今回はウマ娘視点ではないです。トレーナー視点です。
誤字報告をしてくださった方、ありがとうございました。助かりました。
意識が覚醒すると、安っぽい陳腐な白色が視界を埋めつくしていた。
「…………」
数度まばたきをした。未だに微睡みに囚われた起き抜けの意識の中で、“俺”は間抜けにもぽかんと開口した。
それが天井だと認識するのにたっぷり数秒の時間を要した。見慣れぬ天井だった。少なくとも自分が借家として利用している施設のものではない。
「……俺、トレーナー室にいなかったか?」
手で顔を覆いながら浅いため息を漏らす。なぜだか知らんが、ここ最近の記憶が無い。だからと言ってこの部屋に覚えがある訳でもないが。
辛うじて分かることといえば俺はいつの間にか眠ってしまったのだろうということくらいなものだ。
頭が痛い。泥でも詰まっているのかと錯覚するくらいにずーんと重い。僅かな嘔吐感も相まって、気分はあまり良くなかった。ここまで寝起きが悪いのは初めてだ。というか、寝落ちして起きた先が見知らぬ部屋だということ自体が初めてだった。
「いや、まず何処? この部屋──」
「にゃは、起きました?」
「──……クソが」
気怠い身体をのそりと起こすと……聞き馴染みのある教え子の声が聞こえてきた。それも、何かと手をやかされる方の。……なんだろな、さっきよりもずっと頭が痛くなってきたぞ。
両目頭を抑え、先程よりも大きなため息をつく。正直言ってこの猫なで声は今はあまり聞きたくはなかった。
「……おまえかよ」
「はーいそうです、セイちゃんです! おはようございますぅトレーナーさぁん☆」
「……おはようとか、そんな呑気な状況じゃないんだよ」
声のする方に視線を向けると、案の定だった。くそぅ、なんかムカつくな。
教え子のひとり(総じて厄介な方)であるセイウンスカイが頭の後ろで手を組み、何ともまあ小憎たらしいにこやかな笑みを浮かべていた。
寝起きにスカイのツラを見ると、大抵ロクなことにならないのだが。経験的に。
「めちゃくちゃ頭痛いんだけど。おまえこれ、何か盛ったろ」
「にゃはは。イヤですね、さすがにそこまでするわけないじゃないですか」
「ほんとに?」
「ほんとですよ。私じゃないですって。ていうかトレーナーさん、今日ずっと体調悪そうでしたよ?」
「……ああ」
そう言われると、まあ、そうなんだったか。
癪だが、心当たりはある。少々朧気ではあるが思い出してきた。
俺は昨日から今日にかけて満足に睡眠が取れていない。徹夜で作業をしていたからだ。というのもそれは昨夜、翌日に提出する必要のある書類の作成を失念してしまっていたことに起因する。
書類の存在に気づいたのは既に日付を跨いだ深夜3時。当時は大量の冷や汗が背中を伝ったのを覚えている。動画サイトを見ながら呑気に練習スケジュールを纏めていたことが仇になった。
俺はすぐに作成に取り掛かり、長い夜を過ごしたが……とうとう出勤時間には間に合わず、結局今日の勤務中に間を縫って仕上げる羽目になったのだった。
「思い出した。俺が悪いわ」
「まったくもう。大事な書類なんでしょ? 締切忘れてちゃダメですよ?」
「疑って悪いな」
「ふふん♪ まあトレーナーさんなので、許してあげます」
「すまん」
「なんにせよ書類、間に合ってよかったですね」
「そだな……」
少し、バツが悪い。完全に自業自得だった。薬を盛ったなど、幾ら日頃の行いが芳しくないスカイでもこれは良くなかったかもしれない。
気まずそうに俺が謝ると、スカイは得意そうにによによしながら、ぽんぽんと此方の頭を撫でた。
それにしても確かに。スカイの言う通り我ながらよく間に合ったものだ。今日は学園の授業での指導もあったのに。
本当に余裕がなかったのを覚えている。移動とかもダッシュだったし、エアグルーヴに廊下は走るなと怒られたこともあったか。本当に危なかった。
そうだ、確か締切の18時直前にギリギリのタイミングでメールを提出して──
「……あ?」
「? どうしました?」
「なぁスカイ」
「はい?」
「今何時だ」
「……えっ〜と」
ふと、嫌な予感が脳裏をよぎる。いや提出は確実に出来ているだろうが。それは問題ないはずではあるのだが。
しかし今度はまた別の問題が浮上して……その真意を確かめるべくにスカイに尋ねると、彼女はどこか確信めいた表情でいたずらっぽく答えた。
「ちょうど9時ですね」
「9時?」
「はい」
「朝の?」
「いやいや、夜に決まってるでしょう」
「…………」
「トレーナーさん? どうかしましたか?」
「……おまえ、俺を嵌めただろ」
「うわ、なにそれ。人聞きが悪いなぁ」
「なんで起こさなかった」
「ぐっすりだったので。悪いかなって」
今日イチのため息が漏れた。こいつ、間違いなく確信犯である。
通称『中央』と呼ばれるウマ娘育成機関のトップ、トレセン学園。国内の中心に置かれたその施設には毎年全国から多くのウマ娘が集っている。
そしてそんなトレセン学園には主に、遠出から訪れた学生を支えるために設営された学生寮が存在している。
美浦寮と栗東寮なるふたつの学生寮は、先述の通り自宅から通えない生徒、もしくは敢えて厳しい環境に身を置きたいストイックな生徒たちに利用されている。
スカイも、そんな美浦寮に世話になっているのだが……。
「あのな、生徒の門限を破らせたら俺が怒られるんだよ」
寮の門限はどちらも限らず通常19時。それは集団生活している以上守らなければいけない最低限のルールなわけであるが。
何が問題なのかというと、単純にスカイが門限を破っているということではなく、曲がりなりにもトレーナーである自分が同伴だったのにも関わらず彼女が門限を無断で破っているということだ。
スカイが個人の私用で門限を破ると怒られるのは勿論彼女自身だが、トレーナーが近くにいたというのにスカイが門限を破っていることがバレると、怒られるのは俺である。
要は監督不行とのことで。いや本当に勘弁して欲しい。俺が寝てるのなんか放置して門限の方を優先しろよ。そんな思いを視線に乗せて彼女にぶつける。
「ふふふ、そう言うと思ってましたよ? でもそれに関しては大丈夫ですから」
それに対し、そこの心配は要りませんよと。
スカイは得意げに胸を張る。
「なんだ、もしかして寮長に前もって連絡してるのか」
「いいえ?」
「……は? 大丈夫じゃないじゃん」
「いえいえ大丈夫ですよ? だって、美浦寮ですからね」
「いやおまえは確かに美浦寮生だけども」
何となく要領を得ないが。
いったいどういうことだろうか。
「それともなに? 栗東寮じゃなくて美浦寮だから大丈夫ってこと? ヒシアマゾンもそんなに甘くないだろ」
「……ふふ」
「あ?」
「いえいえ、ですからね」
にやりと笑うスカイ。対照的に表情が歪む自分。
正直な話、めちゃくちゃ嫌な予感がする。
「ここ、美浦寮なんですよ」
「いやだからどういう……」
「ここが、美浦寮なんですよ」
「……あ?」
「えへへ」
何故か照れるスカイ。更に表情が歪む自分。
いや、えへへじゃないが……。
「……ここが?」
「はい」
「……美浦寮か」
「ええ」
「ここが、美浦寮なのか」
「はい美浦寮です。ですからセイちゃん、もう帰宅済みなんですよね☆」
「……なるほど? 確かにな。それはそうな」
はぁ。なるほどな。
「ああ……なるほどな……確かに、寮の部屋っぽい……」
ほぉ。なるほど。はぁ。
そうか。美浦寮か。そうか……。
「……おまえ、俺を嵌めただろ……」
「あはっ、人聞きが悪いな〜」
「悪いのはおまえの性格だろ……」
「そういう顔、ちょっと見たかったんですよね」
「ガチでタチが悪い」
「いっつも飄々としてるあなたの、全力で困った、そういう顔が」
「クソが」
本当に絶望的な心地である。俺はより深刻そうに顔に手を当て、指の隙間から元凶を睨みつける。
ということは今座ってるこれ、スカイのベッドか。まじか。まさか教え子の寝具で寝ることになろうとは。
相変わらず読めない奴で。確かにスカイは此方の予想のしないようなイタズラをするようなやつではあるが。まさかここまでするとは。そりゃこんな天井知らないわけだ。
そして当の本人はというと。彼女は俺の視線など気にするべくもなく、ジト目で睨む此方をどこか嗜虐的な顔で見下ろしてくる。
「ゾクゾクしちゃいますねぇ」
「おまえどうやってヒシアマゾンにバレずにここまで運んだわけ? バレるだろ絶対に」
「それは勿論、この麻袋に入れて」
「普通に犯罪だぞそれ」
「ちょっと何言ってるか分かんないですね」
「なんで何言ってるか分かんねぇんだよ」
分かれよ。普通分かるだろ。
あとヒシアマゾンも。俺の事見つけてくれよ。
「最初はお姫様抱っこしてたんですけど、周りの目がスゴくて」
「ちょっと待って? 周りの目って。途中までそんな方法運んでたのか?」
「はい。学園の敷地内までは」
「なんでだよ」
それはもっと早くに断念して欲しかったが。良い晒し物ではないか。
「私とトレーナーさんとの仲を見せつけようと思って」
「周り絶対ドン引きしてんぞ。主に俺に」
「トレーナーさん女顔なので平気ですよ☆」
「ぶん殴んぞ」
「でも寮長の目をかいくぐるのにはお姫様抱っこは無理なんですよね」
「そりゃそうだろ」
「ええ、ですから結局この麻袋に入れて抱えて……」
「だからなんでだよ……」
ちょっとでも無理って思ったんならもう断念しろよ。連れ込むな。そういうヤル気はトレーニングで見せて欲しいんだけど?
「麻袋、ゴルシさんがくれたんですよね」
「マジで余計なことしかせんなアイツ……まあ1番ムカつくのがそんな雑な方法で運ばれた俺自身ではあるけども」
「いやー私も初めてだったので優しくしてあげようかと思ったんですけどね?」
「急に何の話?」
「でもセイちゃん気づいちゃったんですよね。乱暴に無理矢理やっちゃうのも悪くないって」
「物騒なこと言うなよ」
「……セイちゃん気づいちゃったんですよね!」
「こっち見んな」
「ふふ……トレーナーさぁん♪」
「やめろ、寄るな犯罪者め」
座るベッドに膝をつき、にじりよってくるスカイを抑える。……さすがに力が強いなウマ娘は。
絡みついてくるスカイを捌きつつ、思考を巡らせる。今はまだ何もする気もなさそうな彼女ではあるが、これからもそうだとは限らない。自明であるが何をしでかすか分からないスカイとこれ以上一緒にいるのは得策ではないだろう。
「ちなみにだけどここ何階?」
「4階です」
「クソが」
しかし簡単には逃げられそうにはない。どうしたものだろうか。
「もうシンプルに逃げるか? 今9時過ぎだろ? 皆部屋に篭ってるんじゃないか?」
「お風呂に入ってる子もいますよー? お風呂上がりの子と鉢合わせちゃうのはマズイんじゃないですか?」
「楽しそうだなおまえ……」
「ちなみにセイちゃんもまだ入ってません」
「はよ入れや」
「ずっとトレーナーさんの寝顔を見てたので」
「怖」
「もう。すぐそーいうこと言う」
「というかルームメイトは」
「ルームメイトは家の都合で一時帰宅中ですよ?」
「……おまえ」
「はい?」
「ルームメイトの都合知ったのいつだ」
「5日前ですかね」
「ゴールドシップに麻袋貰ったのいつだ」
「それも5日前ですね」
「…………」
マジで確信犯過ぎる。まあ十中八九だろうとは思ったが。
策を講じるのはレースでも頻繁に発揮するこいつの得意技だ。気になるのは俺が疲労で眠らなかったらどうするつもりだったのかということだが、こいつに限ってそこら辺は抜かりないだろう。本当に薬あたりでも用意してそうだ。
「……にゃは♪」
「この……」
そんな実生活でも策士を披露するスカイは、しばらくベッドの上をうろうろして……結局は俺の背中に張り付いた。居場所を見つけた後は、さすさすすりすりと。此方の首元に顔を埋めて、身体を擦り付けくる。
「暑苦しい。やめろ」
「……いいじゃん。ちょっとくらい」
感覚としてはデカめのネコ科動物にじゃれあってると言った感じか。暑くて鬱陶しいが、不思議と悪くないのが癪だ。胸はもう少し欲しいかもだけど。
「……なんか今失礼なこと考えてない?」
「気のせいでは?」
「……ふーん」
「や、やめろ。苦しい」
勘のいい彼女をあしらうが、察せられたのだろうか。後ろから首に巻きつけられている腕に力が籠った。
懐いてじゃれてくる女は嫌いではないが、苦しい。それに相変わらず力が強い。
「トレーナーさんって、彼女いるんだっけ」
「い、いないけど」
「……そっか」
スカイの腕をタップしながら答えると、力が緩められた。
そして今度は彼女は腕を此方の胴体にまわし、首元にぐりぐりと顔を押し付けてくる。
息苦しさからは解放されたが、如何せん根本的な解決にはなっていない。
どうしたものかと考えたが、ろくな案も出てこない。スカイに抱きつかれたまま、刻一刻と時間だけが過ぎていく。
「ほにゃ?」
「……ふん」
しかしもうここまで綺麗に嵌められた以上、そんなことを気にするだけ疲れるだけだ。即座に逃げようとする気も失せた。そう判断し、後はもうバレないように過ごすしかない。
問題としては今の状況と、こいつが教え子だということだが。
ただやられっぱなしなのも癪なので、仕返し代わりにスカイの顎の下をくすぐってやる。謎の鳴き声が聞こえた。やはりネコ科ではないのだろうか。
「なんか、素直ですね? 逃げないんですかー?」
「逃げられんだろこれは。わざわざ疲れることしたくないわ」
「……ここで一晩泊まっちゃうってこと?」
「……それも仕方ないか。嫌とか言うなよ。おまえがまいた種なんだから」
「い、言いませんよ」
「まあ嫌なら今すぐ麻袋でここから出してくれてもいいが」
個人的にはその方がありがたい。
「い、嫌じゃない。嫌じゃないん、だけど……」
「急にしおらしいな。だけど、なに?」
「その、緊張しますよね?」
「ガキかよ。しねぇよ」
「……トレーナーさんってそういうタイプ?」
「その聞き方はどういう意図?」
「誘い受け系?」
「違う。どっちがリスクないか考えただけ」
「……なるほどね」
スカイはそう呟くと、ぎゅっと、さらに身を寄せた。
「お風呂、入りたくないな」
「それはやめといた方がいいんじゃない? いくら今日はトレーニングしてないからって」
「うーん……」
「何か問題が?」
「なんか……身体、洗いたくないというか」
「汚いやつは嫌い」
「……入ってくる」
そう言うとスカイは言葉の後すぐに立ち上がる。タオルと着替えを抱えて部屋を出ていった。
「あ、そういえば寝る場所どうします?」
しかしすぐにまた戻ってきて、3分の1程度開けたドアの隙間から顔だけを出し、思い出したように問いかけてくる。
「床で寝るに決まってんだろ」
「え? いやいや、客人を床で寝させられませんよ」
「今更何ら常識人ヅラしてんの? 麻袋で拉致ってる時点で客として扱ってねぇんだわ」
「やぁんもう、こんなことするのトレーナーさんにだけ、で・す・よ♡」
「ウザすぎる……おいブラシ、忘れてんぞ」
「ブラッシングは後でトレーナーさんにしてもらいまーす」
俺は露骨に嫌そうな顔を出して。しっしと、彼女を浴場に行くように促す。スカイはトランプでも借りてきますね〜と呑気に部屋を出ていった。
本当に呑気というか、マイペースな奴である。いくら距離が近いとはいえ、年頃の女子なのだから異性が部屋にいることに何か抵抗でもないのだろうか。
「同室の子が誰かは知らないけど、ちょっと申し訳ないな」
別に俺に非は無いはずだが。
ウマ娘は人間よりも膂力や感覚が3倍程度優れていると言うし、同室の子に事が明るみに出ないよう痕跡を残さないようにしないといけない。自分がいない間にルームメイトが男を連れ込んでるとか、正直かなり不健全だ。完全に消せるかどうかは不安だが、そこはウマ娘であるスカイにも協力してもらうしかないな。
不安といえばあいつ、トランプ借りてくるとか言ってたけど、まさかオールとかしたりしないよな……。
一応此方はトレーナー室でも麻袋の中でもこの部屋でもバカみたい寝ていたため、今夜はすぐには眠れそうにない。もしかすると長いこと付き合わされるかもしれない。
あいつがそこまで考えているかは分からないが、まああいつ策士だし、全然あるかもしれないのが辛いところだ。
「担当とのコミュニケーションとでも言って割り切るしかないか。……ものすごい時間外業務だけど」
とりあえずブラッシングのイメージトレーニングとして、スカイの置いていったブラシを手に取る。案外いい質のモノを使っていた。
また何度目か分からないため息が漏れる。しかし先の物とは違い、それは心做しか軽いように思えた。
今宵もまた長くなりそうだった。
(おまけ)
「あら……スカイさん、それ、洗わなくてもいいの?」
「ああこれ? これね、実はもう小さくなっちゃって。汗もかいてないし、もう着ないから洗わなくてもいいかなって」
「ふぅん。なるほどね」
「お気に入りだったんだけどね〜。ま、こればっかりは仕方ないって感じかな」
「……その割にはやけに嬉しそうね?」
「え゛!? い、いや、そんなことないと思うけど!?」
「そ、そう? まあ気のせいならいいのだけど……」
セイウンスカイ
レースでも日常でも、計略を練ることを得意とするウマ娘。同室の子がいないと分かった即日ゴルシの元を尋ねた。あっけらかんと言ってはいるが内心はドキドキで決行した。
ちなみにトランプはくそ雑魚。絶望的が引きが悪い。
トレーナー
今いつもセイウンスカイを雑に扱っていたツケを払わされた。今回は嵌められたのもだいたい身から出た錆。実は拉致られたことは人生で2度目。
小学校の大富豪大会で3年連続優勝し、しばらくあだ名が怪盗キッドだった経歴を持つ。
最後まで読んでくださりありがとうございます。下に世界が幸せになるボタンを置いておきますね。
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