——テンは、見た。豹変した、レムの姿を。
返り血にまみれた形相を恍惚の笑みに歪め、なにより——その髪飾りが外れた頭部から、白い角を生やした彼女の姿を。その理性の消失した瞳を。
闇を突き破りながら出てきた彼女を見たテンは、一瞬だけ目の前にいる人が本当に彼女かを疑った。そして、それが彼女だと心が理解した時、真に彼女の姿を見れた気がした。
「ーーーー」
見慣れた給仕服の全身を返り血でドス黒く染め、ただ染めるだけならまだしも、染めた上から更に染めたような色合いは、黒を通り越して言い表しようのない色に変色し。それが彼女の身に降りかかった厄災の程度を雄弁に語っている。
数々の敵を討ち倒してきたであろう暴力と鉄球は未だ健在で、戦闘時間が長引くほど振るわれる機会も多かったのだろう。言葉にしたくない液体と物体が近づく者の末路を表したかのように存在を主張していた。
今、テンは「息が詰まる」という言葉を正しく実感している。眼前、声を発すれば聞こえる距離に佇む、人間の頭部らしき物体を握る彼女から放たれる鬼気がすさまじすぎて精神と肉体が停滞を許していた。
覚悟はしていた。けれど、それを容易く崩壊させてくる形相は受け入れ難い。平常心を保てている自分の精神力を自分自身でイカれてると心底思う。幾度もなく生死の境目を彷徨わされた産物か。
ただのレムだったらこうはならなかったはずだ。少しはまともに呼吸を保てていたはずだ。
しかし、テンの呼吸を止める要因は彼が見つめる先——額から伸びた白い角にある。それがレムが身に浴びた悲惨さを知らぬ存ぜぬで純白に光るものだから、意識せずにはいられない。
——鬼。
彼女を表すならば、その言葉が最も適している。画面の中で見た最悪の光景が、今まさに自分の目の前にいる。
これが、今の彼女の本当の姿なのだろうか。『鬼』の力に支配された、自分ではどうしようもなくなってしまった暴走状態の今が、彼女の本性になってしまうのだろうか。
「……ちがう」
ーーおはようございます。テンくんっ
毎朝そう言って腹部に跨り、ふわりと微笑んでいるのが彼女だ。気がつけば隣にいて、穏やかに寄り添っているのが彼女だ。絶対に彼女は『鬼』ではない。
健気で努力家で心優しくて、とてつもなく過保護で、自分と同じく早とちりな——普通の女の子だ。決して『鬼』などと一括りで言い表していいわけがない。
ならば、
「レム! 俺の声が聞こえるか! いや聞こえなくてもいい! 俺の隣にいる人が誰か分かるよな!? お前の姉ーー」
「ーー! 魔女、魔女……、魔女教徒ーーッ!」
『鬼』に飲まれたレムを呼び戻そうとテンが叫んだことが皮肉にも何かの均衡をぶち破ったか。テンの背後で茂みが揺れ動き、かすかな音がその場の全員の鼓膜に聞こえた途端、複数が一度に動く。
肩を大きく跳ねさせたレムの瞳が憎悪に燃え、最悪の名を忌々しげに吐き散らしながら音の方向、テンの身体へと弾丸のように跳ね飛び。
それを察したラムがテンの体を無理やり引き寄せて軌道上から逃し。今さっきテンの体があった場所にレムの憎悪が向けられた魔女教徒の影が一斉に飛びかかる。
救われた。彼女に意識を向けすぎて周囲の気配に疎くなるとは、レムを助ける前に自分が死んでは元も子もない。
「ごめん。助かった」
「別に。それよりもレムのことよ」
短いテンの言葉に端的に応じるラム。彼女が向けた視線を辿るテンはその先にある殺戮の光景を瞳に捉えた。
血の舞台で踊り狂う、レムの姿を。
「はは、あははは!」
鋭い軌道で漆黒の中を一人の鬼が駆け回り、瞬間的に距離を詰めた魔女教徒の土手っ腹を細い腕が貫通する。一体その細い腕のどこに肉体を貫く暴力を宿すのか、無理解な攻撃への応酬は振り下げられた短剣だった。
腹を貫かれた魔女教徒の行動は異常だ。相手を殺すことだけに意識を向ける彼らは身に起こった事実など意識下に入らない。何の狂いもなく携えた凶器でレムの背中へと剣先を突き立てる——、
寸前、
鉄球を携える手が柄から離れると、暇を持て余したレムの片腕が肉体を殴りつけて前方へと地面と並行にぶっ飛ばす。脳天を掠める短剣を見送った刹那、再び携えられた鉄球が無慈悲な追撃として顔面に直撃した。
不快な音と共に一人が絶命すると制御を失った肉体が地を転がり、その真横を通過するのはレムに標的を定めた複数の魔女教徒。先陣の仲間が命を落としたことすら意識に止めず、殺戮を成すために躍り出た。
が、既にレムの攻撃は始まっている。投擲した鉄球と柄を繋ぐ鎖——めいいっぱいに伸ばしたそれが木々を押し倒しながら横に薙ぎ払われる。
遠心力に腕力が上乗せされた鎖は、進路上の障害物を全て粉砕する鋼鉄の終焉だ。一撃で骨どころか命ごと持ち去る一発は、体のどこに当たったとしてももろともに全てを奪い尽くす。
闇と同化して襲いくるそれに魔女教徒の動きは跳躍、あるいは姿勢を低く走る。その二つのみで必殺の一撃を回避し、一撃を放って無防備なレムの身へと一気に飛び掛かる。
振り切った勢いで大きな隙を生じさせたレム。彼女は数歩先に迫った魔女教徒に何かしらの挙動を見せる。しかし、それよりも刃が届く方が早い——。
「ーーるぁぁ!!」
空振った複数の刃、その間をすり抜けるのはレムの小柄な肉体だ。引き戻す時間がないと理解した彼女は鉄球の重みに身を委ね、前方へと大きく跳躍。
その過程で目の前の首にラリアット並みの動きを発揮した左腕が一人の魔女教徒を連れ去り、対応される前に脊髄もろとも押しつぶすレムの怪力が圧死させた。
首から上と下が分かれた死体を適当に放り投げるレムは手近な木の幹に手を伸ばし、前へと進む慣性を回転に逃すと逆上がりの動作で一回転。追随する魔女教徒がちょうど真下を通過した。
結果として背後を取ったレムの行動は早い。微かな音と異臭で敵の大凡の位置を把握すると、狂気的に笑う。
「あはは……ッ! はははは!」
手元に戻った鉄球が唸りを上げて投擲され、背後を取った一人の頭部を爆砕した。的確に急所を狙った破壊に血と頭蓋の破片が周囲にまき散らされ、瞬く間に血の舞台が広がっていく。
直後、
背後をとったレムの背中に別の魔女教徒が這い寄る。前方の味方に注意を向けさせて自身は鉄球が伸び切った後を狙った狡猾な動き。最小限の動きから無防備な背部へと短剣が刺突された。
直撃間近。しかし、相手の位置を異臭として感じ取るレムに無防備な瞬間などない。素早く身を回す彼女は紙一重で刃を避けると、刹那で反撃に転じる裏拳が脳天へと叩き込まれる。
姿勢を低くして刺突したのが魔女教徒の敗因だ。脳天から伝わる衝撃が脳震盪を引き起こさせ、フラリとよろけた無防備な顔面へと追撃の柄尻が容赦なしに穿たれる。
死した魔女教徒の死体を腕の振りひとつで放り捨て、鉄球を手元に戻すレムがそれを思いっきり前方——固まっていた一軍へとぶん投げる。
弾丸を通り越して大砲のような轟音と共に放たれた鉄球が木々を貫通しながら突き進み、最後には一軍と衝突。肉体の爆ぜた一人に飛び退く他の肉体が、鉄球についてきたレムの暴力に容易く体をぐちゃぐちゃにされた。
圧倒的な数の暴力に晒されながらも、レムの戦う姿はその差を全く感じさせないものだった。時折苦鳴を上げながら白い肌から血を上げているものの、恐ろしいことに受けたはずの傷口が見る間に塞がっていく。
故に、レムは全てを虐殺するまで止まることはない。狂気的に吠えながら、血の舞台の上で踊り狂い続ける。
「……とても話を聞いてくれる状況じゃないけど。なんとかなるのかよ」
「なんとかするのよ。このままあの子が傷つく様を指を咥えて見ていろとでも?」
「んなこと誰も言ってねぇ」
完全に蚊帳の外。
血の舞台を、今のところ観客席から見ているしかない二人が向こうの意識がこちらに向かぬよう体を屈め、声を顰めて話す。声は互いに向けながらも、二人の視線は舞台から一秒たりとも離れようとはしない。
あれだけ苦労してようやく見つけたレム。絶対に見失わないと、瞬きすら惜しむようにラムは彼女のことを視界に捉え続け。横のテンは目の前の景色から目を離せば余波に気付けないと警戒。
変わらず視線の先ではレムによる虐殺が行われている。何人いるのか不明な魔女教徒が、かれこれ十人は返り討ちにされ、その中の数人がレムの可憐な身体に傷を刻んでいく悲劇的な光景だった。
次元が違う。あの中に入れば戦いに追いつけずにみっともなく死ぬ未来しか想像できないとテンは思うが。今そうなっていないのは自分達が観客席にいるからだ。
もし、レムと魔女教徒の意識が刹那でも自分達に向けば。その瞬間、舞台の上に引き摺り込まれてしまう。
ーーさて、この状況
「どうしたものか」
手に届く範囲にいながら、しかし何もできない歯痒さにラムが苛立つように舌打ち。テンが刀の柄を強く握りしめる。
が、ラムの言った通り何もできないかと言って何もしないわけがない。
「ちょっと聞くけど」
「何かいい案でも?」
「違う。ラムはレムと同じように戦える?」
握力の調子を確かめるような動作を見せるテンの横顔が今更すぎる発言。原作を知っていながらも、敢えて知らないことを装って問いかける。こんな時にもそれを装わなければならないとは面倒すぎた。
その横顔にラムはなにを言うべきか迷うように唇を震わせる。しかし、けっきょくはそれら全てを封じ込めたままため息をこぼし、
「鬼化したレムと同じくらい戦えるのを期待されているなら、無理よ」
「というと?」
「レムと違ってラムは『ツノナシ』だから、完全な鬼化はできない。レムと違って肉弾戦が得意でもないし、少しだけ過激に風の系統魔法が使えるだけよ」
そう答えて、軽く指を振るラムに合わせて強い風がテンの髪を揺らす。自然に干渉した今の術式がより凶悪になると、テンもよく使う不可視の刃に変わるのだろう。
「ん」と軽く頷くテンがゆっくりと立ち上がる。観客席から立ち上がる彼は、刀を血振りして舞台の上を睥睨する。
ラムが戦えるのは分かった。それ以前に先程魔法を使うところを見た。『ツノナシ』がなんなのかはこの際、予備知識として知っているから別に聞くまでもない。なら、あと聞くことは一つだけ。
不意に笑い。テンはラムに問う。
「ラムは、レムが大事で心配?」
「当たり前でしょう。確かにあの子の方がラムより強い。でも、それは心配しない理由にはならない」
「そうだね」
「なにをやらせてもあの子の方がずっと上でも、ラムはあの子の姉様だもの。その立場だけは、絶対に揺るがない」
聞き覚えのある発言、やはりラムはラムだ。
即答し、迷いのない声で分かりきっていた返答をラムは返した。何があっても決して揺るがぬ姉妹関係を確固とした決意の下に彼女は続けて示し、力強い声色で語る。
そして、それを示されてしまったからにはテンも覚悟を決めなければならない。妥協の決意ではなく、本当の覚悟——『人を殺す覚悟』を。慣れるまでとか、甘えてる時間はないのだ。
レムを助けるために。ラムに応えるために。二人のことを助けるために。
また、みんなで笑い合うために。
「よし分かった。ならやることは変わらない」
緊張を解すテンが、そう言って肩を回す。テンの態度に腑に落ちないものでも感じたのか、立ち上がる彼女は怪訝そうに眉を寄せ、
「なにをする気なの?」
「なにって。さっきラムも言ってたでしょ?」
そう言ったテンが正面の血の舞台から初めて視線を逸らし、ラムに視線を向ける。呆気らかんとした声色に彼女も視線を向ければ、曇っていた表情が晴れた彼の顔が見えた。
緊迫した場面。どうすれば良い方向に事を運べるかと考えているラムには少しばかり不快感を抱かせる表情の彼はそのまま言葉を繋げ、
「レムを襲う輩を始末して、自我を取り戻さないといけない、って。それをするだけだよ、難しく考える必要なんてなかった」
それまで何をどうするかと思考をこねくり回していた自分が馬鹿馬鹿しい。レムを襲う輩を始末して、レムの自我を取り戻す。ただそれだけのために悩み、怖がることなどない。
やることはブレず、成さねばならぬことは決して変わらず。故に、この場にいる自分達の役目も決まっている。
「まずはアイツらを殺して、レムの意識を俺たちに向ける必要がある。レムの自我を取り戻すのはそこから」
「覚悟は決まったの?」
「決まった。お前ら姉妹のおかげでな」
隣に立ち並ぶラムの問いかけに、その回答をテンは言う。本当なら地獄の境界線を踏み越える前に言いたかったところだが、生憎とそこまでテンは主人公ではない。それはハヤトの役目だ。
レムのことを見て、ラムの言葉を聞いて。なにより、苦しそうに表情を歪める姉妹を前にして、ようやくテンの覚悟は定められた。ギリギリ間に合ったかどうかのタイミング。
「そう。できればもっと早くにしてほしかったところはあるわ。ギリギリよ」
「皆まで言わないで。自分が一番分かってる」
魔法の予備動作か、手刀を構えるラムが軽口を叩きながら戦闘の意志を纏う。彼女もテンの意見には賛成らしい、鋭い殺意を舞台上の戦闘へと向けている。
触発されるテンも、狼のような野生的な気配を漂わせ始め。それが彼の覚悟の度合いをなによりも雄弁に表していた。
そう。やることは何一つ変わらない。自分達がここにいる意味。それがやることだ。難しく考えることなんて始めからなかった。
今、二人がゆっくりと舞台へと歩みを進め、一人の役者として声を上げようとしている。
その歩みを止められる者など、誰一人としていない。
「死なないでね」
「守ってくれるんでしょう?」
「俺が生きてる限りは」
「じゃあラムが死ぬことはないわ」
寸前に軽く言葉を交わす二人。
自分の真面目に対する軽口なのか曖昧なラムの返し方に、テンは真面目な姿勢を崩さず。言葉を締めるラムが落ち着き払った声で断言した。
無責任な信頼。ここまで一緒に戦ってきてより一層それが強まったテンの横顔にラムは言った。
「気張りなさい。ここで死んだりしたらレムが悲しんでしまうもの。妹を悲しませることはラムが絶対に許さないから」
「分かったよ」
それ以上の言葉をテンとラムは刻まない。歩みを進める二人の足が止まり、一歩先にある熱を肌で感じ取る。舞台はもう目の前だった。レムと魔女教徒の役者達が狂い踊り、殺戮の公演を永遠と続けている。
ならばそこに茶々を入れてやろう。妹を付け狙う連中など舞台の上から引き摺り下ろしてやろう。
今夜の主演は三人。レムとラム、そしてテンなのだから。そこにハヤトを入れて使用人四天王とでも語ってドタバタなほのぼの劇でもやってやろうか。
息を合わせ、縁に手をかける二人が意識の外から舞台上へと一気に駆け上がり、己の刃を魔女教徒へと解き放つ。刀が一人を滅多切りにし、風刃が複数の首を刎ねる。
——魔女教徒と鬼、そこに乱入する鬼の姉と想い人。血の舞台に突撃する彼らは最終公演の開始を告げた。
▲▽▲▽▲▽▲
乱戦が始まる。
魔女教徒と鬼と、鬼の姉と想い人。落ち着いて考えなくても場違いな一角を背負いながら、テンとラムは乱戦の中心で己の命とレムの動きを意識しながら立ち回る。
二人の作戦は至ってシンプル。我を失ったレムが魔女教徒を片付ける側で、彼女の余波を喰らわぬように魔女教徒を片付ける。以上である。
相手が何人いるか不確定な状況、レムの力を借りずに乗り切るのは不可能だ。だから、彼女を刺激しない程度でこっそりと暴れ回る方向で戦闘を展開し、魔女教徒を全て殺す。
「ーーはずだったんだけど、ね!」
振られた短剣を弾き、大きく仰反る肉体にテンの体が飛び込む。今度は迷わない、動作に対して対応がくる前に容赦なく刀を振り翳して命を絶った。
瞬間、仲間の死を感情に含めない魔女教徒がテンに殺到する。真横、血を浴びて視界不良となった彼の視覚外から二人目が蛇のように這い寄り、突き出された狂気が喉元へとひた走った。
テンが気づく様子はない。否、その魔女教徒とは真反対から迫る三人目の対応によって二人目の対応に遅れが生じている。刃が喉元を突き破るまでもう数秒もない。
それが返り血を浴びる——、
「エル・フーラ!」
寸前。
詠唱の声に呼応した複数の風刃が彼の命を救う。手刀を薙ぎ払うラムの武器が闇よりの暗殺者の腕を切り落とし、一陣目に続く二陣目が容易く首を刎ね飛ばした。
背中に返り血を浴びながらテンは真正面の魔女教徒へと刀を刺突。回避する体が十字架の剣——短剣を鋭く突き出し、刀の柄を握ってない腕が狂気を握る腕を殴りつける。軌道を大きく変えられた短剣がテンの右耳を掠めた。
密着する身体。不意に闇に煌めくもう一本の刃をテンは視界に捉え、相手の武器は一つではなく二つだと悟った時には既に体は動き始めている。
攻撃に次ぐ反撃に次ぐ回避、仕掛ける側が刹那で切り替わる戦闘が展開される。握るもう一本の短剣とテンの刀が衝突し、力に押し負けた短剣もろとも刀が手首を切り落とした。
痛みすらも感情から断つ魔女教徒の動きは異常なものだった。苦鳴一つ上げずに後方へと流れた手の中で短剣が小さく回り、ガラ空きの背中へと手首のスナップのみで突き立てる。
「しっーー!」
が、テンとてそれを許すほど甘くはない。押し進む刀が吐いた息を斬り裂きながら相手の肉体を一刀両断、背中に突き刺さる寸前に自らの手で二人目の命を斬った。
これで二人、ラムのと合わせて三人の魔女教徒を葬った。しかしここは地獄、葬った事実を置き去りにして二人の周囲で戦闘が繰り広げられ、目まぐるしく変化し続ける。
「伏せろ!」
歪な気配に動いたのはテン。振り返る彼が手に浮かべたのは詠唱の後に続く火球。闇の中で存在が際立たされたそれが咄嗟に屈んだラムの頭上を通過、追いかけるテンの肉体が風のように真横を駆け抜けていく。
赤の光が閃いた直後、聞こえてきたのは金属と金属が衝突する甲高い音。ジリジリと擦れる音が連鎖したのは刃を刃が受け流したからだろう。問題はどちらが受け流したかだが。
「らぁ!!」
音に振り向くラムの瞳が捉えたのは宙で身を横に倒したテンが大きく回転する姿。遠心力と重力、更には自身の体重を乗せた一撃が魔女教徒の頭上から叩き落とされる。
対する魔女教徒の動きは単純だった。手に携えた短剣で受け止める構え。回避する選択肢は攻撃の速さでテンが勝ったことで奪い去られ、咄嗟に短剣を防御に使用した。
それは流法を過去最大に高めている状態のテンには好都合だ。その程度の防御など容易く崩せる。叩きつけ、剣の重みが振動となって手の痺れを齎し、狙う魔女教徒の手から短剣がこぼれ落ちた。
ーーやれる。戦える
不意に沸いた感情にここまで鍛えてくれたロズワールに感謝するテンが、地に足つけたと同時に刀を後方へと薙ぎ払いながら反転、また別の個体が忍び寄り、威嚇程度の斬撃に飛び退かせた。
しかしそれでは短剣を落としたのが来るか。否、ラムが既に仕留めたのを彼女の有り余る覇気の詠唱で察したテンが地を蹴り上げて後退した個体の肉体へと距離を詰める。
立ち止まっている暇などない。動く、数で圧倒されている以上、相手よりも早く動き出さなければ囲まれて死ぬ。瞬間でも止まれば死ぬ。
今は少しでも多く敵を減らし、数の有利を個の力で上回れるような状況を作り出す必要がある。故に目の前の魔女教徒を早く仕留める。
そう、思っていた時だ。
「やばーーー」
「テンテンーーッ!」
はやる気持ちが前へ前へと体を押し出した結果として、テンは意識外からの奇襲に襲われる。突如として真上、木の枝を蹴り上げた魔女教徒がテンの目と鼻の先に迫った。
自らの加速が仇となった。奇襲に気づいた時はもう既に短剣が眼球目掛けて突き出されている。脊髄反射で動こうが許容できる攻撃——無理だ、凌ぐ選択肢がテンには無い。
ラムが後方から動き出しているが、彼女も間に合わない。詠唱よりもその狂気がテンの瞳を真っ赤に染め上げる方がずっと早く、彼の絶叫が地獄の洗礼を受けることになる。
——しかし、投擲された鉄球が飛来した魔女教徒の肉体をぶっ飛ばす方がそれよりももっと早い。
「ーーーっ!」
瞬間。
鎖の音が闇の中から槍のような勢いで突き抜け、テンの眼前から物理的な衝撃によって鋼が弾き飛ばされた。否、弾き飛ばされたのは鋼の持ち主も同じく。血を撒き散らしながら刹那で闇へと飲み込まれていく。
何があったかなど考えずとも答えは出る、自然と答えは自分の場所にやってくる。憎悪に満ちた声を残酷に響かせ、威圧感を放ちながら。
「……レム」
声は届かない。想い人の声、それすらも。
木々を何十本も押し倒しながら飛び出してきた彼女の心にテンの呟きは決して届きはしない。戦闘音で掻き消される以前に鬼が声を撲殺する。
テンが仕留めるはずの魔女教徒がたった今、その撲殺に巻き込まれて死んだ。体に大穴が開いて力無く倒れかかり、しかし死体を目眩しに使うレムの暴力に胸ぐらを掴まれて投擲。人間を超越した力で地面と水平に飛ぶそれは一つの凶器だった。
素早く動く一軍がそれの接近に跳び、宙に身を晒したそれらが薙ぎ払われた右腕と連動する鉄球に打ち砕かれる。
弧を描いて暴れる鎖と鉄球は尚も生き物のように暴れ、手当たり次第に魔女教徒へと手を伸ばすそれは正に殺戮マシーン。持ち主もまた、一切止まることのない殺戮人間、暴走列車のように。
「クソっ! 早く全部殺さねぇと……!」
今のレムを見ていると理由の分からない焦燥感に駆られるテンが真横から降ってきた短剣に頬を薄く切られながらも反撃、こちらも相手の皮膚を薄く斬り裂くだけに終わる。
守りに入らぬ二振りの短剣が縦横無尽にテンの体に迫り、攻撃の激しさに防御と回避の二つしか取れない彼の体から血が滴り始めた。
剣捌きと体捌き、更には足捌き。その三つで致命傷だけは避けているものの、掠ってしまうものは必ずでてきてしまう。
決して追えない動きではない寧ろ慣れてきた。が、それでも相手は人殺し集団。単体での戦闘力は油断すれば喰われる力量であり、決して侮れない相手だ。
「ーーーッ!」
短剣の連撃に目が慣れてきた頃合い。歯を食いしばるテンが無理やり刀を押し通し、腕に刻まれた一筋の深い裂傷を代償として防戦一方の未来を捻じ曲げる。一瞬の隙を見計らった彼の反撃が連撃を仕掛ける腕を半ばで斬り飛ばした。
瞬間的に熾烈な攻撃が止み、その一瞬で攻撃に転じる刀が斬り返す動きで三連撃。残る腕、胴体、首と順番に刃を貫通させて殺し切る。これほどの斬撃を一瞬で繰り出せるとは、流法の有り難みに感謝するばかりである。
安堵、してる余裕はない、次が来ている。倒しても倒しても減らない戦闘をしていると、いつぞやのゴミの大群を思い出すが、魔女教徒の山とか冗談抜きで笑えない。
「フーラ!」
度重なる連戦に苛立ちつつ右斜め前に風刃を撃ち出し、漆黒に溶け込む風の暗殺者が一陣の風となって魔女教徒を出迎える。
直撃間近、しかし大気を伝うそれが異質だと理解した魔女教徒の動きが途端に直進から曲折に変わった。
悟られた暗殺者。無音の奇襲の応酬は姿勢を低くして蛇のように這い寄った短剣。目を離せば一瞬で視界から外れる速度で動く存在による斬撃が最小限の動作で放たれる。
頭上から降る質量を感じさせない斬撃にテンが足を滑らせて半身を思いっきり逸らす。刃が空間を切った直後、勢いそのままに回転する肉体から回し蹴りが薙ぎ払われる。回避と反撃を合わせた扱いやすい蹴り技だ。
踵に伝わる確かな感触を感じたテンが声を上げながらねじ込んだ渾身の一撃を薙ぎ払い終える。流法によって強化された、常人以上人外未満の暴力が魔女教徒の体を豪快にぶっ飛ばした。
しかしハヤトやレムのような致命傷には至らない暴力。被弾を感じさせない受け身を取る魔女教徒が再び迫り来る——今度は複数を引き連れて。
流石にそれは困る。一対一ならば今のところなんとかなるが一度に複数で来られたらひとたまりもない。
だから。ここは一度は見破られた風の暗殺者の出番だ。
「ーー!」
突然、テンに向かっていた魔女教徒たちの体から赤い華が狂い咲く。或いは頭部から、或いは右脚から、或いは腹部から。弾け飛ぶ液体は風に靡かれる花びらのように舞い散った。
意識外からの攻撃には魔女教徒も反応できなかったらしい。見事に向かってきた一軍が体勢を崩して命の隙を無防備にも相手に晒している。そして、それを逃すまいと狼のように疾走するテンが刀を構えた。
よろける肉体の懐に素早く入り込むテンと携えた刃が心臓を突き刺し、皮膚を抉って肉から出てくる刃が二人目の首を刎ね、力の抜けた手から短剣を奪う左手が直後に迫る三人目の顔面を頭蓋骨と脳みそを貫いて串刺しにした。
この一瞬で三人。瞬く間に血が空間を赤く染め上げる。狼が人間の喉元へと食いついているようにも思える急所のみを狙った殺戮が過ぎ去りざまに行われ、尚も狼は次なる喉元へと食いつく。
開始と比べて剣を携えた対人戦に慣れてきたテンが所狭しと辺りを駆け回る。刀を薙ぎ、風刃を放ち、暴力を暴れさせ、相手を確実に仕留めている。
その身に傷を負い、痛みに苛まれながらも戦うそれは徐々に彼が洗練されたものになりつつある証拠、血を浴びる不快感に心が慣れ始めた表れ。
なにより、人を殺す感覚に心身共に慣れつつある彼が普段通り、ロズワールを相手にする時と同じ動きを発揮し始めてきた。刀という名の牙を剥き、暴力という名の鉤爪を薙ぎ、狼という名の本能が瞳に映し出されている。
「はーーッ!」
肉を裂き、首を刎ね、血を浴び。自分が後戻りできない事をしている事を理解しながら、ふとした瞬間に心に訪れる人殺しの事実、その感覚に身を震わせ、テンは血の中で躍り狂う。
本能的になりながらも、しかし彼の頭はいつも以上に冷静で、自分の置かれた状況を正確に把握していた。頭が冴えてるのだろうか、おかげでよく理解できた。人を殺すという取り返しのつかないことを今まさに自分はしているということを。
これでは冷静になっている方が逆効果である。どうせなら本能に全てを委ねて殺戮者になる方が今は楽な気がしてきたテンだ。
常に体よりも頭が僅かに先に動く自分は、やはりそんな人間らしい。偶には、ハヤトのように本能が真っ先に動くようにもなりたいと密かに思う。
そうすればこの不快感も消えてくれるだろうに。全くもって叶わない願望だ。
——が、
皮肉にもその思いは、世界の理不尽によって叶えられることになることを彼は知った。
「ーーーッ!?」
不意にテンの様子が一変する。顔色を驚愕に染め上げ、戦慄に大きく見開かれた瞳がそれを見た。
視界の端っこに映ったラムの姿。額から血を垂らした彼女の身体が、ゆっくりと、力無く前に倒れていく光景を。
——世界が、色褪せていく。