朝、小鳥の囀りから始まる早朝。空がまだうっすらと暗く、太陽が顔を出したばかりの時間帯。テンの意識は、まず初めに太陽の光によって奥深くから吸い寄せられるように引き上げられる。
天然アラーム——そう名称するそれは毎朝決まって早朝の五時に容赦なく顔面に降り注ぐ、止めたくても永遠に鳴り続ける無音の睡眠妨害者。寝起きの悪い人間がこれをされた場合、ブチギレものだ。
幸いにもテンはその類ではない。目が覚めたとき偶に頭が痛くてイラッとくる事はあるが、殆どが目をパッと開けて普通に起きる。
それは、今日も同じだ。
「テンくん。朝ですよ」
鈴を転がしたような声が聞こえる。優しく、穏やかな、聞いているだけで心が落ち着いてくる声が上から降りてくる。同時に、自分の腹部に確かな命の重みを感じた。
その重みは太陽の次に意識を引き上げてくる存在によるもの。最近、天然アラームに体が慣れたせいで無視しつつある自分を起こしに部屋へと入ってくる彼女には、毎度毎度ご苦労様と労いの言葉をかけたくなる。
音もなく目を開けると、目の前に天使がいた。
「起きましたね。おはようございます」
「……あい」
『目を開けるとそこには美少女がいました』なんてサブタイトルが付きそうな光景が視界に広がっている。綺麗な声と、緩やかな揺さぶりを感じて意識を引き上げられ、目を開けてみればそこにはレムがいた。
腹部に馬乗りしているレムが、顔を上から見下ろすように顔を覗き込んでいる。
それはもう、日常の一つとなっている事だった。朝にレムに起こされる。常人ならば別の意味で意識が沈み込みそうな状況が約半月間、この世界に来て昨日で三ヶ月が経った今となってはあまり時間など気にする事もないが。
初めは足に跨っていたのが数日後には脛、その数日後には太腿、その数日後には腰、その数日後には腹部と。徐々に彼女の初期地が本体に近づきつつある今日この頃、
「皆さま、いかがお過ごしでしょうか」
「寝ぼけているんですね。分かりました、冷水に浸したタオルを持ってきます」
「待って待って待って」
ヒョイと腹部から飛び降りるレムからなにやら不穏な発言が聞こえた気がしたテンが布団を足で蹴飛ばして飛び起きる。
冗談にしては全く笑えない。朝っぱらから顔面に冷タオルが乗せられるなんて寝起きドッキリもいいところ。
起こした上体。今の一言で意識の大部分に電源が入ったテンは、しかし稼働していない部分の眠気が浮き出たのか背筋を大きく伸ばしてあくび、涙を拭った。
「おはようございます、テンくんっ」
首を少し傾けてふわっとレムが微笑んだ。ありがちな仕草だけど、美少女がそれを行うとやはりいつ見ても破壊力がある。
レムの場合は、言葉の終わりが「くんっ」と跳ねるものだから破壊力がありすぎて軽く破壊王になっているのは言うまでもない。否、破壊王ではなく破壊女王か。それに、見ていると理由もなく安心してきてしまう。何故だろうか。
「おはよ、レム。今日もありがとう」
などとくだらないことを考えながらテンは寝台から足を下ろした。
テンとレム。二人のはじまりである。
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時間は進んで朝食後。本来ならば使用人達は自身の担当する仕事へと真っ先に取り掛かるのだが、今日はその前に一つ。四人は屋敷の玄関前に集合していた。
彼らの目の前にはロズワール。藍色の長髪に、青と黄色のオッドアイ。ゆるい微笑を浮かべる美男子。
なのだが、今はいつもと格好がまるで違う。
「んで、なんでロズワールはそんな格好を?」
「誰かと会うとか?」
「当たりだよん。あまり着慣れない服装をするのは好きじゃぁないんだぁーけどね。普段の格好だと、良く思わない輩も出てくるのだからねぇ。こんな時くらいは礼装に身を包むわけ」
普段の格好といえば。襟がやたらと派手だったりと落ち着かず、独特の色合いも目に優しくない、どこにいても一瞬で見分けがつきそうなピエロ。
割とバラエティーに富んだ服を好むロズワールだが、しかし今回は違う。目に優しい色合いに身を包む彼は、雰囲気的にはジェントルマン。
屋敷の人間からすれば違和感の塊。しかし、それでいて様になっているのが腹立つ。流石の美形はどんな服装をしても軽々と着こなしていた。
どうしてそんな格好をするのだろうかとハヤトは目の前の違和感の塊を見ながら思うが。横にいるテンの頭の中には二つの可能性が浮上、恐らくは来客か外出の二択。
当たり前だ。普段から男二人に生死の境目を行ったり来たりさせているロズワールとて、それを愉悦しながらやってるロズワールとて、TPOは弁えている。
ーーと、信じたい。
火で焼き、風で切り裂き、氷で貫き、岩でぶっ飛ばし、光で目を潰し、闇で世界から追い出してくるのがテンの知るロズワールという男。これまでに一体何度殺されかけたことか。
「来客ですか?」
「外出ですか?」
そんな彼ばかり見てきたものだから、それも怪しいと感じてしまうテンが心の中で小さく呟いたが。その間にも時間は流れてゆき、双子が浮上した選択肢を口にした。
二人も同じことを思っていたらしい。双子姉妹からの問いかけにロズワールは億劫だと言わんばかりに息を溢すと、
「ラムが正解、外出だ。王都から私関係で面倒な輩がいると連絡が入ってねぇ。確かめにちょこっと行ってくる。あと、王国兵士の副兵士長からも呼ばれたから、その用も済ませてくる」
王都からの厄介な連絡とは。もしや、いつぞやのロズワールの従者を名乗る輩が近衛騎士団詰所に突撃したのだろうか。何にしても検討がつかないテンとハヤトは特に無反応。
が、王国兵士の副兵士長と聞いて軽く瞼がピクついた。数週間前、王都に訪れた際に襲撃してきた盗賊を届けた時に出てきた人——テルマ・ティールスと名乗った金髪のクールビューティ。
二人して凛々しい顔立ちが脳裏に過り、彼女に呼ばれたとすれば盗賊関係だろうと予想。尤も、真意は実際にロズワールが行かないと分からない。
が、それだけで全てを察したとばかりに双子は頷く。特に突っかかることもなく、言葉を丸々飲み込んだ。男二人もロズワールに頷いて異論を挟まない。
彼はそんな四人の態度に「うんっ」と満足そうに頷き、
「そんなわぁけで、今日一日は屋敷を離れる。明日までには戻れると思うが、何かあればーーその時は四人に任せるね」
「はい、ご命令とあらば」
「はい、命に換えましても」
戸惑いもなく即断で頷く姉妹に目だけで頷き、それからオッドアイが二人を見つめる。相変わらず思考の読ませない瞳にわずかに目細めるテンとガッツポーズのハヤトは、
「はい、分かりました」
「おう! 任せとけ」
「うんっ。わぁーたしが鍛えたんだから大抵の輩はだぁいじょーぶ。思いっきりやりなさい」
意味不明な言葉を愉しげに話すロズワール。彼は一度だけ、それまでの呑気な表情を顔の内側に引っ込めると真面目な表情を浮かばせ、
「妙な胸騒ぎがする。思い過ごしだろうけぇど、何かあれば、その時は君たちの判断に一任する。臨機応変に頼んだよ」
「胸騒ぎ?」
「よく分からんが、任せろ」
どういった経緯で、胸騒ぎを感じたのか分からない二人はロズワールの発言の意味がうまく飲み込めない。当たり前だ、彼らからすればただロズワールが外出するだけなのだから。
よくある。実力者特有の危機察知能力的なものだろうか、とでも適当に理由付けることはできるが明確な理由は不明。
しかし、そこで取り敢えず頷くのがハヤト。首を傾げるテンの言葉に言葉を重ねた彼は力強く頷いた。
ハヤトの気合を受け取って、ロズワールは口角を釣り上げる。それから一瞬だけテンのことを見た彼はクルリと四人に背を向けると、
「じゃっ、行ってくる。胸騒ぎが胸騒ぎのままで終わってくれることを祈って」
言い、含みのある発言をその場に置いて扉をくぐって屋敷の外へと。見送る四人は扉が完全に閉まり、主人の姿が見えなくなるまで整った動きでお辞儀。
パタンと。扉の閉まる音が小さく玄関広間に響くと揃った動きで頭を上げ、
「では、仕事に取り掛かりましょう。ロズワール様がいなくてもやるべきことは変わりません」
クルリと身を回して回れ右。仕事モードへと気持ちを切り替えたレムが仕切り始めたのをきっかけに使用人達は通常の動きに戻る。加え、主人から任された使命にいっそう、屋敷の警備に力を入れなければと四人は奮起。
ハヤトもその中の一人。胸騒ぎとかはよく分からないが何かあれば即座に対応するつもり。その原因が不審な輩ならば、大剣とナックルを装備した彼が真っ先に特攻するはずだ。
もはや、ハヤトは屋敷の番犬的な立ち位置。不審な輩が侵入することがあれば即座に吠え猛りながら牙を剥いて特攻、鍛えに鍛えられた筋肉が不届き者へと襲いかかることだろう。
▲▽▲▽▲▽▲
「テンってどんな髪型の女性が好きなんだ?」
「え?」
「だから。お前の好きな髪型を聞いてんだよ」
藪から棒な質問。背中にかけられたハヤトの意味不明な問いかけにテンは思わず手を止めて振り返る。口を半開きにして困惑一色の表情を彼に向けるテンだが、ハヤトは真顔とふざけているような表情ではなかった。
彼の声に反応したのはテンだけではない。話題が上がった瞬間から息を潜めるように静まり返るレムと、耳だけは傾けているのか「また始まった」とでも言いたげに顔を向けるラムの二人。
またやってきたこの時間——昼食の支度をする使用人四人の団欒。いつも通りに下らない話題が男二人を中心として展開され、双子姉妹が傍で聞いている形。
毎度毎度よくネタが尽きないなと、ここまでくると変に感心してしまう双子姉妹。本当に下らない話題一つで二人は永遠と話し続けられるのが不思議。
因みに、昨日の話題は「寝る時に布団から足出すの怖くね?」とテンが持ちかけた。
ラムには「子どもの発想ね」と笑われ、ハヤトには「んなもん平気だろ?」と疑問符を浮かべられ、終いにはレムに「かわいいですね」とからかわれる始末。結果的にテンが小馬鹿にされた。
本当にその程度の話なのだ。どこにでもありそうな、強いて言うなら学校に通う人間が昼休みに話してそうな話。
今回のもそれと全く同じ。ハヤトがテンの好みの髪型を聞くという、レムからすれば聞き捨てならない話題だ。
「好みの髪型か……。俺としては長髪も短髪も好きだよ。髪型はどの道、素材を生かすための一つの手段だし。好きな人の髪型なら俺は何でも好きになれるかなぁ」
「真面目に答えろや」
「答えてますけど」
作業に戻るテンからは曖昧な発言。好きな髪型を聞いているのだが、その前に髪の長さから入る彼はどっちつかずな意見だ。好きな人の髪型が好きになるとは、どうやらテンの脳内はファンタジーに染まってるらしい。
ハヤトは「それじゃつまらねぇな」と前置きすると、
「そのどっちかなら、どっちが好きなんだ?」
問いかけたハヤトはレムが息を呑むような動作を背中越しに見た。期待通りの反応をしてくれた彼女に満足げに鼻を鳴らす彼は「えーー」と何も知らないテンが悩むような素振りに待ちの体制をとる。
ここは是非とも短髪と答えてほしいところ。万が一、長髪なんて答えようものならレムの脳内にはエミリアの姿が映りまくってしまうはずだ。それだけは回避したい。
今の質問はレムのためにした、所謂『テンとレムを見守る会』に所属するハヤトからのささやかな援護射撃。普段から気付いてもらうために努力する彼女をもっと後押しさせるための問答。
回答を誤った場合は逆効果になりかねない完全にテン頼りの大博打だが、ここは一つ男を見せてほしいハヤトである。流石にいくら鈍い彼でも少しは彼女に対しての心情の変化が生まれているはず。
「そうね……。髪型か」
葛藤でも生まれているのか、割と真剣にテンは悩む。そこまで悩む必要があるのか微妙なところだが。
数十秒の沈黙を得て彼が出した答えは、
「短髪かな。髪が短いとその人の顔もよく見えるし。単純に可愛い。素材が良いならなおさらね」
「当然の評価ね。ありがたく受け取ってあげる」
「ラムには言ってないよ。間違ってないけど」
「ありがとうございます!」
「レムにも言ってないかな。間違ってないけど」
「ありがとうな」
「ぶっ殺すぞ。間違えしかない」
「俺だけ辛辣すぎだろ!?」
打ち合わせなしの完全漫才。短髪が可愛いと聞いてキメ顔のラムと間接的にテンに可愛いと言われてご満悦のレム。二人に対するテンの反応は優しく、微笑みながら。
二人のテンポの良さに乗っかるハヤト。彼も短髪な人間だが、美少女二人と肩を並べた時の差は天と地。対応の差も天と地。冷たい声と共にテンの握るナイフが光り輝いた。
こうしたやりとりもお馴染み。テンが充実した日常を感じることのできる場面でもある。何も本気で言っているわけでもない、四人からすれば単なる戯れ合い程度。
「んじゃ、短髪が好きなテンは髪の短い女性に魅力を感じるってわけか。ふむふむ、なるほどな」
「別にそれが全てってわけじゃないけど」
「じゃあお前は好きな人を見つける時、何を一番に考えてんだ?」
自然な流れでかなり踏み込んだ質問をハヤトはテンの背中に投げかける。少し前にレムに問われた質問を今この場で本人に問いかけた。あの時は誰にでも当てはまりそうな答えしか答えれなかったことを、今ここで明らかに。
途端、作業の手が止まるテンが黙り込んだ。その問いかけ自体が心に触れたかのようにピタリと静寂、感情を宿さぬ瞳が何もない空間を見つめた。超真面目に考えてそうな様子である。
レムは完全に音を消して耳を澄ましている。テンの口から発せられる言葉を一言一句聞き逃さないようにと呼吸音すらも最小限に。それを察した後ろ二人も一旦作業の手を止めて聞き手に回った。
テンの横顔をチラチラ見るレム、背後で無音を貫くハヤトとラム。聞き手に回る三人の耳に届けられたテンの答えは、
「分かんね」
「えっ……」
「死になさい」
「くたばれ」
「たった一言でこの返し。泣きます」
レムの表情が分かりやすく固まる気配をハヤトとラムは感じ取り、彼女の代わりに二人が彼の背中に言葉の刃物をブッ刺した。
首だけ振り返るテンの真顔。超真面目に考えているように見えて超下らないことを考えている彼は、今回も周りが望む答えとは真反対の答えを導き出したらしい。
せめて「分からない」以外にしてほしかったハヤト達。その答えは「何がいい?」と問いかけて「何でもいいよ」と返されるのと同等の面倒さがある。何がいいかと聞いているのだから質問者側としては何か一つでも選択してほしい。
「分かんねって…。せめて理想の人物像くらいはあるだろ。それは流石に無欲というか、おまっ、それだと女性に興味が無いと思われるぞ」
「女性に興味が無いっつーか。どっちかっつーと恋愛そのものに今のところは興味が無いというか」
途端、レムの後ろ姿。彼女の時が止まったようにハヤトは感じ取った。ピクリとも動かない彼女は呼吸をしているのかすらも怪しいところ。
ラムの表情も固まっている。姉妹揃って時を止めさせたテンは相変わらず呑気な表情。
ーーこれはヤバい。
感覚的にそれを悟るハヤトがこの後のサポートを考える。まさかテンが、女性以前に恋愛自体に興味が無いだなんて予想外だった。
そろそろ彼に性欲があるのか本当に疑いそうなハヤトだが「ってことはよ」と言葉を繋げて、
「恋愛には興味が無くても、女性には興味があるってことだよな? そういうことだよな? そういうことにしてくれ」
「ーーーー。そりゃ俺だって一般的な男だから、女の人を見たら「美人さんだなぁ、可愛いなぁ」とかは思うけど。必ずしも、それが『=好き』に繋がるとは限らないでしょ」
「よし。もういい、それ以上口を開くな」
口を開けば爆弾発言しか出てこないテンの言葉はもう聞きたくないハヤト。取り敢えず女性に興味が無いことは打ち消された瞬間に言葉の圧力、テンの口を無理やり塞いだ。
恐る恐るレムを見ると、彼女の時は動き出していた。心なしかホッとするような雰囲気を纏う彼女を見ると一難は去ったと思えた。根本的な問題は何も解決してない気がしなくもないが今は置いとく。
しかし、ハヤトの隣にいる
「……あ。そういや、タバスカ切らしてんだった」
足の痛みから解放されたハヤトの耳に聞こえてきたのは調味料を漁るテンの発言。引き出しを開ける彼は代わりとして別の調味料を取り出した。
タバスカ——その名を聞いた四人の脳裏に過るのはいつぞやの王様ゲーム。ハヤトが突発的に開催したイベント。
ベアトリスとテンを見つめ合わせた罰としてハヤトにレムが「タバスカ入りのミルクを一気飲みで」と命令したところ、見事にテンの番号を撃ち抜いた。
人一倍辛い物に敏感な彼に当たるとは、運が良いのか悪いのか微妙だが、彼からすれば最悪な出来事。思い出したレムも申し訳なさそうな表情をしている。
「午後にでも村に行って買ってくるよ。タバスカ、使う人は結構使うらしいし」
「いえ、ここはレムが行ってきます。元を辿ればレムの失態が原因ですから」
「そう? じゃあ、よろしく」
「はい」
トントン拍子で進む二人の会話。勝手にレムが村に買い物に行くことが決まってしまったが後ろの二人は特に口を挟まない。
レムが屋敷を開けることは仕事の進みが低下することに直結するが。ここ最近は仕事の速さが増してきた男二人のお陰で仕事に余裕が生まれてきたため、少しくらい居なくてもなんとかなる。
話が終われば再び作業に戻るテンとレム。が、テンは思い出すように、
「ほんと、アレは凄かった。何が凄いって飲んだ瞬間からの味覚が無かったんだよね。王様ゲーム中だけじゃなくて、その日の間」
「その節に関しては本当にごめんなさい」
「気にしないで、怒ってないから。悪いのは全部ハヤトだから。レムは悪くないよ」
「え? 俺?」
「そうね。悪いのは全部脳筋よ。アレもコレもソレも全部」
「怒られる理由がイマイチ理不尽なのに加えて、ラムに至っては全ての事柄の原因が俺に向けられているんだが」
数週間前の事について未だに頭を下げてくるレムにテンは彼女の体を起こしながら笑いかけ、ハヤトに責任転換。
便乗するラムが今回のことも含めて色々とテンの爆弾発言を引き出した怒りをハヤトにぶつける。
ハヤトはいつも通りからからと笑った。
そんなこんなで、今日も使用人四人は仲良しであった。
▲▽▲▽▲▽▲
時間は変わって夕方。徐々に夜の気配が空に満ちつつある時間帯。
珍しく、仕事が予想よりも早く終わった男二人は中庭にて少し早めの鍛錬中。制服から戦闘服に着替えた二人は素振りを終えて各々が別々のことをしていた。
ハヤトはアクラを交えたシャドーボクシング。テンはそれを見ながら胡座をかいて流法を交えた魔法の鍛錬。どちらも自分が目指す騎士像に近づくために真面目に努力している。
「ふぃー。疲れた疲れた」
額から流れる汗を首からぶら下げたハンドタオルで拭うハヤトが、どかっとテンの横に座りこむ。十分間のシャドーボクシングを終えた彼は疲労感を全面的に押し出していた。
むさ苦しい熱気が来たことで静かに彼の身体から離れるテン。二の腕を揉み解す彼に気付く様子はない。「あちー」と両手で顔を扇いでいる。
「お疲れさま」
「おう。お前もな」
目の前に火球を二十個浮かべるテンはハヤトから見てもそこまで集中していないように見える。流石、約三ヶ月間の努力。意識が乱れた途端に全て消えていた頃とは大違い。
加えて今も使っているであろう流法のことも含めると、彼の魔法の練度はそこそこに高められていると思う。自分は格闘を高め、テンは魔法を高めると。
「近距離特化の俺と遠距離特化のお前。うん、なんか闘う姿が容易に想像できるな」
「急に何を言い出すのかと思えば……。俺だって近距離でも戦えるよ?」
腕を組んだハヤトが何故か満足気に笑う。労いの言葉をかけてから少しの沈黙があったため、何を考えているのかと思っていたテンからすれば意味不明な発言だった。
しかし、テンとて体術も剣術も自分なりに研磨している。ハヤトには遅れをとるかもしれないがある程度には戦えると首を傾げる。
「なら、ここは一つ俺と戦うか。一ヶ月前に約束した"来月の初め"になったわけだし」
「どうしてそれに繋がるのかよく分からないけど、今はやめとこうよ。やるならもっと明るい時間にした方が良いと思うし」
立ち上がるハヤトが好戦的に笑い、手を差し出すが、首を横に振るテンはその手を取ろうとはしない。約束は守る主義だが、流石に今からやるのは違うと彼の視線を前から後ろに流した。
出鼻をくじかれた上に軽く受け流されたことで、「ちぇー」と口を尖らせるハヤトはつまらなさそうな表情でテンを見下ろしている。理由については理解がいくが、それでもノッてほしいと思わなくもない。
「んだよ、ノリ悪ぃな。じゃあ明日にでもやろうぜ。仕事をパッパと終わらせて昼間から俺とこの地で決闘しようぜ!」
「怖いな……。分かった、明日ね」
「決まりだな!」
背中の鞘に眠った大剣を抜刀。剣先をテンに向けるハヤトは楽し気な様子で宣戦布告。相変わらず戦いのこととなると、途端に血気盛んになる彼には付き合いの長いテンも若干の恐怖心を抱く。
しかし逃がしてくれるとも思えない。約束したことは果たすためにテンは果し状を受け取った。剣先を向けられると怖いから、手でゆっくり退かしながら。
「うしっ! 言ったからな! 約束破るなよ!」
「はいはい」
目の前で嬉しそうにガッツポーズするハヤトを見ると、テンは本気で彼のことが怖いと思う。彼と違って穏やかな平穏を望むテンには彼の世紀末寄りの思考回路が理解できないため、いつも困ってしまう。
前にも触れたことがあったが。テンは平穏な日常を望む人間であり、ハヤトは戦闘溢れる非日常を望む人間。
決して理解できない壁が二人の間には確実に存在している。故に、呆れた様子のテンの心をハヤトは理解できないし、逆もまた然り。
「やっとか。やっとお前と戦える時が来たと思うとすげぇ興奮してきた。俺とお前、どっちが強いのかついに分かるわけだな」
「ぜってぇに勝つ!」などと気合を高めるハヤト。非日常を好む彼からすればこの展開は大好物、真っ先に飛びつく。最近は平々凡々な日々を過ごしてきたのだ、楽しみなわけがない。
そんな彼を前にテンは乾いた笑いを適当に溢すだけで、言葉は発しない。否、発する言葉が見当たらないから愛想笑いをしている。平々凡々な日々を過ごしていたかった彼は何も言えない。
今更後悔しても遅いかもしれないが、テンはハヤトと戦う約束をしたことを割と後悔していた。
あの時は一時的に気持ちが昂ってしまったせいでノリと勢いで取り付けてしまったが、今思えば何を血迷ったかと過去の自分に問いただしたい。
それがなければ今の状況は無かったはずだ。
「お前はどちらかと言えば魔法だから接近すればやれるか。いや、剣でバチバチに打ち合う戦いもしてみたい気がしなくもない。なんなら格闘戦でも俺はいいぜ!」
自分の前で楽しそうに笑いながらハヤトが大剣を振り回す事も、火球を浮かばせた自分が愛想笑いする事も、何も無いと。
ハヤトが戦いを挑んでくる可能性は否定しきれないが、少なくともこんなに早くは起こらなかったはず。自分が求める日常が、永遠と続くはず。
レムに朝起こされて、ハヤトがラムに起こされて、食事の時間には笑みが弾けて、強くなるために鍛錬をして、疲れたら寝て。またレムに起こされる。
ごくごく普通の幸せで、穏やかなありふれた日常。それがハヤトに戦いを挑まれる日、ひいては来る原作開始まではずっと続くのだと、テンは思っていた。
そう思って、疑うことすらしなかった。
それまでは、平々凡々な日々が————、
「ーー二人ともッ!」
けど、現実は非情で残酷で。こちらの都合なんて全部無視して。
「どした? 珍しく血相変えて」
「なんかあったの?」
理不尽は、常に自分達の真横で息を潜めて。ふとした瞬間、油断した喉元へと刃を突き立てて。
唐突に。予兆もなく。前触れもなく。
それは、
「今すぐ村に向かうわ。着いてきなさい」
——崩壊の音を立て始める
カチッ(何かのスイッチが入る音)