親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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アラームをかけると鳴る前に一度は起きてしまうのって、私だけなんですかね。あ、どうでもいいですか。では、物語をどうぞ。





黒歴史は菩薩顔と共に

 

 

 

「つかお前、昨日は大変だったな」

 

「大変も大変。死ぬかと思った」

 

 

テンの流法騒動から一夜明けた早朝。朝食の支度をする使用人三人はいつも通りに適当な会話をしている最中であった。四人ではなく三人、レムは現在やることがあると言って不在なところ。

 

今回の話題、その中心にいたのはテン。それもそのはず、なにせ彼はロズワールに半殺しにされた挙句その日はレムに寄りかかって寝たっきり起きなかったのだから。

 

ずっと、それはもう気持ちの良いくらいの安眠をキメていた。レムに部屋まで運ばれてから風呂にも入らず、夕飯も取らず、最終的に目覚めたのは翌朝の早朝三時という。

 

そのおかげで久しぶりの朝風呂を堪能することができたテンであったが。彼自身、まさかそこまで寝過ごすとは思わなかった。これも流法の反動か半殺しの代償、もしくはマナの過度な消費。否、全部だろう。

 

それら全てが一度にのしかかったのだから、全身の機能が「もう無理でーす」と両手を上げてストライキ。結果として今に至る。

 

 

「いやぁ。ほんとよく生きてたな、俺。外から見ててもすごかったでしょ。フルボッコよ、完膚なきまでにコテンパンにされました」

 

「目も当てられないとは、正にあのことを言う。お前、よく生きてたな。素直に凄いと思うぜ」

 

 

例のごとく、食材を切る担当のテンは一定のリズムで包丁をまな板に打ち付ける。「ははは」と感情の入ってない声で笑う彼の目がどことなく遠くなったのを感じ取ったハヤトは苦笑いするしかない。

 

彼がそうなるのも無理はない。彼のやられ具合は限度を軽く越していたものだったし、実際に受けていた身である彼からすればトラウマもの。今現在「ははは」と笑い続けているところを見ると、その心配はないと言えるが。

 

 

「つか、やっぱり見てたんだ。見られてると思うと若干の羞恥心があるなぁ」

 

「えぇ、中々に滑稽だったわ。ロズワール様の手を煩わせるぐらいならラム直々に相手をしてあげても良かったけど。それにしても……、本当に滑稽だった」

 

 

テンの背後で軽く口元を隠すラムが笑いをこぼす気配。自分の全力を尽くした戦いを『滑稽』の二文字だけで括る彼女は、それでも堪えきれずに二回ほど笑いを音にした。

 

相変わらずのラム。テンからすれば割と容赦のない攻撃を受け続けた地獄のような時間だったため、少しは労いの言葉を期待したが、やはり期待するだけ無駄だった。ラムの目には滑稽としか映っていなかったらしい。

 

 

「そんなに滑稽だったかよ。半殺しだぞ、半殺し。俺、死にかけたんだぞ。頬とか切れてんだぞ。死んでたかもしれないんだぞー」

 

「箇条書きみたいな発言は控えることね。教養の程度が知れるわよ。テンテンに教養なんてカケラもないだろうけど」

 

「もういいです、はい。期待した俺が馬鹿でした」

「いやらしい」

「期待ってそういう意味じゃねぇよ」

 

 

完全にラムのペースに呑まれるテンが彼女との会話を放棄。自我を貫き通す彼女には滑稽の二文字を変えることは不可能らしく、何を言っても無駄な気配しかしない彼は投げやり感のある声だ。

 

そんな二人のやりとりをハヤトは微笑ましそうに聞いているだけ。テンがラムと一対一で話す時は結構な確率でテンが投げやり感になることが多く、普段から考えるだけ考える彼がこうなるのは中々に珍しいのだ。

 

それにこの二人の会話は聞いていて楽しく、なぜか永遠と聞いていられるものがある。感覚としては作業用BGMを永遠と流してる時に近しい。付け加えると、最近こそは慣れてきたがテンが女子と話していること自体、新鮮味があって面白い。

 

そういうこともあって自分に会話が振られるまでハヤトは黙っている。ただ、黙って作業に集中するフリをしつつ話を聞いている。音だけで会話を楽しむのもまた一興。

 

 

「それで。傷の具合はどうなの?」

 

「どうって言われてもね。裂傷はレムに癒してもらいました。あるとすれば上半身に幾度となく叩き込まれた暴力の痣が色濃く残ってる」

 

 

肩を回すテンはそう言って古傷が傷んだかのように痣のあるであろう部位に手を当てる。その場所は昨日、ロズワールの踵落としやらつま先やらその他諸々が突き刺さった場所だ。

 

外から見ていた人間もアレは相当痛かったと思っていた。因みに、それを見守っていたのはレム、ラム、エミリア、パックの四人。ハヤトはテンのことを信じて仕事、ベアトリスは言うまでもない。

 

「ロズワール、手加減してたよね?」と呟くテンにラムは今日初めての「ハッ!」と嘲笑すると、

 

 

「ロズワール様が本気を出していたらテンテンは今ごろ灰になっていたでしょうね。手加減しても傷跡残った、恨むなら自分の貧弱な身体を恨みなさい」

 

「へいへい、そうですよ。どうせ俺は大した力もない貧弱凡人以下の男ですよーだ」

 

「そんなに卑屈にならなくてもいいと思うけど。ロズワール様の魔法を死に物狂いで防いで、やられたい放題された挙句の果て、無事に生き残れたんだから。少しは誇りなさい」

 

「どうしよう。ぜんっぜん誇れない」

 

 

どこをどう誇れば良いのやら。寧ろそれだけでしか誇れない戦いにいよいよテンが悲しくなってきた。流法を会得できたから良かったものの、仮に進展なしだった場合、殴られ損ならぬ半殺し損。

 

ただボッコボコにされただけで終わっていたかもしれない。そう考えると今になって自分のしたことのイカれ具合が理解できたテン。彼は心の中で密かに自分を笑った。

 

と、そんな時。腹部に衝撃が走ったか。テンは「ぅ」と小さく呻き声を溢した。空気と一緒に出てきた声は普段の彼に比べたら随分と弱々しく、衝撃部に手を添える彼は途端に動きを止めた。

 

 

「……痛むか?」

「まだ、ね。呼吸すると偶に激痛が」

「おいおい。マジで大丈夫かよ」

 

 

中断された会話に顔を上げるハヤト。彼はテンのことを心配して気にかけるが、返された言葉はその心配を促進させるものだった。こちらに背を向けているため、表情こそ伺えないがきっと顔色もよろしくない。

 

「ふぅー」とゆっくり深呼吸。痛みを感じないように慎重に肺に酸素を送り込むテンはその後、口から言葉を発さなくなった。痛みと無言の格闘である。

 

仕方ないことだとは思うが、これを見てしまうとロズワールに対して黒い感情が沸いてくるハヤト。

 

彼の様子を見ていると、それまでの信頼とか言葉とかが全部ひっくり返る感覚。単純に、テンのことをボッコボコにしたロズワールに物申したい。あの時は綺麗な言葉を並べていたが、その姿一つで汚い言葉が出てくるのだ。

 

 

「……まったく」

 

 

作業を止めるラムはナイフを机の上に置くと、何を思ったか、そう言って「ふぅ」と吐息。あまり疲れを見せない彼女の様子に何かと思うハヤトは反射的に彼女の方に顔を向けた。

 

ハヤトの視線を無視するラムは音もなく立ち上がると、音もなく痛みと格闘するテンの元へと歩き。音もなく右手を伸ばすと、

 

 

「お?」

「え?」

 

 

ひたり。腹部を抑える手に小さな一つの手が重ねられた。ひんやりとした感覚と一緒に言い表しようのない柔らかさが上から重ねられる。

 

その行動の主はラム。その少女の他にない。しかしその行動はラムという少女を知るテンとハヤトに意外な動揺を与えてきた。

 

 

「失礼なことを考えている顔だわ、この男共。意外?」

 

「意外だな。お前がロズワール以外にそんなことするなんて考えたこともなかった」

 

「ラムほど雰囲気を読むのに長けたメイドもいないはずだけれどね。今のテンテンをいたぶるのは悪質に過ぎる。この場は後回しにして、次に溜め込んだ分をぶつけるわ」

 

「訂正するわ。やっぱお前はお前だった」

 

 

虎視眈々と次なる接触のときの悪ふざけを予告したラムに応じ、ハヤトは動きの停止したテンの代わりに軽口で返す。しかし、意外を通り越して世界が滅ぶかと思える行動にどっしり構えるハヤトも目を丸くして動揺を隠しきれない。

 

そんな中、テンは彼女の指先の感触から慈愛が伝わってくるのを肌で体感している。この感覚はレムのに近い、というか全く同じだった。

 

不意に心に訪れる安堵感は、やはりレムとラムは双子だとテンに思わさせる。容姿以外では全く似てない双子。なのに、向けられる優しさが重なって仕方がない。

 

 

「あまり無理をしないこと。気にかけてるのは、何もレムだけじゃないから」

 

 

言い、ラムは数秒間の優しさを心の中にしまい、重ねた手を離す。優しい温度が離れていく感覚に名残惜しさを感じなくもなかったテンだが、それが口から音として漏らすことはない。

 

手を離した後、ラムはテンの顔色を伺うように彼を正面から覗き込む。赤色の双眸と目があって、テンは情けなく吐息。それから姿勢を正すと、

 

 

「ありがと。落ち着いた」

「午後の仕事はよろしくね」

「それがなければ心は穏やかだった」

 

 

痛みが治まったか、姿勢と一緒に呼吸を整えるテンがピースサインを片手に仕事を押し付けるラムに苦笑い。上げてから落とす彼女のスタイルに何も言えない彼は「はい…、やります」と頷く。

 

先程はラムらしからぬ雰囲気を感じたが、これで元通り。いつも通り過ぎて逆に尊敬すら感じてくるラムが無事に帰ってきた。後ろで見ているハヤトもテンに「ご愁傷様」と一言。仕事押し付けられ仲間として手を合わせておいた。

 

二人の反応にラムは当然とでも言いたげな様子。事あるごとに仕事を押し付けてくる彼女はそのままテンの元から離れようとして、

 

 

「あぁ、そうそう。あと一つだけ」

 

 

疑問符を頭に浮かべてテンは振り返る。しかし、振り返ったのは愚行だ。既にラムは動いている。彼の瞳に映り込んだのは恐ろしいまでの速度で迫る彼女の平手。それが薙ぎ払われる。

 

 

「かはぁッ!?」

 

 

テンの胸にラムの平手打ちが直撃。乾いた音が厨房に響き渡り、いい音が鳴ったと。不本意にもハヤトは思ってしまった。手のスナップが効いた気合のこもった一撃、できれば直撃は遠慮したいところ。

 

もちろん、振り返ったテンは避ける間も無く肺を圧迫するような衝撃が腹部に炸裂し、床に膝をついて平伏す。それを見下ろし、ラムは唾でも吐きかけそうなほど態度を悪くして、

 

 

「ラムのかわいい妹を怖がらさせた罪は一生消えないと思いなさい。この超絶鈍感男」

 

「こ、このやろぉ。さっきの態度はどこにぃ」

 

 

蔑む視線に対して肺を押さえるテンが軽く咳き込み、当事者のラムはいっそ清々しいまでの表情で床に平伏す男のことを見下ろしている。ハヤトに至っては完全に蚊帳の外、先程から苦笑いしっぱなしの彼は口を挟まず。

 

怒ったり優しくなったりと、テンとラムを中心に混沌とした空間が厨房に展開されていることにハヤトはどうしたものかと思い。

 

 と、

 

 

「遅くなって申し訳ありませ……、テン君?!」

 

 

厨房の扉が開いてレムが入ってきた途端、目にも止まらぬ速度でテンのそばへと駆け寄り彼の身に何があったのかと慌てるような様子。

 

もっと混沌となった。と心の中で呟くハヤトの視線の先。焦るレム、彼女に身体を起こされるテン、そして事の発端であるラム。その三人が綺麗に並んでいて、

 

 

「敵は、味方にいた。違う、俺は間違ったことはしていない。俺は俺のやれることをやっただけなのにぃ」

 

「当然の反応だと思ってほしいわね。妹を怖がらせた大罪人を姉様が放っておくと思う?」

 

「え、大罪人? はい?」

 

 

平伏すテン、見下ろすラム、そんな二人の間に挟まれた困惑のレム。一瞬のうちに三人三種の反応が一度に入り乱れ、先よりも混沌とした空間が完成。しかし、またしてもハヤトは蚊帳の外で。

 

 

「今日も平和だな。うんうん」

 

 

 

最後に、傍観のハヤト。彼は一人、芋の皮むきを淡々とやるのだった。

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

その日の夜。いつも通り鍛錬をしている時間帯。ハヤトは一人、大剣の素振りを淡々とこなしていた。夜の肌寒い中で汗を垂らしながら彼は何度も重い大剣を一定のペースで振り続ける。

 

その姿は初めの頃に比べればだいぶ板に付いてきたもの。手探り状態だったあの時よりも技術は上達し、達人とは言えずともいっぱしの大剣使いとまでは評価を得れるはずだ。

 

大剣を振り始めてから気付けばあと少しで一ヶ月が経とうとしている。それだけ振っていれば、感覚で戦闘技術を身につける彼の動きに乱れはない。手に馴染んだ柄を握りしめる。

 

 

「ーー二百! 二百一! 二百二!」

 

 

規定数を超えたが、それは少し前までのハヤト。今のハヤトは五百回までなら休憩なしで連続して振る事ができる。アクラは使用していない、肉体面の強化も必要とする彼は生身のままだ。

 

これもまた成長の形だろう。最近は風呂上がり、鏡越しに映る自分の鍛えられた肉体美に「おぉ、いいじゃねぇか!」とテンの隣で騒いでいたりする彼は、自身の努力が形として現れ始めていることに純粋に嬉しかった。

 

まだ完全にではないが、シックスパックにもなりつつある。上腕二頭筋も太く体型もゴツいものになり、男から漢へと変化を遂げつつあるハヤト。因みに、テンはまだ漢になれそうな予感はない。彼はまだ鍛え方が甘くシックスパックにはちょっと遠い。

 

 

「ーー三百! 三百一! 三百二!」

 

 

肉体と言えば、少し前にハヤトは驚いた事があった。アーラム村にテンと二人で買い物に行った時の事。

 

勿論、例の如くハヤトは子ども達の木登りにされるのだが。その時は全く苦ではなかった。子どもを両腕に抱えても余裕で走ることができ、更には肩に担ぐことだってヒョイとできた。

 

そのおかげで子ども達に突進されても吹っ飛ぶのが跳ね返る子ども達という面白い絵面が出来上がり、そのせいで子ども達からのラグビーばりの突進を何度も受け止める遊びが始まってしまったが。

 

ともかく。ハヤトは肉体面においてこれ以上ないまでに鍛え上げられていた。屋敷での肉体労働も相まって約二ヶ月でだいぶ絞られている、結果にコミットする人達もびっくりな程度には。

 

 

「ーー四百九十八! 四百九十九! ごひゃくぅ!」

 

 

ノルマの回数に到達したハヤト。最後に思いっきり振り下ろした勢いで大剣を地面に突き刺し、柄から手を離した。乱れる呼吸を落ち着かせる彼はそのまま芝生に尻餅をつく。

 

重くなった両腕を揉み解すハヤトは疲労の吐息。肩からぶら下げたハンドタオルで額から垂れる冷たい汗を拭き取った。

 

素振りは本当にキツい。大剣を振る両腕や肩の筋肉はもちろん、柄を握るための握力、大剣の重みに身体を持ってかれないように姿勢を保つ上体の筋肉、更には下半身。全身運動といっても強ち間違ってはないそれを毎日。

 

加えてもう一セット。始めたては筋肉痛と戦う日々が続いたというもの。素振りが終わればその後は魔法の鍛錬やると思うと中々にハードだと思うが、

 

 

「うし、休憩終了! こっからが本番よ!」

 

 

ハードな鍛錬をやってのけてこそ強くなれると信じるハヤト。勢いよく飛び起きる彼は何度か背筋を大きく伸ばした。口を大きく開けて深呼吸、体内に新鮮な酸素を巡らせてスイッチを入れる。

 

まだまだ行けるよな? と心の中の自分が問いかけてきたことに気合を入れるハヤトは地面に突き刺した大剣の柄を握りしめる。グッと力を込めて引き抜けば両腕に確かな重みを感じた。

 

テンだって頑張っているのだ。彼も流法を会得できたかもしれない言って少しはしゃいでいたし、そうなると彼が力をつけるのも時間の問題。なら自分も負けるわけにはいかない。

 

テンとは親友であり相棒であり時に宿敵である関係、彼が強くなるなら自分はその倍以上は強くなってみせる。彼がそれを超えるなら、今度は自分がそれを超えて。

 

切磋琢磨。互いに影響し合いながら強くなろうと決めたのだから。それに、ちょっとやそっとで根を上げる程ハヤトは弱い人間ではない。寧ろ、これを乗り越えた先に更なる高みがあると思うだけいくらだって頑張れる気がする。

 

 

「一! 二! 三!」

 

 

大剣を振り、声を上げ、ハヤトは自身を追い込む。テンに勝つために、負けないために。

 

 

 今日も彼は一人、お月様の下で大剣を振り続ける。

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 

 

 

集中。集中。胡座をかいて座禅を組むテンは一定のペースで何度も深呼吸を重ねる。瞑目する彼が感じるのは自分の内側、そこに流れる熱ーーマナの感覚。

 

ゲートから引っ張り出されたそれが徐々に熱を帯びて高まっていく。感覚としては器に注がれた冷水が熱湯へと変わるような、そんな高揚感。流法を会得する上で勝手に会得したスキル、マナを高める方法をテンは始めに実行。

 

それができたら本番。器に注がれた高まったマナがゲートから伸びる一本の大木に流れていくようなイメージ。核を中心に足の先から頭のてっぺんまで行き渡るように。

 

次に、その大木からマナが均等、均一に分散するように。マナの流れる大木から複数の枝が生え、何本にも枝分かれし、全身にマナが滞りなく行き渡るイメージ。循環ではなく分散。

 

 

 ーーなんとなく分かる。やりたいことができるていると。

 

 

自分以外の人間には決して理解できない高揚感に身を包まれた時、テンはゆっくりと閉じていた瞼を開いた。自分の体に目を通すが、外見的な変化はこれといってない。ハヤトの使うアクラのような派手な演出はないらしい。

 

 

 ーーけど、それでいい。

 

 

何を思ったか、テンは立ち上がると事前に持ってきていた厚さ五センチ程度の長方形の形をした木材を手に取った。試しに人差し指で突くと、コンコンと低い音が鳴る。

 

準備はできた。軽く息を吐くテンはその直後、手に持った木材を上へと放り投げた。回転力のあるそれは一定の高さまで上がると、重力に従って自由落下を始め、それを捉えるテンは右手を握りしめ、右腕を矢のように引き絞る。

 

狙いは一点。タイミングは一瞬。合わせた照準に標的物が入ったその瞬間ーー、

 

 

「ーーふっ!」

 

 

思いっきり拳を振り抜く。拳が物体の前から後ろへと貫通するように、一切の力加減は無しで。狙いに狂いはない。解き放たれた拳は落下する木材へと一直線に進む。

 

常人がこの行動をとった場合、結果など目に見えている。指の関節と硬い木材がぶつかり、衝突の結果は痛み分け。指は硬さに負けて痛みを引き起こし、木材は前に進む力に負けて押し出される。

 

テンとてそれは理解してる。しかし、今のテンは一味違った。ーー現に、その根拠は既に彼の前に広がっている。

 

バキ!という木材にヒビが入る音が静寂の中に一瞬だけ聞こえると、連鎖するようにその音は聞こえ始め。前へと進む力に負けた木材は普通では考えられない速度で吹っ飛んだ。

 

吹っ飛んだ先。数本植えられている中の一本の木に衝突し、受けきれなかった衝撃が内側から木材を粉々にした。

 

 

「ーーーー」

 

 

バラバラと芝生に落ちる木材の残骸。拳に残る確かな痛み。尚も全身が自分のものではないように感じる高揚感。 これだけの情報で分かる。

 

 流法は成った。

 

拳をグッと握りしめ、酸素を肺の中に目一杯取り込む。溢れてくる感情。今だけは全部解き放つと彼は歯を食い張り、

 

 

「いやったぁぁあ! うわぁぁあ!」

 

 

努力の積み重ねとは言い難いが、コツコツと努力してきたことが今やっと成功に繋がった気がしたテンは取り敢えず声を上げて喜んだ。ぴょんぴょんと飛び跳ねる様は普段の彼からすればあまり想像できる様子ではなく。

 

けれど、それだけ嬉しいことだった。嬉々とした感情が温泉のように溢れてくる彼は喜びの感情を幼子のように表現し続ける。

 

一週間とちょっと。流法の予兆は愚か気配すらなかった中で努力する時間はハッキリ言って苦痛でしかなかった。出口の無い迷宮を永遠と彷徨うような孤独感をずっと感じ、自分のやれることを全て尽くしても流法は気配を表さず。

 

今だからこそ言えるが。正直、挫けそうになっていた。もう自分にはダメなんじゃないかと諦めかけていた。ハヤトには謝って手を引くしかないと思っていた。

 

けど、けど。それも報われた。諦めないで頑張ってきてよかったと心の底から思える。

 

 

「……ほんと、良かった」

 

 

力が抜けたようにへたり込むテンは深く息を吐く。それは、安堵の吐息だった。肩に入っていた余計な力が負の感情と一緒に一気に抜けていく爽快感がする。

 

嬉しさの次に心に浮かんできたのは流法が成ったことによる安渡。お前ならできるとハヤトに言われたことに応えなければならないと、焦燥感に駆られることもなくなった。

 

これで自分もハヤトみたいになれる。ハヤトみたいに動き回れる。そう考えただけで色々と考えていたことが解消されてとてつもない程に安心した。

 

 

「…ダメだ。ここからが始まりなんだから。安心してる暇なんてない。こっからだよ」

 

 

不意に瞳がじわじわと熱せられていく違和感に頭をブンブンと振るテン。嬉し泣きしてる場合ではないと彼は緩み切った心を引き締める。

 

そうだ、そうなのだ。これは始まったに過ぎない初期段階。ここから流法の熟練度を上げていかないと実戦では活用できないだろうし。悲しいことに体が熱せられる感覚は飛び跳ねた瞬間に消え、流法は解かれた。

 

意識を軽く乱しただけで解けていては、戦闘なんてもってのほか。次へ次へと意識を向ける必要がある。

 

なら、今すぐにでも流法の鍛錬をとテンは勢いよく振り返る。そして、嬉しそうにニコニコしながらこちらのことを見ている二人の少女と目が合った。

 

二人の、少女と、目が、あった。

 

 

「よかったですね、テン君! なんだかレムも嬉しくなってきました!」

 

「うん! 私も前から頑張る姿を見てきたから、テンの努力が報われてすごーく嬉しい!」

 

 

途端、それまでに感じていた事が頭の中から消えた。否、消えたというより吹っ飛んでいったの方が正しい。何も残らなくなった頭の中は真っ白になって何も考えられず。

 

気を引き締め治したテンの真顔と、ニコニコとした少女二人ーー腰掛けて大木に寄りかかるエミリアとレム。一人と二人の視線が交差して、

 

 

「……おまえら、いつからそこに」

 

 

やけに片言の言葉を話すテンがぎこちなく口から音を発し、問いかけられたエミリアとレムは互いに顔を見合わせると、

 

 

「レムはずっと隣に居ましたよ。テン君が鍛錬を始めた時からずっと。ずっと隣に、エミリア様よりも早く」

 

「私は、五分前くらいに。声をかけようとしたらレムが「しーー」ってやるから」

 

 

首を傾けるレムが明るい表情で語り、続くエミリアが人差し指を口元に近づけて「しー」の体制。しかし、テンは真顔のまま少しずつ月を仰ぐように夜空を見上げる。

 

今、そこそこに恐ろしい発言をレムがしたことに気付かないテン。二人の答えを受け取った彼は全てを悟ったような表情のまま無言を貫き。そんな彼にエミリアは「ふふっ」と微笑むと、

 

 

「でも、テンの喜び方ってなんだか子どもっぽいのね。飛び跳ねて喜ぶのって……。ごめんなさい、ちょっと面白かったかも」

 

「レムはかわいいと思いましたよ、エミリア様。普段から何を考えてるのか分かりづらいテン君のことですからね。素直に喜ぶ姿はとても珍しいことです」

 

「……そうか」

 

 

顔を向い合わせて互いの感想を共有し合うエミリアとレム。それは、この世界でテンが作った黒歴史第一号の誕生を楽しげに告げ。全てを察したテンは久しぶりの抜け殻状態となり。

 

 

 高く浮かび上がった月の光が、つぶやくテンの菩薩顔を明るく照らしていた。

 

 

 

 







さて。次回からは少しだけテンポ良くいきましょうかね。

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