親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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投稿間に合ったーー!

そういえば、この物語を投稿してから早一ヶ月が経ちましたね。まさか、ここまでこの小説が評価されるとは考えもしませんでした。個人的には沢山のお気に入りと評価と感想を頂いて満足してます。

重ね重ねにはなりますが。ここまで読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。





ロズワール邸は騒がしい その4

 

 

 

 

「……ん」

 

 

ちゃぷん、と。白く長い足が静かに音を立てながら湯の中に滑り込む。湯船の温度に冷えていた下半身が瞬間的に熱せられ、少女は僅かに喉を鳴らして身体を沈めていった。

 

 

「あ、はぁ……」

 

 

長い銀発を簡単に手でまとめ、片肩から流す少女は縁に背を預けるように湯の中に沈み込んで吐息。色っぽい声が静かな浴場に小さく響き渡った。

 

美しい少女だった。夜の月光を移したような銀色の髪に、宝石を嵌め込んだような紫紺の瞳。雪のように透き通る白い肌はほんのりと色づき、見る者がいれば男女問わず見惚れるような艶めいた雰囲気を漂わせていた。

 

少女の名はエミリア。美貌で有名なエルフの血をその身に引いた麗しの乙女である。

 

 

「んーー。何度も浸かってるけど、温かい湯船に浸かるのってやっぱり気持ちい……」

 

 

浴槽の縁に身体を預けるエミリアは疲労感を思わせる吐息と共に恍惚の呟きを漏らす。

 

屋敷にきてからは毎日入浴しているとはいえ、やはりこの時間だけは代わりの効かないものだと肩まで浸かるエミリアは思う。至福の時間、極楽のひと時、言い方は様々だ。

 

自分の与えられた使命を全うするために、ロズワールの期待に応えるために。日々努力しなければならない彼女にとってこの時間は心休める時間の一つ。

 

全身の力を抜き、何となく斜め上を見上げると、湯からほんのりと立ち上る湯気が見えた。何も考えずにぼーっと見ていると、意識が引き寄せられるような感覚に陥る。

 

きっと疲れている証拠だ。入浴したことで体の内側にあった疲労が浮き出てきているのだ。お陰で瞼が少しだけ重くなってきた。

 

 

「う……、前よりもお肉ついちゃったかも」

 

 

意識を湯気と一緒に浮遊させていたエミリアだが。ふと思い、湯船から腕を持ち上げて二の腕を指で摘むと、以前よりも肉付きがよくなってきていることに気づき、表情が歪む。

 

恐らく食生活が安定した結果だ。勿論、栄養不足を懸念した場合は安定した方が良いと言えるが。彼女の二の腕は栄養不足よりも栄養過多、食べすぎていることを語りつつある。

 

あとは、勉強に熱を入れたことで動き回る機会が減ってきていることも原因の一つ。取るだけで、その分動かなければ太るのも当然の因果。

 

 

「うぅ……、これじゃまたパックに怒られちゃう」

 

 

正直、エミリア自身は自分の体型をあまり気にしていない。ハヤトのような筋肉の権化にも、テンのような着痩せにも興味はない。

 

しかし、それはエミリアだけのお話で。そこに彼女の契約精霊であるパックが介入すると色々の面倒なことになる。

 

親代わりを自任し、家族同然の時間を共に生きてきたパック。彼は我が子を大事にしすぎるあまり、生活の様々な場面での口出しがとても多い。実にありふれた典型的な父親だ。

 

もちろん感謝はしている。彼のおかげで健康な体を保てているし、風邪も引かない。が、あまりに小言が続くと無視したくなることがないわけではない。

 

 

「お風呂上がりの柔軟と、髪の毛の手入れと、お肌の保湿と、ええと、あとは……」

 

 

風呂上がり後にやらなければならないパックとの約束、それを指折り確認していると勝手にため息が出てくる。毎日の習慣が面倒に感じるのは、疲れが溜まっているからか。

 

焦ってはいけない、自分は自分なりに頑張る。とはハヤトの勢いに追い詰められていた、いつかのテンの言葉。

 

自分も彼のように、焦らずに日々やれることを真面目に熟していくとは心がけているものの。他よりも遅れていることを自覚する度にいつの間にか頑張りすぎてしまう。そのせいで肉体的にも精神的にも疲弊しているのかもしれない。

 

 

「やだな、私。こんなことで弱気になってちゃダメなのに」

 

 

後ろ向きな考えばかりが浮かび、それを振り切るようにエミリアは両手掬ったお湯を顔にかける。滴るそれらを拭い、「よし」と一声。

 

ただでさえ、スタートの時点で出遅れているのだ。その挽回には大いに奮闘が必要なのである。

 

それにテンやハヤトだって自分のために頑張ってくれているのだから、茨の道を進むと誓ってくれたのだから。自分も負けるわけにはいかない。

 

 そんな風に、エミリアがやる気を新たにしていると——、

 

 

「あら、エミリア様?」

 

 

不意に脱衣所の扉が開かれて、浴場に誰かが足を踏み入れる。声にエミリアが振り返ると、裸身をタオルで隠してやってくるのは、桃色の髪をした少女だ。

 

エミリアより小柄だが、きめ細やかな肌や愛らしい顔立ちでは負けていない。湿気を吸ったタオルが肌に張り付き、その華奢な体のラインをかえって煽情的なものに仕立て上げていた。

 

彼女は湯舟のエミリアを見つめ、小首を傾げる。

 

 

「こんな時間に入浴なんて珍しいですね。てっきりテンテンの所にいるのかと。ラム達は時間を改めた方が?」

 

「ううん、大丈夫。折角なら一緒に入りましょうよ」

 

「そうですか。ありがとうございます。——レム、入ってらっしゃい」

 

 

身を回し、縁に両手を乗せるエミリアが答えると、その少女、ラムは軽く頭を下げる。それから脱衣所の方に声をかけ、顔を覗かせる自分の妹を呼んだ。

 

 

「姉様、先に入っていたのがエミリア様でしたから良かったですけど。ハヤト君やテン君だったらどうするんですか。いけませんよ」

 

 

そう言って、浴場に現れたのはラムに瓜二つの青髪の少女、レムだ。

 

ラムに比べると、わずかに目つきが穏やかに感じられるが、それ以外は姉妹だけによく似ている。顔立ちや華奢な体はそっくり——胸だけ、レムの方が大きいだろうか。

 

タオルで身体を隠すレムの言葉に、ラムは「そういえばそうね」と口元に手を当てて悩む。仮に先客がエミリアではなく、あの男二人だった場合——、

 

 

「ハヤト君のいやらしい目つきが姉様に向けられるなんて、レムはとても耐えられません。テン君にはレムが個人的な方法で目隠しをさせていただきますけど。ハヤト君には対処しかねます」

 

「根本的な問題が解決できていない気がするけど。そうね……そのときは実力行使。瞬間の楽園が最後の光景となるわ」

 

「そんな怖いこと言わないの。ハヤトもテンも、すごーくいい子じゃない」

 

「評価には若干の食い違いが生じているかもしれませんね」

 

 

妹とエミリアの言葉に端的に応じて、ラムは汗を流すと、エミリアの斜め前に陣取るように湯船に浸かる。

 

やはり入浴時に心が緩むのは彼女も同じだったらしい、普段は無表情の頬がわずかに緩んだ。至福の時間を共有できたことにエミリアは薄く微笑む。

 

 

「……どうされました、エミリア様。そんな頬が緩み切った笑みを向けられても」

 

「ラムってホッとした表情をあまり見せないでしょ? だから、ちょっとだけ嬉しくなって」

 

「当然です。表向きに見せる表情でもありませんし、ラムが表情を綻ばせたら道端を歩く男共が気絶してしまいますから」

 

 

よく分からない例えを持ち出して、ラムが刹那で頬を引き締める。自分の無防備な姿を晒すのはメイドとしてあるまじき行為だと教え込まれた彼女は、次の瞬間にはいつもの凛々しい表情に戻る。

 

不本意にも湯の温度で緩んだ心を咎めるような反応にエミリアは残念に思うが、そのラムの対面に今度はレムが浸かってくると、

 

 

「いつも毅然としていらっしゃる姉様も魅力的ですけど、お風呂に浸かって自然に油断する姉様も愛らしいとレムは思いますよ」

 

「ってことは、いつものことなの?」

 

「はい。レムだけしか知らない、姉様のちょっとした秘密です。尤も、これでエミリア様とレムだけしか知らないことになりましたけどね」

 

 

ほんのりと頬を色づかせ、冗談めいた風にレムが口にする。ある意味、ラム以上に他者に壁を作るレムだが、テンとハヤトが屋敷に来てからは彼女の中で変化があったのか、そんな印象も最近は緩和されつつあって。

 

夜、テンの鍛錬時に彼を交えて話すことも多々。その中で、今のような仲良さげなやりとりも自然と交わすことができるようになってきたことがエミリアには嬉しかったり。

 

微笑む二人に見つめられてラムはやりづらそうな表情。自分の無防備な姿に対して柔らかな反応をされてもされた側が困る。

 

 

「レム。あまり恥ずかしいことは言わないでほしいのだけど」

 

「ごめんなさい、姉様。姉様の素敵なところを、もっと他の方にも知ってほしくて」

 

「そう、仕方ないわね。ラムは万人に自慢しても恥ずかしくない姉様だもの」

 

 

変化といえばラムもだろうか。あの二人が来てからは心なしか顔を見る度にどこか生き生きとしているというか、活気に満ちていると表すべきか。楽しげな雰囲気がほのかに漂ってくるのだ。

 

だとしてもラムがレムに甘いのはいつものことだが、今日は特にそれが強い気がする。レムの態度も相まって、エミリアにはそれが素敵な変化に感じられた。

 

 

「もしかして、お風呂に浸かるとみんなみんな心が緩むから仲良くお話しできてる……っ!」

 

「エミリア様、どうしたんですか?」

 

「ど、どうしよう……。もしかしたら私、この世の真理に誰よりも早く気づいちゃったかもしれない……!」

 

「姉様、姉様、大変です。エミリア様、お湯に浸かりすぎてのぼせてしまったみたいです」

「レム、レム、大変だわ。エミリア様、イカれ男のせいで寝ぼけてしまったみたいだわ」

 

「お風呂に入ってるのに!?」

 

 

のぼせて寝ぼけて扱いされ、更にはこの場にいないテンに被害が及ぶ。夜遅くまで鍛錬する彼に付き合うせいで睡眠時間が削られていると知るラムによる軽めの跳弾に、今頃イカれ男は寒気でも感じているだろう。

 

からかわれたエミリアは呆然としながら湯船の中に沈む。不満アピールを隠すこともしない彼女はぶくぶくと泡を立てて幼い子どものような態度。

 

それから「ぷはぁっ」と口を出して酸素を吸うと、

 

 

「そんな言い方することないじゃん」

 

「今の言い方、少しテンテンに似ていましたね。語尾に『じゃん』を付けるのはいかがなものかと」

 

「そ、そう……? 気をつけるわ。レムもそう思う?」

 

「はい、レムもそう思います。……なんだかエミリア様、テン君とハヤト君が来てから、大分お変わりになられた気がします」

 

「そんなことは、えーと、ない。……とは言い切れないかもしれないけど」

 

 

レムに指摘されてエミリアは思い出すように胸に手を当てる。

 

約二ヶ月前、ロズワールに拾われて屋敷に使用人として迎えられ、近い将来自分の騎士となる青年達のことだ。その言動はエミリアの中の常識を軽々と破壊するものが多く、いつも楽しませてもらっている。

 

周りとは異色のカテゴリーに入る二人。一人は常に前向きで、一人は常に後ろ向きという真反対な二人。そんな彼らと過ごした思い出を呼び起こしたとき、自分の確かな変化にエミリアは気づいた。

 

確かに、以前と比べたら自分は変化しているかもしれない。が、それは自分に限った話ではないだろう。

 

 

「でも、それを言い出したら二人の方があの子達と接する時間は多いでしょ? お風呂が関係ないなら、二人の態度はあの子達の影響ってことかもね」

 

「そうかもしれませんね」

「不本意ですが」

 

 

やり返すエミリアに、双子は息のあった連携で予想外な返し。素直に認めた二人にエミリアが目を丸くした。彼女達がここまで素直に答えてくれることも珍しい。

 

 

「きっと、レムだけではないと思います。姉様も、エミリア様も、大精霊様も、ベアトリス様も、ロズワール様も。ここにいる皆さんがテン君やハヤト君に影響されてるんだと思います」

 

 

指折り、微笑みながら語るレム。うっとりするような様子の彼女は湯煙も相まって恍惚とした風にもエミリアには見えた。

 

隣のラムも、言葉こそは口にしないものの、解けるような息を小さく溢した。そこに否定の意思は感じられない。

 

お昼時、厨房の前を通り過ぎると四人の楽しげな声が聞こえてくるところ。やはり、彼らと二人の関係は悪くないように見える。それどころか友人同様に仲良さそうだ。

 

 

「そういえば。今日は、レムはテンの所に行くのは遅いのね。いつもは私が着く頃にはいると思うんだけど」

 

 

今頃自分の将来の騎士達は、中庭にて鍛錬の途中だろう。自分の課題の直向きに向き合いながら日々真面目に精進する姿は、不思議と応援したくなる。

 

全てを気合い一つで跳ね返すハヤトと違い、鍛錬に熱を注ぎすぎて偶に倒れてしまうテンの場所には、普段ならばこの時間帯はレムが寄り添ってくれているはずだが、今日は違ったらしい。

 

思い出した風なエミリアの呟き。レムは残念がるように下唇を噛むと、

 

 

「今日は少しお仕事が長引いてしまって。早くからテン君の場所に顔を出すことは諦めました。レムとしたことが……、不覚です」

 

 

軽く握りしめた拳を震わせるレム。拳に宿された悔恨の念は表情にまで行き渡り、口元を尖らせて「むむむ……」と口籠る様子はエミリアには新鮮に感じられた。

 

悔しい時に悔しそうな表情をする。それは普段から完璧メイドとして努めるレムにとっての変化だ。人間として当然な喜怒哀楽表現、最近になってそれを表に出し始めた彼女にどんな心情的の変化があったのかは分からない。

 

けど、あの二人——主にテンが絡んでいることは分かるエミリア。彼女は「じゃあっ!」と溌剌とした雰囲気で手を合わせ、

 

 

「このあと私と一緒に行きましょう。少し遅くなっちゃうけど、きっとテンも喜ぶと思うわ」

 

「エミリア様と……?」

 

「うん、私と。そうね、偶には「わぁ!」って驚かせてみるのはどう? すごーく面白い反応を見せてくれると思うわ! その後は、肩に寄りかかって寝たふり……目を瞑るの!」

 

 

小悪魔的な思考回路をレムに提案したエミリアは楽しそうな表情。考えるような素振りを見せた彼女は心情が表情によく浮き出ている。

 

そして今。少し前にあったお姫様抱っこ事件(命名者テン)がエミリアによって意図的に引き起こされたものだと確定した。肩に寄りかかって寝たふり、それからお姫様抱っこへと。

 

どうしてだろう。そうされると、不思議と安心してくるからやめれない。ダメだと分かっていても、彼の優しさに甘えていると分かっていても。ただ抱っこされて寝室に運ばれるだけなのに、心が温かくなってくる。

 

エミリアの幼い悪戯に顔を見合わせるレムとラム。なぜそこで意見交換をする必要があるのかと疑問に思うエミリアだが、不意にラムの唇が綻ぶと、レムの頬が情けなく緩んだ。

 

 

「はい。そうしましょう!」

 

 

ふわっと笑みを見せるレムがそう言って、合わせた両手の上から手を重ねる。ほんのり熱を帯びた白い両手に、それ以上の熱を宿した小さな手が添えられて、二人して仲良く微笑み合った。

 

眼福か至福か。和気藹々とした二人のおてて合わせにラムの目つきが和らぐ。偶にはいいだろう、今ここには、むさ苦しい男と女々しい男はいないのだから。

 

 と、美少女三人組みがそうして揃った大浴場に、本当に珍しく四人目の影が現れた。

 

 

「ーーあぁ、もう。本当に面倒な奴かしら」

 

 

脱衣所の扉を開けて、浴場に姿を見せたのは華奢なドレス姿の少女、ベアトリスだ。クリーム色の髪を縦ロールにし、テディベアと同系統の可愛さがある。

 

彼女は果実のように赤い頬を膨らませ、イライラ感満載の瞳を盛大に鋭くして湯船の三人を睨みつける。

 

手と手を合わせるレムとエミリア。二人がきょとんと首を傾げる中、状況の理解を思考回路に促すラムが「あっ」と納得の呟き声を小さくこぼすと、

 

 

「脳筋ですか? ベアトリス様」

 

「大当たりだけど当たったことが腹立たしいかしら。あいつ、ホントに腹立たしいやつなのよ! 鍛錬が終わったからって、ベティーの読書時間を扉をこじ開けて盛大に邪魔しやがったかしら」

 

「あら、それはそれは」

 

「いつもなら適当に相手してやるけど、今日は少し面倒かしら。ほとぼりが冷めるまでここにいさせてもらうのよ」

 

「さすがの脳筋も、お風呂までは突撃して来れませんからね。来た場合はラムが両目を潰すことになりますが」

 

「お前…、涼しい顔して恐ろしいことを考えるかしら。ま、そういうことなのよ」

 

 

短い腕を組んだベアトリスがラムの目潰し発言に軽く戦慄しながらも、浴場の隅っこを陣取る。浮かべた嘲笑はハヤトに対するものだろう。

 

流石のハヤトもここまでは入ってこれまい、今頃彼は屋敷中を駆け回っていることだ。そう思うと「ざまぁみろかしら」とでも煽り倒してやりたい。

 

しかし、今はその気分ではないベアトリス。彼女はしばらくの間だけ隅っこで待機する予定なのだが。聞こえてきたペタペタという足音に鼓膜が反応する。

 

顔を向けると、そこには湯船から上がって自分の方へと歩いてきているエミリアがいた。何を思ったのか、意味が分からないベアトリスは目を細めて裸身のエミリアを見上げ、

 

 

「何の用なのよ。ベティーはただ時間が潰せればいいだけかしら。それならお前は、とっとと湯船に戻るのよ」

 

「そんなこと言わないの。せっかくお風呂に来たんだし、珍しくレムもラムも一緒なんだし。ベアトリスもお風呂に入っていったらいいじゃない。みんなで浸かった方が楽しいはずよ」

 

「なにも良くないし、楽しくもないのよ! 急になにを言い出すのかしら。まったく、冗談じゃないのよ」

 

 

何が良くて、何が楽しいのか。目の前の人間の思考回路を疑うベアトリスが片手を虫を払うように小刻みに振って「あっちいけ」の動作。

 

相変わらずの頑なな態度。こんな時、ハヤトならば強引に自分の意志を押し通すのだろうとエミリアは不意にも思う。事実として、ベアトリスはそれでなんとかなるのだから。

 

少し前の自分ならこんな考え方しなかったかもしれない。控えめな、自分を抑えた自分ならば行動に移さなかったかもしれない。

 

けど、今のここにいるのはそんな自分、エミリアではない。悪戯心が豊かになった、少しだけ幼いエミリアなのだ。

 

ちらと振り返る。意志を汲み取った優秀なメイド二人が小さく頷くのが見えた。

 

 

「……待つかしら。今の合図は何の合図なのよ」

 

「なんでもないわ。ーーあ! 見てベアトリス、あんなところでパックが行水!」

 

「え!? どこかしら!? にーちゃの貴重な行水、何がなんでも見ておきたいーー」

 

 

古典的な手に引っかかって、エミリアの指差す方向にベアトリスが目を奪われる。パックのこととなると途端に緩くなる彼女は今でも健在で。

 

その瞬間、目を光らせたエミリアがベアトリスの小さな体を抱え込み、そのまま湯船の方へとその体を放り投げた。騙し、掴み、投げる。この一連の動作に迷いなどない。

 

不意に起こった事態に理解する前に口から声が出るベアトリスが「にゃあ!?」と悲鳴を上げ、幼女の肉体が湯船へと放物線を描きながら飛ぶ。

 

 

「ベティーを騙したかしら……! でも、これしきで湯船に落ちるなんて思うんじゃないのよ」

 

 

そのまま湯船の中へと顔面ダイブしてくれたら面白かったのだが。しかし、ベアトリスが空中で止まる。咄嗟に魔法を使って、空中に投げられた体を宙に縫い止めたのだ。

 

そのままゆっくり、ベアトリスはのろのろと湯船の端へ移動し、

 

 

「まぁ、ベアトリス様。そう言わず」

「今夜はご一緒しましょう。ベアトリス様の髪、洗ってみたかったんです」

 

「お、お前たちーー!?」

 

 

飛んで逃げようとしたベアトリスの、ドレスの裾がレムとラムの二人に掴まれる。予想外の動きにベアトリスは反応できず、そのまま二人分の力には抗いきない彼女が頭から湯船に落ちた。

 

水飛沫が上がり、ずぶ濡れのベアトリスは口の中のお湯を噴き、三人を睨んだ。

 

 そして——、

 

 

 

「全く。お前達も完全に、あの男たちの影響を受けてやがるのよーー!」

 

 

悲鳴のような怒号のような、湯船でぶくぶくと泡を立てる衣服を脱がされたベアトリスの叫び声が静かだった浴場に響き、それ聞きながらエミリアは笑う。

 

 

 

 ——笑って。本当にそうかもしれないと、笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 

 

そんなことがあったり、こんなことがあったり、あんなことがあったり。屋敷の人間の日々は割と充実していることがよく分かる。

 

しかし、今回覗き見した一幕は、何十、もしかしたら何百とある出来事の一端に過ぎない。

 

毎日毎日、ロズワールから熾烈を軽く飛び越える死を本能的に察知させる鍛錬をテンとハヤトが死に物狂いで受け、ボロボロになりながらも着々と力をつけてきたり。

 

アーラム村に買い出しに行くテンにレムがついて行って『双子姉妹ファンクラブ』にネチネチとした視線を向けられたり。レムはレムで想いを寄せる彼に猛アタックしたり。相変わらず当人は苦笑いするだけだったり。

 

ハヤトが村に遊びに行けば、子どもたちの木登りにされた挙句、肩に担いだまま走り回るアトラクションにされていたり。

 

いつものように食卓の支度をする使用人二人とメイド二人は下らない話題で適度に盛り上がっていたり。テンはレムやエミリアと、ハヤトはベアトリスと心の距離を確実に縮めていったり。

 

そんな毎日があっという間に過ぎて、ふと気づけば一ヶ月が過ぎている。一つ一つを真面目に語るには、きっとどれだけ時間があっても足りないだろう。

 

テンがレムに朝起こされて、ハヤトがラムに起こされて、食事の時間には笑みが弾けて、強くなるために鍛錬をして、疲れたら寝て。テンがまたレムに起こされる。

 

ごくごく普通の幸せで、穏やかなありふれた日常。それが、来る原作開始まではずっと続くのだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 そう思って、疑うことすらしなかった。

 

 

 

 

 

 







さて、そろそろやりますか

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