気合い入れすぎました。長いです。
時は、テンが一方的に火球を撃ち込まれている時まで遡る。
「おいおい。やりすぎだろ……!」
その発言は屋敷内にて仕事中のハヤトの呟きであった。呟き、と言い表すには少しばかり大きすぎる部分もあるが彼的には呟きに入る声量だ。しかしその呟きは当然、本人達に届くわけもない。
窓にへばりつき、中庭にて行われる一方的な戦闘展開をハヤトは心底心配そうな様子で見守っていた。大まかに説明するとロズワールがテンのことを極限で追い込む、というもので。
たった今その様子を視野に入れたハヤトは、まさかロズワールはテンのことを殺す気なのではと思えてしまった。側から見ても彼のしている事はあまりにも残虐。
追い込むどころかそれ以上の被害を出すつもりだろうか。いや、流石に限度は弁えていると信じたいハヤト。彼は今にも飛び出しそうになる心を理性で必死に抑えていた。
「……ダメだ。これはアイツの試練だ。俺が手を出していいモンじゃねぇ」
正面で黒煙が上がる度に赤色の灼熱が連鎖し、中の人間がどうなっているか不明なのにも関わらず無慈悲に降り注がれる光景を見てハヤトが無関心でいられるわけがなかった。
その中にいるのが自分の親友ならば尚更。本当なら今すぐにでもロズワールの顔面を殴り飛ばしてやりたいところだ。けど、これはテンが成長するための試練、乗り越えなければならない壁。
今彼はそれと向き合っている。そこに自分が割って入るなど無粋だ。入ったとしても助けようとしたテンに止められる。「来るな!」と、そう言われるに決まっている。
けど、
「見てられるかよ、ちくしょう……!」
爆発が起こる度、轟音が窓を振動させる度、熱風が空いた窓の隙間から肌に当たる度にハヤトの足は駆け出しそうになってしまう。自然と拳を握りしめて自制していた。
分かっているとも。自分が入ることは彼を信頼していないことの裏返し、絶対にやれると信じて疑わない信頼関係に罅を入れる行為だと。そんなこと理解している。
しかし、あんな無慈悲な攻撃をされ続けている親友を前に一体誰が無関心でいれようか。虐待とも言い換えられるそれを前に無視できるほどハヤトは情に薄い人間ではない。
ーー行くか、ダメだ、行くか! ダメだ!!
心の中で葛藤が生まれ、握りしめた拳から皮膚が指に抉られるような異様な音が聞こえる。二つの意見の狭間で自制する彼は知らず知らずのうちに歯を食いしばっていた。
そんなに葛藤するなら見なければいいじゃないかと言われるかもしれない。が、知っている以上ハヤトは目を離す事ができなかった。
「激しい音が聞こえたから来てみれば、アレは一体どういう事か説明してちょうだい」
「ロズワール様は何をしているのでしょうか? もしや、ロズワール様に仇なす不届き者を直接撃退しているとか」
そんな時だ。
ハヤトの耳に入ってきた二つの声、聞き間違えることのないレムとラム。二人がハヤトの隣へとやってきて中庭にて行われる異様な光景に目を細めていた。
今初めてその光景を見た二人からすれば、何もないと思われるところにロズワールが火球を連続して撃ち込んでいるように見えるそれ。
もし、レムの予想が正しいならば。本来はレムとラムの出番ということになるが。時すでに遅し、ロズワール直々に相手をしていると判断した二人は特に焦る様子もない。
そこに、ハヤトの状況説明が入らなければ。
「……テンだ」
「は?」
ハヤトの口から溢れ出た名前にどうしてその名が出てくるのかと腑抜けた声を漏らしたラムが首を傾げる。レムも同様に意味が理解できない様子。
このままでは言葉足らずな説明に指摘が入るが。ハヤトは早口で続け、
「撃ち込まれてるのはテンだよ」
感情を押し殺すハヤトの声色に嘘偽りはないと根拠もなく理解したレムとラム。二人は凝視するように窓の外へと目を凝らす。しかし、黒煙のせいで中にいるであろうテンの姿は見えない。
チラと二人の様子をハヤトが見れば、状況に理解がいかないのか珍しく顔を顰めるラムと「そんな…」と声を溢しては心配一色に顔色を染めるレムのことが視界に入った。
説明が追求されると思ったハヤトは視線を窓の外へと戻し、
「アイツは今、流法を自分の物にするための鍛錬中だ。流法を使ったのは極限まで追い詰められた時だからって、同じ状況を作り出せばまたやれると思ってよ」
「ロズワール様の手を煩わせてまでやることではないと思うけど。それにラムには鍛錬というより無礼を働いたテンテンへのしつけにしか見えないわね」
「お前の中のしつけハードすぎるだろ。しつけ通り越して虐待だわ」
相変わらずのラムを受け流すハヤトが苦笑するように息をこぼした。どんな時でもいつも通りの彼女にはある意味で尊敬しかないが、確かに彼女の言うことが最もだ。
アレは鍛錬ではない、一方的な虐待だ。しつけで済むならマシだと思う。中のテンの状態がどうなってるか分からない以上、なんとも言えないが明らかにやりすぎ感がある。
「つか、あれはロズワールが始めたことだぜ。元はもう一回魔獣の森に行く予定だったが、アイツが自分が相手をするって言ったんだよ。正直な話、ツッコミどころ満載だと思うけどよ」
「アイツ。ではなくロズワール様とお呼びなさい。高々脳筋如き、お名前を呼ぶことすら非礼に値するというのに」
「ツッコむところそこじゃないと思うけどなぁ」
補足したことに対して全く別の方向から指摘を受けたハヤト。彼に睨みを効かせるラムは本当にそう思ってるらしい。「分かったよ」と適当に流した。
それでラムも許したのか言葉を重ねてくる様子はなく、彼女は視線を窓の外。未だに続く無慈悲な光景に向けた。思うところはあるのか、少しばかり目を細めている。
「…それで? 脳筋と違ってテンテンの事だから、流法が成功する算段はあるんでしょうね」
「どういう事だコラ。……さぁな、珍しく行き当たりばったり感があったから。アイツ、結構追い詰められられてたし、希望に縋り付いてる雰囲気はした」
自分と違って頭で考えて動くタイプの人間。という意味合いのそれに軽く噛み付いたハヤトだが、実のところ成功するかしないかは彼にも分からない。
案を言い出した時は嬉しそうな様子にばかり目がいったが。改めて思い出すと、その裏側に縋り付くような必死さがあったことに気づいたハヤト。あの時の彼はどこか見出した希望に縋り付くような雰囲気があった。
流石に何も考えないわけではないだろうが、それを見てしまうと突発的に動いたのかと思えてくる。
つまりは、
「やれることを必死にやってる。今のアイツの中にあるのはそれだけだろうよ。考えがあるなしに関わらず、思いついたら実践みたいにな。誰にも手助けをもらえない以上、とにかくやってみるしかないだろうし」
ロズワールですら流法については常識並みの知識しか持ち合わせておらず、手助けは無い。なら思いついた事をとにかく実践。手当たり次第にやれることに手を伸ばして試行錯誤するしかない。
その結果が今。やれることを全部やって、最後の最後にベアトリスの手を借りて辿り着いたこと。手詰まり、行き詰まり、打つ手なしのテンからすれば藁にも縋る思いのはずだ。
だから考えがあるとかないとか、今の彼には恐らく関係ない。やれることをやる。頭の中にあるのはそれだけで。
「……必死なんだろうよ。多分な」
そう言って口を閉じるハヤトは腕を組む。自分で語ってて彼の必死度合いをなんとなく理解した彼は手を出す事を禁じた。これは彼の戦い、自分が踏み込んでいい領域ではないと。
ラムも「そう」とだけ返して言葉を切る。「ロズワール様のーー」みたいなことを言わないところから察するに彼女も分かってくれたのだろうか。
レムは無言のまま、先ほどからずっと火球の撃ち込まれる先を心配そうに見つめている。彼のことを分かっていながらも心配してしまう彼女は込み上げてくる感情を飲み込んだ。
ーーいや。
テンのことを真に理解してる人間などこの中には一人もいない。全部分かったように語るハヤトも、様子の変わらないラムも、心配するレムも。テンのことを理解できるのはテンだけだ。
と、
「ーーうおっ!?」
不意に生じた衝撃波に近い暴風。嵐のような勢いで窓が揺れた衝撃にハヤトが思わず声を上げ、レムとラムが顔を顰める。
開いた窓の隙間からとてつもない量の風が入り込んであわやレムとラムのスカートが捲れる寸前、ハヤトの顔面にラムの裏拳が薙ぎ払われて撃沈。衝撃部を押さえてハヤトは痛みに転がり回った。
中々に大規模なそれ。ハヤト達がいる場所から何百メートルも離れているにも関わらず、暴風は三人のいる場所に影響を与えていた。ガタガタと揺れる窓は下手をすれば外れてしまいそうな勢いだ。
数秒もすればそれらは収まり、ハヤトの痛みもまた収まった。
「いってぇな!? ラム、何しやがる!?」
「ーー? ラムは何も間違った事はしてないと思うけど」
「いや、間違ってはねぇ。うんうん、お前のやった事は女子として当然の行動だが。お前の場合、裏拳ってなんだよ!? 普通に痛かったわ!」
突然の攻撃に反応しきれなかったハヤトが勢いよく立ち上がって抗議の声を上げた。鼻頭を赤くする彼はそれなりに痛かったのだろう、若干の目に涙が浮かんでいる。
ラムの反応といえば「何言ってんだコイツ」みたいな薄い反応。至極真っ当なことをしたと彼女は清々しそうに笑っていた。できれば、スカートを押さえるとかもう少し可愛げのある方法で対処してほしかった。
そのまま下らない言い合いをーー、
「姉様、ハヤト君。見てください!」
しようとしたが。二人の間にレムの声が通り抜けて強制的に中断。この口喧嘩の結末は追々やるとして窓の外に顔を向ける二人はその光景を見た。
広がるのは天空でロズワールが放っていた火球が次々と大爆発を起こしている壮観なもの。乱雑にばら撒かれたそれらは一つ一つが灼熱の暴風を伴って弾け飛び、青色の空を瞬く間に赤色に染め上げていく。
その下、テンが立っていた。遠目でしか確認できないが二本の脚で直立している。アレを受けてもなお意識を保っていられる彼の頑丈さに目を見張るハヤト達だが、それよりも数秒後に展開された数十もの火球。
明らかな戦闘意思を思わせるそれはテンの背後に一瞬にして現出。自分よりも魔法の上達が早いのは知っていたが、あそこまで完成度の高いものを扱えるとは。
「流石だな。俺が心配するまでもねぇか」
嬉しそうに「ふっ」と息をこぼしたハヤトはそう言って二人に背を向けてその場から去っていく。彼の様子を見て自分の心配は無用だと感覚的に理解した。信じるも何もない、彼はやる時はやる男なのだから。
「見なくていいの?」
「あぁ、アイツは大丈夫だよ」
一言。背中にかけられたラムの問いかけにそう返したハヤトは軽く手を上げた。覚醒イベントを見たい気がしなくもないが、残念なことに彼の仕事を引き受けたハヤトには仕事が山積み。
それに見る必要もなくなった。ロズワールに魔法で勝負する根性があるなら何が来ても大丈夫。彼は必ず乗り越えてくれる。自分のできる事は待つことだけだ。
「……頑張れよ」
窓の見える範囲から消える寸前、最後にテンのことを一眼見たハヤトは届くわけもない応援の言葉をかける。偶然か、そう言った直後、テンがロズワールへと突撃していった。
ーー聞こえたのだろうか? いや、そんなわけない。
笑うハヤトは首を横に振って視界から窓を外して場から完全に離れていった。
「ロズワールはテンに何をしているのーーッ!?」
「鍛錬です」
「でも、あんなのすごーくやりすぎーー」
「鍛錬です」
「そんなのおかしいわよ、ラムーー」
「鍛錬です」
背後で交わされるやりとりを耳に挟みながら。
▲▽▲▽▲▽▲
ロズワールの正面から突貫していく四十の火球。当たれば火傷では済まされない魔法、それは意識を一点に集中させたテンが成したこれまでの成果と言ってもいい完成度を誇っていた。
続くようにして肉弾するのはテン。ハヤトのように身体能力の強化無しの生身の体で、彼は無謀にもロズワールへと突撃していく。
対するロズワールは両手を天空へと掲げ、白銀の煌めきを生じさせる。眩いそれを前にした時、テンは不意に肌の温度が下がるような感覚がした。否、実際に気温が下がっている。
火のマナを利用したヒューマ系統の魔法の予兆。水のマナではなく、大気の温度を下げて魔法を展開するつもりならテンのやる事は決まった。
「……ふむ」
考えるように目を細めるロズワール、その原因は火球の弾道が変化した事だ。正面からだけのはずが左右に弧を描くようにして展開し左右と背後、さらに真上と包囲された。
律儀に十個ずつ分けるあたり、彼の性格が浮き出ている。重ねるように残った真正面からはテンが特攻、魔法からの自分と緩急をつけた攻撃だ。
火球を防がれることを前提とした先読みの展開に明らかな変化を感じつつ、しかしロズワールは不敵に口元を歪ませて笑い、
「ウル・ヒューマ」
詠唱の直後、掲げた白銀が煌めきを増し。押し広げるようにして世界を埋め尽くしていく。白銀、白銀がロズワールを中心にドーム状に広がり取り囲んでいた全てを迎撃。
恐るべきことに白銀の領域へと火球が足を踏み入れた途端、それらは一瞬にして消えた。鎮火、というよりも存在そのものを消されたかのように刹那で消滅させられた。
なんてことか。一つくらいはーーとか思った自分がバカだったと吹き飛ばされながらテンは思う。原理としてはおそらく冷却。あの白銀の領域は絶対零度に等しい気温、術者を除いて中の物は全て凍らされる。単純だがどれだけ恐ろしいことか。
これが火のマナの活用方法。温度を上げて火を作り出すのではなく、温度を下げて白銀の世界を作り出す。かなり前にエミリアによってその力を肌で体感させられたが、これはその時とは比にならない。
「考えことかい?」
「くーーっ!」
体制を立て直すと同時に叩きつけられた踵落としを身を横に投げて回避。追撃として突き抜けた長い右腕を咄嗟に受け止めるが、勢いは貫通して後方へとぶっ飛ぶ。
余計な事を考えてる暇はない。火のマナの応用はまた今度考えるとして、今は応戦することだけに意識を回した。そうでなければまた一方的な戦闘が始まる。もしまたあのような事があればきっと終わる。
踵に力を込めて踏ん張る。どうにか体制だけは崩さなかったテンは腕に痺れるような痛みが残る感覚を視野から捨て去り、ロズワールの次なる攻撃に切り替えた。
「フーラ」
刹那、突風が周囲の芝生を激しく揺らし、テンの前髪にその余波を叩きつける。突然の暴風に目を細めた直後、
「あぐ……っ!」
頬を鋭い痛みが突き刺し、テンは思わず掌で顔を覆う。触れた掌にじっとりと感じるのは、開いたばかりの傷口から滴る出血の感触だ。反応した時には遅く、詠唱からほぼノータイムで風刃に皮膚を切り裂かれた。
今までのとは違う、傷跡が血液として現れた感傷を瞬きの間に振り払うテンは反撃として「アル・ヒューマ」を詠唱。動揺はしない。半殺しになるのだから、身体を切り裂かれるなど知れたこと。
すさまじい勢いで収束するマナの渦から瞬間的に構築されたのは鋭い先端を覗かせる長大な氷の槍だ。十メートル級の凍てつく凶器が、その鋭い穂先をロズワールへ向けている。
これほど規模の大きな魔法を短い時間で構築するのは彼の豊かな創造力が故か。それとも質の良いゲートが故か。何にしても無抵抗で当たるには大きすぎる。
「ーーしっ!」
テンが駆け出したのと槍が撃ち出されたのはほぼ同時。ぐんぐんと加速し、全て突き破る勢いで迫る氷の殺意ーーだが、それは加速を得るための距離が皆無に等しいこと、発射の瞬間を見られていた失策により呆気なく回避される。
両者の距離感は十メートルにも満たず、加速するには短すぎる。軽やかに身を回したロズワールは軽々と回避。真横をそれが通り抜けていき、
「らぁ!」
「おや……?」
自身の腹部にテンの腕が突き刺さるのをロズワールは目を見開いて凝視した。ハヤトほどではないにしてもそれなりに重みのある一撃よりも、あたかも飛んできたように接近した彼の起動力にだ。
おかしい。生身の人間ができる動きではなく、正しく強化したそれに等しい。
「ウル・フーラ!」
刹那の停滞。予測外の反撃に思考の乱れを許したロズワールからテンが攻撃の主導権を初めて奪い取った直後、突き刺さった手の平を起点に発動した暴風。
発勁を彷彿とさせるそれが肉体を貫通して長身を後方へと撃ち出した。
「エル・ヒューマ!」
吹き飛ぶ長身を追撃するのは三十もの氷柱。腕程度のそれは相手に隙を与えさせないとばかりに鋭い弾道で突貫、今度こそ正面から一直線に突き進んでいく。
立て続けに襲いくる反撃、しかしロズワールとて宮廷筆頭魔導師。この程度の被弾など被弾のうちに入らない。
宙で身を回す彼は着地と同時にバク宙、衝撃を回転に散らして体制を崩さずに足裏を地に合わせる。
「このくらいでは、ね」
聞こえた詠唱から予測した魔法への迎撃として展開したのは青い炎。腕の一振りでそれを薙ぎ払う。右腕の軌道をなぞるようにして放出されたそれは氷柱と接触した直後に火力を四方八方へと撒き散らす。
「んんー、惜しいっ」
追撃として音もなく接近した風の暗殺者、不可視の刃を軽めの跳躍で容易く回避。青の豪炎で両者の視界が分断された中でも彼は確実に被弾を防いだ。
当然だ。魔導の名門メイザース家の当主にして、六大全ての属性に精通する稀代の魔法使い。ロズワール・L・メイザースにとって、他者の操るマナを見切ることなど児戯に等しい。
見えない刃と称した風の魔法も、ロズワールからすれば闇夜の中で火矢を放つのと同じぐらいに見通すことができる。
魔法だけならば、の話だが。
「るぁぁあ!!」
ロズワールの耳に飛び込んできたのは猛々しく吠え猛るテンの声。彼が咆哮するとは珍しい一面を見たものだと不本意にも思ったが、彼は炎の壁を突如として突き破ってきたテンに目を細める。
それ以上に、その方法に意識が持っていかれた。それは予想だにしない接近方法で。しかし彼ならば躊躇もなく選択するような無謀なーー、
「無茶するねぇ、君は!」
一歩間違えれば加速に振り回されて負傷しかねない無茶な方法を前にしたロズワールは納得がいくように声を上げ、前への推進力を活かして殴りかかったテンの右手を受け止める。
尚も前に進む力が働き、勢いに任せて浮いた体のまま両足をテンが蹴り上げるが。その前に掴まれた腕を振り回されて地面に叩きつけられた。
背部から全身にかけて電撃のように衝撃が走り、肺にあった酸素を全て吐き出すテンは、しかしロズワールを睨み続ける。一瞬たりとも双眼から彼の姿が消える事はない。更に、口元が詠唱の予備動作を始めている。
その事実に恐ろしいものをロズワールは感じ取る。自身の置かれた状況よりも相手へと向ける殺意を優先し、次なる行動に頭を回し続けるなど。末恐ろしいものだ。
「ウル・フーー」
「けど、殺意だけでは私には届かないよ」
詠唱を遮る打撃がテンの腹部に捩じ込まれ、無くなった酸素が無くなっていく歪な感覚に身を呑まれる彼は喉から掠れた呻き声を溢した。捩じ込まれたのは細長い脚、そのつま先。
内臓を上から圧迫する激痛。肺に酸素が不足しているため声を上げることすら叶わない。酸素を欲して肺が必死に喘ぐも、重ねるように降り注いだ踵落としに沈黙。想像を絶する暴力に肺が呼吸を忘れた。
思うように身体が動かず、詠唱すら不可能なテンに迎撃と回避の二文字は無い。続け様の蹴り上げに浮遊感を感じれば、決して軽くない身体が容易く蹴り飛ばされ、視界が空色一色に染まる。
酸素、酸素が欲しい。息を吸わなければと喉を開けるテンはなんとか一声分の酸素を補給。肺の渇きが潤った感覚に気持ちを切り替え。
ふと、空間に歪みがーー、
「いがぁぁ!?」
耳元をヒュンという風を切るような音が通り過ぎたとき、自分の皮膚が無差別に切り裂かれていく痛みが刻まれた。視界が真っ赤に染まり、至る所から赤色の雫が溢れる。
致命傷を避けた正確無慈悲な不可視の刃。半殺しで済むならば何でもやるとでも語るように次から次へと皮膚が裂けていく。空中という身動きのできない空間で防ぐ手立てはない。
そのまま落下すれば待ち受けるロズワールの回し蹴りが尋常ではない速度で脇腹に薙ぎ払われ、血を撒き散らしながら地面と並行に吹き飛んだ。暫くして地面と接し、全身を強打され続けるような痛みが痛覚に傾れ込む。
骨が折れてないのか奇跡か、或いは折れたが感覚が麻痺したせいで気付いてないか。結果として蹴りの威力が収まり、震える身体を立ち上がらせると、骨が折れた様子はない。加護のおかげだろうか。
痛む箇所はある。けれど、そこまでではない。我慢すれば動ける。裂傷は無視した。この程度今に始まった事ではない。
「や、ばいかも」
薄くなり始めた意識を手繰り寄せるテンが掠れる声で一言、己の状態を把握した彼は不意に笑う。戦闘時間にして僅か五分、しかし満身創痍になりつつある事実に心底震えた。
百歩譲って痛みは度外視できる。が、身体が重たい。ロズワールの攻撃を受ける度に身体が壊れていくのか、手足の震えが一向に治らない。付けられた傷は身体を見れば見ただけ発見できた。
あの時に近い状態か。ならあとは、
「アル・ゴーア」
「ーーーっ!」
考えていた矢先、詠唱の声が聞こえると同時に特大の火球が現出。自分の体を飲み込んでしまいそうなそれは、まるで一つの太陽。離れているにも関わらず皮膚が焼かれるのは核となる熱源が尋常ではない熱量を宿しているからだ。
近づくことすら許容できない、当たれば間違えなく皮膚を溶かされて死ぬ魔法。直撃寸前に真横への回避を行ったが姑息にも方向転換。追随する太陽がテンの存在を文字通りに消し炭にするべく追いかける。
対象を追尾する火球。数メートル先のそれに思考よりも先にテンは体と口を動かしていた。
「アルーー」
直撃数秒前の火球に手を突き出す、避けれないと判断した彼は無意識に迎撃を選択した。
想像するのは冷気。灼熱を打ち消すことのできる絶対零度よりも凍てつく冷気を。ロズワールがしていたならば人間がすることも原理としては可能なはず。アレを基準にするのもどうかと思うが、四の五の言ってる場合ではない。
やれるかやれないかではない、やるしかない。正直な話、やったこともない魔法を戦いで使用するなど自殺行為だが、それ以外思いつかない。
もっとマナを高めろ。全身にマナを巡らせてマナの回転を早く。ゲートからマナを取り出して魔法として形にするまでの時間をもっと短かく。
まだ足りない。マナの回転が遅い。相手は世界に通用する魔導師、生半可な魔法で迎え撃つなど不可能だ。
もっともっと速く、全身にマナを巡らせて、回転率を上げなければ相殺することなどーー高めろ、今よりももっと。この一撃を防ぐために己の全てを利用して全身全霊でこの一撃を、
「ーーヒューマぁ!!」
突き出した手の平から生じたのは雪を想像させる真っ白な輝き。彼の中心にマナが一挙に収束し、それらはたった一度の魔法に全て注ぎ込まれる。
側から見ても彼が成功させた魔法は並のマナの量では成されないと理解できた。その魔法は前方、数メートルを絶対零度の領域に閉じ込める。ロズワールがした事を一点に集中させた形だ。
「…ほぅ。これを受け止めるとはねぇ」
同じ最上級に当たる魔法である「アル」系統の魔法を使用したのにも関わらず。歯を食いしばる必死の様相のテンとは対照的に、ロズワールは鼻歌を歌いそうなほどに余裕の態度。
彼はテンの抵抗を少し離れたところから眺めていた。数分間にわたって彼のことを追い詰め続けたロズワールだが、まだ息すら切らしていない。唯一まともに受けた一撃の被害は無いに等しい。
しかし、本気で殺す魔法を放ったはずが今現在、テンになんとか防がれている事実に彼は密かに感心し、極限まで追い詰められながらも抗い続けるテンが普段以上の力を発揮していることを確認する彼はニヤリと笑った。
あと少し、あと少しだけ追い詰めれば彼の力は引き出される。そう思うと、不思議と昂るロズワール。
と、
「る、ぁぁぁーーッ!」
灼熱と絶対零度の結果は熱波が中庭に広がることで表れ、右手の若干焼け焦げたテンが鋭い軌道で吹っ飛んでくることで勝敗は決した。テンは手加減抜きの本気を真っ向から相殺し、主であるロズワールへと肉弾している。
普段の彼は何処へやら。おとなしさなどかなぐり捨てた様子は人格すら変わってるのではとさえ思わせる。けどそれでいい、それこそが極限まで追い詰められた証拠なのだから。
「ーーーー」
頭が沸騰するような気がした。身体が熱せられるような、高揚感が湧き上がってくるような感覚がした。重かった身体が軽くなるような違和感を感じた。
灼熱を防ぎきった時から、自分の身体が自分のものでないような。言い表しようのない歪な感覚を全身で感じ取っていた。
否、そんなことどうだっていいとばかりにテンはロズワールに意識を向ける。肉弾した彼は踏み込みから慣れた動作で右腕を突き出した。
当然、受け止められる。緩い動きから発揮される動作などロズワールには目を瞑っていても受けれるだろう。が、このときロズワールの瞳に明らかな動揺が浮かび上がる。
ーー好機
その隙を逃さんと既に開始していた次なる攻撃へと体を動かすテンは拘束される前に真横へと軽く跳躍。直後、ロズワールが視界に捉えたのは眼前僅か数センチに迫った複数の火球。
自分から魔法と、先程とは真逆の攻撃パターン。自分を目眩しに緩急をつけた魔法攻撃の初見殺し。咄嗟に腕を組んで防御の構えを取るロズワールはそれを正面から受けた。肉体と火球が接した途端、爆炎と共に彼は黒煙に飲み込まれる。
「これは、もしや」
「しゃ、らぁぁ!!」
聞こえてきた声に後退。黒煙の中から抜ければ追撃するテンが生身の人間とは思えない速度で接近しているのがロズワールの瞳に映った。
ふと、彼の頭の中に一つの可能性が過る。
先程受け止めた暴力の並ではない威力。今現在、突撃している速度。これらは生身の人間が発揮できるものではない。何かしら"持っている"人間によるもの。
つまりこれは流法、
「その予兆」
「ーー!」
ようやく顔を見せ始めた力の予兆に満足気に呟くロズワールだが、恐らくその声は今のテンには届いていない。今の彼はやれることを必死にやる全身全霊人間、恐らく自分の状態にすら気付いていない。
現に声にならない声を上げながら彼はロズワールに攻撃を仕掛け続けていた。魔法と自己流の体術とは言い難いその二つを緩急をつけながら叩き込んでいる。
魔法は上出来、体術はアマチュアと差が激しい攻撃展開。故にロズワールが隙を見つけることは容易だった。
「はぁい。少し頭を冷やしてねーぇ」
「うげぇ」
少々冷静さに欠けるテンの頭を冷やす一撃を肺部分に打ち込むロズワールが掌底を両手で放ち。数センチ身体が陥没したと錯覚したテンは喉が詰まるような息苦しさを感じてたまらず動きを中断、ロズワールの前に両膝をついて咳き込む。
出てきたのは血液だった。一度目は唾が出てきて二度目からは赤黒い液体が芝生を汚す。しかし、痛みで頭が冷えたか、言葉を失っていたテンは自分の中に冷静さが帰ってくる気配に浅い呼吸を繰り返した。
「……頃合いかなぁ」
瞳に理性が浮かび上がる様子を伺っていたロズワールがそんなことを呟けば、テンが「へぇ?」と疑問符を頭の上に浮かべている。
ついさっきまでの記憶が曖昧な彼は状況が理解できず。ただ、全身が熱せられる感覚だけが違和感に感じて。
それを察したか、或いは思惑通りか。ロズワールはチラとテンではない誰かを見ると不敵に口角を釣り上げ、両手の掌を上へ向ける。その掌にふいに、色とりどりの輝きが複数浮かび上がるのが見えた。
凝縮された魔法力が可視できる状態。それを眼前にすればロズワールが本気の本気で使用する魔法だとテンは理解した。赤と青、黄色に緑ーー四大元素の淡い光が浮かぶそれが、どれだけ規格外なのかまではわからずとも。
次第にそれは一つの個体として合成、四色に光る物体へと変化を遂げる。
「なにを……」
「君の中に眠る真の力を引き出すための最後の仕上げ、と言ったところかぁーな」
可視できる四色の魔力を高めるロズワールに対し、テンは戦慄するように声を潜める。興奮状態が収まって理性が返りつつある彼は自分の置かれた状況を把握し、ロズワールを睨むことしかできない。
無抵抗ながらの僅かな抵抗に面白いと言った具合で笑うロズワールは「ふっ」と鼻を鳴らし、
「テン君。私から言えることは一つだぁーけ」
右手を振り上げて魔法を放つ予備動作。来ると判断したテンは重くなった身体を咄嗟に立ち上がらせて後退しーー、
「本能の赴くがままに、だよ」
ロズワールらしからぬ発言の後、右手が振り下げられる動作を起点に魔法は放たれた。圧倒的な魔力の塊であるそれは、放たれた直後に衝撃波を生じさせるほど。
しかしこの時、テンは心底不思議に思った。事実として起こったことが理解できず、思わず「へ?」と変な声をこぼしてしまう。
なぜか、魔法は自分ではなく全く別の方向へと飛んでいったからだ。自分を追い込むためなら当然、自分に放ってくるはず。
外したとも考えずらい。仮にそうならば全く別の方向に飛んでいくわけがないだろう。
なら、一体ロズワールは何に向かって魔法を放ったのかとテンは豪速で進む魔法の先。その軌道上を視線でなぞり。
その瞳に映ったのはーー、
こちらを見ている青髪の少女。その存在。
レムだ。
▲▽▲▽▲▽▲
ーー動け
なぜ。とか、どうして。とか、そんなことなどこの際どうでもよかった。心に降りてきた命令のままに体は勝手に動いていた。特に考えたことはなく、ただ「動け」の一言だけで全身の機能はフル稼働していた。
不意に世界から音が消失し、次第に色までもが褪せていく。時間経過が曖昧になり何もかも全てが加速する思考だけを置き去りにしてゆっくりと時を刻んでいった。
ーー動け、動け。
彼女が回避する様子は伺えない自分が助けるしかない。ならどうする? 至らない部分しかない自分がどうやって彼女を助ける?
魔法に使えるマナはもう残ってない。アルとウルの魔法を連発しすぎたのか、器の中には一握り分のマナしかーー。なら、これを別の用途に活かしてなんとか庇うことだけでも。
ーー流法。
それしかない。魔法にすらならないならそれに全て回すしか方法はない。けど、どうすればいい。今まで一度も成功しなかったものをどうやって。
循環、ダメだ。循環だとマナが満遍なく行き渡るまでに時間がかかる。流れたままを維持するのも難易度が高い。そもそも、循環させられる量のマナは残っていない。
ーーじゃあどうすればいい?
循環がダメなら常に行き渡らせていたらいいのではないか。流れるはずだったマナが核を中心に全身に分散、一本の幹を中心に枝分かれするように常に同じ量の同じ分だけ均等に行き渡るような。
循環ではなく、分散。ゲートを中心に一本の幹を生やし、そこから枝分かれするように、全身にマナを広げて行くイメージ。全て均等に、平等に。それなら少ない量でもやれるはず。
途端、全身が熱せられるような感覚を明確に得た。それはあの時に感じていた身体が軽くなってくるような違和感そのものだ。
これだ。これこそが流法。その状態でーー、
「ーー動け」
そう言った途端。世界に音が戻り、視界もまた染色されていく。精神と肉体の感覚が合致し、何一つとして乱れのないテンは地を蹴り上げてロズワールの前から瞬間的に消えた。
世界からすれば刹那の出来事。テンからすれば数秒間の出来事。確立した流法の概念を基として彼はレムの元へと飛ぶような勢いで駆け出していた。
ありえない初速。風のように飛んでいく彼にロズワールはしてやったりと笑う。流石にここまでのを期待したわけではなかったが、十分すぎる成果だろう。
尤も、今のテンは初めて意識的に使う力の加減が分からずベタ踏み状態。限度を超えた力を無理やり引き出しているから反動もそれなりになるか。
速い。にしても速い。
戦い方からして火力重視のハヤトとは違い、テンは機動力重視だから力をつければ相当なものにーーとは考えなくもなかったが。まさにその通りとなった。
ハヤトとは違った強さ。これは鍛え甲斐のありそうな人間だと、ロズワールは愉しそうに小さく頷いた。
ーー動け、動け、動け。
自分でも何をどうしたらいいか曖昧な以上、この状態を保つことだけに意識を回すテンはがむしゃらに空になりそうなマナを高め続ける。漸く確立した流法の概念、それを壊さぬように、感覚を掴んで離さぬように。
幹から枝分かれした木々へとマナが流され続けるイメージ。それをもっと多く、熱が全身に満遍なく行き渡るようなイメージ。もっと、もっと。今よりももっと速く動けるようになるために。
彼女を助ける。ひたすらに前へーー!
追い越した。ロズワールが放った魔法の真横を自分の体が通過したのを確認したテンは、しかし歓喜に震えるわけでも安堵するわけでもない。目的がいる存在の場所へと疾走。
彼女との距離はゼロに等しい。ならあとは、
「んらぁあ!!」
レムの懐に入り込み、小柄な身体を抱えて魔法の軌道上から跳躍して外れる。足元わずか数センチ、冗談抜きで殺しにかかった魔法がつま先を焦がす痛みに耐えた彼はそのまま背中で芝生を滑った。
レムからすれば、状況に理解がいかないだろう。もちろん当人であるテンですら理解がいかない。が、その中でも彼は彼女を間一髪守り切った。
主人に魔法を放たれた事に動きの停滞を許した彼女を彼は流法というどれだけ頑張っても成してなかった事を成し、意地でも助けた。
レムに当たるはずだった魔法は屋敷に当たる寸前で突如として軌道を変えて空へ。音もなく四色のマナを撒き散らしながら弾け散っていく。
それが意味するのは危機からの脱出、レムを助けることができたことの証明。
それは、十秒にも満たない出来事だった。
誰かを守るために覚醒……。うーん、テンプレをなぞりすぎた感はありますが、許してください。