親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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正直なところ、今までの物語はここからの物語を書くために書いてきたようなものです。要はあれですよ、ここからが本編ってやつです。

どうしてテンとハヤトが屋敷の人達と絆を深めていくところから物語を始めたのか。二人が強くなる過程から物語を始めたのか。

全部この時のためです。





地獄からの呼び声

 

 

ハヤトが明日に控えたテンとの戦いについて興奮し、相手であるテンが愛想笑いしながらそれを聞いていた時、その知らせは二人の耳に飛び込んできた。

 

屋敷の扉を乱暴に開けた音に顔を向ければ、珍しく血相を変えたラムが前髪を荒く揺らしながら二人の下へと駆けてきている。普段から何が起きても基本的に動じない彼女が焦燥に駆られた表情をするのも珍しい。

 

疑問に思って二人して首を傾げれば、

 

 

「今すぐ村に向かうわ。着いてきなさい」

「ちょっ、わわわ!」

 

 

と、座っていたテンの腕を引っ張り上げる彼女は彼のことを無理やり連れて行く。意識が乱れたか、浮かべていた火球が消失するのを横目に不審に思いつつもハヤトも後を追いかけた。

 

何が何だか分からないテンは、しかしここまで焦る彼女を見たせいか足を止めようとはせず。腕を引っ張る彼女の横に並ぶと、

 

 

「村に行くってなんで?」

 

「レムを助けるから決まってるわよーー!」

 

 

突然飛んできた怒号にテンの肩が跳ねる。血走った瞳がギロリと向けられた彼は告げられた事実に驚く前に困惑した。

 

何がどうなってレムを助けに行く事になるのか、レムの身に何があったのか、どうしてラムは彼女の危険が分かったのか。

 

あまりにも予想外すぎる返しに頭の中に疑問がこれでもかと浮かんでくるテン。しかし、テンの反対側にハヤトが並ぶと彼はそれら全ての疑問を解消してくれる発言に繋がる言葉をラムにかけた。

 

 

「いきなり言われても困るぜラム。だが、嘘を言ってるようにも見えねぇ。ちゃんとした根拠があんだろ?」

 

「殺意、焦燥、憎悪、恐怖。レムの感じてることがさっき伝わってきたの。伝えるというよりも堪えきれずに漏れたの方が正しいかもだけど」

 

「なんだそりゃ? レムとラムは心が繋がってるから以心伝心でもできるとでも?」

 

 

現実味のない根拠を当然のように語るラム。レムの感じていることを感じることができる事実を聞いたハヤトはラムのことを凝視した。

 

 

「ーー共感覚」

 

 

ポツリと呟いた言葉に、聞き覚えがあるとテンがまつ毛をピクリと反応させ、全く覚えのないハヤトは頭の上に疑問符を複数個浮かべる。

 

感情を押し殺すように話すラムは中庭から屋敷へと飛び込むように入ると、

 

 

「ラムとレムは生まれつきお互いに感じていることが伝わってくるの。それが共感覚。つまり意思の疎通と言ったところね」

 

「なるほどな。だから、ラムはレムからの感情を感じ取った。そんでアイツの身に危険が迫ってる確信を得たわけか」

 

「理解が早くて助かるわ。してなかったとしても無理やり飲み込んでもらうけど。流暢に話してる時間はないもの」

 

 

共感覚。いわゆる『虫の知らせ』のようなものだろうか。感情の昂りがそれを通じて片方から片方へと伝わり危機的状況にも対応できると。

 

殺意、焦燥、憎悪、恐怖。それら全てが一度に伝わってきたと思うとラムが動揺してしまうのも頷けるハヤトだ。まして自分の妹からのそれは姉である以上は決して見過ごすことはできない。

 

事実、話しながらも彼女の足は玄関へと一直線に進んでいる。平然を保っているようだが、彼女の表情には明らかな焦燥感が浮き出ている。

 

 

「その共感覚ってのは、そんな頻繁にお互い感じ合ってるもんなのか?」

 

「ある程度、意識して制御してるわ。ただ、強すぎる感情だとそれを乗り越えて伝わってくることも無いとは言い切れない」

 

 

それはレムとラム。この二人の共感覚による意思の疎通についてだ。

 

普段は意識的に制御しているため伝わることがないのだが。不意に感情のコントロールを失ってしまうと、それがどちらかに伝わってしまうことがある。そしてラムはレムからのそれを先ほど感じていたようで。

 

 

「ずっと、ずっと伝わってくるの……! レムの、あの子の感情が。こんなこと……っ、今までに一度も……。ラムも初めてで……!」

 

 

下唇を噛み締め、拳を握りしめるラムが俯く。今もなお妹から継続して送られてくる憎悪に、泣き叫ぶような感情の絶叫に。狂いそうになる心の悲鳴に。

 

たった一人の家族——その存在の身に今も危険が襲いかかっている。そう思わせる共感覚は彼女の心をこれでもかと揺さぶって。冷静を保っていられる方が難しかった。

 

見たことのないラムの表情を横に彼女を挟んだテンとハヤトは思わず黙り込む。

 

普段は張り付いた嘲笑と一緒に「ハッ!」を炸裂させ、どんなことにでも容赦なく毒舌を挟み込んでくる彼女が。

 

今はどうだ?

 

自分の妹が、ひょっとしたら命すら危険な状態にあるかもしれない。きっかけ一つで泣いてしまいそうな、感情を全て吐き出してしまいそうな気配が彼女には僅かにあった。

 

顔を見合わせるテンとハヤト。ラムの弱々しい姿を前にした彼らの瞳に迷いはなかった。頷き合い、同時に彼女の背中を優しく叩く。

 

 

「ならすぐにでも助けに行こう。俺たちも力になるよ」

 

「たった一人の妹だもんな。なりふり構わず助けに行きたくなるのは当然だし、焦るのも当然だ。任せとけ、俺達がお前の助けになってやるよ!」

 

 

普段は真反対なくせにこういう時に限っては全く同じ方向に心を向ける二人。なんの表裏もなくラムの味方になる彼らは同じ声色をしていた。芯の通った迷いの一つも感じられない声。

 

 

 ーー全く、この男どもは。

 

 

俯くラムは顔を上げない。否、上げれない。

 

上げてしまえば、不覚にも情けなく緩んだ唇を見られてしまう、屈辱的な表情を見られてしまう。妹が命の危機にも関わらず自分のプライドを守るとは随分の呑気なものだと自分自身で思った。

 

しかし、二人のお陰で幾分かは心に落ち着きを取り戻せたラム。彼女はゆっくりと顔を上げる。それをどう受け取ったか、ハヤトは添えた手で背中を数回。喝を入れるように叩くと、

 

 

「下なんざ向くなラム。下ばっか見ててもレムは見つからねぇぞ。お姉ちゃんならお姉ちゃんらしく妹を助ける事だけに頭ぁ回せ」

 

「たかだか脳筋如き、図に乗るんじゃないわよ。ラムがレムを助けること以外、考えるわけないでしょう」

 

「あれ? 割と余裕そうだな、こいつ」

 

 

心配していたらすぐこれ。背中に添えられた手を叩き落とすラムはいつも通りの表情だった。それでもまだ焦燥は抜け切ってない感が否めないが、抜ける方があり得ないと思うハヤトは特に触れない。

 

因みに、テンはその行動を悟ったのか叩き落とされる前に腕を引っ込めていた。そのせいで腕の代わりに背中に平手打ちをくらった。理不尽である。

 

 

「とにかく急ぐわよ」

「おう」

「うん」

 

 

穏やかだった日常から急展開。今までのほのぼのが音を立てて崩れる。

 

レムの危機の知らせを聞いてから五分と経たぬうちに状況を無理やり飲み込んだテンと、飲み込む必要などない『レムを助ける』それ一つでいいハヤトの二人——頼りになる彼らを連れてラムは走った。

 

状況が正確に分からない以上、まずは詳しい状況の把握から。事態は一刻を争うことを理解している彼女は走る足に鞭を入れる。

 

そんな中、展開が早すぎで追いつけなくなりそうになる頭を一旦クリアにするテン。彼は前をゆくラムの横に並ぶと、ふと思い出す。

 

別にレムを助けに行くのはいい。寧ろ助けに行かせてほしい。しかしこのままだと、

 

 

「ラム。ロズワールの言いつけはどうなる?」

「ーーーっ」

「おいテン。ンなこと言ってる場合じゃねぇってことくらい分かるよな?」

 

 

問いかけに対して二人が一度に動く。思い出したかのように息を詰まらせたラムが途端に足を止め、ハヤトがテンの肩を掴みかかる。

 

決して通り過ぎてはいい事ではないロズワールの言いつけ。彼の意思を優先させるのスタンスのラムにとってそれは、もしかしたら命よりも大事な命令かもしれないのだから。

 

しかし、ハヤトにとっては心底どうでもいい話だ。レムの命とロズワールの言いつけ、天秤にかけるまでもない。目を細める彼はテンのことを鋭い目つきで睨んだ。

 

 

「分かってるよ、そんな事言ってる場合じゃないってことくらい」

 

「だったらーー」

 

「でも、もしこれが誰かによる意図的な犯行だったらどうする? 俺達が全員出払って屋敷に変な輩が入ってきたら誰が対応する?」

 

 

睨まれたテンの姿勢は崩れない、肩を掴んできた手を彼は無理やり引き剥がした。痛む肩に手を添える彼は顔を顰めて思考を必死に回している。

 

テンとて今すぐ助けに行きたいが、それはロズワールの言いつけを破ることを意味し。同時に、仮にこの騒動が人為的なものだった場合へのリスクマネジメントを怠ることに直結してしまう。

 

熱くなるだけでは誰も救えないと一旦頭を冷やすテン。反対にハヤトは「簡単だろ?」と彼の心配を鼻で笑い、

 

 

「そんなのベアトリスは禁書庫から出なけりゃいい話だし。エミリアはパックに守ってもらえればいいだろ」

 

 

そうだ、そうなのだ。仮に何者かが侵入したとしてもベアトリスは『扉渡り』を破られない限りは確実に安全。エミリアには世界を凍り付かせる力を持つ精霊がいる。何にも心配はいらない。

 

 そんなハヤトの思惑はーー、

 

 

「ベアトリスはいいかもだけど、パックは今は結晶石の中で眠ってるよ。お前もアイツの活動時間については知ってるでしょ? それに仮にそうだったとしても根本的な問題は何も解決してないよ」

 

「ーー! あんの、クソ猫」

「こらこら」

 

 

拳を壁に叩きつけるハヤトは悪態をついて感情を露わにする。叩きつけた壁が衝撃に歪み、立て付けていた魔刻結晶が落下、床に落ちて砕けた。彼は眼中になどない。

 

パックの活動時間は朝方九時から夕方の五時。五分前に眠りについた灰色の猫にハヤトはこれでもかと憤怒の念を送る。送ったところで意味など成さないが。

 

 

 ーーならばどうする? どうすればいい?

 

 

頭を回すハヤトは考える。屋敷の安全を確保しつつ、レムも助けに行ける画期的な案が。

 

 

「俺が屋敷に残る」

「ダメよ」

「ダメだ」

 

 

発言したテンの妥協案を遮るハヤトとラムの声。ほぼ同時に届いた言葉に、ハヤトはともかくラムにまで否定されるとは考えていなかったテンは困るように眉間に皺を寄せる。

 

そんなテンにラムは人差し指を向けると、

 

 

「テンテンも来なさい。戦力は一人でも多い方が全員の生存率が上がるもの。それに……、レムが自我を取り戻すキッカケになるかも」

 

「は?」

 

「とにかく、あなたは来なさい。欠けることはラムが許さない」

 

 

——レムが自我を取り戻す。

 

そう聞いたテンの脳裏に過ぎったのは鬼化したレムの姿だった。衝動に駆られるように狂気を振り回す彼女の表情、まさか今の彼女がその状態になっているとでも言いたいのだろうか。

 

しかし、あり得ない話しでもないとテンは内心戦慄。レムが感情のコントロールを完全に手放したという事は、自我を保てなくなったという事。信じ難いが一応心構えはしておくとして。

 

 

「……じゃあどうするよ。俺もハヤトもラムも皆んながレムを助けに行ける方法、なんか良いの思いつくの?」

 

「分かった! なら、ラムは先に村に向かってろ! 俺はベアトリスに禁書庫から一歩も出るなって伝えてくるから、テンはエミリアにそれを伝えてこい! 合流すんのは村でだ! いいな!」

 

 

言い、ハヤトは目にも止まらぬ速度でその場から弾け飛ぶように走り出す。廊下をものすごい勢いで駆け抜ける彼は突き当たりを左に曲がって姿を消していった。

 

色々と頭を回していたテンからすればまさかの強行突破。しばらくの間彼は呆気に取られていたが、諦めるようなため息を大袈裟にこぼした。

 

ハヤトが付属スキル(悪い癖)『猪突猛進』を発動させてしまった以上は止められる者はテンしかいないのだが、そのテンすらも置いていく彼はもう誰にも止められない。

 

静止の声すらかける暇がなかった。自分の意見だけを押し切って、相手を無理やり納得せざる負えない状況を作り出すとは。物語の主人公がやりそうな事を軽々とやってのける彼はやはり主人公体質なのだろうか。

 

鬱屈気味になり頭に手を当てるテン。それとは逆にラムは満足げな表情をしている。それでいい、それでこそハヤトだと彼女は彼の強引さに今だけは密かに感謝した。

 

 

「で、どうすんの? もうハヤトが行っちゃったから俺はエミリアをなんとか説得するけど。根本的な問題は何も解決してないの、分かってるよね」

 

 

残された二人。テンが一番初めの問題——ロズワールの言いつけに背く問題に立ち返る。ラムとしてはレムの次か、或いは同等の優先事項であるそれをなんとかしなければ何も始まらない。

 

正直なところ、良い感じの妥協案、打開案が見当たらないテンだ。どう頑張っても『屋敷のことを任せる』という言いつけを破る案しか頭の中に浮かんでこず、苛立つ彼はポンコツな頭を軽く叩いた。

 

熱を帯びたテンの思考回路が回る中。ラムはそんな必死な彼に腕を組むと、

 

 

「当たり前よ。そして、その打開策もテンテンと脳筋が話してる間に思いついたわ」

 

「わぁお。頭の回転がお早い事で」

「テンテンの幼稚なそれとは一緒にしないでちょうだい」

 

 

絶妙に毒舌の切れ味が悪いラムには触れず、テンは口から吐かれたそれを軽く受け流した。それでも毒舌してくるあたり、彼女が不安な心を隠そうとしているのがよく分かる。

 

ともかく。思いついた案がどんな案なのかテンは気になり、完全に行き詰まっていた彼は首を傾ける。ラムは人差し指をピンと立て、その指をテンの胸に軽く突き刺すと、

 

 

「テンテン、それと脳筋。あなた達はロズワール様から、何かあればその時は二人の判断に一任すると仰られていたのを覚えていて?」

 

「……俺に命令に背くように命令しろって?」

 

「そうよ。テンテンに命令されるなんて、これ以上ないまでに屈辱だけど」

 

 

突き刺された人差し指が胸に徐々に深く突き刺さる。折り曲げられた腕、テンは近づく彼女に理不尽にも上目遣いで睨まれる。相変わらずラムの目つきは鋭く、慣れていても偶にゾクリとしてしまう。

 

そんな感傷はさておき。

 

確かに、ロズワールが屋敷を出る前にそんなことを言っていたことをテンは思い出す。「胸騒ぎがーー」みたいな発言の後にしていたはずだ。

 

何かあればその時は二人の判断に一任する。つまりは、テンとハヤトの判断次第では命令に背く形になっても構わない。

 

 

「言うなれば。ロズワール様から判断を委ねられたテンテンの判断は、間接的にロズワール様のご判断。今回だけ、仕方なく従ってあげる」

 

 

そう言っておきながらラムの瞳の奥から伝わってくる圧力をテンは感じ取る。早く行かせろと。目は口ほどに物を言うとは、正に今のラムのことを指すために作られたことわざ。

 

ロズワールから判断を任されたテンの判断はロズワールの判断と変わりない。随分と都合の良い解釈の仕方だが、そうでもしないと彼女は忠誠心を守れないのだろう。

 

打開案と聞いていたから何かと思えばハヤト並の強行突破。断る理由もないテンは「やれやれ」と首を横に振ると軽く息を吸い、

 

 

「じゃあロズワールに変わってーー。ラム、お前は状況確認のために今すぐ村に向かえ」

 

「承知しました」

 

 

分かりやすく口調を変えるテンの命令にスカートの裾を摘んだラムが整ったお辞儀。まさか彼女にその動作をされる日が来るとは思わず、場違いにも息が詰まったのはテンだけの内緒。

 

命令を受託したラムはすぐさま駆け出した。桃色の髪が荒っぽく揺れるそれは、心に届き続ける妹の感情を辿るように。

 

 そんな時、

 

 

「ーーラム!」

 

 

遠のく背中。ふと、テンはラムのことを呼び止める。振り向くラムの背中にテンはひどく真面目な面構えをして、

 

 

「俺らと合流する前に一人で無茶しちゃダメだからな」

「なら、無茶をする前にあなたがラム達を助けに来てね」

 

 

緊迫した場に似合わぬ微笑みを見せたラムらしからぬ発言。その言葉にどんな思いを含ませたのかと目を見開くテンに、それ以上の言葉を生まない彼女は背を向けて駆け出し、玄関の扉を押し開いて外に消えた。

 

ハヤトに次いでラムと、またしても何も言えずに残されたテン。去り際に見せた微笑みの裏側には何が隠れているのか、ラム達と言った意味はなんなのか。答えのない疑問しか思い浮かばない。

 

 けど、これだけは言える。

 

 

「それはずるいって。マジで」

 

 

たった一言。されど一言。

 

胸の奥が途端に熱くなるような気配に呆然とした様子で立ち尽くし、テンはポツリと呟く。

 

我に返り、エミリアの部屋へと向かう彼は女の子からの「助けに来てね」がどれほどの活力を与えるのか、身を持って知った。

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

走る足をハヤトは止めない。ひたすらに()()を感じ取ることのできる扉を探す。否、探すというよりも気配を察するの方が正しいかもしれない。

 

なんとなく、分かるのだ。屋敷の中で自分だけが感覚的に感じ取ることのできる違和感、肌を優しく撫でるような不思議な温度。その気配を漂わせている一つの扉。

 

 

 ーー一階は違う。気配はもっと上からだ。

 

 

二階へと一気に駆け上がり、踊り場へと飛び出す。確認するのは西棟へと続く左の廊下と東棟へと続く右の廊下、息を止める彼は無音の世界で意識を研ぎ澄ませる。

 

 

 ーー二階、右側。感じ取った!

 

 

肌を撫でる温度が刹那だけハヤトの感覚を刺激、それ一つで彼は右側へと跳ね飛ぶ。自分でもこの感覚がなんなのかはハッキリと説明できない、しかしこの温度は自分のことを彼女の下へと導いてくれる事だけは確かだ。

 

駆ける。長く、変わり映えのない廊下を。その最奥、この場所だと本能が告げる扉の目の前へと猪のように走り、ドアノブに手をかけ——、

 

 

「ベアトリスぅ!」

「にゃあ!?」

 

 

どこぞの受信料を支払えと家に押しかけてくる輩とは別格の勢いでハヤトは禁書庫へと突撃。大声で彼女の名前を呼びながら入室する彼はノックをする余裕もないらしい。お陰で彼女の驚いた声が盛大に響いた。

 

禁書庫に入ったハヤトの目に映ったのはもちろんベアトリス。しかし、普段とどこか雰囲気の違う彼女を見てその原因を瞬時に理解した。

 

彼女がいつも髪飾り的な位置に付けている小さな王冠のような装飾品、それが今の彼女には付けられていない。鏡の前に立つ彼女は何かを隠すように両手を背中にやっている。

 

 

 ーーなんだろうか?

 

 

刹那だけそう思うハヤト。しかし彼はその感情を首をブンブン振って振り払った。今はそれどころではない。

 

 

「と、扉くらい叩くかしら! 相変わらず心臓に悪いのよ!」

 

「悪い! それは謝る! けど、今はそれどころじゃねぇんだ。いいか、今から俺の言うことをよく聞いて、絶対に守ってくれ」

 

 

素早い動きで背中に隠した何かを本の後ろにサッと隠すベアトリスが、焦る感情を驚きの感情で誤魔化す。ハヤトに突き向けた人差し指を彼女は上下に激しく振った。

 

眼中にないハヤトである。『猪突猛進』状態となった彼にベアトリスのアレやコレなど気にしてる暇はない。ズケズケと彼女の目の前まで容赦なく歩く。歩いて、彼女の目の前で片膝をついて腰を下ろし、視線を合わせる。

 

細かく話すのは面倒だから言うことは要点だけに。分かりやすく、そして言いやすく。

 

 

「今からちょっと面倒ごとを片付けに村に行ってくる。俺もテンもラムも全員出るから、屋敷にはエミリアとお前以外は誰もいなくなっちまう。だから、お前はこの部屋から絶対に出るな。こんなの、言われるまでもねぇよな?」

 

 

向けられた指を退けるハヤトが言わなければならないことを簡単に説明。普段の、自分の前ではふざけてばかりのハヤトらしからぬハヤトに早口に告げられた一方的な言いつけ。

 

いきなり入ってきて何を言い出すのか、そう言ってやりたかったベアトリスだったが。ハヤトがあまりにも鬼気迫る様子だったために思わず彼女は黙り込む。

 

表情や声色だけでも察することのできる焦燥感、居ても立っても居られないとばかりに拳を握り締める彼はいつもとどこか違う。短い中でも沢山過ごしてきた彼の新しい一面だ。

 

瞳の色がいつにも増して赤く燃えているように見えるハヤト。返事を待つ彼にベアトリスは肩に入った力を抜くように軽く息を吐くと、

 

 

「言われるまでもないかしら。ベティーにとってここは命よりも大事な場所、屋敷が焼けたとしても出て行かないかしら」

 

「不穏なことを言うなよ」

 

 

心を揺らしていた一時的な感情が冷めたベアトリスが、落ち着いた態度で自分はこの部屋から出て行かないことを表明。どこか見覚えのありそうなシュチュエーションがあった気がしなくもないが、ハヤトは無視。

 

こんなに手際よく行くとは少し予想外だが。ともあれ、彼女を部屋に籠らせることには成功した。そもそも四六時中禁書庫に籠る彼女に、この言いつけが意味あるのかは正直怪しいところだが。

 

「うし、なら良し!」と声を上げてハヤトは立ち上がる。屋敷での自分の役目は終わった、後はテンがエミリアを説得してくれたら問題は全て解決。いよいよ本番となる。

 

背中に背負う得物の調子を確かめるようにハヤトは大剣を担ぎ直す。あのレムが憎悪や殺意を抱くほどの相手だ、並の存在ではない。おそらく激戦が自分を待ち受けているのだろう。

 

望むところである。明日に控えたテンとの決戦の前のちょうどいい準備運動。

 

 

「じゃあ、そーゆーことで。俺は行くぜ」

 

 

戦闘意欲が先立つハヤトは軽く言葉を置いてその場から駆け出そうと背中を向け、

 

 

「待つかしら」

 

 

向けた背中にベアトリスの声がかかる。彼女に呼び止められるのも珍しい。反射的に振り返るハヤトに彼女は鋭い目つきをすると、

 

 

「嫌な気配ーー不埒な連中が彷徨いているのと厄介な魔獣が紛れ込んでるのよ。もし、お前達が森に入るなら今のベティーの言葉を心に留めておくがいいかしら。じゃないと死ぬのよ」

 

 

眉間に皺の寄る彼女の声は表情と同等に冷え切っている。静かに、一言一句聞き逃させないように語る様子は、普段からハヤトに釣られるようにワーワー騒いでいる彼女とは大違いで。

 

言いたいことは言ったと手を軽く上げ、ハヤトに背を向ける彼女はそこから先は語る様子はない。口を閉じる彼女は三脚へと足を進めていた。相変わらず冷たい態度である。

 

しかし、その冷たさの中に確かな温かさがあることをハヤトは今、心でひしひしと感じている。

 

不埒な連中、厄介な魔獣とはよく分からないが。彼女はそれを警告してくれている。別に言わなくてもいいことを、わざわざ呼び止めてまで伝えてくれた。

 

 つまりは、

 

 

「心配してくれてありがとうな、ベアトリス。お前の言葉は心に刻んだぜ! 安心しろ、俺はまたお前の場所にちゃんと帰ってくるからよ。何も怖がる必要はねぇ」

 

「誰がそんなこと言ったかしら。ほら、とっとと行くがいいかしら」

 

 

三脚に座るベアトリスが本を読む体制。拳を突き出して笑いかけるハヤトをチラと見ると、一瞬だけ微笑んだように見えた。その後はいつも通り、本に視線を固定する彼女は虫でも払うような動作で手を振る。

 

側から見れば完全に嫌いな人間に対しての対応に、ハヤトはただ嬉しそうに笑い。背を向けて走り出す彼はその温かさに背中を押されながらも扉へと手をかけ、

 

 

「ベアトリス!」

 

 

禁書庫から出て、扉を閉める直前。扉の隙間からその名を呼ぶハヤトは、顔を上げるベアトリスに太陽のような笑みを見せた。

 

 

「また来るぜ!」

 

 

 

 






ベアトリスは簡単に説得できましたが、もう一人の方はどうなんでしょうね。


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