今回はテンが少しだけ男を見せます。
朝、太陽の灼熱に瞼を焼かれる感覚でテンは意識を覚醒させられる。寝起きは良い方だが、流石にこの起こされ方はいつまで経っても慣れない。
鍛錬の疲労感が抜けてないのならば尚更だった。
「うぇ……、もう朝かよ」
全身に重くのしかかる睡魔、疲労感と一緒に身体を起こすテン。彼が一番初めに気づいたのは自分の寝ている体制が縦ではなく横になっていることだった。
縦長の布団に対して横で寝る、足がはみ出てるスタイル。掛け布団だって被ってない。ついでに服も着替えてない。
昨日、鍛錬から帰ってから風呂にも入らずに布団に倒れ込んだところからの記憶がないことも加味すると、倒れた瞬間に寝たということか。
「いやぁ……、眠い」
頭を左右に振り、足枷でも装着してるのかと勘違いする程に重たい身体をタンスへと向かわせる。寝ぼけながら取り出したのは使用人の制服。取り敢えず眠気覚ましに風呂に入ってそのまま着替えるつもりだ。
そうしないと身体に鍛錬の余波があるせいで気持ち悪いし。何より、服を洗濯できない。汗を吸った洋服は洗濯しないと異臭を発するのだ。
ふと、窓の方へと視線を向ける。そこからは朝日がこれでもかと差し込み。雲ひとつない快晴の空が世界には広がっていた。
「…太陽の光、眩し」
それとは逆にテンの心はその光を遮断するかのように雲しかない空模様。焼かれる眼球に痛みを感じた彼は数秒で視線を暗がりへと戻した。
感覚としては数十秒間しか寝てない気分だ。少し目を瞑ろうとしただけで。次、目を開けた時には太陽の光が瞼を照らしている。
なんてことか、それではまともに休めてない。
自分の年頃は一日に五、六時間は睡眠を取らなければならないと保健の授業で習った覚えがあるが。今の場合はたったの二、三時間しか取れてない。これではレムに言われたとうりの仮眠だ。
「ふろ、ふろぉー」
頭が働かないせいで先程から意味不明な発言が口から止まらないテン。彼は制服片手にうとうとしながらも歩き、よれよれと壁に激突しながらも部屋の扉を開き、廊下へと出た。
これから風呂。色々と肩にのしかかったものをお湯と一緒に洗い流すために風呂場へと足を進めようと、
「ーーテン君?」
不意に横から聞こえてきた声に視線を向ければ、そこにはメイド姿のレムがいた。自分の様子を見てひどく困惑しているような、そんな彼女が。
どうしてここに居るのかと不思議に思うが、思えばレムはいつもこの時間帯に自分の部屋に顔を出しに来てくれる。その必要もないのに、なぜか毎朝のように部屋に訪れるのだ。
なら、そのタイミングと重なったということか。
「…おはよぉ、れむぅ。いつも早いねぇ」
寝ぼけたテンが力の入ってない声でレムへと朝の挨拶。普段通りとは程遠いその声に彼女は更に困惑したが、彼の姿を見て色々と察した。
眠たげで、目が半開きで、部屋の布団は畳まれてなくて、服装も鍛錬の時のまま。
更に片手に制服を持っていることから入浴すらも済ませてないことがわかる。推測するにあまり寝てないのだろう。
たったこれだけの視野情報。しかし、彼の睡眠不足を把握しているレムには彼の状態を把握するのには十分すぎるものだった。
「寝てないんですね」
「寝てるよぉ? いつもよりも疲れちゃっただけで」
ドアに寄りかかるテンに、目を細めたレム。昨日話したばかりなのにも関わらず、彼は夜遅くまで鍛錬したらしい。加えていつも通りの時間に寝て起きてを繰り返していた。
もはや怒る通り越して呆れるレムはため息一つ。いまだに寝ぼけているテンへと両手を近づけ、
「むがっ」
「起きてください、テン君」
パチンとその両手で彼の頬を挟んだ。彼女の手によってテンの頬の肉が真ん中へと集まり必然的に変顔になった。対照的に、変わらずレムの表情は無表情を貫き通す。
彼女の手の平から伝わってくるひんやりとした感触。絶妙な痛みによって寝ぼけていた精神が一気に覚まさせられ、これ一つでテンは意識を覚醒させられた。
縦に長くなった視界。ボヤけていた世界のピントが徐々に定まっていくような感覚の中、正面にいるレムへとちゃんと意識を合わせれば、
「お、おはようございます。レム……さん」
「はい、おはようございます。テン君」
笑みを浮かべるレムが、心の中へと入ってきて。ちゃんとした笑みなのに、どこか鬼のような怒気が含まれている事に簡単に気づけたテンだった。
▲▽▲▽▲▽▲
「まさか、休めってあんなに強く言われるとは思わなかった」
憂うように呟き、庭園の芝生で寝転がるテンが朝日の登り始めた空を眺める。起きた時とは違ってその空は薄暗さが抜け青みがかかった空模様へと変わっていた。
たまに吹くそよ風が覚醒した意識を再び眠らせようとしてくるが、そこは顔を横に振ることで我慢する。今寝てしまっては起きた意味がないのだ。
あの後、入浴して制服へと着替えたテンはレムから軽いお説教を受けた。
正座で、両膝に手を乗せて、背筋ピーンで。
風呂にも入らず、着替えもせず、布団すらちゃんとかけずに寝てしまうくらいに疲れるまで鍛錬をするなと。寝るときはちゃんと寝る。浅い眠りはしないでほしいと。
テン自身、その発言が正しいことは理解していたため言い返すこともできず。最終的に今の形としてその話は終わっていた。つまりは、レムに朝食の時間まで休んでろと強めに言われたのだ。
一度ではない何度も。言葉の上から言葉を重ねるとは正にあのこと。物分かりが悪いわけでもないから尚更それをされると中々に威圧されるテン。
実際に、その時のレムは怖かった。微笑んでいるのに、纏っている雰囲気が全く微笑んでいない。微笑みの裏側に鬼の顔がハッキリと浮かび上がっていた。
「…間違ってもレムは怒らさないようにしよう。色々と徹底的にやられかねない」
背筋が凍りつく感覚。それだけが今のテンには刻み込まれていた。次、似たような光景が彼女の目に映れば今度こそ部屋に監禁されてお説教させられる。
そんな感想を思う傍ら。レムに強制的に取らされた休息の時間で落ち着くテンは、鼻からゆっくりと息を吐きながら隣を見る。
朝日の差し込む庭園で、緑の上に座るエミリアの周囲を淡い光が浮遊している光景があった。微精霊さんたちとの談笑ーー朝の日課である。
なぜ、隣にエミリアが居るのか。テンが寝そべっている近くに彼女がやって来たからだ。
否、彼女が朝の日課を行っている場所に偶々テンが寝そべっていたから。エミリアからすればいつもの場所に先客がいたという事になる。
テンからすればやってきた、エミリアからすれば居ないはずの人がいたと。尤も、居たところでどちらも不利益になる事にはならない為、こうして何も言ってない。
「エミリア、か」
彼女から視線を外し、空へと戻すテンがその名前を呟く。屋敷に来てから既に十日以上が経過した今では聞き慣れた、呼び慣れた名前だ。
アニメの世界に召喚された感動を忘れたわけではないが。その名前の人物が隣にいる事実がどれだけ異常なのか。仲良くなれることがどれほど恵まれていることなのか。ふと、考えた。
お屋敷の仕事をする上で彼女との交流は確実に増えてきているし、彼女の方から呼びかけてくれることも最近は多い。その度に「疲れてない?」と心配されるものだから少し困ってしまう。
今の自分は一眼見ただけでも疲れていることが瞬時に分かるくらいには疲労が外に出ているようで。
「俺、結構焦ってんのかな」
ハヤトに追いつかれないように、追いつけるように。身を削る勢いで鍛錬をする自分は、心のド真ん中に焦る気持ちがあるのかもしれない。
鍛錬を三日前に始めたことの差を埋められないように必死になってるのかもしれない。
その頑張りも、きっとすぐに無駄になるだろうけれどとテンは悲観する。彼ならばそんな差なんてあっという間に埋めてくるはずだ。彼は、自分なんかよりも何倍もすごい人なのだから。
その差が埋められた時。自分は、どんな風に思うのか。当然だと割り切るのは少し無理そうな気がする。負けない! と思うのもできそうにない。悪い癖だ。
「自覚してるのが、一番厄介なところか」
自分に向けて嘲笑するテン。自覚していながらもそれを治そうとすらしない自分に、自分自身がそれを咎める。したところで無意味だった。だから、彼は何度も過ちをくりかえす。
と、
「おはよう、テン。全然元気そうじゃにゃいね」
声をかけられ、何かと思えば浮遊する灰色の毛玉 もとい、ピンクの鼻をした小型の猫が空を泳ぎながら目の中に映り込む。パックだ。彼は普通の猫がするように、短い手で顔を洗う仕草をしながら、
「昨日、ちょっとだけリアが覗いたみたいだけど。かなりキツそうに見えたって言ってたし。このままだと体が壊れるのもそう遠くないかもよ?」
「見られてたの?」
「うん。誰に見つからなさそうな場所で一人静かにやってたつもりだろうけど。たまたま見つけたみたいでね」
胸に着地したパックの声を聞きながらテンは自分の鍛錬が見られていたことを知る。集中していたせいで周りの気配に気づけなかったのか、それとも意図的に気配を消していたのか。
テンは割と視線には敏感な方だ。それも、今ので説得力のカケラも無くなってしまったけれど。
「そっか。見てたのか」
空を仰ぎ、深く長くゆっくりと息を吐くテンが見られたくなかった事を仕草で語る。誰にも見られないようにしているのは、単なる気まぐれだが。それもエミリアにバレてしまったと。
これでは、場所を変えなければいつか彼女があの場所に訪れに来る可能性も捨て切れない。なるべく鍛錬をする時は誰にも邪魔されない静かな空間でやりたいのだ。
エミリアにバレたとなれば。あんな状態の自分を性格上、放っておくとは考え辛い。強制的に屋敷に戻されることもあり得る。
「リアも結構心配してたよ? あんなに頑張って身体でも壊したらどうするんだろうってさ」
「やっぱりそうなんだ、エミリアは誰にでも優しいからね。心配させちゃうのも仕方ないことか」
降り立った胸の上で毛繕いするパックを横目に、改めてエミリアの方を見やる。彼女は精霊たちとの語らいに没頭しているらしく、今の一人と一匹のやり取りには気付いていないらしい。
その穏やかで、時折こちらを見ては美しく微笑む横顔を見ながら、ふとテンは脳裏に過った原作の事実を口の中だけで呟く。
「銀髪の、ハーフエルフか」
原作を読んでる上で知ってること。いずれ、エミリアという少女と命を共にする自分としては知らなければならないこと。
銀髪のハーフエルフ。嫉妬の魔女の素姓のひとつだ。世界の半分を飲み込んだと言い伝えられ、忌み嫌われている存在と共通している部分がある。
たったそれだけの事実が彼女の人生をどれほど歪ませたことか。ぬるま湯に浸かる自分には決して理解できない、険しい道のりだと言葉で察することはできる。それは知っている。
そう思うと改めて思う。周り嫌われても、あれだけ素直で真っ直ぐな性格に育ったのは奇跡だと。何で自分がーーと負の感情が溢れていてもなにも不思議なことではない。
身近に考えよう。例えば、限定された範囲で起こる集団的で一方的な嫌がらせ。周りから避けられて、嫌われて、罵詈雑言を浴びせられて、時には暴力すら振るわれて。
自分だったらどうする? それが世界規模だったらどうなる?
ーー考えたくもない。
それでもあれだけ真っ直ぐで純粋な、綺麗な女の子がすくすくと育ったのは、
「パックの偉大さが分かった気がする」
「ふふーん。やっとボクの素晴らしい親っぷりが理解できたんだね」
自画自賛するようにパックが笑う。胸の上で照れるように転がり回る彼は自分の感情でも読んだのだろう。たった一言でテンの頭の中を理解し、言葉を合わせた。
そうなると、まさか原作の知識までも読み取られたのではと思うが。いつの間にか額に乗っかって瞳を覗き込んでくるパックを見た感じ、その心配はいらないらしい。まだ自画自賛顔だった。
いま考えていることすらも読み取られている気がしてならないが。どこまで読めてどこまで読めないのか曖昧な以上、気にするだけ無駄。何にしても心を読めるとは、恐ろしい猫である。
彼と話す時はなるべく頭の中を空っぽにして話そう。などとテンが思う中、パックは覗き込んだ瞳を見ながら、
「でも、あの子が綺麗なまま育ったのはあの子自身が理由でもあるかな。今のテンに語るつもりもないけど、君が思ってる万倍あの子は苦労してる。君が何を言っても取り除ける傷なんかじゃない」
言葉は何も出てこない。
知ってる、彼女の過去もパックとの事も。知ってるからこそ、より自分の口からは到底語ることなんてできないと理解できる。
今のぬるま湯に浸かっている自分には、想像もできないくらいの苦しみをたくさん経験してたこと。文字上、映像上で見ていても。彼女の心までは知れないから。
過去は知っていても、エミリアのことは何も知らないから。分かったように同情することなんて彼女に対しての無礼だ。
「何も言えないよ。今の俺が何言ってもエミリアに対しては侮辱にしかならない気がする。同情する事も、寄り添う事も、共感する事も。全部今の俺にはできることなんかじゃない」
何も知らない、知らなさすぎる。エミリアという一人の少女のことをソラノ・テンという一人の青年は全く知らない。文字上のことは知っていても心のことは何もーー何も知らない。
この面に関しては原作の知識などまるで役に立たない。実際にエミリアと話していて、知らない彼女の一面を新しく見ることが多々ある。
それは、設定された性格なんかじゃない。
例え、人の手によって創り出された存在だとしても。ここの世界で息をする人たちには心があって。それは時間と共に全く別の方向へと変化することだってあり得るのだから。
「そういえば、リアから聞いたんだけどさ」
物思いに耽っているテンの鼓膜を叩いたのはもちろんパックの声。意識と視線を空の海に漂わせていたテンだったが、その声で二つとも地上へと引き戻される。
誘導させられたように声の方向に顔を横に傾ければ、眼前にパックの姿があった。仁王立ちして、心を透かすように瞳を覗く灰色の猫。不信感を抱くテンは「ん?」と喉を鳴らすと、
「君は、会ったばかりのリアに色々と言われても周りとは違う反応だったみたいだね」
「会ったばかり……?」
少し前のことを言われて、記憶を探るテンは初めてここに来たばかりのことを思い出した。屋敷に来て、この世界が何なのかを理解する事になった時の出来事。
その中でエミリアに言われた事といえばーー。
「あぁ。なるほど」
合点がいったテンが頷く。あの時にエミリアの姿について幾度か聞き返された覚えがある。今の話を加味するなら、
「エミリアの姿に何も言わなかったことか」
「そう。テンはあの時、リアのことを見ても、そしてリアからそれを言われても気にしなかった。気にも止めなかった」
テンが答えとして出した言葉はどうやら正解だったらしい。顔の真横で仁王立ちしていたパックがふわふわと浮遊。彼の後を追うように視線を空へと向けると、再び額の上に着地した。
額に肉球のぷにぷにとした感覚が二つ乗ったことでむず痒さを覚えるテンに、そのままパックは見下ろし、
「銀髪のハーフエルフ、『嫉妬』の魔女サテラと同じ特徴を、あの子は生まれながらに持っている。それは変わりのない理不尽な事実だ」
嫉妬の魔女サテラ。
かつて世界を叫喚させた魔女を一掃し、奪い取った力で世界の半分を滅ぼし、世界中の全てのものから畏怖される大厄災。英雄によって封印された今も、どこかで眠っているという。
そんな存在と同じ特徴をエミリアは持っている。彼女はただそれだけの事実だけで、今まで苦しんできた。軽々と「辛かったね」なんて寄り添える苦しみではないほどに。
「あの時の君は、何も知らなかったらしいから。そう言ったのかもしれない。だから、ちゃんと把握した今。もう一度テンに聞いてもいいかな」
真面目な話をするのだろう。そんなことを察したテンが問いかけられる前に上体を起こす。芝生に寝そべったままでは首が疲れるのだ。
そうして、自然と聞く姿勢をとったテンにパックは一呼吸置いて、
「君は、エミリアのことを。どう思ってる?」
真面目な表情だった。普段から一貫して緩い態度の彼がテンに初めて見せた表情。声も、仕草も、態度も。パックという一つの存在がこの問いかけに対しての回答を心して待ち望むように。
普通の人間にこの質問をすれば、返ってくる答えは同じなのだろう。だから愚問だなんてこと質問者が一番理解している。
でも、彼なら。彼ならば周囲とは違う答えを出してくれるのではないか。
そんな、淡い期待を抱くパックが投げかけたある種の願いとも言える問いかけ。文章だけなら恋話的なものとも捉えられるが、この場合は全く別の意味。
「どう思ってる?」答え方に正解などない問いかけだ。だから、受け取った存在がそれを正解か不正解か決める質問。
「……そうね」
なんて答えたらいいのだろうか。心に迷いが生じたテンは、横にいるエミリアのことを見つめる。
銀髪のハーフエルフ。ただそれだけで周りから差別的な扱いを受けてきた一人の女の子。常人との間に出来上がった埋まることのない深い溝は、彼女の心をこれでもかと痛めつけた。
そんな過去を背負い続ける彼女を、自分はどう思うのか。
「エミリアは」
屋敷で彼女と過ごした約十日間で自分は彼女に対してどんなことを思ったのか。穏やかで、とてつもやく過保護で、心優しい少女のことを。
「エミリアはエミリアかな。外見だけで彼女のことを決めつけるのは、彼女に失礼だよ。ただの昔話だけで彼女を痛めつけるのは、良くない」
「ーーーー」
「俺は、エミリアがどんな人なのかちゃんと知らないから、浅い部分でしか言えないけど、浅い部分でも言えること。彼女は、普通の女の子だよ。周りがなんて言おうとね」
真面目に聞かれたから、いつも以上に真面目な態度で返すテンにパックの目が見開かれる。予想外の言葉に、文字通り驚いた様子だった。
確かに、彼はエミリアのことを知らなさすぎる。けれどそれでも彼はエミリアのことを半魔でも嫉妬の魔女でもない、エミリアだと言った。
何の恥じらいもなく、穏やかな声とは裏腹に芯のある言葉を彼は当然のように語った。自分の心に嘘偽りなく。
たったそれだけなのに。彼が別人に見えたのは、きっとパックの気のせいではないはずだ。
だって今テンが言った言葉は、この世界の人間からすればありえない事なのだから。エミリアを前にしてそんな言葉が浮かんでくる方がおかしいのだから。
「テンは、本当に不思議な人だね」
その一言には様々な意味が含まれていたのだろう。真面目な顔をしていたパックがほどけるように小さく笑う。
数秒の間、テンの真意を探るように沈黙を貫いていたけれど、それも必要なかったと嬉しそうな態度だった。体育座りに体制を変えるテンの膝に座るパックに彼は「あんなぁ」と繋げて、
「俺は基本的に周りには流されない性質だから。それに、エミリアは良い人だし。ハーフエルフだからとか、あんまし気にしてないのよ」
「君のような人間は、この世界では中々に希少種だと思うよ? だってリアは世界の半分を飲み込んだ存在と同じ姿をしていて。ボクのように意志のある精霊はそう見れるものじゃない」
「でも、エミリアはそんな恐ろしい存在とは違う。パックは基本的にエミリア主体だけど、こうして俺と仲良くしてくれるでしょ。物珍しさはあるかもだけど、気にはならないかなぁ」
普通の態度でこの世界の人間からすればヤバめの発言を、さも当然のように口から発するテン。彼の、のほほんとした声色にパックは少しきょとんとした顔をしていた。
嫉妬の魔女と同じ特徴のエミリア。意志のある精霊のパック。周りの人間からすれば異様な存在とも言える二つを、テンは「気にしない」の一言で片付けたのだ。
十日間あたりで築かれた途中経過の絆で、そう結論づける。それがどれだけ異常なことか。きっとテンは気づいてない。気づいてても、それを気にしてない。
「何が言いたいかって。エミリアはエミリアだし。パックはパックってこと。何も気にしないし気にならないから。俺とも仲良くしてね」
「うん。ボクからも、お願いしようかな」
膝に座るパックに人差し指を出したテン。パックは笑顔でその指に小さな両手を合わせた。そうして、二人揃って「ニシッ」と笑顔を浮かべていると、
「二人とも、なに話してるの?」
そんな二人を不思議そうに見つめながらエミリアが近づいてきていた。
すでに精霊との歓談を終えたのか、彼女の周りを浮遊していた淡い光たちの姿はない。代わりに、今の今までテンの膝の上を独占していたパックが彼女の肩に乗り込み、
「ここ、ここ。やっぱりここが一番落ち着くね。テンの膝は微妙にゴツゴツしてて落ち着かないや。もっとリアの肩みたいに柔らかくなくっちゃ」
「勝手に座ってきて何たる言い草。膝が柔らかかったら立てないだろ」
座り心地を確かめるようにみじろぎするパック。その灰色の頭を指で撫でて、それからエミリアは改めてテンの隣に腰掛ける。
拳五つ分の距離。これ以上詰められるとパックに凍らされるからやめてくれと彼女に言った次第。それ以降はこの絶妙な距離感を二人は保っていた。
「それで、二人は何を話してたの?」
パックとテンを交互に見るエミリア。先程までは精霊さんとお話をしていた彼女は、そのやり取りまでは聞き取れなかったらしい。二人が仲良さそうに指と手を合わせていたのが不思議だった。
その視線を受けて「んーー?」とパックに視線を送るテンと。「えっとねー」とテンに視線を送るパック。言葉のいらない意思疎通を交わす二人は真ん中にいるエミリアに微笑むと、
「なんでもないよな、パック?」
「うんうん、なんでもないよね。テン」
いたずら顔を浮かべて二人が声を揃える。これは一人と一匹だけの秘密だと言い切った。あまり本人に話すべき内容ではないと判断したのは共通の認識だ。
しかし、エミリアはそんな二人の様子にご不満な様子だ。分かりやすく表情を曇らせ、ムスっした顔でテンのことを見ていた。
「なによそれ、もう。二人揃って。少しは教えてくれてもいいじゃない」
「んなこと言われてもねぇ。本人に言うのは少し恥ずかしいというか、なんというか」
「教えなさいよー」とグイグイ迫るエミリア。
「無理です」と迫られる度に逃げるテン。
迫る、逃げる、迫る、逃げる、迫る、逃げる、迫る逃げる迫る迫る逃げる迫る迫る逃げ迫ーー、
「ちょちょ、分かった! 教える、教えるから、それ以上近づかないで! 生命の危機!」
「やっと教えてくれるのね。もう、早く教えてくれればいいのに。困ったさんなんだから」
元いた場所から十メートル程距離が空いたところでエミリアが実力行使。逃がさないようにと両手でテンのことを拘束し始めた瞬間、大きく肩を跳ねさせたテンが両手を上げて降参の仕草。
逃げることを諦めたテンは、エミリアと向き合う。頑なに話さなかったテンの視線は勿論、エミリアの肩に座るパックへと向けられおり。その先には両手を合わせて「やっちゃうよ?」とでも言いたげな表情の猫がいた。
理不尽だ。悪いのは自分ではないのに、エミリアを尊重するパックはどんな状況下でも基本的に彼女側に付くことが殆どで。
さっきの意思疎通はどこへ行ってしまったのか。一人と一匹の間に生まれた絆は簡単に裏切られた。
でも、今言ったことは本当に今伝えるべきではないとテンは思う。まだ、関係の浅い人間にこんなことを言われても、心に響くわけもなく感情の薄いものになってしまうからだ。
エミリアはエミリアで教えてもらう気満々で構えているし。どうすれば良いのか。考えて、考えて考えて考えてーー、
「分かった、教える。けどこうしない?」
「こうって。どうするの?」
胡座をかくテンに、可愛らしく首を傾けたエミリア。教えてもらうことは確定したから先程のような迫りはなくなった。人差し指をピンと立てるテンは一呼吸置き、
「俺がエミリアの騎士になったら。そうなれたら今のことは教えてあげるよ。どお?」
「今じゃ、ダメなの?」
「ダメなんだよ。今言っても意味がないからね。今の俺なんかが伝えても…、きっとエミリアには届かないと思うし」
テンの提案に悩む素振りを見せたエミリア。彼の言った言葉の意味がイマイチ分からないのか、何度も疑問符を頭の上に浮かべていた。
分からなくて当然だ。逆に、分かった方が察しが良すぎて悲しくなってくる。尤も、可能性の一つとしてあり得るのが本当に悲しいところ。
「ボクも、その方が良いと思うよ。今のテンにそれを言われても。きっとリアには届かせられないと思うし」
重ねるように彼女の肩に座るパックがテンの提案に便乗。伝えるか否かは置いといて、今はまだ伝えない方が良いと思うのは、やはり共通だった。
彼の後押しが来ればこの提案は通ったも同然だ。エミリアはパックの意見を聞き入れ易いのだから。現に、彼女は「分かったわ」と若干の心残りはあるものの頷き、
「テンが私の騎士になったら。その日に教えてね? 絶対よ。絶対の絶対だからね?」
言葉と一緒に前に身体を倒すエミリア。苦笑いしながらも肩を掴んでそれを止めたテン。
エミリアにとって、パックが誰かとの間で隠し事をすることが珍しく。というか、初めてだから。二人の間でどんな言葉が交わされていたのかどうしても気になる。
だから、今教えてくれなくても。彼が自分の騎士になってくれたら教えてくれると言ったことに対しての食いつき方が激しかった。教えてよ、とせがむ姿は十歳そこらの少女とも捉えられる。
「分かったよ。ーーほら」
そんな彼女を見たからか、右手の小指を差し出すテン。行動の意味が分からずに小指を見つめたままのエミリアに彼は「あっ」と声をこぼした。
この文化はなかったらしい。子どもの頃によく友達や親としていたおまじない的なアレだ。
「エミリア。俺と同じように、左手の小指を出してみて」
「えっと……。こうでいいの?」
そうそう。と、頷くテンは差し出された白く綺麗な小指に自分の小指を絡めると、
「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本、飲ます。ーー指切ったっ」
子供の頃の記憶を探りながらリズムよく指切りを歌い、指を絡め合った状態で上下に振る。何も知らない人からしたら割と恐ろしい歌だ。嘘をついたら針を千本飲まされるのだから。
歌っている最中、エミリアはテンのことを戸惑いの瞳で見て。終わると同時に絡めていた指を離した途端、軽く戦慄していた。
「う、嘘ついたら。テンが針千本飲まされちゃうの!?」
「ボクなら、やっても良いけど」
「たいへんよ、パック!」と、あわあわ焦るエミリアを横に微笑むパックが、冗談とも捉えづらい冗談。彼が言うと約束を破った時、本当に飲まされそうなのが恐ろしい。冗談抜きでそれは死ぬ。
初めて見る謎の行動に対してここまで対応の差が出てしまうものなのかと、二つの意味で苦笑いするしかないテンはエミリアの名前を呼ぶと、
「今のはおまじないだよ」
「おまじない?」
焦っていたエミリアを落ち着かせるテンは、離した小指を彼女に見せた。
「これは約束を交わすときに使われる、一つの方法でね。約束は絶対に守らなくちゃいけない。嘘ついたらダメ、絶対に。っていう意味が込められてるんだよ」
「どうして、針千本飲まされちゃうの?」
「本当に飲まされるわけじゃない。嘘をついて、約束を破ったら大変な目に遭うってことを示唆してるんだよ」
異国の文化に触れたエミリアとパックに、行動の意味を教えるテンがそう言って頷く。その意味を理解した二人もまた、テンの言っている事が分かったことで、自然と頬が緩んだ。
テンが約束したこと。それは重なってしまう部分もあったが、二つある。
一つ目は、自分が騎士になったら先ほどのことを伝えること。それまでにエミリアのことをたくさん知って、彼女の心と向き合えるように。
二つ目は、自分がエミリアの騎士になること。一つ目を約束することは遠回しにその事も約束したことになる。勿論、テンはその意味合いも含めて約束をしたつもりだ。
もう後には引けない道を自分はハヤトと共に歩んでいるのだから。覚悟を決めて、あの時に誓ったから。
「約束する。俺は、エミリアの騎士になるよ」
言われたことを理解したエミリアが感情を抑え込むように口を固く閉じる。彼女を正面に、正座するテンはその言葉を口に出した。
あの時、勢いに任せて口から出した言葉をちゃんとした形でもう一度。
「エミリア。俺は、君が胸を張って『この人は自分の騎士なんだ』って言えるくらい強くなってみせる。君を守れるくらい強くなってみせる」
「ーーーっ!」
「エミリアの騎士、ソラノ・テン。その名前に恥じない力をつけて。俺は、君を否定する全てから。君のことを守ってみせるから。今は無理でも、いつか、必ず」
畳み掛けられるエミリア。心の中に容易く侵入する力強くも自分のことを包むような優しい言葉。彼女はそれを聞いた途端から、瞳から溢れそうになる雫を必死に我慢する。
自分の騎士になってくれる。こんな自分を守ると言ってくれている。ただそれだけで、彼女の心は満たされて。自分に自信の持てないテンが、自分なんかのためにここまで言ってくれた。そのことが何よりも嬉しかった。
「……約束、だからね」
「うん。約束する」
間髪入れずに応えるテンの手を握りしめるエミリア。その手はあの時よりも強く握られて、口元も少し震えていて、何かを堪えているような彼女。
ーー言ったからな。彼女に言ったからな。
心の中で自分に喝を入れるテンは、その中で覚悟を頑固としたものにした。ここまで彼女に期待させているのだ。絶対に強くなってロズワールに力を認めさせてみせると。
ーー女の子にここまで言っておいて、弱音なんて吐くなよ。そこぐらいは男らしく在れよ。
分かってる。そんなこと自分が一番理解しているとも。こんな態度を取られてしまったらもう頑張るしか道はない。もう、背中は向けられない。
「約束は絶対に果たすから」
「うん。絶対の絶対だからね」
握られた手を包むテンが、エミリアに約束する。自らの首を絞める行いだと承知していながらも、彼女の期待に応えるために茨の道へと彼は突き進んでいく。
自分だけではない。ハヤトも一緒にいるのだから、きっと大丈夫だ。彼の存在は脅威であると同時に心強い味方であり親友。そんな彼が少し前を走ってくれるなら、自分はその背中を追いかける事ができる。
追い越す未来は想像できないけど。隣で走る未来なら少しは想像できるから。怖くなかった。
「ーーあ」
と、ハヤトのことを思い出したことで不意に頭に過った事がテンにはあった。この雰囲気に似合わない声を発する彼は、まだ自分に言葉を掛けてくれるのかと期待するエミリアを他所に、
「ハヤト。起こしてねぇや」
数秒後、エミリアの困惑するような「えっ……」と共にパックこと父親の
テンは自分自身に自信が持てなくても、女の子のためなら頑張れる単純な男なんです。 根っこはハヤトと全く一緒なんですよね。
レムに対して男を見せるのはもっと後になりそうです。その前にエミリアと主従関係を築かせないと……。