエミリア。突然に座り込んだ彼の前にしゃがみ込む彼女は、慌てて手を伸ばして触診の挙動を見せる。
当然、テンがその対応に肩を大きく跳ねさせて「だいじょうぶだいじょうぶ!」と。一音一音を言い聞かせるように、少しばかり早とちりな彼女にテンはそれ以上の慌てようで、
「治った! もう治った! ぜんせんへーきだよ! ちょっと古傷が痛んだだけだから! 大丈夫、大丈夫だから! その手は必要ないですっ!」
「そうなの? なら、あたま——」
「それはまたの機会に! な! な!! な!!!」
背後に立つレムの温度が下がった予感に両手をブンブン振りながら必死の抵抗。そこから先を言わせると本格的に監禁、更には拘束されかねないと本能的に察したテンの声は大きい。
あまり見ない焦り様にエミリアは、「そんなに必死に止めなくてもいいのに……」と悩むように喉を小さく唸らせたが、自分の中で折り合いをつけたのか「分かりました」と微笑んで頷き、
「じゃあ、また今度………たくさんしてね?」
「その言い方だと意味深に聞こえるな……まてレム、痛い! また痛くなってる! また良くないオーラ纏い始めちゃってる! 抓らないで抉らないで! 肩の皮膚が削がれちゃうぅぅぅーー!」
「あ……ごめんなさい。レムとしたことが……壊すなら二人っきりのときでないとダメですよね。反省します」
「反省するところが絶対に違う!」
体を暴れさせるテンが鬼の怪力で抓られた肩を押さえながらその場から飛び退き、猫ようにしなやかな動きでハヤトの背中へと身を隠す。
この場において唯一、自分の味方をしてくれるであろう親友の背中に隠れると、テンはひょこっと顔を覗かせて微笑むエミリアと笑顔が怖いレムを見ながら、
「助けて、ハヤト。おれ、本当に殺されるかもしれない。いつもは優しい二人が今はとても恐ろしく見えるよ」
「主にレムの方がな。いやしかし、流石に俺もビビった。実物は初めて見るが、ここまでとはな」
小動物のようにわなわなと震えるテンにハヤトは苦笑いし、安全バーを掴むような手つきで肩を掴むテンの両手に彼は腕を組みながら頷いた。あんな風にされればそうなってしまうのにも納得がいく。
初めて見たヤンデレム。実物は如何なものかと考えていたが、今ので大凡は把握した。アレは呼び起こしてはいけないタイプのヤンデレだ。ハヤト自身、故郷で経験がないわけではないが、それを軽く凌駕する。
対応から察するに、本気で殺しにくる感じのやつ。レムという人間の本質も一つの理由としてあるだろうが、一番はテンに対しての愛の深さ。彼のことが好きすぎるから、その独占欲も限界を知らずに高まっていくと。
これから先、テンが大変な目に遭いそうな未来を思い浮かべたハヤト。そんな彼にレムは一歩ずつ近づきながら、
「ハヤト君。テンくんを渡してください。レムは少し、確認しなければならないことがあるんです。確認して、事と次第によっては相応の対応をする必要があるんです」
「具体的に聞いても?」
「内緒です。教えません」
淡々と返された言葉にハヤトは「そうか」とだけ。
一応、良くない雰囲気は纏っていないことを確認すると、背中にいるテンが「なにされんだ俺……」と小声で恐怖しているのを聞きながら首だけ振り返った。
振り向く。「渡さないよな?」とでも言いたげなテンが見えた。
振り向く。「渡してください」と言いながら距離を詰めるレムが見えた。
横を見る。「渡しておきなさい」とでも言いたげにレムに顎をしゃくるラムが見えた。
決定だ。
「いってこい」
「薄情者ぉ!」
圧倒的テンに不利な多数決の末にハヤトが判断を下すと、彼がテンの体を思い切り押し出す。
別に死ぬことはないだろうと自分の中で結論づけた彼の行動に迷いはなかった。ただ単に、悪ノリをしてみたいと思ったのは内緒の話。
親友をレムに売るまでの時間がほぼゼロに等しいことに叫んだテン。彼は、両手を広げて「待ってました!」と言わんばかりに目を輝かせたレムの体へと全身ダイブ。
あまりの勢いによろける直前。ふわりとした感触に受け止められると、そのままの流れでレムに抱きしめられる。直後から開始されるのは彼女のスンスン。
テンの胸元に顔を埋め、鼻を利かせるレムは彼の匂いを嗅ぎ始める。数秒と経たずして「ん?」と引っかかったようにまつ毛をピクリと反応させると、更に深く嗅いだ。
彼の匂いを嗅ぐと頭がくらくらして幸せ一色に染まるが、しかし今回は違う。異様な匂いを察知した嗅覚が彼女の確認を促進させる。
「ヤンデレも極まれば一つの愛の形と成る、ってか……」
そんな様子を見ながら乾いた笑い声を溢し、謎の結論に至ったのはハヤト。テンを抱きしめながら彼の胸元に顔を埋めてスンスンするレムは、はっきり言って可愛さしかなく、羨ましいとすら思えた。
尤も。今のような、他の女の匂いが付いていないかチェックする場面でなければの話だが。
「ラム。お前、どんな教育したらあんな妹が完成するんだよ」
「愛の深さが故、と言ったところかしら。愛する人が他の女の頭を撫でたんだもの、女としてあれが普通の
「姉妹揃って同じ意見か」
聞く相手を間違えたらしい。レムもレムなら、ラムもラムだ。その辺においての価値観は全く同じで、口を開けばレムの行動を肯定する発言が返ってきそうな予感しかしない。
目の前。愛する人に甘えるレムを横目にしながら、ラムは顔が引き攣り始めたテンを「ハッ!」と軽快に笑い、
「寧ろ、あの子しか見てあげることのできないテンテンの優柔不断さに呆れているところよ。ラムの可愛い妹を慕って、慕われておきながら別の女に手を出すとか。死んで身の程を弁えるがいいわ」
「手を出したわけではないがな。どちらかと言えば出されてる方」
「似たようなものでしょう」
「違ぇよ。………たぶん」
曖昧な返しで会話を閉じ、ハヤトはため息を一つ。知らない間にレムが救われて、テンと彼女の想いが通じ合っていた事は喜ばしいことなのだが。また別の問題が発生したことに先が思いやられる。
テンとレムとエミリア。この三人の関係性がどのように着地するのか。テンとレムの関係が確定したからもう自分の役目は終わったと思っていたが、実はそうでもないようで。
今すぐにではないにしろ。これから先、エミリアとテンがどうなっていくのか。親友として見逃すわけにはいかない。
先の二人のやりとりを外から見ていて、エミリアの瞳に宿る感情にハヤトは薄々勘づいたのだから。本人ですら無自覚のそれを、ハヤトは感じ取ったのだから。
果たして、テンが気づいているかどうか。
「……やはり、レムの予想は間違ってはいないようですね」
自分達を見るハヤトとラムがそんな会話をしているのを小耳に挟みつつ、テンのことをスンスンしていたレムは己の中で何かしらの結果が出たのか確信めいた風に口角を釣り上げる。
その不敵な笑みはなんだろうか。少なくともレムにとって、不都合な意味合いを含ませていることは分かるテン。
彼は胸に沈むレムの背中を優しく叩きながら、
「なにが間違っていなくて?」
「その件も含めて、あとでお話しがあります。……逃げないでくださいね?」
目が笑っていないレムがそう言って笑うと、テンは「はい」としか言えない。弱々しく、小さな声で、萎縮するように。自分の瞳を一直線に射抜くレムの冷めた視線に、背筋をピンと伸ばした。
お話し——という名の調教じゃないといいなぁ、なんてことをテンは呑気に考える。先程のようなヤンデレム状態は脱したとはいえ、まだ安心できない。
できれば。彼女と二人だけの空間に身を置いた瞬間、それが自分にとって最期の瞬間にならなければいいなと思うばかり。
「それと、しばらくこの体勢でいてください。レムの匂いで塗り替えます」
「何を塗り替え………、はい。好きにしてください」
「いま、どうして私を見たの?」
平然と恐ろしい発言しつつ、テンを抱くレムの両腕に力が込められる。密着していた両者が更に密着するとレムが彼の体を独占し、彼女はムキになったようにむすっとした顔色で見上げた。
発言の意味を理解しようとしたテンの言葉は最後まで続かなかった。否、続けようとする前にエミリアが視界に映り込み、色々と察する。何を塗り替えるのか。そして、どうして匂いを嗅いだのか。諸々察したのだ。
エミリアは分かっていない。「ん?」と可愛らしく小首を傾げる彼女は、自分のことを見てきたテンに対して、疑問符を頭の上にいくつも浮かべている。
きっと、自分はこれからレムに絞られるのだろうと。そうやってテンは、この一連の流れで心に飛来した感傷を断ち切ると、レムの体を軽く抱き返しながらエミリアに温かな視線を届け、
「なんでもないよ。エミリアは悪くない。俺が甘やかしたのが悪い。俺が悪い。俺のせいだから。もうね、ぜーんぶ俺が悪いの。俺がもっとちゃんとしっかりした男だったらよかったのにな」
「今更だな。遅ぇよバカ」
「今更ね。死になさい」
「今更です。もっと強く抱きしめてください」
「……今日は一段と刺さるなぁ」
使用人四人が送る、ドタバタほのぼの劇が静かに幕を開けるのと同時に突き刺さった言葉の刃に、テンは「開始一発目からこれかよ」と薄く笑う。
人が本気で過去の自分が犯した罪と向き合っているのに、この三人は茶化してくる。軽口なのか本気なのか、両方だろう。
これは、本気でもあり軽口でもある親密度の高さが絶対条件の掛け合い。簡単に成立するのは、四人の関係値が高いことに他ならない。
そう言いながらも、三人はテンが目の前の人と真摯に向き合える人ということを知っているし。テンは、三人が自分という人間の『今』を真っ向から受け止めてくれる人達ということを知っているから。
だからこそ、今のやりとりが成立するのだ。お互いをよく理解しているから、茶化し合える。事実として、レムは未だにムスッとしているものの、他二人の表情は穏やかだ。
目が尖ったハヤトも、人間のゴミを見るような目つきのラムも。表ではその様相だけれど、その裏では穏やかな顔色をしている。
「ボクとしては、ちょっと複雑な気持ちになっちゃうかも」
ほのぼの。と思っていいのか微妙な空気が漂い始める中、そう言ってテンの視界の中を泳ぐのはパック。
呑気そうな態度でエミリアに近づく彼は、テンの心と自分の心をつなぎ合わせると、
『今はいい。君にもリアにも問題は山積みだからね。でもその代わり。その時が来たら、ちゃんと向き合ってあげてほしい。あの子が君のことをどう思っているか、まだ定かじゃないけど……もし、
『まだ俺、レムのことで一杯一杯なんだけど。俺が二人も支えられるような器に見える? 自分の至らなさなんて自分がよく分かってるつもりだけど』
『分かってるさ。一応、念のため、言っただけ。そうならなかったら別に忘れてもらっても構わないよ。というか……そうなる、の意味……分かるのかい?』
『俺はもう、前の自分は卒業した。とだけ言っておきます。………いつまでも子どもじゃいられないしさ。疑心の範囲だけど、ぼんやりとだけなら分かるよ』
『そっか。ならいいんだけどさ。言っとくけど、ボクの愛娘を悲しませるような真似をしたら、ボクはついうっかり君を粉々にしちゃうかもしれにゃいから、気をつけね』
『何をどう気をつけろと』
『早く器を完成させろ、ってところかな。人としての更なる成長を君に期待してるよ』
重すぎる期待をテンの背中に乗せ、それを最後に、パックとのやりとりは途絶える。
敢えて口ではなく心の中だけで話しかけてきたところ、今のが口に出していい内容ではないと間接的にテンに伝えているのだろう。勿論、彼もそれには気付いた。
そして今、さも当然のように行われた摩訶不思議なやりとりの形、パックという大精霊が保有する能力——念話を使用したことにテンは内心驚いていたり。
簡単に説明するならば、心の声で会話をすることを可能とする能力。自分達の会話を外に漏らさず、会話を成立させる能力。余程の力の差が無いと成立しないのだが、その差がテンとパックの間にはあるために成立し、その会話に至った。
話には聞いていたが、実際に行ったのは割と初めてのことで。それでも咄嗟に適応できたのは状況対応能力の向上があったからか、どうなのか。
「テンくん? 心ここに在らずな様子ですが、どうかされましたか?」
「……いんや、なんでもない。ちょっと感傷に浸ってただけ」
テンの抱擁を受けることで、ヤンデレムの残存が薄れつつあるレムに見上げられたテン。彼は心配そうな彼女の額を胸に押し付け、後頭部を優しく撫で下ろした。
本当に色々と、頑張らなくちゃいけない。レムのことも、エミリアのことも。自分自身のことも。
自分が積み重ねたことだから、それを無視することなんて無責任で。彼女がレムと同じようになる日が来るのだとしたら、そんなことがあるとしたら、キチンと話す必要がある。
レムに告白すると言った手前、何を言っているのかと自問自答するけれど。お前はレムのことだけを一心に想うべきだと声が聞こえるけれど。別の子の事を受け入れる余裕なんてあるのかと叱咤するけれど。
起こってしまったことは変えられないから。自分の甘さが招いた想い——————かもしれないから。現実逃避だろうか。違う、曖昧なだけだ。
いつかそれがハッキリする日が来たら。パックが話していた『その時』が来たら。全てが明らかになるのだろうか。
いや、今は考えないようにしよう。
そんなこと絶対にダメだけど。今は、レムと向き合う時。彼女との関係を前に進めるために、彼女だけを見るべき。
未来ばかりを想像して、今を疎かにするなど愚行もいいところ。自分が真に熱を注ぐ相手はすぐ近くにいるだろう。今まさに、胸元で頬を擦り寄せている少女だろう。
今の自分が誰を好きでいるのか。それを忘れるな。「今はいい」と、パックがそう言ったのはそういう意味のはずだ。
今はその子と向き合えよ、と。
『まぁ、君が一途かどうかは置いとくとして。ボクは、自慢の愛娘を今の未熟すぎるテンに任せるつもりなんて一欠片もにゃいから。娘は絶対にやらないよ。そこんとこ、勘違いしないようにね』
『しませんよ。つか、いつまで繋いでんだ』
『君の考えを常に把握しておきたいから、ずっと繋いでいようかな』
『それだけはやめろ』
話の切り方が悪いですが、今回はここまで。これ以上進むと、また文字数がエグいことになるのでね。一万文字程度が丁度いいんですよ。
どのタイトルが気になりますか?
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雷の鳴る夜に
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(ソラノ・)レムの幸せに溢れた日々
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お酒少女達には勝てない
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恋人っぽいこと
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ありふれて、ほのぼのとした一日