親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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どうしてか、いつも長くなってしまいます。



初日のお仕事

 

 

 

レムに厨房へと案内されたテンは改めて見る厨房に感銘の声を漏らしていた。画面の中では少ししか見なかったからもあるが、何より初めて厨房と言える厨房に入ったから。

 

壁にかけられた大小のフライパンが複数、戸棚や吊り棚の中に置いてある食器。シンクの周りには水切りカゴやスポンジに似た素材のものとか。

 

日本の台所に備わっている常備品にプラスしてこの厨房は様々な料理器具が用意されてあった。

 

 

「今から、何を?」

 

「テン君には食器を洗ってもらいます。その間に、レムは昼食の下準備を。食器が洗い終わったらテン君も手伝ってください」

 

 

収納スペースから食材を取り出すレムを横目に一つ返事でテンも作業を開始。横に並べた食器の多さに途方に暮れるなどのこともあったが、千里の道も一歩から。作業を進めていればそのうち終わる。

 

幸い、皿洗いは慣れてる。家では自分の使った食器に加えて父親のいない夕食の時はその分以外の食器を全て洗っていた。その時に親から叩き込まれたスキルがここで光るといいのだが。

 

お湯を流す方法に戸惑い、レムに「火の魔鉱石にマナで呼びかけるんですよ?」と意味不明な発言を言われながらも作業開始。ボウルらしきものにお湯を溜めてまずはその中に全部ぶち込む。大体の汚れはこれで取れる。

 

家のよりも何倍も大きいボウルというより、もはや、正方形の入れ物に近いそれ。普通なら一回で事足りそうな気もするが残念なことに入り切らない分もあるから、何回かに分けて。

 

 

「…二回でいけるか」

 

 

スポンジに洗剤をつけて淡々とした反復作業を熟す。幸いにも平べったいお皿しかないから、家で洗うのと遜色ない。本当に単純作業。

 

隣でレムが昼食の用意をしているのが横目で分かる。意識してしまうと変に緊張しそうになるからなるべく視野から追い出すテン。食器を洗うことだけを考えた。

 

 

「あの…。先程のお話なのですが」

 

「先程……。紅茶のこと?」

 

 

不意に、作業片手間にレムがそんなことを聞いてきた。何のこっちゃと一瞬考えたテンだが、紅茶以外にないと結論付ける。実際にそれで当たっていた。

 

皿洗いに意識を向けるテンは、彼女の方には視線を向けないまま彼女に耳を傾けた。が、聞く体制を取ったテンにレムは口籠った。なにやら言いたい事を言うか否かで迷っているような。

 

何がどうなってそうなったのか全く理解できないテンからすれば口籠る理由も分からない。前提として紅茶の感想を聞かれる理由も実験台にされた理由も曖昧。

 

俺、なんかしたかな? と不安になる中。自己完結したのかレムは軽く頷くと、

 

 

「よ、宜しければ。またお作りしましょうか?」

 

「………え?」

 

「その。れ、練習としてです。お客様に粗末なものを出すわけにはいきませんから。テン君に試作品を幾つか淹れますので。その感想を参考にさせて下さい」

 

 

予想もしなかったレムからの言葉。そのままの意味で意味不明なテンの「え?」を聞いたレムの行動は早かった。口早に理由を説明、起承転結を一瞬にして済ませたレムは言葉を押し付ける。

 

そんな彼女にテンは、バレンタインに好きな人からいきなりチョコを渡された男子みたいな反応だ、もちろん義理。「は?」と、目の前の現実を理解しながらも「なんで?」と行動の意味が不思議に思えてしまう。

 

それも含めてレムが説明してくれたから、その状態からテンは脱せられたのだが。

 

 

「レムが良いなら…。でも、俺なんかじゃなくてもハヤトとかに淹れてあげた方が。アイツ、感想とか結構ストレートに言うし」

 

「分かりました。では、テン君に淹れますね」

 

「話聞いてました?」

 

 

追求するテンをゆるりと受け流すレムが彼に背を向けて戸棚の中を漁る。その様子から見るところ話は強制的に遮断されたらしい。不思議そうに首を傾けていたテンも、そのゴリ押しに苦笑するように息をこぼした。

 

どうして自分なんかに入れてくれるのか。胃袋が頑丈そうに見えたからか、それとも死んでも問題ない人間だと思ったからか。何にしても、紅茶の実験台に使われることに違いはない。

 

何でも完璧に熟そうとするレムのことだからその心配は無いだろうけど。なら、尚更不思議だ。

自分以外にも人は沢山いるだろうに。まさか消去法で自分が選ばれたのか。

 

 

「…何でもいいか」

 

 

死ぬわけじゃないし。そう心の中で呟くテンは皿洗いの一周目を終えて、二周目に取り掛かった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

「さてと、脳筋の制服だけど」

 

 

片手を口に添えるラムは目の前にいるのハヤトの部屋から出てきた彼の服装を見た。その姿をまじまじと見つめ、足元から頭のてっぺんまで視線を流していくといくつかの問題点が。

 

その不恰好な様をラムは鼻で笑い、

 

 

「問題は肩幅と、足の短さかしら」

 

「どう考えてもサイズの問題だろ!? お前の目で測ったサイズは俺の体にカスってもねぇよ!」

 

 

違和感すぎる服を着用したハヤトが問題そのもの己に転換されて、ピチピチの上とブカブカの下を盛大に表現しながら叫ぶ。が、ラムの態度に特に変わりはない。気にも止めてない様子だ。

 

肩は狭すぎ、足は長すぎと。ラムから渡されたハヤトの制服は彼の体のことを何も分かってないもの。

 

自室と決めた部屋で着ている最中はなんの冗談かと鼻で笑ったが、ラムの反応から察するに残念なことに大真面目な様子。一体、あの時に測った自信はどこから沸いてきたのか。

 

ズボンと上着以外。ワイシャツとベスト、更に蝶ネクタイと靴と靴下。この五つは大した問題にもならなかったけれど肝心の二つがダメと。上着はともかくズボンは勘弁してほしいハヤトだ。

 

 

「中身が伴わない以上、せめて見た目ぐらいは整えないとロズワール様に失礼だわ。とりあえず裾上げは後回しにしてせめて上着だけでも直してもらいましょう」

 

「俺としては裾の方が一大事なんだが」

 

「我慢しなさい。恨むなら無駄に大きいその体を恨むことね」

「お前さては自分のせいだと思ってないな?」

 

 

ハヤトの問題点を見つめるラムが彼の服装について淡々と思考する。

 

考えた結果として生み出した妥協案も、ズボンではなく上着を整えてもらうものだったし。こうなるなら初めから測っとけばよかったのではと思うハヤトだ。

 

そんな彼を置いてラムは指をパチンと鳴らすと、

 

 

「レム、いらっしゃい」

「お呼びですか、姉様」

 

 

その瞬間、どこからともなく現れたレムがラムの真横に並んだ。肩を跳ねさせるハヤトは瞬間移動かよと思わせるそれに驚愕。音も予兆もなく、そしてさも当然かのように現れる彼女には色んな意味で恐ろしい。

 

とういうか。レムはテンと一緒にいるはずではと疑問に思い、驚愕の表情から疑問の表情に顔色を変えたハヤト。彼は目の前の姉妹に苦笑し、

 

 

「呼んだだけで現れるか。以心伝心ってやつ?」

 

「当たり前じゃない。レムとラムを甘く見ないでちょうだい」

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「……あれ? レム?」

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「それで何の御用でしょう。仕事がまだ残っているので手早くお願いします」

 

「それ、遠回しに俺に構ってる時間はないって事だよな?」

 

 

来て早々散々な扱い。好感度がゼロに等しいのは分かっているが冷静な声色で言われるとハヤトも流石に傷つく。が、彼女たちの耳に抗議の声は届かない。

 

 

「レム、前に立ってる不恰好な男の姿を見て何か思うことは?」

 

 

言われ、ラムのようにハヤトの服装をじっと見つめるレム。不可抗力ではあれど二人の美少女から見つめられて不意に心が躍ってしまったハヤトだが。

 

そんな彼を置いてレムは「そうですね」と目についた点を頭の中でまとめ、ハヤトに突きつけた。

 

 

「肩周りがおかしいことと、足が短いことと、無駄にガタイが大きいと思います」

 

「だから、サイズの問題を俺の問題に差し替えるな!? つか、無駄にって何だ、無駄にって!」

 

「レム、採寸してあげてちょうだい」

「聞けや!?」

 

 

姉妹揃って無駄に大きい体を貶されたハヤト。空手をしていた頃は力強い拳を打ち出すために優秀とされてきた体も、異世界では今のところ『無駄にデカい』としか捉えられなかった。

 

できれば早く戦闘系統のお話が始まることを祈るばかり。騎士になると言ったのだから、そっち方面の事にもいつかは触れてくるはずだ。ハヤトとしては仕事よりも超重要なお話。

 

しかし、自分が生きているのは今。未来に思いを馳せるのは一旦置いといて、彼は抗議の声を右から左へと受け流す双子姉妹に案内されて衣装部屋に連れてこられた。

 

部屋の中には派手な衣装がハンガーにかけられ、中にはロズワールやエミリアが着てそうな服もある。この中から服を漁れば、多少は私服に困ることもなそうな雰囲気。

 

見渡し、「すげぇ」などと浅い感想を溢すハヤト。彼はメジャーらしき物を持ってきたレムの行動を察し、着ていた上着を脱ぐ。狭かった肩身から解放されて楽になった。

 

やはりあのような制服はどうにも気持ちが悪くて仕方ない。これから毎日着ると思うと、気が重くなってくる。使用人になるのはテンだけで良かったと後悔するが、後の祭りだ。

 

 

「では、採寸します。両手を上に」

「よろしくな」

 

 

背中に回るレムがメジャーで採寸するため、必然的に距離が縮まり思わずテンのような声が出そうになるのを堪えたハヤト。もしこの場にいたのがテンならばーーと考える彼は内心笑っていた。

 

きっと「うへぇ!?」とか変な声を出してレムに「不愉快です」とか言われるに違いない。先程もエミリアに逆セクハラされてくすぐったさと異性に身体を触られる感覚に破裂しそうになっていた。

 

あの時、ハヤトが止めなければ彼はあのまま気絶していたことか。エミリアであれならレムの場合はもっと凄いことになりそうだ。年齢は十八歳なのに、女性が絡むとなると途端に下がるのが面白いところである。

 

 

「なぁ、レム。テンはちゃんとやれてるか?」

 

「テン君ですか?」

 

 

採寸が終わり、サイズをメモするレムを見ながら肩を回すハヤトが頭の中に浮かんできたテンのことを尋ねる。食堂から出る直前、子犬のような潤んだ瞳を無視したことに若干の罪悪感を抱く彼はレムの仕事に迷惑してないか不安になった。

 

完全に思考回路がお兄ちゃんのそれだが、ハヤトからすればテンは親友であり仲間。しかしそれ以上に自分と真反対の性格が故に精神的に大丈夫だろうかと弟のように心配してしまう。

 

見事にエミリアの捉え方が自分に移ったことには気づかないハヤト。

 

 そんな、彼の不安は、

 

 

「そうですね。少しナイフを握らせてみました。不恰好でしたが使用したことのない人の使い方ではありませんでした。慣れれば問題なく進められると思います。仕事は沢山あるので、現時点では何とも言えませんが」

 

 

一のことに対して十で返したレム。彼女がそう言うのならば問題はないと安心したハヤトはホッと一息。けど、包丁を使えるとは思わなかった。

 

朝食の時間に聞かせてもらった話では人差し指をバッサリいきそうになり、トラウマを背負ったと言っていたが。恐らく、子どもの頃に経験したトラウマなんて大人になった今経験してみれば、何だこんな程度か。のパターンだろう。

 

 

「脳筋、採寸が終わったのなら来なさい。まだ屋敷の案内の途中よ。ラムの仕事も残ってるのだから」

 

「ほい。忙しい中ありがとうな、レム」

 

 

部屋から出て行く自分を見送るハヤトにレムは一礼。扱いは雑だが、お礼に対する礼儀はきちんとしてくれたことに謎の満足感がハヤトに生まれた。

 

今のズボンは長さが合わなくて使えないから一つ大きなサイズに履き替えたハヤトもレムの後を追うように部屋を出た。扉の真横には壁に寄りかかるラムの姿。相変わらずだ。

 

 

「お待たせ。とっとと行こうぜ」

「えぇ。そうしましょう」

 

 

一悶着はあったがとりあえずやる事は済んだと一息つくラムについて行くハヤト。これからどんな場所に連れて行かれるのかと期待に胸を膨らませる。

 

どうせなら原作で描かれなかった場所に連れて行ってほしい。そのついでにベアトリスの気配でも感じ取ったら突撃してやろうか、などと悪魔的な発想もしていたり。

 

 

「ーーレム」

 

 

召喚されたアニメの世界に心が躍りっぱなしのハヤトがこれからのことに期待を膨らませる中、不意に振り返ったラムが遠くなっていくレムの名前を呼ぶ。

 

突然だった。前をゆく彼女の髪が揺れ、前髪の後ろからチラリと顔を覗かせた左目がハヤトの後方を見つめている。

 

 

「はい、なんですか。姉様」

 

 

ラムの声にレムも振り返り、釣られるようにハヤトも振り返る。しかし、二人はハヤトのことなど視界に入ってないかのように視線を交差させていた。

 

たった一回。姉が妹の名前を呼んだだけで双子姉妹の領域から弾き出されたハヤト。どうしてラムがレムの名前を呼んだのか不思議に思うが、

 

 

「なにか、良いことでもあったの?」

 

 

問いかけにハヤトは更に困惑した。双子にしか理解できないことなのだろうかと結論付ける彼を置いてレムは、関係の深い者にしか分からない程度に僅かに口元を緩ませると、

 

 

「はい。少しだけ」

 

 

そう言葉を残し、背を向け、二人とは反対側に足を進めていった。表情の一つも変えないレムの言葉には何の信憑性もないようにハヤトには感じられたが。

 

隣にいるラムも同じく「ふっ」と思わずこぼれてしまったかのように僅かに笑うと、

 

 

「時間は有限、行くわよ。脳筋」

 

 

彼女もまた振り返ってその場から足早に去っていく。先程から置いてけぼりのハヤトは今のやり取りが理解できないままだが、とりあえず今は置いておくことにした。

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「おおよそ、屋敷全体の案内はこれでおしまいね。実際の仕事の方に移るとしましょうか。テンテンも頑張ってるそうだから脳筋も身を粉にして働きなさい」

 

「初日からそれはキチィが。テンも頑張ってるなら俺も負けねぇようにしないとだな。任せろ!」

 

 

これからの作業に勤しむべく、中庭にてラムの案内を受けていたハヤトが腕をブンブン回して気合の仕草。

 

初日からハードスケジュールだったらどうしようかと思っていたが、やると言ったのだから中途半端な気持ちでやろうとも思わない。

 

自分から引き受けた仕事は最後までやり通すハヤトはそんなことを思って気合を入れる。そんな彼の隣、気合十分の彼をラムは見ると、

 

 

「聞きなさい。午前中の仕事は二階西棟の廊下の掃除と窓拭き、合わせて装飾品の手入れ。それが終わったら昼食の準備。それを脳筋にも手伝ってもらうわ」

 

「多いな……」

 

「これが午前中の仕事。午後の分もあるから、そのつもりで」

 

「お、おぉよ」

 

 

想像を遥かに超える作業の多さにハヤトの顔が引き攣る。気合十分のはずだった勢いがこの文章だけで鎮火、基本的に何が来ても気合一つで跳ね返す彼をラムは一瞬で静かにさせた。

 

お屋敷の仕事なんて未経験のハヤトからすれば全てが初体験で、何をするのかも不明な仕事が殆ど。慣れるまで大変だろうか。まだやってすらいないが前途多難だということは分かる。

 

そんなハヤトを見たラムは、彼のことを鼻で笑った。

 

 

「なに。聞いただけで怖気付いたの?」

 

「んなわけあるかぁ! やってやるよ!」

 

 

 

 ーーそうか。この男は単純なのか。

 

 

言葉一つで沈み、言葉一つで高ぶるハヤトを眺めるラム。彼女はこの時、真顔の裏に浮かべた悪い笑みと一緒にそう思った。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「この距離を、モップ一つで、だと……!」

 

 

場所は移動して二階西棟の廊下。ラムの予定にくっつくハヤトは、目の前に広がる長い長い廊下を見据えると戦慄に声を漏らす。手の中から渡されたモップが床に落ちた。

 

口が半開きになる彼は完全にあんぐり状態。所々に飾られた装飾品に目をやりながら最奥を見つめると、今回はループの時と違って廊下の終わりが見える。

 

遠く、遠くに飾られた風景画が風景画として捉えられなくなる距離の端っこが。どれぐらいだろうか。百メートルは軽く超える気がする。

 

飾られる装飾品を置くための机を見ると引いたはずの痛みが後頭部で疼くが、今は気にもならない。それ以上の驚愕がハヤトに電撃の如く迸っていた。

 

 

「そうよ。これから毎日、脳筋もこの廊下をモップがけするの。屋敷は三階建てだから、廊下だけなら六回することになるわね」

 

「いま話すか、それ!?」

 

 

腰を下ろすラムが落下したモップを拾い上げ、ハヤトの手の中に戻しながら、今一番ハヤトが聞きたくない事実を口から語る。

 

この長い廊下があと五個もあると思うと、戦慄通り越して二人のメイド姉妹に感心してくる。

 

原作では掃除のシーンなどほぼワンカット分しか出でいなかったが。その裏ではこの地獄の廊下掃除(肉体労働)が密かに行われていたと思うと、原作主人公(スバル)に尊敬しかない。

 

戦慄したり感心したり尊敬したり忙しいハヤト。そんな彼を横にラムは雑巾を片手に手前にある窓を拭き始めると、

 

 

「ほら、早く始めるわよ。仕事は山ほど残ってるのだから。ラムがこの窓を拭き終わる前に終わらさないとラムの窓拭きもやってもらうから」

 

「物理的に考えて無理だよな? つかそれ、ただ単にお前がサボりたいだけに聞こえるんだが」

 

「始めたばかり、いえ、始めてすらない下僕の分際でラムに口答えするんじゃないわよ。口を開く前に手を動かしなさい。早く始めないと窓を拭き終わるわよ?」

 

 

嘲笑するラムが窓拭きを開始している。その窓の一枚一枚が土台がないと全てに掃除の手が行き渡らない大きさをしているから流石にそれはないとハヤトは思い、少しばかり安心。

 

しかし安心したところで掃除が進むわけでもないと再び廊下を見るーー睥睨する。モップの大きさからして三往復、気力の前に体力が底を尽きそうな予感しかしないが。

 

 

「考えてても仕方ねぇ。やってやる……、やってやるよ! 俺を舐めんなよ!」

 

 

初日から肉体労働を仕掛けてくる廊下に宣戦布告。モップをブンと振って、さながら剣先を向けるように突き向ける。水が飛び散った結果としてラムに雑巾で脳天を叩かれた。

 

垂れる水滴を頭を振って払い、ハヤトは軽く息を吸う。気持ちを切り替え、そろそろ自分も仕事に取り掛かることにした。

 

 

「ーーーー」

 

 

向けたモップの先を床に置く。睨みを効かせる床が鈍く光を反射させ、己の走るルートが淡く光った。

 

持ち手を強く握りしめる。何かあってもこの手だけは離さぬように、長い長い道を走り抜け、必ずやり遂げるために。

 

蹴り上げる足に全霊の力を込める。一歩、その一歩を踏み出せばハヤトの使用人人生は幕を上げることになるのだ。折角ならばスタートダッシュは確実にしたい。

 

完全にスイッチの入ったハヤトが息を潜める。そはまるで、獲物を狩る猛獣が獲物を前にして飛び掛かる機会を伺うように。

 

きっかけ一つで、それは飛び出しーー、

 

 

「へくち」

「おおぉーーーッ!!」

 

 

ハヤトの均衡を破ったのはラムの可愛らしいくしゃみ音。口を抑えた彼女が手と手の間から漏らした小さな声によってハヤトは勢いよく飛び出した。

 

さすがハヤトと言ったところか。何事もとりあえず動くの彼の背中はあっという間に三分の一を通り過ぎる。

 

このペースが続けばラムが窓を拭き終わる前に自分の仕事が終わる。「甘かったな、ラム」と心の中で笑うハヤトは突き進んでいった。

 

 

 

が、ハヤトは気づいていない。一体誰が「全部の窓を拭き終わる前に」と言ったのか。

 

ラムは「この(・・)窓を拭き終わる前に」と言ったのだ。

 

 

 

果たして。笑うのはラムか、ハヤトか。

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「…慣れれば、早いもので。幼少期の頃の感覚は俺の中から引き出されたと。父さんに感謝しなくちゃ」

 

 

レムが部屋から消えて早一時間。取り敢えず渡された包丁で均等の大きさに食材を切る作業を淡々とこなしているテンは一人の厨房でそんなことを呟いた。

 

自分の前にはレムから渡された、名前は分からないが馴染みのある食材の数々。均等に切られたそれらがまな板の上にでんと置いてある。漸く半分まで来た頃合いだ。

 

包丁を渡された時は手を切らないか冷や冷やして大変だった。

 

両手が震えに震え、猫の手が情けなくにゃんにゃんしていたのをレムに見られ、「ふっ」と笑われたのはこの世界に来て二番目の赤裸々エピソード。因みに一番目はエミリアに体を見られたこと。

 

そんな状態が十五分程度続き、けれども我慢しているうちに大人の体の自分には包丁が手に馴染んでくれて。その恐怖も自然と薄れていった。

 

トラウマ克服。というよりもやってみたら意外と簡単にできたのパターン。

 

幼少期に刻まれた苦い思い出は、思い切ってやってみたら割と大丈夫な彼だった。できればレムに気づかれる前にできたかったところではある。

 

以前に父親に包丁の使い方を聞いたところ、

 

 

 ーー真下に振り下ろすだけだろ。そんな難しいことしてねぇよ? おら、やってみ。

 

 ーーえと。ほい、ぎゃぁぁ!

 

 

「……思い出したくないことを思い出した」

 

 

蘇るトラウマに背筋を凍らせたテンが肩を窄めて身震い。思えば、父親が獅子の子落としの傾向が強いせいで無茶振りばかりされ、結果として人差し指に消えぬ傷跡が刻まれたと。

 

小学生のころは「れきせんのあかしだぁ!」とか言ってはしゃいでた覚えのあるそれだが、今となってはただの傷。「そんなこともあったなぁ」と苦い思い出を呼び起こす原因だ。

 

しかし。いま思うと、正にそのとうりというかなんというか。猫の手さえ気をつけてれば怪我をする心配もなく、むしろ変におっかなびっくりする方が危険だったと理解した。

 

いつ使うかも分からないまま、取り敢えず包丁の使い方を父親に教わった幼少期。深く刻まれたトラウマが、まさかこんなところで役に立つとは。

 

 

「人生、何が起こるか分からねぇもんだ」

 

「ただいま戻りました。突然いなくなってしまって申し訳ありません。姉様からのお呼び出しが。あと、屋敷内の清掃を半分ほど済ませていました」

 

 

過去の記憶に浸り、身に降りかかった異世界召喚に遠い目をしていたところ、レムが厨房の扉を開けて入ってきた。ハッとするテンは彼女の言葉を頭の中で理解。

 

なるほど、ラムに呼ばれたのなら仕方ない。それにこの短時間で屋敷内の清掃を半分ほど終わらせたと。

 

この広いお屋敷の清掃を、半分ほど。

 

 

「わぁお。難しいことをサラッと」

 

 

改めて、レムの偉大さが垣間見えた気がしたテン。まだ全体の大きさを把握したわけではないけれど、とんでもなく広いことは分かる。彼女の仕事量を把握したわけではないけれどとんでもなく多いことは分かる。

 

それを当然のように完璧に熟してしまうのだから。その人に指導される自分が良い指導者を持ったのか否かが怪しいところ。

 

 

「テン君は料理をしたことあるんですか? だいぶ進みが早いような」

 

「包丁を扱った事だけ。それ以外は素人もいい所だと思うから。期待しないでね」

 

 

隣でテンが残したもう半分を切るレムがそんなことを聞いてきた。本来、この食材達はレムが担当するもので、試しに包丁を握らせたテンの様子を見て、切るだけならと判断したレムが任せたのだ。

 

その結果として自分のいない間に半分近く終わっていたことに少し驚いた。

 

 

「反復作業とか、一つのことを淡々と熟す作業は好きなんだよね。量が多くても慣れれば早く終わるし。慣れるまでが地獄だけどさ」

 

 

残りの半分を半分するテンが一定のペースで食材をカット。若干の乱れはあるが大体均等の大きさに揃えられているところ、適当に切っているだけではないらしい。

 

テンとしては一刻も早く仕事に慣れて鍛錬に時間を費やしたいと思っていたところ。だからこうした反復作業は欠かせない。何回も何回も、手に感覚が馴染むまで繰り返さないといけない。

 

 

「…ほんと、早いとこ仕事に慣れないと。慣れて、余裕ができたら鍛錬に時間を使わないと。この屋敷から追い出されちゃうかもしれないからさ」

 

 

頑張らないとダメなのだ。頑張って頑張って頑張って、自分の存在をロズワールに証明しないと存在そのものを認めてもらえない。この世界での存在価値が自分に与えられない。

 

前途多難の現実にため息を溢すテン。強くならなくてはいけない道を走り抜けると朝食の時に誓ったのだから、弱音を吐いてる場合ではないが。意図せずともため息は出てしまう。

 

 

「…それは、困ってしまいますね」

 

 

ふと、そんな声が流れてきた。

 

声に導かれて視線を横に向けると、動かし続けていた手を止めているレムがその視線をテンの方へと向けていた。

 

 

「テン君がいなくなってしまうのは、少し困ってしまいます」

 

 

不意にそんなことを言われて、俺がいなくたって大差ないだろ。そんな言葉が脳裏に過ったが口にしてはいけないような気がした。どうしてそんなことを思うのか、よく分からない。

 

というか、どうして彼女にそんなことを言われるのか。言われる理由が自分にはあるのか。自分がいなくなってレムがどう困るのか。

 

 

「なんでレムはーー」

 

「よぉー、テン! 元気か?」

 

「レム。テンテンにも制服を着させてあげなさい。いつまでも見慣れない服を着てるとラムの目に余るわ。それまでの間はラム達がここを預かる」

 

 

レムから真意を聞き出そうとした瞬間、厨房の扉が開いてラムとハヤトの二人が入ってきた。予想外だったのかテンとレムは二人して肩を軽く跳ねさせ、先程までの気持ちを瞬間で切り捨てる。

 

どこか疲労感を漂わせるハヤトと、対して全く疲れてない、まるで仕事の一つもしていない感のあるラムには違和感に思うテンだが。気にしないことに。

 

入ってくるなり、ハヤトはテンの首へと手を回し仲良さげに話し出した。

 

「調子はどうよ、テン」

「ん、普通。特に変わったことはないよ」

「ちぇー、つまんねーの」

 

 

残念がるハヤトに対してウザそうに手を退けるテンが、ハヤトの体を遠ざける。微妙に汗臭いのがうざかった。

 

テンの「ん、普通」は半ば定型文のようなもの。何に対しても親には「普通」と応えてきた彼の癖のようなものだった。だから、聞く人が聞けば何かを誤魔化していることの裏返しだと分かる。

 

幸いなことにそのような人はここにはいない。

 

 

「姉様、先ほど仰っていたことは」

 

「そのままの意味よ。脳筋には制服を用意させたんだから。テンテンにも同じものを採寸してあげなさい。戻ってくるまでラムがここにいるから」

 

 

戸棚から芋を取り出すラムがそれをハヤトに押し付けながら言った。差し詰め、ハヤトに皮剥きの指導でもするつもりか。ハヤトもハヤトで「窓拭きの次は芋かよ」といった言葉を溢している。

 

レムもラムの意見を尊重するのか「はい」の一つ返事でそれを受け入れ、そうなれば後は早い。言われるがままにテンはレムの後について行った。

 

厨房を出る寸前。ラムに耳打ちで、

 

「レムに何かしたら殺すわよ」

 

と言われたからテンは、

 

「逆に何かの実験台にされて、震え上がる思いだよ」

 

 

と、返しておいた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「では、採寸します。両手を上に」

 

「よろしくお願いします」

 

 

背中に回り込むレムの手が腰から回り、メジャーがスルリと体に巻きつく。たったそれだけで変な声が出そうになるのを、テンは必死に我慢した。表では冷静沈着を保っているが裏ではとんでもなく動揺している。

 

しかし、ここで変な声を出そうものなら確実にレムが不機嫌になる。「不愉快です」とか言われるに違いない。だからそれを必死に抑える。息を止めて、感情を飲み込む。

 

 

「そんなに体を硬くされて、どうしたんですか」

「どうもしないです。早く終わらせて下さい」

 

 

その違和感に気づいたのか後ろでレムが不思議そうに声をかけてくるが、テンには危険でしかない。一刻も早くこの窮地を脱さなければ精神的に命が危ぶまれる。

 

結果として、身体全体を測り始めてから一分間ほどその時間が続き。終わる頃には、テンが抜け殻になりかける一歩手前になっていた。

 

 

「採寸完了しました」

「ありがとうございまし、たぁ」

 

 

メモ用紙にサイズを書き、その制服をレムが手早く持ってくるまでの間、強張った体から力を抜くテンが肩を落とす。

 

途中で前に来られるから壁と睨めっこするので必死だったし、なるべく何も考えないようにするので精一杯。ハヤトはこれを乗り切ったのかと思うと流石だなぁと密かに感心していた。

 

 

「驚きました、ハヤト君よりひ弱そうに見えましたのに」

 

「エミリアと似たような反応するね」

 

 

毒舌を投げかけながら畳まれた制服を持ってきたレムがテンにそれを渡した。採寸したからサイズが合わないなんてことはないだろう。ハヤトと比べられた点については、少し傷ついた。

 

ともあれ、肝心なのは着替える場所がどこかだが。それについては先ほどレムに説明を受けた。二階の使用人控室の西側の部屋からどこでもいいとかなんとか。そこを自分の部屋として使えと言われた。

 

着替えも就寝も勉強も。一人の空間がその場所となる。

 

 

「じゃあ、部屋を決めたいから。二階の西側? に案内してくれるかな」

 

「はい、着いてきて下さい」

 

 

やる事をさっさと済ませたいテンは採寸が終わり、いる必要もなくなった衣装部屋からレムと一緒に出た。そこから、彼女に案内されて二階の西側へと向かっていく。

 

その間、特にすることもないテンは窓から流れる景色を眺めた。そこからは、均一に揃えられた芝生に、この屋敷の正門、整えられた木々などが見え隠れし。一眼見ただけでも庭園と分かるレベルで仕上げられている。

 

とてつもない広い。学校のグラウンドより広い。広い場所に関しての比較対象がそれしかない自分の表現力が悔やまれるが、全人類共通できっと伝わるはず。

 

 

「そして。それをたった二人で整備している、と」

 

 

少し前を歩くレムの後ろ姿を横目に、改めて彼女の仕事ぶりに驚愕。広い屋敷に加えて庭園、更には中庭。これだけの量を二人で回していること、どちらかというとラムは得意な方ではないから実質レム一人で回していること。

 

その事実がどれだけ異常なのか今ちゃんと理解した気分になったテンはそこに自分達が加わることに苦笑い。果たして戦力になれるかどうか危ういところだ。

 

そんな時、ふと、レムの言葉が過った。

 

ハヤトよりもひ弱そうに見えた。つい先程レムに掛けられた言葉。おそらく、ハヤトよりも体つきが悪いと思っていたが採寸した時に違うと分かり、出た言葉だと思う。

 

なんの悪びれもない言葉だったのかもしれない。思ったことを言っただけなのかもしれない。けど、今のテンには少し刺さる言葉だったようで。

 

 

「あのさ」

 

 

庭園を眺めたままのテンは、レムに声をかける。反対にレムはテンのことを見てくれたが。彼はそのままポケットに手を突っ込んで言葉を紡いだ。

 

 

「できれば俺とハヤトは、比べないでほしいな。ハヤトよりもとか、そんな分かりきった話を言われても。困るんだよね」

 

「ーーーー」

 

 

テンの切り捨てるような言葉に対してレムの表情がハッキリと曇る。彼の言葉に何を思ったのかは彼女自身にしか分からない。ただ、今のテンの言葉が嘘ではないことは分かるレム。

 

 

「俺は、アイツには絶対に追いつけない。朝の会話で分かったでしょ? 俺はアイツみたいに男らしくもない、自信のカケラもない貧弱な男だよ。所謂、俺は完全にハヤトの劣化版みたいなもん」

 

 

淡々と話すテン。彼の表情は完全に諦め、その事実を受け入れる風にレムには見えた。どうしてそんな風に見えたのか。

 

 

「そんなこと」

 

「今は、そう見えるかもね。そのうち分かるよ。俺が何やっても。特に強くなる点において、アイツは俺の何倍も凄い。俺が努力してもアイツならその上いく。俺には、それに追いつく未来が想像できないんだよねぇ」

 

 

否定したレムの言葉を優しい口調で否定するテンは彼女の顔色が曇っていくことに全然気づかない。話が進んでいくにつれて彼女が苦しそうな表情になっていくことに気づけない。

 

だから。テンは言葉を止める事はしなかった。

 

 

「一ヶ月もすれば、きっと実力の差も出てくる。そうなれば俺はあいつには追いつけないよ。精神面で俺は既に遥か先に行かれてんだから」

 

 

確かに、肉体的な面においてはまだ同じレベルと言えるかもしれないけれど。精神的な面で比べるのならばテンとハヤトの差は天と地ほどの差が広がっている。

 

肉体は鍛えた分だけ逞しくなる。しかし、長い時間をかけて根付いた自分の精神は簡単には治すことはできない。

 

故に、その差は強くなる面において大きな影響を及ぼす。心構えが違うだけでも、強くなれるかどうかは大分違ってくるのだ。

 

 

「アイツみたいになりたい、そう思ったこともあるよ。今日の朝もね、アイツの言葉聞いてすごい奴だなって思って、憧れたよ。でも、俺には到底できそうにない。やる前からってまた言われそうだけど。こればかりは、俺には自信がない」

 

「……はい」

 

「追いつく努力はするけど。最終的にはアイツには追いつけないんだろなぁ。だから、比べないでほしいって事だけど。でも仕方ないか。同じ時期に入ったんだから比べたくなるのも、ね」

 

 

ようやく窓の外から内側へと視線を戻すテンが、声と表情が暗くなったレムを見てやらかしたかと小さく息をこぼした。長々と自分語りをしてしまったが、迷惑に思われてないだろうか。気持ち悪がられてないだろうか。

 

話し出すと止まらなくなってしまうのが自分の悪いところ。こうした、余計なことまで他人に話してしまう。口からポンポン言葉が紡がれて一貫性のない薄い内容になってしまった。

 

だから少しでも彼女の機嫌を直すために。そして、この白けた空気を壊すべくテンは空笑いし、「だから」と繋げて、

 

 

「もしそうなった時に俺のことを劣化版ハヤトだなんて言わないでね。そんなの、言われなくても分かってるから。アイツに追いつけないなんてこと、自分が一番理解してる」

 

「……はい。分かりました」

 

 

少し俯いたレムの事を軽く覗き込むテン。彼に反応したようにレムは顔を上げ、それまでの苦しそうな表情を切り捨てる。

 

そのことにテンは一切気づかなかった。刹那で振り払い、顔に貼り付けたレムの真顔、その裏に隠れる表情など分かるわけもなく。

 

 

それからしばらくの間、二人の間に会話が生まれることはなかった。

 

 

 

 

 






モップをかけるだけで激戦区に身を投げ出すようなハヤト君。ちょっとだけ描写ふざけました。

内容は大丈夫でしたか? 無駄に長い上に薄味だったら読んでいただいている方に申し訳ないです。

次回は、次回こそは一万文字以内に収めたい……。

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