少し、時間は戻る。
それは、双子姉妹を守るべく一人の男が殺戮集団を相手にしている時。
それは、一人の精霊と一人の男が圧倒的な強さを持った魔獣と戦っている時。
それは、男の覚悟を信じた双子姉妹が頼れる男と合流をするべく闇を走っている時。
同じ星空の下で彼らは命を燃やし、この悲劇を生き残らんと必死に足掻き続けている。形は違えど、悲劇の舞台で踊る者達は皆、全力を尽くして目の前の敵と戦っている。
託したものを突き通すために、託されたものを守り通すために。命の器に炎を注ぎ、戦意を刹那たりとも絶やさない。
そうして、明日の朝日をその身に受けるために死闘を繰り広げている最中、ここにも一人。闇と光の入り混じる森とは別の場所でも、全力を尽くして戦っている、一人の少女がいた。
肉体的な戦いではない。それは、精神的な戦い。己の心との壮絶な戦いだ。心優しき少女が、約束を守るために頑張っている。
その少女を外から見たとき、一体何があったのかと誰もが始めに思うだろう。彼女をよく知る人間ならば、心配して駆け寄るはずだ。
腰まで伸びた銀髪が乱雑に乱れ、衣服には掻きむしった痕のような皺が何本も走っている。暴れ回った痕跡として寝転がる寝台のシーツが荒っぽく剥がれ、掛け布団は蹴飛ばされたまま床に垂れていた。
その少女。普段からふわりとした雰囲気を纏う、穏やかで、真っ直ぐな。透き通った銀鈴の声の持ち主の。
その少女。
「テンのバカ! すごーくバカバカ! とーへんぼく!」
名を、エミリア。
テンに無理やり説得されて、更にはベアトリスが出て行った事すら知らぬまま屋敷で一人、みんなの帰りを待ち続ける少女だ。
レムが危険に巻き込まれたとテンに伝えられた後、彼との口論の末に結局は約束を取り付けて屋敷で待機させられ、数十分が経過した、今現在。
彼女は布団にダイブした状態で枕に顔を突っ込み、両足をバタバタさせてご乱心中である。構図が完全に恋する乙女のそれ以外にないが、生憎と今の彼女に気にする余裕はなかった。
幾度となく叩きつけられた足の甲が寝台の一部分を軽く陥没させ、尚も連続して落ちる両足にシーツが『ぼふっ』と音を立て続け。
加え、彼女の怒号を無抵抗に受け止め続ける枕も同等の有様。声を吸収する綿が感情をその身に感じ、テンに対する様々な想いを察していた。
半ばストレス発散気味に八つ当たられる寝台と枕。長いこと彼女の身体を受け止めてきた二つも、今の荒れようには互いに顔を合わせて「ご愁傷様」としか言えない。
「私だって、今だって心配で、心配で……とにかく心配なのに! あんな言い方されたら。もぅ! 待ってることしかできないじゃない! テンのあんぽんたん!」
凄まじいご乱心。心が絶え間なく叫び声を上げ、様々な感情が大波として緩急をつけながら押し寄せてくる彼女は、声にして発散するしか自分を抑える方法がなかった。
それが本人に届かずとも、とりあえず叫ぶ。口にして発散することで治まることだってあるのだ。皮肉にも今は全く治まらないが。
その要因の一つは勿論、レムが心配なこと。否、とっても心配なこと。頭の中をぐるぐる回り回って焦燥感に身を焦がされる。
当たり前だ。せっかく仲良くなれたのに、やっと壁を感じなくなってきたのに、そんな人が危険なのに誰が「はいそうですか」と黙っていられるか。
無理だ。できるわけがない。例え、自分しか動ける人間がいなくとも助けに行こう。危険な場所だとしても関係ない。だって、助けに行かない理由がないのだから。
だがしかし。それとは別にもう一つ、エミリアを襲う大波の中に『レムが心配な事と』と同等の規模を持つ大波があるせいで、彼女は更に荒ぶっている。
戦いに行ったラムやハヤトを心配するなどの大小様々な波が心を揺らす中、一際大きく目立っている大波。考え出すと八つ当たりが止まらず、その人物の名が口から音として勝手に溢れる。
それは、
「うーー。テンの……ばか」
それは、数十分前。自分の前にやってきて勝手な約束を取り付けた青年の存在だった。彼の存在がレムと同等の大波となって押し寄せ、水飛沫を上げて心と衝突する度に、感情が爆発する。
エミリア自身、どうしてこんなにも彼のことが気になるのかよく分からない。単に心配なだけかもしれない。けど、その理由だけではこの感情の説明がつかない事はなんとなく察していた。
故に、何か他にも理由はあるはずだと思う。でも、分からない。どれだけ考えても、それ以外の理由は分からない。
ただ、
「帰ってきて、くれるよね……?」
彼がもう二度と自分の下に帰ってこないーーそう思うと、『理由の分からない損失感』と『意味の分からない孤独感』の二つを心が孕んだのが分かった。
どうしてそう思ったのか。理由は分からない。けど、その二つが存在を主張すると胸がズキズキして苦しくなる。遠のく背中に、思わず手を伸ばしそうになる。
分かっている。彼が自分との約束を簡単に破る人間じゃないことなど。簡単にやられる人間じゃないことなど。自分は彼を信じているのだから。
でも、それでも不安になるものは不安になるし。心配してしまう。どれだけ強かろうと関係ない。
「……やっぱり、変な感じがする」
感情の紛糾が一時的に治まったエミリア。彼女はぐるりと回り、仰向けになって胸に手を当てる。今もなおズキズキと痛む心に手を添えてみた。やっぱり、痛みは治らない。
ーーこんな風に思い始めたのは、いつからだろうか
ふと、そんなことを思う。人生を送ってきた中で一度も抱かなかった感情を覚えたのは、いつからだろう、と。
多分、腕輪を贈られた瞬間からだ。彼の言葉が心に刻まれたあの日、あの時、あの瞬間から、きっと自分はそう思ってきたんだと思う。今も、ずっと。
それが、彼を気にかける理由になるのだろうか。
もしそうなら、このズキズキの理由も分かるのだろうか。自分が苦辛することも、ないのだろうか。
「そうだといいな」
苦笑。
叶わない願望だと言いながら思う。だって、彼のことを考えると、いつも胸の奥が騒つくのだから。よく分からない感情の息吹が薄く聞こえるのだから。
ここ最近、彼のことを見ているとふとした拍子に鼓動が速くなることがある。夜、いつもの場所にお邪魔して、彼の横に身を置くと、とっても安心することがある。
近くにいるだけで安心する存在は彼で二人目だ。一人目は、こんな時にも依り代の中で呑気に寝ているパック。彼が起きていれば、もう少し状況も変わっていただろうに。肝心な時に限って不在な家族だ。
そんな存在と、彼は同じなのだろうか。自分の中で同じだと捉えているのだろうかーーダメだ。根本的な理由が分からないからどの考えも曖昧な結論に至ってしまう。
「テンって。本当に不思議な人……」
答えの出ない問題を与え続けてくる人に、エミリアはそう呟く。呟きが無意識に宿した想いを、彼女は理解することができない。
もはや、他人とは見れない存在に抱くこの想いはなんなのか。誰にも向けたことのないこの想いは、なんなのか。
きっと、自分一人じゃ分からないと思う。前々からずっと考えてきたのに、一向に答えが見つからないのだから。
胸がぎゅーー!って締め付けられて、その後にズキズキしてくる——その想い。
「……テンに聞いてみよ」
それなら本人に相談してみるのも一つの手か。彼からすれば迷惑かもしれないけれど、元を辿れば彼のせいでこうなったのだ。容赦なく相談してもいいだろう。
そもそも、今回の件だって完全に納得したわけではない。彼を信じ、全てを任せて送り出したが、あくまで妥協してあげただけに過ぎず。自分と彼はもっと話し合うべきだった。
ついでにその件も話させてもらおう。帰ってきたら、言いたいことを容赦なく全て言ってやろう。今日すぐには無理でも数日後に、日を跨ぐまでお話ししよう。
容赦なくーーそう、容赦なくだ。自分の気持ちを下手に抑える必要などない。わがままで、いい。
だって、テンなのだから。テンはテンなのだから。
それに、
「だって、テンは私の騎士になるって言ってくれたもん。わがままでも、いいんだもん」
自分に言い聞かせるように呟く。心の中で考えたことが勝手に溢れ、自分の言葉に便乗するエミリアは「うん。そうよ」と一人で何回も頷く。
自分に詰め寄られてあたふたするテンの姿を思い浮かべると、思わず笑声が漏れた。
ーーそうだ。テンは自分の騎士になる人なんだ
飾らず、ありのままの自分を正面から受け止めてくれる存在。自分のことを普通の女の子として見てくれる、初めて特別扱いしないでくれた男の子。
出会った時。『あ』の一文字から関係が始まった瞬間から、彼は自分のことを嫌な目で見てきたりはしなかった。
銀髪のハーフエルフと言っても変わりはなく。逆に「なんか俺、変なことしてる?」と言って不思議がられた。それが自分にとって、どれほど嬉しい事だったのかも知らないまま。
そんな彼だから、自分は心を開いたのかもしれない。ちがう、そうでなくとも自分は彼には素直な自分を出せていたと思う。彼の人間性に、自分は救われたのだから。
だから彼と自分の間に壁はなく、遠慮などいらない。抱いた感情を、自分という存在を、包み隠さず真っ直ぐに表現できる。
ーーあれ? 私って、こんなに
「やだ……っ。私、知らないうちにたくさん甘えちゃってたんだ」
考えていて思う。少しばかり自分は彼の優しさに甘え過ぎではないのかと。わがままでもいいと勝手に納得してるものの、僅かに申し訳なく思わなくもない自分がいることも確かで。
彼が甘やかしてくるからと一蹴りすることも可能だけれど。明らかに自分から甘えに行ってる場面が記憶にはあるため、蹴ろうに蹴れない。
お姫様抱っこが最たる例。数週間前に一度されてから変に癖になってしまい、止めように止めれなくなったお話。あれは完全に自分が彼に甘えている。
自分が彼に甘えて。
自分が彼に。
自分が。
。
ーーーー。
いや。あれはテンにだって非はあるはずだ。
だって、彼は自分が起きてることを知っていても運んでくれるのだから。「仕方ねぇなぁ」と面倒そうにしてても、なんだかんだで優しく抱き上げてくれる。
テンがあそこでキッパリ断ってくれれば、自分だってちゃんと諦めれるのに。彼が自分の甘えを受け入れるのが悪いんだ。押しに弱く、優しすぎるんだ。
「……そうよ。テンのせいだわ。テンが甘やかすのがいけないんだから。私はそれに乗ってあげてるだけで、別に甘えに行ってるわけじゃないもん。勘違いしないでよね」
思考回路が意味不明な方向に加速したエミリアが、別に誤魔化すこともない感情を誤魔化す。
独り言は独り言で終わり。後頭部にあった枕を抱き枕のように抱える彼女は、意味もなく右へ左へと転がり回った。
そうだ、そうなのだ。自分は彼に甘えてるわけではない、甘えてあげてるだけなのだ。決して嬉々とした感情があるなんてことはない。絶対に。
絶対の絶対に、だ。
「ない。ないないない。テンが悪い」
先程から肯定と否定が順番に顔を出すエミリア。「遠慮する必要はない」と思えば「少しは申し訳ない」と思い。「甘えてる」と思えば「甘えてあげてる」と思い。
ごちゃごちゃした感情が優しく混ざり合い、最後には、やはり『よく分からない』という一つの結論に至る。勉強と違って心の問題に模範解答は無いから、考えた分だけ頭の中がこんがらがる。
それもこれも全部、
「テンのせいだわ。全部、テンのせい」
半ば無理やり結論づけ、エミリアは上体を起こす。心に宿った全ての不利益をテンに押し付け、彼女は静寂の均衡を保つ。こうでもしないと、また先程みたいに暴れ回りそうな予感がした。
抱えた枕を強く抱きしめ、エミリアは深く吐息。それから頬に空気の塊を溜め、ムスッとした表情を真顔に混ぜる。本来、向けるべき相手はテンだけど、彼は今、ここにはいない。
——彼は、今、ここには、いない。
「ーーーー」
ふと、心が痛む。
ここにはいないということは、ここではないどこかにいるということ。それはきっと、自分が想像もつかない程に危険な場所のことを表すのだろうとエミリアは思う。
怪我だってしているはずだ。辛い思いだってしてるはずだ。今こうしている間にも、彼はあの時みたいに死んでしまいそうになってるかもしれない。
あの時とは、どの時だろうか。
否、日常的に死にかけている事が多いせいで全ての場面が当てはまる。一週間のうちの三回は気を失うとは、相変わらずロズワールは変態だ。
血を流し、震えて、疲弊して、満身創痍で、それでも立ち上がって。想像するだけでもエミリア自身が怖くなってくる。自分のことではないのに、怖くて怖くて、とても怖い。
そう思うと、思い出したかのように二つの感情が心の中から溢れ出し————。
「ーーテン」
なんとなく、窓の奥に広がる夜空を見てエミリアは彼の名を呼ぶ。満月のスポットライトを浴び、囚われのお姫様のように切なげに溢れた音は、そよ風に乗って窓から世界へと流れていった。
攫われた声を感じながらエミリアは目を瞑る。抱いた枕に顔を埋め、誰に見られるわけでもないのに、その寂しげな表情を隠しながら、瞼の裏に映る彼の背中を見て、
呟く。
「はやく……、帰ってきてよ」
願わくば。この声が今この瞬間、必死に戦っている彼の下に届きますようにと、思いながら。
▲▽▲▽▲▽▲
そうして、エミリアが切なる願いをそよ風に乗せる中。時同じくして、同じことを想う少女が、ここにも一人。
少女は目を瞑っていた。揺られる感覚をその身に得ながら、不意に訪れる衝動を抑えるように、眼前に映る姉の背中に抱きつく。
意味はない。けれど、そうすると心の痛みが少しだけ和らぐ。彼のことで一杯一杯の胸が、落ち着いて、安心できる。姉も少女の想いを
姉自身も、その行動に大した意味がないことは知っている。共感覚で全て丸裸なのだから、妹の
だとしても、姉として見てられない。ひどく憔悴する妹を背中に、彼女は自分の妹を放っておくことなどできなかった。否、姉でなかったとしても、今の彼女を無視することなどできるわけがない。
だから今は走る。妹をなんとかしてあげたいと思うのなら、自分は一刻も早くハヤトと合流するべきだと姉——ラムは前を見る。振り返ると足が止まりそうな気がするから、前しか見ない。
姉の意志を感じる少女——レムもまた、振り返ることはしない。首から回した両腕でラムにしがみつく彼女は数十回目の衝動を抑えるよう努める。
その衝動は他でもない、テンのことだ。満身創痍の身体で魔女教徒を相手にしている、自分にとって最初で最後の想い人のことだ。刹那たりとも頭の中心から離れていかない。
無事でいてほしい。生きて帰ってきてほしい。
自分を一人にしないでほしい。
頭の中を埋め尽くす想いはどれも儚い願いばかり。叶うかも分からない願望が次々と浮かび、悩みの種を心に植え付ける。願いの数だけ、苦痛は増えた。
考えれば考えるほど、それらは熱を帯びて勢力を増し。我慢していないと感情の第三波が雫として瞳から溢れ落ち、口から情けない声が漏れてしまいそうになる。
決して彼を疑っているわけじゃない。心から彼のことを信じている。必ず生きて帰ってくると信じて疑わない——だからって、不安になってしまうのは悪いことなのだろうか。
「悪くない」
「ぇ……」
衝動を宥めていたレムの心にラムの声が入り込む。息を切らしながらも懸命に走る彼女は、話す余裕などないはずなのに。それでも、掠れた声で反応を示したレムに言葉を紡ぐ。
「自分の好きな人が危険な目に遭ってるんだもの、不安になるのが普通よ。レム、あなたは何も悪くないし、間違ってない」
「ーーーー」
「信じてる事と不安になる事は別の話。だから、沢山不安がりなさい。我慢することなんてない。レムが不安がってる間はラムが落ち着いてるから。安心して不安がりなさい」
「ねぇ、さま……レムは」
「いい。何も言わなくていい。レムはただ、自分の心に素直になればいいの。そうすれば落ち着けるはずだわ」
レムをおぶる腕に力を込め、ラムは言い切る。不安の衝動が波紋してきた彼女は優しく語りかけ、自分の妹に寄り添った。彼が自分にそうしてくれたように、自分も同じことを。
程なくして首に回された腕が小刻みに震えだし、背中からレムの嗚咽が鼓膜に響く。頸に不規則に垂れる雫が彼女の心を語り、止まることを知らない感情は永遠と流れる。
ラムがそれ以上の言葉をかける事はない。ただ、無言でレムの感情を受け止める。心の通じ合う姉妹に不要な言葉は要らなかった。
ーーラムが焦ってる間は俺が落ち着いてる。だから大丈夫、安心して焦っていいよ。
一体、その発言に自分がどれほど救われただろう。不安で、怖くて、どうしようもない感情のやり場を作ってくれたテンの背中は、自分にとってはとても大きなものに感じられた。
隠す必要も、我慢する必要も、堪える必要もない。そう言ってくれた彼の声は、本当に優しくて安心させられるものだった。普段とは違いすぎて別人かと疑うほどに。
きっと、その言葉達がテンの本心なのだとラムは思う。彼の心が言葉となって、自分の心を包んだのだと。
人の本心は言葉じゃなく行動で現れると言うが、決してそんな事はないはずだ。言葉が本心を映すことだってある。行動以上に力を持つときだってある。感情を宿した言葉は、本心そのものなのだから。
抑える必要なんてない。そう思うことができて。
彼の背中に身を委ねる。そう思うことができた。
あの声は、あの温もりは、あの優しさは——絶対に嘘なんかじゃない。自分に抱かせた感情は——そんな軽々しい言葉で飾れるものじゃない。
ーーくたばったら承知しない
敢えて口に出さず、ラムは己の中だけで呟く。声を音にすればレムが悲しんでしまう。もう十分苦しんだ妹に、これ以上の現実を突きつける必要などない。
実際のところ、ラムはテンが帰ってきてくれるか不安だった。勿論、レムと同じ気持ちだとも。彼が死ぬわけないと思っている。彼の成長を間近で見てきたから、よりそう思える。
しかし。現実は非情で、事実は残酷だとラムは知っている。彼が「生きる」と言っても、必ずしもそれが生存と結びつくわけではないのだ。
満身創痍の身体に鞭を打ち、無理に無茶を重ね、その上からいくつもの無理と無茶がのしかかる彼は、あまり長くは戦えない。ましてたった一人で魔女教徒を相手にするなど、蛮勇もいいところ。
確かに意志の力は強力だ。積み重なった想いが爆発した時、人は自らの理解を超えた力を発揮することがある。今のテンの原動力は正に意志の力だろう。
が、今回はそれを凌駕する絶望が彼には降りかかりすぎた。内側も外側もボロボロのはずで、いつ倒れてもおかしくはない状態。故に、意志だけではどうにもならない時がいずれくる。
そうなった時、果たして彼はどこまで意識を保っていられるか。違う、彼はどこまで生きていられるか。分からないけど、それが限りなく短いことは嫌でも分かった。
もしそうなったら。テンは死————。
ーー考えるだけ無駄ね
考えが完結しかけたところでラムは思考を断つ。ここから先を考えるとレムに伝わりかねない。余計な心配は、した分だけ心が乱れる。今は自分のやるべきことに集中するべきだ。
テンなら大丈夫。絶対に大丈夫。死ぬわけがない。そう心に言い聞かせてラムは考えたことをその場に捨て去る。考えたところでどうにかなることでもないと首を横に振った。
今、自分ができることはテンを信じることーーそれだけなのだから。
「ーー姉様」
己の名を呼ぶレムの声にラムの意識は引き寄せられる。彼女も己の中で気持ちの整理をつけたのだろうか、ラムが考えている間に嗚咽は治まっていた。
後頭部に硬い感触、レムが額をそっと当てている。声色の穏やかになった彼女は「ん?」と息を溢すラムに何度か深呼吸した後、神妙そうな声色で、
「レムは……。この騒動が終わったら、テンくんに想いを打ち明けようと思います」
「ーーーー」
「抱きしめられた時に気付いたんです。もぅ、この気持ちは抑え切れないって。テンくんが死んでしまいそうになって分かったんです。もぅ、伝えなきゃだめだって」
「ーーーー」
「レムは、テンくんのことが本当に……本当に大好きなんだって」
立て続けにレムは語る。一度でも話せば止まらない声は自分の意志——膨らんで、膨らんで、もう止まらなくなった想いの全てをラムに伝えた。
それはレムにとって決意表明のようなものだった。口に出した言葉は決して引っ込めず、彼と真正面から向き合うことをこの時、彼女は固く決める。
声を受け取ったラムの表情に驚きの表情は含まれなかった。寧ろ「そう」とだけ言うと唇が綻び、勝手に笑みが薄く浮かび上がる。
どうしてだろう。ここ数ヶ月間で生じた妹の良い変化がその言葉に凝縮されていたからだ。彼のことを気にかけて、好きになって、大好きになって、今、想いを伝えると決意した。
今までのレムを知るラムにとって、これ以上に嬉しいことなどあるだろうか。否、ない。
何かに取り憑かれたように生きてきたレムが。過去に縛られ続けているレムが。テンという一人の男の子に恋をして、心の底からの笑顔を見せてくれるようになった——ラムはそれだけで嬉しい。
ーーなら、その後押しをするのが姉の役目ね
「レム。よく聞きなさい」
言い、ラムは言葉を切る。「はい」と返事をしたレムはその後がすぐに返ってこないことに不審がるが、ラムは気にしない。脳裏に記憶を呼び起こす彼女は一つの場面を思い浮かべる。
それは、レムのことを抱きしめていた時のテンの表情。彼女に泣きつかれた時に浮かべていた、純愛に満ちていた表情。
本人は無意識だと思う。しかし、無意識であることが何よりの証拠だろう。これが何を意味するかなど考えるまでもない。
つまり。テンはレムが、
「きっと、テンテンはレムのことが好きだとラムは思う」
「ーーーぇ?」
「そして。テンテンは、自分がレムのことが好きだと気づいてるともラムは思うわ」
衝撃的な言葉を告げられたレムの声が裏返り、途端から唖然とした態度。恐らく、一つ目の文章の処理が追いつかない妹に二つ目の文章は届いてないとラムは軽く苦笑しながら思った。
一瞬にして処理落ちしたレム。テンも大概だが、この二人は恋愛初心者すぎていざ向き合うとなると途端に狼狽える。まさか、処理落ちするとはラムも予想外だった。
それだけテンのことが好き、ということか。レムの心酔度合いがよく分かった。
「気付いたのはレムを助けた直後。テンテンが『いい加減、受け入れろよ。お前はレムが』って言ってたのを聞いた。前半部分は聞こえなかったけど、確かにそう言ってた」
「ーーーっ!」
「確信したのはテンテンがレムを抱きしめていた時。あの時の表情は……レムがいつもテンテンに向けるものとよく似てた。きっと、本人は無意識でしょうけど」
「ーーーっ!!」
「けど、無意識であることが証拠よ。テンテンはレムのことが好き。本人もそれを自覚してる。レムの気持ちには気付いてないかもしれないけど、自分の心は理解してるように見えた」
「ーーーっ!!!」
真後ろでレムの呼吸が止まる音がした。背中を通じて鼓動の高鳴りを感じ、言葉を告げるごとに飛び跳ねた身体が落ちぬように体制を立て直す。
処理落ちから復帰したレムが何を聞くかなど知れたこと。先読みして根拠を説明したが、強ち間違えでもなかったようで。後頭部に額を当ててくるレムの紅潮した頬が勝手に想像できた。
これを伝えても良かったのか、正直分からない。でも、レムには知る権利があるとラムは思ったから伝えた。それだけだ。それを伝える事に良いも悪いもない。
元を辿ればテンが言ったことだ。彼の中では呟いたつもりだろうけど、ラムにはしっかり聞こえている。彼の声は割と通りが良いから、静寂の中で音を発すれば自然と鼓膜は拾う。
テンも、レムも。二人の気持ちは一緒。お互いがお互いのことを好き。レムからすれば飛び跳ねてしまいたい程に嬉しいだろう。否、処理落ちするくらい嬉しいようだ。
自分の妹ながらに可愛い女の子と思う。取り敢えずテンには、妹の新しい一面が見れたことに感謝しておくとして。
「だから。この騒動が終わったら、二人だけでたくさん話しなさい。納得のいく形になるまで、テンテンと向き合いなさい」
「分かった?」と、声のみで問いかけたラムにレムは小さく頷く。声も出なくなった妹に初々しさを感じた彼女は思わず「ふっ」と僅かに笑声をこぼし、
「ウル・シャマク!」
「アクラぁぁぁーーッ!!」
探し求めていた声を、不意に耳にした。