親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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2022年 5月25日 追記

※ベアトリスを背負う上で鞘があると邪魔になると読み直してて思ったので、衣服を脱ぐ描写に鞘を下ろす描写を加えました。






綴られ始めた物語

 

 

 

 

 今の自分は変な風に見えてないだろうか。

 

 

それは、ベアトリスの心情だ。たった今、ハヤトの隣に舞い降りてきた彼女の心に生まれたほんの少しの不安。

 

髪飾りを選び取り、覚悟を決めて飛び出してきたものの。あの興奮状態をハヤトに悟られるのは流石に恥ずかしいため、移動中になんとか心を落ち着かせたベアトリスだが。

 

ハヤトの下に辿り着いた途端から胸の高鳴りが再発。体が火照っていくような変な感覚に襲われた。落ち着かせたはずの心の中で様々な感情が湧き出してきて、目の前の男に目が釘付けになりそうになる。

 

それを悟られぬように冷静を装ってクールに登場。外側はいつも通りの自分をどうにかして作る彼女だが、内側は感情という感情が荒れまくっていた。

 

 

「お前……、どうしてここに」

 

 

そんな、乙女なベアトリスなど知らないハヤト。彼は驚愕と歓喜の混ざり合った笑みを浮かべながら真横の彼女に問いかける。余程予想外だったのだろう、声が唖然としていた。

 

当たり前だ。ハヤトからすれば右腕の裾を引っ張ってくる幼女は本来、来るはずのない存在。自分が屋敷に残ってろと言いつけたのだから。

 

それ以前に禁書庫から自分の意志で出てくるとも想像しずらい。既に引きこもりとしてハヤトに認定され、日々どうやって陽光を浴びせてやろうかと彼に考えさせている彼女は、基本的に禁書庫の中にいるはずだ。

 

しかし、事実として彼女は自分の隣にいる。理由も意味も分からず彼は不思議そうに首を傾げると、ベアトリスは「ふん」と鼻を鳴らし、

 

 

「だからさっきも言ったかしら。今回だけは特別に助けてやると。ハヤ……あの魔獣はお前一人には手に余るのよ。だからベティーが、と く べ つ に 助けてやるかしら」

 

 

「感謝するがいいのよ」と先ほどのノリでハヤトの名を言いそうになったベアトリスは、もう一度いつも通りの自分を装う。危ない、危うくハヤトに悟られるところだった。

 

素直に「助けに来た」と言えたらいいのだが、生憎と今のベアトリスはそこまで素直にはなれない。取り敢えずの理由を前提として添えないと自分の行動を正当化できないツンデレ。

 

ハヤトを見上げるベアトリス。彼女は澄まし顔で、淡々と、当然のように、けれど掴んだ裾は決して離さぬまま。映った彼の姿に痛ましげに目を細めると、

 

 

「随分と酷い有様かしら。お前、よくその怪我で生きてられたのよ。流石、頑丈が取り柄なだけはあるかしら」

 

「来て早々にそれかよ。ま、取り柄ってのは強ち間違ってもねぇな。俺は頑丈だからよ。ロズワールの野郎にサンドバックにされただけあって自信持って言えるぜ」

 

 

からかってるのか褒めてるのか微妙なベアトリスの軽口にハヤトは笑いながら拳を合わせる。実際に死にかけていたことは否定できないし、その前にも何度か危険だったことはあった。

 

全身痣だらけ。白の衣は既に黒く染まり。衣服の裂傷が肉体の裂傷を意味し、小刻みに震える両手は満身創痍の他にない。が、相変わらず黄金色の覇気と元気さだけは健在。

 

ハヤトの凄いところは、その二つだけで周りの人間に「コイツは大丈夫だ」と思わせること。死にかけていることに違いはないのに、覇気と元気の二つが他の事柄を遥かに上回っている。

 

それはベアトリスとて例外ではない。数秒前に感じていた死の不安は消え、代わりに変な安心感が彼女の心に生じた。この男は大丈夫だと、心の底から思える。否、思わされる。

 

ひとまず彼が死ぬ懸念は消えたことで心に余裕が生まれ、緊張していた頬が僅かに緩むベアトリス。密かに一人安心する彼女にハヤトは「だがよ」と言葉を繋げて、

 

 

「今回はお前のお陰でもあるんだぜ」

 

「……ベティーの?」

 

 

今度はベアトリスが予想外を受けた。澄んだ声色に疑問が加わる彼女は、先のハヤトと同じように首を傾げる。予想外に予想外で返されて意味が分からない。

 

自分は何もしなかったはずだ、ただ注意喚起をしただけで、それ以外は何もしていない。が、ハヤトの声は本気の声をしている。

 

見上げられたベアトリスの視線を受けたハヤト。無言で続きを要求された彼は、停滞するドラゴンを睨むフリをして彼女から目を逸らし、後頭部を掻きながら言いづらそうに口を開き、

 

 

「今さっき、お前が来る寸前まで俺は死にかけてたんだ。ほんと、もう死んだんだって俺も受け入れようとしてた。ドラゴンには勝てないって、諦めそうになってた」

 

 

衝撃的な言葉にベアトリスの肩が跳ね、尖る双眼が正面のドラゴンを睨む。自身の見立てが間違っていたことよりも、ハヤトの口から「諦める」と言わせるドラゴンの恐ろしさに身震いの理由が分かった。

 

彼の精神力が他よりも頭ひとつ抜けているのはもう知っている。そんな彼が、膝をついて諦めそうになる——とてもベアトリスには信じられない。

 

なら、何が彼を立ち上がらせたのか。彼の折れた心を完璧に修復したのだ。さぞかし大きな存在が彼を奮い立たせたと思うが、

 

 

「そん時にさ……お前の姿が過ぎった。今までお前と一緒に過ごしてきた記憶が、全部脳裏に過ぎったんだ」

 

「ぇ」

 

 

語り始められた途端、ベアトリスの頭は真っ白になった。考えていたこと全てが放棄させられ、彼の立ち上がった理由が自分である事実一つが端から端まで一気に埋め尽くす。

 

声にならない静止の声はハヤトには届かない。

 

 

「そん中の俺は、お前に絶対に帰ってくるって何度も言ってた。心配する必要はねぇ、怖がる必要もねぇって。だから、お前が屋敷で待ってるのに俺が死んでいいわけねぇだろ!って思えた」

 

「ぁ」

 

 

序論から本論へと語りが移った事を察した時にはもう遅い。ハヤトの口は言い終わるまで止まらず、ベアトリスの動揺も止まらない。真っ白の頭の中に彼の一音一音が刻まれ、彼色に塗られる。

 

声にならない静止の声はハヤトには届かない。羞恥心が首から徐々に顔を赤く染め上げていく。

 

 

「『また来るぜ』と言ったから、『期待しないで待ってる』と言われたから。俺は意地でもお前の下に生きて帰らなきゃって決意した」

 

「ぅ」

 

 

だめだ、これ以上言わせてはならない、止めないといけない。そう思うのに、語るハヤトの声があまりにも魅力的すぎて思わずドラゴンから視線を外してハヤトを見た——見てしまったことがベアトリスの失敗だった。

 

声にならない静止の声はハヤトには届かない。羞恥心が首から徐々に顔を赤く染めていく。熱が、情熱が顔の下半分まで上った。

 

 そして、

 

 

「お前だ、ベアトリス。お前の存在があったから、俺は立ち上がれたんだ。お前がいたから、俺は頑張れたんだ。ありがとう、感謝してる」

 

「きゅぅ……」

 

 

本論を抜けて結論へと至り、ベアトリスの心は許容範囲を完璧に超えた。否、超えるどころの話ではないと不覚にも麻痺した頭で思ったのを最後に彼女は処理落ち。完全にフリーズした。

 

心から始まり、首へと到達し、脳天から夜空へと飛び出す熱が湯気となって彼女の顔を真っ赤に染色。数十分前から乱れていたこともあり、その直後から心身共にぽわぽわ。

 

足から力が抜けて意図せずにへたり込む。ダラリと下がる右腕が力無く前後に揺れ、半開きになった口から熱っぽい吐息が溢れ出る——ハヤトの裾を握る拳と繋がった左腕だけは絶対にそのまま。

 

鼓膜の内側でハヤトの声が乱反射している。自分にとって最も大事な記憶として処理される映像の音声が永遠と響き渡り、その度に頬が尋常でない熱を帯びた。

 

流石のツンデレ。正面ストレート、ド直球の言葉には耐性が無かった。照れ隠しすらできない。

 

 

「ん……? うぉ、どした!?」

 

 

照れ臭そうに語るハヤトだったが、視線をドラゴンに向けていたことで彼は隣の幼女に訪れた出来事に全く気づけず。

 

最終的には「きゅぅ」という変な声にやっと目を向け、へたり込むベアトリスを眼下に何が何だか分からずに声を上げて全身を大きく跳ねさせる。

 

自分の裾を握る腕は現在のようだが、それ以外の体は機能を停止している様子。何が原因かと思う前に珍しすぎる彼女の姿にハヤトも動揺の色を表に出した。

 

というか、それ以前に。

 

 

 ーーコイツ、ほんとにベアトリスか!?

 

 

カッコよく登場した割にはその後の展開までは考えていなかったのか、普段から纏っている気配を一変させた彼女にハヤトの心が激しく震える。

 

照れてるとかの次元ではない、これは完全に頭がお花畑になっている表情。気づくことには気づくハヤトだからこそ理解できる容姿相応の可愛さが今の彼女にはあった。

 

どうせならあのままクールでいてくれたら心強かったと思わなくもない。ベストタイミングで助太刀に来てくれたことには歓喜したが、これでは色々と相殺されている。

 

 

「おい、ベアトリス! おまっ、助けに来てくれたことには感謝するが、へたり込むな! 立て! つか、ドラゴンが目の前にいるんだって! 変なところでトリップしてんじゃねぇよ!?」

 

 

言い、脇を掴んでベアトリスを持ち上げるハヤトは彼女の体を軽く揺すりながら自分の失態に気づく。先ほど自分が発した言葉の羅列は、彼女には少しばかり刺激が強すぎた。

 

感極まって言ってしまったが、捉え方によっては告白に聞こえなくもない。男が死の淵から立ち上がった理由が女の存在——間違えなくヤバい方向に捉えられている。

 

今のところハヤトに恋愛感情はないため、そういう意味ではない。ないが、彼女の存在が自分の命を繋いだことは事実。待っているから、悲しませたくないから、立ち上がろうと思えた。

 

なんと表現するのが適切か。恋愛的な意味ではないが、自分の帰りを待つ彼女の下に何が何でも帰ると思えてーーーー。

 

 

「ーーーッ!!」

 

「チッ……。待ってくれるわけもねぇよなッ!」

 

 

ぽわぽわしているベアトリスを眼前にハヤトはドラゴンの咆哮を耳にした。視界いっぱいに広がる口が半開きなった彼女の表情、その後方、それまでは停滞していた化け物が突撃を開始している。

 

ベアトリスの登場から不本意にもはちゃめちゃが展開していたが、生憎とここは命を取り合う戦場。一瞬の油断も許されぬ最強の魔獣を相手にする死戦にそれは許されない。

 

緩みかかった緊張の糸が一瞬にして限界まで張り詰めたのを自覚したハヤト。彼はフリーズしているベアトリスを胸に抱き抱えると意識の全てを戦闘へと無理やり切り替えながら真横へと跳ねる。

 

何が理由でドラゴンが停滞していたかは分からないが、今はそれも乗り越えた様子。容赦のない追撃がハヤトへと連続して襲いかかり、回避以外の選択肢を許さぬ熾烈な蓮撃が乱れのない動作で叩きつけられる。

 

全てが一撃必殺を前にベアトリスを胸元にするハヤトの動きは単純。ひたすらに相手の射程範囲から逃れ、回避に専念するだけ。

 

回避以外の選択肢がないのならばそれだけに意識を向ければいい。選択肢を絞ってくれるとは、変に頭を回す必要がなくなってありがたい。

 

地表を蹴り上げる音が連鎖し、追尾する鉤爪が岩肌を爆発させる音が重なる。跳躍による衝撃波が光の空間を歪ませ、薙ぎ払われる尾が歪みを打ち付ける。

 

相変わらずドラゴンの蓮撃は一切の容赦がない。少しでも意識から外れてしまえば、瞬間に殺される。故にハヤトは意識の全てを目の前の相手に注がなければならない。

 

が、胸元の幼女のせいでそれも叶わず。彼はベアトリスの背中を回した手で叩く。優しい力加減が彼の気遣いを語り、太鼓の如く叩かれる手が彼の焦燥度合いをそのまま語った。

 

 

「ベアトリス! ベアトリスぅ!! 処理落ちしてる暇があったらとっとと花畑から帰ってきてくれ! お前、なんのためにここに来たんだ!?」

 

「ーーはっ。ベティーは一体なにを」

 

「お、帰ってきた。よかったよかった。って、ンなこと言ってる場合か!」

 

 

空振りした鉤爪が眼前を横切り、薙ぎ払いの余波として生じた暴風がハヤトの肉体を殴りつける。何の抵抗もしなければ呆気なく体制を崩される場面に、声とは裏腹にハヤトは冷静だ。

 

彼女を抱える両腕に軽く力を込めたと同時、体の流れる方向に彼が跳ね飛んだ。風圧の流れに逆らわない跳躍がドラゴンとの距離を大きく離す。

 

その間にもベアトリスはお花畑から帰還。ハヤトを助ける前に堕ちるところだった彼女は浅い呼吸を何度か繰り返す。やることはあるが、その前に精神を落ち着かせた。

 

 

「ーーーッ!!」

 

「このヤロウ……。少しは空気読めよッ!」

 

 

胸元の乙女の事情など、苛立ち気味に舌打ちするハヤトは知らない。

 

彼女が帰還したことで意識を全て回す彼は真正面を睨む——こちらの都合など全く視野にいれない猛攻が立て続けに追随、僅か五歩で距離を詰めた巨体が大きく右足を振り上げていた。

 

少しは援軍の余韻に浸らせてくれてもいいものを。相手が待ってくれるわけもなく、期待しただけ無駄だった。既に火蓋は切られ、どちらかが力尽きるま戦闘は終わらないのだから。

 

 

「ウル・ドーナ!」

 

 

大気に満ちるマナが自身を変質させる詠唱に反応し、術者の意思に従ってその効果が発動する。

 

突如、ハヤトの眼下の地面が爆ぜ、割れ目から鋭い先端を覗かせる柱が隆起する。それは落ちる右足を迎え撃つべく突き上がるが、ドラゴンの火力は強引に捻じ伏せた。

 

人間ならば容易く打ち上げられる大地の隆起現象に対し、ドラゴンの踏み込みが炸裂。上方の力を下方の力で真っ向から叩き潰し、役目を果たせなかった魔法の残骸が飛び散る。

 

無駄な抵抗。しかし、無駄が無駄で終わるか否かはその後の行動次第。魔法と物理の衝突による衝撃波が足裏の前に叩きつけられる中、ハヤトには次の行動が重要視されるが、

 

 

「ーームラク」

 

 

 直後。ポツリと呟かれたと同時、ハヤトの前でありえない出来事が起きる。

 

何百キロとあるドラゴンの巨体が、まるで風に煽られた木の葉のように後方へと吹っ飛び、自らが開けた大穴へと突っ込んだ。残像でも残りそうな速度は、決してあの魔獣が発揮できるものではない。

 

崩壊の音が小さく響いてくるのは、尚も巨体が飛び続けているからだろう。岩雪崩の音が永遠と奥の方から聞こえてくる。

 

あれだけ自分が力を尽くしてもピクリとも動かなかった魔獣が、超人にでも殴られたようにぶっ飛ばされた光景。次なる行動へと思考を働かせていたハヤトも「は?」と腑抜けた声が出た。

 

何がどうなってそうなったのか。意味が分からない。ただ、ベアトリスが「ムラク」と呟いた直後に起こっただけで、

 

 

「元々、陰属性ってのは魔法の効力を与えた対象に何かしらの不利を与えるもんなのよ。光を奪い、音を消し、時を止め、意識を絶ちーー存在すらも異次元に消し去ることができる属性かしら」

 

 

頭の中で事態の把握をハヤトが図っていた時、胸元のベアトリスが言いながら見上げる。動揺が静まった彼女は困惑する彼に澄まし顔で「これもその一つ」と言い繋げ、

 

 

「陰属性の魔法、ムラク。簡単に言えば、魔法を掛けた対象にかかる重力を軽減させる魔法かしら」

 

「そんで?」

 

「ベティーがあの魔獣に掛かる重力を一瞬だけゼロにしてやったかしら。つまりは自爆。自分が生み出した衝突波で吹っ飛んだのよ」

 

 

「ざまぁみるがいいかしら」と腕の中で器用に身を回して反転し、ベアトリスはドラゴンが突っ込んだ大穴を睥睨。ハヤトを傷つけた分のお返しとして彼の代わりにやり返した彼女は爽快そうに嘲笑した。

 

腕の中の幼女は当然のように語るが、ハヤトとしてはそれどころではない。頑丈なドラゴンが簡単に吹き飛んだ事実に色々と追いつかず、彼女が来てから驚かされっぱなしだ。

 

重力をゼロにするというのは所謂、相手を無重力にしたということ。その中で衝撃波に煽られれば身体は飛び、自身の火力が仇となって葉っぱのように吹き飛ぶ。

 

文字にすると単純かつ明快だが。その事実一つがベアトリスの規格外さを雄弁に表していた。

 

そもそもの話。相手に何かしらの効果を与える魔法というのは、基本的に術者が相手より格上でなければあまり意味を成さない。

 

格下の魔法など相手には通用せず、マナを消費しただけに終わる。逆に、格上であればあるほど魔法は絶大な効果を発揮する。

 

そして今。ベアトリスの魔法が魔獣の頂点に立つと言っても過言でないドラゴンに付与、たった三文字の詠唱一つが豪快に相手をぶっ飛ばす要因を作り出した。

 

つまり、どういうことか。

 

 

「ベアトリスって、もしかしてかなり強い?」

 

「ベティーの強さを判断するのはもう少し後にしてほしいかしら。今のは力の一端に過ぎないのよ。まだ序の口、ここからが本番かしら」

 

 

首だけ振り返るベアトリスが頼もしい発言をしながらドヤ顔。初動の結果を受けたハヤトに「当然かしら」とでも言ってきそうな態度の彼女は、焦燥の気配などない。

 

アニメで彼女の力は把握していたつもりだが、実際に前にすると改めて思う。彼女は強い、大精霊の名は伊達ではないと。援軍としてこれ以上ないだろう。

 

ならば、自分も応えなければならないと思うのがハヤト。彼女が来たからといって自分自身が戦闘をサボるなどありえない。どれだけ強かろうと、一緒に戦うのだ。

 

「うし」と、ハヤトは一人で頷いた。

 

 

「ベアトリス。一回降りろ」

 

「なにする気かしら?」

 

「お前を背負う」

「本当になにする気かしら!?」

 

 

意味不明な発言に慌てふためくベアトリスだが、既に彼女は降ろされている。そうと決めたら一直線の彼はキツく締めていた帯を外すと、あろうことか白の羽織を脱ぎ、背負う鞘を下ろした。

 

放り投げた羽織がヒラリと地に落ち、鞘が音を立てて落ちる中、黒の半袖の肌着から逞しい肉体がチラチラと顔を覗かせ。ベアトリスは目を離したくても離せない。

 

前から思っていたが、この男は「やるか」となった時の行動の速さは一級品。取り敢えずやってみるの精神はこんな時にも発動し、見事にベアトリスの顔を紅潮させている。

 

 

「背負うとなると邪魔になるからな。加護の力は薄まっちまうが、お前がいるなら大丈夫だろ。それに暑かったし、これで涼しくなるってもんだ」

 

「な、ななな、何も大丈夫じゃないし、涼しくもならないかしら!? この状況で羽織を脱ぎ捨てるお前の思考回路をベティーは疑うのよ! 着る、早く服を着るかしら!」

 

「そうか? 俺としては全然ヨユーだが。別に、肌に直接触れるわけでもねぇし、気にすることはねぇ」

 

 

「だろ?」と手を伸ばすハヤトにベアトリスは心穏やかではない。彼が大丈夫でも自分が大丈夫ではないのだ。涼しくなるどころかどんどん体温が上昇していく。

 

きっと、この手を取れば自分は彼に引き寄せられて背負われるのだろう。戦いが終わるまでずっと、彼の大きな背中に全てを委ねることになる。

 

果たして、それだけだろうか?

 

伸ばされた手を取った瞬間から、自分の中で何かが変わってしまうとベアトリスは直感で分かった。この男の手を掴んだら、繋いだら、前の自分には戻れない。

 

自分は、この男から、一生離れられなくーー、

 

 

「何を戸惑ってんだ? いいから来いよ」

 

 

差し出された手が更に伸び、無意識に伸びていたベアトリスの手を取る。小柄な身体が簡単に引き寄せられる感覚に小さく「ぁ……」と声が溢れるも、ハヤトは気にしない。

 

無抵抗のベアトリスがハヤトに背負われる。この時、ただ背負われるだけじゃないとベアトリスは不意にも気付き、原因は背中から回された帯だと理解した。

 

今この瞬間。自分の体とハヤトの体が黒帯という一つの物体で結ばれる。普段は羽織をキツく締めるそれが、今は自分と彼が離れないようにキツく締められていた。

 

 

 ーーもぅ、これじゃ離れられない

 

 

離れられなくなった。物理的にか精神的にか、この際どちらだっていい。高くなった視界、ハヤトの頭がすぐそこにある。肩に手をかけ、右肩に顎を乗せてみる。吐息が彼の横顔にかかった。

 

ハヤトはいつだってそうだ。強引で、自由で、普段はふざけてるくせに。

 

 

「お前が魔法専門ってことは何となく分かった。だから俺は、お前が魔法だけに専念できるように動いてやる。だからよ、ベアトリス」

 

 

ふとした瞬間から超真面目になって、

 

 

「俺に命を預けろ。お前は俺が守ってやる」

 

 

どこまでも自分の心を奪っていく。

 

その発言が意図的でないことなど分かっている。彼はどこぞの鈍感と違って()()()()()()の意味を理解し、安易に発することはないのだから。

 

だからこそ、今の発言はベアトリスには強く響いたのかもしれない。そういう発言でなければ、彼はどんなに男前な発言だとしても当然のように語るのだから。

 

当然のように男前な発言を口にし、しかし素が男前すぎる彼はそれが男前な発言だと気付かず。故に、それに関してはポンポン出てくる。

 

恋愛系統の発言には気付くのに、男前系統の発言には鈍いと。これではベアトリスも大変だ。ある意味鈍感と言えなくもない。否、彼にとってはこれが普通。男前と判定されていないのだろう。

 

そのおかげで、ベアトリスには感情の波が次々と押し寄せていた。顎を乗せた肩に頭突きする彼女はむず痒さを発散しつつ、

 

 

「お前、本当にいい加減にするかしら。意図したなら許すけど、意図せずに口にしたなら後でぶっ飛ばすかしら」

 

「なにがだ?」

 

「ぶっ飛ばすかしら」

 

 

魔獣の後にハヤトの『ぶっ飛ばしの刑』が確定したところで、二人の意識が大穴に引き寄せられる。それが意味することは吹っ飛んだドラゴンの帰還だ。

 

唸り声が徐々に近づき、地響きが増す。獅子の猛進が自分達の下へ来ていると判断した両者の切り替えは早く、表情に緊張感を持たせると軽く交わしていた軽口を思考から切り捨てた。

 

 

「あ。大剣、回収しねぇと」

 

 

数十秒後には開始する戦闘を前に、不意にハヤトは思い出す。先程から頭の片隅で感じていた手元の寂しさ、自分が愛用する武器。そういえば手放していた。

 

殺されかけていた最中に力が抜けて柄を離してしまっていた。なら、その辺に転がっているはずだと彼は首を回し、鈍い輝きを纏っている鋼を視界に捕らえた。導かれるがままに拾い上げる。

 

 

「……お前にも無理させちまったな」

 

 

自分の無理に応えてきた大剣を見るハヤトは鋼の腹を指先で撫でる。労わるように触れられた大剣は随分と刃こぼれしていた。

 

鋼の鎧に幾度となく打ち付けられた結果だ。刃こぼれしていても仕方ない。むしろ、折れてないだけでも賞賛に値する。

 

それでも尚、鈍く輝いているのだから。この大剣もハヤトと同じで諦めが悪いらしい、主人の意志が宿る刃はまだ戦えると強く吠えていた。

 

両手で柄を握りしめ、正面に構える。構え一つで心身ともに整え、戦闘が最終局面に移ったと感覚で分かったハヤトは深く吐息。それから背中にいる存在を感じ、「へへっ」と笑った。

 

 

「何がおかしいのかしら」

 

 

楽しむような笑声。思わず溢れた、と聞き手に思わせる笑いにベアトリスが小さく首を傾ける。

 

状況が分からないハヤトではないだろう。相手の力が未知数な今、自分が来たとはいえ、依然として危機的な状況であることに変わりはない。決して笑う要素など無いはずだとベアトリスは思い、

 

 

「その、な。お前が背中にいるだけでこんなにも頼もしいのかって、思ってただけだ。すげぇ心強い。お前のこと、信じてるぜ」

 

 

 瞬間。

 ベアトリスの中で、何かが崩れる音がした。それはきっと、もう元には戻せない。

 

 

「……しょうがないやつなのよ。仕方ないから頼りにされてやるかしら」

 

 

本当に、本当に。この男はずるい人間だと思った。

 

横顔で笑いかけてくるハヤトにベアトリスはため息。主に呆れる時に行う行動は、しかし今は彼の笑声が伝播したように。

 

今日だけで何回心を揺さぶられたのか。少なくとも両手で数え切れないことは確かで。回数に比例して頬に赤みが増してくることも確かで。音が響いた途端から、感情が解放されたことも確かで。

 

 そして、

 

 

「ハヤト」

 

「ぇ、ぉあ、どぅ。おま、俺の……」

 

 

自分が彼の心を大きく揺さぶることができるのも、また確かなことだ。

 

名前を呼んで、自分がこう言えば、きっと彼は歓喜に震えるだろう。絶対に心の底から赤色の感情が噴火するに決まっている。

 

だって、自分もそうなのだから。

 

 

「ベティーもハヤトを信じてるのよ。今までも、これからも。だから、ベティーの命を預けるかしら。だから」

 

 

信用してる。そう言われるだけで、

 

 

「ハヤトの命もベティーに預けるのよ」

 

 

命を預けろ。そう言われるだけで、

 

 

「ハヤトのことはベティーが守るかしら」

 

 

守ってやる。そう言われるだけで。

 

 

「ーー! ぉ……おうよ! お前がそんなこと言うとか、全く、全然、予想してなかったが。そう言われちゃ男として気合い入れねぇとなぁ!!」

 

 

何でもできそうな気がしてくるのだから。

 

自分も、彼も。感じている気持ちは同じだろう。心が過去一番の昂りを見せ、マナでもなく体力でもない力が激しく鼓動する心臓を中心として全身を迸る。

 

その力、敢えて言葉にするなら『意志』。技量や素質を問わない、生きとし生ける者達に等しく与えられる力。『想い』と表してもいいが、それだと恥ずかしいからベアトリスは心の中で却下。

 

力の説明はできない。けど、意志の力が爆発するとマナが沸騰するような高揚感を得る。こんなこと初めてのベアトリスは不可思議な力に困惑するが、今は何だっていいだろうと無視し、戦いに備える。

 

 

 ーーやばい。笑みが止まらない

 

 

意志の力を使い、感情が昂るベアトリスを背中にするハヤト。想い(意志)の力を自分の武器とする彼は、肩に加わる微小な力のせいでニヤニヤが止まらない。昂りが永遠と更新されていく。

 

キュッと、握られてるのだ。彼女の小さな手が自分の両肩を強く握ってくる。それは卑怯だ、卑怯すぎる。口角が釣り上がってしょうがない。

 

 と、

 

 

「ーーーッ!!」

 

「きたかしら。構えるのよ!」

「わーってる!」

 

 

過ぎ去った数十秒。ムラクによって大きく飛んだドラゴンの影が大穴の中から憤慨した様子で出てくる。直後に大咆哮をするところ、本当にキレているらしい。

 

鼓膜を物理的に引き裂いてきそうなバインドボイスに咄嗟に耳を塞ぐ二人——二つ双眼が捕らえたのは既に攻撃へと移っている巨体だ。突進の流れを活かした全身タックルが正面から突き進む。

 

何度と見た攻撃。そろそろ見慣れてきた特攻にハヤトの動きには迷いがない、軽い跳躍で真横へと回避。

 

少し前のドラゴンならば横に跳んだハヤトの肉体を追尾する動作に繋げられたものを。頭に血が上り、怒りに身を任せたドラゴンは突撃の先を頭に考えておらず、二人に隙を晒した。

 

その隙——勢いを殺し、振り返るまでの極めて短い時間を、誰が見逃すだろうか。否、断じて否。今までだって隙を見つけては攻撃を仕掛けてきたのだ、見逃すわけがない。

 

 

「まずは一撃。ーーエル・ミーニャ!」

 

 

そして、今はそれが二人に増えたことをドラゴンは耳にした。刻まれた詠唱がこれまでとは異質なものだと本能が理解した時には遅い。

 

 

「いくぜ、ベアトリス! 決着(ケリ)つけるぞ!」

 

 

振り返った視界に映った男、その背にいる幼女。否、大精霊が片手を突き出しながら三十を超える紫の結晶を周囲に現出させ、楽しげに笑っていた。

 

 

 

 森の主へ挑戦状を叩きつける男と、その背中に幼女が一人。

 対するは、己の領域で暴れる者を下すべく咆哮する魔獣、ドラゴン。

 

 それは、ベアトリスにとっては物語の一ページ目。命を預ける男と共に未来を歩んでいくためのはじめの一歩だった。

 

 解き放たれし魔法が彼女の感情を宿し、もう二度と引き返せないと知りながら、けれどもその未来を選び。

 

 

 森の主を決める戦いは、彼女の小さな決意と共に、いよいよ最終局面へと駒を進めた。

 

 

 


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