今日はこのお話のみの更新です。その代わり、長いです。
これからリアルが忙しくなりそうなので更新速度も落ちるかもです。少なくとも一日に一話は更新したい、という感じですね。
ただ、心配だった。
魔獣の森から帰ってきた彼を見てから、自分は彼の傷つく姿を見ることが嫌になっていた。たった一度、しかしその一度があまりにも悲劇的で壮絶なものだったからだ。
窓から見た時、主人の意向を自分は今までで一番疑ったかもしれない。彼に対して無慈悲に火球を降り注がせ続け、言い出したのは彼だとしても限度はあるはずで。
立ち上がった彼を蹴り、殴り、叩きつけ、切り裂き、吹き飛ばし。思いつく限りの暴力でも振るったかとさえ思えるそれに自分は心が締め付けられていた。
気がつけば、自分の足は中庭へと向かっていた。邪魔をしようとは思わない。見たくなくても、もっと近くにいたい、近くで見守りたいと思えて。
彼が必死に戦う姿は初めて見た。普段の彼の影など少しもなくて、自分の知る彼ではない彼を見たような気持ちになった。不本意にも、男っ気が増しててより心を惹かれたのは内緒の話。
そんな時だった。自分の従える主人が自分のこと一瞬だけ見たような気がした途端、自分に向かって魔法を放ってきた。四色に輝くそれは当たれば無事では済まされないものだった。
理解ができなかった。どうして自分に、そうやって何の意味があるのか分からなかった。でもそれ以上に自分の意識を惹いたのはもう一つ、自分の元へと高速で駆けてきた彼の存在だ。
次の瞬間、自分は彼に抱えられて横に飛んでいた。両手に抱えられて、抱き締めるように自分が彼に助けられたと理解した。
彼に抱えられて、離れないように両手で抱き寄せてくれて。不思議と安心感を抱いてしまったのは悪いことなのだろうか。
ボロボロになりながらも自分のことを助けてくれた彼は本当に輝いて見えて。不本意にも、不謹慎にも、思ってしまったのだ。
ーーかっこよかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
芝生を滑った事により生じた摩擦熱が背中から引いていく感覚に、テンは流法が成功したのかと少し思うが、その直後にレムのことが心配になり。それも彼女が顔を覗き込んだことで不要だと分かった。
心配そうに顔を覗き込むレム。倒れてから彼女を庇うように仰向けに滑ったから自分の上に彼女が乗っかるのも自然な流れか。
「だ……いじょうぶだった?」
「それはレムの言葉で……! とにかく、動かないでください」
体制を起き上がらせるテンに緩い声で心配されても困るレムである。寧ろ、その方がより心配してしまう。
普段から緩々してるけど今はそれ以上。あの時よりは健全な状態なようだが、刻まれた痣と裂傷は無視できる傷ではない。
テンに乗っかるレムはそうして頬に添えた手から優しい光を発し、傷跡を少しずつ塞いでいった。まずは一番目立つ傷から、他の傷は一旦後回しにして。
有無も言わさぬ治癒魔法。「大丈夫だよ?」と言えないテンでもなかったが彼女の瞳が悲壮に揺れているのを見てしまえば、口は塞がり言葉は出てこなくなった。
「大丈夫だったかぁーな、二人とも」
声の方に顔を向ければレムに必殺の一撃を解き放った張本人のロズワールが歩いてきていた。表情はいつにも増して不気味に、しかし満足そうにニコニコしている。
どの面を下げてきたのか。と言いたくなったテンだが適当に丸め込まれそうな予感にそれは飲み込んで代わりに吐息し、
「事実はここにあるでしょうに。見ての通りレムは無事、俺はこんな形してます。つま先なんて見てくださいよ。俺の靴先、貴方の魔法が掠って焦げてますし」
「あの距離から駆け出して靴先が焦げただけで済んだ。それだけでも御の字だと思うけどねぇ」
「そうですかよ」
もし仮に自分が間に合わなかったらどうするつもりだったのかとロズワールをテンは睨む。が、先ほどよりも格段に圧の下がったそれは対して効果を生まず、右から左へ受け流された。
事実、テンが間に合わなければこの程度では済まなかった。そうなればロズワールが弾道を変えて最悪の事態は避けていたと考えてられなくもないが。しかし、あれは明らかにレムに当てる気のもの。
威力、弾速、弾道その他諸々を込み込みで判断してもそれだけには理解がいったのは魔法に対しての危険性が感覚的に分かるようになってきたからか。
なんにしても、
「レムに当たってたらどうするつもりだったんですか? つか、なんでレムを狙ったんです? レムを巻き込む必要は絶対になかった」
「ロズワール様。レムにもそれに関しては少し説明をしてください。どうしてレムを……」
向けられた眼光が鋭くなったことを始まりに言葉を畳み掛けたテン。同調するようにレムもロズワールに説明を求めた。
自分を極限状態にまで追い込むのがこの鍛錬の趣旨で、レムを必要などないとはテンの考え。思い当たる節がなくて本当に理解がいかないとはレムの考え。
別々の意味で理解不明な二人。ロズワールは「簡単なことさっ」とレムのことを指差し、
「テン君が真に力を発揮する時って、大切な人が命の危機に晒された時だろう?」
「……は?」
当然と語るロズワールが首を傾けて疑問を投げかけた。質問に質問返しされたことよりも、藪から棒なそれにテンは途端に真顔。言葉の意味の把握を図った彼はしばらく停止した。
同じく胸に手を当てるレムも分からないのだろう。テンの頬に添えた体制のままに彼女は疑問符を頭の上に小さく浮かべた。
「流法は無意識に使われていた、つまり君がそれを理解できない状況にまで追い込まれることが第一段階」
「えっと…」
「多分、気づいてないだろうけど。君は少し前から流法を使っていたよ。それっぽい感覚はあったんじゃないかぁーな?」
レムに向けた人差し指をピンと立てて告げられた事実にテンは瞳を驚愕に染めるが、しかし考えるような素振りを見せる彼には思い当たる節があった。
それは戦ってる最中、厳密にはロズワールの魔法を真っ向から相殺した時。その時からの記憶が曖昧なのだ。
それなのに、心なしか身体が熱せられる感覚だけはハッキリと身体に残っていて。もしかして曖昧な記憶、その間に自分は流法を使っていたのかと考えた。
確かに、あの時は初めに流法を使った状況と類似するものがある。心身共に極限状態に追い詰められて、ただ必死に戦うことしか頭になくて。
「じゃあ、なんでその時に伝えなかったんですか。わざわざレムを巻き込む必要なんて」
「それじゃだぁーめ。その時は不安定なものだっただろうしぃ? 君自身がそれを流法だと自覚しないとそれは完成しない。第一、無意識に使ったならば意識した瞬間、それは途切れる」
「なんでそう言い切れるんですか?」
「自分じゃ抑えきれない力を暴走させた人間が我に返ったら、力は鎮まるだろう?」
「だから自覚させるのが第二段階」そう言葉を繋げるロズワールは中指を立てて数字の『2』を表した。しかし、まだ点と点が線で繋がらないのかテンは首を傾ける。
自覚しなきゃいけないのは分かった。けどそれがレムを巻き込む理由とどう繋がるのかが意味不明。尤も、ロズワールの考えることなんて世界で一番理解できないが。
「なんで自覚させることがレムを巻き込む事に繋がんだよ」
この際だから聞かせてもらうことにしたテンが発した言葉は少しだけ荒い。基本的にロズワールに対しては言葉遣いに気を使う彼が初めてそれを崩した場面だ。
今日は本当に様々な彼を見ると、新しい発見が尽きないロズワール。抑えているようだが少しばかり感情的になっている彼は、やはり心のどこかではレムのことがーーーー。
立てた中指を折り畳むロズワールは残った人差し指を再びレムへと向けると、
「そぉこで、初めに戻ってくるわぁけ。完成しかけた流法を君自身が完成させるために私はレムを狙ったんだぁーとも」
「だから、それが分からないってーー」
「レムは君にとって大切な存在らしいからねぇ、危険に晒されれば、例えマナを消耗して肉体を削られた、選択肢の限られた状況だとしても最大以上の力を発揮しようと、君は思考を回すはずだ」
「何があっても助けるためにね」と長く続いた言葉を切るロズワールはそうして口を閉じる。長々と説明した彼は息をつくような吐息、言葉を受けたテンの反応を待った。
テンといえば。噛み砕いて説明された事よりも、最後に言った言葉のお陰で点と点が一つの線でようやく繋がった爽快感に「あぁ」と合点がいくように言葉を漏らし、同時にそこまで予測していたロズワールに戦慄。
つまりどういうことか。ロズワールの説明したことを要約するなら、
「まず、流法を無意識に使わせるまで俺を追い込むことが第一段階。そんで、ロズワールは俺が流法を使っていたことが分かったから、レムに魔法を撃って、無意識から意識的に流法を使わせるように仕向けた」
「大体はそんなところだ。使わせる、というよりはその感覚を掴ませるの方が正しい。そのためにマナを消費させたんだぁーから。まぁ、結果として流法を使ってたってぽいけど」
簡潔に説明した自分にロズワールが頷くのを見て本当にテンは戦慄した。高威力の魔法を幾度となく放ってきたのは自分にマナを使わせて魔法の選択肢を奪い、あの時に流法の選択肢しか残らないように調整したこと。
事実、あの時は魔法に注ぎ込むマナは残っておらず流法をするしかない状況だった。結果として循環ではなく分散という形で流法を完成させることができたが。
普通そんなことできるだろうか。相手のマナの貯蔵量を把握し、流法しか使えないように仕向けるなど、頭がおかしいとしか言えない。
それに、自分がそれで流法を完成させると信じた事にもその心情に疑いしかなかった。
「…もし俺が流法を使えなくて。レムに魔法が直撃してたらどうするつもりだったの」
「それはあり得ないと思うけどねーぇ」
自分の力を信じれないテンが投げかけたあり得たかもしれない未来、しかしロズワールは即座にそれを否定。困惑気味に目を細める彼にロズワールは言葉を続け、
「接していて分かるよ。君は自分よりも相手のことを重んじる性格、身近な人間が危機に晒されれば頭よりも先に体が、本能という名の理性が必ず動く」
「ーーーー」
「大切な存在が危険になれば全てを投げ捨てでも助ける。当然の倫理観だぁーとも」
理由になってない理由を正解とでも言いたいのか、ロズワールは人間の心理的にテンが力を発揮しないことなどあり得ないと語る。手を広げておどけるような様子とは反対にその言葉には妙なリアルさがあって。
まるでロズワール自身がそうであるかのように。自分のように語る彼はどこか普段とは違う、言い方は悪いがいつもより人間味がある。
テンは言葉を挟まず、ふと自分に乗っかるレムに視線を向けると、無言のまま自分のことを見つめる彼女と目が合った。
頬に添えられた手はいつの間にか離れ、自分の胸に触れていて。大切な人。というワードが頭に浮かんだせいで即座に目を逸らす。
「で、流法の感覚は掴めたのかい? ま、聞かずとも答えは出たようなものだけどねぇ」
眼下で行われる男女二人の無言やり取り。それをどう受け取ったのか「ふっ」と含ませた笑いをこぼすロズワールは鍛錬の総括。手をパチンと叩いて空気を切り替える。
長々と説明したが正直なところはそこだ。この鍛錬は流法の感覚を掴むために始めたこと、本人の口から直接結果を聞かないと形として鍛錬は終わらない。
「あっ」と思い出したように声を上げるテンは「はい」と軽く頷き、
「大丈夫です、掴めました。想像の仕方自体が間違ってたみたいで、もういけます。たぶん」
「絶対、と言わないのが君らしいというかなんというか。まぁ、それなら十分」
想像の仕方が違うという根本的な問題が解決したことで流法は取り敢えず完成。一つの概念として自分の中に生まれた感覚にテンはその後も何度か頭を頷かせる。
「絶対に大丈夫」と言わないところ、やはりまだ自信がないのかと思うロズワールだが。本人がそういうのならと信じることに。あの地獄を経験したのだからきっと大丈夫だろう。
彼の言葉に満足気に頷くロズワールは「じゃっ」と背を向けると、
「私は屋敷に戻るとするよ。テン君、今日はお疲れ様。ゆっくり休むといい」
「はい。ロズワールもありがとうございました。受けた傷は必ずお返しするので忘れないでくださいね」
「あはぁ、それは恐いねぇ」
屋敷へと歩き出すロズワールの背中にリベンジ宣言。テンだって一応男の子、あそこまでフルボッコにされて黙ってられないと緩くも鋭い言葉を最後に飛ばした。
ロズワールは肩をすくめるような反応を見せたがあの様子は絶対にまともに受け取ってない、適当に受け流されている。
それも仕方ない事だとは思う。実力的に考えてもロズワールとテンの間には壁ーー否、壁であれば乗り越えることもできる。
だが、乗り越える方法の存在しないそれは。壁ではなく世界の隔たりといった方が正確だ。
テンがどんなに努力しようがロズワールに追いつくことはない。それが持つ者と持たざる者との決定的な差なのだから。それでも一矢報いたいと思うのは自分の中で渦巻く悔恨の情のせいだろう。
だからテンは静かに闘志を燃やす。今日受けた傷は必ず返す。一撃しか入れられなかったとしてもその一撃に全てを注ぎ込んで。
この無念、いつか必ず晴らすと。
▲▽▲▽▲▽▲
ロズワールがいなくなった空間は、やけに静まり返っていた。夕暮れということも相まって夜の静けさが訪れつつある中庭はいつも以上に静かだ。しかしそれ以上に二人の間に流れる空気がいつにも増して静かなもの。
しかし、気まずい静寂ではなかった。どちらかと言えばゆったりとした雰囲気に身を委ねている風に両者とも黙っている。テンも、レムも、ただ別々の理由で心を一色に染められて。
体制を起こしたテンの膝部分に跨るレム。彼女の両腕は彼の胸に添えられて、青く淡い光が揺らめいていた。
現在、テンはレムに乗っかられたまま治癒魔法をかけてもらっている最中。数こそ多いが、一つ一つの傷が浅かったから自分でも対処できると彼女が言い切りその状況に至る。
それが約十分前のこと。もうじきそれも終わるだろう。徐々に熱い痛みが引いていく感覚にテンは安らぎを得ていた。
「痛みは引いてきましたか?」
「ん、いい感じ。ありがとね」
確かめるように少し頭を傾けるレムに自分の身体を上から下まで一瞥したテンが軽く頷く。この状況に特に動揺することもなく彼はいつも通りの様子だった。
「分かりました、ではもう少しだけ」と最後の仕上げに張り切るレムを前に、慣れたものだなぁ。なんて事をテンは考えていた。
あと数日でここに来てから二ヶ月を迎えるが、初めの頃と比べたら自分の女性耐性も鍛えられたもの。
仮に屋敷来たての頃に今の状況になったとしたら。きっと目が右往左往、心臓破裂、悩殺されて平常心は愚か意識すら保てなかったはず。なんだか人としての成長が感じられた気がした。
尤も、この屋敷で話す人がほぼ三人の女性しかいないという異世界の定番。そのうち二人は最近になってから距離感バグり始め、一人は毒舌を貫き通すなどのキャラが濃すぎるという。
そんな人たちと接していれば女性耐性がついてくるのも必然と言えるか。
けど、
「テンくん、以前のように背中から治癒魔法をかけてもよろしいでしょうか。その方がもっとテンくんを癒せる気がします」
言い、問いかけた人間の声を聞かずに身を回すレムはテンの背中へと回り込む。そのままあの時のように、脇から手を通して彼の体を抱き寄せた。胸に添えられた手からは依然として優しい光が溢れている。
有無も言わさぬ行動。しかしテンは苦笑するだけでそれ以上の反応は見せない。否、色々と頑張りすぎた反動が出始めてきたせいで意識を閉ざさぬよう抗うことに精一杯なのだ。
「もっと他に、やり方はないの?」
「他にですか……。前からでしたら」
「後ろからでお願いします」
即答された事にレムが小さく笑う気配がした時、回された白く細い両手に力が入って、彼女の額がうなじに当てられて、体の力を抜けばそっと引き寄せられる。背中に温かい感触が触れたのがなんとなく分かった。
流石に前はきつい。精神的に耐え切れるかどうか、鍛錬の疲れが無ければ後ろからでも割と我慢するので大変だというのに。逆に前を提案するレムの心情が気になるところ。
以前と同じ体制になったところで、ふとテンの頭に先程まで考えていたことが舞い戻る。二人の方の距離感がバグってきている話だ。
二人の中でもやはりレムの方が距離感がバグってきている感はあった。朝のおはようも、食事の支度中も、お茶の時間も、夜の鍛錬も。レムは少しばかり近いーー近すぎる気がしてきている。
それにレムと二人だけになった時、名前の呼び方がどこか甘くなる。お仕事中の呼び方とは違う、言葉にできない感情が含まれているような。形容し難いものがある。
理由は分からない。もしかしたら、レムも昨日話したように自分と話していて楽しいからかもしれないと思うが。果たして真意はどうなのか。
「…ロズワール様に傷付けられていくテンくんを見ていて、レムは少し怖かったです」
不意にかけられた言葉にテンは声と一緒に小さく息をこぼして反応した。途端に声色が切なく変化した彼女はそのまま言葉を紡ぎ、
「また、前のようになってしまうのではないかと。満身創痍で、いつ死んでしまってもおかしくない状態になってしまうのではないのかと。本当に怖かったです」
強められた腕の力が強くなる感覚、彼女の心の揺れ度合いを雄弁に語るそれはテンの心を直接締め付ける。向けられた感情に言葉を生まず、ただテンは俯いた。そんなこと言われて罪悪感を抱かないわけがなかった。
怖がる理由は分からない。けど、自分のせいで彼女が少しでも苦しんでしまったならそれは自分に非が生まれる。謝らなければならないと思って。
「それは……、ごめん」
言いにくそうに、けどすんなりと出てきた謝罪の言葉。これまでに幾度となくテンの「ごめん」を聞いてきたレムからすれば聞き慣れた言葉だが、今に限っては、やけに重みのあるものに感じる。
そう感じるのは何故か。彼に対する自分の心情の変化だろうか。うん、きっとそうだ。と自分の中で完結したレムは首を横に振り、
「これまでもそうです。無茶ばかりして、無理もして、倒れるまで鍛錬するだなんてレムには考えられませんよ。少しはハヤト君を見習ってください」
「ハヤトは別に関係なーー」
「今回に至っては流法を取得するために半殺しになるだなんて。そもそも、半殺しの意味を正しく理解して言ってますよね?」
「方法がそれ以外にーー」
「いえ、それ以前に新しい技術を習得するために半殺しになるってまともな考えじゃありませんよ。何度もお伝えしてしたように、過度な鍛錬は心身共に悪影響を及ぼす可能性が大きいんですから、もっと控えてください。そんなことをされ続けられたらレム……周りの人も気が気じゃないんです。ーーいい加減本気で怒りますよ」
怒ってます。とは口が裂けても言えないテンは彼女の威圧に萎縮していく。少しずつ声色も熱のこもったものに変わりつつあり、気づいてないだろうが彼女はもう既に怒っている。
テンの言葉を遮るように自分の言葉を重ねるレムはそれ以外にない。反論しようとすれば即押さえつける、いつも通りの光景だ。
どうして自分が怒られなければならないのかとテンは疑問に思わなくもないが、口は閉じたまま黙って言葉を受け取る。
彼女が背中にいてくれてよかった。多分、前にいたら正座させられそうな勢いが今の彼女にはある。しかしそう思うと、自分が怒られることがほんの少し、ひと握り程度だけ理不尽に感じてきたテンだ。
理不尽に感じ始めたら、閉じた口は開いていた。
「レムは、どうしてそこまで怒ってるの?」
「心配だからに決まってるじゃないですか!」
声を大にして即答したレム。普段から声を荒げることの決してない彼女の珍しい一面に思わずテンは肩を跳ねさせた。そんな感情的に返されるとは思ってもみなかった。
しかし、それよりも返された言葉の内容があまりにも単純なものだった事にテンは更に疑問に思い、頭の中にパッと浮かんだ言葉を発し。
それだけは、言ってはいけない一言だったと彼はその瞬間、気づく事になる。
「それだけで何もそれだけでーー」
瞬間。額の当てられたうなじに打撃の衝撃が叩きつけられ、痛みにテンの言葉は強制的に中断される。体が前に押し出される強さのそれは明らかに意図的に生じさせた他にない。
その正体がレムだと瞬間的に理解したテンは突然の行動に目を丸くして頭が真っ白になり、思考がしばらく停滞した。
「テンくんは言っていいことと悪いことの区別もつかないんですか……! レムの感情を、レムの心配を。それだけで、だなんて言わないでください!」
停滞の仕返しは再度うなじに当てられた額。今度は弱々しくコツンと添えるように。それから彼女は目を瞑り、抱き寄せた身体に自分の体重を乗せる。
それから暫くレムは黙り込んだ。荒げた自分を咎めるように深く息を吐き、テンの体に添えた両手は彼の衣服をギュッと握りしめて。
それらの行動で、先まで感じていた一抹の理不尽がテンの中から消え去っていく。それほど彼女の言葉は膨れ上がるはずだったそれを跳ね返す力があったからだ。
「ーーレムも、同じなんです」
そう、レムは呟く。大にした声を潜める彼女は、しかしやけに感情のこもったそれを彼の鼓膜に流し込んだ。
語られた言葉の意味を考えようとテンは頭を回そうとするが思考は動かない。ただ、無言のままレムの言葉を待つしかできなかった。だから、レムは「テンくん」と彼の名を呼ぶと、
「レムもテンくんが大切な人なんです」
「ーーーぁ」
すんなりと出てきた言葉にひどく動揺するテンが声にならない声を口から溢す。それは、僅かに震えた心の声だった。
言葉を聞いた時、不意に脳裏に浮かんできたのはニヤけ面のロズワールの言葉。軽く受け流していた、軽く受け流しちゃいけない言葉。
ーーレムは君にとって大切な存在らしいからねぇ。
ーー大切な存在が危険になれば全てを投げ捨てでも助ける。当然の倫理観だぁーとも。
今になって思う。その言葉の意味は自分がレムの事を大切な人だと思っているということ。けど、そんな風に思ってるつもりはない……、とは言い切れないが。
流法のことで頭が一杯一杯だったが、思い出せばその言葉はレムも聞いているはず。そう考えると途端に恥ずかしくなってきてしまうテンだった。レムは自分にとって大切な人、捉え方によっては告白にも聞こえてしまう。
強いて言うなら、大切な人と書いて仲間と読む。テンの場合は一緒に同じ時を過ごす仲間のような風に思っている。否、レムに対してだけはそう思っていると思っている。好きなんてこと、あってはいけない。
尤も、
「レムはテンくんが大切な人だから、心配するんです。傷付けられているところを見ると、怖くなってしまうんです」
レムの場合は何一つ間違えのない告白の言葉だ。テンのとは重みが違いすぎる「好きです」の一言が込められているもの。
もちろん、レムもそれは分かっている。テンの言う大切な人が恋愛的な意味じゃないことくらい。だって彼は自分に向けられる感情に対して反応に困って目を逸らす癖があるのだから。
でも、大切に思ってくれているだけで今は満足だった。好きな人から大切に思われている。欲を言えば思われるより想われたいけど。今はそれでもいい。
だから、
「とても、すごく
今は一方通行で告白にすらなってない告白をレムはテンに告げる。絶対理解されてない。しかし、いつか理解される時が来たらもう一度この言葉を彼にかけれるように。自分と彼の気持ちが通じ合う日が絶対に来ると、そう信じて。
「……そっか」
ポツリと言葉を発したテンがふっと笑うように吐息。レムの気持ちを真正面からぶつけられた彼はこの時、どうしようもなく胸が熱くなっていた。
堪えようにも堪え切れない感情が雁字搦めにした檻の中で暴れ回り、「今すぐここから出せ」と大声で叫んでいる。押し込めて押し込めて押し込めて、無理矢理抑えつけた感情が彼女の言葉に激しく反応した。
ーー分かってる。この温かさの名前がなんなのかなんて。分からないほど俺は子どもじゃない。
けど、やっぱり良くないとテンは感情に鍵をかけて抑え込む。彼女にはこの先、幸せな未来が待ってるのだから。彼女は
それを妨げるような真似は良くないと自分を殺す。もうとっくに芽生えている感情を、殺して殺して。自分という自分を心の奥底に押し込む。時が経てば忘れるはずだから。原作が始まれば、彼女の心は彼に奪われるから。
そうして整理がついたら、俯く顔を上げた。下を向いていては余計な感情が溢れてしまう。
「ごめんね、レム。もう"それだけで"だなんて言わないよ。俺のことを心配してくれてありがとう」
「はい、どういたしまして。レムの方も、レムの事を大切な女性だと思ってくれてありがとうございます。とっても嬉しいです」
「大切な人と思っているような……」
向けられた心配に素直に向き合うテンが感謝の気持ちを言い、言い繋げるレムが照れるように声を弾ませた。若干の改変があった気がしなくもないが、テンは気にしない事に。
大切な人。とても伝わりづらい言い表し方だ。
互いに完璧なすれ違いをしている事にレムだけが気付き、テンは全く気付かず。前から関係が一歩たりとも進んでない事実にやきもきしないわけではないレムだが、彼のことだから良しとした。
というか、背中に抱きついている時点で察してほしいところはある。レムだって乙女、「好きです」の言葉をストレートに言うのも中々に覚悟が必要で。できることなら察して彼から「好きだ」と言ってほしい。
そうすれば自分も「レムも好きです」と遠慮なく言えるのに。流石に鈍感にも程があるだろう。
「……あのさ、レム」
彼の鈍感さにそろそろむず痒さを感じてきたレムだが、本人の声がかかったことで彼女は気持ちを切り替えて「はい」と返事を一つ。
返事を受けたテンは「えっと…」と言いづらそうに声を詰まらせた。何を言いたいのかと思うレムにテンは「うん」と一人でに頷くと、
「申し訳ないんだけどさ。今晩の夕食の準備、俺やらなくてもいいかな? ちょっと疲れちゃって今も結構ギリギリでさ。多分、少しでも気を抜いたら簡単に意識が落ちる」
淡々と話すテン。しかし、それを聞いた後から心なしか気の抜けた声に聞こえてきたレムは言われてからはっとして気づいた。彼がそうなるのも当然の話だ。
だって、彼は今の今までロズワールに半殺しにされていたのだから。下手をすれば半殺し以上、あらゆる暴力に身を削られ、魔法を防ぐためにマナを過度に消費し、肉体的にも精神的にも大きな負荷がかかったはず。
加えて使い慣れてない流法を自分を助けるために使ったことの反動もある。慣れない力を使うと身体が重くなって、眠たくもなるだろう。
申し訳なさそうな態度をするテンに優しく微笑むレムは「分かりました」と頷き、
「では、そのように。今夜はゆっくり休んでください。鍛錬も無しですよ?」
「分かってるよ。何もしません」
一応、念押しするあたりレムはテンのことを理解してきていると言える。折角掴んだ流法のやり方、忘れないうちに鍛錬しようと考えないテンでもないが。今のやりとりでそれもやめることに。
尤も、やろうとしても身体が動かない。短時間でコテンパンにされた反動は割と大きく、正直な話身体がこの場所から動こうとしない。
だからこれからどうするかが問題だが。
「あと、暫くの間だけ俺をこの場所で放置しててほしい。身体が動かなくって。動けそうにないんだよね」
「情けない話だけど」と苦笑するテン。これからどうするかだが、テンの考えでは暫くの間この場所で一眠りしようかと考えていた。彼女にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないし、偶には外で寝るのも悪くない。
幸いにも気温は暑くもなく寒くもない過ごしやすい気温。夕暮れということもあり、暗がりに満たされつつある中庭は、張り詰めた糸を切れば簡単に眠れそうな空間となっていた。
「一応聞きますけど、もしレムが放置したらテンくんはどうするおつもりですか」
そんなテンの考えを察したのか、はたまた昨日の光景が蘇ったのか。レムは念のためといった具合で確認をとる。自分の予想が正しければ彼は、
「少しここで寝ようかなと」
「どうしてそうなるんですか」
予想通りすぎる答えが返ってきた事にレムはめずらしく深くため息。彼女のため息を耳にしたテンは気まずそうに小さく喉を唸らせた。背中越しにでも分かる、レムの呆れた表情が。
このままでは何を言っても呆れられそうな予感しかしないテンは彼女の反応を待ち、彼に対してレムは数秒間の沈黙を得て小さく頷くと、「それでしたら」と優しく声を発し、
「テンくん。身体の力を抜いてください」
「ん?」
「レムに身を委ねてください」
「なにをーー」
受け答えは最後まで続かなかった。レムの提案に困惑するテンを他所に、提案者であるレムが彼の身体を自分の方へと引っ張り、自由の効かない身体が音もなく倒れるとレムはそれを優しく抱き止める。
フワッとした感覚が身を包み、脇ではなく首から細い腕が回る。次第にそれはずり落ちる身体を支え、後頭部に一際柔らかい感覚を感じた。極め付けは耳元でレムの息遣いが聞こえる。
それらを認識した時、テンの鼓動は二回ほど激しく脈をうった。その体制。これはつまり、
「あの…、なにを?」
行動の意味を探るテンが心の動揺を悟らせまいと必死に冷静を保ちながら意識を保つ。二つのことを同時にこなさなければならなくなった。しかしそれをせざる負えない状況なのだ。
二人の体制。簡単に説明すれば、後ろに倒れかかるテンの身体をレムの身体が受け止めた形。彼女は後ろから抱きしめるようにテンのことを優しく包み込む。
恐ろしい事に身長が身長だけあって、彼女の息遣いが耳元で聞こえる。付け足すならば女性的な感覚が後頭部にある、つまり彼女の女性的な部位を簡易的な枕にしてしまっている事になる。
落ちかけた意識が不本意にも一瞬だけ跳ね起きる気配にテンは固まった。が、反対にレムは嬉しそうに笑うと、
「夕食の支度まではまだ時間がありますから。それまでの間は、レムも傍にいることにしました。それに芝生で寝てしまうと風邪を引いてしまうかもしれませんし」
よく分からない理屈を大きく掲げるレムはそう言い、回した手でテンの髪に指を入れると壊れ物を扱うような丁寧さで数回撫でる。しかし、数回のつもりが永遠とそれは続けられた。
これはまずい。心の中でそう思うテンは撫でられる感触に意識が遠くなっていく。撫でられる度に心地よい感覚が波のように押し寄せるのだから続けられると意識はコロッと落ちる。
彼女の手を振り払うように頭を左右に振るテンは「んん」と僅かにみじろぎ。が、彼女の手は離れていかない。
「悪いよ、レム。お前だってまだ仕事が残ってるだろうに」
「お仕事なら終わらせました。残るはご夕飯の支度だけですので。問題はありませんよ」
状況を打開する突破口を塞いたレムにまさかこうなることを予想していたのかと思うテンだ。なら他にどうにかしてこの状況を崩そうと鈍くなり始めた思考回路を彼は回し。
そんな風に黙り込んだテンの両目をレムは片手で覆い隠すと彼女は耳元にそっと口を近づけた。
「偶には、いいんじゃないですか」
暗くなった世界に聞こえてくる声。耳元で囁かれた声にテンは刹那だけ呼吸を忘れた。視界が暗いと五感がいつも以上に敏感になって身を刺激する一つ一つに過敏に反応してしまう。
声が、声が近い。レムの声が耳元にいる。自分のSAN値が一気に減少している気がするテンは思わず感情が頬に紅く浮き出た。
分かりやすい反応。照れるような反応を見せたテンにレムは楽しげに「ふふっ」と笑みをこぼすと、
「テンくんはいつだって必死で、頑張って。だからこれはそのご褒美です。レムは、いつも頑張るテンくんにご褒美をあげちゃいます」
「こんなご褒美で申し訳ないですが」と言葉を紡ぐレム。途端に「いや、最大のご褒美です」と言いそうになる口を閉じるテンは深く息を吐いた。
ご褒美、と言われて心が揺れないわけがない。彼女にこうしてもらえるならどんなことだって頑張れそうな気がするテンだ。相変わらず単純な男だと自分自身で思う。
けど、自分なんかがこんなことをしてもらっていいのだろうかと思う自分がテンの中にはいた。彼女だって仕事で疲れているはずなのに。
自分なんかのためにそこまでする必要なんて、どこにもないはずなのに。こんな、こんな自分なんかのために。
ーー全部、大切な人だからですよ。
ふと、彼女の言葉がテンの脳裏に過る。つい先程彼女にかけられた言葉だ。なら、これもその中の一つなのだろうか。自分は彼女にとって大切な人だから、と。
「……じゃあ、少しだけ。いい?」
「はい。お休みになられてください」
このまま彼女の好意を蹴るような真似は無粋と思うテンは、今回だけはと大人しく彼女に甘えることにした。
偶には、そう、偶にはだ。これが最初で最後、二度としないと心の中で思って。彼は彼女の身体の中でゆっくりと意識を落としていく。そうしたら限界まで張り詰めた糸が撓んでいく感覚がした。
撓んだ瞬間から全身が沈んでいくような錯覚をすれば、次第に瞼が視界を閉ざす。暗闇になった世界、瞼の裏側に映るものはレムの姿。健気で、優しくて、温かくて。自分なんかのためにこんなことまでしてくれて。
ーー偶には、いいよね。
その声は身体の内側から鼓膜に響いてきた。安らいでいるようなそれは、彼女に向ける感情から目を逸らす自分へと語りかけてくる存在の声。自分の気持ちに素直になれと、何度も語りかける。
その度に自分はその声に語り返すのだ。
ーー俺なんか、本当にいいのかな。
問いかけにも捉えられる自問自答。答えのない問題をヒント無しで永遠と解き続けるような苛立ちを含む語りは、一つの歪みのようなもの。それはどれだけ悩んでも解れず。
迷って、葛藤して。本心と向き合って。そうしているうちにーー、
▲▽▲▽▲▽▲
激しく戦闘音が轟いていた中庭は夕暮れの静けさに満たされつつあった。昼頃に活動していた生物たちが帰る場所へと帰り、小鳥の囀りやそよ風すらも今は眠ったように落ち着いている。
その中でレムは一人、静けさに溶け込むように静寂を保っていた。
穏やかな寝息を立て始めたテンの体重を慈しむように受け止め。指先を通じて触れ合うようにテンの黒髪に指を入れ、優しい仕草でそれを梳いた。
眼下のテンを慈しむ眼差しには、隠すつもりもない一つの感情が向けられている。眠る彼に注がれる熱を帯びた視線は明らかな甘い感情を宿して、ずっと向けられている。
が、向けられた人間がそれに気付くことはない。深い眠りに落ちているのだから。何を言われようとも、されようとも目を覚まさない限り反応することはない。
「…違いますね。起きていても変わりませんよ」
自分で自分の考えたことを否定するレムは静かに苦笑。眠る彼に向けて彼女は拗ねるように言葉を発した。口元を僅かに尖らせる仕草は、恋する乙女の他にない。
そうだ、そうなのだ。彼は起きていようがいまいがレムが向ける好意的な感情に気付いてはくれない。
さりげなく体に触れても、いつもより近くに居ても、朝のおはようで少しだけ積極的になっても、それら全てを彼は見てくれない。見てほしいのに、気付いてほしいのに、触れてほしいのに、彼は微妙な顔をするばかりで。
反応は見せてくれるけど興味は示してくれず、或いは無視されて。そんな態度をされ続ければ、もしかして自分は彼に嫌われているのだろうかと不意に思ってしまう。
そう思ったらどうしようもなく心が切なくなり、けれど彼のことがもっと恋しくなってしまう。これが『恋』というものなのだろうか。
「ふふっ。そうかもしれませんね」
胸の中にずっと渦巻く温かくて恋しい感情。生きてきた中で一度たりとも感じたことのなかった甘く、溶けそうなそれにレムは笑みを一つ頬に浮かべた。
自然と頬に熱が灯っていく。その感情を正しく自覚してからというものの、考えるだけて頬が温かくなることが多い。次第に熱は心臓の鼓動を高鳴らせてくる。
この感覚は嫌いじゃない。彼と二人の時に感じるものとは少し違う、自分一人だけの時に感じる堪えようにも堪え難い感覚。思わずその言葉を溢してしまいそうになる。
言いたいけどずっと我慢しているその言葉。自分と彼の関係の行き着く先、その一歩手前に到達した時に告げるべきその言葉。けど、言いたくて言いたくて仕方がないのだ。
だって、もう抑えられない。想いを自覚してから、自分の中のそれは日に日に大きくなっていく一方で。彼と接する度に爆発的に膨らんでいく。
「……今なら、言っても」
不意に脳裏に飛来した一つの考えに固く閉ざした口をレムは少し緩めて開く。感情が彼にバレないように無意識に息を潜める彼女は、髪を撫でていた手を止めた。
ふと、思ってしまったのだ。今ならその言葉を告げてもいいのではないかと。抑らえられないなら少しは解き放ってもバチは当たらない、寧ろここまで我慢してるのだから、これが自分へのご褒美にしてもいいだろうと。
加え、彼は今眠りについている。穏やかな寝息を立てて安眠、外の世界と意識を分断された今ならば言ってもバレない。
考えたら口は音を発して、
「す……」
口が尖ったままレムは停止した。言おうとした途端から、胸の高鳴りが過去一番になったからだ。彼は寝ている、自分も小声、聞こえるわけがない。が、言えない。
言葉は頭の中で完成している。「好きです」の四文字で埋め尽くされているのに。言おうとすると口元が震え、口が音を発すること自体を忘れたかのように言葉が出てこない。
「す、す、す」
なるべく彼に聞こえないように耳元から口を遠ざけて、細心の注意は払っている。聞こえないから言ってしまえ。そう思って音を言葉にすることがこんなに困難なことだとは思わなかった。
今は情けなく「す」のままに空気が口元から発せられるばかり。思わず彼を抱える両腕に力が入りそうになるのをレムは堪えた。彼が目を覚ませば元も子もない。
ーー少し、落ち着こう。
焦る心を宥めるレムは小さく深呼吸。こんなことで動揺するなんて自分らしくもないと、彼女はやけに高鳴る鼓動に静止を呼びかける。結果として先ほどよりかは幾分かマシになった。
深呼吸、深呼吸。彼を起こさないように。そうして覚悟を決め、意を決してようやく口から紡がれた音は、
「しゅきです」
ーー練習しておこう。
顔を真っ赤にするレムはこの日、心に決めた。
テンがレムのことを好きかどうか。きっと、このお話を最後まで読んでくださった方ならなんとなく分かると思います。長すぎて途中で読み飽きてしまっていたら申し訳ないです。
レムが自分のことを好きだと気づかない代わりに、彼は自分の気持ちには気づき始めてるんです。でも、それを受け入れるかどうかは話が別な気がしません? 勝手な自己解釈ですが。
余談ですが。レムから「しゅきです」って言われたら皆さんはどうしますか? 私は固まってそのままスゥーっと倒れる気がします。