親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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  の人

 

 

 

「のぼせ、たぁ。頭がくらっくらする」

 

 

首から冷やしたタオルをぶら下げ、脱衣所に置かれた木製の長椅子に横になりながら、気の抜けた声を口から漏らしたのは着慣れた患者衣に袖を通すテン。

 

ロズワールとの入浴を終えた彼は、予想通りにのぼせた様子だった。本来ならばそうなる前に浴槽から上がるのが基本のはずが、談笑が思ったよりも長引いたために上がるタイミングを失った結果。

 

 

「だからロズワールを待つのはイヤだったんだ。お前もお前で俺が出ようとすると止めるし。あれ以上は命に関わるぞ、おい」

 

「いやぁ、話が盛り上がったもんだから、つい」

 

「つい。じゃねーよ」

 

 

悪い悪い。とでも言いたげなハヤトにテンは雑に返すと、体温調節の図るための吐息。したところで大した効果は望めなかった。久々の長風呂に、耐性のない彼は完全にやられている。

 

そんな彼に風を送るのは屋敷から支給された私服に袖を通すハヤト。丈の合ったゆったりとした長ズボンに、半袖Tシャツの上から薄手の羽織り物を掛ける彼は寝巻きとしては十分なラフな格好。

 

その格好を基準とすると、テンの格好はいささか寒いのではとハヤトは思うも、今の彼にとってはこのくらいの格好がちょうどいいのかもしれないと変に納得していたり。

 

 

「いや、普通に悪かった。ちょっと調子に乗った部分があるのは否定できねえ。詫びと言っちゃなんだが………ほら、飲め」

 

「お前が言うと、飲酒を促してるように聞こえるよ」

 

 

「ありがと」と。適当に言葉を返すテンの視界に映るのはハヤトが厨房からわざわざ持ってきてくれたコップ一杯分のお水。一応、責任は感じているらしい。申し訳なさげな声色が天井を見るテンに届いた。

 

腹筋の力を総動員して体勢を起こす彼は、火照ったことによる重怠さを感じながら差し出されたそれを受け取ると、一気に喉の奥へと流し込んで「ほぅ」と一息つき、

 

 

「生き返る」

 

「そりゃ良かった」

 

 

できれば牛乳がよかった、とは贅沢な願いだとテンは口にすることはない。被害者ではあれど、テン自身も話の盛り上がりに混ざりたいと思い、無理をしていた節はある。

 

楽しい時間だった。ロズワール邸に住む数少ない同性との和気藹々とした時間——女性陣と話す時とはまた違った意味合いで自然体で居られる環境は、テンにとって心休まる時間の一つ。

 

落ち度は自分にもある。決して、この件はハヤトだけのせいではない。寧ろ、体調管理を怠った自分自身のせい。

 

 

「ロズワールは?」

 

「まだ入ってる、とさ。なんだお前、肩に担がれてるときに聞いてなかったのか?」

 

「意識が曖昧だった」

「お前、ほんと、マジで大丈夫か」

 

 

表情から余裕が無くなったハヤトが椅子に腰掛け、隣に座るテンの横顔に深刻そうな顔つき。悪ノリをする自分の悪い癖が冗談抜きで親友を苦しめていたと自覚した彼は風を送る動きに拍車が掛かった。

 

心配するハヤト。珍しい表情の彼にテンは「大丈夫、大丈夫」と天井を仰ぎながら深呼吸をすると、

 

 

「ちょっと夜風に当たれば治るさ。そこまで心配しなくてもへーき。これでも十八だぞ。自分の体調管理くらいは自分でできる」

 

 

できてないからこうなっているのだが、そこに関しては敢えて触れないでおくハヤト。彼は深呼吸を何度も繰り返すテンに「そうか」とだけ返すと腰を上げ、

 

 

「なら、部屋に戻るか。お前一人で部屋に返すわけにもいかねぇし。立てるか?」

 

「立つことくらいできます。舐めんな」

 

 

「よっこいしょ」と気合の声を小さく上げながら重たい体を立ち上がらせ、テンは両手を天井に突き出して背筋を大きく伸ばす。肩に乗った疲労を根こそぎ落とす気で数秒間その体勢を保つと、息を吐きながら脱力。

 

ダラリと垂れる両腕を宙ぶらりんにしたテンは「よし」と頷き、

 

 

「行こう」

「おう」

 

 

遅くも確実に歩き出したテンの背を追いかけるハヤトが彼の隣に並び、脱衣所の出口の手前に置いてある洗濯籠の中に自分の洗濯物が入った籠を入れる。翌朝、使用人四人の中の誰かが回収して全員分を洗濯する形だ。今の場合は三人だが。

 

スライド式の扉を開けてハヤトと共に脱衣所の外へ。外気が体の横を通り抜ける心地よさに、湯冷めしない程度に夜風にでも当たろうかなとテンは不意にも考え、

 

 

「あ、やっと出てきた」

 

「水死体が浴場に沈むのは回避できたようね。流石にそこまで馬鹿じゃなかったか……」

 

 

二人の少女に出迎えられ、各々の感情を向けられることになる。

 

出た直後、視界に飛び込んだのはホワイトプリムを髪に飾ったメイド服に身を包んだラムと、長い銀髪を一つ結びにして片肩から垂らした防御力の低い寝巻き姿のエミリア。

 

壁に寄りかかるようにして待機していた少女二人。状況を素直に飲み込んだハヤトが「よう」と軽く手を上げるが、小首を傾げて疑問符を頭の上に浮かべるテンは残念なことに追いつけていない。

 

ラムがいるのは分かる。ロズワールが入浴しているのだから。付き添うのがメイドの役目だ。しかし、微笑みながらこちらを見つめてくるエミリアが分からなかった。

 

やっと出てきた——その言葉から察するに、待っていたことは明白なのだが。なにを待っていたのか、なんのために待っていたのか。

 

 その理由と経緯が不透明で、

 

 

「もう、お風呂はいいの?」

 

「うん。………もしかして、順番待ち?」

 

「ううん。そうじゃないの」

 

 

唯一、思い当たった予想が即座に否定されたことで余計に不透明に。傾げた首の角度が増すと、「ん?」とテンは分かりやすく疑問の意を表に露出させた。

 

そんな彼の前までエミリアは歩き「テン」と、その名を一度だけ呼ぶと、

 

 

「その……今から微精霊とお話しするんだけど、一緒に来てほしいの」

 

 

その、予想の欠片も無かったお誘いにテンは数秒間の思考の停滞を許した。

 

誘われたこと自体もさることながら、自分が行ったところでどうなるのか等の要らない疑問が一度に生じ、返答を作るための機能が一時的に止まる。

 

そんな彼を他所に、普段よりも恥ずかしがる雰囲気を纏う彼女は紫紺の瞳を潤わせながら両手の人差し指をくっ付けて、離して、くっ付けて、離してをくり返しながらテンの反応を待ち望む構え。

 

 

「俺が居てどうかなるの?」

 

「どうかなる、わけじゃないけど………。ただ、その後にテンともお話したいな。って思って」

 

 

純粋な好意のみによって実行されたお誘いにテンが頸を人差し指で掻く。やりづらさを感じた時や、むず痒さを感じた時に無意識に行う行為だ。彼を見てきたラムとハヤトには一瞬で見抜ける。

 

表情には出していないものの、彼女の想いを理解する彼にとっては本当にむず痒い場面。本人的には無意識で無自覚だろうけれど、多分これは、その想いが源となったお誘い。

 

果たして、どう接するのが正解なのか。今のテンにとって深く向き合うべき問題の一つでもある事。

 

 

「………だめ?」

 

 

反応を待ち、沈黙するエミリアが望んだ声が聞こえてこないことを察し、寂しげに一言。彼に対して遠慮と我慢を知らない少女は、まるで、かまってほしそうな風に距離を詰めた。

 

テンにとって、それは恐ろしい武器だったのだろう。甘い香りがふわっと近づき、潤む紫紺に上目遣いで見上げられた彼に拒否権は無く。詰まった息を弱く吐きながら仕方なさそうに頬を緩ませ、

 

 

「うん。いいよ。いこっか。俺もちょっと火照った体を冷ましたいし。お話、しよっか」

 

 

言った途端、エミリアの表情が明るく彩られると「うん!」と嬉しそうに体を跳ねさせた。話すだけ——たったそれだけで心が躍り、隠しきれない喜びが全身から雰囲気として溢れる。

 

いつもは自分一人だけの日課。その隣に今日は彼がいる。そう思うと胸が高鳴り、知らず知らずのうちに彼以外のことが視野に入らなくなってしまっている。自分の世界には、彼しか存在しない。

 

 

「じゃあ、行きましょ。微精霊が待ってるもの」

 

 

そうと決まったエミリアの行動は早い。それらしい理由をつけてテンの宙ぶらりんになる右手を握ると、彼女は「おわわ」とテンが転びかけるのを無視して歩き出す。

 

庭園に向かう足は早足で。一歩一歩が軽やかな体はいつになく弾んでいて。テンと一緒にいると感じる無理解の感情に突き動かされるがまま、彼女は彼を奪い去りながらその場から去って行く。

 

少々強引な気がしなくもないけれど、隣に並ぶテンの表情に負感情は含まれていなかった。その横顔、風呂上がりで髪を全て後ろに流した状態のそれが、いつにも増して魅力的に見えるのはどうしてか。

 

なんにしろ、これでお話しの準備はできた。夜空の下で二人だけの時間。彼が眠りから目覚めるまでの約一週間も奪われていた時間が、やっと帰ってきた。

 

なにを話そう。どんなことを聞こう。また頭を撫でてもらおうかな。なんてことを考えながらエミリアはテンを隣にしながら歩く。

 

握った手は、絶対に離さないまま。彼女は庭園へとテンを連れて行った。

 

 

「………エミリアのやつ、やっぱアイツのこと好きだよな」

 

「どうかしらね。エミリア様はまだ子どもな面があるから、その辺には疎いだろうし。なんとも言えない。それに限りなく近い精神状態ではあるとは思うけど」

 

 

徐々に遠くなる背中を眺めるハヤトとラム。朝食の用意をしている時にその件について意見交換をした両者は、その二人を見て何を思うのか。

 

率直な感想を交換。それを得て思うところがあるハヤトは「ふん」と鼻を鳴らし、ラムは彼の様を見て憂鬱そうに極小のため息。今からこの調子では、そのうち大事に発展しかねないと彼女は杞憂する。

 

 

「まぁいい。今は様子見だしな」

 

 

価値観を押し付けるような自分の考え方に、ラムが面倒そうな色を顔に浮かべているとは思わないハヤト。彼はそう言うと彼女に背を向け、

 

 

「じゃ、俺はもう寝る。今日は色々と疲れたしな。あ、その前にベアトリスのところにでも行ってやるか。今日は一度も突撃してねぇし」

 

「女性の部屋に突撃する礼儀知らずな脳筋の思考回路がラムには理解できないわ」

 

「ベアトリスと俺はそういう仲なんだよ」

 

 

軽口に端的に返し、「じゃ、おやすみ」と別れの言葉をその場に置きながらハヤトは歩き出す。あまりこの場で彼女と話していては仕事の邪魔になる。

 

それに、言った通りに今日は一度もベアトリスに会いに行ってやれてない。なら、せめて寝る前に一度くらいは会いに行ってやった方がいいだろう。

 

彼女は、ああ見えて極度の寂しがり屋なのだから。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

太陽が地平線に沈み、お月様が代わりに顔を出した世界はとても静かだった。子どもの時間から大人の時間へと足を踏み入れた世界と表現してもいいが、いやらしく聞こえるから却下するとして。

 

今夜はそよ風一つ吹かず、揺れる芝生のざわめきも今は静まり。環境音の一切が聞こえない状態は、世界そのものが眠りについたかのような静けさを演出している。

 

粋な計らいは結構、雰囲気作りはいらない、と。そんなことを考えるのはテンだ。特にすることもない彼は短く刈り揃えられた芝生に座りながら夜空から地上を見下ろす半月を仰ぎ、背景にある星々を眺める。

 

小さい頃、空を見上げてはオリオン座をよく探したものだ。なぜか、あれだけはすぐに見つかる。他の星座は名前も形も知らないが、あれだけは一瞬で分かる。

 

 

「そう。そうなの。テンってば、本当にやんちゃでね」

 

 

この世界には存在しないオリオン座を探そうと目を凝らすテン。そんな彼の耳に断続的に流れてくるのは真横に座るエミリアの楽しげな話し声。

 

自分のことを話しているのだろう。冥日にしか会えない微精霊と談笑しては、時折こちらを見て柔らかく笑いかけてくる。

 

青白い淡い光を纏う彼女は今、微精霊とお話し中だ。青白い光——蛍とよく似ているその正体は今まさに彼女が話している微精霊に他ならず。十を超えるそれらが彼女の周囲を漂う光景は、いつ見ても綺麗なものがある。

 

月光に照らされながらのそれは、テンが見てきた中でも一番に入るほどに幻想的で。エミリアという存在がその身に宿す印象も相まって、妖精に見えなくもない。

 

強ち間違ってもない解釈だと思う。彼女は美貌で知られるエルフの血を引いた少女なのだから。

 

 

 ーー話し終わるまでは待機かな

 

 

微精霊との大切な時間を邪魔しないよう、テンは閉じた口の中でポツリと呟くと、ゆっくりと芝生に寝転ぶ。頸にチクチクと当たる芝生の痒さに身じろぎした。

 

彼女と違ってテンは微精霊の声を聞けるわけでもないし、従えられるわけでもない。なら、黙って時が過ぎるのを待つのが得策。変に声を挟んで邪魔してしまうのは申し訳ない。

 

沈黙こそ至上。変なことに首を突っ込んで問題事を持ち帰ってくる男を親友に持つ彼は、特に話さなくてもいい場面では基本的に沈黙を貫く。

 

 

「テン」

「ん?」

 

「あ、起きてた」

「え?」

 

 

二往復した言葉の交わし合い。テンの顔を覗き込む彼女は彼が寝ていないことを確認すると、困惑する声を放って自分を囲む微精霊たちとの会話に戻る。

 

名を呼んでおきながら会話を一方的に断ち切るエミリアに、テンは特に反応は示さなかった。仮にここで返答をせずに寝たふりをした場合、彼女はどんな反応を見せてくれるのか。

 

興味が湧きそうな実験を試したくなる心を自制する彼は、寝転がっていると本当に寝そうな予感を刹那だけ感じ取ると起き上がった。

 

 

「テンは………そうなの。ずっと前からね。私にとっては………。うん、約束したから」

 

 

首を横に振って漂い始めた睡魔を振り払うテンの横で、エミリアはその話ばかりしている。自分の名が度々呼ばれるものだから、テンは気になって仕方ない。

 

彼女の表情が幸福感に満たされているのも、彼が気になる理由の一つ。そんな幸せそうな、顔と雰囲気と声色で呼ばれて気にならない方がおかしいだろう。

 

微精霊さんの言葉が聞けたなら、彼女の受け答えの意味も解っただろうに。半分しか聞けない不便さに少しだけ不満を感じる彼は視線で彼女の意識を引き寄せると、

 

 

「何を話してるのさ」

 

「微精霊と?」

 

 

胡座をかいたテンが「そう」と、言いながら見るのは彼女の周りを浮遊する微精霊。見たところで声が聞こえてくるわけでない彼の疑問の行き先は当然、隣に座るエミリア。

 

不満そうな瞳の色を察したか、或いは別の理由か。「えっとね」と答えるまでの時間を稼ぐ彼女は、悩む素振りを数秒だけ見せた後に「ふふ」と、口元に手を当てて小さな微笑を音にし、

 

 

「なーいしょ」

 

 

と、子どもじみた無邪気な言い方で不満を軽く受け流した。そこから背を向けられると、それ以上の追求は受け付けません、とでも言っているような気がして、「やれやれ」と視線を落とすテンはそこから先は紡げない。

 

前々からだから今更気にしないが。こういう時は本当に思う。自分は彼女のペースに呑まれすぎだと。

 

驚かされたり、揶揄われたり、悪戯されたりと。彼女には色々とされてきたが、今の今まで一度もやり返せたことがないのだから。その思いの信憑性の高さは今までが証明している。

 

自分は、女の子にはすこぶる弱い。偶にはやり返してやろうかと考えるも、それをして危ない雰囲気になった前例があるため不用意な真似は禁止。

 

結局のところ、気持ちを切り替えるしか方法はないのだ。今の自分はやり返すことなどできはしない。

 

 

「じゃあ、またね。おやすみなさい」

 

 

己の未熟さと、女性陣の小悪魔さの板挟みにため息。先が思いやられる彼の視界が不意に暗がったのは、その声が聞こえた直後のことだった。

 

唐突に生じた違和感にテンはエミリアを見る——青白い輝きは既に跡形もなく消失していた。淡くも周囲を照らしていた光源が消えると、テンとエミリアに夜の暗がりが襲いかかる。

 

意味するのは微精霊との談笑、その終わり。毎日の日課を済ませたエミリアが「ほぅ」と一息つくと、

 

 

「待たせてごめんね」

 

「ん。だいじょーぶ」

 

 

「退屈しなかったから」と、胡座を崩して手足を大きく伸ばしながら言葉を継ぐテンに、エミリアは嬉しそうに喉を鳴らしながら距離を詰める。拳一個分にも満たない距離、肩と肩が偶に擦れる距離。

 

その接近に、テンはもう動揺しない。数ヶ月までの自分ならば息が詰まってそうな光景には慣れっこ。そんな小さい器ではダメなのだ。ただ触れただけで揺らぐような男じゃ、今の自分は足りないのだ。

 

この距離の近さが自分と彼女の心の近さであればいいな。なんて思いながらテンは伸ばした足を適当に組み、

 

 

「んで? お話しすると言っても何を話すの?」

 

「え? それは………えっと………」

 

 

それを問いかけられるとは一ミリ足りとも思わなかったのだろうか。言いながら気まずそうに目を逸らすエミリアが首をあちらこちらに向け出す。

 

その挙動に、まさか何も考えずに自分を隣に置いたのかとテンが思う中、空を見上げて視界に飛び込んだ月光に「あ」と思いついたエミリアは「見て」と、お月様を指差し、

 

 

「今夜は、月が綺麗ね」

 

「計画性ゼロかよ。俺も友達少ないから人のこと言えないけど。もちっと話すことあったんじゃないの」

 

 

話題の種になるものがないか視線を彷徨わせた末に口から出た勘違いされてもおかしくない発言に、テンはがくりと首を曲げる。

 

今の発言、彼女的には名案だったのだろう。せっかく見つけた話題に気を落とされたエミリアは「だって」と膝を軽く抱え込みながら口を尖らせ、

 

 

「やっとテンが目覚めてくれて、嬉しかったんだもん。二人で一緒にいられる時間なんて今くらいしかないから、一緒にいたかったんだもん。私だって、寂しかったんだもん」

 

 

隠すことのない真っ直ぐな想いを口にし、エミリアは三連続にも及ぶ「だもん」を放つとテンの肩に寄りかかる。予兆のない行為にテンの目がはっと見開かれるが、彼女は気付かない。

 

こうして寄りかかるのは一週間ぶり。普通に過ごしていたら短く感じるそれは、しかしあの時だけはとても長く感じた地獄の時間。彼の温もりが自分の近くにいないことが、とても苦しかった。

 

これは、その苦しみを埋めるためだ。苦しんだ分、自分は彼に甘えてやるのだ。彼は自分にとってそういう人だから。自分が初めて、真に心を許した人だから。

 

 

「お前は、どうしてそーゆーことを平気で言うかな」

 

「そう思ったからに決まってるじゃない」

 

「そーゆー意味じゃねーよ」

 

 

寄りかかる体温に身じろぎし、伸ばした足を折りたたむテンが胡座をかく。夜空を仰ぐふりをして甘えてくる少女から少しの間だけ視線を逸らす彼は、己の内側に生じた感情を深く吐き出した。

 

その間にも、エミリアはひどく落ち着いた様子で自分を預けた人の体に身を委ねていた。一週間で失った分の温もり——心から抜け落ちていたそれを取り戻すように。

 

 

「テンが目覚めてくれて、本当によかった」

 

 

徐々に声色が眠りつつあるエミリアが、心の声が漏れたような言い方で呟いた。囁きと比較してもほぼ変わらない声量は、しかしこの静寂の中ならばテンの鼓膜も拾える。

 

僅かな一言だとしても伝わる哀愁感。察しなくても理解できるテンは夜空を仰がせていた視線を地上に戻し、右肩に寄りかかるエミリアを視界に収めると口元が綻ぶ。

 

穏やかな表情で目を瞑る彼女は、ひと目見ただけでも安心し切っていると判断できる様子だった。いつも通り、鍛錬の最中にお邪魔してきて寄りかかる時と同じ雰囲気。

 

 

「……寝たふりをしても今日はお姫様抱っこできないからな? 寝ちゃだめだよ?」

 

「もう寝ないわよ。テンにもバレちゃったし」

 

「否定しないってことは、確信犯と断定してよろしいか?」

 

「テンのばーか」

 

 

投げやりな罵倒にテンが「ついに会話すら成立しなくなったね」と半笑い。その罵倒の意味合いに気づいたものの、彼女の想いを慮った結果として受け流した。

 

対するエミリアに気にする様子は見られず、隠していたことを正式にバラした彼女は照れ隠しのつもりでその一言。彼女的には上手く取り繕えたつもりでも、相手には全部筒抜けとは知らない。

 

テンは、気付くことには気付ける人になっている。前の自分から変わった彼は、エミリアの可愛らしい抵抗にも反応できるし、対応もしてあげられる。

 

以前のように「ん? なんか言った?」と、口裏でも合わせているのかと聞きたくなる程に()()()()()()()を聞き逃す自分ではない。

 

今になってやっと。遅すぎるけれど、全てに気付くのは難しいけれど、気付けるよう努力できるようになった。意識して、拾えるようになった。

 

 

「私、テンに出会えて本当によかった」

 

 

だから、彼がその発言を聞き逃すわけがなかった。ゆっくりと瞼を開いたエミリアがこちらを見上げながら呟いた想いに、反応しないはずがなかった。

 

気恥ずかしさから沈黙を通していた彼女が溢したそれには、数多の感情と想いがたくさん詰め込まれていて。短い沈黙を破った声色は、いつにも増して柔らかいものに聞こえた。

 

 

「テンは、出会った時からイヤな目で私のこと見てこなくて。それは、何も知らないからだと思ってたけど、そんなことはなくて。それが、私にとってはすごーく嬉しいことだった」

 

 

テンと過ごす今この瞬間に何を思ったか、過去の記憶に想いを馳せる彼女は優しく語る。

 

あの日の朝、「あ」の一文字から始まった関係。あの時はここまで深い関係になるなんて思いもしなかった。良い意味で予想外だと思う。

 

 本当に。

 

 

「私のこと……特別扱いしないでくれる。普通の人みたいに——ごく普通の女の子みたいに私のことを扱ってくれる事が、私には幸せなことなの。テンにとっては当たり前のことかもしれないけど」

 

 

「私にとっては、とても大切なことなの」と、エミリアは想いを繋げる。その当たり前に、彼女は何度も救われたから。数々の凄惨な過去を歩むうちに枯れ果てた期待が、再び潤いを得たから。

 

彼になら、期待してもいいかもしれない。否、期待したい。自分のことを初めてそうやって扱ってくれた男の子になら、もう誰にも向けないようにしていたそれを預けてもいいと。

 

 本気でそう思える。

 

 

「それにね。テンと一緒にいると、とっても落ち着いてくる。理由は分からないんだけどね。心がぽかぽかして、安心するの。こうしてると……離れたくないな、って思っちゃう」

 

 

「なんでかな」と、己を幸福一色に染め上げられたエミリアが頬を紅らめながら語る。俯き、無理解に悩む表情を隠す彼女をテンは無理に暴こうとはしなかった。

 

知っているとも。彼女がそう想っていることくらい。知っているから、たくさん悩んで、話し合って、誰も悲しまないような未来に歩みを進めたいと覚悟した。

 

至らない一人分の器に二人分の想いではなく。成熟した二人分の器に二人分の想いを。そうでなければ、自分は自分のことが大嫌いになる。ただでさえ極限に嫌いなのに、更にどん底に落ちる。

 

 そう思えるからこそ。

 

 

「頑張ろう。って、自分に誓ったもんな」

 

「誓った、って。なにを?」

 

「未熟な自分の器を完成させようね、ってこと。何度でも、しつこいくらいテメェ(自分)に言い聞かせてやるさ」

 

 

不意に口を開いたテンの言葉を理解できず、エミリアは「ん?」と小首を傾げる。が、独り言を吐いた様子から追及は受け付けていないことを察した彼女は生じた疑問を頭の片隅に追いやり、

 

 

「ねぇ、テン」

「ん?」

 

 

神妙そうな声で名を呼び、身を回すエミリア。彼女は反応した声を聞きながら芝生の上を滑るようにテンの正面に回り込み、

 

 

「聞いてもいい?」

「もちろん」

 

 

許しを得た問答に、今から紡ぐ言葉に期待と希望を強く抱きながら、

 

 

「私との約束、覚えてるよね?」

「忘れるわけないだろ」

 

 

間も無く、特別感も無く、そうであることが当然のように答える彼に胸の高鳴りが抑えられなくなった。無理解の感情が心の中で暴れ回って、今すぐにでも彼の胸に飛び込んでしまいたい衝動に駆られる。

 

これは、劇的な場面じゃない。絵本の世界の終盤で描かれるようなものじゃない。数多とあるページのどこにでも紛れ込める、普遍的なもの。

 

ただの、自分と彼が一緒に歩む中で刻まれ続ける軌跡。その一端の、なんでもない普通の瞬間——それが普通であることが、エミリアにはとても嬉しかった。

 

 

「流石に一言一句、同じ言葉は言えないけど。ちゃんと覚えてるよ」

 

「言って」

 

 

甘え、ねだる紫紺の瞳がテンの瞳を一直線に射抜く。一言、それのみで己の膨れ上がる感情を表現すると、見つめる双眼が脳裏に浮かぶ言葉を待ち望む。

 

ずっと前に交わした約束。ありふれた日常に紛れた奇跡。果たされる日を待ち望む期待。表現の仕方はいくらでもある。ありすぎて、どれにしたらいいか迷ってしまう。

 

 その約束を、

 

 

「お前が胸を張って、この人は自分の騎士なんだ、って言えるくらいに強くなって、お前のことを守れるようになる。そのくらい強くなる」

 

「うん」

 

「エミリアの騎士、ソラノ・テン。この名前に恥じないような力をつけて。お前を否定する全てから、お前を守ってみせる」

 

「うん」

 

「そーゆー約束だろ。忘れないよ」

 

「うん……。うん……!」

 

 

 その約束を、テンは覚えていた。

 

忘れられていたらどうしようと刹那だけ考えたけど、畳み掛けられた約束の羅列に容易く否定され。心の中に容赦なく入り込んでくる優しい声が、とても温かい。

 

覚えているだけでも嬉しい。なら、約束が果たされた瞬間、自分はどうなってしまうのだろう。彼が、自分にとっての騎士となる日——そんな日がいつか来て、そうなったら自分は、何を想う。

 

分からないし、解らない。けど、言えることならある。今、目の前で自分と真正面から向き合ってくれている男の子を見ていると、そうだと言えることなら一つだけある。

 

 それは、

 

 

「本当に——本当に、テンと出会えてよかった。私のことを普通の女の子みたいに見てくれて、接してくれる初めての人がテンで……すごーく嬉しい」

 

「普通の女の子みたいにじゃなくて、普通の女の子として見てるし接してるつもりなんだけど。前者の方がいいの?」

 

「ーー! そ、そーゆーのは察してよ!」

 

 

「バカ!」と。

 

エミリアは自分でも分かるくらいに紅潮した頬を隠すべくテンに背を向ける。隠した表情、ふにゃふにゃになった表情筋を立て直そうと努力するも、しかし崩れたそれは上手く戻らない。

 

普通に言われてしまった。茶化しにきて、揶揄うために言ったことならまだ抵抗できたのに。語った彼の表情は真剣そのもの。真面目に物を語るときに見せてくれる顔だった。

 

そこから首を傾げて不思議そうな顔色をされてしまえば、抵抗の力を奪われるのは必然。何も言い返せず、無力なエミリアはあからさまな照れ隠しだとしても背を向ける以外にない。

 

バカ、と。強く言うしかない。

 

 

「………ふっ」

 

 

そんなエミリアにテンは不意に吹き出した。堪えていたものが口から吹き出るような失笑に、聞いたエミリアが銀髪を暴れさせながら勢いよく振り返る。

 

「なんで笑うのよ!」と羞恥心を怒りの感情で誤魔化すエミリアが勢いに任せて詰め寄り。テンは「ごめんごめん」とその進軍を止めつつ、

 

 

「なんか、物語の最終回っぽいこと言ってんなぁ、と不意に思ってね。今日一日、過去の出来事を振り返ることが多かったから。物語の終わりも近いのかなぁ。と、変な想像を」

 

「人が素直な気持ちを伝えてるのに、そんな風に茶化すんだ。ふーん。テンってそーゆーことするんだ」

 

 

自分の真摯な想いを茶化されてご立腹のエミリア。風船のように頬を膨らませる彼女はくるりと回ると再びテンに背を向け、そのままそっぽを向く。

 

「悪かったよ」と顔を合わせようとしても無駄なのだ。その度に「知らないもん」と子どものように拗ねては、顔を背ける。回り込まれても、体をぐるぐると回転させ、背ける。

 

 背ける、背ける、背ける。

 

 

「悪かったってば。どうしたら許してくれるかなぁ」

 

「頭、撫でてくれたら許してあげる」

 

 

頑固なエミリアにお手上げ状態のテンが頭を悩ませ始めた瞬間、その発言を待っていたエミリアが訪れた好機に、すかさず打開案という名の欲望をテンに提示する。

 

ちょっとだけ、期待していた。こうすれば彼は自分に許してくれるようにお願いするから、自然な流れてしてほしいことを言える。

 

卑怯だと思うけど、元を辿れば彼のせいだ。その仕返しくらいしてもいいだろう。

 

 

「……撫でないと許してくれない感じ?」

 

「許してあげない。絶対に絶対にぜーーったいに、許さないんだから」

 

 

テンの視線から逃げ続けていたエミリアが彼と向き直り、そう言うと「ん!」と頭を突き出した。そうすること以外に許す方法はないと、他の選択肢を自ら掻き消す。

 

そうして癖になりそうな感覚を待っていると、頭上からテンの困るような唸り声が聞こえた。この声は、目の前にある事情の対応に葛藤している声。深く接してきた今なら、なんとなく分かる。

 

きっと、表情もそれと似たようなものになっているはずだ。眉間に皺を寄せ、僅かに顔を顰める彼が、自分の真上にいる。見てもないのに、自分には分かる。

 

どうして分かるか。そんなの、今までたくさん彼のことを困らせてきたからに決まっているだろう。我儘なことばかり言って、遠慮なんて一欠片もなくて、自分という自分をこれでもかとぶつけてきた。

 

その自分を、彼に受け止めてほしいから。飾らず、偽らず、素直な自分の姿を曝け出せる人に甘えたかったから。

 

一度でも心を許せば、もう二度と離れなくなってしまった人に——自分のことも見てほしいから。

 

 ずっと、見てほしいから。

 

 

「………ほんと、容赦ねぇな」

 

 

落ち着いた声色が落ち、大きく息をついた音が聞こえた直後、エミリアの望みは叶えられた。今日で三度目となる温かい手の平が、自分の頭に添えられる。

 

この時ばかりはどうしても声を抑えられない。大きな手が頭に乗って、指先の一本一本が髪の中に潜り込んでくると、経験したことのない快感を感じてしまう。

 

「んっ」と。心がくすぐられる変な感覚に上擦った声が喉の奥で甘く鳴る。伝播した感覚にむず痒くなって、身じろぎが勝手に起こる。それで、もっと欲しくなる。

 

 

「撫でられるの、本当に安心する」

 

 

頭の天辺から撫で下ろされると、エミリアは気の緩みを止めることができなかった。そうされる度に張っていた糸が緩められて、限界まで緩められたとき、自分は眠ってしまうのだと思う。

 

ずっと、こうされていたい。無理解の感情が己の内側で大暴れして、彼の存在がどんどん膨らんでいく心地よさに、ずっと甘えていたい。

 

時間が止まって、彼と二人だけの時間がずっと続いて、その中で永遠に彼と過ごしていたい。

 

 そう、できたらいいのに。

 

 

「……もういいよ」

 

「そうなの?」

 

「うん。あんまりやられると、気持ちよくて寝ちゃうから」

 

 

癖になってしまった感覚から自ら離れ、エミリアは添えられていた手をそっと払い除ける。甘美な時間は短く一瞬に感じられたけど、多く望むのは強欲だろう。

 

自分一人が彼を独り占めするわけにはいかない。そうしてしまうと、自分はずっと彼のことを独占してしまう気がする。彼のことを慕う人を他所に、奪ってしまうような気がする。

 

それは、自分が許せない。決してこの想いを我慢するわけじゃないけど、程度というものがあるのだ。それに、今よりもされると本当に寝落ちる。

 

これ以上を望むのは、無理解なそれを自分が理解してから。名残惜しいし、もっとしてほしいし、たくさん甘えたいけれど、それらをグッと飲み込む。

 

 

「この続きは、また今度にしてほしいな」

 

 

いつの間にか火照っていた体を両手でぱたぱたと扇ぎながら、エミリアは顔を上げる。

 

赤みを帯びた頬、月光を反射した潤む紫紺の瞳、妙に色っぽい吐息、何もかもが妖艶すぎる彼女は寝巻き姿も相まって色気がありすぎた。お酒に酔っているようにも見えなくもない。

 

思わず息が詰まるテン。息だけでなく声までも詰まる彼は瞬間的に呼吸を忘れ、

 

 

「テン。すごーく、すごーーく、ありがとう」

 

 

その瞬間に、エミリアが彼に輝かしい笑みを見せていた。彼にしか見せることができない、恋色の想いだけで作られた——代えの利かない笑みが、彼の瞳には映し出されていた。

 

その感謝には、自分が計り知れない程の想いがたくさん込められているのだとテンは思う。今この瞬間だけの感謝でないそれには、彼女が人生の中で諦めた全ての想いが、ぎゅっと詰まっている。

 

全てを理解することはできないけど、そうだということは分かった。今、自分に向けられる少女の笑みが、見下ろすお月様よりも綺麗な笑みが、そうだと教えてくれたような気がして。

 

 

「こちらこそ」

 

 

詰まった息を吐くテン。彼は、自分にはもったえなさすぎる想いと向き合い続ける覚悟を改めて——改めすぎるほどに改めて固く決めながら、

 

 

「俺を騎士にしてくれてありがとう。なんの価値もなかった俺に身に余る価値が与えられることを許してくれて、ありがとう。俺、めちゃくちゃ頑張るよ」

 

 

約束が果たされる日に告げるであろう言葉を添え、頬と唇を綻ばせて笑う。自然と浮かんだその笑みに、エミリアもまた照れくさそうに笑った。

 

 

 ——それからしばらくの間、ロズワール邸の庭園には二人の楽しげな声が、静かに木霊し続けていたのだった。

 

 






サブタイトルの空白に何が入るか。明らかになった瞬間が、二人にとっての運命の日となります。

あと、最終回目前ですが少しの間、更新止まります。やることを終わらせてきますね。

どのタイトルが気になりますか?

  • 雷の鳴る夜に
  • (ソラノ・)レムの幸せに溢れた日々
  • お酒少女達には勝てない
  • 恋人っぽいこと
  • ありふれて、ほのぼのとした一日
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