温もりシリーズ第二弾。いきます。
14000文字と今回も長いです。二人のお話を書くとなるとどうしてか、長くなります。
時刻は冥日の十時を過ぎた頃。いつも通り男二人は己の力に磨きをかけるべく、各々が自分の課題と向き合っていた。ここまで継続することができたらこの鍛錬はもはや生活の一環。
体のスイッチが勝手に切り替わるために、やらないとムズムズしてくる二人は今日も努力する。
「ゴーア!」
力強い声と一緒に片腕を前に突き出し、それに呼応するようにして十個の火球が出現。握り拳ひとつ分のそれは当たれば間違えなく皮膚を焼け爛らせるだろう。
数秒。その体制を維持していたが、「フッ」と軽く息を吐くと突き出した片腕から力を抜き。向けていた魔法から意識を逸らす。火球は依然として炎炎と燃え盛っている。
その光景を見た彼ーーハヤトはガッツポーズ。
「ーーっしゃ! 俺も、意識しなくても詠唱だけで魔法を使えるようになってやったぜ!」
子どものように頬をほころばせて喜ぶハヤトが何度もガッツポーズ。喜びが後から後からと心の底から溢れ、心と体を満たした後、外へと溢れ出るように彼は嬉しがった。
それでもまだ火球は揺らぐことなく、ハヤトの前に現出し続けていた。その事実に更に喜ぶハヤトは「くぅーー!」と口から溢れる喜びの感情を必死に押し込む。
彼が喜ぶ理由。それは、テンのように自分も無意識下でも詠唱一つで魔法を使えるようになったからだ。
魔法を会得する上での最終目標である、無意識下でも詠唱しただけで魔法を使えるようになることをようやく達成。感覚と思考が一致したことで、細かく想像しなくてもそれは成されて。
尤も、詠唱をしたら魔法を想像、具現化という定型的な流れを染み込ませた状態のことを無意識。と表しているだけであって、完全に想像してないわけではない。
今までは想像する時も集中していたが。それすらも無意識のうちに、ということだ。
とにかくすごく嬉しい。テンは既にそれを達成していたから、自分も負けじと努力してきたハヤト。その努力は芽を出し、やがて花を咲かせた。
「やっと感覚を掴んだ。はぁ、大変だった」
努力に努力を重ね、ひたすらに魔法を使うことに体を馴染ませてきたハヤト。感覚さえ掴めてしまえば彼はどんなことでもできる人間。ただ、感覚を掴むまでが大変なのだが。
それも今、乗り越えたと言える。初めに感じていた違和感も疲労感もない。ゲートからマナを取り出し、それを結び付ける感覚。それはもう感覚の一部として彼の身に備わっている。
「…長かったな。魔法を身体に馴染ませるだけでも二週間か」
鍛錬を始めてもうすぐ二週間。この世界に来てからあと一日で三週間。時間はかかったが、ここまで成長できたことに心の底から喜ぶハヤト。
初めはどうなることかと思っていたけど、できるできると自分を信じ続けて努力し。時にはテンとアドバイスし合いながら切磋琢磨してきた結果。今の形がある。
「だが、これができてやっとスタートラインに立つ権利を得たようなもんだよな。普通の人間は、こんな回りくどいことしなくても無意識下で魔法使えんだからよ」
歓喜のあまりに緩んだ気持ちを引き締め直すハヤトが頬をパチンと叩き、自分に喝を入れる。
そうだ、そうなのだ。テンとハヤトがしているのは魔法を使用するための鍛錬であって。魔法で攻撃する鍛錬ではない。この世界の人間ならばやるはずのない初期段階から始めている。
例えるなら、人間が二本足で立つ練習を二週間かけてしたようなもの。二本足で立てないと歩くことも走ることもできない。
故に、これができるのは当たり前。現に、この屋敷にいる魔法使い。レムやエミリア、ラムも当然のように魔法を使うことができる。ロズワールは言うまでもない。
「今ようやく俺もその、立つ動作を習得したわけだ。慣れない事をするのは中々に厳しいもんだ。この先が思いやられるぜ」
この世界の魔法使いからすれば、当たり前のことを習得しただけで喜んでいたハヤト。しかし魔法という概念が体に馴染んでない彼からすればその当たり前が当たり前ではないのだ。
慣れないことを慣らすために必死こいていたことを自覚した彼は、まだ先は果てしなく長いことを痛感する。スタートラインに立っただけで自分は喜んでいたのかと。
もっとも、
「スタートラインに立てたなら、今からでも遅くはねぇ。ここから全速力で怠けてる奴を追い抜いてやるよ」
闘志みなぎる表情のハヤトが瞳に炎を燃え沸らせる。その胸中を占めているのは寸分の揺るぎもない決意だ。拳を強く握りしめ、自分を信じ続ける彼の心に曇りはない。
例え遅く走り始めたとしても、前に並ぶ奴らを突き放す程の速さで走ればいいだけ。
難しいかもしれない、なんて言葉で。無理かも、なんて揺らぎでそれを諦めるハヤトではない。
決めたのだから、強くなると。あの日に全員の前で、そう誓ったのだから。なによりも、自信の無いテンの前であれだけのことを言ったのだから。自分が弱気では何の意味もないだろう。
「見てろよ、何処かに居るかも知らねぇが。自分の実力に怠けて鍛錬サボってる野郎ども! 俺は直ぐにでもお前達を追い越してやるからな!!」
声高らかにどこかに居る怠けた魔法使いに対しての宣戦布告。お前なんてすぐに追い抜いてやると彼は握りしめた拳をそいつの顔面を殴る勢いで夜空へと突き出す。
迷いはない、狂いもない。何一つとして揺るがぬ決意を心に頑固として固めているハヤト。
彼の心には、宙に炎炎と燃え盛る火球よりも更に激しい。真っ赤な炎が轟々と燃え盛っていた。
▲▽▲▽▲▽▲
ーーうぉぉぉぉ!
「……なにやってんだ、アイツ」
静寂だった庭園。しかし、不意に轟いたハヤトの咆哮によってそれは壊された。随分と離れた位置にいるのにも関わらず聞こえてくるのは流石ハヤトと言ったところか。
テンが鍛錬している場所は、屋敷から離れた端っこの方。背の高い木々に囲まれた閉鎖的な空間。暗がり中に月光が差し込む神秘的な空間とも言えるが、テンの場合は誰にも見つからなさそうで丁度いい空間。
邪魔されることなく、周りの目を気にすることもなく集中できる自分だけの場所。
そんな場所にハヤトの雄叫びが聞こえてくるものだから「なんだなんだ」と困惑したが、数秒後に静まったから何事もなかったかのようにスルー。
視線を戻す彼は目の前に浮かぶ二十個ほどの氷柱が依然として安定して姿を保っていることに満足げに頷いた。
「うん。いい調子」
意識を集中を魔法から外したけれど、魔法は姿を保たれ。そこまで集中しなくても発動、維持できるようになってきたことにテンは成長を感じる。
初めは三つ四つで根を上げていたのが嘘のようだ。理由としては毎日濃密な鍛錬をしてきた結果、体に魔法という概念が染み込んできたからだ考えている。
ゲートからマナを取り出す感覚を掴む、達成。
無意識下でも詠唱しただけで魔法の発動、達成。
初めに掲げていた目標は達成できた。慣れないことをまずは体に慣らす。それができなければ魔法なんて使いこなせるわけもない。
「なら、ここからは本格的な魔法の使い方を教えてもらおうかな」
胡座をかいて座るテンが腕を組んで悩み声をひとつこぼす。ロズワールから課題として出されていた"ゲートからマナを取り出す作業を無意識に行えること"はとっくに達成済み。さらに、その先のステップまで達成。
ならば、いよいよ本格的な指導を受けさせてもらえるのでは。基盤は仕上がった、なら次はそれを前提とした魔法攻撃。
元々、魔法を習得する理由は強くなるため。戦闘での戦術を広げるためにしてるのであって浮かばせるためにしてるのではない。今、テンが目の前に出している氷柱もその一つ。
原作ではこれを敵対する者達に弾丸のように飛ばしていた。加え、火球や風刃も殺傷能力は十分に高い攻撃魔法。習得しない手はない。
幸運なことに、自分達の近くには宮廷筆頭魔導師とかいう異次元の魔法使いが存在している。頼み込めばきっと時間を作って指導してくれるはず。
「その時のために、もっともっと魔法を自分のものにしないと。俺もハヤトに負けてられないし」
小さくガッツポーズ。気合を密かに込めるテンが気持ちを引き締め直す。自分もハヤトに遅れをとるわけにはいかないと努力する彼に感化される。
自分がどれだけ頑張っても、ハヤトはその先をどんどん進んでいく。けど、彼の背中を見てその差に絶望している暇などない。やれることを精一杯やるだけ。
いつだって、やることは変わらない。
「よし。やるぞ」
姿勢を整え、一緒に精神も整える。気持ちを切り替えるテンは何度か深呼吸。依然として姿を保ち続けている氷柱を睨むように見つめると、
「ーーヒューマ」
短い詠唱の直後、大気が凍る音が連鎖し。二十個だった氷柱に重ねて十個の氷柱。それも一つ前のよりも何倍もあるものが彼の周囲に出現。月光を反射するそれらは煌びやかに輝いた。
マナをもっと使ってゲートに負荷をかける。自分のゲートは質が良く燃費が良いと言われたから、そのスペックを最大限を引き出せるために今よりももっと。
そうすれば、激しいマナの消費にゲートが自然と慣れ。自分も、その感覚に慣れることができる。その結果ゲートの性能を引き出せるようになる。
「はず。やったことないから分からないけど」
ゲートを酷使する感覚を、スポーツトレーニングとかで厳しい練習に耐えた人達が上達する感覚と重ねているテンはそう考えていた。
ゲートを酷使すれば、きっとなんか良い方向に力が働いて上達するのではと。とても曖昧な予想だが、今はそれを信じてやるのみである。
▲▽▲▽▲▽▲
「……はぁ」
「最近ため息多いな。レムか?」
「………。まぁ、そうだけど」
次の日、その夜。
鍛錬がお休みの日にテンはハヤトの部屋に遊びにきていた。理由は簡単、このモヤモヤした感情を発散するためである。ハヤトもテンと同じように一週間に一回は休みを取っているため、拒むようなことはしなかった。
寝台に寝転んでうつ伏せになり、顔面を布団に埋めるテンが大きくため息。ため息を吐くと幸せが逃げていくという話があるが、もしそうならば彼の中に幸せはもう残ってない。
今の彼ならばたった一回のため息で人生の幸せが全て逃げていきそうな気配。それが一週間も続けば彼の中は既にすっからかんのはず。
そのため息を聞いているハヤトもまた幸せが釣られるように逃げいきそうになる。彼の纏う、どんよりした空気が隣に座るハヤトに影響を及ぼしつつあった。
「……はぁ」
「何回ため息つくんだよ。幸せが逃げるぞ」
「幸せどころか魂すら逃げてくよ」
どんよりとした空気を放ち続けるテンが言葉通りの魂も一緒に抜けていくのではと思えるため息。暇さえあればため息を吐く彼の背中をさするハヤトは苦笑。
これ程までに、沈んだテンを見たのは中々に久しぶりだと自分の頭の中でテンの最大落ち込みが更新された。
因みに、更新される前のは無償の百連ガチャで推しどころか最高ランクのキャラすら出なかった時に発狂通り越して「虚無」となった時のテン。
あの時は学校にいる間、授業中もずっとへこんでいた。周りから見ても「あ、コイツ落ち込んでる」と簡単に分かるくらいには。
「お前、本当に何もしてないんだよな? 相合い傘の時にセクハラしたりしてねぇよな?」
「してるわけねぇだろ。出来ると思うか? 仮にしてたら今頃俺は死んでるよ」
「そうだよなぁ」と落ち込むテンの背中をさすりからポンポン叩くことに切り替えるハヤトが低く唸る。当たり前のように返されたものだから、テンがレムに何かしたという事は無いと確信した。
それに、ラムと話した時と同じく。テンがレムに手を出していたら彼は死んでいる。あの雨の日に赤い血をドバドバと流し、永遠と流れる冷たい雨と共に魂が流れてるはず。
なら、どうしてレムがテンのことを避けようとするのか。テンの何がいけなかったのか。相合い傘をしたから。という理由はまず無い。
だってあれはレムが迎えに行くと言ったのだから。自分から誘っておいていざ相合い傘してみたら嫌いになったとか、そんな酷い話あるだろうか。
レムに限ってそんなことはないと思う。普段から人との関わりには気を遣っているテンが彼女の機嫌を損ねるような事をしたとも思いずらい。
「なら、なんでだ? 本当になんでなんだ?」
「また俺、知らない間に嫌われちゃったよ。前々からあった謎の特性がこの世界に来ても効果を発揮してるよ。なんだよ、なんなんだよ」
何万人もの人間が必ず一回は経験する基本的でありきたりな悩み。どうして嫌われたのか。それが意味不明なハヤトがほとほと困ったという風に頭を抱え込む。
その真横ではテンが頭を布団に何度も打ちつけていた。こうすれば、少しはこの胸の奥に渦巻いているモヤモヤした不快感が薄れるような気がしたから。
コンクリートに額を打ち付ける感覚でしているが、実際のところ布団に優しく受け止められるだけに終わる。が、止める気にはならない。
「……まぁ、あれだ。人間、誰しも知らない間に誰かを傷付けてることもある。ゆっくり時間をかけてそれを気づいていこうぜ」
「何のフォローにもなってないよ、それ」
悩みに悩んだ末、ハヤトが出した答えに対して感情の入ってない声でテンが低く笑う。様々な経験をしてきたハヤトですら今回はお手上げ。
親友として悩める彼の手助けになれたならと思うが。これだけ考えても分からないのなら、いくら考えても分からない気がする。それに、姉であるラムですら分からないのだから。
自分達がいくら知恵を絞っても原因を探ることはできない。テンの性格も相まって本人に原因があると思えないのも一つの理由。
「悪いな、テン。俺も力になってやりたかったが。こればっかりは分からん。勘弁してくれ」
「いいよ、別に。力になろうとしてくれただけでも俺は嬉しいから」
投げやり感のあるテンがそう言って寝台から跳ね起きる。言葉の温かさとは裏腹に、その声色にはどうでもよくなったような放棄っぷりが含まれていて。表情も晴れやかとは言い難い。
基本的に無表情のテン。しかし今は、分かりやすくムッとした表情を浮かべ。不快感を隠すことなく表に出していた。
立ち上がり、大きく背伸び。曲がった背筋を正したテンはそのままハヤトに背を向けて部屋の扉を開けると、
「もう寝るね。おやすみ、ハヤト」
「おう、おやすみ」
そう、言葉を残してドアを閉めた。
感情に呑まれて勢いよくドアを閉めないでゆっくり閉めるあたり、ちゃんと部屋の中にいる人への配慮はできているのかと不意に笑みをハヤトはこぼした。
変なところで律儀なのがテン。どんな時でも彼は彼のまま、根っこにある彼の優しい部分は健在している。
「……にしても」
テンのいなくなった部屋は、急にがらんとした。波を立てていた存在がいなくなったことで、凪となって。更に、満たされていた二人の声が響き渡り切ったことで潮が引いていくように部屋が静まり返っていく。
その空間に一人、残るハヤト。彼は深く息を吐きながら倒れるように寝転んだ。静かな空間になれば、ゆっくり考えることも可能だ。
「なんで、レムはテンを避けてる?」
数日前からずっと考えてるのに答えが見つからない難問。人の気持ちが理解できたら、こんな時は楽なのにと思うが。それができたらこんなに頭は抱えてない。
人間関係で、特に男女間での関係において悩むことなんて沢山あるだろう。喧嘩したり、恋に落ちたり、気まずかったり。それは基本的にどちらかに何かしらの原因があって発生する一種の壁。
双方の距離を縮めるために乗り越えなければならない壁だ。普通なら原因を突き止め、そこから展開してくるのだが。今回はその原因が分からないから困っている。
「テンがレムに何かしたのは絶対にない」
あるわけがない。だって彼はその感情に関しては経験ゼロ。女性経験など微塵もない彼が相合い傘という極限状態で奇行に走るわけないだろう。
ならどうして? 何度もこの考えが頭の中を渦巻くせいで、ハヤトの頭は何度も振り出しに戻る。どれだけ考えようともテンに原因がないのだから結局は「どうして?」に戻り、また一から。
ずっとこの調子では答えなど出るわけがない。
「そもそも、何でレムはテンを相合い傘に招いた?」
別の方向から考えることにしたハヤト。話を少し遡ってみる。レムがテンと相合い傘をした理由について。
これに関しては彼女がテンのことを迎えに行った理由に共通する部分があると思う。きっと、レムがテンに気があるから。本人はまだ自覚してないだろうけど。レムは確実にテンに対して恋色の感情を抱いている。
雨の日に自分が迎えに行く。それも、傘を一つしか持っていかなかったor持っていけなかった状態で。
どちらにせよ、傘が一つの状態でわざわざ遠い道のりを。しかも、雨の中で迎えに行ったのだからプラスな感情がそこにはあるに決まっている。
そして、テンから聞いた話では。レムは彼に対してのボディータッチ紛いのことをかなり積極的にしてきたのだとか。付け加えるなら、彼女は傘の主導権を奪ったら、歩く速度を遅くして「レムがこうしたいんです」と。
「おい、ちょっとまて」
そこまで考えて、ハヤトは考えを一旦戻す。頭の中に突如として飛来してきた一つの考え。それが思考のド真ん中を陣取ったせいで、離れて行かなくなった。
まさかまさかと思うハヤトは、ニヤける頬を抑える必要もないのに必死に堪えつつ。テンが避けられている理由に立ち戻る。
テンがレムに避けられる理由。それはテンに原因があるから。そうとばかり考えていた。
でも、
「もし、レムの方に原因があったらどうなる」
そう、そうだ。今まではテンにばかり焦点を当てていたが。レム自身に原因があるとしたらどうなる。レムがテンを避ける理由がレム自身だとしたらどうなる。
一つ一つ。バラバラになったパズルのピースを嵌めていくようにハヤトは頭の中を整理。あと少しで分かるような気がするからと、彼の頭はフル回転し始めた。
相合い傘の翌日。その日からレムはテンに対して気まずそうな態度、チラチラと何度も見る。そして、目も合わせず言葉を交わすこともない。
レムはテンを相合い傘に誘った。肩を寄せ合わせてきた。ゆっくり歩き、自分がこうしたいと彼に言った。
「まさか」
ここまで考えて、ハヤトの中に一つの仮説が浮かんできた。それは、何で分からなかったのか馬鹿馬鹿しく思えてしまえほどに簡単なもので。
今までぐちゃぐちゃになっていた思考を整理する彼は、その仮説を確実なものにするため。根拠となることを探ろうとして、
「レムは、テンを気にかけている……!」
不意に、脳裏に過った言葉を言った瞬間。ハヤトの中で今まであった悩みが一気に晴れていくような快音が響いた。靄のあった頭の中がそれから解放されるような清しさがあるそれ。
「なんでこんなことに気づけなかったんだよ俺。元々レムがアイツに対してそんな感情抱いてんのは知ってただろ…!」
パズルの最後。そのピースを嵌めた途端、一番あり得そうな理由がハヤトの中に出来上がり。どうしてこんなことに気づけなかったのかと、あまりの馬鹿馬鹿しさに彼は別の意味で頭を抱える。
答えなど、ずっと前から自分の口が何度も言葉にしていたじゃないか。勘づいていたことではないかとハヤトは小さく笑う。
堪えていたニヤけが思わず解放され、彼の表情が晴れやかなものに。ついさっきまで、眉間に皺が寄っていた人間とは想像しづらいものとなった。
「そうだよ、そうだよ。何もしてないテンが変なことして嫌われたんじゃないかって思うくらいなんだから」
レムが、テンのように思わないわけがない。
そう口に出そうとした瞬間、部屋の扉がノックされる。静寂を切り裂くノック音に肩をビクつかせるハヤトだが、
「ハヤト君、レムです。夜分に申し訳ございません。少し相談があるのですが、起きていますか?」
その声を聞いて数秒間の静止を許した。その後、状況を理解したハヤトの心臓が大きく跳ね上がる。今の今までずっと考えていたことの中心にいた人物が、ドアの先にいる。
体制を起こすハヤトは内心「来やがったか…!」と思うが。そんな早る心を抑えつつ、
「おう、起きてるぜ。入れよ」
「ありがとうございます」
ゆっくりと部屋の扉が開き、メイド姿のレムが一礼。それに対して軽く手を上げるハヤト。彼は正面まで歩み寄るレムに視線を向けると、
「こんな遅くまでご苦労様だな。休憩とかしないのか?」
基本的に屋敷の大部分の機能を一人で補うレム。時刻としては十一時と、彼女はこんな遅くまで働いているのかと驚愕。
深夜バイトで夜中まで働いていた経験のあるハヤトからすれば、自分の方が働く時間は長いと言えるが。働く量が彼女の方が圧倒的に多い。その中でのこの時間帯までの仕事。尊敬しかなかった。
本人の知らないところでレムに尊敬の念を送るハヤト。彼にレムは「はい」と頷くと、
「今日のお仕事は終わりましたから。これから休みますよ」
「お、そうなのか。お疲れ様」
ハヤトが問い、レムが答える。そんな中身のない言葉を軽く交わした二人。
しかしレムが改まった声でハヤトの名を一度呼ぶと、目の色を変えた。その、決心したような瞳を向けられるハヤトは自然と姿勢を正す。
状況を整えたとばかりに「ほぅ」と小さく息を吐くレムは「あの…」と言いにくそうに、
「テン君のことで。少し、ご相談があるのですが」
「おう、なんだ?」
冷静を保つハヤトが声を潜める。今から自分が問いかけられる質問によってはさっき考えてたことが正しいか、間違っているかがハッキリするから一言一句聞き逃せないのだ。
待つ。彼女がそれを言うまで。他でもない当人の口から真実が語られる。その瞬間まで。
なのだが、
「ーーーー」
自分の言葉を重ねようとしたレム。彼女はハヤトに向けていた視線を逸らした。その視線には、足踏みするような強い感情がこもっていて。その問いかけを躊躇するような仕草。敢えて言葉に表現するなら、モジモジしている。
その姿ーー正しく恋する乙女。
人当たりの良いハヤト。男女問わず、彼は様々な人間から好かれるから相談事を受けることも多い。その中で、恋愛相談もかなりされてきた。故に、恋している人の仕草もなんとなくわかる。
思えば、レムの行動はそれに値するものばかり。
チラチラ見たり、避けたり、素っ気ない態度をしたり、身体に触れたり。それそのものだ。
やはり、自分の予想は正しいか? と目を細めるハヤトは彼女とは対照にニカっと笑うと。
「レム、テンは良いやつだぜ。アイツは基本的に、自分の事を思って行動をしてくれた人を嫌うことはねぇ。絶対にだ」
「…レムの言いたいことが、分かるんですか?」
「確証はねぇがな。レムみたいな人達から俺は何回もそういう相談されてんだ。だから、レムも聞きたいことを言ってみろ」
ハヤトの力強い言葉を受けて数秒間困惑顔だったが、そのあと僅かに頬が緩むレム。彼女の目の奥には微笑みに似た淡い光が浮かんでいた。
その時、彼の言葉によって肩に重くのしかかっていた何かがストンと降ろされたような感覚を得たレム。
「テン君はレムのことを……。何か、変な風に言っていたり……していませんでしたか?」
彼女は、密かに悩み続けてきたことを彼に打ち明け始めた。
▲▽▲▽▲▽▲
部屋の明かりを消し、布団にくるまり目を瞑る。眠くもないくせに特にすることもないからただ目を瞑り、取り止めのないことばかり考える。それに意識を向けないために。
明日は何の属性を鍛錬しようか。明日はどの順番でお仕事をやろうか。明日はアーラム村にでも買い出しにでも行こうか。
明日は、明日は、明日はーー、
「…はぁ」
百をゆうに超えたであろうn回目のため息をつく。こうして暗闇の中で目を瞑っていると、自然と溢れて。五分に一度はため息をついている気がする。
意識を向けないためにこうしているのにまるで効果がない、寧ろ逆効果。こうしたせいで余計に考えてしまう。取り止めのないことだから、芯のある考えが勝りそれが思考のド真ん中に陣取る。
勿論、レムのことだ。彼女に避けられ始めてからというものの、どこかモヤモヤした気持ちが拭いきれず一人になるとこうして考え続けてしまう。
このモヤモヤは、何なのだろうか。もしかして、自分は彼女に恋でもしてるとか。
「なに言ってんだよ、やめとけ。お前なんて相手にされるわけない。それに彼女には幸せな未来がもう待ってる。それを邪魔するなんて、ダメだろ」
自覚しそうになる感情を捨てるテンが自分に対して罵声を吐き散らす。他人に対しては決して罵声などを口にすることのない彼だが、それは自分に対してだけは無効となり、それは彼の心を押し殺し続ける。
自分がレムに恋をする。そんなのダメに決まっている。彼女にはこの先に幸せな未来が待っているのだから。この世界の主人公が、ナツキ・スバルが彼女のことを救うのだから。
そこに、
「ダメだ。そんなの、ダメに決まってるよ」
忘れろ、そんな気持ち。捨てろ、そんな想い。
下らない妄想ばかりしてて何の意味がある。定められた未来に挑戦して何の価値がある。意味もない期待をしたところで無駄だ。
諦めろ。止めろ。捨てろ。忘れろ。消えろ。
お前なんて無理に決まってる。お前なんかがレムの隣に立てるわけがないだろう。振り向きもされず、見向きもされず、結果として呆気なくそれは終わる。
だから、もうその感情は捨てろ。思わせぶりな態度をされても気にするな。お前なんて所詮はその程度の男なんだから。
「……もぅ、寝よう」
これでもかと心を痛めつけて、テンはその感情を押し殺す。原作に決められた未来は、変えられない。自分なんかにそれを動かすだけの力なんて、あるわけがない。
そう思い込ませて。テンはその思いを抱えたまま眠りにつく。心を牢獄に閉じ込めて、施錠したまま。鍵は心の奥底に投げ捨ーー、
「テン君、起きていますか?」
「ーーーっ」
その時、声がした。
もう自分の名前など呼んでくれないと思っていたその声が。きっと、もう終わりなんだろうと諦めていたはずの少女の声が。
声と一緒に聞こえてくるのはノック音。二回ほど叩かれて、彼女は自分の名を呼んだ。それはいつも通りの声と表現するのが少し難しい声で。
どこか、緊張感を聞き手に感じさせる彼女の声はドアを挟んでも尚、テンの心にたしかな動揺を与えた。
どうして彼女が? そんなことしか考えられないテンの目が一気に覚める。眠くなりかけていた意識が、それによって電流でも流されたかのように反応した。
「寝て……しまいましたか」
反応するべきか、否か。迷ってるテンの鼓膜を今度は切なげな声が撫でる。声のトーンも一つ下がり、ドア越しに顔を俯かせているレムの姿が容易に想像できた。
今までに聞いたこともないようなその声。
それは、テンが反応するか否か決断するには十分すぎるものだった。そんな声を聞いてしまっては無視することなどできるわけがない。
「起きてるよ、レム」
「えっ!? あ。お、起きてたんですね」
「何でそんなに焦ってるのさ」
約一週間ぶりのまともな会話。その始めはレムの動揺から始まった。突然扉の先から聞こえたテンの声にドアの先でガタンと音が立ち、ドアノブが数センチ動く。
身体の一部でもぶつけたのだろうか。冷静沈着の彼女からすれば違和感のある動揺っぷりに苦笑するテンは何度か深呼吸をしたのち、要件を聞くために扉を開き、
「んで、なんのーー」
止まった。動きとか、思考とか、そんなのではなく。いや、全てその刹那で止まった。コンセントを抜かれた機械の如く。口を「の」の口のままに彼はレムの姿を見て。
肩にかかる所で切り揃えている青髪をフワリと揺らして、テンのことを見つめるレム。肌の露出の多いメイド服姿とは違い、水色のネグリジェを着用している。
それ即ち、パジャマ姿のレム。
「……テン、くん? どうかされましたか?」
そんなテンの動揺をどう思ったのか。不安そうに瞳を揺らすレムが肩を窄める。ハヤトに相談したからテンの真意は理解してるけど、本人の口から聞かない限りは安心できない。
しかし、それがあっての今の行動。自分のことを見た途端から、明らかに態度を一変させている。まさか、ハヤトの言っていたことは違うのかと心が曇りそうになってきた。
当の本人は、初めてリアルで見るレムのパジャマ姿に悩殺されてる真っ最中。施錠した牢獄の中で心が暴れまくるのを感じる彼はなんとか言葉を絞り出し、
「な、何で。その姿…。いつもは、メイド服のはずでは」
「えっと…。今日のお仕事は完了したので、この格好に着替えました。寝るときはいつもこれなんですよ?」
「いや、そうじゃなくて」
当然のように返された言葉に、言葉に詰まるテンがそれらを一気に吐き出すようにため息。笑みが混じるそれはレムが久々に見た、彼の微笑んだ姿で。
それを向けられた時、レムは自分の心に宿る温かい感情が熱せられるような感覚を抱き。心が満たされる幸福感を感じた。
だが、そんなことテンに伝わるわけもなく。彼は溜まっていたものを吐き出すと、
「とりあえず。何でここに? 寝る時の格好ならレムはもう寝るんだよね。なら、ここに来る必要はないと思うんだけど」
幾分から肩に入った力が抜けたか。声を緩やかなものに戻すテンが首を傾げる。彼女の言うことが正しいなら、もう寝るはず。なら、何のために。
純粋な疑問を向けられたレム。彼女は気まずそうに「えっと…」と言葉を選ぶように思考を巡らせていたが。「いえ」と取り繕うことをやめ、
「テン君。その、傘の件なのですが……」
傘の件。たったそれだけで何のことか理解したテンが息を詰まらせる。何を言われるのか全く検討もつかないから、どんなことを言えばいいのかも分からない。
故に、反応も薄く短いものになる。
「えっと、うん」
「冷静になって考えていたら、少し度が過ぎていたと思いまして」
「……はい、それは。理解してます」
胸の中に嫌な思いが湧いてきたテンが、やはり自分はレムに嫌われていたと確信。彼女も自分に対して度が過ぎてると思っていたらしい。なら、嫌われるのは当然のこと。
この先、言われる言葉が想像できる。まさか面と向かって言われるとは思っていなかったけれど、それはそれで思いっきり突き放された気分になって心に折り合いをつけれるから良しとするべきか。
覚悟を決め、変に狼狽えているレムのことを一直線に見つめる。もうこれでおしまい、なら最後くらいちゃんと向き合って終わらせるとばかりに。
それをどう受け取ったのか。レムも覚悟を決めるように曲がっていた身体を伸ばす。そうして二人は向き合い、
「ですから、その。…レムのこと、変な人だとか思ってたり…。き、嫌いになったり。してませんか?」
「え? レムが俺のことを嫌いになってたんじゃなくて?」
意を決して告げられた言葉に、脊髄反射で言葉を返したテン。さも、当然だったと言わんばかりにコンマ数秒で返されたそれにレムも「えっ?」と自分でも驚く程の腑抜けた声が出てきた。
そのまま、二人は押し黙る。互いに予想外の反応をされて、それまでに考えていたことにヒビが入り、音を立てながら一気に崩れていくよう気がして。
驚いてきょとんとするレムと、驚きのあまり口が半開きになったテン。目をパチパチさせる二人。
「俺は。レムが避けるから、なんかしちゃって嫌われたのかと……」
「そ、そんなことはありません! レムがあの時に度が過ぎてしまったから、テン君に変な人と思われて、嫌われてるんじゃないかと……!」
「俺がレムを嫌うことなんてないよ! ただ。あの雨の時に、俺がなんかしたんじゃないかってずっと思ってて」
テンの口から溢れた感情に、口調に熱がこもったレムが自分の感情を告げ。両者とも抱え続けてきた不安を反射的に告げたことで、自分が犯していた最大の過ちに気がついた。
テンは、自分が何かしてしまって嫌われたから彼女が自分のことを避けているのだと思い込み。
レムは、自分が変な人と思われて嫌われていると思い込んだから彼と話しづらくなって。
一週間。二人がすれ違い続けてきた理由は自分の思い込みだったと、その瞬間理解した。
「…勘違った。つまり、俺はレムに嫌われていると思ってて」
「レムは、テン君に嫌われていると思ってました」
頭の中にあった思い込みが容易く破壊される快音に、テンとレムが口を合わせる。確かめるように呟かれた言葉は、やはり二人が予期してなかった事で。
思い込みの激しい二人。自分の中でこうだと自己完結したことが原因となってこの事態を引き起こしたのだと瞬時に理解。
理解した途端、不意に肩に重くのしかかっていた負の感情が下りたような安心感が心の底から湧き上がってきたレム。彼女は「…よかった」と、低かった声のトーンが上がり、
「レムはずっと。あの日以来、テン君に嫌われてしまったかと思っていました。レムのことを、変な人とだと思ってるかもしれないと」
「そんなわけ、ないだろ。確かに、体を寄せられたのはビックリしたけど。変な人だなんて思うわけないよ。逆に、俺が嫌われたのかと」
「はぁ…」と深く深く息を吐くテンが顔に手を当てて情けない顔を隠す。何故だか、レムに嫌われてないと言われてとてつもなく安心している自分がいることに彼は違和感を抱いた。
かく故レムも。自分がテンに嫌われてないと理解した途端から、顔に喜ばしさが生き生きと動くのを自覚。こんな顔見せれないと彼に背を向けた。
心に宿る甘い感情が熱を帯びて、レムの心が激しく乱される。胸が締めつけられるように耐え難い熱は次第に頬にまで上り、彼女を包み込んで溶かされるような気分にさせた。
少し前から感じ始めていたこの感情。彼を前にすると抑えきれなくなって、苦しいのに、とても幸せになれて。心が温かくなってくる。
この感情はーー、
「急に背中向けて、なんかあったん?」
不意にレムの顔をテンが覗き込む。しかし、その感情のことで一杯一杯なレムは彼の接近に対応することができず、しかし心だけは正直な反応として頬を紅潮させていた。
心はいつだって正直。故に、
「だ、大丈夫です! レムもテン君が嫌いなわけではなくて、ですからテン君も変に気にしなくても全然大丈夫ですから!」
「うん、分かった」
「レムはもう寝ますね。テン君の確認が取れればもう大丈夫なので。では、おやすみなさい」
顔を見ようとしたら見られないようになのか、律儀に背を向け直すレムが表情を見せてくれないまま話の起承転結を終わらせ。
あまり彼女のそのような部分は見たことのないテンだったから。呆気に取られるがままに軽く言葉を返すだけで。レムはあっという間に去った。
ものすごい勢いで遠ざかっていく彼女の後ろ姿を眺めるテンは、その理由を探ろうとするが。今の自分には分かるわけもなく。
「まぁ、いっか。俺も寝よ」
ただ、レムに嫌われてないことが何よりも嬉しい彼はその幸福感のまま部屋の扉を閉めた。
テンとレム。二人のはじまりはまだ遠く。
レムがその温もりを自覚するのはそう遠くない。
異世界に来てようやく女の子と青春を送ることができつつあるテン。
なんか。私もこんな恋、してみたかったです……。現実は甘くないですね。