親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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お洒落なサブタイを考えられる人ってすごいですよね。先輩方に尊敬しかないです。





彼女らだけが、それを劇的だと知っている

 

 

 

「たっだいまぁ! 帰ってきたぞー! そらぁ! ベアトリスぅ! お土産買ってきたぞー!」

 

「急に入ってきたかと思えば大声で叫び散らすんじゃないかしら!? 冗談抜きでお前の大声は鼓膜が破れるのよ! ほら、本が落ちたかしら!」

 

 

そんな会話からハヤトは禁書庫へと足を踏み入れる。もはや、彼が平然と『扉渡り』を破るようになったことに関してはベアトリスは触れない。これで何百回目、そろそろ慣れてくる頃合いだ。

 

しかし、その声だけはいつまで経っても慣れないとベアトリスは耳を塞ぐ。否、慣れる方がおかしい。長年の付き合いの男ですら鼓膜が張り裂けると悶えていたのだから。

 

加え、ハヤトが入ってきた衝撃で本棚の中から一冊の本が落ちた。元々落ちかけていたのも原因の一つとしてあると思うが、空気をも振動させる彼の声は無機質にも影響を及ぼすらしい。

 

ハヤトの声は大きい、とてつもなく。そんなことを本を指差すベアトリスは驚くように語り、対するハヤトは書庫の奥で木製の脚立に腰を落ち着ける彼女へと足を進めながら、

 

 

「それ、テンとラムにも言われたなぁ。でもよ、俺はずっとこの声だが、前の時はテンは何も言ってこなかったんだよ。つまり、アイツは我慢できるってことだよな。つまり、人間にも我慢できる声ってことだよな。つまり、ベアトリスも我慢できるってことだよな」

 

「つまりつまりうるさいかしら。意味不明な持論を語るんじゃないのよ。それに、あのイカれ男とベティーを一緒にするんじゃないかしら。不愉快極まりないのよ」

 

 

なんの根拠にも理由にもならない持論を持ち出したハヤトが親指を立ててグーサイン。呆れるような様子のベアトリスは手に抱えた分厚い本にため息をこぼした。

 

テンは耐えれる、なら人間にも耐えることができるまでは分かるが、それが精霊であるベアトリスとどう結びつくのか。相変わらずハヤト理論は彼にしか理解不能なことだった。

 

因みに彼女が形容した「イカれ男」とは、先程ハヤトの口から出てきたテンのことだ。呼ばれるようになったのは流法の鍛錬を手伝ってもらって以降ーーその時からずっとその呼び名で。

 

彼女曰く「何度ぶっ飛ばして痛めつけても、笑顔で向かってくる男のどこがイカれてないのかしら」だそうだ。

 

外から見ていたハヤトには分からないことだったが。なんでも、あの時のテンは後半になるにつれて楽しそうに笑みを浮かべながら特攻してきたため、珍しくベアトリスも寒気がしたとかなんとか。

 

イカれ男。悲しいことに、割とその呼び名が定着してしまっているのがなんとも言えないが、

 

 

「そこまで言うか」

「そこまで言わせる方がおかしいのよ」

 

 

パタン、と半ばまで開いていた本を閉じたベアトリスの視線がハヤトの方へと向く。彼は自分の手の届く範囲まで歩いてきていた。身体二つ分、絶妙な距離感。

 

ニヤニヤするハヤトと目があった時、ベアトリスはあることに気づく。基本的に手ぶらな彼のはずだが今回は違うらしい、片腕に紙袋を二つ程ぶら下げている。

 

膝に立てた本に顎を乗せる彼女が怪訝な瞳でその二つを見つめれば、ニヤニヤしたハヤトが更にニヤニヤし出した。彼女の意図を察するハヤトはそのうちの一つを渡すと、

 

 

「それはテンから。流法の時の約束の品だとよ。律儀になことにお前の好き嫌いに備えて三種類、それぞれ別の茶菓子が入った物を買ったらしい」

 

「イカれ男らしいといえば、らしいのよ」

 

 

中を覗き込んだベアトリスが長方形の箱を一つ取り出す。箱を開ければ、数え切れない量の茶菓子が綺麗に詰めらていた。一つ一つが同じものではない、様々なところから品のある物を寄せ集めたようなそれはバリエーションに富んでいる。

 

高級品。まず初めに浮かんできたのはその言葉だった。中身を覗き込む二人は思わず「おぉ…」と感嘆の声を溢す。一箱目でこれだ、あともう二箱残っていると考えると、

 

 

「俺に一箱くれない?」

「絶対に嫌かしら」

「ですよねー」

 

 

即答された答えに残念がる様な仕草、なんとなく予想はついていたがやはりダメだったとハヤトは苦笑した。抱えていた本を山積みになった本の上に重ねると彼女は、代わりに紙袋を抱える。

 

渡さない、の明確な意思表示だろう。これは自分のだからお前に渡さないと。その仕草に「どんだけ飢えてんだよ」とハヤトの声が聞こえたが、特に気にしないベアトリスは試しに一つ、茶菓子を口に入れてみた。

 

途端、「ほぁ」と小さく声を溢す頬が外から見ても分かるくらいに緩む。どうやらお気に召したらしい、もう一つ口に入れた。三つ目に手が伸びようとしたが、自制した彼女はその手を下げ、口の中で二つを味わう。

 

口の中に広がるほんのりとした甘み。咀嚼した時に舌に返ってくる苦味、彼女の歯でも容易に砕くことのできる硬さ。最後に喉を通った後に残る甘い香りが嗅覚を刺激した。

 

流石高級品、そこら辺のとは質が違う。目の前に剥き出しになっていると、ふとした瞬間に手が伸びてそうな危うさがあるため、ゆっくりと箱に蓋をした。

 

 

「どうだ? 美味かったか?」

 

「よくやったかしら。とだけ伝えておくのよ」

 

「そりゃ良かった」

 

 

取り出した布で指を丁寧に拭く彼女の様子に満足げにハヤトは頷く。反応から察するにーーというか、「ほぁ」と言った時点で美味しいことを雄弁に語っていた。

 

素直に感謝の言葉を言わないことに定評のあるベアトリスがその言葉を言うのだ。彼女的にも相当お気に召したのか、言い方は上から目線だが一応、気持ちは伝わってくる。

 

さすが甘いものパワー。スイーツを堪能していたラムも中々に可愛かったと竜車の中でテンが話していたが。

 

彼女だけでなく甘い物は大半の女性に共通して有効的なようで、ベアトリスもこの様子。

 

そうなってくると、茶菓子がどれほどの物か気になってくるところだが。残念なことに彼女が持ち去ってしまった。いつの間にか目の前からいなくなっていた彼女が戻ってきた時には、茶菓子は紙袋ごと消えている。

 

一つくらいくれてもいいのに、なんてことを思うハヤトだが。無くなったものはしょうがない、お茶の時間にでも突撃して分けてもらうことにした。

 

 

「それで。それは何かしら」

 

「これか? これは俺からだ」

 

 

脚立に座り直すベアトリスの指差しに、今回の目的である紙袋をハヤトは差し出す。口角の釣り上がる彼は未だにニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 

彼には何も頼んでないはずだが一体何を買ってきたと言うのか。警戒する様に目を細める彼女は、受け取りづらそうな表情を浮かべながら受け取る。

 

中を確認する前に一つ、ベアトリスはハヤトの表情を伺う。相変わらずの表情、これでは変に警戒した自分がバカらしく思えた。

 

とにかく、何か言う前にまずは見てみないと始まらない。

 

 

「……これは。本当に何かしら」

 

「開けてから言ってくれ」

 

 

紙袋の中から引っ張り上げた小箱。ベアトリスの両手の平の上にちょうど収まる大きさのそれはクリーム色をしている。本当に何が入ってるのか見当がつかず、彼女は首を少し傾けた。

 

小箱、そしてハヤトと二つを交互に見る。見たところで答えが書いてあるわけでもない。ハヤトがお土産に買ってきそうな物など、ありそうな物がありすぎて余計に搾りきれなかった。

 

 

「ーーーー」

 

 

無言で開けてみる。

 

小箱の中には薔薇の形をしたヘアピン型の髪飾りが入っていた。色合いも自分の服装と似せてくれたのか、紅色と少し目立ってしまうが、違和感のないもの。

 

途端、ベアトリスの思考回路はこれまでにない高速回転を見せる。意味不明な行動の理由を突き止めるために、目の前でニヤニヤ笑う男の理由を理解するために。

 

 自分の、心の声を聞いた。

 

 

 ーーこれを、自分に?

 

贈られるようなことをした覚えは一切ない。それどころか、過去にぶっ飛ばしまくってるせいで関係値は贈り物を贈るに至ってないと思っていた。

 

 ーーなにか、裏があるのか? 

 

贈り物をされたのはーー何百年前だったか。精霊としての自分の力を欲する一人の男が、或いは禁書庫の知識を解放しろと言う男が、機嫌を取るために品のある物を贈ってきたのが最後だったか。

 

 ーーそんな物、誰がいるか。

 

自分ではない何かを発する連中の贈り物になんの価値がある。誰も自分を見ていない。やれ「精霊としての力を私に」だ「書庫の知識は開かれるべきだ」だ。そんなの知ったことか。

 

 ーー誰も、ベティーを見てくれない。

 

力を秘めた大精霊ベアトリスを、禁書庫の番人ベアトリスを、それらを欲するニンゲンの献上品などクソくらえだ。ーーベアトリス、何もないベアトリスを誰も見ようとしてくれない。

 

 ーーでも、この男なら?

 

不思議な男だとは思っていた。扉渡りを軽々しく破っては毎日三回以上は自分の領域に図々しくも足を踏み入れて。

 

これまでにも禁書庫に、ベアトリスの許可を得ずに入り込める資格の持ち主は何人か存在していた。

 

しかし、そのいずれもが禁書庫そのものを欲し、あるいは強大な力を欲し。口を開けば、知識の解放を求める。あるいはベアトリスとの契約を求める。そんな輩ばかりだった。

 

 ーーこの男なら。

 

 

「ベアトリス。暇だから遊びに来た」

「冗談は声だけしてほしいのよ」

 

 

永遠を生きてきた中でたった一人。暇だから自分の領域に足を踏み入れる輩など彼一人だった。口を開けば綺麗事をつらつら並べる連中とは違い、彼は自分のことを一直線に見てくれた。

 

 ーーこの、男なら。

 

彼が贈ってくれた初めての贈り物。この髪飾りには一体、どんな意味が込められているのだろうか。想像もつかない。つかなくなってしまうほどにそれを自分は諦めているのだから。

 

 でもーー、

 

 

「お前なら」

 

「お、帰ってきた。急にぼーっとし出したから心配したぞ。主に髪飾りが嫌でぶん投げられるんじゃないかって」

 

 

声を出し、いつの間にか俯いていた顔を上げる。必死に冷静を保とうとする自分を目の前の男に悟られぬよう、余計な声は出さない。そうしてしまえば、それと一緒に情けない自分が顔を出してしまう。

 

「お前……、なら」

 

 

僅かに震えた声。極限まで我慢した彼女が一欠片だけ溢した感情の声は目の前の男には届かない。依然としてニヤニヤ笑っている。

 

太陽の様な笑み。そう言い表すのが一番適しているとベアトリスは思う。何一つとして混濁の無い、負の感情の一つも感じ取れないそれが彼女の暗がりに覆われた心の底をいつも温かく照らしている。

 

 

「ひ、一つ。聞くのよ」

 

「おん」

 

 

呼吸を落ち着かせるベアトリスがハヤトに尋ねる。感情を押し殺すのは得意だ。深呼吸して、自分という自分を押し込めて、闇の底に葬って。ボロボロの仮面、偽りの自分を顔に被って。

 

 聞いた。

 

 

「これは、どういう意味かしら」

「どういう意味とは?」

「なんの意味があって、こんなものを……」

 

「お前に似合うかなって思ったから買ってきた。ただそれだけだぜ?」

 

「ーーーー」

 

 

聞いた途端、頭の中が真っ白になった。

 

考えていたことが一瞬にして消えて、予想もしなかった返しに思考回路が理解しようとしなかった。なんで? どうして? とかも出てこない。

 

本当に、何も、考えられなくなった。

 

ハヤトはいつも通りだった。いつも通り、うざったくなるくらいの笑顔を浮かべて、脳裏に焼き付いて離れていかない。彼は平然とした様子でニヤニヤしている。

 

 ニヤニヤ、ニヤニヤと。

 

 

「王都に行った時によ。暇な時間ができて、その時に装飾品が売ってる店に寄ったんだよ。そん時に偶々目についたのがお前に似合いそうだったってわけ」

 

「ーーーー」

 

「言うなれば、衝動買いってやつだな。絶対似合うからこれは買おう!って思ったんだよ。まぁ、お前がつけてくれるかは分からねぇけど。気が向いたら付けて、見せてくれよな」

 

「ーーーー」

 

「他にもお前に似合いそうなのは沢山あったんだよ。けど、やっぱそれが俺的にはイチオシだな。子供っぽさを残しつつ、でも品のあるお嬢様って感じのが俺はいいと……」

 

 

髪飾り購入の裏話を楽しそうに話すハヤトだったが、彼は先ほどからベアトリスが一言も話さないことに気付く。それどころか、顔を俯かせている。

 

なにか、触れてはいけないものに触れてしまった感があってハヤトの背筋に冷たい汗が流れた。軽い気持ちで贈ったのが間違っていたのか、小さな拳を力一杯握りしめている彼女は口を開こうとはしない。

 

 

「お、おい? ベアトリス?」

「ーーーー」

「もしかして、髪飾りが嫌だったか…?」

「ーーーー」

「なんか言ってくれねぇと、分からないんだが」

「ーーーー」

「悪かった。悪かったから、なんか言ってくれ」

 

 

名前を呼び、理由を探し、声を求め、最後には謝る。何故贈り物をした自分が謝る必要があるのかは不明だが、思いつく言葉をハヤトは手当たり次第に口にする。

 

ベアトリスからの応答はない。感情を読み取らせてくれない彼女はずっと俯いたまま。訳も分からずハヤトは片手で後頭部を掻いた。彼にしては珍しく困り顔である。

 

 

「……ベティーの」

 

 

不意に、絞り出した様な声がハヤトの鼓膜を刺激した。彼が声に反応した時、彼女の唇は言葉を刻んでいる。

 

 

「ベティーのために……?」

 

 

今にも泣き出してしまいそうな声だった。きっかけ一つで、声が震えてしまいそうな。

 

 

「本当に、それだけの理由で……?」

「もちろんだ」

 

 

何を問う必要がある。自信満々に話すハヤトは俯くベアトリスに即答する。髪飾りを買ったのは他でもないベアトリスのためだ。

 

一眼見て、「これは似合う!」と確信して、付けている姿を想像してはニヤニヤして。レムに「少し気持ち悪いです」とまで言われたのは多分、一生忘れられない。

 

だから、ハヤトは言った。

 

 

「何をそんなに疑ってるのかは知らんが。その髪飾りはベアトリスのために買ったもんだ。お前に似合うと思ったから、お前に付けてほしいと思ったから、付けてる姿が見たいと思ったから」

 

 

ただ、それだけだ。そう言葉を閉じるハヤトが彼女との距離を一歩、詰める。手を伸ばせば届く距離の彼女に、正しく手を伸ばす彼は俯く頭に手の平を重ねた。

 

そっと。猪突猛進.天真爛漫の彼からは想像もつかないくらい優しい力がベアトリスの頭を撫でる。ロズワールの体を震わせる打撃を放つ人間にしては、これは温かすぎて、優しすぎる。

 

どうしてハヤトが頭を撫でたのか、理由なんて大層なものはない。そうしなきゃと思ったからだ。

 

今にも泣いてしまいそうな彼女を見て、一々頭を働かせるほどハヤトの頭は丁寧ではない。自分がしたいことを、やれる範囲でやる。それが彼。

 

振り払われようが関係ない。そういう時は自分の感情を押し付けるくらいが相手にはちょうどいいのだ。良くも悪くも、本心を曝け出させることができるのだから。

 

 

「撫でるんじゃ、ないかしら」

「おう。すぐにやめるよ」

 

 

そして、これがベアトリスの本心だった。言葉を口にした彼女は髪飾りの入った小箱を大切そうに両手で包んで、ハヤトの温かみを感じている。

 

 

「手、を。離すかしら」

「分かってる」

 

 

振り解こうとすれば一瞬で振り解ける。手を伸ばして、いつものように豪快にぶっ飛ばせば、それで事足りる。

 

 

「離さないと、本気で怒るかしら」

「おう。分かってるよ」

 

 

素直で素直でないベアトリスの表情は伺えない。言葉で抵抗する彼女は、しかし嫌がる仕草は見られない。どっちなのか分からない様子に、ハヤトは頷くだけで、頭を撫で続けた。

 

ベアトリスもよく分からなかった。二つの感情に板挟みになって、頭では彼を否定しているのに、心では受け入れている自分がいた。いつも通りなら容易く振り払えるそれが、こんな時に限って強く居残る。

 

居残ったそれは、闇の底に葬った自分を、ボロボロの仮面に隠れた自分の本心を、今この瞬間だけ曝け出して。

 

 

「ーーーぅ」

 

 

口から声がこぼれる。一言、たった一言なのに上手く言えない。顔を向くこともできない。

 

 

「ーーとう」

 

 

でも、今言わなくちゃいけない言葉がある。今しか言えない言葉がある。自分が自分を出せている今しか。今を逃せばきっとーー仮面が、また自分の顔に張り付いてしまうから。

 

 だから。その前にーー、

 

 

 

 

 

「ーーありがとう。ハヤト」

 

 

 

 

その気持ちだけは、伝えたかった。

 

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーー」

 

 

扉の閉まる音と共にハヤトは禁書庫から出てきた。恍惚とした様子の彼は、余韻に浸るように出てきた扉に背を預け、ずり落ちるように座り込む。何となく斜め上を向き、深く息を吐いた。

 

背中からは、もう違和感は感じなかった。自分が禁書庫を見つけるために頼りにしてる『温かさ』という確かな感覚は、気配を消失させている。開けたとしても空き部屋が広がってるはず。

 

しかし、仮に禁書庫があったとしても今のハヤトに開ける勇気は無い。

 

 

「……まさか、そうくるとは」

 

 

早る鼓動を抑えるハヤト。彼は誰かに見られているわけでもないのに片手で顔の下半分を覆う。思わず緩む口元、それを隠すように。もし見られたら男としてのプライドに亀裂が入りそうな気がした。

 

 

 ーーありがとう。

 

 

まさか、感謝の言葉をストレートにぶつけられるとは予想外の反応だった。

 

付けてくれるか否かは別として。彼女が、素直でないことに定評のある彼女が「ありがとう」の五文字を直球で伝えることにどれほどの破壊力があったか。

 

これは実際に受けた者にしか分からないとハヤトは確信した。即ち、今のところ自分にしか理解できない破壊力を彼はその心で受け止め、事実として嬉しすぎておかしくなりそうだった。

 

それだけではない。

 

 

「あいつ、俺の名前……。初めて呼んだよな」

 

 

彼女の口はハヤトの名をハッキリと呼んでいた。基本的に彼女は、人の名前を呼ぶ時はその名前で呼ぶことはない。その人間の立場や外見を基に呼んでいる。

 

「お前」とか「小娘」とか「姉妹の姉」とか「姉妹の妹」とか「イカれ男」とか。一つ明らかにおかしいのが混じっているが、絶対に名前を呼ぶことはしない。

 

 

 ーーハヤト

 

 

幾度となく脳内再生されるそれがハヤトの頭の中を廻る。それは、ある意味で奇跡とも呼べる瞬間の音声だ。他でもないベアトリスの声が、自分の名を呼んでくれた。

 

二ヶ月経って初めて。ずっと「お前」だったのに、あの瞬間だけ「ハヤト」と下の名前を彼女は口にして。濁してなどないハッキリとだ。

 

どうしてかは分からない。ハヤトはただ、似合いそうな髪飾りを衝動買い、それを贈り物として彼女に渡しただけ。たったそれだけのことで、彼女は様子を一変させ、結果に至る。

 

 

「今思えば、頭撫でさせてくれたのも不思議だよな」

 

 

流れでやってしまったが。そもそも、あんなにすんなりと頭ナデナデを受け入れるベアトリスは違和感の塊。普通なら「離れるかしらーー!」とか言ってぶっ飛ばしてくるのに。

 

何が彼女をそうさせたのか。十中八九、髪飾りが理由の一つだと思うけど。多分、いや絶対にそれだけではないとハヤトは思う。

 

あの時、あの瞬間。彼女の中の何かが反応して、あのような状態にさせたのだと。それが分かれば全てに納得がいく。

 

 

「いくが。それはベアトリスが話してくれなきゃ分からないよな。なら考えてても仕方ねぇ」

 

 

琴線に触れたのだろうとだけ結論づけてハヤトは立ち上がる。分からないことをいつまでも引きずっていてはしょうがない。

 

喜んでくれたなら良し。それで今は納得する。元より喜んでほしかっただけだから、結果としては大成功なはず。問題はこの後に彼女が髪飾りを付けてくれるかどうかだが。

 

 

「それは追々として……。仕事だな。まずは着替えねぇと」

 

 

立ち上がり、気持ちを切り替えるハヤトは歩き出す。何はともあれ贈り物は成功した、なら次は夕食の準備をするために食堂へーーの前に執事服に着替えるために自室へ。

 

未だに「ありがとう。ハヤト」の破壊力に心が弾んでいる気がしなくもないが、取り敢えず顔には絶対に出さないようにした。仮に悟られればテンに追及されかねない。

 

階段の踊り場を抜けて三階から二階へ。珍しく三階にあった禁書庫から離れる彼は緩む頬をなんとか引き締めながら廊下を歩いていると、一番奥の扉が開く。

 

その部屋、テンの部屋だ。日の出と同時に陽光が差す天然アラーム付きの部屋。中から出てきたのは当然テン。彼も着替えたのだろう、執事服に着替えていた。

 

ハヤトが軽く手を振ると、「おー」と低い声が廊下の奥から響く。両手をポケットに突っ込んだ彼は相変わらず呑気そうな様子。

 

彼の姿を上から下まで視線を巡らせたハヤト。まつ毛がピクリと反応すれば、その視線はポケットに突っ込んだ右手、その腕に止まる。

 

 

「腕は治してもらったんだな」

 

「うん。エミリアにね」

 

 

先程まではギプスをしていた右腕は、連行してきたエミリアによって癒されたらしい。「この通り」と振り回されるテンの右腕は元気そうな感じだ。

 

始めはどうなることかと思ったが、本当に一安心のハヤト。もう二度と、なるべく、できれば、このようなことが起こらないように彼は気をつける事にした。覚えてる限りでは。

 

 

「てかお前、俺よりも着替えるの遅いっておかしくね? 俺が治癒魔法かけてもらってた時間、何してたの?」

 

 

ふと思った。といった具合にテンの疑問が投げかけられる。自分とは違って何もないハヤトは速攻着替えて夕飯の支度をすると勝手に想像していたのだが。今の様子を見る限り、そうでもなかったらしい。

 

不意に思い出される「ありがとう。ハヤト」に、なんとか頬の緩みだけは顔に出さないようにするハヤト。彼は「それはだな」と言葉を繋ぎ、

 

 

「お前から託された茶菓子と、髪飾りを渡してたんだよ。茶菓子の方は好評だったぜ、ベアトリスから「よくやったかしら」と伝言を預かった」

 

「そう、それは良かった。でも、茶菓子の方はってことは。髪飾りの方は良くなかったの?」 

 

 

別に触れなくてもいいところを触れてくるテンの真面目な表情に、なんでそこ触れるかと自分の失言にハヤトは内心ため息。隠したい隠したいと強く思ったせいか、言葉としてボロが出た。

 

正しく伝えるべきか否か。否、否である。

 

ハヤトもベアトリスもあんな場面は知られなくないだろう。「どうだったの?」と、再度問いかけてくるテンに彼は「そうだな…」と考える素振りを見せ、

 

 

 ーーありがとう。ハヤト

 

 

「普通に受け取ってくれた」

 

「へぇ、良かったじゃん」

 

 

脳裏に過る記憶とは裏腹に普通と返す。

 

テンには申し訳ないが理解してもらう事にした。テンからすれば、受け取ってもらえたのは関係値の高さが理由、でも思ってることだろう。それでも強ち間違ってはないと思うが。

 

 

「そーゆーお前はどうなんだ?」

「何が?」

「お前のことだ。エミリアに腕輪、渡したんだろ」

「あー。うん、渡したよ」

 

 

これ以上被弾しないように話題を逸らすハヤトがテンに話を振り返す。思い付きで振った話だが、間違いではなかったのか、テンは頷いていた。

 

ならばとハヤトはその結果を問い詰める。どちらかと言えば結果よりも早く話を逸らしたい彼は口早に「どうなんだよ?」と言葉を叩き込んだ。

 

 

「えっとね……。うーん」

 

 

問い詰められたらテンは悩み出した。良いか悪いかを聞いたのだが、それすらも曖昧な様子で彼は困り出す。ーー正直。言おうかどうかテンは迷っている。

 

 

 これは、本人であるテンとエミリアだけの話なのだが。

 

 

腕輪を渡した直後、エミリアは号泣してしまった。静かに嗚咽を漏らしながら、大粒の涙を瞳から大量に垂らしながら。

 

布団が濡れると困るからと布を差し出したら、差し出した腕で涙を拭われた。執事服じゃなくてよかったと思う、お陰で服の一部が大洪水の被害に遭った。

 

落ち着かせるのは本当に大変だった。どうしていいかも分からず、見ていることしかできない自分の情けなさとは裏腹に、彼女は容赦なく腕から離れてくれなかった。五分程度泣いてようやく収まったのは、良かったのか悪かったのか。

 

 

 ーー誰にも言わないで。これはテンと私だけのナイショの話だから!

 

 ーー分かった。言わない。

 

 ーー絶対だからね! 言ったりしたら許さないんだから! ぶつからね!

 

 

落ち着いた彼女の第一声はそれだ。顔を赤らめる彼女は食い気味にテンに詰め寄り、この出来事を誰にも話さないことを言いつけていた。あまりの勢いにテンは頷くことしかできず。

 

 

 ーーありがとう。テン。ほんとに、ほんとに、すごーく嬉しい。ずっと大切にするね。

 

 

感謝の気持ち、軽い気持ちで渡した自分の心が抉られるレベルの笑顔を見せてくれたエミリアを、テンは直視することができなかった。そこまで嬉しがられると嬉しい通り越して申し訳なさすら感じてくる。

 

号泣の意味は正しくは分からない。嬉しいからもあると思うけれど、きっとそれだけではないとテンは思う。自分の理解できない彼女の部分が感情に震えて、涙となって流れたんだと思う。

 

追求する権利は無い。今のテンはそれを聞いていい存在ではない。だから、喜んでくれて良かった程度に自分の中では済ませた。

 

 だから、結果としては。

 

 

 ーーずっと大切にするね

 

 

「……うん。普通に喜んでくれたよ」

 

「若干の沈黙が気になるが。そうか、そりゃ良かったじゃねぇか」

 

 

嘘は言ってない。ただ、喜び方を少しだけいじっただけ。本人から口止めされているのだ、話すわけにもいかないとテンは口を硬くする。

 

どちらも結果として正しいことは伝えているが、その内容までは深く伝えず、互いが互いに秘密にし合う構図が完成した。

 

伝えることは彼女達を辱めるの行為他にない。誰に何を聞かれても口を固く閉じて。

 

 

「じゃあ、俺はそろそろ厨房に。お前も早くこいよ。ラムに怒られるから」

 

「わーった。また後でな」

 

 

互いの結果を交換し終えたところでテンが手を叩き、場の空気を切り替える。促されるように扉を開ければ、ハヤトは自室へと入り。見送るテンは扉の閉まる音を背にして歩き出したのだった。

 

 

 

 

軽い気持ちで贈った贈り物は、両者とも予想外の反応をされることで終わる。

 

彼らからすればなんのこともない、ただの日常の一幕で。朝起きて「おはよう」を言う程度の心持ちだった。

 

一人は感謝の気持ちを込めて、一人は似合うからという理由一つで。

 

だから、彼らは知らない。今日この日、贈り物を大事そうに見つめる二人がどんなことを想っているかなんて。

 

 

 ーーありがとう。ハヤト

 

 

それは、自分のことを真っ直ぐ見てくれる存在からの贈り物だった。

 

 

 ーーありがとう。テン

 

 

それは、自分のことを『普通』と見てくれる存在からの生まれて初めての贈り物だった。

 

だから、彼らは知らない。自分達の贈り物が、彼女達にとってどれだけ大きなことだったか。

 

 

彼女らだけが、それを劇的だと知っている。

 

 

 

 

 

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