ーー王都までの道のりは割とスムーズに進み、四人が王都に到着するまでに問題事は特になく。今現在、彼らは王都の門をくぐった。
と、この文章だけで一気に王都に到着させることも不可能ではないですが。それだとつまらないので、ここで一悶着。
こうしてレムと二人になるのはこれで何度目だろうか。少なくとも十回以上はこのような時間を過ごしているような気がテンにはしていた。
いやでも、鍛錬の時間に顔を出すようになってからはエミリアが来るまでの間ではあるが、二人だけの時間があるといえるか。
そうなれば毎日。どうしてか、彼女はテンが鍛錬を始めると同時に真横にちょこんと座っていることが殆どで。恐ろしいことに気配を察知させてくれない。テンからすれば気づいた時には居たような感じだ。
二人になるのはその時だけではない。今も尚、一週間に一度のお休みの日には彼女が紅茶を淹れてくれるし、最近になってからモーニングコール(物理)も大胆なものに変化しつつある。
どうしてなのかはテンには分からない。ハヤトに聞いてみたところ「気付けない方がおかしい」と言われ、ラムに聞いてみたところ「死になさい」の一言で沈黙。
一応、ロズワールやベアトリスにも聞いてみたが返答は曖昧なもの。ロズワールからは「若さ故の葛藤ってやつかなーぁ」と理解不能な返答が。
ベアトリスに至っては「お前、相当可哀想な奴なのよ」と小馬鹿にされる始末。あのドリルロリの嘲笑するような笑みは一生忘れられないだろう。
最後の手段としてエミリアとパックに聞いてみたがエミリアは「うーん。きっとレムはテンとお喋りしたいのよ」と、パックは「若者の悩みって感じがするねぇ」と。両者とも意味不明な返答が帰ってきた。
結局のところ、本人以外に聞き回ってもまともな答えは何一つとして得られず。ここまできたら本人に聞くのが手っ取り早いような気がしなくもない。
尤も、それができたら苦労はしないというもの。
「ーー? どうかしました?」
「いや、なんでもないよ」
レムのことを見つめていたのがバレたのか、視線に気づいた彼女が首を傾けるなどの動作を見ながらテンは自分の肩付近に当たる感触には決して意識を向けない。
やけにレムとの距離感がゼロに等しい気がしなくもないけど決して触れない。そんなものはないと必死に目を逸らす。
二人の時間は多い。確かに多い。その間に彼女が積極的な理由も聞けるかもしれない。が、生憎とこのゼロ距離間隔の状況が毎回続くのだから聞くに聞けないのだ。
現在、屋根から降りてきたテンは
まさか自分の真下でラムが暴走寸前だとも知らない彼は少しの抵抗を見せながらも彼女の隣へと。その途端から彼女が空いた距離ーー身体半分のそれをナチュラルに詰めてきた。
今の状況こそがテンの最近の悩みの種。レムという美少女メイドからの好意的な接触に、しかしテンはキョドるわけでも鼻息を荒くするわけでもない。ただ、やりづらそうな表情をたまに浮かべている。
こういう時、どうしたらいいか分からないテンは彼女のそれを受け流すか無視するしか方法が見つからない。
分からない。なんて言えばいいのか、分からない、何をすればいいのか。経験が浅すぎる彼からすればまだ早い展開だった。
「…ここからの景色も悪くないかも。屋根じゃなくても全然楽しめる。客車よりも解放感あるし」
「それはよかったです。もちろん、レムもそう思いますよ。御車台から流れる景色は普段は見れないものがありますし、それにーー」
ーー今はテンくんも隣にいますし。
そう心の中で呟くレムは肌に伝わる温かい感触に鼓動が速くなっていくような気がした。真横、数値として表すまでもない距離間に彼がいる。その事実一つで頬の熱を彼女は実感した。
彼が嫌がる様子はない。時々、微妙な表情を浮かべてはぎこちなく笑みを浮かべるが。ならばと、レムはもっと自分を意識させる。
軽くみじろぎするフリをして、寄りかかった身体を動かす。身体に触れた物体が動けばテンも意識せざるおえない。
できることならこのまま手を握りたい。そう思うレムだが、残念なことに今自分は地竜の操縦を任された身。手綱から手を離すわけにもいかない。否、それ以前にテンが握らせてくれるとも考えずらい。
「……もう、二ヶ月か」
ふと、空を仰ぐテンがそんなことを呟く。自分を意識させる事に意識を回していたレムは不意に呟かれた言葉にテンのことを見た。やけに熱を帯びたレムの視線に気づかないテンは言葉を繋ぎ、
「時間の流れってのは早いもんだねぇ。初めて屋敷に来た時が懐かしく感じるよ」
うんうん。と一人で頷くテンはしみじみしてるようにレムには見えた。
レムも呟きを聞いて思う。確かに、もう二ヶ月かと。
テンとハヤトが屋敷に来てからというものの、一日一日が濃いこともあってか時間の流れが不思議と早く感じることが多い。そのせいで、気がつけば二ヶ月。
二人が来てから屋敷の雰囲気が前よりも明るくなったとレムは感じる。自分の姉も心なしか笑うことが増えているように見られるし、自分も例外ではない。ベアトリスも食卓に顔を出すことが多くなった。
しかし、レムの中で心情の変化が大きかったのは間違えなくエミリアだ。
ハーフエルフ、すなわち半魔。彼女自身に実害を及ぼされたわけではないが。しかしレムの人生で半魔という存在は決して度外視することなどできない影響を及ぼしたもの。
エミリアは悪くない。彼女はごく普通の少女ーーそんなこと分かっている。分かっているが、それを心が許容するのとでは話が違う。頭は受け入れても、心が受け入れられるわけがなかった。
好意的に接することも、悪意をもって接することも選び難い。結果、レムのエミリアへの接し方は簡潔的に、『客人と使用人』の立場を逸脱しないものであろうと固く決めていた。
そのまま日々が過ぎて、いずれその関係も終わると。そう思っていた。赤の他人としての関係値のまま全てが終わるのだと。そう思っていた。
思っていた、のに。
テンとハヤトが来てからエミリアは少し変わった。変わったというより、自分を表に出し始めたという方が正しいかもしれない。
前と比べると口数も増えたと思うことも多々あり、感情豊かになった場面もよく見られる。
そんな彼女を見る度、そしてテンを通じて彼女と話す度に。自然とレムは、自分の中でエミリアが半魔である事実よりもエミリアがエミリアである事実の方が優先されていることに気が付いた。
それに気付けば、レムのエミリアに対する接し方は少しずつだが変化しつつあって。今までは接することも極力避けてきた。けどーー、
「ーーム、レム」
「ーーはっ」
途端の呼びかけにレムは肩を跳ねさせて反応した。いつの間にか傾いていた顔を上げれば、自分のことを心配そうに見つめているテンが自分の名を呼んでいる。
考えていたことを振り払うように軽く左右に頭を振る。深く考えすぎていた自分を咎めるようなレムの行動にテンは「ん?」と疑問に思い、
「深く考えてたようだけど。大丈夫?」
「はい、大丈夫です。テンくんがお屋敷に来てから二ヶ月が経つと思うと、レムも感慨深くなってしまって」
「そうだよなぁ」と、レムと感情の共有をしたテンが楽しそうに笑う。釣られるように自分の頬も緩んでいて。
テン(とハヤト)が来てくれて本当に良かった。この時、笑う彼を見るレムはそんな言葉を胸に抱いていた。彼(とハヤト)が屋敷に来なかったら自分も今のようにはなれなかっただろうし。
もちろん、自分の姉やエミリアにベアトリスも。良い意味で彼らに影響をされている自分達は前よりもずっと毎日を楽しく過ごせている。
何より、
「テンくんがお屋敷に来てくれて良かったです」
「え?」
この人と出会えて、本当に良かった。
遠回しにそう伝えるレムが顔一杯に笑みを浮かべながらテンのことを見つめる。テンからすれば何の脈絡もない突然の言葉、しかしレムからすれば脈絡しかない言葉。
聞き手と話し手で受け取り方が異なる言葉をテンに届けたレムは竜車の操縦へと意識を半分向け、ほのかに紅くなった頬を隠すようにテンから視線を外すと、
「レムは本当にとっても嬉しいです」
そう言って言葉を切った。照れるような仕草の彼女は、本当に魅力的で、心を惹きつけられるものがあって。
ーー今なら、聞けるかな?
心の中で呟かれたテンの言葉。何の根拠もなく彼は、彼女が自分に対して積極的になる理由が今なら聞けるかもと思っていた。
相変わらず鼓動はうるさいし、言葉が詰まりそうになる違和感は感じるが。今なら、それら全部を我慢して問いかけられるかもと。
「……あのさ」
口を開く、声に反応したレムが「はい」と応えると横目で自分のことを見た。意識の半分が自分の方に向いたことを確認したテンは、常々感じてきたことを口にしようと息を吸い、
「ーーゴーア!」
その息は、詠唱としてレムの耳に届けられた。
▲▽▲▽▲▽▲
偶然というのは理不尽なものである。偶然とはこちらの都合をガン無視するものである。
例えそれが、男女二人の関係を進展させることのできる場面だとしても容赦なく邪魔しにくるのだから。
脊髄反射と言うべきか。或いはロズワールに火球を浴びせられ続けたトラウマと言うべきか。何の予兆もなく接近した脅威に対するテンの行動はレムよりも早かった。
それまでの感傷と思考を一刀両断。たった今竜車へと脅威となるものーー火球が放たれてきた方角。確認するまでもなく真正面へとテンは火球を飛ばした。
火球と火球が相殺され、竜車が黒煙に飲み込まれて視界不良になるが地竜に対して加速を促したレムによってそれは一瞬にして晴れる。百キロ近く出ているのだ、黒煙から抜けるなど造作もない。
「レム、何ともない!?」
「テン君のおかげで。でも、一体何が……」
立ち上がるテンが、右腕で困惑するレムを庇うような動作をしたのち二人はそれを視界に捉える。竜車の正面、その先。果てしなく続く緑の大地の向こう側から三つの物体が接近しているのが見えた。
接近するにつれてそれは物体ではなく竜車だと気づく二人。目を凝らすようにジッと見ているが、対する竜車からの応えは散々なものだった。途端に現れるのは十個程度の火球、間違えなく自分達を狙うそれは無慈悲にも竜車に放たれる。
「エル・ゴーア!」
このような時のために鍛錬しているテン。拳を突き出す彼は短く詠唱。十に対して十で迎撃の攻撃展開は寸分の狂いもなく乱れ打ちされた火球を一つ残らず相殺した。
再び視界が黒煙に満たされ、何が何だが分からない状況。しかし、突然レムに引き寄せられたかと思えば小柄な身体に自分の身体が埋められる。理解するまでもなく、レムがテンのことを抱き寄せた。
突然に次ぐ突然。先程までの穏やかな空気は一転して、慌ただしい空気。
何がどうなってこうなったのか問いただしたいテンだったが。レムが竜車を急旋回させたことでその必要も無くなり、同時に理解する。あのまま立っていれば振り落とされていた。
激しい横揺れを感じた時、腰に回されたレムの腕に力が込められるのをテンは感じた。高速の車が急旋回すれば慣性に振り回されて横転するように竜車もまたそれと同じ。しかし、寸前で踏みとどまれているのはレムの巧みな技術が故か。
何も見えない状況下で遠心力に従って両足が外へと投げ出さないのをテンは必死に耐える。レムに抱えられてなければ恐らく今頃真っ逆さま。それはレムも大概ではないだろう。
御者台に乗る二人でこの被害。客車に乗っているハヤトとラムの安否が心配になるところ。そうこうしている間にも急旋回で黒煙を抜け、竜車にかかる直進の力を殺し切ったレム。
彼女は竜車を止めると。何処からか持ち出した乙女の武器とは想像し難い鉄球もとい、モーニングスターを片手に携え、叫んだ。
「盗賊です! 姉様、ご無事ですか!?」
「ハヤト! 出番!」
盗賊、と聞いてレムの次に叫んだのはテン。頼りになる相棒の名を呼び、呼び声に反応したハヤトが大剣片手に客車の扉を勢いよく開けて飛び降りる。彼に続くのはレムの心配の拠り所、ラムだ。
二人とも無事だったらしい。御者台から飛び降りたテンとレムの近くに着地した二人は、竜車の揺れでもみくちゃになりながらも怪我らしい怪我は特に見られなかった。
テンの隣に立ち並ぶハヤト。妙に興奮している彼は抜刀済みの大剣を肩に担ぐと、
「盗賊って言ったよな? 俺の聞き間違えとかそんなんじゃねぇよな?」
「そんな大事なこと聞き間違えるなよ。うん、なんか襲われたらしい」
他人事のように語るテンにハヤトが「おいおい」と声を挟むが。そうしているうちに四人の前に三台の竜車が急停車、中からぞろぞろと野蛮な雰囲気を醸し出しているガタイの良い男達が降りてきた。
十二人程度だろうか。中でも目立つのは真ん中の竜車から一番最後に降りてきた一人の大柄な男。大きな手斧を持ち、視界に映る四人のことを見下すように見ている。他の連中は言うまでもない。
レムやラムからすれば珍しい事例でもないのか、動揺する様子は無い。寧ろ、睨みを効かせる二人はやる気満々だ。しかし、それよりもやる気満々な男達が二人の前にいる。
一歩。二人を庇うようにして前に踏み出る二人。緩い顔つきでそれらを見るテンと、血気盛んとばかりに鋭い眼光を飛ばすハヤト。
絵面だけで見れば。か弱い女性二人を庇う蛮勇な男二人に見えるが。二人からすれば鍛錬の成果を発揮する良い機会、自分の力がこの世界の人間にどの適度通ずるのか判断できる。
無手のテンと大剣とナックルの格闘剣術スタイルのハヤト。二人は故郷で言うところのチンピラに相当する盗賊達を上から下まで見た。
特に言うことはない。盗賊だと一眼見て判断できる服装。薄ボロい布の下半身に、同じくぼろ布の筋肉質を露出させた上半身。頭にバンダナを巻いてるそれはどちらかといえば海賊に見えなくもない。
「ご丁寧にナイフまで片手に添えちゃって。そんなの振り回したら危ないよ?」
「男は拳。武器なんぞに頼りやがって、情けねぇとは思わねぇのか」
「君、特大ブーメランって知ってる?」
五十センチ程度の刃渡、ナイフというより短剣を大柄な男以外が全員持っているという。やはり盗賊といえば短剣なのだろうかと腑抜けた思考をテンはするが、その間にも何を思ったかハヤトは大剣を鞘へと納刀。ナックルを装備した拳を握りしめた。
命を取りに来ている敵を前に大分余裕な態度の二人。そのタイミングでさえ普段通りすぎる会話をすれば敵からすれば煽っているとしか捉えられない。
現に、大柄の男。身の丈程の手斧を持った男が威嚇するように手斧を地面に叩きつける。衝撃部に刃が突き刺さって地面に埋まり、少々のひび割れが生まれるところ、当たればただでさえ済まされない攻撃力。
どの世界にも大きな音を叩いて視線を注目させる文化は共通らしい。「お?」と声を揃えて二人が反応すれば大柄の男はイラついた態度を表に出し、
「テメェら、舐めてんのか?」
「「いや、全く」」
「テン君、ハヤト君。今のは相手に対して失礼ですよ。もっと言ってやって下さい」
「隠しきれない敵意が溢れてるよ、レム」
「それはお互い様でしょう。この野蛮な男共」
背中にかかるレムの声。そして、テンとハヤトのことを盗賊と同類の野蛮な男共と一区切りにしたラムの少女二人。
相変わらず程度の低い扱いを受けた男二人は思わず苦笑。それを煽りと捉えたのか盗賊達は怒り浸透とばかりに「舐めてんのかぁ!?」とか「ぶっ殺すぞ!!」などと声を荒げている。
「野蛮な人達だね、ハヤト」
「そうだな。その辺のチンピラみてぇだな」
「きんぴら?」
「チンピラな」
しかし、それに対する二人の反応は薄く。テンの軽口は止まらず、ハヤトの対応も早い。自然体のリラックスした雰囲気を纏っている。
実際のところ、テンとハヤトの精神状態は普段通りと遜色なかった。寧ろ、今の方が気持ち的にはラクとさえ思っている。
理由は単純、二人はロズワールの鬼指導をその身に受けているからである。それだけで十分だ。
最近になって宮廷筆頭魔導師の片鱗を見せつつあるロズワール。鍛錬時の威圧、殺気はもちろん。背後に阿修羅を彷彿とさせる圧迫感を常時向けてくるのだ。
加え、ハヤトの場合は体術メインのため。ありとあらゆる体術で攻め立てられ。抵抗するハヤトもロズワールに迫りつつあるといえるが、それでもまだ本気には勝てない。身体中に痣を作っては悉く撃沈する。
テンの場合は体術にプラスして魔法、ロズワールの本職に果敢に挑む。その度に打ち込まれる打撃、更には手加減なしの魔法、終いには二つのコンボ攻撃。流法を使ってもなお、毎回一度は「あ、死ぬ」と思わされる。
そんなのだから今の二人にとって盗賊なんて子犬に見える。それも、鳴き声が「わん!」ではなく「きゃん!」の方の。世界有数の逸材の殺意を、現在進行形で向けられ続けている二人の心に乱れはない。
「さっきからテメェらよぉ。状況分かってんのか? 後ろの女二人庇って俺たちの前に出てきた雑魚二人、対して俺らは刃物持った十二人。金さえ出せば見逃してやるぜ? いや、そこの上玉な女二人もだ。最近はその辺の女は飽きてきたしよ。ちょうどいい夜のお供になりそうだ」
「……なんだと?」
テンプレのセリフをスラスラと吐き続ける大柄な男。続くように周りの手下が下劣な笑い方をしている。それらの視線が向くのはレムとラム。彼女達が美少女だと思われるのは外の世界でも共通らしく、盗賊の目がいくのも必然だった。
話の内容だけ聞けば完全に"どこにでもいそうなチンピラ"だ。尤も、竜車を襲った手際の速さといい、逃げ場を封じる手際の良さといい、やり慣れてる感のある集団だとテンは思っていた。
実際に見るのはこれが初めてだから基準が分からないが、口振りからしても違いないだろう。慣れた盗賊達に軽口で返すテンは体をほぐすように背伸びしながら、
「二人? 数も数えられないの? ね、ハヤト」
「テン。つまんねー冗談吐くのはもうやめろ。そろそろ気持ち切り替えやがれ。ブッ飛ばすぞ」
と、軽口に乗ってきていたはずのハヤトから返された怒気の含まれた言葉によってそれは消される。途端に彼の身に黄金色の覇気が纏われ始め、次第に帯のように体を流れた。
何が彼の心に触れたか。「なんだと?」と言って以降、雰囲気を一変させたハヤトに「悪い」とだけ返したテン。彼は頬に緊張感を持たせる。
ふざけた態度を引っ込め、真面目な顔つきになったテン。彼が一度だけ深く息を吐けば、次の瞬間には雰囲気を一変させる。
その瞬間、盗賊達の視界には一匹の熊と一匹の狼が映っていた。熊は近づくだけで身をズタズタに引き裂かれてしまいそうな威圧感を放ち、狼は懐に忍び込まれれば食い散らされそうな殺気を眼光に宿している。
先の緩々とした二人は途端に消え、代わりに獣となった二匹は息を潜める。まるで獲物の首筋へと噛み付く機会を窺うように。人間ではない野生的なそれを向けられた盗賊達は「死」を彷彿とさせるそれに気圧された。
戦いになることを察したテンは身体の力を抜くように吐息、隣の男に指示を仰ぐ。
「……で、どうするの」
「全員ぶっ倒す」
「ん、殺さないでね」
返ってきた指示の脳筋さにハヤトを見れば、沸き上がる感情を抑えているのがテンには分かった。
拳が震えるまで握りしめられ、怒り浸透のそれは表情にもそれは浮き出て、眼光の鋭さは親友ながらに背筋が凍った。
だから、このままでは殺してしまいそうな勢いがある彼に釘を刺したテン。彼に首を頷かせたハヤトは、一応頭の片隅に彼の言葉を留めておいた。
このやり取りだけで一触即発な空気が両者の間に漂い始め、本格的な衝突は近いと悟ったのか盗賊達が短剣を構えた。中には「ゴーア」と詠唱を口にし、五つほどの火球を浮かべる者もいる。
「面倒ですね。あまりかまってる時間もないので素早く捕らえましょう。抵抗するようでしたら骨の一本や二本をへし折って」
「そうね。どの道、衛兵の詰め所にも行くんだもの。ちょうどいい手土産になるわ」
レムはテンの隣に、ラムはハヤトの隣に。黙っていた彼女たちが口を開けば並び立つようにして一歩、前へと足を踏み出した。
か弱い女たちと思い込んでいた二人が出てきたことで目を見開く盗賊たち。しかし、それらを視界に捉えるテンは、レムの話したことが中々に恐ろしい内容だったことに別の意味で背筋が凍った。
もっと怖いのはさも当然かのように話していること。低い声で、お仕事モードの無表情のままに。ラムも同様。初めて見る冷酷な彼女達に敵でない自分が怖いと感じるのはなぜなのか。
心強いと感じる少女二人に彼女達がいれば戦いも無事に終わると心に余裕持たせたテン。が、反対にハヤトは二人の名を呼ぶと、
「お前達は下がってろ。ここは俺達でやる」
「は?」と心底疑問に思ったとばかりにテンが腑抜けた声を思わず発した。レムやラムも声には出さなかったようだが、彼と同じように頭の上に大きな疑問符を一つ浮かべている。
三人からの反応をつぶさに受け取ったハヤト。彼は「決まってんだろ」とテンの肩をポンと叩き、
「ちょうどいい機会だ、ここで俺とテンの鍛錬の成果を発揮してやる。散々ロズワールの野郎にボコボコにされてんだ、負けはしねぇよ」
「だから、お前らは手ぇ出すな」と隣に立つ少女二人よりも一歩、二歩。前に出たハヤトは盗賊達を睨みつける。握りしめられた拳はやる気満々。恐らく、きっかけ一つで彼と共に解き放たれる。
いつものハヤトと少し違う。この時、彼に対してそんな感想を抱く三人。感情的なのはいつものことだが、加えて憎悪のような良くない雰囲気が彼にはあった。
レムとラムには不思議で仕方ない。彼は基本的に穏健な人間で、憎しみ方面で怒ることなどまずあり得ないと思っていたからだ。尤も、テンからすればその理由は割と簡単に見抜ける。
「あーぁ、こりゃダメだ」と言葉を溢して観念するように苦笑。やれやれ、と首を横に振るテンは二人のことを交互に見ると、
「こうなったらアイツは止まってくれない。悪いけど、ここは俺とハヤトでなんとかするよ。二人は竜車の上にでも座ってて。あ、もしかしたら他にも仲間が潜んでるかもしれないから、背後とか気をつけてね」
「二人でやれるの?」
「やるんだよ」
「……そう。情けなく負けるのだけはやめてね」
「分かってる」
ラムと短く言葉を交わしたテンは頬を硬くする。この言葉を言った以上、負けるわけにはいかない。勝つ以外に戦いを終わらせる道は塞がれた。
やれるかではなく、やる。いずれはエミリアの盾となり矛となるのだから、この程度で足踏みしている暇などありはしない。だから意地でも勝つ。
そう決めた彼はハヤトの隣へと駆け出しーー、
「……レム?」
右手の裾が引っ張られる感覚に振り返れば、レムが引き留めていた。顔を見れば、瞳が心配そうに揺れている。もの言いたげに唇が震えている彼女はゆっくりと息を吸い、
「本当に、大丈夫ですよね……?」
紡がれた言葉はいつになく切なげで、
「無事に帰って来てくださいね……?」
重ねられた想いはいつにも増して重みがあって、
「また、
思い出させられた光景は脳裏に焼き付いて、レムの心を締め付ける。
そんな彼女を見たせいか。テンは「ふっ」とやけに自信満々に歯を見せて笑うと、掴まれた手を優しく振り解き、
「あ……」
ポンと。
テンはその手を一度だけレムの頭に手を添える。これまで彼女の体に自分から一度も触れて来なかったテンがこの瞬間、初めて触れて。
それっぽい場面はいくつもあったが、その度にテンがヒヨって手を出すことはなく。しかしこの時、ようやくテンが自分からレムの体に触れた。それも不安がる彼女を優しく包み込むように。
「平気。ヨユーだよ」
戦う前にしては随分と気の抜けた声のそれは穏やかな表情も相まっていつも通りのテンにレムには見えていた。いつも通り、普段も変わらない彼が自分の前にいる。
不思議と心が落ち着いていく感覚がした。高く波打っていた水面が凪になるような、感情の水面からそれらが無くなるような、そんな感覚。
「じゃ、行ってくるね」
長くは続かなかった。早くも短い時間は、レムの頭から温かさが離れていった事で終了し、同時に彼は駆け出していく。名残惜しそうなレムの声は彼の耳には届かないまま、彼の背中が離れて。
背中に受ける視線を感じながら、しかしテンが振り返ることはなかった。
次回、テンとハヤト無双回。今までロズワールにフルボッコにされてきたのでこれくらいは許してくれると嬉しいです。