世の中には要領の悪い人間というものがいる。
普通に過ごしているだけで嫌われる人間。怒られる人間。虐められる人間。
叶子はそういう人間の頂点だったと思うのです。
叶子は生まれて三日で下水に捨てられました。正直覚えてないです。でも、物凄く臭いニオイだけは覚えているので恐らく本当なんでしょう。凍死寸前のところを清掃員か誰かに拾われたのでしょう、気付いたら孤児院にいました。結局、親というものがどういった人物なのか今の今まで全く分かりません。
どうしてなんでしょうかね?
叶子、どこに行っても嫌われるんです。こんなに可愛いのに。こんなに天才なのに。
孤児院で積み木をたくさん投げられました。名札を付けるピンで手をいっぱい刺されました。叶子にはその感情が分かりませんでした。親に育てられていないので普通の人間の普通の感情というものが分かりませんでした。そんな叶子でも褒められると嬉しいということは分かりました。誰も叶子を誉めません。だから叶子が叶子を誉めることにしました。とっても嬉しいです。
どうしてなんでしょうかね?
叶子、大人にも嫌われるんです。知らない大人からたくさんぶたれました。覚えが悪いからでしょうかね。だって分からないんですよ。普通の子が普通にやることが叶子には分からないんです。でも叶子は天才だし可愛いから大丈夫。叶子が褒めてくれるから大丈夫です。
小学校に進むと、多少話せる人もできましたが、やっぱりみんな私への態度が違いましたね。別に平気です。叶子が褒めてくれるから。叶子は天才で可愛いから。
どうしてなんでしょうかね?
どうして学校なんかに行き続けたんでしょう。みんな叶子の敵なのに。でも行かなきゃ行かないで孤児院の人にぶたれますからね~。それに、叶子は諦めたくなかったんだと思います。こんな要領最悪の叶子に優しくしてくれる稀有すぎる人間の存在を。諦めなければ諦めないほど叶子はボコボコにされていきました。でも叶子は頑張って笑い続けたんですよ。叶子が褒めてくれるんですもん。
そんな日々を繰り返して、小学校も高学年になった夏の日。
その日も散々プールに顔を沈められて、足蹴にされて、大変だったんですよ。
プールから上がった後。私は自分の着替えを見つけることができませんでした。困ってウロウロしていると、同級生達が数人がかりで私の手足を掴み、水着をはぎ取ってしまいました。酷いですよね。おまけに私の服とタオルをこれ見よがしに掲げて、そのままそれを持って大笑いしながら教室へと戻っていきました。これまで十数年、何をされても笑っていた私ですけど、どうしようもなくなってついに涙がポロポロとこぼれてしまいました。だって、こんな素っ裸で体育館の端っこに放置されて、どこにも行けないじゃないですか。どうしたらよかったんでしょうか?
部活が始まりそうな時間になったので、体育倉庫に移って物陰の隅っこでうずくまって、ガクガク震えながら、ひたすら誰にも見つからないように祈っていました。私、素っ裸で何をしているんでしょう? 全ての感情が遠くなっていって、ぼんやりと思考が停止していくのを感じました。どろりと頭が溶けていく感覚がします。
部活が終わって真夜中になっても、私は素っ裸のまま倉庫から動けませんでした。涙も枯れ、このまま死んでしまいたいとすら思えました。どうしよう、と考えても何も答えが出てきません。頭の中の叶子は何も褒めてくれません。地獄。地獄です。
真夏とはいえ真夜中。下着すら身に付けていない私の身体は芯から凍りついていました。どれくらいの時間か分かりませんでしたが、私は裸のまま密かに倉庫を出ました。今なら誰にも会わずに家に帰れるかもしれない。動かなければ永遠にこの倉庫に閉じ込められたままだ。足と体がどうしようもないくらいに震えていたのは寒さか、恐怖か、羞恥か、それとももっと重苦しい感情なのか、叶子には分かりませんでした。
けれど、その淡い期待は学校を出ることすら叶わずに終わります。不意に警備員のライトに照らされて、走り去る間もなく叶子は捕まってしまいました。おじさんは酷く驚いていましたが、虐められたと言ったらとても心配そうに声をかけてくれて、誰もいない教室の中に連れ込まれてーーー。
どうしてなんでしょうかね?
どうして叶子は腕を縛られて、脚を開かされて、そして―――。
痛い、痛い、怖い。
今まで感じたどの恐怖とも全然違う感覚が叶子の全身を駆け巡ります。何をされているか分からない、未知であるが故の感覚。体の自由の一切を相手に委ねられ、自分の知らない何かをさせられる感覚。殺されるよりも恐ろしい感覚。叶子は今何をされているのですか?
叶子の全てがそこで壊れました。
心が折れた。いや、心が潰れた。
どうして。
どうしてなんでしょう。
どうして叶子がこんな目に遭わなきゃいけないんですか
どうしてみんな叶子をいじめるんですか
叶子がどんな悪いことをしたんですか
叶子は生まれてこないほうがよかったんですか
叶子は普通に生きてはいけないんですか
全てが消えていく。
脳が腐敗し、崩れてゆく。
叶子が壊れていく。
さようなら。
さようなら、叶子。
おそらく、行為はまだ途中だったんだと思います。
突然叶子が黒い汁を嘔吐して、おじさんは驚いて”それ”を中断しました。
脳汁ブシャー!!!!!!!!!
その後、どうやって家に帰ったかなんて分かりません。
全ての記憶が曖昧なんです。
そこから、叶子の脳は正常に機能しなくなったんだと思います。
今も何を話しているのか分かりません。
叶子はだあれ? 叶子はなあに?
でも、大丈夫。
叶子が褒めてくれるから。
叶子だけが叶子を誉めてくれるから。
叶子は世界一可愛くて、天才だから。
生キタイナ
生キタイナ
"シアワセニナリタイナ"
解説:
坂上叶子はあらゆる人間から受けた凄まじい精神的・肉体的ストレスにより脳組織が壊死し、崩壊してしまった。
人格を司る前頭葉や記憶を司る海馬もほぼ全壊し、今の叶子は常に朦朧とした意識と記憶の中に生きている。
普段見せるハイテンションでナルシストな姿は脳の残存組織が過去の人格をトレースして出力しているだけであり、叶子自身の今現在の記憶・人格ではない。たまに顔を覗かせる無感情・無表情なフリーズした姿こそが今現在の坂上叶子の人格である。過去の人格は時間や場所を選ばずランダムに出力されるため、普段の彼女の人格には全く脈絡がなく不自然。
今現在でも壊死した脳細胞が再生を試みては壊れる作用を繰り返しており、時折叶子が吐く"脳汁"は腐敗により液状化した脳組織の残骸である。半脳死状態とも言える彼女はもはや名医でも手の施しようがなく、成長ホルモンや生理的機能を司るホルモンも充分に分泌されていないため寿命も著しく短いことが予想される。
しかし、そんな彼女にもほんの僅かに自我と人格、記憶が生き残っており、無感情な真の姿を見せている時にごく稀に人らしい感情を覗かせることがある。もし彼女を救い得るものがあるとしたら、それは彼女に残されたほんの僅かな人格に寄り添い、手を差し伸べることのできる人だけだろう。