親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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鬼の声は止まない

 

 

 

 世界とは理不尽なものだ。

 

 危機というのは、決まって突然訪れる。

 こちらの都合など一切考えてくれない。

 

 

 

 

「ーーーー」

 

 

不意に世界から音が消失し、次第に色までもが褪せていく。時間経過が曖昧になり、何もかも全てが、加速する思考だけを置き去りにしてゆっくりと時を刻んでいった。

 

 

 ——世界が、色褪せる。

 

 

その中で一人、今自分が何をすべきかをテンは考える。否、ラムを助ける。それ一つでいい。それ以外にすることはない。いつもよりもよく見える世界の中で。最も早く彼女を助け出せるルートを、

 

 

 ーー見つけろ

 

 

目を凝らし、瞳を右往左往させて、己の力を全て利用し、この限られた空間でやれる最善を見出そうと思考を回す。一秒でも早く、刹那でも早く彼女の下に辿り着くために。

 

そして、テンは見た。

 

自分の場所からラムの場所へと一筆書きのように一筋の光の線が描かれるのを。地を駆け、木々の合間を縫い、枝を渡り、魔女教徒の体を貫通するそれは現実ではありえない現象、恐らく見えているのはテンだけだ。

 

何がどうなってそうなったのかなどどうでもいい。ご都合主義万歳、神様の気まぐれに心の中で手を合わせて感謝する。できれば無傷で通れるルートを探してほしかった。

 

 

「ラムぅーー!」

 

 

時間の枠組みから乖離した世界から帰還したテンが危機に晒された彼女の名を叫ぶ。世界に音が戻り、視界もまた染色されていく異様な光景を彼は気にも止めない。

 

世界からすれば刹那の出来事。テンからすれば数秒間の出来事。定まった意識の下、捉えた一筋の光を道導に彼はその場から消えるように駆け出した。

 

ラムの倒れる様を見て、動揺しないわけがない。心臓が大きく跳ねた歪な感覚は二度と味わいたくない絶望の予兆。しかし、それを刹那で本能が斬り落とし、代わりに加速させた思考回路が肉体へと指示を出した結果、今がある。

 

追随する刃に皮膚を抉られても止まらない。飛来する火球に背中を焼かれても止まらない。なにもかもを振り切り、駆け抜ける最中に魔女教徒による被害を負いながらも、絶対に止まらない。

 

光の貫通する魔女教徒を斬り払うテンが跳躍、木々を飛び渡る。枝の折れる音が連鎖するのは跳び出す脚力に耐えきれず、何本もの枝がへし折れているからだ。

 

そしてそれは、数秒と経たずに彼女の身体へと辿り着く。見えた、短剣が胸元に突き立てられようとしている。

 

 

「ーーーッ!」

 

 

凄まじい速度でラムの下へとたどり着いたテンの肉体が枝から射出され、身を翻した彼の踵落としが彼女の肌に伸びる狂気——それを握る腕を身体ごと地面に叩きつける。

 

全身の物量でそのまま蹴られたような衝撃に瞬間の停滞を許した魔女教徒への応酬は、上げた顔面にぶち当たる裏拳。顔が沈み込む威力に後続の仲間を巻き添えにして吹っ飛んでいった。

 

気にも止めない。次がくる前に彼は地に倒れ伏すラムの腰に腕を回すとひょいと抱き上げる。左腕で彼女の身体を支えると、彼は息つく暇もなく刀を真上に振る。

 

半円を描く斬撃に当たったのは短剣。やけに明るく感じる空間で、煌めきながら投擲されたそれが弾かれて明後日の方向へと飛んでいく。それを横目に彼は肩に顎を乗せてきたラムの容体をチラと確認すると、

 

 

「救助ご苦労様。次はレムね」

「心配した気持ちを返せ。つか、拭くな」

 

 

随分と余裕そうなラムから呑気な声をかけられて、ほっと一安心。もしものことがあればーーなんて考えた自分がバカらしく思えた。額から垂れた血をテンの肩で拭く彼女は死んでないという意味では健在だ。

 

 

「なんで急に倒れたの」

 

「戦闘限界、とでも言っておくわ。思ったよりもラムの体力がもたなかった。ここからはテンテンの支援に徹してあげる、感謝なさい」

 

「要するに動けなくなったから後のことを俺に全部丸投げすると」

 

「捉え方次第ではそう聞こえるかもね」

「そうにしか聞こえねぇよ!」

 

 

がなるテンに応じるラムはいちいちふてぶてしい。度重なる戦闘にマナを保つことができず、手足をまともに動かすこともできない状態とは信じられない態度だ。

 

一体なんのためにここまで彼女の力を温存させていたと思っている。千里眼の分を使ったことでそれもなくなったとでも言いたいのだろうか。

 

なんにしても、文句を言ってられる場合でもない。倒れたなら倒れたで仕方ない。小言は全部終わってからまとめてぶつけてやることにして今は生き残ることに全身全霊を注ぎ、

 

 

「ーーるぅぅぅ!」

「ほわっ!?」

 

 

うなる豪風が頬に当たったことに反射的に背筋を逸らす。顔面僅か数センチ、ラムと自分の顔があった位置に鉄球が過ぎ去る恐怖映像にテンの顔が一気に青ざめた。反応できたから良かったものの、万が一当たれば今頃二人揃ってお花畑に直行だった。

 

まさか自分達を狙って? と想像もしたくない疑問が頭に浮かび、瞬間に聞こえてきた破裂音にそれは解消される。鉄球の向かう先に腹部から内臓を溢れさせている魔女教徒がいた。

 

魔女教徒へと一直線、それ以外のことなど視野に入ってないのか。自分ではなく魔女教徒を狙った鉄球に巻き込まれて死ぬとか、冗談抜きで勘弁してほしいところ。

 

 

「うぁぁーーッ!」

 

 

何十本もの木々を薙ぎ倒しながら差し込んだ光の隙間からレムが現れる。血に濡れた彼女の姿が際立たされ、額から伸びる純白のツノが月光を反射させて存在をより主張している。

 

なるほど、やけに周りが明るいと感じたのは思い過ごしではなかったらしい。レムの暴力によって枝葉に覆われた闇の空間が月光の差す光の空間に変わりつつあった。

 

闇の中に所々光の空間があるのは、木々の倒された月光の手が届く場所。この空間でそうされると変に神々しく思えた。

 

尤も、それをされたところで今更状況が良くなるわけでもない。視界は良好になったものの、周りのことを考えずに暴れ回るレムには驚嘆と驚愕するしかないテンだった。

 

一体いつ終わるのかも分からない乱戦、その疲労を全く感じさせないレムの立ち回り。鬼化とはそこまでの身体能力を一人の少女にも発揮させるものなのかと。

 

依然として辺りを走り回るテンの視界に入るレムは殺戮を生み出し続けている。

 

鎖をのたくらせて複数人を絡め取って捻じ殺し、先につく鉄球が暴れ馬のように近づく者達を撲殺し、間合いを詰める者達には暴力が容赦なく叩き込まれる。力の差は歴然だった。

 

乱戦が始まってから五分程度、自分達が来るまでの時間を加えると三十分以上は魔女教徒を始末していることになるレム。彼女の戦闘能力が如何に化け物じみているかがよく分かる。

 

そうなると、そろそろ終わりが見えてきてもいい頃合いだと思うテン。彼はその知らせをレムがしてくれるのを襲いくる魔女教徒からラムを守りながら戦い、願うように待つばかり————。

 

 

「ーーー?」

 

 

 正にそう考えていた、その時だ。

 

斬り殺した何十人目。力を失った肉体が死体の大地の一部となったのを横目に次なる輩へと意識を向けた時、テンは今まで肌で感じてきた人ならざる者が発する歪な気配が不意に消失したことに気づく。

 

確信はない。が、戦闘の意志を警戒に切り替えて動きを止め、耳を澄ましてみる——明らかに周りが静かになっていた。

 

取り囲んでいた足音が血溜まりを踏む音、短剣が空を斬る音、枝葉が騒めく音。なによりレムを音源とする音が消え、全てが静まり返っている。

 

それはまるで、戦闘の後に訪れる唐突な静寂。荒いでいた波が突然収まるような不気味な静寂だ。

 

テンはそれを知っている。その不気味さの意味を感覚で覚えている。故に、彼の視線は導かれるがままにレムへと向き、そして固定される。

 

戦いの影響で随分と開放的になった空間。闇よりも光の割合が多く占める中で、月光に晒されたレムが、そこにいた。

 

 

「ーーーー」

 

 

レムは動いていなかった。立ち尽くしたまま、気配を探るように闇を睥睨している。先程まで暴れ回っていたのが嘘のようだった。しかし額から角が伸びているところ、嵐の前の静けさらしい。

 

彼女の行動が意味するのは、魔女教徒の始末完了。気配を感じ取れなくなったから今のように静寂し、逆を言えば気配を察すればまた暴走列車の如く暴れ回ることになるだろう。

 

 

 ーー今が勝負か

 

 

「ラム。出番だよ、輩は始末し終わったっぽい。今ならレムの意識を無理やり引き寄せられる」

 

「えぇ。分かったわ」

 

 

舞台から邪魔者は消え失せた。あとはレムの意識を取り戻させて幕引きだ。そしてそれができるのは世界で唯一の家族、姉であるラムただ一人。

 

テンの体から降りた彼女がレムの方へとおぼつかない足取りで、でも地を踏みしめながら確実に近づいていく。目の前にいる妹を、家に連れて帰るために。

 

 

「ーーーー」

 

 

足音に反応したレムと対面した時、今にも泣きそうな、崩れてしまいそうな顔をラムは見た。違う、それはレムの瞳に映った自分の顔だ。ひどい顔をしている。

 

レムも一緒だった。表情の抜け落ちた顔だと外からは思わせる彼女の内側は、ひどく泣き叫んでいる。助けも求められない闇の中で、膝を抱え込んで。

 

全て、伝わってくるのだ。胸の奥が苦しくなる感情の紛糾が。ラムの心にこれでもかと響いて、それが姉として成すべきことを教えてくれる。

 

 だから、

 

 

「……レム」

 

 

呼びかける。応じたレムの肩が小さく震え、理性の消失した瞳に青色の光が薄く宿る。唇を震わせ、戸惑うように、レムの瞳は一心不乱にラムの事を見つめている。

 

 

「そんな顔することなんてない。もう全部終わったの。だから、ラムと帰りましょう」

 

「ねぇ、さま……」

 

 

かすれて、疲れ切った声ではあった。だが、それは確かな音となってラムの鼓膜を震わせていた。届いている。自分の声が彼女の心の中にハッキリと響いていた。

 

同時に、ラムの心に安心感を抱かせた。自分が見たこともない程に乱心したレムだが、彼女は——自分の妹は絶対に帰ってくる、と。

 

刀を鞘に納刀したテンはその様子を後ろから見ているだけだ。自分の口出しは不要、余計な心配もいらない。姉が妹を迎えに行く、だだそれだけなのだから。

 

 

「……はぁ」

 

 

時間としては短いが、あまりにも壮絶すぎる事が立て続けに起こったせいでとてつもなく長く感じたこの騒動。それも終わるとテンは心の底から安堵する。

 

ラムの声で帰ってこないわけがない。彼女の声が聞こえないわけがない。敬愛してやまない姉の姿を見分けられないわけがない。

 

『鬼』に飲まれてようとも最愛の存在の声は、絶対に心に届く。だから、これでおしまいだ。

 

そう思うテンの鼓膜を刺激するのは、きっとレムの安堵する泣き声とラムのあやすような優しい声色。それが悲劇の終止符を打ってくれる。

 

目を閉じ、耳を澄ます。そしてテンは聞く、終止符を打つ始めの声を。

 そして、

 

 

「ーーー!」

 

 

 

 聞こえてきたのは、レムの咆哮だった。

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラムッ! 何があった!?」

 

「どうして……、レム、レム!」

 

 

 

()()()()()()()ラムの体を受け止めるテンが咄嗟に背もたれにしていた木に体を受け止めさせる。体をクッションにしても尚、ラムに与えられた衝撃は受け止めきれなかったのかミシミシと何かが軋む音がした。

 

軋んだのは骨か、それとも木か。どっちもである。彼女のことを背中から抱き抱える形で受け止めたテン。彼は全身に迸る激痛に表情を大きく歪ませる。が、崩れる体を支える腕の中で悲痛に叫ぶラムの頭にはそんなことなど一切入らない。

 

ありえない、と見開かれた瞳が。どうして、と悲鳴を上げる喉が。そんなわけない、と絶叫する心が。それら全てが一挙に襲い掛かったラムは途端に取り乱し。

 

しかし叫ぶ。叫んで、叫び続ける。姉としての心が止まった思考回路の代わりにラムという姉を動かした。

 

 

「レム、レム……、レムッ!! 聞こえてない…そんなわけない! ラムの声を聞きなさいッ! ラムの、ラムのことが分からないの!? どうして、こんなこと……っ!」

 

 

テンの腕を掴む手に無意識に力がこもるラムが聞いたこともないような声で呼びかけている。信じ難い事実を前に彼女は震える声で、それでも必死に声を届かせようと、喉が張り裂けてしまいそうな勢いで叫ぶ。

 

テン自身、何が何だがまるで分からない。つい先程まで幕引きムードだったはずがまさかの延長戦、レムの咆哮によって嵐の前の静けさが容易く実現してしまった。

 

 それも、

 

 

「なんで俺達にーー!」

 

 

大口を開けて獲物に這い寄る大蛇のようにも見える鎖が一直線にテンの下へと伸びる。その先にあるのは当たれば致命傷は避けられない鉄球、掠ることも許されない一撃必殺。

 

ラムのことを離れぬように抱きしめるテンが半ば無理やり身を横に投げる。真横を通過するそれが背後にあった木に衝突、根本から抉り取られたそれが音を立てて倒木した。

 

今のは確実に自分を狙ったものだという事実にテンの表情が歪む。同時にラムの表情が絶望に染まり、それでも諦めず懸命に声を荒げ続ける。

 

 

「レム! ラムの声を聞いて……、おねがい……っ、ラムの声が聞こえないの……!」

 

「おいこらぁ、レム! おまっ、俺の中にいんのはお前の家族だぞ!! 俺はともかく、そんなもん振り回して当たったりしたらどうすんだよーーッ!」

 

 

伸び切った鎖が火花を散らしながら擦れ合い、それは鉄球が弧を描いて薙ぎ払われる予兆としてテンの命の警報を鳴らす——直後、大きく跳躍した足下を鉄の塊が過ぎ去った。

 

鳴り止まぬ命の警報。魔女教徒を相手にする時は聞こえなかったそれが聞こえてくるのは、本能が向けられた殺意を正しく殺意だと認識しているからだ。

 

つまり、どういうことか。

 

今テンはレムに殺されそうになっていると同時に、魔女教徒と同等に敵だと認識されている。なんともまた恐ろしい。剥き出しになった敵意と殺意がこれでもかと叩きつけられてくるのだ。

 

立て続けに鉄球が迫る。縦、横、斜め——縦横無尽。

 

やたらめったらに暴れる持ち手に連動する鉄球が、それと同等の乱暴さで目標を含めた周囲の全てを破壊していく。それをラムを抱えながら体捌き一つで紙一重で回避するとは、中々に骨が折れるものだ。

 

まるで竜巻。鉄球の射程範囲内にある全ての障害物の悉くを巻き込んで崩壊させていくそれは、単純な無差別乱撃。中心にいるレムを核として豪風を伴うそれがこれでもかと暴れ回る。

 

魔女教徒を相手にしていた時に比べたらいささか繊細さに欠ける攻撃——次々と木々が倒木していく雑すぎる攻撃を目の当たりにしながら身を動かすテンは、ふと浮かぶ疑問に目を細めた。

 

 それは、

 

 

「攻撃が……、緩くなってる?」

 

 

圧倒的なまでの暴虐で、何十人と迫った魔女教徒を一人残らず虐殺するレムの姿。傍から見る彼女のそのすさまじい戦闘力が、こちらへの攻撃において十全に発揮されていないのではないか、という疑念だ。

 

単純に考えてあの殺戮を容易く生み出せるレムならばテンを殺すことなど十秒とかからない。まして鬼化した彼女ならばもっと速く、鋭い一撃を容赦なく放ってくるはずだ。狙い一点のそれを。

 

それにおかしな点はそこだけではない。

 

 

「どうしてレムは動かない……」

 

 

叫び声を上げるレム。ラムの声を聞いた途端から壊れたように咆哮し、本当の暴走人間となった彼女はその場から一歩も動いていない。その気配すら見せず、ただ鉄球を振り回している。

 

「近づくな」そう言うように。ラムを拒んだように、己の心に触れる全てを拒絶するように。

 

しかし、本当にそうするつもりなら彼女は間違えなく肉弾してくるはずだ。自分に近づこうとする連中を真っ先に排除しにくるはずだ。

 

殺意を向け、敵視し。しかしその場から動かず決定打に欠ける攻撃を続ける矛盾な行動。それが何を意味するのか、分からないテンではない。

 

正気をなくしていても、それを誰だか分からず拒絶する精神状態だとしても。姉の声にはちゃんと心と理性が反応するし、戻りかけたそれが『鬼』を鎮めようと働いている。

 

飛び出してこないのはその抵抗の現れ、無差別に鉄球が暴れ回るのは、『鬼』に対してレムが必死に抗っている事を雄弁に語っている。

 

ならば、と思う。テンは己の成すべき事を今一度心に問いかけ、自分の存在意味を語りかける。

 

 

 ーーお前は、何のためにここにいる?

 

 

「ラム。多分、お前の声はレムに届いてるよ」

 

 

言い。ラムを庇いながら立ち止まるテンの頬に鉄球の棘が掠り、赤色の線が頬を伝ってラムの脳天に垂れた。

 

肝を冷やされる一撃が足のすぐ横に叩きつけられる中、しかしテンは今までで最も落ち着き払った声で、

 

 

「でも、まだ足りない。レムの理性が鬼を鎮められるくらいにもっと呼びかけないと。そうすればいずれは声が届くと……、俺は思う」

 

「…どうして、そう思うの」

 

「始めと比べて攻撃が緩くなってるのが一つの理由かな。レムが俺を殺そうと思えば俺はとっくに死んでる。そうならないのは、俺を敵だと認識した鬼にレムが抗ってるからだよ、多分ね」

 

 

「それで」と言い繋ぎながらテンは殺意の射程範囲外まで飛び退き。数秒間警戒していたものの、安全を確認した彼はラムの事を倒木した木を背もたれに寄りかからせた。

 

ラムを降ろして身軽になったテンがレムの領域を見やる。予想通り、攻撃を中断した彼女は二人のことを睥睨してくるだけで、その場から離れようとしない。見方を変えれば待ち構えているようにも見える。

 

こちらを睨む瞳に理性の色が刹那だけ浮かび、刹那で消えているのを見据えるテンは、

 

 

「レムがそれをできてるのは今さっきラムの掛けた言葉で彼女が心と理性を少しだけ取り戻したから。声に反応したのが何よりの証拠だよ。だから続けていれば帰ってくる。と、信じたい」

 

 

最後の方に淡い希望を抱くテンが理想論を語る。あまりにも他力本願な考えだが、強ち間違えでもないかもしれないとラムはレムを見た。

 

確かに、先程に比べたら幾らか瞳に理性の色が浮かび上がっている気がしなくもない。現実から目を背けたい心がそう見せているだけかもしれないが。この際どっちだっていい。

 

レムが帰ってくれば何でもいい。呼びかけに応じ、帰ってくるまで声をかけ続ける。時間はかかるかもしれない。

 けれど、

 

 

「それでレムが帰ってくるなら喉が潰れるまで叫んでやるわ。もしラムの美声が枯れたら、その時は責任取りなさい」

 

「他に方法が思いつかなければ、だけどね。俺の案は完全にご都合主義満載で現実味が殆どないから、もっと有力な案があるなら聞くけど?」

 

 

たった一度の返事と、攻撃の緩さから見出したレムを呼び戻す方法が理想論だとはテンもよく理解している。少ない時間で、できる限り集めた極小の情報から得た結論など早とちりもいいところ。

 

いわゆる、博打だ。

 

しかし、今はそんな悠長に探っている暇などない。一刻も早くレムの正気を取り戻さないといけないのだ。ラムのためにも、レムのためにも。そして自分自身のためにも。

 

半ば冗談半分で投げかけた問いかけ。出てくるはずもない有力な案をラムに聞いたテンだったが、意外な言葉をラムの口は刻んだ。

 

 

「あるにはある。こっちも理想論だけど」

 

「どんな?」

 

 

レムの動向を窺うテンに軽く苦笑しながらラムが理想論を語ると前置き。耳を傾けるテンはその理想論を問い返す。彼女はそれに疲労気味に息をこぼすと、

 

 

「レムを鬼たらしめているのは、あの角だから。一発、強烈なのを叩き込めば……それで、戻ってくる。といいと思いたいわ」

 

「俺の力でそんな事したら衝撃与えるどころか角ごとやっちまうと思うけど」

 

「言ってて思ったわ、忘れてちょうだい」

 

 

場違いにも、呆れるような乾いた笑いが思わずテンの口から溢れる。自分と同じく理想論を語るラムだったが、やはり理想論は理想だけに終わる。自分の理想論もそれだけに終わらなければいいとテンは思うばかりだが。

 

何にしても今の話はなかったことに。ならばやることは決まった。

 

レムを襲う輩を下し、彼女の意識をこちらへと引き寄せられる状況に舞台を整えた今、ようやく本番へと臨む役者に光が当たる。

 

なら、ここからは血の舞台から月光の舞台にでも名前を変えようか。などとネーミングセンスのカケラもない事を考えるテン。事実、彼の前にはそれを思わせるだけの舞台があった。

 

たった今起こった破壊の余波で木々の全てが薙ぎ倒された結果、レムの領域だけが月光に明るく照らさた空間となり、いっそ幻想的な雰囲気すら醸し出している。上から見たら、森の中でぽっかりと口を開けているようにも見えるだろう。

 

その中に額から角を伸ばしたレムと、足を踏み入れる者がいれば容赦なく襲ってくる領域の支配者である『鬼』がいる。

 

そして、自分達はその領域に足を踏み入れようとしている今現在。相応の覚悟を持って望まなければならない。

 

 

「さて。これで何度目かになるけど……。行こうか」

 

 

怖気付いている時間はない。

 

短期決戦。一度にたくさんの言葉をかければ彼女も応えてくれるはずだと信じるテンが、そう言ってラムに手を伸ばす。これが最後、本当の本当に何かに立ち向かうのはこれで最後にするために。

 

その手を取ろうとラムの手が伸びる。取って、立ち上がって、レムの下に行くために。この悲劇を終わらせるために。

 

伸びて、伸びて、伸び——、

 

 

「ーーーー」

 

 

不意に、伸びる手がピタリと止まった。その手がテンの手に触れる寸前のこと。目の前の手を掴むはずだった小さな白い手が、無言で、無音で止まる。

 

僅かに困惑するテンは喉の奥で低い声を鳴らし、彼の瞳は葛藤に揺れるラムの瞳を映し出した。

 

何を迷うことがあるのかと心に疑問が生まれるテンに、あろうことかラムは止めた手をゆっくりと引っ込める。伸びた手が縮んで、縮んで、縮んで、最後には背中の後ろに隠れた。

 

 隠れて、彼女は言った。

 

 

「その役目はテンテンに任せるわ」

「は? なにを、急に……」

 

 

突然の意味不明な発言。即座に否定的な言葉をかけようとテンの口が動くが、しかしそれは止まる。無理解な発言をしたラムの表情があまりにも真摯なものだったからだ。

 

真剣で、真っ直ぐな瞳が、自分のことを見ていた。

 

自分の妹をただの男(テン)に任せる、そんなこと彼女がするわけがない。そう思いたいのに、彼女のことを見たらとても嘘を言ってるようには思えない。自分の瞳を射抜く赤の瞳が、彼女の心を本気で語っている。

 

それでもテンは否定的な言葉を口に刻んだ。

 

 

「なん、で? 俺、なんか、ラムの方が……」

「テンテンにもやれる。いいえ、やりなさい」

 

 

途端、言葉の歯切れが悪くなってテンの調子が目に見えて落ちる。先程までの様子から一転して表情に困惑色と不安色が浮かび上がり、混ざり合う。反対に、ラムは何も間違ったことは言ってないと真面目な表情だ。

 

 

「だって、俺は『ただの男』なんだよ? 姉の声に少ししか反応しなかったレムが、俺なんかの声に反応するわけないじゃん。そんなのおかしいよ。任せるなんて、そんなの」

 

 

己の価値を低く評価するテンが当然とでも言いたげに語る。ただの男——自分は彼女の家族でも何でもない『ただの男』なのだ。家族の声ですら僅かな理性を溢しただけなのに、それ以上を他の人間になぜ望むのか。

 

絶対におかしいと眉間に皺を寄せるテンが伸ばした手を更に伸ばす。強引な彼はラムの本気を捻じ曲げようとした。しかし、目の前の少女が手を取る気配はない、それどころか差し出された手を隠した手で強く払う。

 

「えっ」と短く困惑の息を溢すテン。ラムは心底呆れるようなため息を一つ吐くと、「よく聞きなさい」と彼の瞳を鋭い目つきで睨み、

 

 

「言っておくけど。レムにとってあなたは『ただの男』なんかじゃない。どうしてそれを気づこうとしないのかしら…。あれだけ好意を向けられて、あれだけ寄り添われて、まだ分からないの?」

 

 

それは今まで、今の今までずっと胸に秘めてきた思い。

 

テンは突然のことに感じるかもしれないが、レムの想いを知っている彼女からすれば今更すぎること。

 

ずっと、ずっと焦ったかった。いい加減気づけと怒鳴り散らしてやりたい気分だった。自分の妹の真剣な気持ちを、苦笑という曖昧な表現で受け流す彼に怒りをぶつけたいと思ったこともある。

 

そんな彼が、レムに慕われている彼が、レムにとって自分は『ただの男』だと語ることはラムが許さない。自分が彼に全てを託そうとする意味、それに気づかない事にどうしようもなく腹立たしさを感じる。

 

だからラムは言う。言わなくちゃいけない言葉を彼に伝えるために。伝えて、妹を惚れさせた男としてやるべき事をしてもらうために。

 

 

「いい。あの子にとってあなたはーー」

 

 

ラムは言う。言う、言う、言うーーーー、

 

 

「……レムにとって、俺はなに?」

 

 

 寸前、

 

黙り込んだラムにテンは更に困惑気味に問いかける。「あなたは」から先が続くはずの口元が、何かに縛られたかのように固まったラム。彼女の前で膝をつくテンは目線の高さを合わせた。

 

問いかけの答え、それを求めるように。

 

しかしラムの口がそこから先の言葉を発することはなかった。出かかったそれを飲み込む彼女は少しばかり俯き、力無く頭を左右に振る。

 

 

 ーー初恋の相手なのよ。

 

 

そう、言うはずだった口は自然と止まっていた。他でもないラム自身によって。口走りそうになる自分を自分自身が寸前で止めていた。それは自分が言うことではないと。

 

今それを伝えたところで何かが変わるわけでもない。寧ろ、テンを更に困惑させてしまうかもしれない危ない橋。それに、レムに口止めされてるのだから、約束は守らねばならない。

 

危うく口走りそうになった自分を咎めるラムが深く息を吐く。それと一緒に吐き出される感情が心に訪れた焦燥感を一時的に和らげた。

 

顔を上げるラム。彼女は視線を合わせてきたテンに視線を合わせると、

 

 

「これを言うのは野暮ね。けど、一つだけ確かなのはテンテンはあの子にとって『ただの男』ではないということ。試してみる価値はあるわ」

 

「ただの男じゃないって……! それじゃあ俺はレムのなんなのさ!? 仮にそうだとしても、俺なんかよりずっとラムの方がーー」

 

 

 良いに決まってる。

 

声を荒げ、そう繋げようとしたテンの口は強制的に閉じられる。こんな時でも自分の力を信じ切れない彼の女々しい態度が、ラムによって荒っぽく捻じ曲げられる。

 

村であった時のように、予感も無しに伸びる両手がテンの胸ぐらを掴みかかった。体を力任せに引き寄せられ、彼女の口元が耳元に近づくと、言った。

 

 

「ラムだって…、ラムだって行きたい! 世界で一人しかいない妹の危機に黙ってられるお姉ちゃんがどこにいるのよッッ!」

 

 

魂の叫び声がテンの耳元でうるさいぐらいに響く。服の繊維がブチブチと千切れる音と共にラムの声が心に叩きつけられ、ラムが初めて自分のことを「お姉ちゃん」と形容したことにテンは思わず押し黙った。

 

感情が破裂したように叫び散らしたラムは、掴んだ胸ぐらを肉体ごと突き放すように押し出すと、小刻みに震える己の体に視線を巡らせ、

 

 

「……情けないわね。叫ぶ体力はあっても肝心な手足の一つもまともに動かせないんだもの。だから、今はテンテンに託すしか他に方法がないの。わかるでしょう?」

 

 

言われて、テンは彼女のことを見た。

 

普段の彼女からすれば見間違えるほどに弱々しい姿。千里眼の複数回使用が体に負荷をかけ、魔女教徒との戦闘で許容値を越えた彼女の四肢は力無く垂れ下がり、震えている。背もたれがなければ、きっと簡単に倒れてしまう。

 

そんな姿を見たテンの表情が歪む。あまり戦闘に関わらせるべきではないと一瞬で判断できる彼女に。しかしテンは、引き下がろうとはしない。

 

 

「それは……。俺が背負う」

「レムの動きを見て、それでも今の言葉が言える?」

「やる。やってみせる。絶対に」

「無理ね。それでテンテンが致命傷を負えばそれこそ終わりよ。ラムもレムも。勿論テンテンも」

「そんなのやってみなくちゃ……!」

 

 

ラムの現実を叩きつける言葉の羅列にテンは苦し紛れに抵抗する。拳を握りしめる彼は、きっとその事に頭では理解している風にラムには見えた。

 

しかし、「自分では無理」という固定概念に近い弱々しさがラムの離脱を受け入れてないのだ。

 

だからラムの否定を否定する。やってみなくちゃ分からないという自分らしからぬ言葉まで発して。ここまで言われたのだから、『人を殺す覚悟』を決めた時のように一歩踏み出してほしいところだが。

 

そこで一歩踏み出せないのがラムの知るテンであり。しかし、決定的な何かがあれば一歩踏み出すことができるのがラムの知るテンでもある。

 

だから、彼女は深く息を吸い、

 

 

「ソラノ・テンーー!!」

 

 

自分一人で何とかするとなった途端から狼狽え始めたテンがあれこれ口早に話す最中、それは彼の心に強く響いた。

 

親しげに、初めて出会った日から彼女はあだ名でテンのことを呼んでいた。友人のように接されてきた彼女がテンのことをフルネームで呼んだ時、テンの口は凍りつき、言葉が失われる。

 

声を荒げた名前呼び。そうして彼女は彼の意識の全てを自分に向けさせると、

 

 

「屋敷でラムが言った言葉、まさか忘れたなんて言わせない」

 

 

言い。ラムは、その一歩を踏み出させるための『決定的』を彼の心に思い出させる。屋敷を出る前、何気なく言った軽い一言。

 

 それを今一度、この場で。

 

 

「無茶をする前にあなたがラム達を助けに来てね」

 

「ーーーっ!」

 

「ラムに無茶をさせないためにテンテンはここにいるんでしょう? 怪我人を無理やり表に出すような真似、しないでちょうだい」

 

 

無茶をするなとテンが言い、そうならないように自分達のことを助け来てねとラムが軽く言った数十分前。何気ない一言に含まれた、確かな信頼関係の証。

 

思い出させた決定的な一言にテンの瞳が大きく見開かれた。何か言いかけた吸息音は、しかし言葉には繋がらない。

 

それをここで突きつけられた彼は、何も言えなくなってしまった。自分でどうにかできることではないのに、でも彼女に無茶をさせるわけにはいかない。二つの感情に挟まれ、どうすればいいか分からず視線が下を向く。

 

ハヤトと別れる時もそうであったが、テンはここぞという場面では頼りになるのに、反対にここぞという場面以外では頼りない。自信を持てばすべて解決するのに、彼にはそれがないからだ。

 

だから、ハヤトなら一度固めた覚悟一つで最後まで走り切るところを、彼は何度も立ち止まって躊躇している。

 

脆く、柔く、面倒な。一度定まった——本当の本当に定まった覚悟に対しては実に真っ直ぐなテン。そんな彼にラムは珍しく優しく微笑み、

 

 

「ラムのことは今はいい。だから、今度はレムのことを助けてあげて。ラム達と言ったのは、レムとラム、姉妹二人のことだもの」

 

「……俺なんかに、できるのかな」

 

「無責任な信頼、それがテンテンに対するラムの評価よ。なら、テンテンもラムにそれを向けさせた自分を信じなさい」

 

 

 ーーそれに、あなたはレムの想い人だもの

 

 

心の中でそう言葉を締めるラムが俯くテンの顎を両手で掬い上げる。彼も先程の自分と同じでひどい顔をしていた。

 

不安そうな、心配そうな。全く、レムも自分もテンも、揃いも揃ってひどい顔をしている。

 

 

「しっかりなさい。ラムにここまで言わせた男はテンテンが初めてよ。それなら、テンテンはラムの信頼に応えなさい。でないと困る」

 

 

力を振り絞るラムの両手が、そう言った直後にテンの両頬をパチンと叩く。気合を入れる一撃だった。背中を押すように、叱咤するように。

 

ここまで自分に柄にもないことを言わせたのだから少しは男を見せてほしいものだ。屋敷からここに来るまで、何度柄にもない言動をしたことか。否、してしまったことか。そろそろ揺らぐのは勘弁してほしいところ。

 

しかし、それをする価値があるとラムは信じている。自分の言葉で彼の心は動いてくれるとラムは心から信頼している。

 

だって彼は、やればできる人だとラムは知っているから。誰かのためなら命を張れる人だとラムは知ったから。

 

それを本人が知らなさすぎるだけで、彼には自分に自信を持ってもいい力が備わっている。力だけではない、自分達に信頼を寄せられる絆が彼には十分すぎるほどに集まっている。

 

 だから、

 

 

()()。姉として、ラムはあなたに託すわ」

 

 

 

 だから、ラムは言った(託した)

 

 

 

 

「レムをーー。ラムの妹を助けて」

 

 

 

 

 

 

 

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