親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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いい感じのサブタイトルが思い浮かばず、ネタに突っ走りました。エミリアの場合は簡単に話は済みましたが、レムの場合はどうなんでしょうね。





絶対に離れたくないレム VS 離れてほしいテン

 

 

煌びやかな光と温かな温度を感じながら、テンはいつも目を覚ます。地平線の底へと沈んでいた太陽が顔を出し、世界に朝の合図を知らせると、少しして彼の瞼は音もなく開かれる。

 

眠っていた意識が闇の底から引き上げられられるように。あるいは、窓の外から差し込む陽光に瞼の外側から眼球を焼かれる違和感を嫌がるように。

 

 いつもの感覚だ。

 

 

「……朝か」

 

 

吐息と変わりない声で呟き、テンは微睡む意識を感じながら大きくあくび。命の重みを感じていない右手を布団の中から出すと、目尻にじんわり浮かんだ涙を人差し指で拭った。

 

まだ、少し眠い。太陽の光を受けてもなお、眠りたがる自分が心の中で存在を主張している。こうして起きる時間の大凡は冥日の五時を半分過ぎた頃、朝方の五時半だから仕方ないと言えば仕方ないだろう。

 

しかし、そこで睡魔を振り切ってこそ使用人というもの。どこぞのハヤトのように、外部の人間が起こさなければ午後まで余裕で寝ている人間とは違うところを、テンは見せなければならない。

 

 

「……すぅ」

 

 

こうして寝ている、レムのためにも。

 

いつも通り、左腕を枕にして左半身に抱きつく——テンを腕枕にして抱き枕にする寝姿勢で、足を絡めてスヤスヤ寝息を立てている恋人のためにも。

 

 

「………天使」

 

 

相変わらずの幼い寝顔を見て、一言。

 

寝起き一発目の第一声が「天使」とは中々に気色悪いと自分でも思うけれど、実際にすぐ左隣にいる彼女の寝顔には無意識的にそう思わせて、言わせるだけの破壊力があるのだ。

 

だらしなく頬を緩ませ、小さな口を僅かに開けながら、くっついた体から一切離れない、メイド姿のレム。寝ていても、そうでなくても、二人っきりのときは極限まで甘える姿勢に変わりはないようで。

 

左腕というよりも左肩に頭を乗せる恋人の寝顔は、差し込む陽光も相まって天使度合いに拍車がかかっている。自分にしか見せない、無防備で無警戒で、手を出してしまいそうになる、とても愛らしい表情。

 

ずっと、ずっと見ていたい。何も考えず、何もせず、ただぼーっとしながら、この温もりに浸っていたい。それから、もう一度だけ眠りに————。

 

 

「ダメだ。起きよう」

 

 

知らず知らずのうちに睡魔に屈しようとしていた事を察し、テンは小さな声で己を叱りつけた。眼前に在るレムの寝顔を見ていると本気で惚気そうになり、危うく閉じかけた瞼をカッと開く。

 

いけない、いけない。今日は色々と始まる日かもしれないのだから、惚気るのはまた今度。

 

尤も。今日から数日間、最低でも二日間は屋敷からいなくなるテンにとって、今という誰にも邪魔されない時間はレムに惚気る最後の機会とも言えるが。

 

 

「レム。朝だよ。起きて」

 

 

それを考慮しても、テンは起きることを選んだ。睡魔という睡魔を、惚気という惚気を振り払い、同じく闇の底に沈んだ安眠するレムの意識を引き上げにかかる。

 

起きたら起きたで、寝ぼけたレムに凄まじく甘えられて結局は惚気ることになるのだが。ともかく、彼女の体を優しく揺するテンは「起きてー」と、いつものようにゆさゆさしてぽんぽんしながら起こそうと動き、

 

 

「———ん」

 

 

短く喉が鳴った直後、ゆっくりとレムの瞼が開かれる。その中から顔を覗かせたのは、何一つとして汚れのない美しい青色の瞳だった。睡魔が残るそれを見ていると、ふとした瞬間から見入ってしまう。

 

そんなテンを見ながら、レムはぼんやりとした様子で瞬きを繰り返す。数秒前のテンと同じく微睡む彼女には小さなあくびが一つ浮かび上がり、目尻に溜まる涙を密着したテンの服で拭き取る。

 

普段からきびきび働き、溌剌とした様子で表情に花を咲かせる彼女も、流石に寝起きは弱い。愛する人の温もりを感じながらとなれば尚更、彼女の睡魔は普段の何億倍にも強化され、

 

 

「…………すぅ」

 

 

二度寝を超えて、三度寝へ。

 

テンの温もりに包まれたレムは強化された睡魔に抗えるわけもなく、「すやぁ……」とでも聞こえてきそうな穏やかさで目を瞑り、呼び起こした恋人の声を無視。

 

一度は開いた目が再び閉じると、テンは「こらこら」と言いながら沈みゆくレムの意識を無理やり掴んで引き戻しにかかる。慣れた手つきで体を揺すり、三度寝に旅立たれる前に。

 

そうしてゆさゆさを数十秒続けていると、レムは目を開けるのだ。「うぅん」と変に色っぽい声を喉の奥で鳴らしながら身じろぎする彼女にテンは「ふっ」と微笑み、

 

 

「いつもいつも、そうやって寝ようとしないの。起こされんの分かってるでしょ?」

 

「イヤですぅ。もっと寝ますぅ。テンくんと寝ますぅ。お布団の中でくっつきますぅ」

 

 

起床を促してくるテンにレムは反抗的だ。微睡み状態から引っ張り上げられたばかりの今だと睡魔に抵抗する力は弱く、脆く、安眠を求めて大好きな温もりに擦り寄る。

 

目を覚ましたとて、レムの声はまだ寝ているらしい。語尾がだらしなく伸びた声は普段の清楚感の溢れる様子からは想像もできない声で、聞いていて実に耳福であった。

 

 耳福ではあるが、

 

 

「寝ます、じゃないの。くっついてもいいから起きようか。流石に三度寝はよろしくない。前に三度寝したせいで俺も釣られて二人揃って寝坊したの、忘れたわけじゃないよね」

 

 

耳福ではあれど、テンはレムの意識を完全に起こす。過去に三度寝を許してやらかした前例がある彼に、その甘えは許されない。

 

あの時は流石に焦った。なんせ、時間になってからレムを起こすつもりが起こす前にテン自身も寝落ち。普段はテンとレムに起こされるハヤトとラムに起こされたのだから。

 

その二人に起こされるということ。それはつまり、自分とレムが抱き合いながら眠っている光景を見られたというわけであり。

 

ハヤトには「やったのか?」と直球で投げかけられ、ラムには「欲望に忠順な獣ね」と軽蔑され。それはそれは話のネタにされてしまった。二人の間だけならまだしも、屋敷全員に広めてまで。

 

この光景は、誰にも見られてはいけない——そんな小さな教訓を得たテンの確認にレムは「ふふっ」と、小さく思い出し笑いをして、

 

 

「あのときは、少しだけレムも焦りました。起こしてくれるはずのテンくんがいつの間にかレムを抱きしめながら寝てしまうだなんて……。でもでも、レムはとても幸せな気持ちでいっぱいでしたよ」

 

 

言いながら、レムはテンの胸に額をくっつけると頬を緩ませる。こうして抱きつくと身も心も溶かされる錯覚を起こして、緩みきった頬が限界を越えてゆるゆるになっていく。

 

意図しているわけじゃない。勝手に緩んでしまうだけだ。彼の温もりを全身に感じていると言葉にしようのない安心感を感じてしまって、頬と一緒に全身の力すらも抜けてしまう。

 

その延長線上にあるのが三度寝なのだが、ちゃんとした言葉が返ってくることからして、その心配もなかった。「ですが、確かにテンくんの言う通りですね」と、レムは埋めた胸の中で再びあくびし、

 

 

「今日はエミリア様も王都に行かれるご予定がありますし、三度寝するわけにはいきません。風の刻が過ぎるまでテンくんといちゃいちゃして、それからお仕事に動き出しましょう」

 

 

 風の刻が過ぎる。

 

分かりやすく言うなら、朝方の六時になるまでということ。この世界特有の時間の表現方法だ。故郷とだいぶ違うから、この世界に来たばかりの頃は割と苦労した覚えがある。

 

因みに。『陽日』が前の世界でいうところの午前を意味し、『冥日』が午後を意味している。

 

更に因みに。陽日の零時から陽日の六時までを『風の刻』とし、そこから六時間刻みで『火の刻』、『水の刻』、『地の刻』としている。

 

色の濃さで時間を知らせる魔刻結晶も、これと同じ意味合いで時間の検討をつけることができるそうな。

 

 要するに、だ。

 

 

「魔刻結晶に緑が満ちるまで、レムはテンくんに全力全開で甘えます。いつも通り、レムの中のテンくんを十全に補給させてください」

 

「好きにしてどーぞ」

 

 

風の刻が過ぎるまであと十五分程度だろうか。最近、冥日の五時ジャストに起きれることが少なくなってきたな。なんてことを考えるテンがレムの甘えを許容した直後、彼女は微笑を口の中で鳴らしながら動く。

 

枕に使っていた腕から離れるレムは布団の中でもぞもぞ動き。横から抱きつく体勢を変えるために、仰向けで横になるテンの上にうつ伏せの状態で乗っかる。この体勢、レムがテンの体に重なる体勢だ。

 

こうすると、さっきよりもずっとずっと密着できる。それに、この方がテンに抱きしめてもらいやすい。それにそれに、好きに動けるから頬に口付けをすることだって。

 

なんにせよ、起きているときはこっちの方がレムにとって都合のいい体勢であるのだ。その体勢が完成すると、レムは毎回のように彼の首に両腕を回しながら、彼の胸元に顔を埋める。

 

 

「この体勢………。すごく好きです」

 

「どの体勢でも、好き、って言いそうだけど」

 

「野暮なことを言わないでください。もちろん、そうに決まってるじゃないですか。でも、その中でも一番に好き、ということです」

 

 

恍惚とした様子で埋めた胸に額を擦りつけ、レムは小さく笑う。その笑みにテンは何を感じたのだろうか、「ふっ」と幸を含ませた笑みに唇が綻ぶと腕枕にされていた腕が動き、その手が青髪に添えられ、静かに撫で始めた。

 

髪の流れに沿って一定の間隔で撫で下ろし、さらさらした感触を指先に感じながら、愛しい少女のことを可愛がるように。そこにあるのはただ一つ、愛おしいという感情だけ。

 

もはや、この一連の動作に違和感など抱かなくなってきたテンだ。朝起きてレムに甘えられるのも、こうして体の上に乗っかられるのも、乳房が押し付けられるのも、布団に潜り込まれるのも。

 

慣れとは、恐ろしいものだと思う。どんなに違和感のあることだって、慣れてしまえば違和感に感じなくなってしまうのだから。

 

尤も、照れてしまう自分がいないと言えば嘘になるが。表情には絶対に出さない。出すと揶揄われる。

 

 

「ぎゅー。って、してください」

 

 

そんなテンとは反対に、レムはお構いなし。ほのかに紅く染まった照れた頬を隠そうともしない彼女はテンの抱擁をねだり、ハートの浮かぶ瞳に期待を混ぜて癖になる感覚を待ち望む。

 

基本的に、寝起き直後のレムはテンの体から離れようとしない女の子。二人だけの空間で放置しているといつの間にか抱きつき、離れるどころか隙間を許さんばかりにくっつく。

 

果たして、そんな女の子にハグを要求されて断れるだろうか。表情筋が緩み切ってふにゃんとした笑みを弾けさせながら見てくる恋人を拒む選択肢などあるだろうか。

 

否、無い。無いからこそ、テンはレムを優しく抱きしめる。脇の下から背中に腕を回し、少しずつ少しずつ力を込めて。痛くしないように注意しながら、彼女の柔らかな身体を抱き寄せる。

 

そうされると、レムはいつも幸せそうに喉を甘く鳴らす。何度抱きしめられようともこの感覚には堪え難いものがある彼女は、独占欲を激しく煽られる予感に「あぁ……」と、吐息し、

 

 

「明日も明後日もこの温もりを堪能することができるなんて……レムは幸せ者です。こうしてテンくんといちゃいちゃできるなんて……幸せすぎて、どうにかなってしまいそう」

 

「そう言ってくれると安心するよ。まぁ、流石に明日と明後日は堪能できないけどさ」

 

「え?」

 

 

甘い世界で二人、愛する人に甘え続けるレムは不意に聞こえてきた声に動きを止める。

 

この時間だけは自分にとっての不都合が何一つとして存在しないはずなのに、今の発言はあまりにも不都合すぎて。

 

反射的に「どうしてですか?」と、言葉を返したレム。テンの胸に埋めていた顔を上げる彼女は身を捩って抱擁から僅かに抜けると、彼のことを真上から見下ろして双眼を凝視。

 

不思議——そんな言葉を思わせるレムの表情にテンは平然とした態度で「だって」と、

 

 

「明日と明後日は俺、クルシュ邸に滞在もとい入院すんだし。必然的にレムとは離れることになるよね。つまり、そーゆーことよ」

 

「いえいえ。何を言いますか。レムはクルシュ邸に滞在するテンくんについて行きますから。離れるなんてできませんし、しません。テンくんとレムは、ずっと一緒なのです。一緒でないとダメなのです」

 

 

「だって、レムとテンくんは運命共同体なのですから」と。

 

言っている意味が分からないレムがテンの言葉を真っ向から否定。離れることに対して拒絶反応を起こしてしまいそうな彼女が自分もついていくと言い切ると、表情に笑顔が色濃く浮かび上がった。

 

笑顔の理由は勿論、クルシュ邸でのイチャイチャを想像したからである。誰にも邪魔されない空間で甘く濃密に絡み合う自分と彼を脳裏に描き、一人で勝手に盛り上がっているからである。

 

テンの付き添いとして向こうに赴く自分は使用人の仕事から一時的に離れて彼の付人となるのだから、当然の如くすることがなくなるもの。ということは、四六時中テンの傍に居ることが自動的に叶う。

 

とても簡単な考え方で、色々とすっ飛ばしてる気がしなくもないけど、極端に言えばそういうことになるのは間違えない。

 

なら、することは一つ。ただひたすらに甘えるだけ。することが無いなら、暇になった時間を彼との時間に回せばいい。治療の時間を除いてずっと甘えていればいい。

 

 

「向こうに行ってもたくさん……たくさんたくさん、レムといちゃいちゃしてくださいね」

 

 

 こつん、と。

 

眼下にあるテンの額に己の額を当て、レムは我慢できない笑みを口から溢す。我慢しようとしても愛の感情が次から次へと温泉のように湧き、だらしなくてはしたない自分が姿を曝け出した。

 

こんな自分を見せることができるのは、テンだけ。特別扱いする彼にのみ許される姿を気兼ねなく表現できるのは、自分が彼のことを心から信頼していることに他ならず。

 

愛する女性の淫乱がかった様を見たのだから、さしものテンも欲情してくれてもいいとレムは少しばかり思い、

 

 

「……なんですか。その、微妙な顔は」

 

 

 気づく。

 

このような場面では甘えるレムに対して慈しむような笑みを向けるテンは、しかし今は違った。慈しんでいるわけでも、ましてレムが望んだ顔をしているわけでもない。

 

微妙な表情だった。苦笑いと表現するべきか、普段は優しい笑みを浮かべるはずのそれは、ひどく引き攣っているもの。

 

ちゃんと笑いたいのに笑えない——そんな風に。

 

 

「なにか、あるんですか?」

 

 

その表情に困惑したレムが小首を傾げ、笑みは崩さぬまま己の中に生じた疑問を投げかける。

 

この状況でなぜそのような表情を浮かべることができるのだろうかと、いつもと少し様子がおかしい彼を訝み、

 

 

「えっとぉ………レムには言ってなかったね」

 

 

自分を訝しむレムを察したテンは微妙な表情を深めて一言。声の調子が一段階だけ下がり、引き攣る頬に焦りの情が僅かに滲み出た。

 

それから「その……あのですね」と、言い淀み。分かりやすく表に浮かんできた苦笑でレムに申し訳なさそうに笑いかけて、

 

 

「向こうに行くのは、俺一人なんだ」

 

 

 ——言った直後、テンを見つめる愛しみに満ちたレムの笑顔が凍りついたような気がした。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「レム」

「嫌です」

 

「離れて」

「嫌です」

 

「出発できないよ」

「嫌です」

 

 

一台の竜車が地竜と共に停車するロズワール邸の玄関前で、テンとレムの声が交互に混ざり合う。飛び交う声の片方は冷静で、もう片方は取り乱したように荒ぶっている。

 

冷静なのはテン。名目上、使用人としての立場でクルシュ邸に滞在する彼は着慣れた制服に身を包み、衝撃的な一言を告げた以降から刹那たりとも離れない少女の背中を優しく叩いていた。

 

その少女——取り乱すレム。テンの首に腕を回し、腰から背中にかけて脚を回す彼女は彼の体を正面から抱きしめて離れない。

 

その姿、まるで木にしがみつくコアラのよう。

 

 

「諦めて、レム。これはもう、しょうがないことだから。向こうに行くのは俺一人、って。向こう側とも、そーゆー話になっちゃってるから」

 

「どうしてですか! どうして……どうしてそのような酷いことを……っ!」

 

「恨むならロズワールを恨んで。フェリックス様の、コッチに来るのはあの子だけでいいよネ、みたいな言葉を受け入れた自分の主人を恨んで。つか、そうじゃなくてもレムが居なくなったら今日は誰が屋敷を管理するの?」

 

 

涙ぐむレムの震える声を聞いたテン。裏声を駆使してあの猫耳の声帯を再現しようとした彼の背中にラムの「キモ」という純粋な毒舌がブッ刺さる中、彼は視線を眼前のレムから斜め前にいるロズワールへ。

 

この絵面を作り出した元凶は後頭部に手を当てて「あはぁ。そこでこの私に矛先を向けるんだーぁね」と苦笑しているところだ。

 

レムの悲劇的な態度を見せられて良心が痛みでもしたか。そこに偽りはなく、心の痛みがそのまま表情に色づいている。

 

 

「そうよね。やっぱり、レムも寂しいよね。……私だけじゃなくてちょっと安心しちゃったかも」

 

「少し度が過ぎてる感は否めないけど。まぁ、あの子はテンのことが大好きにゃんだしさ。こうなるのが目に見えてたのに、当日まで隠してたテンが悪いよ」

 

 

平然とした様子で背筋を伸ばして立つテンと、彼の体に両腕両脚を駆使して全力で抱きつくレム。その二人が作り出す悲劇的な光景を正面に軽く言葉を交わすのはエミリアとパック。

 

今にも泣いてしまいそうなレムに共感できるものがあるのだろう。彼女を痛ましげに見つめるエミリアの表情には哀愁が渦巻き、明らかな陰りが見えた。

 

寂しいのは自分だけじゃなかった——そんな思いを抱くとなぜか安心してしまう。同時に、目の前の光景を見ていると心がチクッとする。遠慮なしにテンに抱きつくレムを見ると、胸の奥がざわつく。

 

 なんでだろうか。

 

 

「……この子とも一悶着ありそうかな」

 

 

紫紺の瞳に嫉妬の情が薄く宿ったエミリアを横目にし、パックは小さくため息。胸元に添えた拳をきゅっと握る仕草を見ると、「彼も大変だなぁ」と呑気に一言。宙を泳ぐ彼はくつくつと笑った。

 

一応、二人の間で話はつけているようだが、それでも当日になって溢れる感情は必ずあるもの。寂しい感情を我慢で押さえつけたのなら尚更、正面の光景を見てしまえば我慢したそれは暴れるだろう。

 

勿論、テンにはその責任を取ってもらうつもりだ。意図したわけではないにしろ、自分の娘をこんな風(夢中)にしてくれたのだから。

 

 

「ありゃ重症だな。下手すりゃ、一生離れねぇぞ」

 

「あれは当日まで黙ってたイカれ男に非があるかしら。出発までに猶予があるなら、それなりの対応もできたはずなのよ。当日に伝えたらどうなるかなんて明白、こんな朝っぱらから騒がしくされることもなかったかしら」

 

 

「要するに、バカかしら」と、ベアトリスはぎゃーぎゃー騒ぐレムを見ながらテンに嘲笑を一つ。幼い抵抗をし続ける彼女に同情の目を向ける隣では、腕を組むハヤトが的確な意見に失笑。

 

エミリアとパックの二人が正面の光景に別々の感情を抱く中、こちらの二人はいつも通り。胸が痛まないと言えば嘘になるけど、そこまで悲劇的に捉えてはいない。

 

 

 ——大小様々な形の雲が泳ぎ、早朝の余韻が僅かに残存する澄み渡った青空の下。現在、ロズワール邸の玄関前には屋敷の住人が勢揃いしていた。

 

 

理由は勿論、王都に行く予定のあるエミリアとパック。治療のためにクルシュ邸に赴くテン。更には竜車を操るラムと用心棒として同行するハヤトの五人を見送るため。

 

ベアトリスも来てくれた。このような場には基本的に来ないとばかり思っていたのだが、ハヤトが行くなら話は別らしい。ダルそうにしながらも、彼女の姿は彼の隣に在る。

 

見送り組の準備は万端。なら、すぐにでも出発したいのが出発組の心情。

 

 なのだが、

 

 

「レムも行きます! 絶対について行きます! 離れません! 絶対の絶対のぜっったいに、決して離れませんッ!」

 

 

 この有様。

 

「離れて」と繰り返すテンの声をレムは全力で全否定。首を強く横に振ってはしがみついた体に全力で抱きつき、言霊の力を宿した両腕両脚に恐ろしく力が込められている。

 

今日の朝、テンの口からその事実を告げられてからずっとこの調子。自分がテンの付人として向こうに赴くとばかり思っていたことも重なって、絶望の度合いが半端じゃない彼女の声色は悲哀一色。

 

この際、隠していたことはどうでもいい。どうでもよくないけど、それ以上に大切なことがある。

 

 テン(恋人)と離れ離れになる、事実が。

 

 

「二日。たった二日だけだから。二日間、会えないだけだから。明日と明後日を越えて、明明後日にはちゃんと帰ってくるから。なにも今生の別れじゃないんだしさ」

 

「だけ、とはなんですか! だけ、とは! レムにとってその『二日間だけ』は死活問題ですよ! 一分一秒とテンくんのお傍に寄り添うことができないなど………ダメです、想像するのも恐ろしい!」

 

 

「それに」と、レムはテンの右肩に顎を乗せると決して無視できないもう一つの事実を鼓膜に思いっきり殴りつける。

 

 

「最低でも、ですよ! 最低でも二日間は向こうに滞在しなければならないお話であって、それ以上の日数会えないことだって考えられます。一週間、一ヶ月、あるいは一年だって!」

 

「それはないから。誇張しすぎだってば。伸びたとしても一日二日だと思うよ」

 

「でも、行っちゃいやだぁ」

 

 

ずっと一緒だった温もりが遠のくなどあり得ない。考えるだけでも戦慄して、震え上がってしまいそうなレムの瞳がどんどん潤う。徐々に陽光を反射させ始めたそれは、泣き出す予兆。

 

知らない。そんな話、聞いてない。自分も会談には同席したのに、そんなのは一切耳にしていない。

 

尤も、話し合いが終わる直前——紅茶が淹れられていたカップを片付けるために自分が退出した後にその話が上がったのなら話は別だが。

 

 

「んーー。困ったなぁ」

 

 

想像を遥かに上回る愛の深さに苦心し、テンは喉を低く唸らせる。

 

唸る以外では絶対に離れたがらないレムの背中をポンポン叩くことしかできず、こうなった原因となる人物に視線をやるも、当人は完全に知らん顔状態。あ、視線を逸らしやがった。

 

正直、こうなるのは火を見るより明らかだったと思いながら吐息。だからもっと早く言うべきだったのに、

 

 

「ロズワール、あなたのせいですよ。あなたがフェリックス様の提案を簡単に受け入れるから、こうなったんですよ。その上、レムには言わないように、だなんてご丁寧に口止めまでして。ちょっと、聞いてます? おい、おーい!」

 

 

自分とロズワールしか知らないことを暴露し、テンはこの騒動の元凶を軽く睨みつける。が、視線を合わせる気などないと言わんばかりに彼は口笛を吹いている。完全に事態の収集を丸投げするつもりだ。

 

今から二日前。フェリックスとの話し合いが済んでから数時間後にこの事態を察し、「ごめんねっ」と適当に謝ってきた彼には苦笑すら浮かばなかったテンである。

 

出発の日まで黙っててくれと言われたことも含めて真顔で「マジすか」と言ったのみ。多分、このときから自分の軽率な行動が招いた失態の収集をテンに丸投げするつもりだったのだろう。

 

 やってくれたものだ。

 

 

「いかないでください。行くなら、レムも一緒に行くきます。それがダメならいかないでください」

 

「そー言われてもねぇ。今になって一人増えても向こうも困るだろうし。行かないわけにはいかないでしょう」

 

 

なにがなんでも、意地でも、絶対に離れようとしないレムにテンは難しそうに顰めっ面。この際、ロズワールに問題を丸投げされたことは置いとくとして、彼は状況の打開策を練り始めた。

 

依然として体をがっちりホールドする両腕両脚には彼女の意志を尊重せんばかりに力が込められ、柔らかい感触を全身に感じている今。さて、どうやって切り抜けようかと。

 

尤も、彼がそうして思考をフル回転させている中でも時間は進みゆくもの。レムが思考の時間を与えてくれるわけもなく、

 

 

「またしても、テンくんはレムの『いかないで』を無視するのですか! テンくんはレムという最愛の恋人を置いて、遠くに、行ってしまうのですか!」

 

「やめろ。その言い方はすごく刺さる」

 

 

鼓膜を越えて心を殴りつける涙混じりの呼び止めをさてしまえば、その思考は鈍ってしまう。あの夜、彼女の『いかないで』を振り切って死地へと飛び込んだトラウマが、一気に脳裏を走り抜けるせいで。

 

この時、レムに対しても「少し、甘やかしすぎたかなぁ」なんてことをテンは呑気に思っていたり。

 

最低でも二日間離れると聞いたエミリアがあの様だったからレムはもっとすごい——とは予想していなかったわけではなかったものの、想像を絶する勢い。

 

自分のせいだろうか。自分のせいだろう。自分が甘やかしすぎたから、遠慮知らずでわがままなお嬢様が二人も現れてしまったのだ。自分には気持ちを我慢せずに叩きつけられるから、こうなった。

 

これは、大変な女の子たちに好かれてしまったかもしれない。なんて、今更すぎることを再自覚するテン。彼は「でもさ」と続け、

 

 

「そうなると俺のゲートは治らないけど。レムはそれでもいいの?」

 

「良くないに決まってますよ!」

 

 

ゲートの話を持ち出された彼女の返答は矛盾したものだった。一緒に行けないのならいかないでほしいと主張しているのに反し、即答された感情はひどく素直で反対なもので。

 

察するに、彼女自身、どうにもならないことは分かっている。これだけ言っても自分の声を肯定しないテンの態度から、暴れる自分を宥めようとしている様子から、理解している。

 

テンに対してだけは遠慮知らずでわがままだけど、この子もエミリアと同じで聞き分け自体は悪くない子だ。ただ、今ちょっと、理性と本能が心の中で激しく口論しているだけ。

 

その口論。今のところは本能が優勢。

 

 

「良くない決まってる……決まってるのに……、分かってるのに……!」

 

 

自分がわがままなのは分かってる。無理を言っていることも理解している。迷惑だってことも重々承知。

 

 でも、それでも、

 

 

「離れたくない。一緒にいたいです。テンくんと離れるのは……寂しいのです」

 

 

底のない深愛が、今は牙となって心を痛めつけるせいで、レムは自分の意志ばかりを口にしてしまう。ダメだと分かっているのに、理性()では理解しているのに、本能()が彼を離したがらない。

 

一体、自分はいつからこんな女になってしまった。寂しがり屋で、わがままで、迷惑で、下手すればテンに嫌な思いをさせてしまう女に。

 

彼に、甘えすぎたせいだろうか。きっとそうだ。お付き合いを始めてからずっとくっついていたせいだろうか。そうに違いない。

 

 なんて、情けない。

 

 

「ごめんなさい。本当にごめんなさい、テンくん。レムがこんな………こんな女で」

 

「こんな女、だなんて言わないで。レムは素敵な女性だよ。ただちょっと恋人に対する愛が深いだけだけど、さして問題になることでもないしさ」

 

 

「謝ることなんてない。俺にも責任はある」と、テンは弱々しく気落ちするレムの頭を撫で下ろす。彼女の深愛をよく知ってる彼が今の彼女を咎めるわけがなかった。

 

今こうしていること自体が甘やかしている事に属する気がしなくもないが、かといって突き放す真似ができるほどテンは薄情な男ではない。

 

なら、彼女も一緒にクルシュ邸にいけるように話をつける——そう思わないわけじゃない。けど、そうすると、屋敷で待ってなさい、と言い聞かせたエミリアと不平等になってしまう。

 

エミリアには「待ってろ」と言って、レムには「一緒にいく?」と言う。偏らないように、どちらにも同じ量の愛を注げるように、己を磨くテンにとってそれは禁忌とされる行為。

 

要するに、レムを連れていく選択肢など始めからない。エミリアに、我慢して待て、と言った瞬間からレムの同行は否定されたのだ。

 

 ならば、やることは一つ。

 

 

「よし分かった。黙ってた俺にも責任があるし、ここは腹を括ろう」

 

 

状況の打開策を練る過程で一つ、偶然にも見つけ出した最終奥義。その前振りを行うテンが声量を上げ、声色を明るくし、あからさまな態度の一変を見せる。

 

何か良い案でも思いついたのだろうか。とは、テンとレムを取り巻く周囲の人間が感じたこと。

 

残念なことに、この場面をどう切り抜けるのかと見守っていた人たちには良い案が全く思い浮かばず。誰よりも先に答えにたどり着いたテンに視線が集まる。

 

 

「レム。君に一つ、提案がある」

 

 

時間的にもそろそろ話をつけてほしいと目で語りかけてくる周囲の視線を感じながら、テンはレムと視線を絡め合わせる。

 

潤む青色の双眼がゼロ距離。寂しげに揺れるそれを見ながらテンは朝と同じように、けれども今度は柔らかく笑いかけて、

 

 

「今ここで、俺から離れて我慢してくれたら、俺が向こうから帰ってきたあと—————なんでも一つだけ言うことを聞いてあげる」

 

 

 






この幸せな光景が原作が始まったら全部壊れる、って想像できます?


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