ここから少しずつ原作キャラと絡ませていきます。
「ーーーー」
意識の覚醒に釣られるように、瞼が音もなく開いた。目に飛び込んでくるのは人工的な印象の白い輝きだ。知らない天井、そこに備えつけられた結晶が、淡い輝きを放って室内を優しく照らし出している。
テンは、寝起きの良さには自信がある。寝起き直後に何度か欠伸、それから背筋を大きく伸ばして布団を三角折りするように片手で剥ぐ。体制を起こせば眠気から逃れることが可能。
「………ふぁ」
力の無い声が出た。まだ眠い、眠気から逃れることが可能と言っても寝起き三十秒では心の中に残った眠気が睡魔となって襲ってくる。
いつもなら洗面所に直行、冷水にて顔面を水攻め。更に、これでもかと背筋を大きく伸ばすの連携攻撃でそれを撃退するのだが。今回に限ってはここが何処かすらも分からない。
柔らかな布団を剥ぎ、上体を起こしたテンは視線をぐるりと回した。
「……見覚えがあるような、ないような」
一目で上流階級とわかる一室だ。寝ている寝台はテンが五人ほど寝ても余裕がありそうで、寝台を中心に部屋の大きさは二十畳はありそうな気配。
ベッドが置かれている以外には窓際に観葉植物が置かれ、壁には調度品と絵画を飾った程度の簡素なもの。そして、今自分が寝ている大のベッド。
そんな、お屋敷の一室の光景を前に不思議と既視感を抱くテン。リアルではこんなの見たことない、そんなことあるわけがないが。けど、この部屋の内装がやけに見覚えがある。
「……つか、ここどこだよ。目が覚めて二回目にして居場所不明とか。幸先不安すぎる」
取り敢えず既視感を頭の片隅に置いたテンは掛けていた布団を軽くたたみ、ベッドの片隅に置いた。使った掛け布団は畳むか干す親の教育は世界が変わっても抜ける事はない。
寝台から下り、いつも通りに曲がった姿勢を正すために大きく体を逸らせる。伸びーー!の体制を限界の限界までやって、力を抜く。それを何度か繰り返せば眠気は吹き飛び意識は完全に覚醒した。
「…取り敢えず、状況整理。一つ一つ追ってこう」
窓から差し込む太陽の光を浴びながら天気の良い空を見上げる。窓を開ければ気持ちのいい風がゆるりと肌を撫でた。
ーー気分爽快だ。
頭の中を一度整理しようと、思考を回すテンはひとまずベッドに腰掛ける。ホテルで使用されるような座り心地の良いそれだが、そう考えるとここはやはりどこかの、そしてだれかのお屋敷になるのか。
外にいた時に太陽の光が眩しいと思ったら、突然の異世界召喚。目の前は薄暗い森の中。歩いていたらハヤトが飛び出てきて、何かと思えば彼は竜から逃げていた。
それから走って逃げて、竜の気を引いて、ハヤトがダメージを与えて。その隙に逃げようと思ったらハヤトが倒れて、ヤバいと思ったら空から火の玉が落下してきた。
そこで自分は意識を失った。
「そしてここにいると。誰かに助けられた、と思ってもいいのかどうなのか。でも、あの時の人って……」
その時のことを鮮明に思い出す。視界が霞んでいたからちゃんとその人の姿を見たわけではなかったが、かなり体格の大きな人だった。それに特徴的な服装をしていた。
意識も朦朧としていたから何が何だが理解するまで頭は回転しなったが、その二つだけはなんとなく朧げに覚えている。
あとは、
「ウル・ゴーア……、まさかね」
朦朧とする中で耳の中に入ってきた声。何かを詠唱する時のような呪文。ここが本当に異世界ならば魔法だと捉えるのが恐らく正解。けれど、テンには決して無視することのできない詠唱だった。
ウル・ゴーア。その詠唱をテンは何度も耳にしている。画面の中の世界でその言葉と魔法を何度も見ている。それだけではない、意識が堕ちる寸前に聞こえたあの声。
ーーうーん。私の領土に竜が出たと聞いて来てみれば。なんだか面白そうなことになっているじゃないかぁーな。
あまり聞かない声帯、言葉の伸ばし方に違和感を感じさせる話し方。その声にもテンはひどく聞き覚えがあった。
「冗談だろ。異世界って……」
その二つの事柄を合わせれば、彼の頭の中に一人の存在が思い浮かんできた。それは、彼もよく知るアニメの中の登場人物であるーー、
「ーーーあ」
「あーーー」
不意に視線を感じ、そちらの方向に顔を向けたテン。その瞬間、彼は全てを悟った。
ゆっくりと開けられていたドア。その隙間から顔を覗かせる銀髪の少女。その紫紺の瞳にはきっと自分の硬直した姿が写っているであろう。顔だけでも誰だか分かるのに。「あ」と、その銀鈴の声が静かな部屋に響けばもう確定である。
既視感のある部屋、詠唱、声。最後に銀髪の少女。
「えっと。お、おはよう。身体は大丈夫?」
「ーーーー。はい、お陰様で」
空野 天。十八歳、元の世界で志半ばの彼がこの世界で初めて出会ったのは画面の中の世界。居るはずのない架空の存在。その住人だった。
▲▽▲▽▲▽▲
どうしてこうなってしまったのか。テンはそんなことを考えつつ、座っていたベッドから立ち上がり壁に寄りかかる。その正面、目の前で目を合わせている存在に色々と一周回って冷静になってしまうが。
「えっと、とりあえず名前を聞いてもいい?」
動く存在。画面の中だけの存在がテンに話しかけていた。これは現実なのかと自分の目を何と疑っても、紛れのない現実。
彼の前にいる存在。
腰まで届く長い銀色の髪を自然に背中に流し、紫紺色の瞳を持つ少女。柔らかな面差しには美しさと幼さが混ざり合い、どちらかといえば幼さが主張している。身長は百六十センチほどか。
ここまで頭の中で考えなくても目の前の存在がどこの誰かなど一瞬で理解できた。名前はエミリア。その名前を持つ少女。初めに見た時は何の冗談かと疑ったが。
ここまで重なればこの世界が何の世界かなど確定したようなもの。
Re.ゼロから始める異世界生活。その世界そのものだった。どういった経緯で三次元から二次元の世界に飛ばされたのかは分からない。が、少なくとも目の前にいる存在は立体的な形として存在している。つまり、ここも三次元ということになるのか。
それか、自分自身が二次元の存在となって人間の手によって創り出された架空の世界に何らかの方法によって飛ばされたのか。………ん?
俺は何を考えているんだ?
つまり何が言いたいんだ?
「ーー? どうかしたの?」
「いや、なんでもないです。ちょっと頭の整理がつかなくて。えっと、名前でしたよね。俺は」
少女が不思議そうな顔で覗き込んでくるものだから異性耐性ゼロのテンに精神的な攻撃が仕掛けられ、思わず変な声を上げそうになるのを我慢。
一歩、距離を空けたテンは問われた質問に対しての応えを返そうと息を吸い、
「俺の名前はソラノ・テンです」
ーーよかった。ちゃんと言えた。
内心、噛まずに言えたことに一安心。まともに名前を名乗るなんて何年ぶりか。
少女も「ソラノ・テン。テンね」と下の名前で親しげに呼んでくれるものだから、少し感動を覚えて「おぉ」と声を口から漏らした。まさか、この人から名前を呼んでもらえる日が来るなんて。
「あなたの名前を聞いても、いいですか?」
軽い自己紹介程度にテンが少女に名前を問い返す。尤も、一方的に知っている名前ではあるが、彼女からすれば初対面の相手。流れというものがあるのだ。
そう思うと、この先は面倒になるなとテンは少しだけ思った。原作知識があるから色々と分かるにはわかるのだが、相手からすれば知っている方がおかしいことばかり。
つまりは、相手から正確な情報を得るまで何も知らない人のふりをしなければならないと。そして相手からそれを引き出す必要があると。
今の状況も同じか。彼女の名前を知らないわけがない。けどまずは彼女の口から名乗らせることが大切。
「私、私は……」
少女は投げかけられた問いに対してテンから視線を逸らし、しばし沈黙。
その様子に原作での偽名を使うのではと予想し。どうにかして本名を聞き出さなければと自己完結していた。が、
「エミリア。ーーただのエミリアよ」
天使の微笑み。視線を合わせられた途端にそれをテンに向けたエミリア。きっと、本人は無意識なんだろうけど、その笑みがあれば男は簡単に堕ちる。
勿論、テンもその男の部類に入る人間だ。しかし色々あって一周まわったおかげで何が来ても全て横に流せる。故に、動揺することもなかった。
頬から発せられる若干の熱以外は。
結果としてテンの予想は大きく外れ、彼女の本名が明らかになった。
「エミリアさん、ね。教えてくれてありがとう。それじゃあ、ご挨拶も済んだことだし。色々と聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「うん、いいわよ。私に答えられることなら何でも答えるわ」
長話だと思ったのか、ベッドに腰掛けるエミリアがその隣を二回ほど軽く叩いた。「ここに座れ」とでも言いたいのか。邂逅してから五分と経たずに真横に座れと。
その距離の詰め方も、無意識なんだろう。それか警戒する必要はないと考えたからなのか。なんにしても座るか、否かを微妙な顔をしてテンは悩む。
そんな彼の様子を察したのか、はたまたそれ以外の何かなのか。エミリアは「あっ」と近くにいたテンですら聞き取れないような声と一緒にそこから立ち上がり、
「ご、ごめんなさい! 私なんかの隣に座るの。イヤだよ、ね。私、椅子持ってくるから」
「うぇ?! あ、いやいやいや、そんなんじゃなくて! いやま、少しは距離の詰め方に戸惑いはあったけど、そこまで嫌じゃないから!」
顔に影が差したエミリアが遠慮するように、悲しむように、諦めるようにその場から離れようとするが。その手を咄嗟に掴むテンが彼女のことを引き止める。その予想外の行動に、銀髪がブンと振られる勢いでエミリアが振り返った。
彼女の瞳は見開かれ、影が差していた顔には驚いたような笑みが「えっ?」の口のままに咲き、不本意にも嬉しがるような表情が浮かんでいた。
「その、あれだよ。俺は、あんまり女の子の隣に座るの慣れてなくて。ホントそれだけの話なだけで。別にエミリアがどうとかそういう話ではなくて、俺の問題なだけであって、俺の心構えが整っていなかったというか何というか、だから……」
「えっとー」「そのー」「あのー」とバカっぽく後頭部を掻きながら視線を空へと移すテンが次の言葉選びに無茶苦茶悩む。女の子を励ましたことなんて一度たりともないから紳士的な発言が出てくるわけでもないし。
咄嗟の行動。エミリアのことは引き止められたが、しかしその先の行動を何も考えていなかった。悪い癖だ、焦ると考えるよりも先に体が動いてしまう。
何をどう言えば正解なのか。隣にハヤトが居てくれれば少しは助かったものを。これでは完全に自分が間抜けではないか。いや間抜けだ、完全に間抜けそのものだ。
そして、焦った時の早口。カラオケで鍛え上げた普段は鎮火してる滑舌が今に限って火を吹いた。すごい恥ずかしい、消えたい。畳んだ掛け布団の中に飛び込みたい。
「ふふっ」
そんなテンの高速思考は、ささやかに届いた笑声に打ち消された。口元に手を当てて、肩を小さく震わせながらエミリアが笑っている。
余計な感情の混濁もない笑み。純粋に楽しいから笑ったと受け手に思わせるそれがテンの目の前に存在していた。
「テンって、すごーく不思議な人ね」
「な、なにが?」
全く脈絡のない言葉にテンが首を傾げる。エミリアはそのまま優しく握られた手をギュッと握り返し、「だって……」と声を低くした。
「テンは私のこと見ても。何も思わないの?」
俯いたエミリアが握った手をギュッの状態から、キュッに切り替える。握り方が変わった。何かを堪えるような力の込め方。自分もよくやる力の入れ方だ。
身を固め、俯き、目を細める。何かから怯えるように視界に映る光景から目を背けて、自分の背中に重くのしかかる言葉の重圧に耐える。
そんな、仕草を見たテンは握られた手のことなんて忘れ。その代わりにある言葉が頭の中に浮かんできた。
ーー銀髪のハーフエルフ。
これからも助けられるであろう原作の知識にテンは納得する。彼女はその容姿が故に周りから差別を受け、それがかなり精神的に負荷を合わせている。今の言葉もそういう事なんだろう。
私なんか。その言葉が何よりの証拠だ。『嫉妬の魔女』その容姿と似ているから自分にも差別されるのだと思っているのだろうか。
尤も、テンはそんな事をする気は一切なかった。原作を知ってるからとかも勿論ある。でも、実際に彼女とほんの少しだけ話して。なんとなく良い人だと思った。
理由は分からない。けど、女の子にあんな笑みを向けられて、そんな悪魔のような存在と一緒にできるほどテンは周りに流されやすい人間ではない。
寧ろ、流されにくい人間だ。そのせいでリア友が何人も居なくなったことや、ハブかれていたことがなかったわけではないが。自分は自分らしくの心を弱々しくも宿している。
つまり、
「……何も思わないよ?」
数秒間の静寂をやんわりと崩すテンの声がエミリアの耳に届けられる。それは、エミリアからすれば頭の片隅にもなかった奇跡のような言葉で。
誰からも掛けられることのなかった願い事のような優しい一言。ただそれだけで、エミリアは自分の心が大きく跳ねたのを自覚した。俯かせていた顔を上げれば、テンと目が合う。
「わ、私は。ハーフエルフ」
「うん」
自分で自分のことを確認するようにエミリアが言うが、テンは依然として普通の態度を貫く。その様子を受けて更に困惑するエミリア。
「だから、ハーフエルフなの」
「何度も言わなくても聞こえてるよ?」
「どうしたの?」とエミリアのことを不思議そうに見たテン。視線は絶対に逸らさない。ここで逸らせば、彼女から目を逸らすことになる。物理的にも、精神的にも。
「銀髪の、ハーフエルフ……なの」
「……えっ? なんか俺、変なことしてる?」
質問に質問返し。あえてバカっぽく受け答えすることでエミリアから少しでも安心を引き出そうとテンは奮闘する。結果として、物理的な衝撃を受けたようにエミリアが肩を跳ねさせた。
褒められた態度ではないかもしれない。けど、『君のことを見てもーー』みたいな発言、会ったばかりの人間が言うのもおかしい。だから今はこんな風にしか彼女のそれに対して反応する事ができなかった。
何も知らない人を装って、彼女と接する。それが今の自分にできる最低の接し方だ。本当にやりづらいと思う。
「ほんとに、テンは不思議な人ね」
「よく言われるよ。主に友達から」
テンに言われた事を彼女がどのように受け取ったのかは分からない。でも、目の前に咲いた一つの笑顔は純粋なものであることは分かった。
テンがエミリアに言った言葉。それはまた別の機会にでもちゃんとした形として伝えられたら、今はそれでも良いかと思えるテンも釣られるように微笑んだ。
「……あっ、ごめん。手ぇ握りっぱなしだった」
一つの山は越えたと安心するように息を溢すテンがその事に気がつく。少し前に彼女のことを引き止めるために掴んだ手がそのままだった。
パッと手を離すテン。人生初めての女の子の手を握るのがまさかエミリアになるとは思わなかった。今日は彼女に人生初めてを沢山奪われているような気がする。それはそれでどうなのか。
「あ、はは」と場を誤魔化すように苦笑し、テンはずっと笑顔を咲かせているエミリアを見た。流石美少女の笑顔。こうかはばつぐんだ。
「ありがとう、テン。私にこんなこと言ってくれる人なんて今まで居なかったから。嬉しかった」
握られていた手をギュッと優しく握ったエミリアがそれを胸元に当てる。そのまま微笑みと視線を向けられれば、テンの思考回路はショートする。
原作とか、色々と思考をこねくり回していた自分に対して結構な勢いでグサグサと刺さりまくる態度。原作を知ってるが故に要らない事まで考えてしまって複雑な感情に襲われた。
テンからすれば何の脈絡もない一言。
エミリアからすれば脈絡しかない一言。
それに、狼狽えるテンはとりあえず「おう」とだけ。肝心なところでヒヨったせいでそれから先の言葉が出てこなくなった。
「と、とりあえず。座ろうかな! うん! さっきも言ったけどエミリアに聞きたいことも沢山あるから! な! な! な!」
「分かってます。そんなに子どもみたいに焦らないの。私はどこにも行ったりしないんだから」
この雰囲気をどうにかして壊してやろうと勢いに任せたテンがベッドに座り、自分の隣をバンバン叩く。「ここに座れ」そう言っているかのように。
いつの間にか、初めにあった取ってつけたような敬語は完全に崩れ。けど、エミリアには対して口出しはされなかったから良しとしたテン。
そんな彼の隣にエミリアは座り、隣り合わせで二人は距離を詰めた。もう、エミリアが離れていくようなことはなかった。
テンの溌剌とした声にエミリアの穏やかな笑声が重なる。それはしばらくの間、部屋の雰囲気を明るく染めていた。
▲▽▲▽▲▽▲
それから数分後の話。テンとエミリアの二人はある部屋へと向かっていた。勿論、ハヤトが眠っている部屋だ。
テンがエミリアに質問した事を要約すると。
まず一つ目、ここはどこなのか。知らないわけでもないが一応念のために。エミリアの答えとしてはロズワール・L・メイザースという人が私有しているお屋敷なのだとか。 ここは変わりない。
二つ目、自分はどのぐらい眠っていたのか、そしてどうやってここに運ばれたのか。エミリアの答えとして自分がここに運ばれたのは昨日の夜。そして今は陽日の六時。日本時間でいう午前六時みたいなもの。つまり、最低でも六時間は寝ていたことになる。ハヤトと違い、大きな傷を負っていなかったのが幸いだったとか。
運んでくれたのはロズワールだった。二人を肩に担いで持って帰ってきたと。それなら昨日の竜を殺したのもあの人ということになる。流石、宮廷筆頭魔導士と言われるだけある。
あの巨体をたった一発の火球で仕留めてしまうのだから。恐ろしいのはそれでもまだ火力が上がるという事実。実際に目をすると彼の強さがよく理解できた。尤も、あんなの彼の才能の片鱗でしかないだろうが。
三つ目、自分はなぜ服を着替えているのか。これまで言及してこなかったが、今のテンの格好は入院している人が着用する患者衣のようなもの。見た目どおりの涼やかで過ごしやすさはかなり優秀。これに関しては、テンが羞恥心で弾けそうになった。
エミリアによると、
ーー私だけど。あとの二人がもう一人に付いてて手当てついでに着替えさせられるのが私だけだったから。あ、軽くだけど体もちゃんと拭いてあげたから。
死にたい。履いている下着まで着替えさせられている始末。男としてのなけなしのプライドが完全に崩れ去る音がした。
ーーテンって。見た目の割に結構しっかりしてるのね。鍛えてるなんて、感心感心。
何のフォローにもなってませんよ。女の子に着替えさせられたとか、恥ずかしすぎて今すぐにでも記憶消したいところだった。
「そういや、俺が着てた服は?」
「レムとラムって名前の子達がちゃんと洗ってたわよ。返して欲しいなら、言っといてあげるけど」
「うん。ハヤトの部屋に連れてってもらったあとにお願いしようかな」
「分かったわ」と真隣で返事するエミリアを横目に螺旋階段を降りて二階へと降りた。一階へと降りないあたり、二階にハヤトの部屋はあるらしい。
そして今、聞き逃せない発言があった事をテンはちゃんと聞き逃さなかった。"レムとラムって名前の子達が"と。勿論、リゼロの世界で尚且つロズワール邸にいるのだから居るのは当然といえば当然だが。
それでも、彼女からその名前を聞いて内心嬉しいような嬉しくないような微妙な気持ちになった。
テンは隠す事なくレム推し。レムのスバルに対しての献身的な行動の数々は数多の男共を虜にしてきた。テンも虜、とまではいかないが少しはかわいいと思ったもので。
あんなにかわいい子、三次元に存在するわけがない。だからまさか、会えるのかと。
「テン。あなたと、そのハヤトって子はどんな関係なの?」
エミリアにそんな事を聞かれて考えていた事を中断するテンが視線を彼女へと向けた。両手を後ろに組み、ひょこっと覗き込むエミリア。その可愛らしい動作にまたしても心が揺れるテン。
彼は一度咳払いしてそれを誤魔化し、「うーん」と悩むような素振りを見せると、
「まぁ、親友って感じ。少なくともアイツがいなけりゃ俺は昨日で死んでる。確実にね」
「怖いこと言わないの。なら、早くそのハヤトって子に顔見せてあげないとね」
パタパタと駆け足で廊下を走っていくエミリアの背中を目で追いかけるテン。長い廊下をどんどん進んでいくものだからあっという間にその背中が小さくなっていく。元気だなぁーと思いつつも、テンは対照的にのんびり歩く。急いでいるわけでもないから、走ることもない。
数秒して彼女を追いかけていた視線が止まる。エミリアが、あるドアの前で立ち止まったからだ。テンの方を向き人差し指で「ここ」と指差すあたり、この部屋にハヤトが眠っているのかと大凡の検討はつく。
のんびり歩くテンはそのまま歩いていたが、到着が遅いことにエミリアが物言いたげに顔を顰め、
「ほら、早く早く」
「あー分かった分かった」
駆け足で戻ってきたエミリアに手を引っ張られて強制的に走らされる。基本的にテンは「急げ急げ!」とか言われて周りの数人が走っても、のーんびり歩く自由人。その癖が彼女に対しても出たようで、結果として彼女に手を引っ張られるというギャルゲーの日常茶飯を初めて経験することができたが。
そう思うと、この約十分間でエミリアにどれだけの初めてを持ってかれたのだろうか。自分が一々反応しているせいでもあるが。
改めてそこに自分の男としての情けなさが垣間見えた。異性経験の乏しすぎる自分にとって女子と何かをすること自体が無い。小さなことの一つひとつが初めてだ。
「……流石に情けなさがある」
「はい、到着したわよ!」
先程のドアの横で急停止したことによってコケそうになるのをステップで調整するテンにエミリアが溌剌とした声を発した。さっきからずっとこの調子だけれどエミリアは朝は元気な子なのだろうか。
笑みを浮かべ、満足げに息を吐く彼女を横目に精神的に疲労したテンも別の意味で息を吐くと、
「この部屋に、ハヤトが?」
そうよ。とエミリアが頷いたのを確認したテンはありがとうね。と一声かけた。色々とあったが取り敢えずハヤトに会うことはこれでできる。
なら、直ぐにでもハヤトと会って状況の整理をしようとドアを開けーー、
「ハヤふべらっ!?」
「おわぁーーっ!」
その瞬間、ドアが勝手に勢いよく開いた衝撃で真正面にいたテンが後方に吹っ飛び。続くように吹き飛んできたハヤトの下敷きになった。
吹き飛んだテン、飛び出てきたハヤト、驚き目を点にしているエミリア。
不思議な構図が一瞬にして完成した瞬間であった。
テンが初めて出会うのはエミリア。ハヤトが初めて出会ったのは誰なんでしょうね(すっとぼけ)