親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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ベアトリス:オリジン

 

 

 

 

 

「また来るぜ!!」

 

 

 

そう言われたあと、ベアトリスは扉が閉まる音を耳にした。

 

いつも通りに入ってきて、いつも通りに出て行った男が、いつも通りの言葉を最後に、自分の前から居なくなる。途端、先程まで騒がしかった禁書庫に静寂の訪れを彼女は感じた。

 

相変わらず勝手な男だと思う。こちらの都合の一つも考えないで部屋の扉を開いては、ズケズケと自分の領域へと歩み寄ってくる。その度に心臓が飛び跳ねる自分の気持ちをそろそろ理解してほしいものだ。

 

けれど、どうしてか。最近は自分の中であの男の突撃が嫌ではなくなってきている。数ヶ月前までは「出て行け」と本気で言えたのに、今は軽口程度にしか言えない。

 

どうしてか。自分でもよく分からない。分かるのは、あの男が来ると心の一部が熱せられる感覚がすることくらい。

 

 

「ーーーー」

 

 

三脚に腰掛けるベアトリス。彼女は膝の上で開いた本から視線を上げる。別に何を思ったわけでもない、ただ単にハヤトがいた場所に視線を向けてみた。

 

自然とハヤトの姿が瞳に映る。否、記憶の中の映像が光景の中で映し出されている。彼と自分の二人——なんでもない日常の光景が、一度に沢山思い起こされる。今、ハヤトが自分に土下座をしてる記憶が映った。

 

 

「………ふん」

 

 

形のいい鼻を軽快に鳴らし、ベアトリスは視線を本に落とす。永遠と映る過去の記憶を強制的に遮断する彼女は、誰に向けたものなのか不明な笑声を一度だけ音にした。

 

それからはいつも通りだ。またハヤトが扉から突入してくるまでの間、自分は本を読むだけの時間を過ごしていく。

 

淡々と連なる長文に目を通し、一面を完読したら次のページへ。完読したら、また次のページへ。分厚い本の中身を頭の中に知識として蓄え続ける。

 

永遠を生きる彼女にとって、この時間は唯一の『やること』として認識できる事かもしれない。あと一つは『やること』というよりも、契約によって『やり続けなければならないこと』になった事なのだから。

 

だから、ベアトリスは暇さえあれば本を読む。『やること』に意識を向けて、『やり続けなければならないこと』から目を逸らすように。意識したくない感情を視野に入れないように。

 

 

 

「少しは私の気持ちも分かってよ! テンのバカ! すごーく分からずやーーッ!!」

 

 

 

ハヤトが出てから何十分経ったか、不意にベアトリスの鼓膜はその声を捕らえた。聞き間違えることがない、あの小娘(エミリア)の声だ。

 

扉を貫通して聞こえた金切り声——聞いたこともない叫び声だと思った。そして、名を呼ばれた男が叫び声の原因だとすぐに分かった。

 

何がどうなってそうなるのかは無理解だが、恐らくハヤトの事と関係があるのだろう。差し詰め、自分と同じようにイカれ男(テン)が小娘に「屋敷に残ってろ」とでも言ったか。

 

 

「別に、ベティーには関係ないのよ」

 

 

静寂の中に響いた声を切り捨て、ベアトリスは訪れた考えを断つ。自分には関係ないことだ、気にしたところで意味もない。そう言い聞かせ、再び意識を本の世界に旅立たせる。

 

が、今に限って上手く旅立たない。文字を目で追っているはずなのに、内容が頭の中に一欠片も知識として入ってこない。

 

普段なら簡単にできる事ができないのはなぜか。理由は理解している。自分が本を読んでいる環境、つまり今が『普段』ではないからだ。

 

読書を阻害する原因が森を中心として二つ、魔の気配と邪の気配を心が察知している。根拠は無い、でも確信はある。

 

魔の気配——森に良くない連中が彷徨いていることが分かる。ただ、邪の気配——得体の知れない何かだけが不明だった。

 

前者は恐らく魔女教徒。後者は魔獣。

 

前者の方は世界共通で実力の知れ渡っている殺戮集団、故にハヤトでも対処できるはずだと変な信頼を向けれるが。後者の方は魔獣であること以外は何も分からない。

 

しかし、得体が知れない事だけはハッキリとしている。自分が今までに感じたこともない寒気が先程から感じて、心が小さく震えている。

 

そんなだから。一応、忠告はした。

 

ハヤトが扉から出る寸前に呼び止めて強めに言い聞かせた。果たして、彼が自分の言葉を頭に留め続けてくれるかは正直、怪しい部分ではあるが。ともかく、忠告は形としてはしておいた。

 

だから、きっと大丈夫だろうとベアトリスは心の片隅で思う。中間試験の時みたく帰ってくるはずだ。帰って、またうるさい声で扉を開けてくるに決まっている。

 

屋敷に来てから毎日最低でも三回は扉を開ける男が。何が来ても気合いで跳ね返す男が。自分の心を優しく照らしてくれる男が。待つ事が大嫌いな自分を無意識に()()()()()()男が。

 

 

 ーー死ぬはずがないのよ

 

 

彼と過ごした三ヶ月間で分かった事。戦いにおいて彼が死ぬことはまずない。それをベアトリスは自分の目で見てきた。ロズワールに何度殺されかけようが何度でも立ち上がる姿を。

 

彼の姿を見ていると、人間は死なないのではと不意にも思ってしまうが。恐らく、ハヤト限定の話だろう。彼は心身共に頑丈すぎるのだ。絶望が降り掛かろうとも決して折れることはない。

 

故に、何が来ても倒れることはない。仮に彼が膝をつく瞬間があれば「情けないやつかしら」とでも言って鼻で笑ってやろう。

 

 

 じゃあ、この気掛かりはなんだ?

 

 

 

「必ず、みんなで帰ってくるよ」

 

 

 

 たった今。

 

聞こえてきた声と同時に扉の奥を誰かが通過する音がした。走るにしては少々速すぎる足音が風のように駆け抜けて、数秒と経たずに音は消える。

 

声質的にイカれ男だが。あの男にしては芯の通り過ぎている声色だったことに、ベアトリスは思わず顔を上げて小さく喉を唸らせる。

 

初耳の声、ハヤト程ではないにしてもそこそこに気持ちが入っていた。あのひ弱に何があってあんな声が発せられたのか。小娘が関係していると思うが、純粋に気になる。

 

小娘に続いてイカれ男までも。何より、長いこと一緒に過ごしてきて、初めて見たハヤトの鬼気迫る態度。やはり今夜は普段と何か違う。

 

魔女教徒が出現した時点で既に普段は崩壊しているが、それ以外にも自分の知らない何かが外で起こっている。

 

なにが、一体なにがーー、

 

 

「……関係ないかしら」

 

 

頭をブンブン振り、縦ロールが荒っぽく乱れるベアトリス。彼女は深く考えていた思考を再び切り捨てる。数十分前にも関係ないことだと言ったはずだと。

 

自分はハヤトに禁書庫に篭ってろと言われた。なら、その通りにしてやろう。どうせ自分が行ったところで意味もない。今はこのまま、彼が扉を開くまで座って待ってる。

 

また本を読んで。読んで、読んで————、

 

 

「ーーーー」

 

 

繰った何ページ目、古文書のような文字の羅列を読んでいた時、ふとした瞬間にベアトリスの瞳が止まる。それまで一定の間隔で左から右へと動いていた双眼がピタリと動きを止め、彼女は驚くように目を見開いた。

 

瞳の先にあった事実。それは、

 

 

「ベティーは、どこを読んで……」

 

 

内容が頭の中に入ってこないのは勿論のこと。本を繰った回数が片手で収まるにも関わらず、既に三十ページ以上も繰っていた。一度に何ページも先に進んでいたらしい。普通に読んでいたら起きない現象だ。

 

それだけではない。無意識のうちに左拳に力が込められていたのか、握りしめていた一ページが握力に破けている。紙切れが拳の中でくしゃくしゃになっていた。普通に読んでいても起きない現象だ。

 

文字を読む事だけに意識を向けすぎて全く気づかなかった。いつ起こったのかも理解できない。本当に、無意識に。自分はページを飛ばし飛ばしに読んで、そのうちの一枚を引き裂いた。

 

 

「どうして」

 

 

こんなこと初めてだった。莫大な知識の管理を任されたベアトリスは、間接的に本の一冊一冊の管理を任されたようなもの。決して無駄にしないようにと丁寧に扱ってきた——はずなのに。

 

我に返るようにはっとするベアトリス。時間経過が曖昧になっていた彼女はどこを読んでいたかも記憶にない本を衝動的にパタンと閉じると、あることに気がつく。

 

 

 ーー胸が、苦しい

 

 

「……どうして」

 

 

物理的な苦しみではない。体の内側から全身に波紋する、精神的なものだ。

 

気がついた瞬間、苦しさは急速にベアトリスの中で膨らみ始めた。無意識の間は薄く存在を主張していたのに、意識した途端に強く声を上げて。

 

その苦しさは、心の中で眠っていた感情のアラームだったのだろう。直後から彼女の中にあった様々な思いが呼び起こされ、我先にと存在を主張し始めた。

 

喉の奥がじわじわと熱せられる歪な感覚がする。走ったわけでもないのに浅い呼吸が勝手に繰り返され、全身が強張る。元凶である苦しみを鎮めるために胸に小さい両手を添えるも、それは苦しさを促進させる行為となった。

 

 

「どうして……」

 

 

吐息と共にポツリと呟く。自分の心に問いかけた言葉は、しかし返答が返ってくる気配はない。寧ろ、先よりも苦しみの度合いを増してきている。目を逸らすことができない。

 

目を逸らさなかったとしても、ベアトリスが苦しみの正体を知ることはできなかった。原因は分かっていても、原因によって生じたそれの名前が理解できない。

 

この胸の苦しみはいったい何なのか。悲しくて、寂しくて、切なくて、初めて心に宿った感情の名前は自分に何を自覚させたいのか。

 

原因は恐らく頭の片隅にずっと居座る『気掛かり』。ハヤトを見送ってから少しして出てきた切り捨てることのできなかった違和感。

 

何の気掛かりなのかは分からない。もしかしたら『何の』の部分が苦しみの正体かもしれない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。正しいのかもしれないし、正しくないのかもしれない。

 

 

 ーーよく分からないのよ

 

 

頭で考えているとごちゃごちゃになる。自分自身で何を考えているのか分からなくなる。正しいのか否か、それすらも分からない。

 

複数の感情が混濁して、得るべき答えが全く見えない。辿り着こうと思考回路を回すのに、数多の知識を蓄えた頭は役立たずだ。これでは本を読んできた意味がまるでない。

 

普通は逆ではないか。答えを得て原因を探るのが定型的なのに、自分の場合は真逆。原因が分かっているのにどうして答えが分からない。

 

けれど。一つだけ、一つだけ分かることがある。

 

 それは、

 

 

 ーーまた来るぜ。ベアトリス。

 

 

「ーーーー」

 

 

ずっと、ハヤトの姿が脳裏に焼き付いて離れていかない。何度でも自分の前にやってくると宣言する声が、頭の中を駆け回っている。太陽の笑みがどうやっても掻き消せない。

 

まただ。また来た。

 

消えぬハヤトのことを思うと大波のように感情が押し寄せ、自分の中の気掛かりが爆発的に膨らんでいく。意味不明なそれが、胸を締め付けるような苦しみの度合いを加速させる。

 

胸が——胸が苦しくて仕方ない。

 

 

「本当に……本当にムカつく男かしら」

 

 

無意識に拳に力が入る。胸に添えた二つが衣服を握りしめ、感情を必死に抑え込むベアトリスは余計な声が溢れぬように歯を食いしばる。

 

誰に聞かれるわけでもない。否、自分に聞かれる。心が発した声を自分が聞いてしまうから、これ以上は声が出てこないように唇を固く閉じた。

 

そうしないと、ふとした拍子に溢れる時がある。

 

引いては押し寄せ、引いては押し寄せを繰り返す大波に心を揺さぶられ。あらぬ言葉が唇から簡単に溢れ落ちる瞬間がある。それは紛れもない自分の本心なのに。

 

しかし、上手に向き合えない自分は毎度のように目を逸らしたがる。だから今のように唇の手前まで押し寄せた声を閉じ込め、無理やり飲み込む。何分間か継続したらそれは治まるから。

 

 治まるはずなのに、

 

 

 ーーまた来るぜ。ベアトリス。

 

 

気掛かりが、どんどん膨らむ。

 

 

 ーーまた来るぜ。ベアトリス。

 

 

「ーーーー」

 

 

魔女教徒はハヤトなら大丈夫なはずだ。絶対に死ぬはずがない。

 

 

 ーーまた来るぜ。ベアトリス。

 

 

「ーーーー」

 

 

なら、寒気のする魔獣の方はどうだろうか。自分の心が震えるほどの力を持った魔獣に、ハヤトは勝てるだろうか。

 

もし、勝てなかったら。

 

 

 ーーまた来るぜ。ベアトリス。

 

 

「ーーーぁ」

 

 

もし、二度と彼が扉を開くことがなかったら。

 

 

 ーーまた来るぜ。ベアトリス。

 

 

「ーーーあ」

 

 

もし、それで死んでしまったらーーーー、

 

 

「ダメかしらーーッ!!」

 

 

膨らみ続けた気掛かりが破裂したようにベアトリスが叫ぶ。固く閉じた唇をこじ開けた心の悲鳴が爆音として禁書庫に響き渡り、体が三脚から勝手に飛び降りた。

 

我慢して我慢して我慢して。殺して殺して殺して。

それでも抑えきれなかった感情が彼女の全てを一瞬だけ全開放させ、勢いに任せて大声を上げたベアトリスは、しかしすぐに我に返る。

 

呼吸が荒く、肩が大きく上下していた。居ても立ってもいられない体が、二本足で立ち上がっていた。膝上に置いた本が音を立てて床に落ちていた。

 

全部が事後だという事実に彼女は震える拳を強く握る。意図して叫んだわけじゃない。寧ろ、言わないようにと意識していたのに。

 

今、自分は何と言った?

 

 

「ーーーー」

 

 

勢いに任せて立ち上がったベアトリス。彼女は鼓膜の中で乱反射し続ける自分の声に心を激しく揺さぶられる。心の奥底にある本心が、体を動かそうとしてくる。

 

これだから唇を固く閉じたんだ。こうなることがなんとなく分かっていたから、未然に防いでいたはずなのに。それでも尚、自分の中の本心は想像以上に大きな力を宿していて。

 

皮肉にも。その一言をキッカケに、自分では抑えきれないと感覚的に理解した。理由はない、感情に答えなどない、抑えきれないものは抑えきれない。

 

胸が苦しい。悲しい。寂しい。切ない。それ以上にとても熱い。幾度となく重なる吐息が熱を帯び、源となる心が熱源となって感情を大暴れさせている。

 

治れ、治れと呼びかけるベアトリスとは裏腹に心は実に素直なもので。ハヤトが死ぬ——そう考えた瞬間から制御が一切効かなくなった。

 

 

 ーー死んでほしくない

 

 

「うるさい……! うるさいのよ!」

 

 

 ーーいなくなってほしくない

 

 

「ベティーには関係ないことだと何度も言ってるかしら!」

 

 

 ーー離れてほしくない

 

 

「別に()()()がどうなろうと知ったこっちゃないのよ!」

 

 

 ーーだって、ハヤトは自分にとって

 

 

その人なんかじゃないかしら(その人であってほしい人だから)!」

 

 

 ーーだから。この苦しみの理由は

 

 

心配なんか、してないかしら(心配で心配で、仕方ないからだ)ーーッ!」

 

 

自分が何を言ってるのか分からない。どうして叫んでいるのかも分からない。ただ心の声を掻き消すために、ごちゃごちゃになった頭の中に浮かんできた言葉を口にしてるだけだ。

 

しかし、その行為はベアトリスに一つのことを理解させる。

 

依然としてハヤトの事となると考えていることと真逆のことが口から吐き散らされて、それが自分の本心だと頭が理解し。何が気掛かりなのかの『何が』の部分が何を指しているのか分かった。

 

否。何を指している、ではなく。誰を指している、の方が適切だと不覚にもベアトリスは思った。それこそが、彼女自身が本心を受け入れた瞬間であることも知らずに。

 

ハヤトだ。ハヤトが心配だから、自分はここまで動揺しているのだ。ハヤトのせいだ、ハヤトが自分をこんな風にしたせいだ。今まで知らなかった感情を芽生えさせたせいだ。

 

全部全部、ハヤトのせいだ。

 

そう思うと無性にムカついてきたベアトリス。勢いに任せた感情が複数の感情よりも力を宿した彼女は言葉を繋げ、

 

 

「まったく。ハヤトは本当に、本当にムカつく男なのよ! 頭の中がごちゃごちゃになるのもハヤトのせいかしら!」

 

 

 ムカつく。

 

ハヤトに対して様々な感情が一気に湧き上がってきたせいで、ベアトリスの顔が真っ赤に染まる。興奮したとも憤慨したとも言える表情が彼女の心を雄弁に語った。

 

既に感情は解放されている。膨らみに膨らんだ気掛かりが破裂した直後から、溜め込んでいたものを堰き止めていた壁が崩壊し、心にどっと押し寄せて、今に至った。

 

今の彼女には、キッカケさえあればよかったのだ。それさえあれば我慢するものを全て解放することは容易い。なぜなら、彼女は超ツンデレ幼女なのだから。

 

そして、キッカケはハヤトとなった。

 

彼のことが心配すぎる彼女は、彼が死んでしまうと刹那でも考えただけで心が揺れに揺れる。彼女自身も、自分がそこまで彼のことを気にかけているだなんて思わなかった。

 

なら、自分は今から何をすればいい?

 

 

 ーー決まってるかしら

 

 

「今すぐハヤトのところに行って、魔獣なんてとっとと始末して、言いたいこと全部ぶつけてやるかしら。覚悟するがいいのよ」

 

 

立ち上がった時点でこうなることは決まっていたのかもしれない。ベアトリスはムキになった様子になりながら扉へと迷いなく足を進ませる。

 

完全に感情に任せた行動だが、裏を返せば本心からくる行動。色々と理由をつけているが、彼女はハヤトが心配だから助けに行くことにした。

 

これは、素直で素直でない彼女なりのやり方だ。まだちゃんと本心と向き合えないから、せめて行動にそれっぽい理由を添える。

 

偶には力を貸してやろう。恐らく、相手はハヤトでは太刀打ちできない力を持った魔獣。今夜だけ——今夜だけは特別に手伝ってやろう。その後に全部言ってやる。

 

待ってろと言われたが、もうそんなの知るか。そもそも自分に指図すること自体ムカつく。誰がお前の言うことなんぞ素直に聞いてやるか。寧ろ、お前が自分の言うことを聞け。

 

勢いに乗ったベアトリスが扉にたどり着くのに時間はかからない。何一つ迷いのない彼女はドアノブに手をかけ、

 

 

「……せっかくなら」

 

 

ふと、思い出したベアトリス。ドアノブから手を離す彼女は体を反転させて扉とは真反対の方向へと歩き出した。

 

柄にもなく小走りの彼女の視線は一直線、体の進む方向も一直線。数秒と経たずに記憶の場所へとたどり着く。

 

身なりを確認する縦長の鏡の前、その横に並べた机の上に置いてある本、その後ろに隠した一つの装飾品の下へ。

 

数十分前のことだ。特に理由はないが、不意にハヤトから贈られた薔薇の髪飾りを付けてみようと思い立ち、普段つけている髪飾りの代わりに付けようとしていた時のこと。

 

神様の悪戯か、見計らったかのようなハヤトの登場に咄嗟に髪飾りを背中に隠し。バレないように本の後ろに隠した。

 

あの時はかなり驚いたかもしれない。四百年生きてきた中で五本指に入る驚いた瞬間、思わず「にゃあ!?」と叫んだ自分が恥ずかしい。

 

どうせなら付けていってやろう。自分が自然な様子で付けていったら、きっとハヤトは面白い反応を見せてくれるはずだ。それに、今ならば堂々と見せられる気がする。

 

記憶を頼りに邪魔な本を退かしながら彼女は紅色をした薔薇の髪飾りを見つけ出し、流れるように手を伸ばし————、

 

 見た。

 

 

「ーーーー」

 

 

 偶然か、必然か。あるいは運命か。

 

髪飾りを見つけると同時に彼女の瞳はもう一つの物を見つける。隣り合うように置いてあるそれを見た途端、それまでは活発だった彼女の動きがピタリと止まった。

 

それは黒く分厚い本。普段から自分が腕に抱えている()だった。『何をやるべきか』を教えてくれるはずの、自分にとって全てと言える(未来)だった。母から与えられた、唯一縋るものと言える(過去)だった。

 

伸びた腕が止まる。熱を帯びていた心が一気に冷め、白熱していた思考回路が鈍く動き、狭い視界の中にある二つの選択肢から目が離せなくなった。

 

 

「ーーーー」

 

 

黒い本を見た途端からベアトリスが我に返ったのは仕方のないことかもしれない。

 

それは、轟々と燃えていた炎が絶対零度で一瞬にして鎮火させられたように。勢いに任せっぱなしの心が強制的に止められ、本心すらも止められ。息が詰まり、声が喉から発せられない。

 

今、自分の前に二つの選択肢がある。

 

一つは自分が今まで縋り付いてきた。全て、全てその通りに生きてきた。自分の『やるべきこと』を教えてくれるはずの黒い本。

 

一つは自分が初めて、離れてほしくないと思えることのできた相手が贈ってくれた。自分の『やりたいこと』を教えてくれる髪飾り。

 

『やるべきこと』と『やりたいこと』

 

その二つの選択肢の間に立つベアトリスは熱が引いた頭でどちらを取るか考える。黒い本を取り、今まで通り空白になった未来の通りに行動するか。髪飾りを取り、自分のやりたい通りに行動するか。

 

 

 ーーベティーは

 

 

どうすれば良いのか答えが出ずに沈黙したベアトリス。彼女は二つを交互に見た。やはり視線が多く向けられるのは黒い本の方だ。これまでもそうだったのだから。

 

しかし、黒い本に視線が向く度に髪飾りが光り輝き存在を表現してくる。実際に光ってるわけでもないのに、ベアトリスにはそれがとても輝いて見えていた。

 

それはまるで、ハヤトがいつも自分に向けてくれる太陽のような笑み。その光そのもののようで。

 

 

 ーーハヤトなら

 

 

ハヤトならこんな時どうするのだろう。否、考える必要はない。彼ならばきっと自分のやりたいようにやるはずだ。だって彼は始めからそうだったのだから。

 

カンザキ・ハヤトという男はどこまでも自由な、一つのことに強く縛られることのない人間で。物事の全てを真正面から受け止め、やるかやらないかの二択で行動を決める頭よりも先に体が動く人間だ。

 

自分がやりたいからやる、やるべきだと思うからやる。難しく考えず、それだけの理由で自分のやりたいように物事を進める。それで物事が良い方向に運ぶのが彼の凄いところ。

 

自分のやりたいようにやる——自分にとってそれ一つのことがどれほど輝いて見えるか。何にも縛られず、常に自由すぎるハヤトが自分の目にどう映っているのか。彼は知っているだろうか。

 

彼を見ているとよく分かる。自由に生きることがどれだけ楽しいことで、どれだけ大変なことなのかが。でも、それら全部を含めて生き生きしてるハヤトが自分には輝いて見えていた。

 

自分もそんな風になれたらと、そう思わなかったことがなかったわけでもない。でも、過去に縛られた自分一人じゃとてもできそうになくて。頑張ってみるけど、できなくて。

 

一人じゃできない。一人は寂しい。一人は怖い。

一人はいやだ。一人は悲しい。一人はつらい。

 

 でも、

 

 

 ーーハヤトと一緒なら

 

 

隣に、自分の隣にハヤトが居てくれたら。一人じゃなかったら。怖くて踏み出せない一歩も、踏み出せるような気がする。手を握ってくれたら、安心できる気がする。

 

完全に抜け出せるわけじゃないけど。そのための一歩目をハヤトと一緒に踏み出せたら、色々と頑張ってみようかなと思える。

 

今まで会ってきた人間とは何もかもが違うハヤトならば期待してもーー最後の最後の期待をしてもいいのではないかと思わされる。

 

そうやって、いつか。いつの日か。

 

この本を手放せる時がきたら————。

 

 

 ふっ。と、ベアトリスが笑った。

 

 

「ごめんなさい、お母様。ベティーはちょっとだけ、自分の手で未来を書いてみたくなったのよ」

 

 

 未来が、創られた。

 その手が、ハヤトを選んだ。

 

 

ベアトリスの手が黒い本を無視して髪飾りを選び取る。培われた絆の証を手の中に収め、彼女はその場から背を向けて駆け出した。

 

振り返ることはしない。振り返ったら決めた脆い意志が容易く崩れそうになる。だから絶対に振り返らず、前しか見ないで突っ走る。

 

四百年の間ずっと従ってきた黒い本に反抗したのだ、怖くて仕方ない。何があろうともいつかは未来が記されるはずだと信じてきたのだ、不安で仕方ない。

 

けど、でも、しかし、だからこそ。

 

 

「ハヤトの隣にーー」

 

 

 ーー行きたい

 

 

落ち着いた頭でも答えは一緒だった。勢いに乗ってようが冷静だろうが、結局のところ自分はハヤトが心配で、助けに行きたい。彼の隣に立っていたい。近くにいたい。

 

己の意がままにベアトリスは走る。経験したことのない恐怖心に心を包まれながら、しかし二本の足が止まることは一切ない。その度に髪飾りの輝きを思い出して踏ん張る。

 

扉を雑に押し開き、閉じることも忘れて。彼女は自分の心に映る男の下へと、思い焦がれる少女のようにひたすらに走った。

 

 

 空白だったベアトリスの未来が彼女の手によって創られる。

 ずっと従ってきた黒い本を無視して歩みを進める彼女は、生まれて初めて自分の意志で未来を選んだ。

 空白の未来が。真っ白な未来が。何もなかった未来が。この瞬間から、ゆっくりと創られ続け。

 

 

 それは、ベアトリスの原点となる。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

そして、ベアトリスは——。

 

 

 

「ーー馬鹿正直に突っ込んで勝てる相手じゃないかしら。頭を冷やして少し下がるのよ」

 

 

数々の感情を胸に抱きながらも、信頼するハヤトの下へと辿り着き。最高のタイミングで駆けつけ、

 

 

「だから言ったかしら。ベティーの忠告はちゃんと聞くべきなのよ。まったく、ドラゴンと戦ってるだなんて聞いちゃいないのよ。今日は厄日かしら」

 

 

自分の望んでいた反応を見せたハヤトの隣で、手を繋ぐ前の動作として服の裾を引っ張りながら楽しげに笑い、

 

 

「ま、今回だけは助けてやるのよ。ベティーが特別に、力を貸してやるかしら」

 

 

そしてベアトリスは、自分の未来をその手で創るために、戦いに参戦する。一人では怖いから、隣にハヤトを置いて。

 

 

 

 ——彼女の物語は、ここから始まる。

 

 

 

 

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