ここから先、グロテスクな表現が増えますので読む際はご了承ください。戦闘描写も気合を入れますので、目が疲れない程度に読んでくださいね。
読みやすいように努力する話ですが……。先に謝ります、ごめんなさい。
ーーエミリアは、俺のことを信じてくれる?
ーーずるい、ずるい……っ
確かにずるいと、テンは自分自身で思った。自分で言っておきながら心底サイテーな人間だと思った。この言葉をかけることがどれほど卑怯な方法かなんて分かっていながらも、それしかできない自分に腹が立った。
目の前で涙を流しながらも笑みを浮かべた彼女に、自分は「信じろ」「生きて帰ってくる」としか言えなかった。絶対なんて根拠はどこにもないのに、そうとしか言えなかった。
結果として、自分は彼女の気持ちを『約束』という鎖で雁字搦めにして背を向けた。不安や心配を笑顔の裏側に隠した彼女の心から目を背けた。本来ならば向き合わなければならない抵抗を、絆という弱みに漬け込んで。
テンは人の気持ちを全部理解できるような優れた人間ではない。少しは理解はできるが、全てを理解できるなど不可能だ。
魂の揺らぎは燃ゆる炎のように。風に煽られれば時に強く揺らぎ、弱く揺らぎ。着火剤があれば轟々と燃え盛り、冷水をかけられれば音を立てて消える。
その炎の揺らめきを感じ取るなど無理な話。だから、彼女が必死に自分について来ると言った理由も、自分が心配だと叫んだ理由も、なんとなくしか分からない。
なんとなく。——なんとなくだからこそ、こうして彼女に背を向けられたのかもしれないとも思う。彼女の心を丸ごと全部理解してしまったら、自分はきっと背を向けることはできなかった。
だから、理解できなくて良かった。
良かった。のに、
「テン。ーー相棒」
いつになく真面目な声だった。我慢していた首が解き放たれたように振り返って、背を向ける男から目が離れなくなって。
刀の震えが止まらない。訳もならない不安が心の底から沸き上がって、浅い呼吸が何度も繰り返される。
状況の理解ができている自分にはその選択肢しか道はないと分かっている。けど、それをするには自分の覚悟があまりにも弱すぎる。
戦う覚悟、守る覚悟、死ぬ覚悟、生きる覚悟。今まで自分が固めてきた覚悟とは全く異なる『覚悟』にテンの心は追いつけなかった。
それは、
『親友を見捨てる覚悟』
周りを一番とし、自分を二番とするテンにとっては、ひょっとしたら死ぬことよりも大きな覚悟。一体どれほどの覚悟を決めれば良いのか分からない。
そんな覚悟決めたくない、決められるわけがない。だってハヤトは自分の親友でこの世界でたった一人の心を許せる存在で、今までずっと一緒に戦ってきた戦友で、何でもないことで笑い合える、背中を預けることのできる頼りになる相棒で置いていくことなんて絶対にできるわけがないに決まってる何か他にいい方法を考えて三人でレムを助けに行く方が彼を見捨てなくてすむ彼がいた方が戦いも有利に進めることができることに加えて精神的な負担が大幅に軽減されるいなくちゃいけないいないと困るだから頭を回せ自分の足りない頭で状況を打破できるような案を————、
「俺を信じろ!」
ーーーー。
心を力強く叱咤するように言われた。弱った背中を無理やり押し出すように言われた。たったそれだけで、考えていたこと全てが破壊されていった。
途端。刀の震えがピタリと止み、浅くリズムの速い呼吸が徐々に落ち着きを取り戻していく。心臓が、大荒れから凪となった感情の海の中で穏やかに命の時を刻み始める。
たった一言。されど一言。
ーーエミリアは、俺のことを信じてくれる?
今この瞬間、テンはエミリアに放った言葉の重みを理解した。何となくではないハッキリと、自分がどれだけ卑怯だったかを理解した。自分と同じ言葉を、似たような状況で彼に突きつけられるとは、因果応報か。
ーーずるい、ずるい……っ
確かにずるいとテンは思った。培われてきた絆を心を押さえつけるための材料にされて、子どもじみた反抗をそれ一つで押さえつけられて、何も言えなくなって。
そんなことを言われてしまえば、自分もエミリアと同様の反応をする以外になかった。
「エミリアはこんな気持ちだったのか」
全てが凪となったテンが落ち着きを取り戻した時、ハヤトとラムの耳に彼の溢れるような呟きが流れてきた。ハヤトの言葉を聞いてから数秒後のことだ。
不意に深く息を吐いて全身の力を抜くテンが大きく肩を落とす。力無く垂れた両腕が弱く左右に揺れ、完全に無防備状態。しかし、彼の纏う空気に明らかな変化が生じたことを二人は感覚的に察している。
気持ちの整理をつける時、多くの人間は深呼吸をする。余計なものを吐く息で体の内側から吐き出して、吸う息で外側から新鮮な空気を活力として肺に流し込む。
刀を握る拳に力が宿り、伝播する両腕が持ち上げられる。刀を始めに全身に行き渡る力は彼の折れ曲がった背筋と首筋を伸ばし、全てに力が宿った時、彼の瞳には
「ハヤト」
「なんだ」
声に迷いはない。向けられた決意にハヤトはこれ以上ないまでの頼もしさを感じた。覚悟ではなく決意。それでこそ自分の親友であり相棒であり宿敵とばかりに楽しげに笑う。
笑いかけの返答。顎を軽く引くテンは彼の肩に拳を当て、
「信じてるよ」
「おう。お前もな」
それ以上は要らなかった。
「死ぬな」「生きろ」「負けるな」「勝てよ」もっとかけるべき言葉はあったかもしれない。言いたいことも、言わなくちゃいけないこともあったかもしれない。
しかし、それ一つで全てが通じ合う、共感覚にも等しい絆がそれらを全て伝え。テンの背中を強く押し出し、ハヤトの心に溢れんばかりの戦意を抱かせた。
決意が定まれば、身体は勝手に動き出す。
「ラム、俺に掴まれッ!」
「あら。口調のお荒いですこと」
刀を納刀したテンが飛びついてきたラムの身体を抱き抱えると同時に、群れが走ってきた方角へと一気に駆け出す。ハヤトに背中を押された彼は己の力を全て解放したと思わせる速度で森の中へと疾走していく。
均衡が崩れる。
ジリジリとした膠着状態がそれを起点に容易く壊される。それでまでの静寂から一転した魔獣達が、まさしく拘束されていた膠着から解き放たれたように全方位から迫った。
このままでは正面衝突する今に、ラムを抱えたテンは鋭い目つきで魔獣を見据える。無策で飛び出したわけではない、やれるかどうかは置いといて挑戦する価値はある。
飛び出したテンは振り返らない。エミリアに振り返らなかったように、エミリアが呼び止めなかったように。自分は彼に託され、託したのだから。
覚悟なんて決められない。親友を見捨てる覚悟なんてこの短時間で決められれるわけがないだろう。けれどそれら全てをテンは決意に代えることで飲み込む。彼の覚悟を信じるという決意だ。
数メートル先、刀を振れば当たる距離に迫る魔獣。地を蹴り上げ、そのうちの一匹の頭を力強く蹴り、大きく跳躍したテンは口を大きく開いて息を吸い、
「アル・フーラ!」
詠唱に応えたゲートが溜め込んだ分のマナを一挙に放出する。主の背中を大きく押し上げるそれはただの暴風。高く跳躍した勢いのままに二人の身体が斜め上へと、撃ち出されたように高く飛んで行く。
戦闘は避ける。ならば飛び越える、奴らが追いかけることを諦める程の距離まで。そう語る背中は月明かりすらも捉えることはできず、数秒もすれば闇の中へと消えていった。
テンの目論みは見事に成功したらしい。一瞬だけ後を追うような動作が数匹に見られたが、諦めるように体を反転させた赤色の眼光がハヤトのことを睨んでいる。
均衡が崩れ去ったことで縮まる包囲網、背中以外の全てを魔獣に囲まれているという背水の陣。全て倒し切ることが生き残るための絶対条件の中、壁に背を預けるハヤトは楽しげに笑う。
「信じてるよ、か」
初めて言われた。
言葉にせずとも行動で共有していたことを、言わなくても伝わっていたものを。正しく自分に背中を預けられたような気がして胸が過去最高に熱くなった。
過去最高が次々と更新されるが、一体いつになったらそれが止まるのだろう。恐らく、この騒動が終結するまでは絶対に止まらないとハヤトは思う。
戦う中で燃ゆる炎のように昂り、ピンチになって負けないと昂り、予想だにしない展開に昂り。これでは心が全く落ち着かずに大変なことなるか。
しかし、それも良い。ハヤトからすればそのような展開は大好物だ。友に全てを託し、託された自分は魔獣に囲まれる悲劇的な状況にあり、それでも包囲網の中で猛々しく戦う。
まぁ、なんとも主人公してる。
「いいぜ……。上等だァァ!!」
大剣を振り回すハヤトが吠える。圧倒的な威圧感と圧迫感を放つ熊が、魔獣の逃走本能を直接刺激する大咆哮を包囲網の中で轟かせた。まるで、自分がこの森の主だとでも主張する熊は絶望的な光景を前に決して怯むことはない。
直後。数の有利を取られていても尚、その差を感じさせないハヤトの威圧が包囲網に迸り刹那の乱れが表れた。
本能が目の前の相手は脅威的だと判断した魔獣。しかし数の有利を思い出すように辺りに首をやる。逃げの選択肢はない、攻撃は続行だ。
「いくぞゴラァァ!」
吠えるハヤトが目に止まった魔獣に飛び掛かる。
ーー恐怖? 否、そんなもの一欠片もない。
あるのはこの場にいる獲物を一匹残らず狩り尽くすこと、それ一つだけだ。
「高々犬っころ如き、何千匹だろうが俺が狩り尽くしてやるよーーッ!」
数に対して個で挑みにかかるハヤト。彼は迷いのない動作で突撃し、戦闘開始の合図を上げる。
▲▽▲▽▲▽▲
「ちゃくっっち! おわ、あわわわわ!」
「倒れたら承知しないわ。気合で踏ん張りなさい!」
「んなぁぁーー!!」
ハヤトに大群を任せて戦線離脱してきた二人が闇の中へとなんとか着地。しかし、予想の倍は吹っ飛んだ結果として放物線を描くテンの体は重力に従って降下、空から森の中へと突入した直後に何本かの木々を貫通しながら地表へと足をつけた。
そこで止まってくれればよかったものの、前に進む力を殺すこともできないテンの体は飛行機の着陸のような体制で森の中を滑走。転んだら承知しないと腕の中のラムから言われ、踵の力のみで絶賛急ブレーキ中だった。
危機を脱するための方法とはいえ、流石にやりすぎだったかと思うが後悔先に立たず。結局は勢いを弱らせただけで止まるには至らず、正面に現れた大木からラムを庇うために体を横に反転、背中から衝突した。
「いったぁ……。し、死ぬかと思った」
「早く立ちなさい。レムの下に行くわよ」
背中からの衝撃に口から酸素を吐き出したテン、その酸素は赤色をしていた。流法と加護の恩恵が無ければ背骨の二本三本はイカれてたかもしれないと軽く戦慄するが、腕の中から出たラムは気にする様子はない。
呻吟するテンの手を引っ張る彼女が彼の身体を起こせば、そのまま走り出した。美少女に手を引っ張られる展開、時と場所が違えば完全にラブコメの絵面だが。残念なことにここは血の気の多い輩しかいない恐怖の森。
分かってはいたけど少しは心配してほしかったところはあるテンだ。しかし一分一秒が未来を変える今、止まってる暇などないと彼は己の心を鞭でしばく。
呼吸を整え、手を離したラムと並走。闇の中を切り裂くように駆ける二人の身体はその場所へと一直線に突き進む。
尤も、テンには未だにレムの場所が分からない。千里眼を使えない彼はレムのことは見つけられず、反対に彼女にはレムの居場所が分かるのか、駆ける二本足に迷いは感じられない。
「何となく走ってるけど。この先にレムが?」
「いるわ。それにーー。少し黙りなさい」
何かを言いかけたラムだが、「それに」の先が紡がれることはなかった。代わりに耳を澄ませるように口を閉じて沈黙した彼女は口元に人差し指を立てる。
素直に従ったテンも彼女に倣って沈黙。周囲の音に耳を澄ませた。聞こえてくるのは二人の息遣いと駆ける足音。そして、
「レムの声……!」
「確定ね。急ぐわよ!」
沈黙した森に轟く、咆哮に等しいレムの声が聞こえてきた。やっと見つけた彼女の後ろ姿、衝動に駆られるようにラムの体が前に押し進み、並走するテンがまた転ばぬかと余計な心配。
今回は大丈夫らしい。横目で「心配するな」と伝えられた。ならば後は音の方向に突き進むだけ。彼女を見つけて、助け出して全てが終わりだ。
「テンテン。少し聞きたいのだけど」
ふと、隣を走るラムが目線を向けずに言葉だけをかけてきた。ここに来て自分に聞きたい事とは何なのか、「ん?」と喉を低く鳴らして疑問符をテンは頭の上に浮かべる。
しばしの沈黙。それからラムは己の中で何かしらの結論に至ったのか、小さく頷くと、
「あなたには人を斬る覚悟がある?」
「ーーーー」
ポンと、問いかけられた。
何の溜めもなく、普通に話すのと同然な風に口から出て、それはテンの胸に深々と突き刺さる。
真摯に問うてくるラムの声色にテンは息が詰まる。彼女の聞くことなんて予想のしようがないからと身構えていれば、随分と前に一度だけ考えたことのあった問いかけ。
それはつまり、自分に『人を殺す覚悟』があるかどうかということ。斬れるとも言えず、しかし斬れないとも言えないテンは返答を先延ばしにするために咄嗟に口を開き、
「レムと関係が?」
「可能性の一つとしてだけど。一応、聞いといた方がいいでしょう? 万が一、それで動きが鈍られたら動きに支障が出てしまうわ」
「……そっか」
人を相手にすることを可能性の一つとして淡々と提示するラム。どうしてこのタイミングでそれを問いかけてきたのかはイマイチ分からないが、返答に困ったテンは沈黙した。
人を殺す覚悟。自分が騎士として歩む上で遅かれ早かれ決めなければならないと考えていた事だ。
原作が始まったら人間の手による襲撃は数え切れず、自分は最前線でそれらと戦うことになる。そうなった時に迷いなく斬ることができるか、自分の手で同じ人間の命を断つことができるか。
自分はーー、
「無理ならそう言いなさい」
揺らぎ、沈黙したテンをどう捉えたか。急に立ち止まるラムはそう言うと、同じく立ち止まるテンの体に落ち着いた足取りで歩み寄った。眼前、見上げたラムの瞳がテンの瞳を真っ直ぐに射抜く。
立ち止まってる暇はないはずなのに、この場で立ち止まるラムは「いい?」と言葉を紡ぎながら進行方向だった闇を指差し、
「ここから先に進めばきっと後戻りはできない。レムを襲う輩を始末して、レムの自我を取り戻さない限りは絶対に戻ってこれない」
「……覚悟を決めるなら、ここで決めろってことかよ」
「えぇ、そうよ。できないならここから先はラム一人で行く。テンテンはラムがレムを連れ戻してくるまで待っててもらうことになるわ」
告げられた最終宣告にテンは急激に喉が乾くような錯覚に陥る。自分の目から視線を一切逸らさない赤色の瞳に、何かを試されているような不気味な感覚を得た。
ふと思い、ラムが「この先」と言う方向に意識を向けると、確かに異様な雰囲気が漂ってくることに気がついた。言い表しようのない緊張感が境界線を踏み込む一歩を躊躇させている。
ラムもそれを察したからこそ止まったのだろう。つまりは引き返すならここが最後、この境界線を踏み越えたら最後まで決して背を向けることはできない、と。
「今ここで決めなさい。斬れるか、斬れないか。中途半端のまま進んで、変に傷を負ってラムの足を引っ張られても困るもの。やるなら相応の覚悟を持ちなさい」
言い放ち、ラムは口を閉じる。
彼からの応答を待ち望むように黙り込み、葛藤に揺れる瞳を見つめた。突きつけられた覚悟と向き合う猶予を与えているのだ。
「ーーーー」
覚悟。
それはこの世界に来てから嫌と言うほど聞いてきた言葉で、これでもかと頑固とさせてきた自分の心を折らさないための強い意志。恐らく、いや絶対にこれからも固めることになるであろう一種の呪い。
人を斬れるかどうかなんて分からない。実際にやらないと、同族を殺すという感覚を体に刻ませないと、正確な判断はできないとテンは思う。
だから、覚悟を決めるのは今の自分には難しい。それを前にしたら心の弱い部分が出てきてしまうかもしれない。土壇場でヒヨってしまうかもしれない。自分はそういう人間だから。
けど、
ーーみんなと一緒に生きて帰ってきて、また笑い合いましょう。それだけでいいから
そう言って、自分の背中を押してくれたエミリアにみんなと一緒に生きて帰ると約束した。
ーーおう。お前もな
全てを託してくれたハヤトが、自分のことを信じると。弱い心を鼓舞してくれた。
ーーなら、無茶をする前にあなたがラム達を助けに来てね
目の前のラムが自分の力を信じ、命を救うことを頼んでくれた。
自分との絆を信じ、託してくれている人達から沢山の言葉をもらった。村の人達も「ちゃんと四人で帰ってきてください」と、自分達の生還を心から願っていると聞かされた。
みんな、自分のやれることを全力でやって命を燃やしている。
今もエミリアは不安な気持ちを必死に抑えて自分達の帰りを待っている。ハヤトは魔獣の大群を相手に死力を尽くして戦っている。ラムは妹の危機に動揺しながらも自分のことを支えてくれている。
それなのに自分が立ち止まってもいいのか? 人を殺せるかという覚悟一つでどうにでもなる事柄を前に躓いてもいいのか?
ーーダメに決まってるだろ!
思い出せ。
自分は何のためにここに来た? 誰を助けるためにここに来た? 今まで何のために頑張ってきた? 誰のために頑張ってきた?
ーーテンくん
守りたい人を、守りたいと思える人達を。守れるようになるために。
やることは変わらない、決して揺らぐことはない。
自分は、人をーー、
「ーー斬る」
一つの決意を固めた瞳に新たな決意が現れたテンがそう言って刀を引き抜く。鋼の擦れるかすかな音と共に刀身が鞘から姿を見せ始めた。それが表すのは決意、全ての刀身が引き抜かれたとき、テンの決意は定まる。
そして完全に引き抜かれた刀身——その剣先が地獄の方向へと向き、
「人を殺す覚悟は……。ごめん、まだ決め切れてない。でもやってみせるよ。それにここまで来てお前一人だけに行かせるわけないじゃん」
「「お前を離す時は俺が死ぬ時だから」ってこと? 悪いけど、ラムの両手は埋まってるの。諦めてちょうだい」
「聞いてたのかよ……。別にそういう意味じゃないから。変に誤解しないで」
人が決意を固めていればすぐ茶化してくるラムに、テンの突き向けた剣先が力無く垂れ下がる。一番触れてほしくない発言を触れられた彼は出鼻をくじかれたような気持ちになった。
いつものような軽口を呼吸するように吐くラム。しかし言葉とは裏腹に、その表情はいつにも増して柔らかなもので。
危機の妹を目の前にした姉とはとても思えない様子の彼女は項垂れるテンのことを上から下まで視線を流すように見ると、不意に「ふっ」と小さく笑い、
「らしい答えね。いいわ、頼んだわよ」
「うん。頑張る」
そこはハヤトみたいに「任せとけ!」くらいの男気は見せてほしかったラム。返ってきた覚悟の答えも割と中途半端なものとなっていたし、そもそも覚悟ではなく決意という。
大丈夫かコイツ? と思わなくもない。
が、テンの事を三カ月間見てきたラムからすればこっちの方が彼らしくて良いとも思う。
それに、彼は口や態度ではこんなだが、いざとなったら人が変わったように頼り甲斐がある男になる事を彼女は知っている。否、知った。
ーーアイツはここぞという場面だけは頼りになる
今日だけでもハヤトの言っていたことに納得させられる事が何回もあった。物理的にも精神的にも、不覚なことに助けられてしまった自分が理由もなく腹立たしい。
少し前までは魔法の使い方も知らない、武術の心得も、剣術の心得もなく戦闘面に関しては何の役にも立たなかった弱々しい男が。ハヤトと対極の存在が故に情けないところを何度も見てきた男が。
今はどうだろうか?
隣に立っていることが、すごく心強い。相変わらず心の弱さは出ているが、それを打ち消す程に彼は男として成立している。きっと本人は気づいていないだろう。それが彼なのだから。
「それじゃ行こうか」
「えぇ。レムを助けに」
一歩。
踏み出した二人が同じ動作で地を蹴るように駆け出し、一切の迷いもなく闇と地獄の境界線を越える。二度と戻れなくなるかもしれないと心の中で思いながらも、決して後戻りはしない。
怖くはなかった。隣に頼れる存在がいるからか、或いはロズワールの鍛錬を生き抜いた副産物として精神力が鍛えられたか。はたまたレムを助けなければと使命感に駆られているからか。
ーー全部かな
『人を殺す覚悟』と『親友を見捨てる覚悟』の代わりとして『受け入れる決意』をした以外は全ての覚悟の定まったテンに戸惑いはない。やると決意したのだから、やるのだ。
それがここまで付き合った男として通すべき筋。途中で放り投げるなんてことあってはならない。
「……血の匂い」
「それにこれって……っ!」
地獄へと足を踏み入れた二人。ラムの案内に従って走っているとそこが地獄だと思わされる光景が目の前に広がっていた。とても目を当てられるものではない、この世のものとは思えず二人の足が僅かに緩む。
鼻をつんざくような血生臭さと、乱雑に薙ぎ倒された木々、辺りに転がる夥しい量の肉体。否、死体と肉塊と化した人間だったもの。僅かに侵入した月光が光のカーテンとなって惨殺の程度を無音で照らしている。
それは殺戮の跡地だった。
片腕で鼻を塞ぐラム。顔を顰める彼女は驚いた様子をしながらもどこか納得の表情。隣のテンは惨たらしい光景を前に迫り上がった吐き気を感じ、咄嗟に手で口元を押さえる。
心構えをしていても軽々と想像を超えてくる世界の理不尽さに、しかしみんなの顔を思い浮かべるテンは吐き気を無理やり飲み込む。弱っている場合ではない、気をしっかり持てと胸を強く叩いた。
「これ全部レムが?」
「他に考えられる?」
質問に質問返し。引き下がるテンの口は言葉を刻めず、大きく息をこぼす事を答えとした。
分かってはいた、分かってはいたが。まさか彼女がここまで強いとは、画面の中で見るよりも何倍も迫力のある惨殺現場にテンは言葉が思い浮かばない。
十五は余裕に越す人数の死体。服装は暗くてよく見えないが、人間の死体だ。
それもハッキリと形が残っていないものを含めれば数は増え、飛び散る手足の分を足したら一体、彼女は何人の輩を始末したのか。理解が追いつかずに戦慄することしかできなかった。
「……行こう。動揺してる時間はない」
一々感傷に浸っていては心が先に倒れる。それ以前にレムの下に辿り着く時間が長くなってしまうと、テンがその場で感じ取った感傷をその場で捨てて走り去る。並走するラムも然り。
しかし二人が足を踏み入れた場所は地獄。先程のがその入り口だったのだろう、走り去った後も流れる光景は同じだ。
手足の千切れた死体、頭が潰れた死体、腹に空洞が生まれた死体、四肢のもがれた死体、顔が半分の死体、死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体死体————。
最悪なことに千切れた手足、挙げ句の果てには頭部までもがその辺に転がっている。飛び散る血液が乾き切っておらず、血溜まりを踏んだときは流石に鳥肌が立った。
奥から鳴り響いてくる音の発信源に近づくにつれて惨殺の程度は増していくばかり。しかし、それを乗り越えなければレムの下には辿り着けない。見て見ぬふりでテンは心の凪をどうにかこうにか保つ。
「この音の元にレムが居るんだよね」
「間違えなく。絶対に居るわ」
「そして、輩もいると」
「戦いになると思う。いつでも動けるようにしておきなさい」
早る心を落ち着かせるラム。感情に任せて飛び出すのはもう十分、ここからが本番なのだと心に言い聞かせた。尤も、仮に自分が飛び出すことがあれば隣の男が助けてくれる——などと一欠片だけ思っていたり。
無責任な信頼、それがテンに対するラムの評価。彼のことを買い被っているわけではない、培ってきた絆と、刻まれた見えぬ鍛錬の傷跡が自然とそう思わせているのだ。
ーー頼りにしてる。
直接口には出さずとも行動と態度でそれを示し続けてきた。彼にはそれに応えてもらう必要がある。
そして、
「テーー」
ラムは、見た。
音もなく忍び寄り、闇の中から伸びた狂気が自分の体めがけて懐に入り込むのを。
ラムは、感じた。
見たのとほぼ同時、自分の体がテンに力一杯引き寄せられ、胸に抱えられるのを。こちらの動きの方が僅かに早く、自分を守る腕が刀を振るう。
それは突然だった。否、地獄に足を踏み入れた時点で襲われる条件は満たしているため、突然ではないかもしれない。
なぜなら、
言葉を紡ぐラムの体が引き寄せられ、咄嗟に抱え込まれた腕の中、彼女は目の前で金属が衝突する音と共に火花が散るのを見た。
交差したのは刀の刃と十字架を象った剣の刃だった。刀はテンの携えたもの。しかし十字架の剣は二人のうちのどちらのものでもなく、第三者のものだ。
短剣程度の刃渡り。狂気が鈍く輝き、先端が鋭利に尖る悪趣味な意匠。刀よりも遥かにリーチの短い武器を携えた第三者の肉体とテンの肉体が接触する。
二人の瞳に刹那の襲撃者。その影がハッキリと映り込み。それを確認した途端、テンの瞳が驚愕と戦慄に大きく見開かれる。
そして、テンは今回の敵が何であるか理解した。
それは地獄よりの刺客。それは闇の中で蠢く不気味な暗殺者。それはこの世界にとって共通の最悪——漆黒に同化する黒装束。
黒装束は頭まですっぽりとフードを被っており、その顔も性別すらも判然としない。呼吸しているのかすら定かでない、人間が無意識に発してる生気を消失させた人ならざる者。
レムが暴走した時点で頭の片隅に可能性の一つとして考えていた存在、それをテンは知っている。
いずれは敵対すると心のどこかで思って。でもまだ先だと気にしないようにしていた、自分が真に刃を振るうべき殺戮集団。
その名を魔女教徒、と。