親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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遅れて申し訳ないです。高熱と格闘するので執筆どころじゃありませんでした。


このお話は、レムのキャラソンである【Wishing】を基に書いたお話。たくさんの苦難と絶望を乗り越えたレムとテンがやっとたどり着いた、甘々で幸せな日々。

原作に入ったらシリアス君が満を持して復活するので、今のうちに存分にイチャつかせました。一話丸々テンとレムのお話しなのは、当分ないと思います。




(ソラノ・)レムの幸せに溢れた日々

 

 

 早朝。

 

未だ太陽が地平線から顔を出さず、月の姿と夜の気配が世界に満ちている頃。それでも、世界に夜明けを訪れさせようと太陽が天高く昇りつつある時間帯。

 

世界は、静寂に支配されていた。朝を知らせる小鳥ですら巣の中で羽を休め、心地よく吹き抜けるそよ風一つ吹かず、世界に住む住人はおろか世界そのものが眠っているような静けさだ。

 

 ——そんな時間帯に一人、決まって目を覚ます少女がいた。そんな世界で一人、決まって体を起こす少女がいた。

 

 

「………ふぁ」

 

 

輪のような欠伸をした少女だ。眠たげに開かれた目を擦りながら重たそうに体を起こすと大きく背伸びし、ぴょんと可愛らしく跳ねた寝癖を小さく揺しながら「んーー!」と息を溢す。

 

就寝した時とほとんど変わりない世界を見ると「もう朝か……」なんてことを思って。そう思うと「もう少し寝ていたいなぁ」なんて風に思うことも偶にあったりして。

 

それはいけない。お屋敷で働くメイドとしてあるまじき思考。お仕事に支障を来すようなことがあれば姉に叱られてしまう。

 

尤も。少女が起きた時間は朝の仕事が始まる約二時間前と、起床にしては流石に早すぎる時間。本来ならば「もう少し寝ていたいなぁ」は、なんの障害なく叶えられる時間帯なのだが、

 

 

「よし」

 

 

襲いくる二度寝の脅威を体に被った布団と一緒に剥ぎ、気合の声を呟いた少女は起きることを選んだ。まだ寝ていられる時間帯にも関わらず、彼女は寝ることを選択肢から捨てた。

 

寝台から足を下ろしてすぐ洗面台に向かい、瞼に残る睡魔の重しを洗い落とす。ひんやりした冷水を顔面に浴びると身が一気に引き締まるような感覚を得て、寝ぼけていた意識の八割が再起動を開始した。

 

残りの二割は、敢えて眠らせておく。この二割が後々大切になってくるのだ。稼働を始めた意識を眠らせるのに役立つのだ。どうしてそんな必要があるのかは後ほど。

 

ともかく。そうしている間にも少女は寝癖を櫛で丁寧に整え、身支度を淡々と済ませていく。慣れた手つきで衣装棚を開けるとメイド服を取り出し、寝巻きとして着用するネグリジェを脱いだ。

 

この少女。どうやら、この後に何かあるらしい。着替える最中にニコニコしながら鼻歌を歌っている。心なしか、作業を進める手もいそいそしているようにも見えていた。

 

寝起き直後とは思えないご機嫌さだ。世の中には、寝起き直後は機嫌が悪く、男二人に対して当たりの強いラム(人間)だっているし。起こしても起きないハヤト(馬鹿)だっているというのに。

 

 

「よし。あとは………」

 

 

少しずつ、胸の辺りが苦しくなりつつあるメイド服を着用。そうして着替えを済ませた少女の足が向くのは縦長の鏡だ。いつも、そこに立って自分の姿を確認し、朝の準備を終わらせている。

 

服に皺なし。髪に寝癖なし。顔に汚れなし。他の気になる点も特に変わりはない。鏡に映る自分は、この後のことを考えて幸せそうに頬を緩ませている。普段と何も変わらない。

 

仕上げにホワイトプリムを髪に飾れば、朝の支度は完了。五分程度で済ませたお仕事の準備は、完璧に整ったことになる。

 

 

「さて」

 

 

ならば行こう。今すぐ行こう。そんな風にぱたぱたと歩みを進める少女、

 

 

「二度寝といきましょうか」

 

 

レムはそう言うと扉を開き、るんるんとした様子で恋人が眠る部屋へと向かっていった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

もはや、これはレムにとって毎日の一番の楽しみである。彼と正式にお付き合いを始めてからずっとしているレムにとって最高に至福の時間で、何にも代え難いひととき。

 

これが無ければ、自分は一日を好調に始めることができないと言ってもいい。癖になってしまった感覚の中で二度寝をしなければ満足できず、せっかく早起き——早すぎる早起きをした意味がない。

 

こんなにも早く——時間的には早朝の四時という恐ろしく早い時間に起き、「もう少し寝てたいなぁ」を振り切ってまで布団の中から出たのは、実はこれをするためだったり。

 

本格的に動き始める早朝の六時まで、まだ二時間近くもある。ということはつまり、その二時間分をこれの時間に費やせるわけで。わざわざ意識の二割を寝かせておいたのも、そのためだったり。

 

 さて。これ、とはなにか。

 

 

「お邪魔しま……す」

 

 

勿論、テンと添い寝することに決まっているだろう。

 

彼の布団に潜り込んで、彼の温もりを感じながら二度寝へと沈むことに決まっているだろう。それ以外にあるものか。

 

一応の礼儀として小声で入室合図。最小限の声量で簡単に済ませたレムは、楽園へと続く扉をゆっくりと静かに押し開いた。

 

扉の先にあるのは、いつも通りの光景。少しだけカーテンの開かれた部屋で愛しの彼が眠っている。自分の存在に気付かぬ無防備で無警戒な将来の夫が、小さな寝息を立てている。

 

あぁ、早く潜り込みたい。その中で眠りにつきたい。どうせなら、朝だけじゃなく夜も一緒に眠りたい。どうして朝は良くて、夜はダメなのだろう。

 

そんな、何十回目かの思いを胸にレムは息を殺しながら忍び足。口を固く閉ざして溢れる笑みと幸の声を抑え、扉を潜り抜ける彼女は十回以上も繰り返した行為をするべく、テンが眠る寝台へと。

 

 

「テンくん……、今日も素敵です」

 

 

二度寝に沈む前のちょっとした余興と言うべきか。レムは自分が間近に迫っても眠り続けるテンの寝顔を恍惚とした表情で眺め、その度に心を奪われていく。

 

前に、レムの寝顔は子どもらしい可愛さがあるよ、とテンに言われて頬を真っ赤に染めたことがあるが。テンは、それとは反対かもしれない。

 

年相応の大人びた落ち着きがある。今年で十九歳と、既に新米の大人としての仲間入りを果たした、とても凛々しい寝顔。凛々しすぎてずっと見ていたくなる。

 

けど、今からそれ以上のことをするのだ。寝顔を拝むのはここまでにしよう。

 

 

「ではでは………」

 

 

 ーーお邪魔しますね

 

 と。

 

レムは心の中で声をかけ、潜り込むためにテンが掛けている布団を少しだけ剥ぐ。直後、レムは彼の寝相がいつもと少し違うことに気づいた。

 

普段は両腕を適当に下げた状態で寝ているのに、今日は左腕が大きく横に開いている。右腕はいつも通りだけれど、レムが添い寝する時に枕として使っている左腕がレムを受け入れる姿勢に入っていた。

 

入っておいで、と。そう言っているような伸ばし方。レムの場所は空けておくから俺の隣で寝ていいよ、と。そんな風に言ってくれるような開き方。

 

 

「………ふ」

 

 

 思わず、笑みが漏れる。

 

十回以上も早朝から布団に潜り込まれればテンも理解したらしい。自分は必ず、早朝から布団に潜り込んでくるのだと。潜り込んで、二度寝をするのだと。

 

そうこなくては。なら、ここは彼の提案に思いっきり甘えさせてもらおう。靴とホワイトプリムを素早く脱いで適当な場所に置き、レムはテンを起こさないよう静かに静かに布団へと潜り込んだ。

 

あとはいつも通り。テンの左腕に頭を乗せ、剥いだ布団を再び掛け直す。もぞもぞ動いて寝心地の良いように姿勢を整えると、彼の体に自分の体を限界まで密着させて、最後に彼の体を抱き枕にする。

 

これが、レムのお気に入りの寝姿勢。愛しの彼を腕枕にして抱き枕にするという。とても贅沢で、この上なく幸せすぎる自分だけの特権。

 

こうすると、理由もないのにひどく安心して落ち着く。彼の温もりを全身で感じていると、幸せすぎて死んでしまいそうになる。

 

 

「スンスン、スンスン。………いい匂い」

 

 

密着した状態で鼻を鳴らし、レムはお決まりのような風にテンの匂いを嗅いだ。鼻腔を通り抜けて内側へと取り込まれると、頭がふわふわしてくる不思議な感覚に襲われる。

 

彼の匂いには妙な依存性があるとレムは思う。だって癖になってしまったから。癖になって、二度と離れられなくなってしまったから。もう自分は、彼なしでは生きていけなくなってしまったから。

 

依存、しているのかもしれない。自分はソラノ・テンという存在に寄りかかり過ぎているのかもしれない。否、好きなんだからしょうがない。好きな人に依存して何が悪いというのか。

 

甘えたいだけ甘えるし、くっつきたいだけくっつくし、いちゃつきたいだけいちゃつく。それのどこか悪いのか。やっとお付き合いすることができたのだから、極度に甘々だっていいだろう。

 

 それに、

 

 

「テンくんが、レムを甘やかすのが悪いんです。レムのことを毎回のように骨抜きにしてくるから、レムも甘々になってしまうんです」

 

 

悪いのは自分だけじゃない。そんな言い草でレムはポツリと言い切る。彼は甘やかし上手だから、自分も限界を超えて甘えてしまうのだと。結果として、彼なしでは生きていけない体になったのだと。

 

本当に、本当に甘やかし上手だと思う。赤子をあやすような柔らかな手つきに、疲弊した体を癒すような撫で方。甘えた分だけ甘やかしてくれる、否、甘えた分以上に甘やかしてくれる。

 

なんだかんだ、テンは甘いのだ。「離れろぉ」とか「くっつくなぁ」とか言ってくるのに。口に反して体は自分の甘々な態度を全肯定して、どこまでも甘えさせてくれる。

 

そんなことをされれば、レムは自分を抑えられなくなってしまう。胸の奥に秘める欲望が、彼の体を欲する想いがふつふつと湧き上がってくる。

 

 

「………幸せ」

 

 

大好きな人に抱きつき、温もりを感じると、その言葉は勝手に溢れた。だって、それ以外にないから。幸せ——その感情以外は思い浮かばなくて、毎度のようにそれ一色に染められるから。

 

自分は幸せだ。本当に、本当に本当に本当に幸せだ。自分なんかが、こんなに幸せになってもいいのかと思ってしまうくらい。

 

それなら、この人の温もりの中で眠ろう。幸せに包まれながら、二度寝へと洒落込むとしよう。元よりそのつもりでこの場に足を運んだし、早すぎる時間帯に起きた。

 

幸いにも、テンの部屋は早朝の五時に陽光が降り注ぐ、彼曰く「天然あらーむ」付きの部屋。自分が眠りに落ちてしまっても、彼が先に起きて起こしてくれるはず。

 

それに彼は早朝の六時、お仕事が開始する前には必ず目を覚ます人。お仕事を始めたばかりのように五時きっかりに目を覚ますことがなくとも、五時を半分過ぎるまでには自動的に目を覚ます。

 

彼を起こすはずの自分が彼に起こされるとは何事か、と思わなくもない。けど、恋人に添い寝するという甘い誘惑には打ち勝てないのだ。テンのことが好きすぎるレムには、到底敵いっこない。

 

 だから、

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

 

レムはテンの体を抱き枕にし、一人静かに二度寝へと沈む。自分だけの特等席を、自分だけの特等席であると主張するように独り占めしながら。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 数時間後。

 

お仕事が始まる約三十分前に目覚めたテンの視界に映り込んだのは、いつも通りのレム。瞼の外側から陽光に眼球を焼かれる眩しさに目を開けると、眼前にいるのは静かに寝息を立てる恋人の姿。

 

相変わらず無防備で無警戒な、あどけない寝顔だ。体の力と一緒に心の力まで完全に脱力してしまったのだろう、左半身に抱き枕を抱くようにくっつくレムは添い寝に対して容赦がない。

 

ここまで当たり前のように潜られてしまうと、それが普通なのではないかと思えるテンである。否、これが彼女にとっては普通なのだろう。

 

恋人の布団に潜り込むことなどレムにとっては当たり前。毎日のように「夜も一緒に寝ませんか?」と上目遣いで誘ってくるのだから。

 

テン自身、それが当たり前になりつつある現状に満足している節がないわけでもない。ただ、夜も一緒に寝るとなると、自我を保てるか否かの方向に問題が生じるのだ。

 

正直な話、襲ってしまいたくなる衝動に駆られないわけがない。「テンくぅん」と甘ったるい声で限界を知らずに甘えてくる恋人に、ふとした瞬間から手が出そうになる。

 

だから、夜は一緒に寝ない。代わりに、こうして朝の添い寝を何も言わずに受け入れた。受け入れて、受け止めて、起こしに来ているはずの人を起こす立場になった。

 

 

「レム。起きて。朝だよ」

 

 

テンが起こさなければ余裕で寝坊しそうな危うさがあるレム。常日頃から全てを完璧に熟す姿からは想像し難い、だらけた姿を露出させる彼女の体をテンは軽く揺すった。

 

数秒後、「ぅん」と喉を鳴らしたレムの瞼がゆっくり開かれる。揺すられたことで崩れた姿勢を整えるように身じろぎし、目と鼻の先にいるテンを見上げ、目を合わせる。

 

一度目に起きた時よりも眠りが深かったのだろうか、短い時間で濃い睡眠を確保することができた彼女の目は寝起きの余韻に浸っていた。

 

ぼーっとしている目は、明らかに眠そうな目。一人で眠っている時は容易に振り払えた睡魔は、テンの温もりの中でとなれば話は別らしい。ずるずる余韻を引きずり、そのまま目を瞑って三度寝へ————、

 

 

「待て待て待て。三度寝はないからね」

 

 

時計で現在の時刻を確認、「まだ眠れる」と余韻に浸るがまま寝る。そんな、寝坊する人間の定型的なパターンを見せたレムの意識をテンは無理やり叩き起こしにかかった。

 

ゆさゆさ、ゆさゆさ。あまり乱暴に起こしたくないからできるだけ優しく。揺するだけだと効果は期待できないから、背中をポンポン叩きながら。

 

これでも起きないのならば、最終手段として掛け布団を蹴り飛ばすことがテンには要求されるが、

 

 

「……おはようございます、テンくん」

 

 

幸いなことに、その必要はなかった。

 

ゆさゆさされてポンポンされて、レムの意識は温もりによって数億倍にも強化された睡魔の誘惑を退けられたようで。彼女はゆるっとした声色で朝一番の挨拶を呟く。

 

若干の睡魔は残存しているものの、大丈夫。まだ寝ていたい感情を無理やり振り払われたレムは眠らない代わりとして、抱いたテンの胸板に甘えたがる心を素直に表現するような風に額を擦り付け始めた。

 

 

「よく眠れた?」

 

「勿論です。テンくんに添い寝することが、レムにとっては一番の睡眠促進に繋がるんですから」

 

 

恋人と同じ布団の中、大好きな温もりに甘えながら眠りにつき。しばらくして恋人のひどく優しい声と衝撃に起こされる。目を開ければ、視界に映るのは自分がこの上なく愛する人の顔。

 

そんな環境で深く眠って、よく眠れたと言えないわけがない。間違えなく、これ以上はないだろう。現に、レムの心と体は仕事の疲労から完全に解放されている。

 

不思議だと思う。五時間以上の睡眠よりも、僅か一時間半程度の睡眠の方が効果があるのだから。理由として妥当なのは、睡眠の質が後者の方が圧倒的に良いこと。質が時間を上回ったのだ。

 

それだけ、自分にとってテンの温もりというのは心地よいもの。感じるだけで全身の力が勝手に抜けていくそれは、世界で一番の心地よさと言ってもいい。

 

 

「この温かさが、レムは大好きです。レムのことをどこまでも甘やかしてくれる場所が、好きで好きで堪りません」

 

 

その愛情はどれほどの温もりを与えられたとて、潤うことはない。満足という言葉を知らないレムは心の渇望を満たすべく、邪魔の入らない二人っきりの空間でテンに抱きつき、ひたすらに甘える。

 

恋人関係になった以降、こうして愛情を全面的に押し出し始めたレムにテンは落ち着いていた。にへら顔で幸せオーラを纏い、目の奥にハートマークがうっすらと浮かび上がる恋人の頭を梳くように撫でる。

 

寝起き直後のレムが甘えん坊なのは、割といつも通りだったり。理由はよく分からないけど、目覚め数分間の彼女はイチャイチャしたがることが多く、お仕事が開始する時間になるまでは絶対に離れてはくれない。

 

そんな朝がここ数十日間も続いたのだ。「いちゃいちゃしたいです」と限界突破した甘え方を声に出されて悩殺されたこともしばしばあったが、流石のテンも慣れた。

 

だから今こうして自分は落ち着いていられるのだと、テンは今この瞬間に考える。

 

 

「テンくん」

 

「ん?」

 

「おはようのチュー、シてもいいですか?」

 

「いいですか? って聞きながら近づいてくるのやめようか」

 

 

 前言撤回。

 

考えたことが刹那で崩壊する音を横目に、唇目掛けてを己の唇を突き出すレムを回避。顔を横に向けた結果として頬に桜色の柔らかな感触が触れ、リップ音が両者の耳に届いた。

 

脊髄反射に近い反応速度。恐らく、彼女の唐突な愛の爆発に対して穏やかでない心が勝手に体を動かしたのだろう。数々の死の経験で研ぎ澄まされた危機察知能力(第六感)が無意識に避けさせていた。

 

勿論、テン大好き人間のレムがそれを許すわけがなく。望んだ場所に唇を当てられなかった彼女は「むぅ」と不満そうに唸り、

 

 

「どうして、レムの口付けを避けるのですか。別にシたっていいじゃないですか。レムとテンくんは恋人関係ですし。逆にシない方がおかしいですよ」

 

「おかしいとかそーゆーことじゃなくてですね……。なんつーか、えっとぉ、そのぉ、もっと雰囲気とかを大事にした方がいいような気がして」

 

「そう仰る割には、雰囲気が整った場面だとしてもレムの唇を奪ってはくれませんでしたよね。寸前で踏みとどまる事がほとんどで、結局はお預けでしたよね」

 

 

心の準備が整わないことを隠す苦し紛れの抵抗に即答されたのは切れ味のある論破。ジト目で見つめてくるレムと目が合わせられず、テンは顔を横に向けるついでに目を逸らした。

 

実際、そのような場面はいくつもあったから下手に否定できないテンだ。レムの準備は万端が故、彼の準備さえ整えば、両者のファーストキスは互いに奪い合ったはず。

 

一体、いつになったら準備が整うのか。現状に満足しなければと思いながらも、現状よりもっと先の事をシたいと思う心がレムの中にあるのもまた事実。

 

そのせいで雰囲気のある場面でお預けになると、凄まじい焦らしをされた気分になってしまう。そんなつもりなどテンにはないだろうけれども。

 

レムにとっては、そうなのだ。無意識に恋人を焦らし続けるという大罪を犯すテンを好きなったレムにとっては、そうなのだ。

 

 

「そんなテンくんには、こうです」

 

 

「こう、って?」と、言おうとしたテンの声は、直後に与えられた痛みによって断たれることになる。

 

目を合わせていれば彼女の挙動から数秒後の未来を察し、回避することもできただろうに。ジト目から逃げるために顔を横に向けたままだったのがレムにとっては良くて、テンにとっては良くなかった。

 

何があったか。一度は頬に当たった唇が離れると今度は無防備に晒された首筋に近づき、甘噛み。レムがテンの首筋に唇を当て、歯を立てて噛み始めたのだ。それも、リップ音付きで。

 

レムが首筋に近づき、白い歯に皮膚を挟まれる痛みを感じた時には遅い。抵抗虚しく、ついでに生温かい舌先でペロリと噛まれた部位を舐められ、硬直したテンは成す術がなく。

 

 そして、

 

 

「やりました! これで、テンくんはレムのものです!」

 

 

妙に色っぽい吐息を溢し、噛んでいた首筋から離れるレム。自身が唇を当てていた部位をまじまじと見つめる彼女は、目的が達成したことを知ると途端に溌剌とした声色で嬉しがった。

 

 

 ーーこの子、俺に何をした?

 

 

そんなことを思うテン。彼はレムの言動から答えを導き出せないかと模索を開始。いつの間にかうつ伏せの体勢で体に乗っかってきた彼女の真意を探る。

 

首筋に甘噛み。吸い付くようなリップ音。噛まれた部位に感じた痛み。明らかに独占欲が溢れ出た発言。更には溌剌と喜ぶ様子。それらから導き出される彼女の真意はたった一つ。

 

 まさか、この子————。

 

 

「きすまーく、というやつですね。女が男に愛情を示す行為の一つであると。先日、ハヤト君から教わりました」

 

「あの野郎ォ……」

 

 

 ーーなんてこと教えてやがる、あの馬鹿

 

 

今頃、布団の中で眠りこけるハヤトに心の中から殺意を向けるテンはその場しのぎの苦笑。

 

反応に困った時の大抵は微妙な表情を浮かべる彼に、レムは全身から「愛してる」という言葉を止めどなく溢れさせていた。

 

その目にハートマークが色濃く浮かび上がっているのは言うまでもない。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

お昼時を越えた太陽が天辺を過ぎ去り、これから少しずつ夕暮れへと日が傾きつつある時間帯。

 

温かな日差しが地上に住まう人間に光を与え、浴びる陽光に見上げれば、青々とした空色の海に大小様々な雲が泳ぐのが見えた。時折、気持ちの良いそよ風が頬を撫で、心地良い感覚に意図せずにあくびが浮かぶ。

 

とても穏やかな陽気だ。平和そのものと表現してもいい。寒過ぎず、暑過ぎない晴れ模様。

 

 

「別に、俺一人でも良かったんだよ?」

 

「いいえ。それはいけませんよ。例え、貧血症状の改善があったとしても危険な状態に変わりはないのですから。もしものことがあったらどうするおつもりですか」

 

 

そんな晴れた午後に二人、指を絡めて手を繋ぎながら並んで歩くテンとレムがいた。イチャつくのに場所を問わず、二人にっきりになれば確定でイチャつくテンとレムがいた。

 

事の始まりは、ストックしてある調味料の数が心許ないとハヤトが指摘したこと。いつものように厨房で昼食の支度をしている最中、ふと思い立った彼が戸棚を開けて確認したところその事実が発覚したのだ。

 

そこで手を挙げたのがテン。使用人としての立場を剥奪されて暇な自分がアーラム村に買い出しに行ってくると申し出た。

 

ここ最近、やることが少なすぎて暇すぎ問題に苦しめられていた彼からすればちょうどいい機会。体もいい感じに回復した頃合いだから軽めの運動も兼ねて一人で行くと言い。

 

それを許さなかったのが、レムという恋人。

 

一人で行くと言ったことが癪に障ったのだろうか。態度を一変させた彼女に「無理をしないでください」や「またそうやって下手に動こうとして」などと言われた挙句、「少し回復した程度で調子に乗らないでください」とまで言われてしまった。

 

そういうこともあってテンの買い出しにレムが付き添うことになり、今の光景に至った。

 

尤も。己を強く主張したレムがその理由一つで自分の付き添い人を申し出たわけでもないだろうと、恋人繋ぎのまま腕を絡めてくるレムの横顔を眺めるテンは密かに思っていたり。

 

 

「ーー? どうかされましたか?」

 

 

薄ぼんやりとレムの真意を察し、恋人の一途な想いにテンは愛しさしか感じない。愛しいと、心の底から言うことができる。

 

投げかけられた疑問符に対して思わず「好きだ」と言いかける心を自制した彼に、レムは不思議がるような顔つきで小首を傾けると、「いや、なんでもない」と簡単に返され、

 

 

「幸せそうな顔してるなぁ、と思ってね」

 

「テンくんも、幸せそうなお顔ですよ。頬が緩んでいます」

 

「レムだって緩んでる。ゆるゆるだよ」

 

 

揶揄うレムの声に、揶揄い返すテンの声が重なり。目を合わせると、緩んだ頬が両者の目に留まって。

 

その頬があまりにも緩み切っていたのか、頬を赤らめるレムが照れ臭そうに笑いながらテンに擦り寄り。この頬が見られていると思うとむず痒いテンは微妙な表情を一つ浮かべては、繋いだ手をぎゅっと握りしめ。

 

そうやって互いの感情を共有し合うと、二人の間で幸に彩られた笑みが気持ちよく弾けた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

子ども達の遊ぶ楽しげな声が絶えず聞こえ、すれ違う人々が気さくに話しかけてくるのどかな村。争い事や大きな喧嘩などがほとんどなく、常にほのぼのとした雰囲気が流れる平和な村。

 

アーラム村とは、そのような村だ。晴れた昼下がりに散策するのに適した環境であると言える。村の住民が三百人前後ということもあって人で溢れているわけでもなく、人酔いしがちなテンも目が回るようなことはない。

 

平和という言葉を体現したような村。そんな村にテンとレムは訪れていた。

 

 

「こんにちは、テン様にレム様。今日はどうしたんですか?」

 

「ちょっと買い出しに。くっついてる子は俺の付き添いです」

 

 

村の門を潜るなり、早速話しかけられた二人。

 

領主の下で使用人として働く人たちが来たのだから挨拶に来るのは向こうからすれば当然なのかもしれないが、入った瞬間に話しかけられたのは驚きだった。

 

相変わらず村の人たちの積極性は凄まじいな、なんてことを思いながらテンはくっつくレムが一礼するのを横目に軽く言葉を交わしてさっさと立ち去る。長話をするつもりはない。

 

が、村に入った時点で誰にも話しかけられずに目的の店に到達するのは無理な話。散歩日和な晴れ模様の時間帯なら尚更。

 

すれちがう人の殆どに挨拶され。おば様方の井戸端会議に軽く参加させられ。服を引っ張ってきた子ども達にレムと一緒に公園に連れられたりと、中々に忙しかった。

 

加えて。腕を絡めながら恋人繋ぎして歩く自分とレムを見るなり「あらあら」「まあまあ」と微笑ましそうな表情で見てくるお姉さんもいるのだから、色々な意味合いで精神的に疲れるというもの。

 

尤も、レムが楽しそうだったから良しとする。

 

「お二人はどういったご関係で?」と聞かれた時に、満面の笑みで「レムとテンくんは将来を誓い合った関係です!」とかなり大きな声で言われたのは流石に恥ずかしかったけども。

 

 

「こうして、テンくんとアーラム村をゆっくり歩くの……すごく好きです」

 

 

和気藹々とした一場面を挟みながら村を歩く中、不意にレムがポツリと呟いた。指を絡め合わせた手をにぎにぎしながらテンを見上げると、ふわりと笑みを浮かべる。

 

「そうなの?」と返されれば「はい」と深々と頷き、

 

 

「ぽかぽかした陽気に照らされて、道ゆく人たちと先程のように話しながら、テンくんと手を繋いで穏やかな村を歩く。それだけでレムは、幸せな気持ちになれるんです」

 

 

「こんにちは」と声をかけてきた老夫婦に軽く会釈しながらレムは語る。彼と恋人になる前、その背中を追い続けていた頃の自分が想像していた光景が現実になってくれて嬉しいから。

 

彼とぴったりくっついて、彼と手を繋ぎながら、彼と同じ歩幅で隣を歩き、たわいないことを話し、愛を育む。

 

今となっては当たり前のそれを、レムがどれほど夢見ていたことか。一度はテンのことを愛してはいけないと覚悟したレムにとって、それがどれだけ幸せなことか。

 

幸せだ。幸せしかない。幸せ以外にあるわけがない。

 

 

「幸せで幸せで……ただただ幸せなんです。ずっと、ずっとずっと、テンくんと同じ時間を一緒に過ごしていたい。こうして、寄り添っていたい」

 

 

人目を憚らぬレムが不意に爆発した愛をテンに隠すことなくぶつける。絡めた腕に一生離れんばかりの力を込めて抱きつき、唇を柔らかく綻ばせながら恍惚の吐息を無意識に溢す。

 

熱っぽく、色気のある吐息だった。耳にした男の全てを虜にしてしまいそうな危うさを孕んだ吐息。実際に、近くにいた成人男性達の視線を一気に引き寄せ、釘付けにさせている。

 

 

 ーーなに見てんの?

 

 

 刹那で、察したテンだ。

 

周囲に睨みを利かせる彼が控えめの殺意を向けると集中した男達の視線をぶった斬り、そのまま解散の令。鋭く尖った瞳が「失せろ」と言いたげにギロリと光る。

 

普段はのほほーんとしているテンも、こればかりは譲れない。この状態のレムを見ていいのは自分だけだ。レムにこうして甘えられていいのは自分だけだ。他の男が見ていいものじゃない。

 

あからさまな目つきの変化に視線を向けていた男達が足早に退散していくのを見ながらテンは「ハッ」と鼻を鳴らし、

 

 

「レム。一つ、いいかな」

 

 

いつの間にか止まっていた足を動かしながらテンはレムの名を呼ぶ。まさか、テンが自分のために男達を追い払っていたとも知らないレムが「なんですか?」と聞き返すと、

 

 

「その……。あんまり、人前でそういう顔は見せないでほしい。俺しか知らないレムの顔を俺以外の男に見られるのは、嫌なんだ」

 

 

「俺しか知らないレムは、俺しか知らないままでいてほしい」と。とても恥ずかしそうにテンは言い、恥ずかしさが態度に現れた結果としてレムから顔を背けた。

 

だからテンは気付けない。自分に対して初めて独占欲を示してくれたテンにひどくときめき、顔を真っ赤に染めたレムが頭のてっぺんから湯気を立ち上らせ、珍しく返す言葉に困っていることを。

 

今のはつまり、「お前は俺の女だ」と言われたようなものだとレムなりに解釈。若干の上方修正が入ったものの、意味としては間違っていないだろう。

 

いきなりすぎて、衝撃的すぎて、処理が全く追いつかずにいた。普段は自分が彼の心を掌握しているはずなのに、今は自分が彼に心を掌握されているような気がして。

 

 

「分かった?」

 

「…………ぁ。はい! 分かりまひた!」

 

 

言い聞かせてくるテンに咄嗟に返事を返し、盛大に噛んだレム。この一瞬で攻守がいつもと逆転した彼女は落ち着いて言葉を考えることもできず、動揺した心を彼に悟られる羽目に。

 

彼女が噛むとは珍しい。否、それだけ動揺してくれていると思っていいのだろうか。彼女に顔を向けたテンは揶揄うように目の色を変えながら、

 

 

「どしたの。……もしかして、照れてんの?」

 

「テンくんのばか」

 

 

揶揄いには付き合ってやらないレム。彼女は独占欲を明確に示されたことでふにゃふにゃになった顔を見られないように下を向き、苦し紛れの抵抗として手を強く握る。

 

してやられた気分だ。テンとしては完全に偶然だろうけれど、今のは卑怯極まりない。お陰様で、自分が普段から彼に向けている独占欲を向けられるとこんなにも脆くなるのだと分かった。

 

分かったからなんだ。「ほんと、レムは可愛いなぁ」と頭を撫でてくる恋人に返す言葉が見つかるわけでもないし。そんなことをされると、もっと照れてしまうじゃないか。

 

 

 ーー絶対にやり返します

 

 

胸の高鳴りを感じながら、レムは心の中で逆襲を固く決めた。今日中にこの仕返しはすると、彼以上の方法で彼の心を揺さぶってみせると、今この時に密かに誓う。

 

今のうちに好き放題やるがいい。あとで、どうなっても知らないからな。精々、自分の首を絞めておけ。

 

やられっぱなしで終われるほどレムは甘くない。やられたら、やられた分以上にやり返してやるのだ。幸いにもテンの弱点は隅から隅まで把握済み。やりようなど探せばいくらでも見つかる。

 

 

「レム。おい。おーい。なんで下向いてんのー?」

 

「ばか。テンくんのばか。ばかばか」

 

「語彙力どこいった」

 

 

だから今は、この感情を素直に表現しよう。そんな風にレムは下を向き、自分の感情を理解しておきながらも揶揄ってくるテンに「ばか」を連呼。

 

独占欲を示されて嬉しすぎるから、その感情を大切にすることにして。思う存分、テンに揶揄ってもらうことにした。

 

その分、仕返しの度合いが増すのだから。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

短い間にも色々あったアーラム村での買い出しを終えた二人。レムの意向で少しばかり村を散策したのち、彼らは村の門を潜って帰路につこうとしていた。

 

レムとああして歩くのも悪くなかった、定期的に散歩に来てもいいかもしれない。そんなことを種にして会話に花を咲かせ、ほのぼのとした口調で言葉を交わし合うテンとレム。

 

 そんな時だ。

 

 

「——ちょっと待ってください!」

 

 

不意に、二人の背中から体育会系っぽい声が突き抜ける。足を止めて振り返ると視界に映ったのは、ものすごい勢いでこちらへと駆け寄ってくる一人の男性の姿。

 

あの角刈りは村の中でも一人しかいない。十中八九、マキジさんだろう。村の青年団を率いている人だ。

 

そんな人が自分達になんの用だろう。顔を見合わせるテンとレムが二人して頭の上に疑問符を浮かべながら小首を傾げる。

 

その間にもマキジは二人の目の前まで近づき、

 

 

「あ、あの………差し出がましいことだとは承知の上なのですが。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「はい。なんですか?」

 

 

膝に手をついて「ぜぇぜぇ」と息を切らすマキジを気にしながらテンは聞き手の姿勢。どこからここまで走ってきたのかは定かではないが、様子から察するに相当の距離を駆け抜けたのは分かる。

 

乱れた呼吸を整えてから話せばいいもの。取り乱した様子の彼は殺意すら感じ取れそうな血走った目をテンだけに向けて、

 

 

「聞いた話なのですが。お二人は、将来を誓い合った関係なのですかーー!?」

 

 

 一歩。

 

危険な方向で興奮したマキジが大声を張り上げながらテンに勢いよく詰め寄り、この人は危険だと感覚的に察知したテンが無意識的にレムを背中に隠す。

 

その行動はマキジにとって、自分の発言を裏付けるようなものだったらしい。絶句したように目を見開き、手を振り上げんばかりの鬼気迫る表情と剣幕が直後からテンに殴りつけられた。

 

それだけではない。妙に刺さる視線の量が多いなと思ったら青年団に知らぬ間に囲まれていた。村の門を塞がないあたり他者への配慮は済ませているようだが、喧嘩を売るような殺意にも近しいその視線は如何なものか。

 

 

 ーーなにかしたかな?

 

 

レムもテンに刺さる視線を理解したのか。「レムのテンくんに何を……?」と隠しきれない鬼の覇気が着々と燃え上がる中、テンは至極落ち着いた態度で考える。

 

考えて。そういえばコイツら、青年団であると同時にレムラム親衛隊——改め、双子姉妹ファンクラブでもあったな。と思いながら、

 

 

「はい。俺とレムは将来を誓い合った関係ですよ」

 

 

 ハッキリと、

 

 

「レムは、俺の恋人です」

 

 

 満面の笑みで言い切った。

 

 

「俺の、(恋人)です」

 

 

 お前達には渡さねぇよ、と。

 

 

レムラム親衛隊とは、平たく言うなればレムとラムに好意的な想いを抱く連中のこと。アイドルオタクと言えば伝わりやすいだろうか。彼女達と仲良く接する男が気に食わずネチネチしてくる野郎ども。

 

なるほど。道理で自分とレムの関係性に対しての食いつき度合いが甚だしいわけだ。密かに憧れていた女性がいつの間にか知らん男に取られていたとなれば、そのご乱心様にも納得がいく。

 

だからこそ、テンはこの場で全員に言い切った。自分で言ってて気色悪いと思ったけど、背中に隠す少女を誰にも渡したくない想いの方が圧倒的に強いから。

 

数にして『三十』対『一』。数の暴力で『一』が押し切られそうな場面は、恐ろしいことに真逆だ。青年団のように鬼気迫る表情ではなく満面の笑みを浮かべるテンが、『三十』の圧を軽々しく弾き飛ばしている。

 

当たり前だ。一体、どれだけの修羅場を潜り抜けてきたと思っている。死にかけた、というか九割死んだ状態にまで追いやられたんだぞ。

 

その程度の圧など、痛くも痒くもない。

 

 

「………そんな」

 

 

夢が打ち砕かれたような、希望が消えたような。

 

常人に対して向けていいものではない圧を向けられたマキジが声を漏らすと膝をつき、青年団の頭が折れると連鎖反応のように下の連中も次々と倒れ始める。

 

少し、熱が入りすぎたかもしれない。先に続いて変に自分らしくないことしてしまったテンは深く息を吐くと、

 

 

「じゃ、失礼します。変な真似してすみませんでした。でも、喧嘩ァ売ってきたのはソッチだということをお忘れなく。俺も、歴とした男なんで。恋人の前でカッコ悪い姿は見せられませんし」

 

 

「行こ、レム」と宙ぶらりんな手を握ると指を絡めて繋ぎ、テンは項垂れる男達に一礼。そうして三十対一の戦いを短く終わらせると、彼らに背を向けてレムを隣に歩き始めた。

 

ヤンキーじみた表情をチラリと見せた彼の声色は優しげで、切り替えが早すぎるとは青年団の全員が共通して感じたこと。

 

そんな彼らが見るのは笑顔を弾けさせるレムの姿。自分達には決して向けられることのないそれは、とても魅力的で。自分達と四、五歳程度しか歳は離れていないのに顔立ちに幼さが残る少女は、とても魅惑的で。

 

自分達の知らない間に、少女の心はあの人に奪われていたのだと。瞳に映る可憐な笑顔に言われたような気がして。とても悔しくなった。

 

 けど、

 

 

「でも………幸せなら満足です!」

 

 

マキジが清々しい顔で歯を見せて叫び、遠ざかる二人の後ろ姿に右の親指を力強く立てながらグーサイン。

 

彼女が、彼女なりの幸せを掴み取れたのなら、それもまた良いことなのかもしれないと。そう、半ば強引に割り切ったのだった。

 

 

 ——その日、レムラム親衛隊は満場一致で解散した。男達が人知れず流した、血涙と共に。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「先ほどの発言、そういう意味だったのですね」

 

「なんの話?」

 

「自分しか知らないレムの姿を、レムを気にかけていた男の人に、見られたくなかったんですか?」

 

「ーーーー」

 

「レムを誰にも取られたくなかったんですか?」

 

「うるせぇ」

 

「あ、口調が荒くなりました。大当たりです」

 

 

「……レムは、独占欲の強いテンくんも愛しています」

「なに言ってんの。ほら、早く帰るよ」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「………疲れたな」

 

 

 一言。

 

部屋を照らす灯りを落とした世界で一人、テンは寝台に腰掛けながら呟く。全開にしたカーテンの外側から届く月光のみが視界に明度を与える空間で一人、テンは吐息した。

 

言葉にこれといった意味はない。疲れたから疲れたと言っただけ。柔らかな寝台に腰掛けると背にのしかかる今日一日の疲労感が存在を主張し始めて、意図せずに声に出ることがある。

 

それから特にすることもないテンは、ぼーっとしながら夜空を見上げる。多少なりとも雲の目隠しは点在しているが、それを勘定に入れても今夜の夜空は星々が所狭しと煌めく綺麗な星空だと思えた。

 

まるで、自分が一番だと激しく声を上げるようにも見える星達。そんなわけではないと分かっていても、そんな風に輝いているのを眺めると競争でもしているのかと聞いてみたい。

 

そうしたところで意味なんてない。だって、星々よりも存在感のあるお月様が星の海に堂々と鎮座しているのだから。

 

今夜は三日月。満月よりは輝けないけれど、この晴れた夜空なら大した問題にもならなかった。窓の内側から空を見上げるテンに、ちゃんと輝かしい月光が届けられている。

 

 ——時刻は、冥日の十一時に差し掛かろうとしていた。

 

子どもの時間から大人の時間に入った空は昼間の澄み切った青空が嘘のように暗がり、空色が濃い青色——強いて言うなら紺色に端から端まで塗りつぶされ。それだけだと味気ないからと、月と星々が自分から飾り付けられている。

 

一日は、あっという間だ。レムと一緒に過ごしたり本を読んだり散歩したり、不自由なりにやれることをしているうちに日は沈む。

 

食事と入浴を済ませ、ラフな寝巻きに着替えたテンのする事といえば、あとは寝るくらい。時刻も夜の十一時、寝るには良い頃合いだろう。

 

尤も、テンは寝ない。寝ない、というよりも寝れない。もうすぐ、部屋に突撃してくる少女がいるのだ。決まった時間に、必ず甘えに来る恋人が。

 

 

「——テンくん。テンくんのレムです」

 

 

 噂をすれば、なんとやら。

 

扉を叩く音が小さく部屋に響くと、鈴を転がしたような甘く澄み透った声が扉の外側から流れ込む。

 

聞き間違うことなどない、レムだ。扉に顔を向けながら「入っていいよー」と適当に言葉を放った数秒後に扉が開き、姿を見せたのは名乗った通りの少女。

 

本日のお仕事を終えたレムは水色のネグリジェに身を包み。メイド服を着用している時の清楚な雰囲気から一転、ゆるふわな雰囲気を纏っている。洋服一つで雰囲気を変えるとは、流石レム。

 

 

「もう、全部終わったの?」

 

「はい。本日のお勤めは完了しました」

 

 

「なので」と、爆発した愛と嬉々とした感情を表に曝け出すレムは小走りで寝台に近づき、

 

 

「テンくんに全力全開で甘えちゃいます」

 

 

脱いだ靴を揃えたレムが寝台に乗ると、勢いそのままテンの胸の中へ飛び込む。受け入れる姿勢で構えていたテンに受け止められ、彼女の小柄な体が彼の中にすっぽりと埋まる。

 

テンの胸の中が、レムのお気に入り。温かくて、優しくて、安心できる、いつだって自分を受け入れてくれる世界で唯一の場所。

 

抱きしめて、抱きしめられて。目を瞑りながら匂いを嗅ぐと一瞬にして自分の全てが彼色に染め上げられていく。命の鼓動を耳にすると、理由もなく眠たくなってくる。

 

 

「ここ。やっぱり、落ち着く」

 

 

世界一落ち着く場所に身を置き、己の全てを委ねるレムの緊張は、彼の胸元に飛び込んだ瞬間から一気に弛む。どれだけ糸をピンと張っていようが、この温もりを感じてしまうと容赦なく解れてしまう。

 

それほどまでに、どうしようもなく、落ち着く。

 

うっとりとした声で呟くレムの心はテンに奪われて、ずっとこのままでいてほしいと思う感情が途端から膨らんでいった。抗いようのなく、果てのない愛が。

 

 

「いつもの、したいです」

 

「ん。いいよ」

 

 

甘えるレムが上目遣いでねだり。期待を込めた甘ったるい声色を聞き届けたテンが頷くと一度だけレムに離れてもらい、彼は寝台の上で胡座をかいた。そこから「おいで」と両手を広げて待ちの体勢をとれば、レムは動く。

 

いつもの、とは。テンがかいた胡座の上にレムが座り、彼の体を両腕両脚で抱きしめる体勢(だいしゅきほーるど)で強く抱きしめることを指す。

 

レムのお気に入りの体勢だ。こうすると全身で彼の体温を感じることができるし、ぎゅっと抱き合える。肩に顎を乗せる都合上、胸に顔を埋められないのが欠点だけれど、代わりに頬擦りできる。そのまま押し倒すことだって。

 

 

「この体勢、大好きです。とても癒されます」

 

 

「ふぅ」と脱力するレムがだらけるようにテンにもたれかかり、首に回した両腕で彼の体を強く抱きしめる。離れないように、離れていかないように。

 

 

「今日もお仕事、お疲れ様です。俺が働いてない分もやらなくちゃいけないから、余計に大変だよね」

 

 

全体重をのせてくるレムを全身で受け止め、背に回した両手で彼女の体を優しく抱きしめる。離さないように、離されないように。

 

レムのこんな姿を見ることができるのは、自分だけだろう。彼女は、己が疲れているところを姉にすら見せたがらないのだから。一人で抱え込んで、日の当たらない場所で、苦しむ。

 

レムとは、そんな女の子。

 

 

「疲れた……その通りです。レムは今、疲れています。とっても疲れています。ので、もっと癒してください。甘えさせてください。甘やかしてください」

 

 

だからテンは、そんな女の子が全力で甘えてくるのを全力で全肯定する。

 

表では完璧メイドとして努めるレムは、その実めちゃくちゃ甘えん坊で、かまってちゃんで、寂しがり屋で、恋人に対してだけは全てを曝け出してくれる可愛らしい女の子だから。

 

それに。レムにとってこの時間は、一日の疲労を癒すための時間でもある。彼女の甘えを全て許す時間は、頑張って働いた後の『ご褒美タイム』と表現してもいい。

 

だからテンは、たくさん愛でる。

 

 

「テンくん」

「ん?」

 

「テンくん、テンくん」

「どうしたの?」

 

「テンくんテンくんテンくん」

 

 

情熱的に愛しい名を連続して呼び、レムは絡みついた体に限界まで密着。「なにもそんな呼ばなくても」と苦笑する彼にレムは「だって」と、

 

 

「何度呼んでも、足りないんです。どれだけ呼んでも、満足しないんです」

 

 

抱き合えるゼロ距離が愛おしくて。この温もりを、この優しい声を、もっと感じさせてほしくて。今よりももっと求めるから、その名前を呼ぶ声は積み重なっていくばかり。

 

今日も、明日も——明日という未来も、二人でいたい。幸せなひとときを積み上げて、これからの人生を形作りたい。その隣に、彼を添えて。

 

 それが、レムの願い。

 

 

「テンくん」

 

 

不意に抱く力を緩め、背筋を伸ばしたレムが顔を引く。肩に乗っていた質量が消えたとテンが感じた時には既に、彼女は至近距離でテンのことを見つめていた。

 

テンに抱かれると毎度のように目元がとろんとし、瞳にハートマークが色濃く浮かぶレムの瞳は、テンのことしか見えていない。否、テンも似たようなものだろう。どちらも、お互のことしか意識下にない。

 

月光のみが部屋を照らすのだから、そうなるのも必然。逆に照らされていない部分は暗闇に閉ざされ、光の当たる場所がライトアップされたように際立っている。

 

二人は、その際立った寝台の上で見つめ合っているのだ。周囲が闇となれば、光の空間にいる存在に意識が釘付けになる。恋人ならば尚更。

 

しんと静まり返った大人の雰囲気が漂う空間で二人。吐息が唇にかかる距離でレムはテンに「ふっ」と笑いかけ、

 

 

「もっと、レムに触れてください」

 

 

妖艶な雰囲気を帯び、艶かしい声で囁く。青色の瞳が大きなハートで埋め尽くされて完全に色気全開のレムは、ド直球な表現になってしまうが——上気した頬と窓から届く月光も相まってエロすぎた。

 

触れろ、とは。どこに触れろと言うのか。頭の撫でりこは数秒前まで継続していた。背中に手を回していた。なら、次はどこを触れと。

 

 

 ーーとりあえず、頬にしよう

 

 

恋人の好意に土壇場でヒヨったテンの手が考えた通りに動き、彼女の頬に添えられる。すべすべして、もちもちした頬を指先に感じると、大好きな人に触れられて喜ぶレムが喉を鳴らした。

 

 

「ちょっとだけ、くすぐったいです」

 

「やめようか?」

 

「だめ。もっと触って」

 

 

耐え難いむず痒さに身じろぎし、子どもっぽい笑声を鳴らすレムが離れかけた手を掴む。くすぐったいけど、心地よいくすぐったさ。なにより、愛でられる感覚が離れていくのはお断り。

 

どうせなら胸にしてほしかった欲がないわけでもないが。今はこれだけで満足することにして、

 

 

「テンくん」

 

「ん?」

 

「ごめんなさい。我慢できません」

 

「え?」

 

 

レムは、テンを押し倒した。

 

頬に触れられて元から爆発した愛が更に爆発。「あ、もうダメ」と理性が察し、「我慢できない」と本能が悟ったことでレムは彼の体を強引に押し倒す。

 

背中から倒れされるテン。柔らかな材質に受け止められる彼は寝台のスプリングが二人分の重さにギジっと音を立てるのを聞くと、胸に顔を埋めてきたレムに強く強く抱きしめられる。

 

どうやら、爆発したらしい。甘えるレムを見ていると、そのうち、こうなるんじゃないかとは思っていたけど、今日がその日だった。

 

冷静な顔で押し倒されるとは思っていなかったけれど。

 

 

「好き。テンくん好きぃ。大好き。大好き大好き大好き大好き。愛してます。世界で一番、愛してます」

 

 

制御を失った純愛がテンに注ぎ込まれる。溢れたそばから注ぎ、注ぎ、注ぎ。器に収まりきらない量の愛が終わりなく注がれて。仰向けのテンの上に、うつ伏せのレムが重なった。

 

押し倒されるのは初めてだけど、彼女の愛が予兆もなく爆発するのは珍しいことじゃない。普段から愛を注がれていることを考えれば、いつ爆発してもおかしくないのだから。

 

だから、テンは落ち着いていた。少しびっくりしたけど大丈夫。問題ない。許容範囲。男として反応する部分さえ除けば、普段通りの精神は保てている。

 

「テンくん」と。そんな彼のことをレムは呼び、

 

 

「今夜は、レムと一緒に寝てください」

 

 

それは誘惑でも揶揄いでもなく、まして冗談というわけでもない。ただの純粋な愛からくる極上の甘え方だった。甘々なレムがテンにしか向けない、極限の甘え方だった。

 

普段からされている提案は、しかし今回だけはいつもと違う。なにが違うのかは分からないけど、軽々しく受け流せるようなものではないことをテンは直感で察している。

 

言い方、だろうか。普段は「一緒に寝ませんか?」と誘うような言い方なのに対し、今のは明らかに「寝てください」と意志を押し付けるような言い方。

 

 

「朝だけで勘弁して。って、いつもみたいに言ったら?」

 

「イヤです。離れません。寝ると、そう言ってくださるまで離れてあげません。今日はテンくんと同じお布団の中で眠ると決めたんです。これは、レムの中では決定事項です」

 

 

いつもならその一言で終わるはずのやりとりが、今回は終わらない。首を横に振るレムは頬を固くしながらムッとしてテンの声を聞かず、自分の意志を無理矢理にでも押し通す気配が強く漂ってくる。

 

押し倒した体勢から一ミリたりとも動かず、抱きついた体から離れず、テンの体をがっちり抱きしめる両腕両脚には彼女の意志が力となって宿り、じっと真剣に見つめる瞳に揺らぎはない。

 

わがままな少女だと思う。同時に、遠慮せずに素直な自分を見せてくれていると思えて嬉しく感じるのは、レムに甘い証拠なのだろうか。

 

 

「……どうしても?」

 

「はい。どうしても」

 

 

 意志は固い。

 

自分の意志を察したテンの心がこちら側に傾くと、レムは強く頷く。こうするとテンが困ると分かっていながら、自分の想いをどこまでも優先する。

 

もちろん、これは村の仕返しだ。

 

首から上が真っ赤に染まって、頭のてっぺんから湯気を出してしまう程に照れさせられて、挙げ句の果てにはその事を揶揄われたレムの逆襲。必ずやり返すと決めたことを今、私利私欲を混ぜながら。

 

「んーー」と喉を唸らせるテンは葛藤の表情。そうだ。その表情が見たかった。その、理性と本能に挟まれて悩む姿が見たかった。とっとと理性なんて崩れてしまえばいいのに。

 

 そうして返された答えは、

 

 

「……今夜だけだよ」

 

 

仕方なさそうなテンが微笑むような吐息。偶には聞いてあげないとダメだよね、と自分の中で結論づけた彼は今日だけは特別に一緒に寝ることに。

 

夜の添い寝許可に「やった」と小さく呟いたレム。強引に押し切った感が拭い切れないものの、否定していたテンも満更でもなさそうな様子だ。

 

なら、別に気にしなくてもいいだろう。密かにしてみたかったことが叶った彼女はテンの体から降りると、

 

 

「では、横になってください。お布団はレムが」

 

「いいよ。それくらい俺がやる」

 

「いいです。早く横になってください」

 

 

添い寝が決まった瞬間からのレムは、いつも以上に積極的だった。お前が先に横になれ、と。圧をかけてくる彼女には変に抵抗しない方が身のためだろう、素直に横になったテンである。

 

テンが横になったことを確認したレム。嬉しそうな表情を全面的に押し出す彼女は「では、お掛けしますね」と声をかけると、掛け布団と一緒にテンの真横に横になる。

 

初めて、夜の添い寝をした瞬間だった。

 

 

「テンくんテンくん。レムは腕枕をしてほしいです」

 

「はいはい」

 

 

生まれて初めての夜の添い寝に興奮する心を抑えつつ、レムはテンの左腕を望む。こうなったらとことん甘えてやろう。そう思っていると後頭部に腕が回されて、彼女はテンの左腕を腕枕にした。

 

そこからのレムは神速。幸せすぎて震えてしまいそうな彼女は布団の中で体を動かすとテンに擦り寄り、いつも通りに彼の体を抱き枕にした。

 

恋人を腕枕にして抱き枕にする、レムのお気に入りの寝姿勢。

 

 

「この体勢が好きなの?」

 

「はい。この体勢が好きなんです」

 

 

今の体勢と朝の体勢が重なって見えるテンに、レムは幸せそうな声で返答しながら抱き枕にした体にぴったりくっつく。くっついた体に額を擦り付けて匂いを嗅いでいるのは、もはや確認するまでもない。

 

一日を過ごした時間がいつもより長いせいなのかもしれないけど、今日はやけにレムが甘々に感じるテン。彼は「そっか」と小さく笑い、

 

 

「でも、寝ずらいな、って思ったら体勢とか変えてもいいからね。寝れなかったら元も子もないんだから」

 

「テンくんにくっついて寝ずらいはずがありません。変なことを言わないでください。テンくんだとしても、レムだって怒るときは怒るんですよ」

 

「えっ、あぁ……うん。ごめん、なさい?」

 

 

極限まで密着してくるレムを気遣って発した言葉は、レムにとっては禁句に等しいものだったらしい。僅かな怒気を感じさせる声で否定され、もっと密着されたテンだ。

 

今のは意地悪をしたわけでも、テン自身が嫌だからというわけでもない、本当の本当にレムを気遣って口から出た言葉。大切な人を第一に優先する彼の、心の声。

 

勿論、レムだって理解している。最愛の人となりを知り尽くしているから。——だとしても、今のは咎めなければならないが。

 

 だって、

 

 

「レムは、テンくんのことを世界で一番愛しているんです。そんな人に腕枕をされて、温もりを感じながら眠りにつく……寝ずらいと思う余地なんてありませんよ」

 

 

「この感覚が大好きなんです」と。

 

愛の言葉を付け足すレムがそう言って、額を胸にこすりつける。一緒に身じろぎをして、身体全体をテンにこすりつけた。

 

できうる最大の甘え方で、テンに甘えるレム。限度を知らない愛情表現をする彼女の声はうっとりしていて、今にも溶けてしまいそうなほど甘々だ。

 

月明かりに照らされた寝台の上。カーテンの壁を越えて薄くなった光を浴びながらこちらを見上げるレム、その潤んだ瞳にテンは思わず息を呑み、

 

 

「そっか。……なら、いいよ。レムがしたいようにして。俺は大丈夫だから」

 

「はい。レムのしたいようにします」

 

 

表情が既に蕩けきったレムの甘えを受け入れ、テンは体の力を完全に抜く。下手な抵抗を止め、今夜の主導権をレムに渡した。

 

そうなればレムは遠慮も我慢もしなくなる。元よりその二つがテンに対してだけは効果を発揮しない上に、したいようにしろと言われたのだ。その愛も爆発するというものだろう。

 

 

「テンくん」

 

「ん?」

 

「レムのこと好きですか?」

 

「大好きだよ」

 

「レムも大好きです。愛しています」

 

 

知ってることをわざわざ言わせてから言い返し、レムは嬉しそうに喉を鳴らす。抱き枕にした体を熱烈に抱きしめ、最愛の愛情を我が物にしながら、その愛情をどこまでも欲した。

 

外から見ればとんでもないバカップル。テンがレムの愛を受け止め続けていると思えなくもないけど、言われた側も満更でもなさそうなので、正真正銘バカップル。

 

テンのことが大好きすぎるレム。愛情表現の限りを尽くす彼女は「テンくん」と、名を呼んだ彼のことを上目遣いで見上げると、

 

 

「大好き、って。もっと言ってくれてもいいんですよ?」

 

「………………大好き。好きだよ。レムのことが好き。誰よりも」

 

「言う前に少し時間がありましたが」

 

「うるさい、まだ普通に恥ずかしいんだよ」

 

 

厳しめの審査を受けたテンが顔を顰め、向けられ続けるレムの情熱的な視線から目を逸らす。横を向いた顔は恥ずかしそうで、ぱっと見ただけでも分かるくらい頬は赤い。

 

レムと恋人になってからまだ一ヶ月も経っていない今、毎日のように愛を注がれているとはいえ、まだテンには恥じらいの気持ちがあった。好き、と。その二文字を言葉にする度に少しむず痒くなる。

 

その初心(うぶ)な反応に、レムは胸の高鳴りを抑えることがどうしてもできない。頑張る姿が可愛くて、恥じらいながらも愛を注いでくれる、そんな姿勢に愛が爆発的に膨れ上がる。

 

だから揶揄いたくなるのが、小悪魔レムである。

 

 

「テンくんの好き、もっとください」

 

「す、好き」

 

「もっと」

 

「大好き」

 

「足りません」

 

「えぇ……じゃぁ、行動で許して」

 

 

言った直後、テンはレムの反応を待たずして身を回す。仰向けから横向きに体勢を変えると、腕枕に使っていない方の手でレムの体を胸の中にぎゅっと抱き寄せる。優しく、痛くない程度に強く。

 

行動で愛を示されるとは思っていなかったのか、「わっ」と、一瞬だけ驚きの声を溢したレム。状況の理解を刹那で済ませた彼女は「あぁ……」と快楽の声を意図せず漏らし、

 

 

「許します」

 

 ーーちょろい子だなぁ

 

「あ、今、ちょろい子だなぁ、とか思いましたね」

 

「思ってない思ってない。許されてよかった、って思ったんだよ」

 

「本当ですか?」

 

 

ジト目で見上げるレムが、嘘が顔に出ないよう努めて真顔を作るテンを睨んでいる。可愛い。心の奥底を見透かす目は一言一句違わず、心の声を見事に読み当てた。こわい。

 

真意を問い質すレムと、嘘を隠し通そうとするテン。二人が無言で見つめ合い、その体勢のまま静寂。気まずい沈黙が両者の間に流れ始めたあたりで、「くっ」とテンが低い苦鳴を溢し、

 

 

「ちょっとだけ思いました」

 

「やっぱり。レムの思った通りです」

 

 

自慢げに鼻を鳴らし、レムの顔で上機嫌な笑顔が弾ける。白旗を上げて自白したテンはばつが悪そうな顔で、微妙な表情を浮かべていた。

 

相変わらず恐ろしい子だと思う。さも当然のように心の声を当ててくるのだから。隠し事をしたら雰囲気で悟られ、嘘をつけば感覚的に察せられる。

 

怖い通り越してすごい、レムのすごさに清々しい思いすら抱くテン。そんな彼にレムは「でも」と、抱かれた胸に顔を埋めて、

 

 

「間違ってはいません。テンくんを前にすると、レムはちょろい女になってしまうんですから。こうして胸に抱かれただけで、全て許しちゃいます」

 

「じゃぁ、もっと抱きしめよっかな」

 

「はい。お好きなように」

 

 

冗談じみた言い方をしたテンに本気で即答し、レムはふっと脱力。全身から力を抜いて身を委ね、ゆっくり目を瞑る。視界を闇に閉ざし、温もりを感じることに意識を注ぐ。

 

言葉そのままの意味で、お好きなように。自分の体を好きにしてよい。言動で意思表示し、レムは深い呼吸を繰り返し始めた。そうして、なにをされても構わないと、無防備な姿をテンに容赦なく晒す。

 

テンがなにもしてこないと、なにもできないと、分かっていて。

 

 

「……敵わないなぁ」

 

「なにがですか?」

 

「なんでも」

 

 

呟きを拾ったレムに聞き返されても、詳しいことは言わない。豊満で、柔らかい体を押し付けるように抱きついてくるレムを抱き寄せ、適当にはぐらかす。

 

優しく抱きしめた小柄な体は温かくて、こうしていると不思議と安心する。続けていると、ずっとこのままがいいだなんて思考が脳裏を過り、レムを抱く腕に自然と力が入る。

 

 

「痛かったら言ってね」

 

「痛いくらい抱きしめられるのも好きです」

 

「俺が嫌だからちゃんと言って」

 

 

自制が利かなくなる前に立ち止まり、両腕の力を少しだけ緩める。緩めたところでレムが強く抱きついてくるから相殺され、あまり意味がない。

 

レムとテンの肌と肌が、衣服を挟んで濃密に触れ合う。ゼロ距離、恋人にしか許されない距離、言葉の要らない距離で、お互いの体温を感じ合う。

 

好きで好きで、堪らない感覚。嫌なことを全て忘れられる大好きな人の温もり、世界一安心できる場所で目を瞑っていると、不意な眠気にレムは襲われて、

 

 

「ふ、わ……ぁ」

 

「流石のレムも眠いか。……じゃぁ、そろそろ寝よっか。俺も眠……ふ、わぁ」

 

 

我慢できなかったあくびがレムの口を小さくこじ開け、伝播した眠気がテンに移った。言葉を遮られ、眠そうなあくびがテンの口を大きく開ける。

 

あくびで浮かんできた目端の涙を、テンの衣服で拭くレム。人差し指で涙を拭うテンに彼女は「はい」と、穏やかな声で頷き、

 

 

「テンくんも眠そうですし、そろそろ眠りましょう。このまま、抱き合いながら」

 

「ん。そーしよ」

 

 

抱き合う姿勢を変えず、二人は目を瞑る。意識した途端から存在を主張し始めた眠気に襲われ、徐々に意識が落ちていく感覚に一切抗わず。

 

 

「おやすみ、レム」

 

「おやすみなさい、テンくん」

 

 

一生、この人の温もりに包まれていたいと思いながら、レムはテンの胸の中で眠りにつく。

 

彼と恋人になれた幸せを全身で感じながら、今日という日を終えたのだった。

 

 

 これが、レムの日常。愛する恋人と過ごす、どこまでも甘々な日々。

 こんな幸せ、自分にはもったえない。そう思ってしまうくらい、幸せすぎる日々。

 

 ——レムにとって、かけがえのない日々。

 

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