親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

95 / 171
最期の最後まで

 

 

 

 

 

 ぐさぐさ。

 

 

異音が空間に止めどなく鈍く鳴る。皮膚を鋭利な刃が無理やり裂く音が一つ、闇の中で聞こえていた。次の瞬間には一つの音は複数に増える。

 

一だった異音は五に、五だった異音は十に。引き抜かれては突き刺し、引き抜かれては突き刺し、十を超える狂気が殺意の矛先にある肉を蹂躙していく。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 

一定の間隔で上下運動を繰り返す刃が引き抜かれると、また別の場所を探すように揺れ動く。一つの部位を蹂躙した刃達が倒れ伏す肉体に容赦なく狂気を突き立て、刺す、刺す、刺し続ける。

 

囲むのは複数の影——仰向けで瞳から光を落とした男の体を地に押さえつけた不気味な影達。感情の欠落した人ならざる者が、命の現世への帰還を許さんとしている。

 

 ぐさぐさ。

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐさぐさ、ぐちゃぐちゃ。ぐさぐさ、ぐちゃぐちゃ。ぐさぐちゃ、ぐちゃぐさ、ぐちゃぐさぐさぐちゃぐさぐさぐちゃぐちゃ————、

 

肉に鋭い刃が突き立つ音、突き立った刃が肉の内側を抉る音。二度と鳴り止まぬ不協和音が一つの肉体を音源として生じ、音を奏でる鋼と肉の蹂躙が混ざり合う。

 

返り血を浴びる鋼が月光を浴び、刀身を狂気一色に染めると愉しげに輝く。無邪気に、純粋に、人を殺す事を嬉々とした刃が肉を刺して、刺して、止まらない。

 

苦鳴は出ない。痛みもない。息はしてるのか。意識すら曖昧。生きてるのかも分からない。左腕が離れた。体が軽い。瞼が重い。光が無い。闇しかない。右眼が取られた。血が溢れる。失う、失われていく。何もかも全てが奪われる。

 

流されて、取られて、離されて、自分のものがひどく簡単に奪われる。消えて消えて消えて、何も残らなくなって、最後には命すらも奪われて。

 

 

命がこぼれ落ち————。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 一閃。

 

 

「生きてるッ!」

 

 

 視えた、

 

 

「まだ死んでないッ!」

 

 

 未来を、

 

 

「諦めんなぁーー!!」

 

 

 叩っ斬る(覆す)

 

 

脳裏に過った予知と言っても過言でない死の絵面に、色濃く反応を見せたテンの刀が絶叫を纏いながらもろとも正面の敵を斬り伏せる。尚も連続して視界に映り込む影に刀は動いた。

 

縦横無尽——視界の端から端まで埋め尽くす魔女教徒。否、視界の裏側、背後で揺れ動く歪な影を含めると全方位から伸びた斬撃を刀はその身で受け止める。

 

滑らかな動きで半円を描き続ける刀と、獲物に真っ直ぐ進む夥しい量の短剣が衝突。蓮撃を一つの攻撃とする魔女教徒とテンの間で短い剣戟が瞬間に連発し、鋼と鋼の削り合いは火花を両者に浴びせた。

 

魔女教徒の握る短剣は軽量であるが故に剣速に長けているが、しかし振るわれる刀に対しては然程意味を成さない。質量を感じさせない挙動で短剣の動線上に刀が割り込み、一つもテンの身体に届かせなかった。

 

熾烈を超越した蓮撃を凌ぎ、反撃に転じる剣先が鋭い軌道を描きながら正面一直線に走った。持ち主と共に放たれた剣先が二つに重なる眉間を貫く。

 

 

 ーーあれは、予知なんかじゃない

 

 

攻守が刹那で入れ替わる戦闘の中で必死に足掻くテンは先程に視た光景に戦慄しながらも、熱源が徐々に背中を焼く感覚にその場から飛び退く。着弾した火球が爆風を撒き散らしながら爆ぜた。

 

片時の油断が簡単に終焉を招く今、テンの脳裏にあるのは自身の終わり。迫る蓮撃に眼前にした心が勝手に幻視させた死の未来、まるで自分自身がそうなったように錯覚した。

 

あれは予知ではない。寸前で覆した事実だ。これまでにも何度となく視てきた事実が、ついに第六感を巻き添えにして五感に『死の錯覚』を引き起こさせた。

 

先程よりも鮮明に描かれたのは、テンの状態が確実に悪化しつつあり、追い込まれつつある証拠だ。健全な状態ならば回避できる未来も困難になり、命が鳴り響かせる警報が甲高い音を立てている。

 

命が死に近づいている。否、限りなくゼロに近い距離感に死がいる。あの世とこの世の境界線の半歩手前に、命は立っている。手を伸ばせば、きっと死者に引き摺り込まれる。

 

 

「ーーーッ!!」

 

 

血と殺戮が渦巻く世界。少量の月光が僅かな明度を戦う者達に与える地獄で、取り囲む魔女教徒とテンの影が所狭しと動き回る。少しずつその動きが鈍ってきた事を理解しながら、しかしテンの速度は緩まない。

 

血溜まりを踏み荒らす足音が漆黒で連鎖し、音を頼りに相手の位置を探るテンの視線が周囲を睨む。が、既に包囲網の中。取り囲む足音が多いせいで意識を撹乱される。

 

闇の中では敵の姿も刃の射程に入るまでは薄ぼんやりとしか見えず、故に聴覚は最も頼りになるのだが。皮肉にも敵の数が多く、どの足音がどの人間の足音か区別がつかない。

 

 

 ーー仕掛けるか。だめだ、死ぬ

 

 

下手に仕掛ければ返り討ちに遭いかねない。来る敵を迎え撃つ戦闘を貫かねば死ぬ事をテンは理解している。今の自分にはそれが精一杯なのだから。

 

だからいつ仕掛けられても対応できるように、神経を尖らせる必要が——、

 

 

「ーーーー」

 

 

 直後。不意に、後方で新たな足音が鼓膜を殴りつける。

 聞こえた。樹木を蹴り上げた、枝がへし折れた音が。

 振り返る。見えた、肉弾する複数の影を。

 

途端、その音を起点に撹乱していた足音が一つに重なり、鳴り止んだ。否、同時にテンへと飛びかかったのだ。大円が小円になるように包囲網が一気に縮まり、中央の存在へと牙を剥く。

 

全方位、隙のないタイミングで絶望が近づき、研ぎ澄まされた感覚が死の未来を強制的にテンに視せた。

 

覆すべき事実、己が乗り越えるべき命の終着点。それが意味するのは終わらない攻撃の開始。

 

 

 ——連撃が始まる。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

肉弾した影の剣先に追いつかなかった体が致命傷を受ける。振り向き直後、肺を貫通した鋼が齎した激痛に喉が苦鳴を低く鳴らす。尚も肺を抉る刃に血が沸騰し、血をぶちまけた。

 

視界が赤と白にチカチカと点滅した時には遅い。一人目に続く複数の影が瞬間で殺到、動きの鈍るテンが回避行動を取れるわけもなく全身に刃が突き刺さる。

 

ドスン。と皮膚の内側に異物が無理やり入り込む感覚を頭と心が理解——理解したことが最大の仇となった。

 

状況を悟った瞬間、刺された事実に遅れて気づいた肉体が傷跡から血飛沫を上げ、瞬く間にテンの体から血が抜かれていく。そのまま意識は暗転し、

 

 

 

命がこぼれ落ち————。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

「うるさい……!」

 

 

内臓が大きく揺れ動く勢いでテンの肉体が大きく屈む。膝の折り曲がった低姿勢が肉弾した影が齎すはずの未来を覆し、肺のあった空間に腕が突き抜けた。

 

屈んだ時点で攻撃は始まっている。回避のモーションを攻撃に組み込む身体が跳ね上がり、手ぶらな左手が死の未来を幻視させた影の顔面を捕え、

 

 

「フーラ」

 

 

吐息と遜色ない詠唱。マナとゲートのみが聞き取る音が風刃を呼び出す。真っ二つ。手の平から放出した風の暗殺者がゼロ距離にいる顔面を横に通過し、弱風が脳汁と脳味噌を巻き上げた。

 

死した肉体に興味はない。斜め上に高く跳び上がるテンが縮まった包囲網の真上を飛び越えた。が、包囲網は二重にも三重にも重なっていたらしい、攻撃は止まない。

 

近場の枝に足裏を合わせるテンの刀が横に薙ぎ払われ、投擲された短剣の剣先を弾き飛ばすと勢いを殺さぬ斬撃が続け様に追い縋った肉体を迎え撃つ——それは死した肉体だった。

 

 

 ーー釣られた

 

 

そう思った刹那、テンの瞳に鋼が飛び込んだ。仲間の死体を囮に利用した狡猾な戦術の結果は晒した隙、刀を振り切ったテンに迎撃の二文字はない。

 

斬り返す暇、ない。鈍い煌めきが血に満たされた右眼に照準を合わせ、反転した刀が獲物を仕留める頃には片目が失明。鼓膜をつんざく悲鳴が戦場に木霊することになる。

 

 

 ——連撃は終わらない。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

それで終わりだった。熾烈を極めた死闘は、たった一度の刺突が決定打となり、突然に終止符が打たれる。

 

眼球が潰れる音と共に絶叫が森中に轟き、テンの右半分の視界がドス黒く染まる。直後、矢のように投擲された複数の短剣が散弾の如く乱れ打ち、背中に突き刺さる。

 

貫通こそしなかったが、体勢を崩すという意味合いでは十分すぎる短剣に、感じたことのない激痛を得たテンの体勢が崩れ、枝から落下。飛翔する火球が魔女教徒の喝采を浴びなら獲物へと高速で突撃する。

 

天と地が反転した世界。左目のみが降りかかる終焉を捉える中、どうにかして打開策を練らなければならない。にも関わらず、テンの思考は定まらない。

 

激痛が招いた電撃が脳に迸り、ノイズとなって思考の邪魔をする——そうなっている時点でテンに生存の道は閉ざされた。

 

特攻した火球が術者の意思に従って標的と接触、皮膚を焼いたと確信した直後に大爆発を引き起こした。

 

爆炎が呑み込んだテンを焼き尽くす。隅から隅まで、テンという存在そのものを喰らい尽くす。上げる断末魔すらも喰い、生き残る意志すらも容易く喰い、最後にはその命に喰らいつき。

 

 

命がこぼれ落ち————。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

「うるさいんだよッ!!」

 

 

極限の集中が導き出した最悪の未来を脳裏が描き、自らが実際に受けたと錯覚したテンが咆哮する。命の警告音が心の中で甲高い音を立て続けて止まらず、苛立ち気味に歯を食いしばった。

 

渾身の力で枝を踏みつけて足場をへし折り、重力に身を委ねたテンが落下。右眼を貫通するはずだった短剣が空振り、後方から投擲された短剣が今しがた攻撃を空振った影に突き刺さる。

 

真上の事情を刹那で切り捨てるテンが見たのは火球。宙に身を晒した体を撃ち落とさんとする熱源が既に放たれていた。肌が炙られる感覚が全面に広がる。

 

故に、テンの喉は詠唱に震えた。

 

 

「ウル・ヒューマ……っ!」

 

 

小刻みに震える血塗れの左腕を火球に構え、薄く形成された水の膜がテンの前面に展開。火球と衝突した瞬間に白い蒸気が吹き上がり、水が焼かれる断末魔が森に響き渡る。

 

完全に相殺。が、詠唱の直後に腹の奥底から血液が噴き上がり、口内を真っ赤に染めた血液が口から吐き出された。久しぶりの感覚、枯渇したマナを絞り出して魔法を使用した結果だ。

 

 

 ーーもう、魔法には頼れない

 

 

地面に着地しながらこの瞬間、テンは魔法の使用を固く禁じる。魔法を使えばマナが尽きる、マナが尽きれば流法が途切れる、流法が途切れればまともに動けなくなる。

 

つまり、実力のみで生き残るしかない。携えた刃と極限まで引き上げられた感覚、三ヶ月間の努力を全て目の前の相手にぶつけるしか、生存の見込みなし。

 

真面目に考えなくともかなり絶望的な現状。満身創痍の四肢が悲鳴を上げ、しかし身体が以上に軽く感じる。感覚が冴え渡り、今ならなんでもやれるような高揚感を得た。

 

 不意に笑い、テンは駆け出す。

 

己の現状を把握した心が頭に感情を伝播させ、電気信号となった感情が全身に『攻撃開始』の指示を叩きつけた。守りなど要らない、攻めるのみ。

 

 

「るぁぁぁ!」

 

 

現状の把握から数瞬と経たずに刃が獲物の首を捉える。凄まじい剣速から荒々しい斬撃の軌跡が空間に刻まれ、刎ね上がった物体を横目に刃が次なる獲物へと半円を描いた。

 

が、斬撃の軌道上に短剣が割り込む。刃の上を刀が滑り、胸部を縦に大きく裂くはずの一撃が大きく横に逸らされた。

 

辛うじて逸らされた刀は、しかし執拗に命を付け狙った。残り少ないマナを流法に回した事がテンに軍配を上げ、相手の攻撃速度を遥かに上回る。

 

振り上げた峰が短剣の携える腕を打ち払い、両腕で刀を握るテンが大きく踏み込む。対処の範囲を超えた大上段からの振り下ろしが、無防備にした胸部を今度こそ斬り裂いた。

 

血を撒き散らしながら崩れ落ちる影を視界の端っこに、テンは振り返る————、

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

首が、斬り飛ばされた。

 

 

命がこぼれ落ち————。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

「ーーーー」

 

 

今までで最も短い、死の未来を視た。

 

振り返った直後に首を刎ねられて死亡。簡単で、人を殺すのに最適化した動作が自分の命を一瞬で狩り取る呆気ない終わりが、どの未来よりも鮮明に映った。

 

今までの未来は、魔女教徒の連携した攻撃が自分に視せていたもの。その連携が命に届くと感覚が理解し、結果として未来が描かれる。故に、連続した攻撃の果てに自分の命は溢れるのだ。

 

逆に、単体の攻撃ならば死の未来は描かれず、心は揺れない——が、今回のはたった一撃でその未来が描かれた。これが何を意味するか。

 

答えは首に触れようとしている長剣として既に示されている。驚くほどに滑らかな一閃が、次の瞬間には根元から首を刎ねようしている。

 

 死の未来が現実に——、

 

 

「ーーーッ!」

 

 

 なる。その刹那。

 

思考を通さずに感覚のみで行動の最適解を導き出したテンの腕が素早く動く。咄嗟の判断、首筋と長剣の間に擦り込ませた刀の腹で辛うじて受け止めた。

 

が、威力は貫通し、未来を覆した代償としてテンの身体が横に大きく吹っ飛ぶ。威力の方向に逆らう手段のないテンは背中から大樹に叩きつけられ、

 

 

「ーーーー」

 

「ぐッーー」

 

 

大気を真っ二つに叩き割る斬撃を真上に、半ば反射的に刀を構える。二度も感覚で斬撃を防いだ——打撃と表現してもいい斬撃が防御に構える刀もろともテンを地面に叩きつける。

 

 

 ーーまだ止まらない

 

 

相手の攻撃がまだ終わらないことを察したテンが叩きつけ直後に自身の影を置き去りに横に跳ね、その影を真上から降り注いだ刃が地面と一緒に串刺しにした。

 

深々と埋まる刀身が刺突の威力を雄弁に語り、避けなければ確実に死んでいたと嫌でも理解。しかし、止まる理由にはならない。

 

 吐息一つ。

 

それだけで呼吸を整え、反撃に移る肉体が瞬時に前方へと跳ね飛ぶ。

 

守りに入って勝てるほど自分は強くない。単体ならば尚更、生じた隙に貪欲に食らいつく。瞬間を刹那で味方につける必要がある。

 

故に、前方へと跳ね飛んだ。慣れ親しんだ動作で、終わらせるために、前に進んだ。

 

既に、その先に剣が()()()()()とも知らずに。

 

 

「ーーーー」

 

 

 命の警報が、高く鳴った。

 

 

「あぐ……っ」

 

 

 長剣が、放たれる。

 

気がついた時にはテンの腹部に一筋の熱が走っていた。ただ『そこにいてはならない』という命の警報が過去一番に鳴り響いた直後、水を掻くように滑らかな横薙ぎが一瞬で体を過ぎ去る。

 

多分、今のは防げた方だと後退しながらテンは思う。あのまま突っ込んでいれば上半身と下半身が泣き別れになっていたはずだ。浅く抉られただけに抑えただけでも誉めるべき。

 

しかしそれ以上に、

 

 

 ーー今、何が起こった?

 

 

刻まれた灼熱に手を当て、傷の度合いを確認するテンは降りかかった出来事の処理ができない。付着したねっとりとした液体を握りしめ、低く唸る。

 

自分は間違えなく隙をついた、相手は剣が地面に深々と埋まっていた——のに、剣は既にあった。

 

視線を外してなどいなかった。相手の挙動を一つも見落としていなかった——のに、剣が引き抜かれる動作を見ることはできなかった。

 

 

「……冗談でしょ?」

 

「ーーーー」

 

 

戦慄気味に呟き、テンは今一度刀を強く握りしめる。弱りそうになる心を握力で怒鳴りつけ、肉体を踊りかからせた魔女教徒を睨んだ。

 

蹴り上げ一つ。それだけでテンの間合いに飛び込み、刃の領域に獲物を引き摺り込む。互いの領域に侵入者がいれば、鋼は即座に動いた。

 

宙を一直線に走る長剣がテンを斜めに両断——辛うじて追える剣速を掻い潜り、テンが側面へと狼のように回り込む。そのまま背後へと流れる挙動を長剣の切っ先が予測し、追い縋った。

 

背筋に死神の気配を察したテンが不意に振り返った。反転と同時に右腕が鞭のようにしなり、携えた刀が同等の動きで長剣を真下に叩き落とす。横の力を縦の力で捻じ曲げ、続く二撃目で腹部に刃を放った。

 

 直撃は致命傷。これを、

 

 

「ーーーー」

 

「ちぃーーッ」

 

 

瞬きすら許さぬ剣速が死を呼ぶ寸前、縦に跳び上がる魔女教徒が剣撃を凌いだ。足裏スレスレ、コンマ数秒遅れていれば一撃は与えられていた場面で、相手が隙を作ることはない。

 

しかし、相手を身動きの取りずらい低空に移動させたことに変わりはない。振り上げる刀が高速で昇り、叩き割る長剣が迎え撃つ。鋼と鋼が真っ向から激突し、火花を軋ませながら力比べを始めた。

 

昇る力と落ちる力。分があるのは踏ん張りの効くテンだ。数秒にも満たない鍔迫り合いの末、触れた長剣ごと刀を薙ぎ払い、持ち主が斜め上へと押し出された。

 

間髪入れずに後を追うテンが、矢を番えるような構えを取りながら空間を駆け上がる。

 

押し出した直後。相手の体勢が整う前に瞬間で間合いを詰め、刹那で全身を伸ばした鋭い刺突が正しく矢のように放たれた。

 

 せめて一撃。そんな思いは、

 

 

「ーーーー」

 

「まーーー」

 

 

伸びる刺突の軌道が真上から叩きつけられた衝撃によって下に大きくズレる。衝撃の元は魔女教徒が繰り出した踵落とし。空中という機動力の大半が奪われた世界で、腕の振りのみで身を回し、刀の峰をしたたかに蹴りつけた。

 

ありえない動作。心身共に極まったテンも驚愕に目を見開く。それが相手の技術を称賛したものなのか、化け物と罵ったものなのか、本人もよく分からない。

 

目標を見失った剣先が空を突き刺し、勢いを殺せぬテンの体は剣撃の軌道をなぞる——この瞬間、ありえないほどの隙を無防備に晒した。

 

 ——直後、長剣の切っ先が寸分の狂いもなくテンの心臓部へと落ちる。

 

踵落としが峰を蹴った時点で長剣の剣先は照準を合わせていた。眼下、背中を無防備に晒すテンの心臓があるであろう部位に、確実に息の根を止める急所に。

 

 迫る刃の剣速、射程。

 完全に背中を晒したテンには防ぐ手も、躱す時間も距離もない。

 

 

 ーーあ。死ぬ

 

 

直感で分かった。その一撃を受けた自分がどうなるのか。嫌になりそうなくらいに響く警報が、赤いランプを点滅させて死を教えている。

 

背中から入り、内臓を貫きながら心臓を一気に貫き、血をぶちまけながら胸から剣先が生まれる。細かく表現するまでもない死の未来が脳裏に描かれ、もうすぐ訪れる。

 

つまりは回避不可の終焉。当たり前の因果。レムに抱いた想いを伝えられず、エミリアとの約束も果たせず。全てを置いて一人、消えていく。

 

 

 ーーそんな最期、誰も

 

 

「望んじゃいないッーー!!」

 

 

一瞬、脳裏に過った未来絵図が塗り替えられる。意志の力が活力と成りて炎を吹き、灼熱の感情が吹いた炎を魂に注いだ。極限の集中が時間の概念から乖離した世界を瞳に映し、剣以外の全てが消えた。

 

もうすぐ皮膚に触れる。ゆっくりと、皮を破りながら内側に狂気を侵入させる。もうすぐ、もうすぐ、もう、時間はない——ただ、迷いのない左腕が刀の鞘を携える時間はあった。

 

切っ先が皮膚に触れる、その刹那。鞘を携えた左腕が弧を描きながら真上に薙ぎ払われ、風を切る音を置き去りに打撃が長剣を握る腕に直撃。翻るテンの肉体が敵と向かい合い、鞘を完全に振り切った。

 

変則的な動きに追いつけず、魔女教徒の腕が薙ぎ払いに巻き込まれ、突き刺すはずの切っ先が明後日の方向へと弾き飛んだ。が、体勢を崩すには程遠く、剣の射程から逃れる時間を稼いだだけに終わる。

 

 

「ーーしっ!」

 

 

それだけで十分だ。鞘をベルトに差すテンは、死を覆した事を瞬きの間で思考から切り離し、次なる蓮撃に思考を回す。戦況を瞬時に把握し、相手の命を狩り取る一撃へと繋げるために。

 

今。自分は飛び上がった勢いのまま目の前の樹木へと直進中。相手は重力に従って落下中、既に長剣は構えられ、恐らく奇襲は通用しない。

 

 なら、

 

 

「真っ向勝負ーー!」

 

 

樹木に到達した瞬間、枝を蹴り上げたテンが弾丸のような速度で射出される。身を横に捻り、豪風を纏い、遠心力を生みながら、地に足をつけた直後の頭をかち割る刀が真上から振り下ろされた。

 

奇襲が通用しないなら剣速で仕掛けるしかない。

小細工が効かないなら純粋な力量で勝るしかない。

故に、テンは攻め続けなけれなければならない。

 

 

「ーーーー」

 

 

着地と同時に眼前に迫った刃先に、魔女教徒の動きには乱れの一切がない。剣の腹で刃を受けると、後方に殺意を受け流した。衝突は不利益とみなしたか、収束した火力を容易く散らす。

 

殺す気で放った斬撃があっさり凌がれたテンが地面に滑り込み、跳躍の力に流される肉体が足を滑らせて反転。正面に相手を捉えると、瞳に鋼の煌めきが飛び込んだ。

 

狙いは一点。首元に照準を定めた横凪が闇を斬り裂き、そのまま皮膚すらも斬り裂く——反応した刃が受け止め、大きく弾き飛ばした。一瞬、火花が両者の間で散るとテンが反撃に出る。

 

引き戻された長剣と一合。放たれた剣撃を頭上へと大きく弾き上げると右足を大きく踏み込み、全身の捻りを乗せた斬撃を腹部へと一気に解き放つ。

 

速さ、鋭さ、共に上々。至近距離で走る横薙ぎの剣撃はテンが発揮できる斬撃の中でも最高と言えた。が、刃は届かない。

 

射程圏内にあった目標が大きく飛び退き、奇しくも自分と同じように腹部が浅く抉られただけに被弾を抑える。腹部に軽く一撃、それが命懸けの報酬だ。

 

 

「これもダメか……」

 

 

傷跡に手を当てる魔女教徒が立ち上がると長剣を血振り。これまでのとは明らかにレベルの違う覇気を纏う長剣使いは、確実に猛者の気配を全身から滲み出している。

 

相変わらずその立ち姿に歪みはなく、自分の攻撃が全く通用していないのではとテンには思えた。

 

長剣使いとは。他の魔女教徒は短剣を武器として使用していたはずだが、どうやらそれだけではなかったらしい。バリエーションに富んでいて非常に面倒だ。

 

 

「ーー?」

 

 

ふと、他の魔女教徒を考えたテンは周囲に蔓延っていた足音が、いつの間にか消失していることに気付いた。永遠と出現していた輩は消え、代わりに目の前の化け物がいる。

 

消えた魔女教徒を気にする余裕は、残念な事に今のテンにはない。消えたなら消えた、それで済ませた。余計なことに思考を回して勝てる相手ではない。

 

否、そうしなくても勝てるか微妙な相手だと心の片隅で思う。自分と相手の力の差を見極められないテンではないし、それが格の差をひどく痛感させている。

 

この満身創痍だ。格上相手にどこまで食らいつけるか。不安しかない。

 

 

「ごめん……。約束、守れるか怪しいかも」

 

 

戦闘中にあるまじき声が、不意に絶望的な現状を告げた。弱々しく呟いた彼の表情に影が差し、吐かれる息には確かな疲労が混ざった。

 

もう、相手が自分よりも強いことなど理解している。初めの三連撃を浴びて疑心し、一連の流れで格の違いがよく分かった。この長剣使いは自分よりも強い。

 

峰を蹴りつけて斬撃を逸らすなど、もはや人間技ではない。向い続ける斬撃にも追いつくので精一杯だ。反撃の一撃ですら悉く凌がれる。

 

体格はほぼ同じだが、繰り出される斬撃の重さに差がありすぎる。それら全ての情報は、自分が相手よりも劣ると判断するには十分すぎるもの。

 

 

「ついてないなぁ」

 

 

重くなりだした身体に鞭を打ちつつ、テンは表情を引き攣らせる。一言、小さく呟いた声は弱音でも虚勢でもなく、ただの事実だった。

 

本当についてない。今日だけでも何度自分と同等か、それ以上の脅威と戦ってきたと思っている。大勢の魔女教徒に鬼。そして長剣使いと、格上のフルコースすぎて涙が出てくる。

 

『格上のフルコース〜魔獣の大群を添えて〜』とでも表してやろうか。

 

 けれど、

 

 

「それが死ぬ理由にはならないけどさ」

 

 

 諦めることなどありえない。

 

格上を相手にする事はもう慣れた。自分がどれだけロズワール(人外)を相手にしたと思っている。絶望的な状況で足掻くことなど今に始まったことではないはずだ。

 

格上だからなんだ。満身創痍だからなんだ。そんなことで弱音を吐くことなど自分が許さない。己の全てを出し尽くして、目の前の仇を斬り伏せてみせろ。

 

二度と折れないと誓った。揺らがないと覚悟した。レムと、エミリアと、ラムと。彼女達に生きて帰ると約束した。なら、ならば。

 

諦めるな。決して諦めるな。

 

最期の最後まで。命がある限り。剣を握る魂の息吹が聞こえる限り。脳裏から彼女達の姿が消えぬ限り——約束を果たすまで、決して諦めるな。

 

 

「ーーーっ」

 

 

 不意に、視界が歪み。

 その心を、崩しにかかった。

 

揺らめく世界を見ながら、もうあまり時間は残されていない事をテンは察した。不規則に視界が歪み、気を抜けばその瞬間に意識が闇に吸い込まれそうになる。

 

既に壊れきった身体。いつ朽ちても文句は言えない状態は、自分のことながらに立てている事が不思議で仕方ない。ふとした拍子に倒れる時が来るはずだろう。

 

 

「ーーーー」

 

 

こうして考える時間すら惜しい。

 

もう残された時間は少ない。

 

早々に決着をつけなければならない。

 

相手を簡単に倒せるはずがない。

 

 

 ならば、やることは一つ。

 

 

「ーーーッ!!」

「ーーーー」

 

 

戦闘の方針が決定したテンが予兆もなく影となって駆け出し、反応する魔女教徒が向かってくる影と正面から激突。剣撃と剣撃が重なり合った。

 

互いの領域が衝突し合う激戦区が狭い範囲で展開される。繰り出される剣撃を追いかける剣撃が鋭い軌道を描き。僅かな踏み込みと足捌き二つで体を巧みに操り、斬撃の嵐を両者が繰り出した。

 

剣速は同等。否、死に物狂いでテンが食らいついている。その身が斬られようとも、その痛みを次の一合で振り払い、幾度も刃を交えていく。一合、また一合と長剣を刀が受け止める。

 

しかし、それは無謀すぎる張り合いと言えた。

 

 

「が……っ」

 

 

許容範囲を超えた剣速に肉体が追いつけず、テンの体が後方に吹き飛ぶ。一瞬、たった一瞬の乱れが相手に好機を与え、何十合の中の一撃がテンを弾き出した。

 

角度を問わない致命の連続に辛うじて食らいついていた刀が剣撃の威力に押し負け、剣撃と剣撃の乱闘は終わる。が、戦闘は緩むことなどない。

 

執拗に追いかける魔女教徒が地を蹴る。開いた間隔を瞬間で詰め、長剣の切っ先が刹那で標的へと刺突。

 

瞬きの間に接近した閃き。剣術に長けた者でなければ体勢を崩した状況では受けることすら叶わない必殺の一撃は、確かにテンの額を捕らえたはずだった。

 

 

「らっ!」

 

 

迫る高速刺突を前にテンが取った行動は真横への回避。下半身の踏ん張りで受けた斬撃の威力を殺し、最小限の動きで躱すように横へと僅かに揺れ動いた。

 

耳元を貫通する刃が空気を切り裂く音を耳にし、反撃に振るう刀が腕の力のみで引き戻された長剣に阻まれる——触れた刃をなぞる刀が火花を散らしながら長剣を握る手元へと流れ落ちた。

 

悪寒を走らせる斬撃に、長剣が触れた刃を無理やり薙ぎ払う。腕の可動領域目一杯、肉体を中心として大きく弧の軌道を描き、手首を狙った刀を持ち主ごと打ち出した。

 

 

 ーーそれはもう見た

 

 

相手の火力が自分を上回っていることなど知れたこと。軌道のままに流れるテンが後方に一気に回り込む。薙ぎ払いの反動を機動力に変換し、反撃を無防備な背中に叩きつける挙動を見せた。

 

それがあからさまであることを察せず魔女教徒は反応するがままに振り返り、長剣を大きく薙ぎ払った——直後、その挙動が釣りであったことをその身に得た浮遊感として知る。

 

背中の熱と引き換えに相手の身体を深く刻むはずの斬撃が血を浴びることはなく。視界からテンの姿が消えた直後、薙がれた右脚に両足が掬われる。

 

単純な話。相手が格上の事実を逆手に取ったテンが攻撃のモーションをわざと悟らせた。己の斬撃を見切ると断定した体捌きが瞬間の好機を作り出す。

 

真っ直ぐに振り下ろす挙動を長剣が斬り払う寸前。左脚を深く折り曲げて伸脚、地面に引き寄せられるように肉体が下がると足払い。滑る右脚が両足を掬い上げた。

 

 崩した体勢。

 その直後に、刀は振られる。

 

最短で、最速で、最も重要な部位へと刃は迷いなく走る。携えた腕一本のみが殺意を振り回し、致命傷に至らせる剣撃は僅かに宙に浮かぶ両足に照準を定めた。

 

まずは機動力から奪う。本人の意志を宿した斬撃は体勢の崩れた魔女教徒からすれば両足の切断を悟らせる一閃——。

 

 

「ーーーー」

 

 

ヒュン。と、刀が空を斬った。

 

完全に不意をついた足払いが作った隙を狙った斬撃は、容易く凌がれる。

 

直撃間近。上半身を大きく反り返らせた魔女教徒が後ろに倒れかけ、伸ばした片腕一本で体を支える。そのままバク転。上半身に釣られる下半身が回ると、斬撃の軌道上から逃れた。

 

この魔女教徒には感情がないのか。体勢の乱れに少しは焦りを含んでくれてもいいものを。戦う事だけを目的として作られた機械のように肉体は動いた。

 

化け物か。化け物だ。

 

 

「今さらすぎる……!」

 

 

目の前の相手が化け物など知れたこと。必殺の一撃を回避されたことなど捨て置け、相手が強いことなど百も承知。悲観している場合などあるはずがない。

 

止めるな。思考を、行動を、殺意を。自身の持ちうる全てを刹那たりとも停止させるな。

 

 

「ーーーー」

「ーーーッ!」

 

 

バク転の衝撃を足裏が吸収すると、蹴り上げた地面が抉れる程の威力で魔女教徒が前に飛び出す。弾丸の如く射出された長剣が反撃の隙を与えんばかりにテンに襲いかかった。

 

当たらない。地面を両手で叩き、反動を得た肉体が斜め後ろへと大きく飛び退き、射程から逃れる。その動作は予想の範囲内だ。弾丸と化した肉体は尚も追尾する。

 

宙に身を晒す両者に防御の選択肢はない。攻撃一択の刃が同時に振られ、左右から半円を描いた鋼が甲高い音を立てて激突。跳躍の勢いを乗せた長剣が刀を大きく弾くと、返す刃がテンの左肩に熱を刻む。

 

尚も長剣の蓮撃は手を緩めない。引き戻す刀に弾き返されるまでの数瞬で三度、テンの肉体に斬撃を与える。致命傷に至らなかったのはテンの執念の体捌きが剣速を上回ったからだ。

 

 

「っぁ」

 

 

迸る灼熱に身を焦がされながらもテンの意志は休むことを許容しない。右頬と左腕と腹部、傷跡が残らないか不安になる三連撃に表情を歪ませながらも彼は蓮撃の隙間を縫うように刺突。

 

これも凌がれる。命を付け狙う殺意に長剣の切っ先が反応し、まるで意思を宿した生き物のように『点』の斬撃の行き先に割り込む。生じた火花が小さく舞い、身を回す魔女教徒が豪風を纏いながら右脚をしならせた。

 

苦し紛れに放った刺突の応酬は脇腹に直撃した回し蹴り——レムに与えられた打撃の真上から被害の拡大を喜ぶ打撃が重なり、体の内側で骨の軋む音が電撃となって全身に激痛を走らせた。

 

痛みに身体が硬直すれば、続く腕力に対応する事はできない。顔面に捩じ込まれる拳がテンを地に殴り落とし、無抵抗の身体は大地をバウンドして吹き飛んだ。

 

 

 ーーこのままじゃ死ぬ

 

 

「あぁぁぁーーッ!!」

 

 

薄く聞こえた心の声に反逆する咆哮が血を吐き散らしながら轟き、跳ねるテンが素早く身を回すと無茶な動きで受け身を取った。全身を打撲しながらも、それより先は許さない。

 

死ねない。絶対に死ねない。

 

命がこの世とあの世の境界線を踏み越えようとした瞬間、それを必死に引き寄せる意志の力が爆発。まだ戦えると吠える魂が限界を超えて身体を動かした。

 

立ち上がり、血走った瞳が正面を睨む——既に長剣は目と鼻の先に放たれていた。力の差を見せつけるような刺突、鋼の閃きが稲妻と成りて真っ直ぐに額を突き刺ささんとしている。

 

短時間の間に幾度となく見た刺突は、恐らく魔女教徒の慣れ親しんだ剣技なのだろう。故に、相手の姿勢が崩れ、決定打を叩き込む時は必ず刺突がくる。

 

慣れた技で確実に仕留める、正しく必殺技のような一撃。滑らかで洗練された体捌きから繰り出されるそれは、人体を貫く水準を十全に満たしている。直撃は即死を意味する絶技。

 

 

「しっーー!」

 

 

 その絶技を、テンは見切った。

 

極限の集中と半殺しにされた過程で培った経験が『勘』となり、その絶技を感覚のみで凌ぐ。数々の死の経験が今この時、絶技を回避させる要因となった。

 

顔一直線に放たれる刺突に対し、文字通り顔を横に傾けるだけの最小の動きで回避してみせた。

 

長剣の刃先が耳元を通り過ぎ、即死の狂気が真横にいる状況でもテンの動きに迷いはない。心の一切が震えず、ただ相手を殺し切る事のみに思考が絞られていく。

 

 

「ーーーー」

 

 

相手の真横まで左足を大きく踏み込ませ、姿勢を前に倒す——首を両断するべく薙ぎ払われた刺突直後の長剣が、背中の真上を過ぎ去った。

 

相手の剣が未だ軌道をなぞっている状態で懐に入り込む完璧な構図に、テンの呼吸が集中に止まる。それは不意に訪れた、またとない機会だ。

 

例えどんな猛者だとしても、己の動作を無理やり中断することはできまい。仮にできたとしても、テンの行動よりは確実に遅い。瞬間の隙を刹那で強奪する事を可能とする男にその一瞬を与えることは被弾を意味する。

 

 が、

 

 

 ーー刀を振る時間が、ない

 

 

その一瞬は、己の武器を振るう時間をテンに与えはしなかった。完成した構図は、決して最高と呼べるものではない。

 

ほぼゼロ距離。懐に入り込みすぎた事が仇となり、空間に腕を横に薙ぐ余裕がない。無理やり振るおうものなら、軌道を流れ終えた長剣が背中に落ちてくる。

 

刺突もダメだ。腕を引き絞るまでの時間はもっとない。刀を主とする行動は全て消えた。

 

武器が。命を削り取る武器が選択肢から除外される。手に携えた獲物を放つ余裕のないテンには魔法以外の武器はない。しかし魔法の使用は禁じ、使わないとした。なら武器は————。

 

 

 否、武器はまだある。

 

 

「だぁ!」

 

 

 拳がある。

 

 

斬撃を選択肢から除外したテンが右腕を突き出す。深く踏み込んだ左足に全霊の力を込め、全身の力を活かして振り抜かれた拳は眼前の土手っ腹を捉え、殴りつけた。

 

衝撃が身体を貫通して後方に突き抜け、魔女教徒の体がくの字に折れ曲がる。放たれた暴力はそれだけで満足せず、渾身の一撃は自身と同等の体格を大きく打ち出した。

 

 ——好機

 

 

「まだ……ッ!」

 

 

確実に崩した体勢を瞳の先に捉えたテンが浅く息を吐き、刀を構える。剣、体勢、精神。全てを構え一つで整える。鋭く呼気を放ち、右手に握ったままの刀に全霊を注ぎ込む。

 

こんなものでは終わらせない。命を張って崩した体勢をたった一度の被弾で終わらせるなどもったえなさすぎる。

 

足りない、足りなさすぎる。この程度の被弾ではこの刀は命には到底届かない。だから、今よりも深く飛び込まなければならない。

 

 躊躇なく地を蹴り上げた、

 

 

「っ……!」

 

 

 その瞬間だった。

 

不意に生じる目眩がテンの心に大打撃を与える。映し出されていた世界がボヤけ、物体の輪郭が曖昧なものとしか認識できず、頭部を激しく揺らされたような感覚に怒涛の勢いが僅かに鈍った。

 

意識が遠のく。

 

重力が何百倍にもなって身体を地に引きずり下ろそうとしてくるのは錯覚だろうか。多分、体が動かなくなりつつあるのだと思う。心は前にと思うのに、体は動いてくれない。

 

光が、闇に呑まれる。

 

そして今この瞬間。ラムの考えていた『意志だけではどうにもならない時』がテンの身に牙を剥いた。本当に突然、限界まで張っていた糸が耐えきれずに千切れ、精神と肉体の意思疎通が遮断される。

 

ひどくゆっくりと動く世界の中で、テンは自分の終わりを察した。限界だ。もう動かない。必死に掴みかけた好機が相手に奪われる予感に、揺れ動く物体の接近を理解した瞬間、

 

 

「ぁ……」

 

 

喉を震わせた苦鳴が薄く溢れ、胸を突き抜けた衝撃に身体が吹っ飛ぶ。鈍い打撃、きっと拳でやり返された。長剣で貫けば終わっていたものを、確実に仕留めるために相手も遠回りな事をする。

 

今のテンに抵抗の二文字はない。音が遠くなりつつある意識の中、数瞬の浮遊感の末、背中の全面を何かに叩きつける。樹木にでもぶち当たったのだろう。

 

前の直後に後ろの衝撃、肺の酸素が血と一緒に全て吐き出された。地に落ちた肉体が叩きつけられた樹木を背もたれに、それ以降はピクリとも動かない。刀を握っているのは奇跡か。

 

乾いた肺が酸素を取り込むために活動するが、皮肉にも潤いが増すごとに出血が増えるせいで体の内側がどんどん乾き切っていく。掠れた呼吸音は、もはや誰の耳にも届かない。

 

 

 ーーこれは、やばい

 

 

体の内側で言った言葉が幾度も反響し、命の警報が鳴り止んだ。けたたましく鳴っていた生命の危機を知らせる音が鳴り止む——それが意味するのは命が危機を脱したか、或いは命が死を悟ったか。

 

今回の場合はどちらだろうか。どちらにせよ、どうしようもない状況に変わりはない。精神の命令を聞き入れない肉体は動かず、ただ虚な瞳が近づく悪魔を見つめていた。

 

 

「ーーーー」

 

 

勝者の特権、というやつか。勝利を確信した魔女教徒はゆっくりと歩み寄ってくる。今までの斬り合いが嘘のように遅く、足音を立てながら近づく様は、テンの脳に死神を幻視させる。

 

恐怖を煽るためか。それとも単に余計な体力を使わないためか。人ならざる者の思考回路など読めるわけがない。考えるだけ無駄だった。

 

 

「ーーーー」

 

 

眼前に立った魔女教徒が長剣を夜空に掲げる。差した月光を狂気的に反射させた鋼が命に狙いを定めた。トドメの一撃は確実に心臓を斬り裂き、テンの生命に終焉を齎す。

 

猶予は与えられなかった。刀身の煌めきが真っ直ぐ振り下ろされる。長剣の軌道はテンの左肩から入り、斜めに両断、内臓と肉を突き進み、右腰から出る。確実に死ぬ軌道を描いた。

 

 

 ーーーー。

 

 

落ちる光を、テンは感情の宿らぬ瞳で見ていた。今更どうにもならない体で、しかし諦めきれない感情が心に淡く宿っているのだから。絶望的な状況でも、足掻く炎があるのだから。

 

 それに、

 

 

 ——ふっ。と、テンが不意に笑った。

 

 

 今、この瞬間を。

 テンは、待ち望んでいたのだから。

 

 

「フーラ」

 

 

 掠れた詠唱が小さく漏れる。

 

 呼応した風の暗殺者が、魔女教徒の左腕を切り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 

この戦いは、初めからまともに戦ったところでテンに勝ち目などない。全身全霊を尽くして剣を振るおうとも、相手を打ち倒すことは不可能だった。

 

満身創痍の身体でどうやって格上相手に勝てるのか、あるなら教えてほしい。自分がそこまで主人公ではないことくらいテンは理解している。

 

故に、この構図は初めから狙って展開したものだった。相手との格の差を理解した時点で、自分の身を犠牲にして好機を得る展開は、意図して作られたものだった。

 

全力で挑み、相手に打ち負け、殺される刹那で、反撃に転じる。

 

危険すぎる戦術、しかしこれをしたのには明確な理由があった。

 

人間には共通して緊張の糸が緩む瞬間がある。

 

魔導師の道を極めた人間であろうと、どれほど卓越した力を持った人間であろうと。意図せず、その糸がたわむ時がある。

 

それは、相手を倒したと確信した瞬間だ。

 

全てを賭して挑みにきた相手を捩じ伏せ、斬撃という斬撃を、暴力のあらん限りを尽くして相手の身体を隅から隅まで蹂躙し。決め手となる一撃を放ち、それが当たる瞬間、人は決定的な隙を晒す。

 

それが、最大の危機であるとも知らずに。

 

逆境こそ、最大の好機であることをテンは知っている。だから、その瞬間を意図的に作り出したのだ。自らの命を懸けて、自らを死に追い込み、この千載一遇を掴み取った。

 

 

 ——今、その瞬間が訪れる。

 

 

左腕を切り飛ばされた魔女教徒が追撃を警戒して大きく飛び退き、テンに体勢を立て直す猶予を与えている。間違えなく、二度とない好機。これを逃せば次はない。

 

 次はない、のに。

 

 

 ーー動け

 

 

命懸けの代償。千載一遇のために支払った対価は決して軽くない。

 

死に追い込む事は肉体を壊させる事を意味し、事実としてテンの体はピクリとも動かない。乾き切ったマナを使用した反動で倦怠感が増し、より動かない。

 

辛うじて流法は保てているものの、それを加味しても肉体は限界を超え、意志の力を受け付けない。精神と肉体の意思疎通は遮断されたままだ。

 

 

 ーー動け

 

 

今、動かなくていつ動く。何のために作り出した構図だと思っている。このまま終わっていいはずがない。絶対に、意地でも、朽ちた身体を無理矢理にでも動かせ。

 

 

 ーー動け

 

 

届け、爆発しろ、意志の力。もういい、命を削ることになってもいい。身体なんてどうなってもいい。だから動け。相手の体勢が整う前に。整った時がお前の最期だ。

 

分かっているだろ。そんなことくらい。今しかチャンスはないと、頭も心も理解しているだろ。だからこの自殺行為をしてまで好機を作り出したんだろ。なら動けよ。

 

死ぬんだぞ。終わるんだぞ。この時を逃せば、もう自分に明日はない。何一つとして約束を果たせないまま、全部が終わるんだぞ。思い残すことしかない中で、幕は閉じるんだぞ。

 

 いやだ。まだ、死にたくない。

 レムに、何も伝えられてない。

 

 

「うごけ……ッ!」

 

 

 ーー……ぜったいに、生きて帰ってきてくれると。レムに約束してくれますか?

 

 

「うごけぇ……!」

 

 

 ーー信じて、ます。

 

 

「うごけぇえええええ!!」

 

 

大口を開けた咆哮が響き渡った。喉が張り裂けるそれは、己の外側ではなく内側に轟き、全神経に起動を促す。遮断された精神と肉体を結びつける声が、血を沸騰させた——。

 

 瞬間。

 

ゲートの奥底に眠るマナではない力が目を覚ます。眠り続けていた力が主人の意図を汲み取り、マナとは別の、もう一つの魔法を使用するための力が、死神の喝采を浴びながら産声を上げた。

 

 

「ーーーッ!」

 

 

 オドが使われる。

 

 

「動けぇぇぇッ!」

 

 

 命が削られた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

魔法を使うために使う要素は何かと問われれば、魔法使いの大半は「マナだ」と答える。

 

稀に、気合だの活力だのと訳の分からない事を言う輩もいるようだが、結局はマナを消費して魔法は成る。

 

逆を言えば、マナが尽きれば魔法を使う事は困難になるという事。魔法を主軸とする人間ならば常に思考の片隅に置く必要のある事実だ。

 

では、マナが尽きれば魔法使いは終わりなのかと。

 

そう問われれば、魔法使いは苦い顔をしながら「そうではない」と答える。マナが無くなろうとも、魔法使いの戦う術は確かにあるのだ。

 

だが、それは命を削る行為に直結するため、魔法使いが好き好んで選択する術ではない。それを使えば魔法は使えるが、余程のことがない限りは禁忌とされている。

 

その名は『オド』。マナとは別の、魔法を使うための要素である。

 

オドとは。簡単に説明すれば、人間に元から備わっている機能の中でも上位に位置する重要な機能。マナを生み出すための器官のこと。また、マナを貯蔵するための器とも言える。

 

どうしてオドを好き好んで使わないか。それは、オドを消費する事は命を削る事に直結、この世界では魂のようなものと認知され、寿命を減らす事を意味するからだ。

 

一体誰が命を削ってまで魔法を使いたいと思うか。それこそ、命を賭してまで勝たなければならない相手と戦う時がなければ、生涯使われる事はない。

 

 

 ——故に、テンはオドを使った。

 

 

もう後がないと理解し、足りない分を命で補う。他に出せるものがないから、魂を対価として活力を捻り出した。

 

身体が燃えるように熱い。外側も内側も、オドが最高潮にまで高めた流法の熱が、全身を迸っている。心臓が強く脈打ち、循環する血液が傷跡からドバドバと流れ出た。

 

もう終わりだ。これを終えれば自分の体は二度と動かなくなる。左腕が動かないのは刀を握る右腕に全活力が収束したからだろう。

 

それも数十秒後には消える。オドによる強化は長くは続けられない。普通、流法を使うとマナが微弱ながらに消費され続ける。それがオドに代わることが何を意味するのか。

 

命を、削り続ける。

 

 

「ーーーッ!!」

 

 

 飛び出す。

 

蹴り上げ、真っ直ぐ突っ込む。最短の最速で相手の間合いに飛び込む。全身全霊を飛び越えた今、己の最高を何度も更新し、この最後の攻撃に全てを賭けた。

 

開いた間合いは十メートル程度——たった一度の跳躍でテンはその距離を詰めた。刃の届く距離に、恐怖すら厭わない己の存在を踊り出させた。

 

相手の動きがよく見える。左腕の損失を意に介さない魔女教徒が、握りしめた長剣を上から振り下ろしていた。

 

他にもやり方はあったかもしれない。が、それ以外の選択肢はテンが奪い取った。間合いを詰める速度が魔女教徒の予測を遥かに超え、掲げていた刃を咄嗟に振り下ろさせた。

 

落ちる鋼はテンの右手首を刎ねる軌道。肉体に届かないと判断した腕が武器から奪う意志を宿す。

 

 

「ーーーー」

 

 

偶然か、必然か。

 

テンが選択した剣撃も縦の軌道を描いていた。踏み込んだ片足に全体重を乗せ、勢いそのままの刃が縦に半円を刻む。

 

狙いは一点、相手が武器を携える右手首。この一撃で武器を奪い、二撃目で命を確実に狩り取る。

 

武器があると凌がれる可能性がある。凌がれれば自分は死ぬ。よく考えなくても理解できる。だから武器から奪う。命はその次だ。

 

 

 長剣が縦に落ち。

 刀が縦に落ちる。

 

 魔女教徒の右手首に刃が伸び。

 テンの右手首に刃が伸びる。

 

 

 決着は今。

 

 

どちらの刃が相手の手首を落とし、命を落とすか。剣速の速い方がこの戦いの勝者となる。

 

右腕一本。同じ土俵に立つ両者の一閃が同時に殺意を解き放つ。研ぎ澄まされた一撃が快音を奏で、血と殺戮の舞台に一つの斬撃音が木霊し。

 

 そして————、

 

 

 

 

 鮮血が赤の世界へと視界を誘い、右手首と共に青色の腕輪が宙を舞った。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。