次回に向けての間話みたいなお話です。
「おらぉぁ! やっっってやらぁぁあ!!」
「あら、随分と元気そうね。朝は無様にもがき苦しんでたというのに。どこぞのひ弱と違ってうるさくて仕方ないわ」
太陽さんさん、そよ風が心地よい、空気は澄みわたる新鮮なもの。その場所、ロズワール邸の庭園であった。その中で大声で叫び散らす青年と、彼の隣で心底うるさそうに耳を塞ぐ少女が二人。
うるさく叫ぶ青年は両腕をブンブンと勢いよく回し、その表情は気合十分。彼の後ろ姿に燃え上がる炎を幻視させるそれは天真爛漫.猪突猛進と、いつもの彼が戻りつつあった。
もちろんその青年ーーハヤトである。
そして、その隣で騒々しいとばかりに両耳を塞ぐのはラム。普段から彼はこのような態度をとることが多いから、そろそろ鼓膜が慣れてくる頃かと少しでも思った自分が間違いだった。
隣に立ってみれば鼓膜がキーンとする歪な感覚。例え、遥か彼方に居ても空気を震わせて聞こえてきそうな彼の声量はいつまで経っても慣れない。そうなると、彼の隣いることが多いテンの鼓膜のイカれ具合が怪しまれるが。
「テンと比べてもらっちゃ困るぜ。朝にお前の体解しを受けてから、こちとら痛みとか吹き飛んでんだわ。全然動けるっての」
若干の痛みを無視して張り切るハヤトが拳を握りしめてガッツポーズ。
普段から暑苦しい彼はどんな時でも態度が一貫するようで、ここまでくると彼は落ち込む時があるのだろうかと疑問に思うラム。彼女は耳を塞いでいた手を離すと、
「ならさっさと始めなさい、仕事はまだ山のように残ってるの」
「言っとくが、お前の代わりにやってやってるってことを忘れるなよ?」
腕を組み、見下すように声をかけてきたラムに苦笑するハヤト。しかしラムは依然として態度を変えることはなく「はっ」と、もはやいつものように鼻で笑った。
こうして鼻で笑われるのも何度目か、少なくとも百回は超えてくるであろうラムの嘲笑。特に反応することもなく彼はそれを素通りした。が、彼とは反対にラムは言葉を繋げて、
「何を言ってるのか分からないわね。費用対効果、ラムはただラムの働きに見合った働きを脳筋に要求しているだけよ」
「そうかよ。なら、お前はそこで座って俺の仕事ぶりを見てるといいさ」
「そうさせてもらうわ」と近くの椅子に腰掛けるラム。足を組む彼女に「コイツ、初めから休む気だったな」なんてことを考えながらハヤトは彼女に背を向けて歩き出した。
自分の仕事を押し付けて担当である自分は休むという。性格の悪い先輩の定番のような行動を見せるラムに、内心ため息をついてないわけでもないハヤト。しかし、彼女にはマッサージの借りがあるから必要以上に反応できない。
ハヤトがラムの仕事を押し付けられている理由、その元を辿ればそこには朝にあったマッサージが関係している。
独断でハヤトにマッサージをしたラムは彼に「自分の仕事を手伝え」と言ったのだ。理由は簡単。マッサージに対する感謝の気持ちを示してもらうため。
言葉だけでは伝わらないから口ではなく行動で示せとはラムの言い分。流石に物申したいハヤトだったが、事実としてマッサージの借りがあるから何も言えず。
独断とは言えど、寝起きに感じていた激痛は今はなくなっているし、体も自由に動く。つまり、昨日に覚悟していた激痛は彼女のお陰で解消されたということ。一応、ラムに感謝しなくてはならない立場だ。
まさか、その形が仕事を
「…まぁ、やると決まったらやる! 一々気にしててもしょうがねぇしな!」
気持ちを切り替えるハヤトが立てかけてあった箒を片手持ち、空へと突き出す。切り替えの速さに定評のある彼は今回もその速さで気持ちを切り替えて仕事スイッチをオンに。
「やってやらぁ!」と二度目の咆哮。何事も気持ちの入り方から気をつける彼は気合の声を一つ。うだうだ言ってる暇があるなら仕事をしろと喝を入れた。
そうしてスイッチが入れば彼は作業を開始。これからやるのは庭園の落ち葉拾い、屋敷の庭園には観葉植物の域を通り越した観葉植物が多々あるため、整えるのも一苦労だ。
尤も、その辺はレムが完璧に熟しているからハヤト達は落ち葉拾いで済んでいるのだが。
「なんだが。…やっぱいつ見ても思うな、広すぎだろ。こんなに広い空間なんて必要無いだろ」
左手に持った袋の中に右手で持った箒で掃いた落ち葉を入れるだけの簡単なお仕事。説明不要な単純作業を始めたハヤトだが、彼は途方もない広さに顔を引き攣らせた。
時間が経ったとしてもこの空間、というか豪邸特有のだだっ広い空間には慣れておらず。一般的な生活を十八年間もしてきたのだから当然と言えば当然だが、世の中には限度という言葉も存在しているのだ。
少なく見積もっても反対側までの距離は五百メートルは余裕で越す。往復するなら一キロは歩いたことになるという病み上がりには中々にハードな道のり。
ーー広い、広すぎる。
というのがハヤトの率直な感想だった。
「庭園全体が落ち葉で埋め尽くされてないことが唯一の救いだな。これでもし、そんなことがあれば…いや。考えたくもねぇよ」
幸いにも観葉植物が置いてある箇所はそう多くはない。点々としているから、必ずしも往復するわけでもないことが今はハヤトの救い。単純作業とは言えどもそんなに多くの落ち葉拾いをすれば腰痛に悩まされることか。
それから、ハヤトは無言で落ち葉拾いを終わりへと進めていく。
一人でしているため話す相手がいるわけもなく、何かを考えることもしない。そうなればいよいよ無言の静寂が彼には訪れた。
お仕事中は基本的にこうだ。考え事をしている時でもそうでない時でも、話し相手がいないとハヤトは自然と無言になる。無言になれば集中して、独り言すらなくなる。
余談だが。テンの場合は偶に「んー、めんど」とか愚痴を溢していたり「んまぁ、それもそうか」と、誰かと話してるのかと思わせる独り言を呟くことが多く。
聞けば、ハヤトと違って
割と本気で心配するハヤト。線の多さよりも太さを重視するテンは友達を増やそうと思える人間ではないから、自分から人と関わりに行こうとする性格ではない。
それが原因で、周りが楽しく集まっている空間だとしても余裕でひとりぼっちを貫く強強メンタルを宿している。
高校時代、他の人たちがワイワイしている昼食の時間に教室のど真ん中でぼっち飯をしていたことは絶対に忘れられないだろう。
それに「俺は周りが楽しそうにしてるのを見てるのが楽しいからさぁ」とか、腑抜けたことを言っていた記憶がある。その結果として今の形があるならば少しは改善してほしいと思うが。
「アイツには無理があるか。ちょっと、というか。かなり個性的な奴だからな」
笑っていたと思ったら急に無表情になったり、みんなが遊んでる所から音もなく風のようにいなくなったり、話のテンポが独特だったりと、ハヤトから見ても彼は個性の塊。
自分は偶然にも波長の合う人間、それもかなりの勢いでベストマッチしていたから仲良くなれたものの他はそうもいかないはず。
「そう思うと、なんで俺はアイツとここまで仲良くなれたんだろうな」
理由は分かっている。けど、やはり不思議だ。何もかもが真反対にも関わらず波長が合い、これまで喧嘩一つせずにやってこれた。こんなに仲良くなった男友達は彼が久しぶりか。
尤も、
「異世界に一緒に召喚されたからってのもあると思うけどよ」
生きるか死ぬかの状況を駆け抜けた親友だ。苦楽を共にし、互いに強くなると誓い合い、ここまでやってくれば絆が深まるのも必然。元の関係値が高いのならばもっと絆は深まって。
この世界での唯一の親友。心の許せる存在は誰かと聞かれればハヤトは真っ先に「テン」だと答えるまでに彼はテンのことを信頼している。迷うことなく彼の名前を出せるまでに、彼はテンのことを親友だと思っている。
真反対? 正反対? そんなの知るかよ。アイツと俺の絆を前にそんなの関係ねぇよ。ぐらいの気持ちを彼は抱いていた。
「……と、アイツについて考え込んじまったな。そろそろ集中しねぇと」
ふと、だいぶ深くまで考え込んでいたことを自覚したハヤトが「はっ」と息を吐く。
彼と自分が仲良くなった理由について考えいると止まらなくなるとは難儀なことだ。追求すればするほど、初めて教室で会った時のことが思い出されて新鮮な気持ちになる。
しかし、今はその時間ではないと彼は一度大きく背伸び。硬くなった身体を伸ばすと、彼は「うし!」と気合を入れて、
「いや、終わってなさすぎだろ!?」
視界に広がる果てしない道のりに思わず驚愕の声を上げてしまった。親友との思い出に浸って感慨深くなっていたところにその事実、それまでの感傷が一気に吹き飛んでいく感覚に彼はあんぐり。
考えている間にも作業は進めていたからそこそこは進んでいる。なんて安い考えをしていた自分を彼は心の中でぶん殴る。片道五百メートルを余裕で超える距離に、そんな考えなど通用するわけもなかった。
ぐるりと周りを見渡すーー光景。
広大な庭園に点々としている落ち葉の集合体。それが三十ヶ所程度。掃除してきた軌跡を振り返れば、その部分は落ち葉一つない。ラムチェックも通過してくれそうか。
「いやマジで。この調子だと日が暮れちまうな」
立ち止まるハヤトが頭を悩ませる。このままいけば後々の仕事に支障が出かねない、自分のにプラスしてラムのもやる必要があるのだから。残念なことに彼女が手伝ってくれる気配などカケラも見られないし。
そうなると、
「……なるほど。少し気合を入れるか」
自分の中で解決策を見つけ出したのか、体積を半分ほど埋めた袋と箒をハヤトは握りしめる。握りしめられた箒がミシミシと音を立てるが、ハヤトが気にする様子はない。
ふっ。と軽く息を吐く。肺の中にあった空気と一緒に余計な力を抜いて、頭の中を一旦クリアに。余計なことは考えず、それをする事だけに彼は意識を向けた。
時間は有限、気合は無限。ならばハヤトの取るべき行動は決まっているようなものだ。
「ーーアクラ!!」
▲▽▲▽▲▽▲
窓の外から聞こえてくる声に耳を傾けるテンは苦笑しながら視線を窓の外へ。もはや、その声だけで誰が何をしているのかなど考えなくても理解できる。
屋敷の二階。その廊下の窓から顔を出せば、そこから広がるのは無駄に広い庭園。そして声の主であるカンザキ・ハヤト。その男が猛っているのが視界に映った。
全力疾走しながらの落ち葉拾い。生身の人間が出していい速度で走っていない彼は、恐らくアクラでも詠唱してるのだろう。爆速で落ち葉をゴミ袋にぶち込む様は人間版掃除機。
目を見張るべきは、それで一つ残らず落ち葉を回収できていることだった。外見は雑に見えるが、適当にやってるわけではないらしい。
「すげーなアイツ。その元気はどっから出てくんだよ」
窓の縁に手をかけ、体重を乗せるテンがそんなことを呟いた。彼のことを見る瞳には疑問符が映し出され、頭の中には純粋な疑問が浮かび上がる。
彼だって自分と同じような健康状態だったのに、こうも差が出るものなのかと。
もし仮にハヤトのような動きを要求されれば全力で首を横に振るであろう自分とは反対に、ハヤトは気合十分でそれを継続するばかり。
流石ハヤトというべきか、素材の違いが出た。肉体面に関しては彼の方が上手だ。
「っつーか。落ち葉拾いってラムの仕事じゃ…」
不意に過る記憶がハヤトの苦労をテンに理解させた。基本的に落ち葉拾いは単純作業以外を好まないラムが担当、しかしその作業をハヤトがしているということは彼が彼女に押し付けられたことに他ならない。
ただそれだけでそうだと決めるのは早い。そう言われるもしれないが、ラムの性格上、「朝に身体を解してあげたんだから」とか言って適当に押し付けた絵面が簡単に思い浮かんでしかたない。
なにせ、普段からなにかと仕事を押し付けてくるのだから。口実があればラムは確実に動く。もちろんハヤトに限った話ではなく、できればその行動力を仕事の熱に回してくれると願うばかり。
と、
「何をしているの、テンテン」
来たか、鬼先輩。と心の中でぼやくテンが横から掛けられた声に顔を向ければ、話題の中心人物であるラムがいた。噂をすれば影がさすとは、まさにこの事。
せめて仕事を押し付けたのだから、ハヤトの仕事ぶりを見届ける事くらいはしてあげてほしいところだが。
「何してるのって。特に何も無いけど、強いて言うなら次の仕事場に向かおうとしてたところだよ」
「だったらいつまでも油を売ってないで仕事をしなさい。ラムとレム、ついでに脳筋ばかり働かせて恥ずかしくないの?」
「仕事を押し付けた相手をついで扱いするかよ。ハヤト泣くぞ。見ろ、あの気合いの声を上げながら庭園を走り回ってる姿」
隣に並んだラムに窓の外を指差すテンがその先にいるハヤトのことを見た。依然として彼は豆粒程度にしか見えない距離感でも聞こえてくる声で落ち葉拾いをしている。労働者の鏡だ。
準ずるように視線を向けるラムは「えぇ、そうね」と繋げて、
「脳筋は扱い易くて助かるわ、口実ひとつあれば仕事を引き受けてくれるもの。ただ、あの狂騒だけは一生慣れる気がしないけど」
「慣れる方がすごいよ。俺だって最近になってようやく慣れてきたんだから」
「鼓膜がおかしくなったのね。かわいそうに」
「ぶっとばすぞ」
可哀想な人を見る目で軽快に毒舌を投擲したラム。彼女のそれを右から左へと受け流すテンは間に受けない。ここまでくれば、彼女の口癖とまで言えるそれに対して大袈裟な反応をしないテンだ。
そも、口癖が毒舌とは。テン自身が言えたことではないが、ラムも相当個性的な人間。口を開けば辛辣な言葉が出てくる彼女の性格は、一体どんな環境で育てばそうなるのか気になるところ。
尤も、慣れてしまえば問題は無い。
「因みに、テンテンの場合はラムの口実がなくても働く人形のような使用人よ。いえ、それだと使用人に失礼ね。ーー雑用係よ」
「人形ってところは訂正しないのね。断るときは断るけど、手が空いてる時は断る理由もないし。せめて優しい人間って思ってくれない? 人の温情を雑用係で片付けないでよ」
勝手につけられていた肩書きにガクンとテンは肩を落とす。ラムに仕事を押し付けられた時、手が空いてるならば断らないスタンスをまさかそんな風に捉えられてるとは予想外だった。
ここ最近は仕事にも馴染み始め、余裕のできるテンはその隙に小休憩を挟んだりしてるが。それを知っているからか、あるいは偶然か、ラムはテンに仕事を押し付けることが多い。
恐らく前者が妥当。テンも断る理由がないから小休憩分の時間を彼女の分に回していたりと、中々に忙しい毎日だ。それを「雑用係」などと。辛辣にも程がある。
ならば。ならばとテンは「ふん」と鼻を鳴らし、
「なら、そーゆーラムは何してんのさ」
「見ればわかるでしょう」
「分からないから聞いてるだけど」
「屋敷に異常がないが見張っているのよ」
またか、とテンは心の中でため息。なにかと理由をつけては男二人に仕事を押し付け、その空いた時間は屋敷の中を徘徊もとい見回り。もっと他にやることあるだろうと思う。
こんなに広い屋敷。見回りなどしている時間があれば「はたらけー!」と言いたいテンだ。言ったとしても「ハッ」と軽くあしらわれるだろうが。
「またそれか…。それって何もしてない言い訳に聞こえてくるのは気のせいかな」
「ハッ! テンテンの分際で、ラムの仕事にケチをつけようと言うの?」
「誰もそんなこと言ってないじゃん」
窓にかけていた手を離すテンが顔を引き攣らせた。予想通りの答えがラムから返ってきて呆れる通り越して感心する。ここまで態度が一貫してると自分が間違ってるのかと勘違いしそうになった。
そういう意味ではラムはハヤトと類似する面を持ち合わせてると言えるか。常日頃から自信満々な態度を一貫する二人、自然と雰囲気もそれに包まれて行動にも現れると。
尤も、ラムにそんなことを言ったら何を言われるか分かったものじゃない。口は災いの元、いちいち口喧しい彼女には何も言わない方が面倒事を避けれる。
そう判断したテンはその場で回れ右。ラムに背を向けると「じゃっ」と短く言葉を発し、
「俺も自分の仕事をするよ。あまり休んでると今日の分が終わらないしさ。体も痛ぇし、面倒なことに次は風呂掃除だし」
「そうしなさい」
背中にかけられる言葉に手を振るテンはその場から歩き出す。事実、どこぞの気合バカと違って脆い体だからまだ痛むのに重ねて、まだ仕事は山のように残っている。早め早めの行動を意識しないと睡眠時間が危うい。
最終手段としてレムの名前を呼ぶのも一つの手だが。テン自身が申し訳なさに押し潰されそうになるから却下。自分の仕事は、自分で終わらせる。
「レムに手伝ってもらうわけにもいかないよね」
「当然ね。ラムの妹に自分の仕事を押し付けるなんて、使用人……いえ。それ以前に人としてどうかしてるわ」
「特大ブーメランってことに気付いてる? てか、なんでついてきたし」
呟いた言葉に反応されたテン。彼が隣を見れば背を向けて離れたはずのラムが並んでいた。どうしてかと聞けばラムは「別に」と退屈そうな声色。
「浴場に溺死した死体が浮かび上がるのは遠慮したいから、見回りついでに見てあげることにしただけよ」
「感謝しなさい」と、ドヤ顔を向けてくるラム。単に仕事をサボりたいだけなのではと思ってしまう場面。
しかしこの時、テンは不意に僅かな動揺と言い表しようのない安心感を感じていた。
どうして今、こんなことが心に伝わってきたのか。きっとラムのドヤ顔と朝に見たレムのやる気満々の顔があまりにも似すぎていたからだろう。双子だから当然だが、それ以外にも。
素振りも口ぶりも、なにもかもが違うくせに、やはり彼女たちは姉妹なのだ。伝えられる感情、その思いやりの質が同質であることにテンは自覚させられる。
たった一つでだ。否、たった一つで、だ。
「ーーーー。ありがとう」
「どういたしまして。体力も戻ってないのに、無理を続けると倒れてラムに迷惑をかけるもの」
「お前、ほんとブレないよな。尊敬するよ」
隣のラムが相変わらずの毒舌の返し方をしてくることにテンは困ったように声を呟く。その表情は本心から困っているようには見えず、どこか安心したような朗らかなもので。
口から溢れた感謝の気持ち。それに対する応えは毒舌の他にないもの。しかし、それがラムという人が見せてくれた温情の形だと思えば不思議と今だけは温かく感じたテンだった。
▲▽▲▽▲▽▲
「っだぁぁぁ、つかれたー」
「ふぇぇ」
ちゃぽん。という音と一緒に湯船に肩まで浸かるテンとハヤト。ごく偶に重なる二人一緒の入浴である。初めこそは修学旅行気分で入っていたものの、今となってはそれが普通。特に抱く感情はない。
それに、風呂に入るとその日の疲れがどっと押し寄せてくるためそんな感情は抱かなくなっていた。中間試験の反動も出ていることを加味するならば二人が疲れてることは言うまでもない。
「あーー」
湯船に浸かり、脱力。この時だけは意識せずとも長い吐息が口から漏れる二人。人間は落ち着いた環境にいると息を吐くことが多いが、これもその類。風呂に入っては繰り返される光景だった。
「で、中間試験明けの仕事はどうだったよ」
「キツいな。だが、このぐらい楽勝だぜ」
二の腕あたりを揉み解すハヤトが問いかけたテンに頷き、頷かれたテンは知っていたかのように微笑した。あの戦闘の翌日だというのに、この男は依然として健在。やはりハヤトはハヤトだった。
かく故、テンもそこそこは動ける。ハヤトみたいに庭園を走り回れるわけではないが少なくとも、仕事ができる程度には。
つまり、何が言いたいかと。
「疲れた」
「同じく」
感情の共有をする二人が同タイミングで吐息。足を伸ばして顔以外の全てを湯の中に沈めるハヤトと、首の力を抜いたせいで額に乗せていた冷水タオルがお湯の中に落下したテン。
ぽすん、と水分を含んだ布が落ちる音が浴室に反響し。二人はそれを境に暫く沈黙した。
穏やかな空間の中で穏やかに湯船に浸かる。隣を見れば親友兼相棒となる存在がいて、ハヤトが微笑みかければ、テンが気味悪そうに、そして不思議そうに首を傾ける。
それは平和そのもの。完全にリラックスしている二人は一日の疲れが湯船に流されていくような心地よさを感じ、沈黙を続けていれば次第に瞼が閉じてくる。
「…なんかよ」
ふと、ハヤトが沈黙を破って声を発した。危うく眠りかけていたテンは彼の声に落ちかけていた意識を引き戻される。「ん?」と視線を向けぬままハヤトに声だけ返せば、
「なんかよ。もっと刺激がほしいもんだよな」
「なに言ってんの?」
拳を軽く握りしめ、退屈げに呟くハヤトにテンが瞬時に言葉を叩き込んだ。やけに低く感じる地声でそれを言われればハヤトは苦笑するしかない。
心の中で思っていたことを少し言っただけで割とガチトーンで返されたハヤト。首を傾けて視線を向ければ、そこには本気で困惑顔のテンがいて。
しかし。彼の答えはなんとなく予想がついていたハヤトは「なんかよ」と言葉を繋げ、
「日常はもういいんだよ。もっとこう、なんか、昨日みたいな死闘をしたい。これまで鍛錬ばっかで対人戦も対魔獣戦もしてこなかったからよ。非日常を経験したいというかなんというか。ーー分かるよな?」
「分からんわ」
熱心に語るが、ハヤトの言葉はテンの心には届かない。刺激を求めるハヤトと違ってテンは極力安泰を求める人間。もはや、騎士となる道を歩み始めた時点でそれも不可能な気もするが。
とにかく。テンは性格上、思考回路がハヤトのように『ガンガンいこうぜ』ではなく『いのちだいじに』寄りのため非日常は望まない。
平和、安寧、安泰がテンのモットーだ。
「俺はそうは思わないかなぁ。いつも通りでいいんだよ。いつも通りがいいんだよ。その方が強くなれるんなら話は変わってくるけど、それ以外では戦いはしたくない、かなぁ」
「と、エミリアの前で騎士になる宣言をした男が申しております。お前よ、少しは戦いの意欲を表に出した方が良いと思うぜ? まずは心持ちから変えねぇと話にならねぇだろ」
「そうねぇ。でも、俺は今はいいかな。中間試験で自分の課題が浮き出てきたから、今はそれと向き合いたい。それに新しい力を身につけることができるかもしれないし」
「新しい力……?」
対極に位置する二人の間に意見の対立が生まれ、そこから討論会が開かれるーー。かと思いきや。テンの口から「新しい力」と発せられたことに興味を示したハヤトが食いついた。
「なんだそりゃ?」と聞いてくるハヤトにテンは楽しげに頬を釣り上げる。額に置いた冷水タオルを冷水の入った桶に投げ入れる彼は人差し指でハヤトを指差すと、
「お前のアクラみたいな力を俺も使えるかもしれないってお話し」
「アクラ……? もしかして、昨日話した身体能力強化の理由が分かったのか?」
「ロズワールに聞いたら、ね。有力な情報を教えられたんですよ」
「ほぅ」と意味深に息をこぼすハヤト。その瞬間から彼の瞳の奥に赤色の炎が淡く揺らめいているのは気のせいだと思いたいテン。あの瞳はライバル視している予感がした彼は顔を引き攣らせた。
しかし、口に出してしまったものはしょうがないと「あのね」と言いづらそうに口を開き、
「なんか流法って名前の戦闘技法があって。それはマナを魔法とは別の用途で利用する技術らしいんだよね。防御、攻撃。あらゆる動作にマナによる力を加えることで一時的に強化することができる」
「あーー。簡単に言うと?」
「マナを使った身体能力強化」
「なるほど」
相変わらずその辺は浅いハヤトが手の平に拳を打ち付けるのを横目に、細かく説明した自分がバカだったと苦笑いすることになったテン。前々からハヤトは専門的な話になると、途端にポンコツになるのが少し不安なところ。
要約された説明に理解がいったとばかりに頷くハヤトは「ならよ!」と興奮気味に声を弾ませた。
「お前もこれで俺と同じように動けるようになれるってことだよな? つまり、俺とお前で戦えばもっと力がつくってことだよな!?」
「人の話を最後まで聞けや。文脈が通ってないしそもそも力をつけれるかも怪しいんだよ」
途端にうるさくなったハヤトの頭を物理的に押さえつけるテンが進軍してくる彼の体を湯船に押し戻した。予想外の答えに頭の上に疑問符を複数個浮かべるハヤトは首をかしげるばかりだ。
何をどう解釈すれば今の答えが導き出されるのか聞きたいところだが。そろそろのぼせてきたテンは「あのな」と食い気味に言葉を発し、
「流法ってのは鍛錬の量だけが物を言う。使いこなすには血の滲むような努力が必要不可欠なんだよ。だから習得できるかーー」
「ならお前は、これから血の滲むような努力をするんだろ? やるべきことをやる。今までだってそうだったじゃねぇか。だったら関係ねぇよ。早く習得して俺と戦おうぜ!」
当然のように言われた言葉にテンは動かしていた口を止める。全く予想もしていなかったことに彼は精神的に押し黙らされた。しかし、ハヤトはその反応に「どうした?」と不思議がるばかり。
当然だ。だって当然のことを自分は言っただけなのだから。血の滲むような努力が必要ならテンは努力するはずだし、習得が困難でもテンならば絶対に身に付けると信じている。
これまでもそうだったのだから。やることは変わらない。やるべきことをやる、それだけだ。
「…そうか。お前はそういう奴だったな」
動きを止めていたテンがそう言って口角を釣り上げて笑う。それは感情の奮起、その一端が思わず口からこぼれてしまったかのようなもので。
血の滲むような努力が必要。そう言われてたじろいでないわけではなかった。自分にそのようなことができるのかと。けど、ハヤトに言葉のいらない信頼を向けられたテンはその気持ちが一気に吹き飛んでいった。
そんな真っ直ぐな信頼を向けられてしまえば、応えないわけにもいかない。彼の信頼に自分は形として返す必要があるのだ。
悩んでいた自分に呆れるテンは顔に手を当て、それらを振り払うように首を横に振った。行動の意味が分からないハヤトは先ほどから不思議そうに視線を送ってくるが、
「ハヤト。俺はこれから流法を身につけるために血の滲むような努力をする。だからお前も俺が流法を身につけるまでに何か一つ、新しい何かを身につけろ」
「おうさ。もちろん、そうするつもりだぜ」
湯船から勢いよく立ち上がり、テンは力強い眼差しをハヤトに送る。
なんの心変わりか、少なとも良い方向に心境の変化があったに違いないと彼の反応をみて思うハヤトも準ずるように立ち上がった。
そうして二人して顔を合わせれば自然と拳を合わせていた。幾度となく合わせ、これからも何千回と合わせるであろう拳と拳。様々な意味合いを持つその行為。
今回は、互いの健闘を祈ったもので。
「俺の方が先に流法を身につけてやるよ」
「上等。なら、それよりも先に俺が何かを身につけてやるぜ」
グッと、押し当てた拳を握りしめた。
中間試験を終えて、二人はそれぞれの課題とひたむきに向き合っていく。これからは、ただその毎日が続くだけで。
けれど、その毎日が続くだけだったものが今この瞬間、変化したことは確かだった。
中間試験を終えた二人。ここからは鍛錬を中心としたお話を展開していくことになりそうです。その中に日常、恋愛などなどを。