偶には朝に更新してみたり。
今回は『テンとレムを見守る会』のお二人を中心に物語が始まります。ラムの口調、難しいですね。違和感があったら申し訳ないです。
相合い傘事件から実に六日が経った。
しかし、そんな事件があったとしてもなかったとしても時間とは無感情に時を刻み続けるもので。その中で息をする者達もまた、取り止めのない日常を淡々と過ごしていく。
仕事と鍛錬に明け暮れながらも、己を高めていく男二人。そんな二人との距離を少しずつ縮めていく屋敷の住民たち。
初めはよそよそしかったベアトリスも少しずつ心を開いてくれているようにハヤトには感じられていた。表には出さなくてもきっと。
レムやラム、エミリアとの関係値も自然と高められていき。初めに感じていた『身元不明の無法者』のレッテルは完全に剥がれつつあると言える。
のだが。
「…なぁ、テンとレム。あの二人って喧嘩でもしたのか?」
「知らないわ。してたらテンテンを締め上げるだけの話だけど」
昼過ぎ、厨房にてラムの仕事を(強制的に)手伝わされているハヤトが銀食器を磨きながらそんなことをラムに尋ねる。机を挟んでハヤトの正面の椅子に座る彼女は、同じく椅子に座るハヤトへと簡単な返し。
知らない。ハヤトも知らずラムも知らず。なら直接聞くしかないだろうが、果たして応えてくれるのか怪しいところ。
『テンとレムを見守る会(非公認)』に所属するラムとハヤト。二人の会話の中心にはいつもテンとレムの存在がある。今回も、その存在が話の種として芽を出していた。
「そうか…。ラムも聞かされてねぇか」
ラムの応えに喉の奥を鳴らすハヤトがここ最近の二人の姿を脳裏に描き、以前とは少し変わったことに悩む。
最近。厳密にはあの雨の日、相合い傘事件のあった翌日からだ。朝食の支度をする最中、普段ならレムがテンに話しかけてテンが適当に返すという光景が展開されるのだが。あの朝はそれがなかった。
それだけではない。レムがいつもより距離を空けている。人五人分くらいテンとの距離を空けて作業をしていた。加え、彼女が何度もテンのことをチラチラと見ているのが後ろから見ているハヤトとラムでも分かった。
異変だ。そう思った時から事は始まっていた。
基本的に屋敷内で誰かと誰かがすれ違ったら軽く言葉を交わすのが自然な流れ。しかし、その二人だけ不自然に会話がない。どちらかと言えばレムがテンのことを避けているような風に。
仕事面での必要最低限の会話はしているようだが。そこから先は全くと言っていい程に無くなっていた。教科書通りの返答しかしない二人だ。
テンはいつもと変わらない。が、レムの方がどこかぎこちなく、気まずそうで。意図的にテンのことを避けている感が外から見ても分かる。心なしか目を合わせている事も少ない。
「……相合い傘が原因か」
「そうとしか考えられないわね。やっぱりあの愚物は濡れて帰らせるべきだったわ。レムが迎えに行ったばかりに」
ははは。と感情の入ってない声で笑うハヤトにラムが心底後悔したとばかりに舌打ち。銀食器を握る手にも力が込められる。椅子に座り、机を挟んで向き合う二人は各々が気にかける人間に何かあったのかと心配していた。
ハヤトはテンが何かしてしまったのではないか。
ラムはレムが何かされてしまったのではないか。
完全にテンが悪者扱いされていることに、両者とも気づいたのか。鼻から息をゆっくり吐くハヤトは「いや」と考えを払いのけるように首を横に振ると、
「アイツに限ってそんな事はねぇ。相合い傘だってあの後、俺の部屋で緊張が跳ね返って暴れ回ってたしよ。レムに何かするなんて考えられねぇな」
「男女が雨の中。傘の下で一緒にいれば男が獣になるのは必然だと思うけど。相手がラムの可愛い妹なら、なお一層ね」
「ない。絶対にない。テンがそんなことするわけがない。親友だからとかもあるが。それ以上に、もしそうなったらレムにボッコボコにされてるはずだと思わねぇか?」
テンのことを、自分の可愛い妹を汚した犯罪者にしようとするラムの考えを全否定するハヤト。確かに絵面的にそうだと判断するべきだろうが、それだと今の状況に食い違いが生じることに気づく。
そうなのだ。もし仮にラムの言うとうりテンがレムに手を出したとしよう。きっと腕の骨が折れ曲がった彼が道端に転がっていたはずだ。肉体的な力はレムの方が何倍もあるし、そのような意味合いでもそれはありえない。
他でもないレムの事を理由にされたことでラムも言葉を詰まらせる。確かにそうだと納得する反面、ならどうしてなのかが疑問だ。
「…どうして、あんな男にレムが」
不思議でしかない。胸の中にある言葉を空気と一緒に吐き出すラムが小さく呟いた。レムが彼のことをどうして気にかけるのか。理解できないわけではないが、それでも不思議だ。
少なくとも約三週間。テンと接してきた身であるラム。その中でどこか自分の妹と通ずるものがあると感覚的に理解はしていたし。彼が密かに悩み続けているのも表面上だけだが理解はできる。
そして、その悩みの種が目の前で悩んでいる男だということも。
同族、は言い過ぎかもしれない。寧ろレムの方が凄惨な経験をしていると言えるラムは二人のことをその二文字で括ることなんて、絶対にしない。けど通ずる部分があるのは確かで。
それが理由でレムがテンに惹かれているのだとしたら、随分と歪んでいる。自分と類似する人間だから興味がある。そんな関係、良いのだろうか。
そこから上手いこと発展して、普通の感情で気にかけてくれたならラムとしても嬉しい。他でもない自分の妹、新しい風が心に吹いたおかげで少しでも変わるきっかけになるかもしれない。
ーー尤も、
「そのきっかけがあんな男だなんて。ラムとしては心配しかないわね。貧弱、無法者、男気の一つもないあの男が」
「何を言ってるのか意味わからんが、取り敢えずテンのことを貶してるのは分かった」
「今のラムの言葉一つで、理解できる脳筋もテンテンのことを遠回しに貶してると言えるわよ」
嫌味全開でテンのことを貶すラムがこの場にいない彼に冷たい言葉の羅列。普段から言霊に込められた毒舌は今日も平常運行な様子に、話の流れからして誰のことだか予想がつくハヤトが苦笑い。
ラムの反応だけで誰のことだかピタリと当てるハヤトもまた、テンのことをそう思ってるらしい。「間違いねぇな」と頷く彼にラムも「ハッ」と鼻で笑う。
本人のいない場所で意見の合致。共通の認識を持つ二人は同じくテンのことをひ弱だと思っているようで。
ただ、
「ラム。確かに俺はテンのことをひ弱だと思ってるし男らしく在ってほしいとも思ってる。けど、アイツにも男らしいところはあるんだぜ」
「気なるわね。言ってみなさい」
本気でテンのことを女々しい人間だと思うラムからすれば少しに気なる発言。ハヤトはテンとの関係もかなり深いものだと知っている彼女は何か考えるヒントになるかもと聞く姿勢をとり。
それを察知したハヤト。一息おくと彼は「いいか」と語り始めた。
「アイツはよ。鍛錬でも勉強でも、何かをする前にかならず「できない」とか「無理だ」とか消極的なこと言ってるけど。何があっても「あきらめる」ってことだけは言わねぇ野郎だ」
銀食器を置くハヤトが力強い眼差しでラムの瞳を射抜く。悩んでいた姿とは一転、何の迷いもなく発せられる言葉にラムは言葉を挟まない。
ハヤトはそのまま言葉を重ね、
「それに、アイツは自分のことをゴミみてぇに扱うくらいの過小評価だが。実際のところそうかと聞かれればそんなわけねぇ。アイツはやる時はやる男だ。ここぞって時は誰よりも男になれる度胸がアイツにはある」
まるで自分のことのように誇るハヤトが自信満々に語る。その自信は今まで彼の経験してきたことからくるもの。故に、嘘偽りなどない。ハヤトは本気でテンのことをそう思っている。
くどいようだが。この世界に来て竜に襲われた時、最も危ない場所に飛び込んだのはテンだ。それだけではない。生存も危うい中、ロズワールと話をつけたのもテンだ。
鍛錬だって。彼はマイナスな発言をしながらも諦めることだけは絶対にしていない。自分のやれることと毎日直向きに向き合っている。
「性格も捻くれてるし、性根も歪んだ面倒くせぇ野郎よ。そこは俺も思うさ。だが、アイツにも男気の片鱗は絶対にある。俺にも負けねぇくらいのとっておきが。アイツには眠ってる」
自分に対して小さすぎる評価をする彼は、それをそのままにして生きてきたから。性格も性根も情けないものに出来上がってしまっている。しかしそれを弾き飛ばすくらいのが彼にはあるとハヤトは確信している。
何故か、理由などあるわけない。というか必要ない。ハヤトが今まで一緒に過ごしてきたテンはそういう人間。ただ、それだけの事実があれば十分すぎる。
周りから見れば不十分すぎる。しかし、ハヤトにはそれだけでいい。根拠のいらない信頼。それが二人には適応されるのだから。
「ーーってのが理由だが。何かあるか?」
語り口調から話し口調に切り替えるハヤトが言いたいこと全部言って、満足気に頬を釣り上げる。腕を組み、まつ毛をピクリと反応させる彼は正面のラムに質問の余地を与えた。
ハヤトのテンに対する評価を聞いたラム。少なからずその表情に乱れが発生したところを見ると、少しは響いたらしい。これでテンの評価が上がると嬉しく思う。
実際のところ、ラムはテンのことを表面上でしか知らない。心の内側に入り込める程距離を詰めた覚えはないし詰められた覚えもない。だから、今の言葉の全て信じるのも難しい。
けど、ハヤトが言うと。不思議なことにそうじゃないのかと思わせてくれる部分があった。
何の戸惑いもなく自信満々に語る彼の姿は、本当に誇らし気で。普段から一貫して自信のある態度のハヤトにそう言われると不本意にも信用してしまいそうになるラム。
彼女は長々と語っていたハヤトが問いかけてきたことに「そうね」と落ち着いた声で返すと、
「男気の塊のような脳筋にそこまで言わせるのに、どうしてラムがテンテンのことをひ弱だと思うのか疑問に思ってたところよ」
聞く姿勢を崩すラムが止めていた作業を再開。思い出したかのようにハヤトも手元にある銀食器を磨き始める。それを横目に、ハヤトは「そりゃそう思うわな」と歯を見せて笑うと、
「さっきも言ったが。アイツは自己評価が地の底だからな、過小評価すぎるから自信も何もない。だから態度もあんな風になって、今のお前みたいな印象に結びつくってな」
「それを聞くと、脳筋が過大評価すぎることの裏返しに聞こえるわね。皮肉にも、二人の性格は対極に位置するようだから、間違ってもないでしょうけど」
「自信を持つのは悪いことじゃねぇだろ? それに俺は自信を持っていいくらいに努力してると自負してるからな。つか、俺とテンの性格が真反対だって知ってたのかよ」
思いもよらないラムの発言に驚くハヤトの声色がワントーン高くなる。自然と声の音量も上げられたせいで煩くなった彼に、しかし澄まし顔のラム。
当然のことを当然のように言っただけだとそれだけで雄弁に語る彼女は。右手にナイフを、左手にフォークを握り、
「自分の力を過信し、そのうち実力に溺れる危うさのある脳筋と。自分の力を自覚せず溺れるどころか浸かってすらいないテンテン。二人並んだだけでも簡単に分かることね」
「マジかよ、すげーな」
「当然よ、だってラムだもの。見抜けないわけがないじゃない」
感心するハヤトへの返しはよく分からない応え。ラムだから見抜けた、とはいったい何を理屈にしたらその発言が出てくるのか。それとも、彼女もまた根拠のない自信をハヤトと同様に持っているのかどうなのか。
ともあれ、言い方は癖があるが。あながち間違ってもない鋭い指摘にハヤトは苦笑い。
自信満々で、男らしく、明るいハヤト。
自信皆無で、女々しく、暗いテン。
この二人の性格は相反するもので。ロズワールとの話し合いの場にいた者の中で数人、それを勘づいていた。ラムもその中の一人だ。
あの時のテンは自信なさげで、やってもないことに足踏みし続け。ハヤトは自信満々にやれると言い切って一歩踏み出した。
それだけではない。一つのことに対する反応がテンとハヤトでは本当に逆なのだ。属性適性診断の時も、ハヤトはおもちゃをもらう子どものようだが、テンは余命宣告を待つかのようで。
いっそ清々しいまでの対極な性格。火と水のように相性の悪い二人。
「どうして対極の性格なのに脳筋とテンテンは仲がいいのか。少し理解に困るわ」
「俺もそれは常々思ってるよ。言わば俺とアイツは火と水のような関係。どうして親友になれたのか不思議で仕方ねぇんだわ」
反する性格の二人が一緒にいれば意見の違いがはっきり生まれ、対立することも多いはずなのに、二人にはそれがない。今の今まで二人は大喧嘩をしたことがないのだ。口喧嘩も、殴り合いも何もない。
それとは反対に関係値は高まるばかり。遠慮なく物申せる関係にまで発展した。互いに真反対だと認め合い、自分の意見だけを押し付けず相手の意見を尊重し合える良い関係になれた。
そうなれたのはなぜか、分からない。けど、言えることはある。
「少なくとも俺一人じゃ、やっていけないだろうよ。テンがいるから、俺はここでも自分を表に出せてると思う。アイツがいるから、俺は俺らしく胸を張れる」
逆もしかりだがな。と頷くハヤトにラムはナイフとフォークを持った体制を保つ。疑問の答えになってない回答が口から出たことについては触れない彼女にハヤトは、
「俺には俺、アイツにはアイツの良さがある。二人で一つ、補っていこうと俺は決めてるよ。どっちが上とか下とか、そんなこと気にするよりその方がずっと楽しいと思うしさ」
そう言って何一つ迷いのない声色から発せられた声と一緒に、太陽のような笑みをハヤトはラムに向ける。彼の笑顔は子どものようなあどけなさが僅かに含まれ、心の底から嬉しがるような。
そんな笑みを向けられ、対照的にラムの表情に影が差した。無表情ながらも彼女の顔には確かな陰り、そして感情の昂りが瞳に波打ち。フォークを持つ手を左右に軽く揺らすラムは、
「……テンテンの方は、どう思ってるのか考えたことは。あるの?」
「ねぇな。考えても分からねぇし。アイツも俺がどう思ってるかなんて分からないだろうしよ」
だって真反対だし。そう言葉を切るハヤトにラムの肩がピクついた。バッサリとシャットアウトした彼女の問いかけだが「だが」とハヤトは重ねるように言葉を繋げ、
「アイツは、何でか知らないけど。俺みたいになろうとしてる。自分は俺よりも劣ってるから、俺みたいになりたいってさ。俺の方が上だ、自分の方が下だって言いやがる」
「ーーーー」
「俺はそんな事ないと思うんだよ。アイツは確かに性格とかの面ではそう感じるかもしれないけど。アイツは俺より、いや。俺と同じくらいすごい奴なんだ。それをアイツにも分かってほしいもんだよ。それも、過小評価をしてる限り無理だと思うがな」
「……そうね、ラムもそう思うわ」
テンに対して肯定の言葉を珍しく掛けたラムにハヤトが一瞬だけ言葉に詰まる。目線を向ければ、握りしめたフォークに彼女の視線は向けられて。フォークに言ったのかと意味不明な解釈をしかけた。
そんなわけないだろうが。でも、今の言葉にはどこか言い表せられない感情が含まれていて。少なくとも、テンに向けられた言葉をではないことは感覚的に理解できた。
「誰かになるよりもさ。自分になろうとする方が絶対に俺は良いと思う。俺になれるのは、俺しかいないように、テンになれるのはテンしかいない。自分よりも上の人に憧れるのは悪いことじゃないが。憧れそのままになろうとするのは違う」
「憧れるのと、憧れそのままになることとはどう違うの?」
「憧れそのままになったら、自分はどこに行く? 消えちまうだろ。それまで積み重ねてきた自分が憧れに成り代わるだろ。そんなの、悲しすぎるし俺は嫌だ」
淡々と、でも情熱的に。自分の心を語るハヤトにラムは普段から乱さない毒舌を刹那だけ乱した。そんな言葉をかけられて、胸の奥が熱くなってくるのはきっと気のせいではない。
自分も似たような感情を、似たような思いをしている人に抱いているから。
「憧れに近づけるように努力しつつ、そこから自分を見つける。それが俺のやり方だぜ。なにも、上から下まで全部同じになる必要なんてないよ。自分は自分。そう思えば良いんだ。周りがなんて言おうともこれが俺だ!って胸張って黙らせられるくらいにな。そうなれば自ずと自信も付いてくるもんだ」
「それが、脳筋の自信の源ってこと?」
「まっ、それもあるかもな」
首を傾けるラムに見ていて気持ちのいい笑顔を弾けさせたハヤト。表裏のなさそうなハヤトが笑みを浮かべると釣られるように彼女もまた微笑む。
強張っていたラムの頬が若干緩んだことに安堵するハヤトは一息ついた。テンが自分になりたがることを話し始めた時からだ。不意に彼女の無表情に影が差し、「やらかしたか?」と内心ビクビクしていた。
それも、今ので解れたと見受けられる。そこで、それに拍車をかけるためにもう一押し。指を鳴らして歯を光らせる。それから角度を調整して、一番の決め顔を維持すると、
「どうよ。今の俺の語り。中々に決まってたと思わねぇか?」
「むさ苦しさを感じるけど。普段の脳筋に比べればね」
手厳しい、とハヤトはラムの反論に苦笑いで応じる。それから不意に視界に入った、未だにラムが握っているナイフとフォークを指さすと、
「つか、なんでナイフとフォークを持ってんだ。まさかそれが俺とテンだなんて言わないよな」
「そうだけど? 因みに、脳筋がナイフでテンテンがフォークよ」
「誰も聞いてねぇよ。なら、その意味は?」
「ナイフは食事中、切る食材がなければ使い物にならず。フォークは平均して、どの場合にでも対応できるでしょう?」
「それつまり、俺は一点特化で。テンは基本的になんでもそつなくこなす範囲特化って。おい! それ完全に俺のことバカにしてるよな!?」
ナイフとフォークの意味を理解したハヤトが机を叩いて反論。並べた銀食器が数個、金属音を立てて床に落ちた。せっかく綺麗にしたのに、また同じ作業の巻き戻しになった。
分かりやすく怒るハヤトを軽く受け流すラムは、「はいはい」と適当な言葉で彼の言葉を締める。少し話に没頭してしまったと作業を早める彼女は不満そうなハヤトに目配せ。
「少し脳筋の駄弁に付き合い過ぎた。まだ仕事も残ってるというのに。脳筋もさっさと終わらせなさい。落ちた銀食器は自分で拭くことね」
「まず、俺はお前の仕事を手伝ってることを話の前提として置こうか。あと、俺の語りを駄弁で済ませるの結構傷つくからな?」
しぶしぶといった具合で、銀食器を拾うハヤト。床に姿勢を下げる時に彼はラムに分からないように微笑んだ。少しはいつもの調子を取り戻せたらしい。彼女の毒舌は平常運転を再開させていた。
そうでなくてはつまらない。ラムはラムらしく。その方が変に気を遣わなくて会話をしていて楽しいのだ。
「覗いたら殺すわよ」
「言われなきゃ気付かなかったよ」
姿勢を床に倒す。つまりは椅子に座るラムのスカートの中を覗ける体制になった事を察知した彼女が凍りつくような冷たい声色。刹那でも覗けば、きっと本当に殺される。
もし今、冗談で「あ、黒か」なんて言おうものなら疑わしは罰せよの極意でハヤトの胴体にラムの細い前脚が捩じ込まれるだろう。
絶対領域のその先にある、神聖なる乙女の領域。もしそれが目に映れば。きっとそれが最後の光景になる。どうなるかは御察しの通りだ。
体制を戻すハヤトが作業を開始。時間も押してきた頃合いだからテンポよく終わらせたいところ。
そんな時にふと、ハヤトは思った。
「つかよ、俺らってなんの話してたんだっけ」
「
「どこをどう曲解すればそんな答えが出てくるのか。そしてテンが、もはやゴミ扱いされてる件について」
軽口に軽口を重ねる二人。そう言えば初めはテンとレムの話から始まったのだと思い出した。そこからどれだけ話が逸れればハヤトが語ることになるのか。
あの二人が喧嘩をしてる話から、なぜレムがテンのことを気にかけてるかになり。
そこからテンが男か否かの話に移り変わり、それが発展してテンとハヤトが親友の理由を探り。
最終的に自分は自分らしく在るという話に終着。
こうして振り返ると随分と話が逸れまくったと思う。元々喧嘩について話す予定だったのに、なぜか人生相談みたいになってしまった。
「すげぇな。そこまで話が逸れるもんなのかよ。テンと話してる時よりはマシだが、アイツ以外と話しててこんなになったのは初めてだ」
「あんなのと一緒にする脳筋の思考回路を疑うわ。寒気のする話をするのはやめてちょうだい。次同じことをしたら刺すわよ」
「素直に怖いのやめてくれ。刺すわよってお前が言うと冗談に聞こえないんだよ」
「冗談に聞こえるの?」
先程のナイフで光を反射させ、鋭利に光らせるラムがハヤトに先端部分を向け。それと同等の鋭い目つきが彼の心を一気に貫く。
切る食材がない時は無意味なそれだが、ある時はその切れ味を遺憾無く発揮、正く一点特化。一点特化なだけあって刺されればタダでは済まない。
背筋が凍る思いをしたハヤト。まさかそんなことするわけないと内心思っているが。なぜだか、ラムはやりかねないという考えが振り払えず。
「以後、気をつけます!」
そんな空恐ろしいものを感じた彼は、凍る背筋をピンと伸ばして頭を下げたのだった。
▲▽▲▽▲▽▲
ーー明日は、休みの日か。
そんなことを思いながら洗濯物を取り込むテンはオレンジ色に染まりつつある空を見上げる。空の海には、大小様々な大きさの雲がゆっくりと泳ぎ、午後の光が緩やかに落ち始め、あたりに夕暮れの気配が混じり始めていた。
それを見上げていると、余計なことまで考えてしまいそうになり。首を横に振るテンは要らない考えを振り払って作業を再開。一つのことに没頭すれば気も紛れるだろう。
相合い傘以来、レムと言葉を交わすことが殆どなくなった。
異変に思ったのはあの雨の夜の次の日。
朝起きてからすぐ。いつもなら「おはようございます」と笑顔を咲かせたレムが部屋に顔を出してくれるのだが。あの時はそれがなく。しかし元々来るはずもないから変にも思わなかった。
そのあと。早朝の洗濯物をしてる時も彼女が来ることはなく。いつもなら、レムが自主的に参加してくれるはず。これも、元々は一人でやる予定だったから。少しは不自然に感じたが気にしつつも、敏感になることはなく。
異変に気づいたのは朝食の支度をしている時だ。
いつもよりレムが距離をあけて作業をしていたこと。チラチラと様子を伺うような動作が見られること。
明らかに態度が変わった彼女に対してやはりあの相合い傘は嫌だったのではと罪悪感がよぎった。彼女は優しいから、自分に対して無理をしていたのではと。
異変を確信したのはその日を終えた頃だった。
一日を通してレムが自分の事を確実に避けているような動作が何度も見られ。すれ違う時もいつもなら一言、二言声を掛けてくれるけど。それもなく、目すら合わせようとしてくれなかった。
言葉を交わすとしても仕事上での必要最低限の会話のみで。それが終われば彼女は足早に自分の元から去っていく。
「嫌われた、かな」
それがあの日から六日たった今でも継続されればそう思うのも当然。あんなに分かりやすく避けられるのだから、「私はあなたが嫌いです」と面と向かって言われてるようなもの。
そんなにハッキリとしなくても、そっち系に関しては鋭いテンである。他人から知らず知らずのうちに嫌われていたことが多い彼は、自分を嫌う人が取る行動も大凡は把握している。
把握しているのも、中々に悲しい話。
「嫌われた……。嫌われちゃったかぁ」
基本的に来る者拒まず、去る者追わずのスタイルで構えるテンは誰かに嫌われようとも「勝手にすれば?」で生きてきた人間。
周りの人達の全員から好かれようとも思わない彼は、自分の事を好きな人だけ周りにいてくれればいいと思っている。
だから、誰かに嫌われようとも然程気にしないのが彼の精神力だ。
精神力、なのだが。
「ーーーー」
その事を考えたとき、テンの心には刺された棘が抜けないような痛みが走る。チクリと、気にしないようにしてるのに、居残り続けるその不快感が拭えない。
胸が締め付けられるような気分。自分の知らないうちに、ため息が何度もやるせない感情と一緒に吐き出される。吐き出される度に沸き上がるものだから、ため息は何度も何度も重ねられて。
「なんだ、この虚無感」
いつもなら「嫌われたか」で済ませられるのに今回はそれだけで拭えない。拭っても拭っても、これでもかと不快感がまとわりつく。
悲しいとも、苦しいとも、切ないとも言い難い。よく分からない感情。心の中で感情の糸がぐちゃぐちゃに絡まっているような違和感がするテンは低く声を溢した。
ハスキーボイスで発せられた声は掠れ、感情の有無が判断しずらい。発した彼自身ですらどんな感情を込めたのか怪しいところ。
「…はあ」
やめよう、嫌われたのなら仕方ない。
そうやってその気持ちから目を背けるテンはいつの間にか手から落ちていた最後の洗濯物を拾い上げる。
自分のだったから別に構うものかと思うテンは、それを畳むこともせずに籠の中へと投げ入れた。
相合い傘だけで二人が終わると思ると思いきや、実は後日談があるんですよね。