親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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スケルツォの4dxを少し遅めですが観てきました。そのお陰で、SAOの二次創作を書きたい衝動に一時的に襲われています。

まぁ、書かないんですけどね。






先輩と後輩

 

 

 

 ——今日という日を、自分は生涯忘れない。

 

 

一日、二十四時間、その一分一秒が、自分にとって心を大きく動かすものであったから。自分のことを大切に想ってくれる人達と話して、その気持ちとやっと真正面から向き合えたから。

 

自分という人間が、真に変わった日。変わろうと思えた日。ターニングポイントと、そう言い表してもいい。

 

今この瞬間が、自分にとっての運命の瞬間なのだ。

 

そんな中でふと、今日一日を振り返ったとき、今日は本当に色々とあった日だなと思った。色々と——そう、色々とだ。

 

目覚めた直後、ラムに人生相談して、彼女の言葉に自分という人間を変える決意と覚悟を固められて。

 

それからレムを救うために彼女と話して、夢の世界から連れ戻すために告白して、過去を聞いて、想いを届けて、救い出すことができて。

 

エミリアと久々に再開したら飛びつかれて、ヤンデレムが暴走して、エミリアが暴走して。パックにエミリアの想いについて聞いて。

 

そこから、エミリアに腕輪を返しに行ったら彼女の想いを悟って。一人分の器である己の未熟さが嫌になって、受け止められる人になるために頑張ろうって思えて。

 

自分のゲートについて話し合って、結局は意志を曲げてフェリックス・アーガイルの治療を受けることになって。

 

使用人四人で下らない話をして、アーラム村の子ども達のおもちゃにされて、ペトラの母親であるルーナさんと話して。

 

屋敷に帰って寝落ちていたら、何故かレムが布団に潜り込んでいて。揶揄ってきたからやり返そうとしたら、本気で危ない領域に足を踏み入れそうになって。

 

ハヤトに、この世界で生きるために自分はこの世界に生きる自分になると言い。彼と原作に抗うための誓いを立てて。

 

ロズワールと風呂場で話したとき、彼が自分とハヤトの成長を心から喜んでくれていると伝えられて。

 

数分前、エミリアと話した時に彼女の無自覚で無理解な想いを直接聞いて。もう、彼女は自分のことが好きなのだと完全に察した。

 

これら全てが今日の出来事であり、今までの流れだ。改めて振り返ると、濃密すぎる日であることは深く考えずとも分かること。

 

様々な人と話す過程で想いを聞き、告げ、それらと向き合った今までは、この世界で過ごしたどの日よりも己の在り方を見つめ直した日。

 

血の夜を肉体的に濃密な日であったとするならば、今日は精神的に濃密な日だと言える。

 

濃密な日だった、ではなく。濃密な日だ。

 

まだ、今日は終わらない。まだ、やるべきことは残っている。今日を終わらせるためには、想いを伝えなくちゃいけない人がいる。

 

 でも、その前に。

 

 

「——ラム。テンだけど」

 

 

 レムと結ばれる、その前に。

 

 

「夜遅くにごめんね。ちょっと話したいことがあんだけど。時間、あります?」

 

 

 最後に一人。伝えたいことがあるんだ。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

その音は、今日という日があと一時間で終わる頃に部屋の内側へと小さく響き渡った。その声は、部屋の住民が今から就寝しようとしていた時に部屋の内側へと通り抜けてきた。

 

聞こえたのは扉を叩く音。深夜の静寂に空気を振動させながら部屋の主の鼓膜へと届き、直後に聞こえたのは聞き慣れたテンの声。

 

扉を超え、空気を渡り歩き、部屋の主の下へと一直線に流れ込んできた。元から通りのいい声だとは思っていたが、この静寂も相まってより一層そう思える。

 

お陰様で、寝ようとしていたのに寝れない。寝台の準備を整えて布団に潜り込んだ今、あとは部屋の灯りを消せば寝る準備は完了していたのに。

 

その声を、無視できるはずがなかった。

 

 

「時間があるかと聞かれればラムは、テンテンのために使う時間は無いと答えるけど。どうしてもラムと話したいと言うのなら、考えてあげなくもないわ」

 

 

直接的な許可を出さず、遠回しに入室許可を出した部屋の主——ラムはそう言い、ゆっくりと体を起こす。被っていた布団が肩から剥がれるように落ち、彼女は寝る直前の体勢を崩した。

 

ちょっと、不機嫌に思わなくもない。

 

今日は色々と疲れたからさっさと寝ようとしていたところに今の状況。加えて、深夜にテンと話したこともあって十分な睡眠時間が取れずに今日を過ごしてきた今。

 

とても眠い。不安だったことが全て解決されて安心したのだろう、緊張の糸がプツンと切れた感覚に蓄積していた疲労感がどっと押し寄せているのが感覚的に分かる。

 

本当なら、早く寝てしまいたいところだ。寝て、心身ともに休まりたい。久々に、今日はよく眠れそうな気がする。

 

 けれど、

 

 

「どうしても話したい、です。今じゃないと伝えられないことだから。大丈夫、時間は多くは取らない」

 

 

真剣な声色をしていた。軽口には軽口で返すお決まりのやり取りから話を始めようとしたラムに、テンは至極真面目な返しをしていた。

 

大切な事を話すときの声——安直な例え方だけれど、今の彼の声を直球で表現するならそれが一番適している。

 

彼とたくさん話してきた今ならば分かる。彼のことをたくさん知って、知らない面をいくつも見て、親密な関係性を築いた今ならば。

 

 

「……いいわ、入りなさい」

 

 

やれやれといった感じにため息し、ラムは扉の奥にいる申し訳なさそうな表情をしているであろう男に苦笑。透視能力があるわけではないが、彼女には彼の表情がなんとなく分かった。

 

実際、「お邪魔します」と部屋に入ってきたテンはラムの思い描いた通りの顔つきをしていた。何食わぬ顔で入ってきたら追い出してやろうかと思ったけれど、その必要もないだろう。

 

仕方ない男だと思う。同時に、この不機嫌を言葉にできない自分の甘さに妙に腹が立つ。

 

緊張の糸を緩めれる時間を邪魔されたのだ。嫌味の一つや二つぶつければいいものを、いつものように言えば発散できるものを、しかし自分の口は毒舌を刻む事はない。

 

彼の真剣な声を聞いたからだろうか。そういうことにしよう。理由は他にもあるかもしれないけど、今はその方が都合が良い。

 

「それで?」と。ラムは頭の中で続いていた思考を簡単に片付け、近寄るテンを見ながら寝台から足を下ろすと、

 

 

「こんな時間になんの用? ラムは寝るのに忙しいのだけれど。まさか、またラムの睡眠時間を削るつもり? 言っとくけど、二度目はないわよ」

 

「だから、そんなに時間は取らないよ。伝えたいことを伝えたら出ていく」

 

「なら、伝えなさい。ラムは早く寝たいの」

 

 

寝台に腰掛け、見上げるラムが普段よりも柔らかい声で話を先へ先へと急かすが。不思議なのは、急かそうとする意思が全くテンに伝わってこないことだった。

 

本気でそう思っているなら、彼女は雰囲気そのもので主張してくるはずだ。己の意思を、自己表現というものをフル活用して表現してくるはずだ。これまでがそうなのだから。

 

ラムという少女はテンという青年に対して容赦ないほど素直で、正直で、信を置く相手に対して己を抑え込むことなど一切しない。自分という存在を真っ直ぐにぶつける。ラムはそういう女の子だ。

 

要は、全幅の信頼——その裏返し。築かれた絆は並のものではなく、未曾有の事態があろうとも揺らがない。最後の最後まで。

 

だから分かった。言葉の要らない信頼関係だから察せた。今の彼女からは、その雰囲気が伝わってこないなと。

 

言葉の割には話したそうな雰囲気。とは、きっと自分の勘違いだろう。そんな風に思いながらテンは「ラム」と彼女の名を呼び、

 

 

「俺ね、レムに告白することにしたんだ」

 

「知ってる。レムから聞いた」

 

 

レムの姉に放った一言に返ってきた言葉は単純なもの。特に無反応のラムは眉毛ひとつ動かさず、足を揃えて座る彼女は毅然とした態度を崩す気配なく淡々としている。

 

なんとなく、予想はしていた。自分がハヤトに告白のことを話したのだから、レムがラムに話すのも必然と言える。互いに信頼できる相手に、最後の相談と報告をと。

 

予想が的中したテン。見事にレムの行動を当てた彼は動揺もせず「そうなのね」と頷き、

 

 

「なら、話は早いよ。その事について、ラムに言っておかなくちゃいけないことがあってさ」

 

「妹さんをください。って?」

 

「違うよ。気が早すぎる」

 

 

真剣な態度で話そうとするテンにラムの冗談なのか判断し難い軽口が放たれると、彼はやんわりと否定。言葉自体を否定しないところから察するに、彼にもレムの意志は伝わっているらしい。

 

ラムとしてはそれでも良かった。寧ろ、彼が自分に伝えたい事とすればそれくらいしか思い浮かばないから、それであってほしかった。それ以外ならば予想の立て用がない。

 

今、テンはレムへの告白を直前に控えた状況。自分との話を終えたら彼はレムの下へと行って、全てに決着をつけるつもりだろう。今この瞬間にも、レムはテンのことを自室で心待ちにしているのだから。

 

そんな彼は、自分に何を伝えたい。レムのお姉ちゃんである自分に何を言いたい。読めない彼のことだから自分が予想もしないようなことを————、

 

 

「——ありがとう、ラム」

 

「………え?」

 

 

自分でも間抜けな声が出てしまったと、言ってから気付いた。その理由となる存在が、自分に腰を曲げながら頭を下げていることも含め。

 

考えていたことの全てを破壊し、以降から考える力を奪った声は切実で。テンという存在が自分に向ける感情の全てが、今の感謝にぎゅっと凝縮されていると気付くのに時間は掛からなかった。

 

正面、テンが頭を下げている。心の底からの感謝だと刹那で聞き分けることのできる気持ちを告げながら、想いを文章として繋ぎ合わせた。

 

 

「ラムがいたから、俺は自分の気持ちと向き合えた。くだらない考え方から抜け出せた。あんな自分から変わろう、って、そう思えた。全部、ラムのおかげだ。ラムの言葉が、俺を変えてくれた」

 

 

言葉を紡ぐテンに一瞬、ラムは生じた動揺を顔に薄く彩らせたが、残念なことに頭を下げるテンの視界に映る事はない。刹那で動揺を顔の裏側に引っ込めるなら尚更。その動揺は、本人のみが知りうる。

 

そんな彼女とテンの脳裏に描かれるのは勿論、『ソラノ・テン』という人間のオリジン(原点)となった瞬間の記憶。ラムが初めて満面の笑みを見せた劇的な一場面であり、二人にとっての黒歴史(内緒話)

 

あの時、テンは本当の意味で変わった。前の世界からずっと引きずってきた『空野・天』から、この世界に生きる『ソラノ・テン』へと。姿形が変わったわけじゃないけど、根本的なものが変わったのだ。

 

 それに、

 

 

「あの夜だってそうだよ。自分に自信が持てないから、迷って、揺らいで、何度覚悟しても弱々しくて。暴走状態のレムを助け出すときに折れかけたのに、ラムはそれを勇気づけてくれた。あんな……あんな面倒な男に、妹のことを託してくれた」

 

 

「あれ、場違いにも嬉しかったんだ」と、頭を下げた姿勢を保つテンが微かに笑う気配に、ラムもまた釣られたように微かに笑う。

 

どの日のどの場面の事なのか、テンの思考が手に取るように理解できた。「あれ」が差す意味は多分、鬼化したレムを救い出すとなった時に、自分がテンに妹を託した事。

 

いつ思い出しても、あのときの彼には嫌悪感を抱かざるを得ない。申し訳ないとは思うし、不本意ではあるが、それ程までに心が貧弱であったことに間違えはない。あれは、流石に度が過ぎた。

 

もし、今の彼があのままの彼だったら——想像するのもイヤになる。

 

 

「ほんとにね。ラムがいなかったら俺、今よりもずっと悲惨な状態になってた。ううん、悲惨な状態になったまま……それよりも更に悲惨な状態になってたかもしれない。しれない……じゃなくて、なってた、かな」

 

 

修正に修正を言葉に重ねたテンは、あり得たかもしれない未来(地獄)絵図に戦慄し、身震い。その凄惨さを誰よりも鮮明に思い描き、ありうべからざる今に本能的な拒絶反応が露出した。

 

もし、ラムが自分の隣にいなかったら。自分は何一つとして前に進めなかっただろう。その確証が、テンにはあった。彼女の言葉が、想いが、『空野・天』という人物の心を大きく動かしたのだから。

 

ラムだ。ラムが居たから、今の自分が在る。揺らいで揺らいで揺らいで、今にも折れてしまいそうな心を強く蹴り上げてくれたから、『ソラノ・テン』という存在は生まれた。

 

もし、それが無かったら。ラムが、自分の隣にいなかったら。レムは助けられなかった。自分は何も変われなかった。ひょっとしたら、あの夜に全て終わっていたかもしれない。

 

そんな、『もしも』の世界線。回避できたことに本当に安心するテンは下げた頭は決して上げず、描いた地獄絵図に己の胸ぐらを拳でくしゃりと握り潰し、

 

 

「愚図で、精神弱者で、脆弱で、鈍感で、情けなくて。マジで迷惑だったよな。あんなの……迷惑以外にないよな。勇気づけるラムのことなんて考えもしなかった。ほんと、クソ野郎だよ」

 

「そんなことない」

 

「いや、そんなことある。そんなことある、って言わせてほしい。下手な気遣いはいらない」

 

「本気で気遣いだと思うなら、その舐めた結論をラムが直々に正すことになるけど」

 

 

とんとん拍子で否定と否定が飛び交った結果は、ラムの刺すような声。若干の怒気を含む声にテンの息が喉に詰まると、その隙にラムは片手で顎を掬い上げるような仕草で彼の顔を上げ、

 

 

「確かに、あの時のテンテンに嫌悪感を抱かなかったわけじゃない。あの土壇場でヒヨられて、どうしようかと思ったわ。焦りもしたし、いつまでうじうじしてるのと言いたくもなった」

 

 

「けどね」と。ラムは芯の通った声と一緒に立ち上がり、

 

 

「それ以上に、ラムはテンテンのことを信じてるから。あなたはラムの……ラム達のためなら、自分の弱さだって乗り越えてくれるって。そう、信じてるから」

 

 

顎を掬い、そのままの流れで折れ曲がった体を起こしてくるラム。聞いていると、不思議と落ち着く声色を耳にしたテンは言葉を紡ぐことはできなかった。

 

真っ直ぐ整えられた姿勢、広がる視界、その視線の先。少しでも手を伸ばせば簡単に触れることのできる距離に、ラムの全幅の信頼が存在していて。

 

 

「あなたは、そんな人じゃない。ただちょっと自分に自信が持てなかっただけの、やればできる人。それがラムが信頼するソラノ・テンという存在。迷惑だなんて思ったこと、一度もない。…………面倒だとは思ったけど」

 

 

最後に付け足し、ラムは唇に手を添えてクスリと小さく笑う。朗らかな表情をほのかに漂わせ、一切の迷いなく語った。面倒、と。そう言ってくれたことからして、何一つとして包み隠していないのだろう。

 

思ったこと。感じたこと。抱いたこと。それら全てを目の前の男に伝えるラムに遠慮などない。そんなこと、する必要など皆無。

 

自分とテンは、そういう関係。

 

 

「そっか。迷惑じゃ、なか……ったんだ」

 

「愚問ね。逆の立場だとして、テンテンは迷惑だと思う?」

「思わない」

 

「そうでしょう。つまり、そういうこと」

 

 

万に一つとしてない立場の逆転を想像したテンの即答に、ラムは満足げに頷く。客観的に自分のことを捉えると見えてくるものがあるように、相手の立場になって物事を考えると分かることもあった。

 

迷惑だなんて思わない——それが共通の答え。迷惑だと思われて、変に隠される方が迷惑。素直になってくれる方が接しやすく、親身になって寄り添えるから。

 

深い関係性でなければ叶わないそれも、今の自分とテンならば。会ったばかりの二人なら無理だけど、今の二人なら容易い。

 

たったそれだけのことが、テンの心をどれだけ救ったことか。彼女はその全貌を、真に理解しているだろうか。

 

 

「本当に、本当にありがとう。どれだけ伝えても伝え切れないくらい感謝してる」

 

 

正面の赤い瞳を己の視線で一直線に射抜き、テンは感謝以外の混濁がない言葉を告げる。レムを救った事として彼女の期待に応えた彼は、最後に態度で心を表現した。

 

今までのテンと自分を振り返り、少しの思考を加えれば、彼がそうするのも頷ける気がするラムだ。最初は何を伝えてくるのかと僅かに身構えたが、結局は杞憂に終わる。

 

やはり、この男は律儀。丁寧と言ってもいいのかもしれない。その気持ちは既に受け取っているし、彼の一つ一つからたくさん伝わってきたけれど、それでも彼自身が納得いかなかったらしい。

 

そのせいで、少しむず痒い。真正面からの純粋な想いをひたむきに伝えられると、変に照れ臭くなる。

 

だからいつも、ラムは照れ隠しを実行するのだ。

 

 

「礼を言われることをした覚えはないわ。あの時はお互い様だし。ただラムは、いつまでも女々しくて焦ったいテンテンが見るに堪えなかったから、先輩として道を示してあげただけ」

 

「素直じゃないなぁ」

「殴る」

 

「照れ隠しですか?」

「刺す」

 

「待て待て待て」

 

 

近場の机、そのペン立てに立てられた羽ペンを真顔で片手にしたラムに、テンは全力で謝る。

 

殴ると言っても本気で殴ってくるわけではないと高を括って追撃したのが間違えだったようで、刺すと言った彼女の片手には文字を書くために使用するはずの羽ペンが一つ。

 

羽ペンは、使用方法によっては人を殺しうる凶器になるらしい。偶然にも、文字を書く以外の用途が新たに開拓された瞬間であった。

 

 

「ごめんごめん。ちょっと揶揄っただけじゃん、本気にすんなって」

 

「女をその気にさせておいて寸止めとか。死ねばいいのに」

 

「それ、別の意味に聞こえるからやめて」

 

 

不意にも、レムをその気にさせて寸止めした自分に言葉の刃がブッ刺さる中、テンは物理的な被害を受けたように胸を押さえて苦笑。そんな彼をラムは「ハッ」と、嘲笑の意を込めて鼻で笑い飛ばした。

 

その行為自体も照れ隠しであるとテンは気付いたものの、これ以上は触れない。触れたら、次こそ鮮血がラムと自分の間で弾け飛ぶことになりそうだ。

 

 

「まぁ、恩を感じてくれるならそれでいいけどね。悪い気はしないもの。それに、恩は売っといて損はないものだし。……この大きすぎる貸しはいつか返してもらうから。そのつもりで」

 

 

携えた羽ペンをペン立てに投げ入れ、放物線を描くそれが見事に収まる音を聞くラム。

 

彼女は「本気で?」と小首を傾げるテンに「当たり前でしょう」と腕を組み、

 

 

「ラムが、どれだけのことをテンテンにしてあげたと思っているの? このラムに、あんな事やそんな事までさせておいて、まさか、何も恩返ししないと? 恩知らずも甚だしい」

 

「結論を早まるなよ。てゆーか、あんな事やそんな事、って………。まぁ、確かにそうだね。コツコツと恩返しさせてもらうよ」

 

「今までの分を含めてね」

「今までの……、ぜんぶ?」

 

「当然」

 

 

当たり前のように言い放つラム。それはつまり、ラムと出会ってから今この瞬間までに受けた恩を諸々全て返せと。そう主張していることになるわけである。

 

理解したテンの表情が凍りつくのも必然と言えるか。だって彼には、彼女に感謝と同程度の恩義があるからだ。自分を変えるキッカケを作ってくれたという、とても大きな恩義が。

 

それ以外にも、両手ではとても収まり切らない程にたくさん。

 

 

「このラムの存在なくしてテンテンが変わることなんて不可能だったもの。不可能、不可能よ。あなたの情けない姿を誰よりも見てきたラムの言葉だったからこそ、テンテンは変われたのよ」

 

「それは……はい。そうですね」

 

「どれだけラムが大変な思いをしたか。迷惑ではなかったけど面倒ではあったのだから、相応の報いがあるのは当然だと思うのが一般常識だと思うけど」

 

 

「その辺、どうなの?」とラムは口角を釣り上げながらテンに問いかける。答えの分かりきった質問を敢えて投げかけ、彼女は待ちの体勢に静かに入った。

 

口角が釣り上がったのは、きっとこの状況が楽しいからだと思う。テンと話しているこの時間が心地良くて、気付いたら睡魔なんてそっちのけ。雰囲気に浸るような風に、安らげる。

 

そんな態度をされても困るテンだ。妙に纏う雰囲気が柔らかいなとは思っていたが、気のせいでもなかったようで。今更感万歳だが、相変わらず彼女の変化には驚くばかり。

 

もしかしたら、彼女が一番の原作ブレイクかもしれない。ふと、そんなことを頭の片隅で思いながらテンは「そうだね」と弾けるように笑い、

 

 

「ラムには、どれだけ助けられたか分からない。今までの分を含めたら、俺はラムに数えきれない程の恩がある。恩返し、沢山しないとね。支えられっぱなしだったしさ」

 

 

「大変だこりゃ」と、テンはにこやかに笑う。弾けた笑みが心に波紋すると、余韻が笑声として口元から次から次へと溢れ出る。

 

言葉とは裏腹に、負感情の一切が含まれていなかった。大変だけど大変だと思っていないような。あるいは、大変であることを楽しむような。そんな笑い方だった。

 

彼も、随分と表情豊かになってくれた。基本的に真顔でいることが多かった彼は今、自分の心を素直に曝け出してくれている。

 

ラムにとっては嬉しいことであり、同時に悩みの種でもある。陰りのないそれを向けられてしまうと、自分自身も釣られてしまう。照れ隠しで隠した自分の顔が、最も容易く暴かれる。

 

自分も弱くなってしまったものだ。それ一つで隠したい心が、表情が、態度が、想いが。自分という存在を成立させている全てが崩されて、暴かれる。

 

 否、暴かれた。

 

 

「別に、返さなくてもいいけど」

 

 

どうやって恩を返そうか考え、悩んでいたテンに聞こえてきたのはその思考を止める声。語ったラム自身による不意な恩返しの否定に、テンは「ん?」と喉を低く唸らせた。

 

言ってることが違う。自信満々に当然であると言い放ってくれた彼女は、生じたテンの疑問符に唇を綻ばせて、

 

 

「理由なく助ける——それがラムとテンテンの関係。ラムが助けたくて助けたんだし、無理に返さなくてもいいわよ。その代わり、逆も然りということを忘れないように」

 

「はっきり言うね」

 

「当たり前よ。だって、ラムはテンテンの先輩だもの。後輩が頼らずにはいられない、完璧な先輩だもの。好きなだけ頼るから、好きなだけ頼りなさい。頼られてあげる」

 

 

胸を張ったドヤ顔のラムが、誇らしげな笑みで表情を彩る。お仕事モードの無表情ではないそれは、友人間でのみ浮かべることを許された素直な感情表現の他にない。

 

その無邪気な表情がレムと重なってしまうのはお馴染みだ。見ているといつも思う、やっぱりこの二人は双子で姉妹なんだなと。家族なんだなと。

 

 そう、思いながら、

 

 

「先輩、か。……確かにそうかも。ラムは俺の先輩だもんな」

 

「そうだと、ラムはずっと言ってるけど。美少女な先輩を持てて嬉しく思うがいいわ。ラムのような先輩は、この世界に一人としていないわよ」

 

 

 先輩、と。

 

その単語を呟くテンは、どこか感慨深そうな様子。目の前でラムが分かりやすく自分を取り繕うのを他所に吐息すると、彼もまた彼女のように唇を綻ばせる。

 

先輩——その意味は、一つだけに限られるわけではない。色々な意味で、ラムはテンの先輩だ。唯一、先輩でないと言えるのは年齢かもしれない。たった一つしか違わないから大して意味など成さないが。

 

それにしても。まさか、ラムの口からまともな意味合いでその発言が聞けるとは思わなかった。

 

普段は適当に理由をつけては仕事を押し付け、「ラムはテンテンの先輩だもの」と立場の暴力を振るう彼女が。

 

初めて、まともなのを聞いた気がする。初めて、彼女のことを先輩として敬えた。自分より何歩も先にいる彼女に、先輩として尊敬の二文字を抱くことができた。

 

 

「人として尊敬してます。ほんとに、心から尊敬してるよ。ラム、っていう人格者を」

 

「そこまではっきり言われると、気味が悪いのだけれど」

 

「なんでだよ。お前いつも、敬え、って言ってくるじゃん」

 

「その真意くらい察しなさい。乙女の想いを察するのが男の役目でしょう。この元鈍感男」

 

 

人がせっかく敬っていたというのに、この先輩は茶化してくる。普段から口では敬えと言うくせに、テンに敬われる自分をよく思っていない彼女はそこから先を言わせてはくれない。

 

それでいいのだろうか。目を細めたラムが不満そうな顔をしているからいいのだろう。寧ろ、ここで止まってくれた方が彼女的には良いらしい。

 

過度な敬いは不要。自分とテンは友人で、対等に扱ってほしい。とは、テンなりの解釈。多分、間違ってると思う。どこからどこまで間違ってるかはさておき。

 

もし、仮に、自分の解釈が正しいのなら。それはそれでむず痒く思う。やっと素直な顔を見せてくれるようになったラムの、素直でない部分を新しく知れたような気がするから。

 

そんなんだから、自分はラムに甘いのだろう。素直なラムも、そうでないラムも、どっちも壁が無くて好ましい。

 

そんな風に思わせるラムが悪いんだ。

 

 

「………なに、その生温かい目つき。不快だわ」

 

「いや、なんでもないよ。ただ、ちょっとね」

 

 

気になる言い方で言葉を止め、テンは身体の向きを扉の方へと向ける。追及の声を「なんでもなーい」と手をふりふり振ってあしらう彼は、彼女に背を向けると歩き出した。

 

話を終えるつもりだろう。察したラムは後を追いかけ、

 

 

「ちょっと、なに?」

 

「なんでもないです。気にしないでください」

 

 

追いかけてくる声に取り合わず、足を前へ前へと押し出す。勿論、適当な態度を逃すラムではない。気になるところで止めたテンの背を追う彼女は一秒と経たずに追いつき、その肩に手をかけ、

 

 

「女を焦らす男は嫌われるわよ」

 

「別に、焦らしたわけじゃないんだけど」

 

 

足を止められ、強制的に振り向かされたテン。彼の瞳に映るのは張り詰めたような無表情ではなく、純粋に今を楽しむような無邪気な微笑みだった。

 

 

「稀に、焦らされることに快感を覚える女もいるそうだけど。ラムはそんな女とは違うから」

 

「なるほど。つまり、ラムをイラつかせるには焦らす方がいいのか」

 

「ねじ切るわよ」

「なにを?」

「教えてほしい?」

「遠慮します」

 

 

軽快に言葉を交わし、その末に二人は笑い合う。

 

といっても、ラムが眼光を鋭く尖らせて不敵に笑い、なぜか体の奥がヒュンとなる感覚を味わったテンが顔を引き攣らせたという絵面。

 

何をねじ切られるのか。或いは、ナニをねじ切られるのか。即答したテンは物理的な距離を一歩だけ取ると咳払い、心に飛来した感傷を大切に保管した彼は会話の流れを一刀両断すると、

 

 

「じゃ、俺はそろそろ行こうかな。レムが待ってくれてるから行かないと。ずっと待たせちゃってる」

 

「ねじ切るわよ」

 

「はいはい。妹さんを焦らしてすみませんでした。行きます行きます。もう、今すぐに」

 

 

決して意図したわけじゃない。正確な時間は伝えてないし、伝えられていないから自分がいつ部屋に行こうとも関係ない。が、ラムはテンが妹を焦らしていると解釈したらしい。

 

右拳をぐしゃりと握りしめ、物体を握っているようにも見える手首を捻る彼女の目は本気だ。本気で、何かをねじ切ろうとしている。

 

勿論、冗談ではあると思うが。早々に向かった方がいいことに違いはない。そう考えたテンは「んじゃ、おやすみ」と一声かけると、彼女に背を向け、扉の取っ手に手をかけ————、

 

 

「テンテン」

 

「今度はなん………」

 

 

 今度はなんだよ。

 

振り返り、そう言うつもりだったテンの声が途端に途切れる。早く行ってほしいのか、ほしくないのか、意図が全く読めない彼女に紡ぐはずの言葉は全てを出し切る前につっかえた。

 

本人の意思とは反したのは、視界に飛び込んだラムの真剣な表情を見たからだ。数秒前——ついさっきまで微笑んでいた彼女は、ふっと真剣な表情を作っている。

 

気持ちの切り替えの速さには自信のあるテンも、流石に不意のそれには追いつけず。表情の真剣さが雰囲気として彼女の周囲を漂うと、途端から部屋に静寂が満ち始める。

 

この感覚は、前にもあった。さっきまでは笑っていたのに、一度でも視界から外せば、次、視界に入れた時には真剣な表情をしている光景。

 

そんな光景を作り出したラムは、彼の存在だけを己の意識下に入れ、

 

 

「レムのこと……ラムの世界で唯一の妹のこと、頼んだわよ。ラムは、あなたになら任せられる、って。信じてるから。信じて、疑わないから」

 

 

 言い、二歩、詰め寄る。

 

今この瞬間、テン以外の全てを意識から除外するラム。彼女は彼の意識を全て自分に引き寄せ、発する一言一句を鼓膜に深く刻み込むように、

 

 

「エミリア様のことも含めて」

 

 

 直後。

 

一度だけ小さく肩を跳ねさせたテンだったが、含ませた吐息を溢すと、彼は潔く認める。雰囲気に置いていかれない彼は、曝け出すような苦笑を浮かべた。

 

否定しない時点で彼はラムに、その事実が本当であると語っているようなもの。否、元から否定する気など一欠片もない。否定すること、それはエミリアの想いを否定することになるのだ。

 

それを見抜くラムには、何年かかっても勝てる気がしない。

 

 

「やっぱ、ラムには敵わないなぁ。人がやっとこさ察したものを、当たり前のように見抜くんだもん」

 

「テンテンがラムに勝とうなんて百年早い………いえ、勝つことなんて無理ね。何百年かかろうともテンテンはラムの後輩で、ラムはテンテンの先輩。ラムが上で、テンテンが下。その上下関係は決して揺らがないわ。勝とうとしても、徒労を重ねるだけに終わる」

 

「そうですかい」

 

 

敵わない。ラムには敵わない。どう頑張っても、彼女の上をゆける気がしない。けれど、それも悪くない。

 

目と鼻の先にいる傲岸不遜で憎めない顔を視界に収めながら、テンはそんなことを思う。それでいいと思えるあたり、彼女の意のままに操られてる感が否めないが、別にいい。

 

そんな関係もまた、好ましい。

 

 

「悪いけど。今のテンテンは、レムとエミリア様の二人を受け止められるような器用な人間には見えない。ハッキリ言わせてもらうわ」

 

「うん。分かってる」

 

 

ズバッと言い放つラム。テンもよく理解しているとは理解の上、その上で彼女は突き付けるように指摘する。

 

意味もなく指摘したのではない。自分を変えようと必死に、前向きに、ひたむきに足掻く姿を見ていて、言いたいことができたのだ。

 

 一つだけ、

 

 

「その件に関しては、ラムは何も言わない。テンテンが前のテンテンじゃないことはラムが一番よく分かってるし、伝えたいことは全て伝えたから。自分達でどうにかしなさい」

 

 

一つだけ、どうしても言いたいことがある。彼と同じで、今じゃないと、とても伝えられないことが、自分の中に生じてしまった。

 

 

「だから、ラムからは一言だけ。いい? 一度しか言ってあげないから耳を澄ませてよく聞きなさい。金輪際、聞くことのできない特別な声音よ」

 

 

言った直後。テンに反応の隙を与えず、それは起こった。

 

瞬間で限界まで詰め寄り、踵を上げて背伸びし、テンの肩に手を掛け、顔を見ながらだと恥ずかしいから。

 

 耳元で、

 

 

「がんばれ」

 

 

 言った。

 

 

「ーーーっ!」

 

 

 言われた。

 

 

衝撃が鼓膜から心へと電撃の如く突き抜け、心臓が一度だけ凄まじい勢いで跳び上がり、全身の血が沸騰したような感覚を得る。下から上へと込み上げてくるものがあるのは、そのせいだ。

 

四文字——『 が ん ば れ 』と。たったそれだけの音が、こんなにも衝撃を与えてくるものなのかと。あまりの攻撃力に呼吸が止まり、思考が麻痺。

 

頑張りなさい、ではなく。がんばれ、と。

 

前者ならまだ対応できたものを。後者を選択したことによって、ただでさえ瞬間風速が高すぎる彼女の破壊力が何倍にもなって襲い掛かり、ものの見事にテンの時が膠着。

 

あの時の満面の笑みといい勝負。もしかしたら更新したかもしれない。彼女の瞬間風速が今、自分の中で更新されたかもしれない。一日に二度も更新するとは何事だ。

 

この人は、本当はラムではないのではなかろうか。ラムの皮を被った別人なのでなかろうか。

 

数秒かけてショートした機能を復旧させたテン。胸に詰まった酸素を深く吐く彼は、三歩ほど体から離れたラムに「あのさぁ」と、

 

 

「おまえ、ほんと、やめろ。……それ以上、ラムらしからぬラムを見せてこないでよ。お前が一番、原型から崩壊してる。なんだよお前、ほんとに誰だよ」

 

「誰、って? 勿論、ラムはラムよ。何も違いないし、変わりないわ。それ以上でも以下でもない。逆に、テンテンはラムを誰だと思っているの?」

 

 

淡々と言うラム。先程の出来事を既に過去のものにしているっぽい彼女は毅然としていて、その胆力には驚嘆させられるテンだ。動揺する自分が馬鹿みたいに思えてくる。

 

そんな彼は、無表情という名の仮面をラムが被っていることなど知る由もない。「そりゃ勿論、ラムは……ラムだけどさ」と、扉に背を預けながら呟いている。

 

 

「変わりない、って……。んなわけないだろ。あの時といい、この時といい、俺の知らないラムを見せてくるなよ。一気に気持ちが引き締まった」

 

「難しい相談ね。もうラムは、テンテンに信を置いてしまっているもの。信頼するに値する男として、ラムの中に存在しているもの。そんな男が頑張ろうとしているのなら、友人として焚き付けたくなる」

 

 

「焚き付けたく、させてる」と。ラムは自分の言葉を修正し、ふわりと微笑む。焚き付けたいとテンは自分に思わせてくるからと、そう語った。

 

きっと、彼に感化されたのだ。至らない自分と真正面からぶつかり続ける彼の、葛藤して、苦しんで、踠いて、それでも足掻き続ける姿を間近で見たから。

 

そのせいで、自分はこうなった。彼とハヤトの影響で自分が変わりつつあったのはずっと前から察していたけど、今回の件でそれが確実なものになった形だろう。

 

もう自分は、前のような自分では在れない。表裏関係なく真に頼れる人がどこにも居なくて、自分一人で頑張るしかなかった自分には、もう戻れない。

 

彼がいる、彼らがいる——ひとりじゃない。その甘美な温かさの味を知ってしまった。知ってしまえば、二度と忘れられない。離せない。

 

自分は、とても弱くなってしまった。弱くなっても大丈夫だと思ってしまうくらい、今の環境が心地良すぎる。

 

 

「それに、テンテンは単純で分かりやすい男だし。ラムの声援一つで無限に頑張れるでしょ? ほら、頑張りなさい。美少女であるラムの声援は高くつくわよ」

 

「なんか、すっげー腹立つ言い方。俺ってそんなに安すく見られてたか。まぁ、否定しないけど」

 

「否定しないのね」

 

「勿論。できないよ。単純なのは本当だからね」

 

 

余韻が波のように引いていくのを横目に、テンは心を立て直しながら何度も頷く。自分が単純な男であるとはとっくに理解してるつもりだ。でなければ素直になれない。

 

女の子の笑顔一つで頑張れる、とまではいかないけれど活力になるのは本当のこと。

 

実際に、ラムのお陰で色々と決心できた。彼女が向けてくれた想いの数々が重なって重なって、ずっと不安だった一歩を踏み出す勇気になった。

 

その恩は、一生忘れない。

 

 

「いい機会だわ。前の自分から変わったのはあなただけじゃないことを、今、知りなさい。いえ、テンテンは既に理解してるはずよ」

 

 

テンが単純であることに何を思ったか。あるいは別の何かか。「ふっ」と小さく笑った彼女は今の自分が以前の自分ではないことを告げ、自分自身の明らかな変化を認める。

 

隠すことはしない。隠すと、隠すためにたくさんの嘘をつくことを求められる。そんなの面倒だ。

 

 

「それは、どういう意味で?」

 

「好き解釈しなさい。テンテンになら、どう受け取られてもラムの品が下がることはないもの」

 

 

最終的な判断を委ねたラムにテンは「分かった」と一言。自己流に解釈した内容を伝えないのは、言った彼女がテンに背を向けたからだ。

 

お話はおしまい、と。態度で伝えるラム。彼女は眠たそうにあくびをすると、目端に浮かんだ雫を人差し指で拭う。拭って、寝台へと戻っていく。

 

そんな彼女の姿を最後に瞳に収め、テンもまた背を向けた。少し、長く話しすぎてしまったかもしれない。手短に伝えてすぐに出ていくはずが、気がつけばこんなに長く濃い話をしていた。

 

早く、早くレムの下に行かなければ。あまり待たせると怒られる。というよりも、離れていた時間が長すぎると会った時の反動が半端ないことになる。

 

扉の取っ手に手をかけ————今度こそ、取っ手に手をかけて捻り、扉を押し開く。部屋と廊下の境界線を踏み越え、彼女と別れる前に、

 

 

「じゃ。おやすみなさい、ラム」

 

「おやすみ………」

 

 

その挨拶を最後に、二人の会話は終わった。静かに扉を閉めるテンがゆっくりと閉めて、閉めて、閉めて、

 

 

「……テン」

 

 

名を呼んだ優しげな声が、扉の隙間から聞こえてきたのを最後に、完全に閉めた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

扉を閉めたテンは、まず初めに、大きく深呼吸。

 

吐く息で胸の中にある空気と一緒に全身から熱を抜き、吸う息で大気中の酸素を肺いっぱいに取り込む。そうすると、肩に乗っかる余分な力が上手く落ちていく心地よさがあった。

 

ラムに揺らされた心を、丁寧に落ち着かせる。ぐらつく心はちゃんと安定させてから、やるべき事に望む。

 

中途半端な想いで望むつもりなどない。そんな生半可な覚悟でレムに全てを話す気など毛頭ない。これから話すことは、ただの告白ではないのだから。

 

 

「——さて」

 

 

心を整え、レムと話すことに意識を集中させるテンがぽつりと一言。自分自身に言い聞かせるつもりで発したそれを己の鼓膜が聞き届けると、心の奥底が燃え上がった。

 

やるべきことは全て終わらせた。話すことは全て話した。伝えることは全て伝えた。全て、全て、全て。心残りはない。

 

最後に残ったのはレム、ただ一人の愛しい少女。自分が、初めて本気で好きになった女性。これでなんの気兼ねなく、彼女に自分の全てを注ぐことができる。

 

覚悟は十分。決意は十全。整えるものはこれまでの時間で整えた。

 

 なら、

 

 

「いくか」

 

 

静寂に支配された廊下に、テンの低い声が響いた。これまでに響いたどの声よりも芯が通った声が、静寂を切り裂く。

 

一つの方向へと向かう足音が、連鎖する。歩き慣れた道のりを、一歩一歩、踏みしめるように。

 

足音に、迷いはなかった。迷い、葛藤し、その果てに辿り着いた答えに、揺らぎはなかった。

 

 そして、

 

 そして————。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「ずっと——レムはずっと、この瞬間を待ち焦がれていました」

 

 

そして、物語の幕引きは訪れた。

 

数々の苦難を乗り越えた二人が、想い通じ合った二人が、ようやく結ばれる。

 

始まりの物語が終わり、新たな物語が始まる。終わりと始まりが交わり、重なる。

 

 

「うん。待たせてごめんね」

 

 

 今までの全ては、このときのために。

 

 

 

 

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