親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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このお話でこの小説に『エミリア』のタグが付くことが確定します。自分で書いておきながら関係が難しい。テンの器が女の子一人分の器ということもあって尚更。

今回のお話。前回同様、現時点で書く必要あったかな?と思わなくもないです。勿論、理由はあるんですけどね。

テンとレムの二人を見た直後のリアルな心境を書いて。敢えて今、未熟なテンと向き合わせてみたいなぁ、なんて思ったりしたんですよ。敢えて険しい道を今のテンに強制させました。鈍感系主人公がどれだけ都合のいい存在だったか、なんとなく知った気がします。

読む方によっては色んな方向で批判が生じるかもですが、とりあえずどうぞ。





一人分の器に二人分の想い

 

 

 

 

瞳の先に広がるのは、この世界にどこまでも続く雄大な空色。場所によって様々な表情を見せる、広い広い大空。汚れなんてひとつもない、清々しい光景。

 

夜明けの気配が完全に抜け切ったそれは、世界を見下ろす太陽の光を浴びて澄み渡っていた。暗がりの残存は消え、目に優しい色のそれは眺めていて気持ちのいいもの。

 

空色一色に塗られた空の海を泳ぐ、大小様々な雲。穏やかに、静かに、たまに吹くそよ風に揺られてゆっくりと流れながら、世界を見下ろしている。

 

見上げると、ふとした瞬間から意識が吸い込まれそうになる。芝生に寝転がって、空を眺めて、ぼーーっとしていると、ふとした瞬間から脳裏に過っている男の子がいる。

 

それは、自分のことを初めて普通の女の子として扱ってくれる男の子。

 

それは、自分が初めて一緒にいて心の底から幸せだなと思える男の子。

 

それは、自分にとって初めて心を真に許しても良いと思える男の子。

 

自分のことを、自分として見てくれる。自分の姿なんかじゃなくて、そんなの気にしなくて、自分という人格者と真正面から向き合って、親しく接してくれる——そんな男の子。

 

胸に手を当てる。鼓動がうるさかった。

 

どうしてだろう。彼に頭を撫でられてから、彼のことが頭から離れていかない。彼の姿を脳裏に描いて、どきどきしてくる。

 

どうしてだろう。近くにいると、彼のことを目で追っている。変な女の子だと思われちゃうから見ないようにするのに、勝手に引き寄せられる。

 

どうしてだろう。彼に頭を撫でられた時、とても安心して、もっとしてほしいと望む自分がいた。それ以上を望む自分が心の奥底にいた。

 

どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。

 

どうしてだろう——彼に抱かれる彼女を見ると、ひどく切なくなってくるのは。心が、すごく痛くなってくるのは。どうしてだろう。

 

この痛みは一体————、

 

 

「や。リア。微精霊とのお話は済んだのかい?」

 

「あ……、パック」

 

 

名を呼ばれ、自分の心の中へと沈んでいた意識を引き上げながら自分——エミリアは起き上がる。少しだけ芝生に横になっていた彼女はふわふわとこちらによってくるパックを見た。

 

いけない。彼のことを考えて意識がフワついていた。微精霊とのお話が済んだ後はパックの毛づくろいをしないとなのに。

 

テンがよくやってて、気持ちよさそうだったから、ちょっとだけ寝転がろうかな、なんて思っていた。

 

反省。脳裏にこびりついて離れない男の子のせいで鼓動がうるさいが、毎朝の日課を欠かさない彼女は正座して灰色の猫を膝上に招いた。

 

 

「リアが芝生に寝転がるにゃんて珍しいね。もしかして、ボクの愛娘に、ボクが知らない間にくっついた悪い虫の影響だったり? 誰だいその男は。いいよ、ボクが追い払ってきてあげる」

 

「テンはそんな人じゃありません。そんな風に言わないの」

 

 

やる気満々に腕をぶんぶん振り回すパックの頭を人差し指で軽く小突く。家族間の親しげなやりとりを終えると、「もぅ、パックったら」と言って微笑み、膝の上に座ったパックの毛並みをエミリアは整え始めた。

 

一撫で一撫でを丁寧に終える彼女の動きは優しく、揃えた指先で彼のさらさらした毛並みを整える姿どこか真剣そうで、けれど穏やかで、なんとなく屋敷を見て、あの中にテンがいるのだと意味もなく考えて、それだけで一つの絵になっている。

 

パックからすれ見慣れた光景で、感じ慣れた感覚。静かで、邪魔の入らない、温かなひと時。自分の愛娘が勉学に励むことに頭を悩まされない唯一無二の美しい時間を彼は娘と堪能する。

 

くすぐったそうに目を細め、この感覚が気持ち良いんだよねーーなんてことを思いながら、徐々に撫でる指の速度が落ち、最後には完全にピタリと停止しているのを不意に感じ、

 

 

「——リア?」

 

 

異変に気づいた。

 

一定の間隔で毛を撫でる指先の感覚が消失している。普段ならばあまり感じない感覚に、気になったパックがその名を呼びながら空と仰ぐようにエミリアを見上げる。

 

彼女の目は遠くを見つめていた。厳密には、視線の先にある巨大なロズワール邸を見つめていた。実際に彼女がその建物を見ているかなんて考えるまでもないが。

 

ぼーーっとしている、と言うべきか。心ここに在らずな様子。眼下にいる自分を差し置いて、彼女の心は別の何かに向いているようで。

 

何か。否、誰か、だろう。パックには一瞬で理解できた。

 

 

「テンのことを考えているね」

 

 

確信めいた風に穏やかな声で言い、パックは浮かび上がる。毛づくろいを中断することにした彼はエミリアと屋敷の間に割り込むように視線を遮った。

 

眼前に浮かぶパック。不意なそれにはっとするエミリアは一瞬だけ隠そうとする挙動を見せたものの、彼の前ではその必要もないと思ったのだろう。

 

「うん」と、素直に認めていた。真剣で穏やかな顔つきに困惑の色が浮かび上がる彼女は軽く目を伏せ、

 

 

「どうしてか分からないけど、テンに頭を撫でられてから、テンのことが頭から離れていかないの。離れようとしても、やっぱり考えちゃうの」

 

 

胸に溜まったもやもやを発散するつもりでおずおずと語り出し、エミリアは声を潜める。

 

この場には自分とパックしかいないのに、その必要もないのに、誰かに聞かれるととても恥ずかしいから。テンに聞かれると、もっと恥ずかしいから。

 

口を開かないパックは黙って聞く姿勢だ。娘が心を打ち明けてくれるのなら、いくらだって聞こう。

 

 

「考え出すと止まらなくなって、胸がぎゅーー!ってしてズキズキして、今みたいになってる。さっきもね、そうやってぼーーっとしちゃってた」

 

 

もうずっと、心が孕んでいる想い。

 

彼が自分に腕輪を贈ってくれた日から彼のことを理由も分からないまま気にかけて、そうしているうちにいつの間にか感じるようになった想い。

 

本当に分からない。どうして自分はこんなにも彼のことを気にかけてしまうのか。分かろうとするのに、理解に至らないから分からない。

 

だから自分は、あの悲劇の夜に凄まじく苦しんだのだと思う。彼が、遠くに行ってしまいそうな気がして、とても怖くなったから。

 

 

「どうしてかな。テンを見てるとすごーく胸の中がうるさくなって、苦しくなって、辛くなって、でも安心してくるの………どうしてかな」

 

 

自分が彼に心を許しているからだろうか。

 

正しいのかもしれないけれど、それ一つだけとはとても思えない。彼の近くにいたいと、そう思えてしまう自分の心は、それだけでは説明がつかないことはもう分かっている。

 

本当に、この気持ちは何なのだろうか。もどかしく、焦ったく、我慢していなければテンに全部ぶつけてしまいたくなる——この胸を温かくしてくれる気持ち。

 

 

「パック。私ね、テンが深い眠りについて、テンが……私の傍にいてくれなかった時間を過ごして、一つだけ分かったことがあるの」

 

「なんだい?」

 

 

次第に頬が赤く染まり始めたエミリアを見ながらパックは小首を傾げる。

 

純粋で穢れのない愛娘の初々しい様子を目の当たりにし。複雑そうに、けれど嬉しそうにネコミミを僅かに反応させる彼に彼女は「あのね」と、

 

 

「私、今の今まで、テンにたくさん甘えちゃってたの。テンがたくさん甘やかしてくれるうちに、私自身が……テンに自分から甘えに行ってた。……テンがいなくなってからすごーーーく寂しくなって、それを思い知ったわ」

 

 

彼と過ごした何気ない日々が、どれだけ素敵だったのか。彼に名前を呼ばれることが、どれだけ幸せなことだったのか——その中で、自分がどれだけ彼に甘えていたのか。

 

自分の中のソラノ・テンという存在がどれだけ大きなものだったのか。一時的にではあれど、彼を失ってから初めてその大きさに気づいた。当たり前の存在が、どれだけ大切なのか。

 

それどころか、どんどん膨らむばかり。大きくなって大きくなって、止まることを知らない彼の存在はいつしか自分の中でかけがえのないものになっていた。

 

彼はもう、自分の隣にいなくちゃいけない人として自分自身に認知されている。いなくなったら、とても苦しい人として位置付けられている。

 

 

「それでね。テンが起きた姿を見た時、どうしようもなく嬉しくなって、気がついたら走ってて……テンに抱きついてた。自分が自分じゃなくなったみたいに、自分を抑えきれなかった」

 

「だから、あんな風に怒ったりしたの?」

 

「うん。そうだと……思う。テンがいない中で溜め込んできたものがいっぱい出てきちゃって、テンにならぶつけてもいいかな、って。テンは私のこと……ちゃんと受け止めてくれる人だから」

 

 

上擦った小声で言い、コクリと頷くエミリアが風船が萎むような萎縮をパックの前で見せる。俯き、肩をすくめる彼女は気がつけば耳まで赤く染まっていた。頬が真っ赤なのは言うまでもない。

 

エミリアにとって無理解な感情の答え合わせが今まさにパックの目の前にある中、その時のことを語った彼女はふと思い出すように、

 

 

「レムを見てるとね、ちょっとだけ……いいな、って思えちゃったの。私もあんな風にテンに抱きしめられたいな………って。おかしいよね、変だよね、こんなの。でも、レムを見てるとすごーく変な気持ちになってくるのは確かで……もう、よく分からないよぉ」

 

 

弱々しく言い、エミリアは体を抱く。生まれて初めての感情に四苦八苦し、訳の分からない苛立から声にならない声で唸り声を一度だけ喉の奥で鳴らした。

 

テンに抱きしめられているレムを見ると、胸がざわざわする。ざわざわして、次第にチクチクしてくる。この想いを小針で刺され続けるような、むず痒い痛みがずっとする。

 

本当に意味が分からない。分からないのに、感じてしまう。レムを見ていると、羨ましくて、妬ましくて、自分もあの場所にいられたらいいのに、なんて邪な考えが心を支配する。

 

いけないと思うのに。邪魔しちゃいけないと思うのに。それでも、彼のことを強く求める自分が自分の中にいる。手を伸ばしてしまいたくなる。でもそれはレムに迷惑で、だから抑えなくちゃいけなくて。

 

ぐちゃぐちゃで、ごちゃごちゃする。

 

おかしい。こんなの自分じゃない。テンと出会う前の自分とまるで違う。彼が、彼が自分をこんな風にしてしまったのだろうか。

 

 

「私、どうしちゃったんだろう。本当に、本当にどうしちゃったんだろう……」

 

 

言い、正座を崩したエミリアは表情に影を作りながら抱え込んだ膝に額を押し付ける。

 

テンが目覚めてから色んな感情が一挙に爆発して、テンに頭を優しく撫でられて、テンに甘えるレムを見て。

 

それからこの胸の中で暴れ回る無理解の感情が自分を自分じゃなくしていくような歪な感覚を齎していることに、とても不安感を覚えてしまっていた。

 

 

 ーーこれは、もう確定かな

 

 

正座を崩し、膝を抱える目の前のエミリアの頭を撫でながらパックは己の中で思う。

 

分からなかったわけじゃなかったけど、答え合わせは遠い先になるかもしれないと思っていたけど。それを今、本人の態度で察した。

 

彼女がテンに抱きしめられるレムを無言で見つめていたのは知っていたが、まさかそんなことを考えていたなんて。読みが甘かった。単に羨ましいだけじゃなかった。

 

エミリアはテンのことを慕っている。それも、ずっと前から。彼女自身も分からない程に前から、それが今日の出来事を発端として爆発的に膨れ上がって、表に出てきた形だろう。

 

どう思っているか定かじゃないけど。なんてことをテンに言った手前、こんなにも早く答え合わせが来るとは思わなかった。もう少し後回しにしても——なんてことを考えていた数分前の自分が憎たらしい。

 

どうすればいい。自分はなんて言えばいい。

 

きっと、今ここで自分が彼女に掛ける言葉次第で今後の未来が大きく揺らぐ気がしてならない。確証なんてものはないけど、そんな予感がする。軽率な発言は避けるべきだ。

 

ならば、自分はなんて言えば———、

 

 

「そんな風に不安がる必要はないとボクは思うよ。その反応はおかしくなんてない。女の子として真っ当で、実に正常な反応さ」

 

「——パック?」

 

 

 ーーごめんね、テン。リアの気持ちも、しっかり受け止められるような立派な器になってね

 

 

そう、心の中で気休め程度にテンに謝りながらパックは告げる。

 

今はまだ未熟で、預ける気なんてさらさら無いけど。意図せずにここまで娘を惹きつけてしまったのだからその責任はとれよと。とれるくらいの器になれよと。

 

他の誰よりもエミリアのことを理解する彼は、どんな時でも自分の愛娘の心を優先する。それは、今も同じだ。阻害するような真似はしない。

 

優しく語りかけてくるパックにエミリアは顔を上げる。その、自分のことを宥めるような顔つきの彼は息を溢すように微笑むと、

 

 

「初めての感覚だから、ちょっと混乱しちゃってるんだね。まずは目を瞑って、何回か深呼吸してごらん。そうしたら落ち着けるはずだよ」

 

「……うん」

 

 

言われた通りエミリアは目を瞑り、胸を大きく膨らませながら深呼吸。そうすると、自然と高鳴っていた鼓動が静まっていくような安心感を得た。

 

一度では足りないから、二度、三度、四度、五度目を終えてようやく静まり。ゆっくりと目を開けると、視界にいたのは見ていて安心してくるパックの姿。目を合わせると、ふわりと微笑みに微笑みを重ねてくれた。

 

 

「落ち着いたかい?」

 

「うん、大丈夫。ごめんね」

 

「謝ることなんてないよ」

 

 

「うんうん」と、頷くパックがゆったりと笑う。それが不安がる自分を安心させようとしてのことなんてエミリアは知っているけど、それでも自分の家族の笑みを見ると、不思議と安心してくる。

 

現に、五回の深呼吸とパックの笑みで心を落ち着けたエミリアの表情に影は無かった。テンのことを考え出すと様々な感情が途端に荒ぐけど、今はもう大丈夫だ。

 

 

「リアのその感覚は、リアがテンに対して本当の意味で素直になろうとしてることの裏返しなんだよ。きっとね。だから普通のことだよ。変なんかじゃない」

 

 

落ち着いた彼女にパックは話し始める。眼前でふわふわと浮いたまま、紫紺の瞳から刹那たりとも視線を外さぬまま。

 

今まで一度も感じたことのなかった感情にどうしたらいいか分からず、不安と戸惑いを隠せない愛娘に寄り添うように。

 

 

「私が、テンに? 本当の意味で素直に……? どういう意味? パックは何か知ってるの?」

 

 

パックが何を言いたいのか理解しようとしても分からず、けれど何か知っているような口振りの彼にエミリアは答えを求めるような声色で銀髪を揺らしながら顔を近づける。

 

興味深々、というべきか。自分の心を強く悩ませる原因の究明に必死になる彼女に、パックは少しばかり困り顔。ここは親として適切な対応をしなくてはと頭を働かせる。

 

それを言うべきか、言わぬべきか。「んーー」と眉間に皺を寄せながら口元に手を当てる彼は、頭の中の議論が完了するまでの時間稼ぎをすると、

 

 

「リア自身が、自分の力で、それを理解しないとあんまり意味がないと思うから。ボクの口からは伏せておこうかにゃ」

 

「なにそれ、すごーくいじわる」

 

 

口の前で両腕を交差させてばつ印を作り、自分の口から多くを語らないことを告げたパック。彼は「教えてくれてもいいじゃない」と拗ねるような態度の娘に、にこやかに頬を緩ませる。

 

正直、パック自身もどっちが正解なのか分からない。言った方がいいのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、言ったところで理解できないと思うからこの場では伏せさせてもらった。

 

それに、テンも今は()()だけに集中したいはず。心を通じて会話したように『今はいい』と、自分はテンにそう言ったのだから。中途半端な気持ちで彼女と向き合ってほしくない。

 

その代わり、色々と落ち着いたら娘の気持ちとも向き合ってほしい。今は時間を与えるから、その時間が尽きたとき、彼女のように真摯な気持ちで考えてほしい。

 

それが今この瞬間でのパックの思いだった。テンからすれば本当に大変な事だと思うけど、これは彼が始めたことなのだから。こうなろうとしてなったわけじゃなくても、実際になっているのだから。

 

申し訳ないとは一ミリたりとも思ってないが。せめて、ギスギスしないでほしいとは願っておく。

 

 

「ねぇ、パック」

 

「ん?」

 

 

切なる願いをテンに込める中、名を呼ばれたパックは意識を浮上させながら首を傾げる。自分の思いを彼女に悟らせまいとする彼は自然な笑顔を保ったまま、心の中で開いていた思いに静かに蓋を乗せる。

 

そんな彼にエミリアは弱気な様子で「テンのことなんだけど……」と、

 

 

「私、これからどうやってテンに接していけばいいのかな。その……レムはテンと二人だけで過ごしたそうな雰囲気だったし……私、テンに甘えてちゃ、邪魔なんじゃないかな……って」

 

 

左右の人差し指をちょんちょんと合わせながら、エミリアはチクリとする想いを口にして、哀しい目をしながら声を沈ませる。テンの事となると遠慮と我慢という単語を一時的に忘れる彼女にしては、控えめな雰囲気だった。

 

その理由は勿論、レム。テンに甘える彼女を無言で見つめ続けているうちに、自分は邪魔なのではないかと、不意に考えてしまっていた。彼を独り占めするような雰囲気を、なんとなく察してしまったのなら尚更。

 

今までのように接して(甘えて)、それでいいのだろうかと。自分は、彼女にとっては目障りなのではないかと。自分の存在が、要らないものなのではないかと。

 

察せたのはどうしてだろうか。それはきっと、自分も同じ想いを抱いたことがあるからだ。彼は自分だけの騎士で、誰にも渡さないと思っているからだ。

 

的外れな察しかもしれないけど、そう思ってしまったエミリアは遠慮という言葉をテンに対して——厳密にはレムに対して使おうとしている。

 

その事実に、パックはどうしようもなく胸が締め付けられる。

 

自分の娘は、育ってきた世界から向けられる辛辣な言葉が言葉だったために、自分が邪魔だと言われたら、無理やり受け入れて背を向ける女の子だから。

 

遠ざけられて、遠ざかられて、それが当たり前になって。それが彼女の中での『普通』になって。自分の気持ちを押し殺して押し殺して押し殺して、そうするかないと諦めてきた女の子だから。

 

でも。そうだったとしても。やっと、そうしなくてもいい存在と出会えたのに。彼女自身が自分を表に出せる、心の底から信用できる存在がすぐそこにいるのに。

 

また、押し殺さなくてはならないのか。人間関係という、時間をかければ解決できる問題一つで、彼女が背を向けなければならないのか。遠慮しなくてはならないのか。

 

 ——否。断じて、否。

 

 

「リアの接したいように接すればいいと思うよ。今まで通り、リアなりの距離感でいればいい」

 

「でも……。ほんとうにいいのかな。私なんか、レムの邪魔しちゃって……」

 

「確かに今は、あの青髪のメイドさんにとってはそうかもしれない。けど、テンは甘えるリアを否定するような人じゃないことくらい、リアは知ってるでしょ?」

 

 

「だって、彼は甘い男の子なんだし」と。過去を回想し、エミリア一人が不憫な思いをすることは許さない意志を、パックはほのぼのとした態度で隠しながら緩々と語る。

 

頭の後ろで手を組む彼は、彼女から隠したその手を力強く握りしめた。表情も、声色も、態度も、エミリアに向けるものはいつも通りに。でも、隠れた部分でだけは我慢し難い憤慨を露わにして。

 

 

「テンはリアのことを毛嫌いしたりなんてしない。絶対にしない。今は難しくても、時間を置けば大丈夫だよ。うん。絶対に大丈夫。だからリアはいつも通りでいいんだ」

 

「でも——」

 

「それにね」

 

 

くっつけていた人差し指が折り畳まれると、拳をぎゅっと握りしめたエミリアが反論を割り込ませようとする。

 

それを押さえつけたパックは言葉を紡ぎかけ、不意に何かに気付いたようにネコミミをピクリと動かすと背にする屋敷へと振り返った。

 

それからニヤリと笑い、

 

 

「あの子はきっと、なんとなく()()()()()と思うから。あの子なりに頑張ってくれるよ。大変かもだけど、やるときだけはやる子だから。リアの想いは捨てさせない。遠慮もさせない。そもそも、そんなのボクが認めない」

 

 

テンに対する信用を口にし、振り返った彼の瞳に映るのはその人物。どうしてこの場に来ようとしているのか。彼は部屋で大人しくしてるという話だったが、どうやら来たらしい。

 

相変わらず行動の読めないその人が、普段から自分が愛用する刀の鞘を杖にしながらこちらに向かってきていた。一歩ずつ、よれよれしながら。

 

パックの視線をなぞるエミリアの紫紺の瞳にも映ると彼女から「ぁ」と小さく声が漏れ、「どうしてここに……」と呟かれると途端に立ち上がり、動き始める。

 

その人の元へと小走りで一直線。立ち上がる刹那で躊躇が見られたが、無理やり振り切るように駆け寄るエミリアに迷いは感じられない。それ以上に、心配する気持ちが勝っていた。

 

その人物。特に細かく語るまでもない、テンだ。なぜか服が皺だらけになっている、テンだ。

 

 

「よ。さっきぶり」

 

 

手の届く距離まで近づいたエミリアにテンは呑気そうに手を振って、のほほーんとした態度でにこやかに笑う。

 

軽めの挨拶。普段ならエミリアも適当に返すが、僅かに息を切らす彼女はそれに付き合う気もない。心配そうにテンの体を見る彼女は手をばたつかせておたおたしながら、

 

 

「どうしてここに? だって、部屋でおとなしくしてるはずじゃ。それに、レムは? さっきまでテンと一緒だったはずなのに。えっと、だから、その……とにかく、どうしてここに来ちゃったの?」

 

「なんでそこまで焦ってんのか知らないけど。まぁ、なんの意味もなく部屋から抜け出したわけではないんですよね」

 

 

言い、支えとして立てていた鞘に掛けていた体重を後ろに倒すテンは、膝から崩れ落ちるようにどかっと芝生に座り込む。

 

「ふぅ」と疲労感を含ませた吐息を溢すと額から一滴だけ流れた汗を拭い、こちらを見下ろすエミリアを見上げた。

 

直後。さっと視線を逸らした彼女に違和感を感じつつテンはポケットに手を突っ込むと、

 

 

「はいこれ。返すよ」

 

 

差し出された右手にエミリアの視線は勝手に引き寄せられる。外したくとも、やっぱり外せなかった。

 

戻した視線の先にあったのは腕輪だった。数ヶ月前、王都に行った時、テンが自分のために買ってきてくれた、『人生初の贈り物記念日』となった日に渡してくれた絆の証。

 

そういえばそうだった。あの夜に彼の無事を祈って渡したんだった。なるべく早く返してもらうはずだったのに、あれから色々とありすぎて完全に頭から抜けていた。

 

 

「朝のうちに渡しておかないと、時間が取れそうにないと思ってさ。それに、今ならエミリアが被害に遭わずに済むし」

 

 

何の被害に遭うのか。分からなくもないエミリアは「ほら、受け取って」と促されるがままに、恐る恐るといった具合で差し出された手を取るように腕輪を手に取る。

 

久しぶりに帰ってきたそれは、よく手に馴染んでいた。

 

 

「じゃ、俺は部屋に戻るよ。エミリアと二人でいるとレムに怒られる。部屋から出たとバレたらより一層のこと怒られる。多分、次は監禁される。その次は拘束されて。恐らく、最後には殺される」

 

 

「あははー」と、感情の欠落した声で薄く笑い、「いや、笑い事じゃねぇから。マジで」と思い詰めた表情で苦笑。

 

側から見れば喜怒哀楽のネジがぶっ飛んだ人に見えるテンは、自分の勢いに意識が追いつかず呆然とするエミリアを他所に鞘を支えにしてゆっくり立ち上がると、

 

 

「流石に予想外だったよ。まさか、レムがあそこまで独占欲が強いとは思わなかった。触れる女の子の全てに殺意を向ける勢いだぜ、あれは」

 

 

上がった呼吸を数回の深呼吸で整えながら戦慄気味に呟く。

 

エミリアの匂いが消えるまで甘えられる過程で「次、頭を撫でたら刺します」と平然とした声で言われたのは冗談抜きで怖かった彼は服についた草をぱっぱと払い、

 

 

「まぁ、それも今だけだと思うけどね。ちょっと、今まで溜め込んできた分が爆発して、色々と暴走してるだけ……と思いたい。でなきゃ、俺の命が本格的に危ない。エミリアとも普通にお話しできなくなっちゃうしさ」

 

 

「んじゃ、またあとで」と。

 

言いたい事とやりたい事だけやってさっさと帰る雰囲気の彼はそう言うと、レムに無断外出の事実が発覚されないうちに部屋へと戻るためにエミリアに背を向けた。

 

どこか、様子がおかしいエミリアに不信感を抱きつつ、けれど指摘せぬまま歩き出す。特に会話を弾ませることもなく、自分とエミリアの身の安全を最優先に考える彼は唐突に現れて、かと思えば嵐のように去っていく。

 

その後ろ姿をエミリアは見ているだけだ。勢いに流されて一言も発せずに別れるこの状況を、黙って過ごしているだけだ。

 

いつもなら追いかける場面で、自分の足は動かない。どんどん、どんどん、彼の背が遠ざかっていく。なのに、足は動かない。

 

 

 ーー本当に、それでいいのだろうか

 

 

ふと、自分の内側から反響した声に呆然としていたエミリアの意識が叩き起こされる。心の整理がついていない状態でテンと接して、それで終わるはずだった彼女の心がそれはダメだと声を上げた。

 

邪魔しちゃいけないと思っていても。そうだと頭では理解していても。それでも、あの背中を追いかけたいと一心に思う心が自分の胸を途端に熱くさせる。

 

ふつふつと、湧き上がってくるものがあった。

 

 

「追いかけなくていいの?」

 

 

次に聞こえてきたのはパックの声だった。自分達のやりとりを黙って見ててくれたのだろう、肩に乗っかる彼は自分の顔を、不満そうに目を細めて覗き込んでくる。

 

しかし、今のエミリアの意識には止まらない。苦しいぐらいに痛む胸に手を添える彼女は、渡された腕輪をぎゅっと握りしめながら遠のく背中をじっと見つめているだけ。

 

動くか。動かないか。掴むか。掴まないか。今、エミリアの中にはそれしかない。

 

レムのために遠慮しなくちゃと思う反面、我慢できない自分の気持ちを全面的に押し出したいと思う気持ちもあって。

 

彼の姿を見た途端から熱を宿した無理解の想いが自分を自分じゃなくしていく感覚に、心を支配されそうになる。

 

抑え込むのに、抑え込めない。今までできていたそれが、彼に対しては無理だと理性と本能が拒否している。

 

その分からない想いを抑えてはダメだと。抑えたくないと。でもやっぱり自分がいたら邪魔なんじゃと思えてしまって。

 

 

「……でも、そんなのやだよ」

 

 

もやもやする。むかむかする。むずむずする。ちくちくする。どきどきする——前のようにテンと接することができないと思うだけで様々な無理解が心の中で暴れ回って、抑えきれない。

 

本当に自分はどうしてしまったのだろう。少し前まではこんな風に思うことはなかったのに。あったとしても、こんなに苦しくなることなんてなかった。

 

テンとレムを見てからだ。あの二人を見てから、どうしようもなく苦しくなってくる。

 

それもこれも全部、テンと今まで通りに接することができなくなるかもしれないという考えが拭いきれないからで。ならもういっそのこと、本人に聞いてみようと思うけど。

 

もし、もしも、それで彼に拒否されてしまったら。そんな考えが躊躇を生じさせる。決して、彼を信じていないわけではない。そんなわけない。

 

けど、でも、だけど、それでも———、

 

 

「浮かない顔してるね。どーかしたの?」

 

「ーーーっ!」

 

 

不意に鼓膜の中で弾けた声に、エミリアは知らぬ間に俯いていた顔をグンと上げる。上げた視界、狭まっていた世界が開けた時、肩を跳ねさせてはっとした彼女が見たのは、心配そうな表情のテン。

 

いけない。これで三回目だ。彼のことを考えていると周りが見えなくなる。お陰で、彼が戻ってきていることに気づかなかった。それ以前に、帰ってくると思わなかった。

 

急なテンの接近に驚き、隣のパックは気付いていたのか——などと思う暇もなくエミリアは咄嗟に三歩ほど距離をとる。

 

 

「驚かせてごめんね。なんか……少しだけさっきのエミリアに違和感があったような気がしてさ。ちょっと戻ってきました。……俺がなんかしちゃったんなら謝るけど。俺、なんかした?」

 

「あ、えっと、そんなのじゃなくてね。ちがうの、ほんとにちがうの。テンのせいじゃないの。わたしのせいというか、なんていうか……」

 

 

驚き、自分のことながらに彼から距離をとったことが衝撃的なエミリアが慌てふためきながらテンに詰め寄る。否定の意思を強く見せたいのか、両手を横にぶんぶん振った。

 

その慌て様にテンは訝しげに目を細める。絶対になんともなくない反応、やはり自分が知らない間に彼女の気に障るような真似をしてしまったのではないかと。

 

そんな彼の目の前にいるのは、瞳を泳がせながら口籠るエミリア。言いたいことをはっきり言えないのだろうと彼に思わせるエミリアは、敢えて言葉にするなら、もじもじしている。

 

全く思い当たる節がないテン、言いたくても言えないエミリア。そんな二人を焦ったく思ったパックは二人の間にわざと入り込み、両手を上げて注目を集めると、

 

 

「リア。もうこの際だから思い切って聞いちゃいなよ。聞いた方が絶対ラクになれる。テンのこと、信じて話してみようよ」

 

「ーーーー」

 

「……なんか、大事な話?」

 

 

エミリアの額に手を当て、安心させるように笑いかけるパックに彼女は沈黙。話し出すきっかけを作られた彼女にテンは首を傾げる。

 

腕輪を渡すだけのはずが、なにやら良くないタイミングで彼女の場所に来てしまったらしい。掠れた声で「うぅ……」と、葛藤の声を弱く鳴らす彼女の顔は苦しそうに見えた。

 

それでも、彼女の中で何かしらの踏ん切りがついたのだろう。テンを前にしたエミリアは背中に回ったパックに背を押され、逃げ場がないことを悟ると「うん」と一人でに頷き、

 

 

「あ、あのね! テン!」

 

「はい。なんですか」

 

 

大事そうに包まれる腕輪を握りしめ。一歩、歩み寄り。うるさいくらいに高鳴った鼓動を感じながら。声の勢いで誤魔化し。ふわっとテンに近づくと、

 

 

「その……さっきのレムとテンを見てたらね。テンにぎゅーー!ってされるレムを見てたらね。あの……わ、私が……じゃ、邪魔なんじゃないかな、って、思えちゃって……」

 

「え?」

 

「ほら! 私ってずっと前からテンに甘えっぱなしでしょう? テンが甘やかすのが悪いと私は思ってるんだけど、寧ろ、それしかないと思うけど、それでも私からテンに甘えにいっちゃってる回数の方が多い気がして、それで、それでね、レムのことを見てたら、それもやめた方がいいのかなって思って、でも、私はもっとテンとたくさんおしゃべりしたくて、甘えたくて、前みたいにできなくなっちゃうって思ったらすごーく悲しくて、今も苦しくて、でもダメだって分かってるから遠慮して我慢しなくちゃいけなくて、でも、テンとこうやって話してるとどきどきして…………あ。やだ、私、なに言ってるんだろう」

 

 

胸の内を曝け出した途端、声を堰き止めていた壁が崩壊したかのような勢いで、素直でぐちゃぐちゃしたエミリアの想いがテンに雪崩れ込む。一度でも崩れれば、感情は彼女が止めるまで流れ続けた。

 

言いたいことを捲し立てる感情の羅列は、彼女すらもなにを言っているのか分からなくなる本音。心の奥底にあるテンに対する幼くて赤裸々ながらも、女の子として純粋な欲。

 

止めた瞬間。自分が勢いに任せて隠したいことまで告白したことに気付き、腕輪を包んでいない方の手で急いで口を塞ぐが時すでに遅い。

 

もう口から吐き出している。吐き出し終わっている。全部、一番聞かれたくない男の子に一言一句聞き逃すことなく聞かれている。聞かれ終わっている。

 

真剣な表情のまま固まったテンがすぐ目の前にいる。その彼を見ると熱が、熱が、顔の下から上まで駆け上がる。頬が尋常でない程に熱い。

 

 

「あーー。おーー。そんな風に、見てたのね」

 

「そうじゃない……くもないけど。やっぱり忘れて! 前半の文章だけでいいから! 後半の文章は覚えてなくてもいいから!」

 

「そう……言われましても。そっか……、俺のせいか。俺が、レムのことしか見られなかったから……。見て、あげられなかったから」

 

 

めちゃくちゃな発言の真意——エミリアが自分に向ける無理解な想いをなんとなく察したテンがボソッと呟く。確証を得たとは自信を持って言えないけど、きっとそうなのかもしれないと思えた。

 

耳まで赤く染め上がった彼女が状況に耐え切れず背を向けるのを正面にする彼は不意に、「前の自分(鈍感)のままだったなら……」なんてことを考えて複雑そうに表情を歪ませ、

 

 

「エミリア。ちょっと」

 

 

ポンと肩を叩き、その名を呼ぶ。それがテンにとってのトリガーだった。

 

まだ先になるから今は考えなくてもいいと、そう思っていた事と早すぎる直面をした彼の声は真面目そのもの。ビクビクしながらゆっくり振り返るエミリアが見たのは、声と同様に真剣なテンの姿。

 

若干、表情に陰影が差している彼は白い頬が紅潮するエミリアのことを一直線に見つめると、予兆もなく頭を下げる。

 

 

「ごめんな。俺が不甲斐ない男だから、こうなったんだよな。鈍かったから」

 

「わっ。そ、そんな風に謝らなくても……!」

 

「ごめん。ほんっとにごめん。こんな俺で。レムのことでいっぱいいっぱいの俺で、ほんと……ごめん」

 

 

自分が知らず知らずのうちに背負った想いを知り、テンは深く反省しながら謝る。突然の行動にエミリアが別の意味で慌てふためくが、頭を上げる気配はない。

 

正しいのか、正しくないのか。自分に向けられる感情に敏感になりつつあるテンには判断が難しいけど、今の発言を全て聞けば流石になんとなく察することはできる。

 

だから彼は頭を下げた。レムを抱きしめていた時、自分の真横にいた彼女がどんな気持ちでそれを見ていたのか、察してあげることができなかったから。

 

平常心を保ちながらも、レムを抱くと彼女のことしか考えられなくなるから。それで、エミリアの心を分かってあげられなかったから。

 

視野が、狭まってしまっていたから。

 

 

「エミリアは悪くないよ。俺が未熟なのが悪い。から、お前は普段通りに接していい。今はちょっと無理、なんて言わない。レムはいい顔はしてくれないだろうけど、それも俺の責任だから」

 

 

自分に対して我慢と遠慮という言葉を知らないエミリアが遠慮しようとしている。「テンならいいよね?」と言ってめちゃくちゃな事をしてくるわがままお嬢様だった彼女が、レムを気遣って身を引くようなことをしている。

 

それをしてしまったら、今まで築いてきた関係が途端に崩れてしまう予感がした。自然な風にレムと類似する想いを抱かせるに至った関係に、亀裂が入る予感がした。

 

それでいいのだろうか。自分とレムが結ばれる裏で、彼女が自分の気持ちを抑え込むような、そんなことがあっても。それで、全員が納得できるのだろうか。

 

 多分、無理。

 

 

「全部ね、俺が悪いの。俺のせいだから。俺が子どもだったのが悪い。鈍かったのが悪い。経験不足だったのが悪い。ちゃんと、受け止めてあげなくちゃいけないのに。もぅ、ほんと、ダメダメだよな」

 

 

時間は待ってはくれない、人の想いは止まってはくれない——それを今、テンはエミリアの想いに痛感させられた気がした。

 

自分とレムの関係が進む中、それを見ている彼女がなにを思っていたかなんて知るはずもなくて。けれど知った今、既にすぐそこまでエミリアは来ているのだと。彼女は自覚していないけど、そこにいるのだと。

 

早く、器を。早く、未熟な自分を。自分という人間を完成させる必要があるのだと。

 

本当に大変な話だと思う。まだレムと恋人にすらなっていないのに。今夜、そうなるのに。どうして今、このタイミングでエミリアが。色々と早すぎる。雪崩れ込みすぎだ。頭が混乱してくる。

 

否、もうずっと前からこうだったのかもしれない。

 

自分が気付いてあげられなかっただけで。それが今日という日まで表に出てこなかっただけで。今日という日を境目に表に出ただけで。

 

エミリアも、前から自分のことが———。

 

 

「あーもう。ほんとに自分が心底嫌になる。なんで俺こんな……こんな……こんなクソ野郎に……。元からか? 元からか。お前なんか死ねよ」

 

「そんなこと言っちゃだめ! テンはそんなひどい人なんかじゃ——」

 

「ひどい人だよ。なにも間違ってない」

「そう。パックの言う通り。なにも間違ってない。俺はひどい人だよ」

 

 

「本当にね」と、頭を下げたまま俯くテンが顔に手を当て、何度目かの再確認に歪む表情を隠しながら自嘲。否定するエミリアの声を同調するパックの厳しめな声が遮ると、共感するテンが力無くゆらゆらと頭を横に振る。

 

自分に向けられる想いを知って、改めて自分という人間のクソさ加減に死にたくなる。

 

鈍かった自分がのうのうと流してきた感情を察して、鈍感というありがちなそれが、どれだけ罪深いことだったのかを胸に突きつけられる。

 

そのまま自己嫌悪に陥る———それは以前までのソラノ・テンだ。ラムに覚悟と決意を語る前までの自分だ。

 

 

「……しっかりしろよ。へこたれてる場合じゃねぇだろ。後ろばっか見んな、前を向き続けるって言ったろうが。変わるって決めたろうが。もう折れんなよ、このポンコツがッ。ちゃんと向き合えよ、このゴミカスがッ」

 

 

荒いだ口調で雑に呟き、深呼吸し、歪みを消し去ると、テンは隠していた表情を世界に晒す。

 

切り替えが早いのか、別の何かなのか。エミリアとパックの瞳が映し出した彼の表情は覚悟と決意に満ちていた。

 

その理由は勿論、ド深夜にラムと話した内容にある。『空野・天』と『ソラノ・テン』の間に境界線を引いた瞬間にある。

 

ダメな男から変わると言った。自分の弱さを否定すると言った。ラムの知っている自分を過去のものにすると言った。向き合う事とちゃんと向き合える自分になると言った。

 

自分に立ち止まっている時間などない。足踏みしている時間など許されない。前に、前に前に前に、進み続けなくてはならないのだから。

 

時間は、自分を待ってはくれないのだから。揺れ動く人の想いと共に無感情に時を刻み続け、一度でも止まれば置いていかれる。

 

だから前に進み続ける。後ろは振り返らない。振り返るとしても適度に振り返る。

 

そんな思いを抱きながらテンはエミリアに向かってニカッと無理やり笑い、

 

 

「いつも通りでいい。それでいい。エミリアが接したいように接すればいい。俺が頑張るから。大変だけど、頑張り続けるから。もう、二度と、目ぇ逸らさない、って決めたから」

 

「でもレムが……」

 

「それも含めて、だよ。俺の責任だから。今までの自分がしてきたことだから。エミリアが無理して遠慮する必要なんてどこにもないよ。俺が……俺が頑張ればいいだけの話だから」

 

 

「だから大丈夫」と。テンはエミリアの頭に手を乗せた。レムの姿が脳裏に鮮明に過ぎったけど、それでも乗せた。

 

不甲斐ない自分から変わりたくて、彼女達のために変わらなくちゃと思えて、どうしてこんな、なりたくなかった自分になったのかと強く思いながら。

 

優柔不断だろうか。優柔不断だろう。それ以外にない。

 

最低だ。クソ野郎だ。お前なんか死んでしまえ。レムとエミリアの二人から嫌われてしまえ。両方から想いを寄せられて、レムに至っては告白の予約までして、そのすぐ傍でエミリアとこれか。

 

それも、告白を今夜に控えている中でのこれ。もう本当に死んだ方がいいと自分自身で思う。ならやめればいいじゃないかと言われそうだけど、もう後には引けない状況になっているのだ。

 

自分がレムを抱きしめる絵面を見たせいでエミリアの想いが声を上げ。その結果として、予測よりも遥かに早く彼女の想いが表に現れて。そして今。

 

自業自得と言えなくもない。今は、レムだけと向き合うべきなのに、そうするのが一番だと頭では理解しているのに。

 

エミリアの想いを察してしまった以上、完全に断ち切るなんてできない。自分はそんな器用な人間じゃない。鈍感から卒業したことが、こんな風に影響するとは思わなかった。

 

一旦、心の整理整頓をする必要が今の自分にはある。整理して、深く考える必要がある。

 

なにをだろうか。短いながらに濃密な時間を過ごした中で得た僅かな倫理観について。彼女達と接して芽生え始めている、前の自分までだったら考えられない倫理観についてだ。

 

 

「今まで通りのエミリアでいい。そうじゃないと違和感があるしさ。変に気ぃ遣われると俺が申し訳なくなってくる。レムもね。今は多方面に暴走してるけど、落ち着いてくれば彼女にも見えてくるものはあるはずだから」

 

 

言いながらテンは添えた手でさらさらした銀髪を数回、優しく撫でる。撫でると、「ん」と声を漏らしたエミリアが気持ち良さげに目を細めた。レムと全く同じ反応、二人が重なってしょうがなかった。

 

徐々に疲れてくる感覚——至らない一人分の器が二人分の想いを受け止めたことで、罅割れが亀裂として生じていくような、そんな感覚がする。意図せずに小さな息が溢れた。

 

これが今の自分か。これが未熟者か。

 

 

「……じゃあ、俺は部屋に戻るね。戻らないとレムに怒られるし」

 

「付き添う?」

 

「だいじょーぶ。一人で来れたんだから一人で帰れるよ。そこまで俺を介護するな。マジで悲しくなってくる」

 

 

エミリアの顔から影が消えたのを確認したテンがほっとしたように口元を綻ばせると、添えた手を離す。パキパキと音を立てて割れる器を感じ、早々に立ち去ることにした。

 

癖になりそうな手つきが離れていく感覚に「ぁ」とエミリアが弱く声を出すが、テンは手を離した勢いで彼女に背を向けている。

 

芝生を踏む音が追いかけてくるも軽く手を振って拒み、一人で屋敷へと戻っていった。鞘を杖にしながら、一歩ずつ地を踏めしめながら。彼は部屋へと帰っていく。

 

その背中をエミリアはまたしても追いかけない。しかし、今回は先ほどのように苦しくはなかった。今はそれとは反対。彼女は経験したことのない感情に恐ろしく胸が高鳴っている。

 

頭を撫でてくれた男の子から、目を離すことができない。追いかけたくても、なんとなく恥ずかしくて足は動かない。

 

いつもなら動くのに。今この瞬間から、自分の中で、何かが変わったような気がして。

 

 

「ね? 言った通りだったでしょ?」

 

 

そんな彼女の肩に座り、くしくしと耳を掻きながらパックは緩々と語る。

 

テンを見つめる愛娘。その紫紺の瞳に明らかな恋色の感情が宿ったのを理解した彼はテンの背に「頑張りたまえ、若者よ」と一言添えた。

 

大変な時にこうなったけど、テンなりに覚悟を決めているようだから、とりあえず見守る方向にした彼はそれ以上の口を挟むことはしない。

 

娘は無自覚で無理解だけど、今は成り行きを温かく見守る。

 

 

「あの子になら、期待してもいいんじゃないかな。あの子だったら絶対に大丈夫だと、ボクは信じるよ。彼はリアのことも、ちゃんと考えてくれてるようだし。頑張ってくれるようだし」

 

 

小さくなっていく背を見ながら、パックはふっと真剣な声色で頷く。それまでは値踏みするような瞳だったそれは、今は確かな信頼と希望を向ける瞳に変化していた。

 

今の彼を見てそうなったのではない。今まで、今の今までのソラノ・テンという人間の人間性を鑑みて、エミリアに対する接し方を振り返って、それらを総合して、そうなった。

 

故に、今の発言には決して軽々しく口に出すべきではない量の信頼が込められていた。エミリアと凄惨な過去を共に歩んできた彼の尋常ではない期待が、テンの背に静かにのしかかっている。

 

 

「——うん」

 

 

呑気さの裏側に真剣さが見え隠れするパックを肩に乗せ、エミリアは頷く。

 

渡された腕輪を宝物のように握りしめ、口を固く閉じる彼女は堪えていた涙を一雫だけ頬に流した。

 

彼の前では流さないようにと堪えていた感情が滴り落ち、芝生に受け止められると、途端から溢れるものを拭った。

 

たまらなく嬉しくて、安心して、幸せで、無理解な想いが目の裏側を熱くさせて。それが止まらなくて、拭って、拭って、拭い続ける。

 

いずれこの想いを理解できる日が来るといいな、と。そう、思いながら。

 

 

 

 







異世界系の物語では普通として成立している、男一人に対して女が複数、という光景。それを私の小説では『器』という観点から問題視し、これからテンという人間に深く考えさせていこうと思います。

考えさせて、少しずつ彼の器を完成させていくつもりです。それを越えて、彼はやっと限界ギリギリではあるものの、二人を抱えれる器になれる………………予定です。

そうしないと、今までのテンとエミリアの関係はなんだったの?って、なっちゃいますし。いずれ、テンにもその想いと向き合わせますし。第一、そんなのエミリアが不憫すぎますし。

前回と今回は、その導入となるお話でした。レムとテンの関係が確実なものとなった直後の今だからこそ書けるお話を、日常の中にどーんと混ぜました。

それに今回のお話がないと、エミリアがテンに対して少なからず遠慮することになっちゃいますし。彼女の性格上、本人の口から「大丈夫」と聞く必要があったんですよ。……多分。


どのタイトルが気になりますか?

  • 雷の鳴る夜に
  • (ソラノ・)レムの幸せに溢れた日々
  • お酒少女達には勝てない
  • 恋人っぽいこと
  • ありふれて、ほのぼのとした一日
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