大喜君がバドミントンに本気になるのを早くしてみた   作:もう何も辛くない

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機会があるのなら、また

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微かに遠くから聞こえてくる電子音が目覚まし時計のものだと気付いたのはすぐ後だった。眠気眼のまま重い頭を持ち上げて今の時刻を確認する。

 

 9:34

 

 時計にはそう書かれていた。千夏先輩と約束した待ち合わせ時刻は十時。それまでの残り時間は二十六分。

 支度を終えるまでは十五分、どれだけ急いでもどうしたって十分は掛かる。そこから待ち合わせ場所までもどうあがいても二十分は掛かる。

 もうここまで言えば分かるだろう。

 

「…ああああああああああああ!」

 

 寝坊した。叫び声を上げながら部屋を出て階段を駆け下りる。母さんの怒鳴り声が聞こえてくるが構っていられない。

 もう千夏先輩は家を出ているだろう。流石にまだ待ち合わせ場所に着いていないだろうけど─────とにかく急がねば。

 

 顔を洗い、歯を磨き、寝癖を直して再び自室へ戻る。クローゼットを開いて外行きの私服を取り出す。寝間着から私服へと着替え、ショルダーバッグに財布やスマホを入れて手に持ち、部屋を出てから肩に掛ける。

 

「行ってきます!」

 

 靴を履いて家を出て、全速力で走る。暑いとか息が切れるとか汗をかくとか関係ない。最寄りの駅まで走って三分、そこから切符を買って電車に乗って、池袋駅まで十五分。そして電車から降りて待ち合わせ場所の広場まで更に数分。

 

 やっぱりどう見積もっても二十分以上かかる。待ち合わせの時間までもう十五分を切っている。遅刻は確定した、と言っていいだろう。

 

(せっかく誘ってくれたのに…!)

 

 寝坊した理由は言うまでもなく、昨日夜遅くまで起きていたから。じゃあ何故夜遅くまで起きていたかというと─────海の魚の勉強(無駄な足掻き)をしていたから。

 我ながら呆れてしまう。こんな事をしても無駄だって分かっていたのに、それでも少しくらい何か知っておいた方が良いのではと思うと止まらなかった。別に魚について何も知らなくても…というより、知らない方が案外楽しめそうなものなのに。

 

 俺一人ではなく、千夏先輩と一緒に楽しみたかったから、止める事が出来なかった。

 

 しかし、その結果がこれである。水族館に行く前の段階で大失敗をしてしまった。

 

 池袋に着き、他の通行人が嫌な顔をしようと構わず走る。走る、走る。

 

 広場に着いたのは待ち合わせ時間から十分を過ぎようとした時だった。立ち止まり、周りを見回して千夏先輩の姿を探す。

 もうとっくに着いている筈だ。怒って帰っていなければ、この広場のどこかに居る。

 

 視線を辺りに巡らせながら広場の中央へと足を進める。

 

「大喜くん」

 

 俺の名前が、涼やかな声で呼ばれる。その声の主が誰なのか、振り返らなくとも俺には分かる。

 

 なので、俺がする行動はただ一つだった。

 

「遅刻してすみませんでした!」

 

 素早く振り返り、千夏先輩の顔が視線に映る前に勢いよく頭を下げる。

 とにかく謝る。何にしてもまずはそこからだった。

 

「私の方こそごめんね。大喜くん、疲れてたよね」

 

 いいよ、と言われるか許さない、と言われるかのどちらかと勝手に千夏先輩の返答を予想していたが、実際はどちらも外れてしまった。

 外れるどころか、俺の予想の斜め上をいく返事が返ってくる。まさか逆に謝られるとは思わなかった。

 

「いやいやいや!昨日も言いましたけど別に疲れてないですから!」

 

「でも寝坊しちゃったんだよね?」

 

「そ、それは─────」

 

 顔を上げる。目の前に立つ千夏先輩と今日、初めて視線を合わせる。

 貴女と水族館を楽しみたくて魚の勉強してて夜更かししてしまいました、なんて言える訳もなく言い淀んでしまう。

 その空白が、千夏先輩の勘違いを加速させる。そう即座に直感した俺は少しだけぶっちゃける事にする。

 

「…今日が楽しみで眠れなかったんですよ!悪いですか!?」

 

「え」

 

 嘘は吐いていない。今日が楽しみだったのは本当だし、魚の勉強をしてたのだって楽しみだったからというのも理由の一つだし。

 

 千夏先輩が目を丸くしたまま固まったのが分かった。

 流れる沈黙、凍り付く時間。やがて俺はこの空白に耐えられなくなる。

 

「い、行きましょう。水族館はこっちでしたよね」

 

 恥ずかしすぎる。千夏先輩の勘違いを正すためとはいえ、何を口走ってるんだ俺は。

 熱くなり、きっと赤くなってるんだろう顔を見られたくなく、千夏先輩から逃げるように先に歩き出す。

 

「あ、待って大喜くん」

 

 後ろから駆け足で俺の隣まで来る千夏先輩。まだ熱いままの頬を隠すために千夏先輩がいる方とは逆の方へ顔を向ける。

 

「私も楽しみだったよ。大喜くんと水族館に行くの」

 

「─────」

 

 あ、駄目だ。折角引き始めていた頬の熱が再燃する。

 ていうか何だよ今の台詞。その台詞に込められた意味はまさにその言葉通りのものだけって分かっているのに。何か別の意味もあるんじゃないかって、どうしても深読みをしてしまう。

 

 違う、勘違いするな。千夏先輩はただ水族館に行くのが楽しみなだけ。俺と、とも言ってくれたけどそれはただのおまけなんだから勘違いしちゃいけない。

 

「大喜くん」

 

「っ、はいっ!?」

 

 不意に千夏先輩が俺の服を摘まんでくいっ、と引っ張る。

 だから、そういう天然が男を勘違いさせるんだってこの人は─────

 

「水族館はこっちだよ?」

 

「…」

 

 水族館に行くには左に曲がらなければいけない交差点をそのまま真っ直ぐ行こうとした俺を止めてくれただけだった。

 

 ごめんなさい。自意識過剰でごめんなさい。

 

(…そういえば)

 

 千夏先輩の台詞に心が掻き乱されまくったせいで今まで気が付かなかったけど─────

 

(千夏先輩の私服って久しぶりに見たな)

 

 初めて家に来た時以来じゃないか。制服か部屋着か、たまに学校で体操着姿の千夏先輩とすれ違う事もあるけど。

 こうして外行きの私服姿を見るのは久しぶりだった。

 

 至ってシンプルな、少しスカート丈が短めなワンピースと、左耳の上に可愛らしい髪飾り。

 

(…うん。似合ってるな)

 

 気恥ずかしいから口には出さないけど。多分この人は何を着ても似合うんだろうな、と思ったりした。

 

 

 

 

 

「大喜くん、こっち行こっ!」

 

 そんなこんなで水族館に着くと、普段より高いテンションで千夏先輩が話し掛けてくる。

 さかなさかなーなんて某有名なあの曲を口ずさみながら先を歩く千夏先輩の後をついていく俺。

 

 …千夏先輩って歌苦手なのかな?ちょっと音程が合ってない気がする。口には出さないけど。

 

 水槽の前に立ち、目の前まで来た魚をじっと見つめる千夏先輩。人差し指を立てて上下左右にゆっくり動かし、その動きを追ってくる魚に笑みを零す千夏先輩。

 魚も可愛いと思うけど千夏先輩も可愛いと思う。いや、魚よりも可愛いのでは?比べる対象がおかしいとは思うけど。

 

「…」

 

 俺も水槽の中を泳ぐ魚達を眺めて、ふと水槽に反射して映る男女二人を見る。そして周りを見て、気付く。勿論家族連れもいるけれど、ここに来ているお客さんのカップル率が多い。

 俺達みたいにそうではない人もいるかもしれないけど、第三者からすれば皆カップルに見える。

 

(…もしかしたら)

 

 もしかしたら俺と千夏先輩も、周りの人から見ればカップルに見えるのかな。なんて。

 実際、千夏先輩はこの外出の事をどう思っているのか。

 

 たまたま水族館に行きたかっただけ?しっくりは来る。

 もしくは、先輩を賭けの対象にした報復として水族館の料金を奢らせようと─────ないな。言われても仕方ないとは思うけど、多分ない。

 

「大喜くんっ!」

 

「はい?」

 

 考え事をしている最中に千夏先輩に呼ばれて振り向く。

 その直後、かしゃりとシャッター音が鳴った。千夏先輩の両手にはスマホがあり、レンズは俺の顔に向けられている。

 これだけ要素が揃っていればさっきのシャッター音が何だったのかは容易に勘づく。

 

「ちょっ、何撮ってるんですか!」

 

「せっかくだし」

 

「消してください!」

 

「ダーメ!記念に残しておかないと!」

 

 スマホを胸に抱いて俺から隠すようにしながら笑顔で言う千夏先輩。

 記念って…何の?という疑問について考える暇もなく、今度はあっち行ってみよーと言いながら先を行く千夏先輩を追い掛ける。

 

 千夏先輩と同居を始めてからもうすぐ二か月になる。その間に、色んな千夏先輩の姿を見てきた。

 朝に強くしっかりしている千夏先輩。ご飯は結構たくさん食べる千夏先輩。天然で、たまにどこかを見つめる事がある千夏先輩。

 でも、こんな風にはしゃぐ千夏先輩は初めて見た。案外子供っぽい所があるのかもしれない。

 

 水族館を回り、サンゴやエイ、魚ではなくペンギンのマスコットのケープくんと記念撮影をしたり、lineスタンプを買っちゃったり。

 そして、水族館の中でまだ見ていない最後の場所を今、俺達は見上げている。

 

「ムチムチでかわいい…」

 

「そうですね。こう、両側から抱き締めてみたいです」

 

「分かる!ワシっとしてみたい!」

 

「…ペンギンって冷たいんですかね?」

 

 今の会話の中で出た通り、ペンギンのブースに今はいる。水中を泳ぐペンギンを見ながら、感想を言い合っていた。

 ペンギンなんて水族館のまさに定番だが、定番になる理由がよく分かる。やっぱ可愛いよこいつ。泳ぐ姿だけじゃなく歩く姿も可愛い。

 

「もう少し早く来ればよかったね。そしたらペンギンショー見れたのに」

 

「そうですね。…俺が寝坊しなきゃ見れたかもしれないのに、ごめんなさい」

 

「そういうつもりで言ったんじゃないから。もう謝るのはなしね」

 

 この水族館では一日に三回、ペンギンショーが行われている。しかし俺達がここに来た時にはペンギンショーは終わっていて、見れなかった。

 もし俺が寝坊せず時間に余裕を持って来れていたら見れていたかもしれないけど─────千夏先輩にも言われたし、これ以上は考えない事にする。それに、ペンギンショーを見れなくとも今日は楽しかったし。それでいい。

 

「タイキ、後ろっ!」

 

「?」

 

 不意に名前が呼ばれ、声がした方を振り向く。千夏先輩も同じように視線をそちらに向けて、その直後に帽子をかぶった子供が千夏先輩の腰にぶつかった。

 

 先輩の体が衝撃で俺の方に傾き、先輩の頭が俺の肩に乗っかる。

 

「「─────」」

 

 千夏先輩がこちらに振り向いて俺の顔を見上げる。俺もぶつかってきた千夏先輩の顔に目を向ける。

 至近距離で視線がぶつかり、千夏先輩の長いまつ毛まではっきりと見える距離まで近付いていた。

 

「すみません!ほら、タイキも謝って!」

 

 慌ててこちらに駆け寄って、子供に謝る様に諭す母親の声で我に返る。千夏先輩が俺の肩から頭を離し、俺も一歩、千夏先輩から距離を取る。

 

「ごめんなさい」

 

「大丈夫。気を付けてね」

 

 頭を下げて謝る子供に、千夏先輩は笑顔で手を振る。

 親子は最後にもう一度だけ頭を下げてから去っていく。その姿を見送る千夏先輩を俺はじっと眺める。

 

 …今、何が起きた。めちゃくちゃ近くに千夏先輩がいたんだけど。ていうか、俺の肩に千夏先輩の頭が乗ったんだけど。さらっと凄ぇいい匂いしたんだけど。

 ていうか千夏先輩平然としてるけど、え、もしかして今何も起きてなかった?幻でも見た?どういう事なの?

 

「さっきの子、タイキって名前だったね」

 

「え?…あぁ、そうですね」

 

 混乱を極めていた頭の中で渦巻いていた思考が千夏先輩の声によって止まる。そこでふと思い出す。確かにさっきの男の子の名前は俺と同じものだった。

 

「…大喜くんに似てるね。きっといい子に育つんだろうなぁ」

 

「はい?…似てるって、どこがですか?」

 

 千夏先輩が不思議な事を言い始める。思わず怪訝な表情を浮かべながら問い掛ける。

 すると千夏先輩は微笑んでこちらを見上げて口を開いた。

 

「自分がしたい事を見つけたら周りが見えなくなるところ」

 

「…つまり猪突猛進と言いたいんですね」

 

「そうとも言う」

 

 さっきよりも少し子供っぽく、悪戯気を微笑みに含めて俺の顔を覗き込んでから千夏先輩は視線をペンギンのいる水槽へと戻す。

 

 ここで会話が途切れる。

 流れる沈黙の中で、俺と千夏先輩は並んで水中を泳ぐペンギンを見上げていた。

 

「…千夏先輩。一つ聞いていいですか」

 

「うん?どうしたの?」

 

 ここで俺はずっと気になっていた事を尋ねようと決意した。こちらへ振り向く千夏先輩に視線を向けて、質問をするべく口を開く。

 

「家に来てだいぶ経ちますけど、どうですか?居辛さとか感じてませんか?」

 

 ずっと気になっていた。俺の方は家に千夏先輩がいる事実に少しずつ慣れてきたけれど、一方の千夏先輩はどうなんだろう。

 だって、俺からすれば起きた変化は千夏先輩が家にいるというその一点だけだ。だけど千夏先輩は違う。

 

 住んでる家が違う。一緒に居る人が違う。そうやって数え出したらキリがない、自身を取り巻く環境の何もかもが以前と違うのだ。

 

「「大丈夫」、─────」

 

 笑顔で俺の質問に答えた千夏先輩が驚き目を見開く。

 

 そんな千夏先輩の反応に耐え切れず軽く笑みを零してから俺は再度口を開く。

 

「大丈夫って答えると思ってました。千夏先輩はきっと、全部覚悟して家に来る選択をしたんでしょうし。…でも先輩。我慢したり溜め込むような事は絶対にしないでほしいんです」

 

 なかなか纏まってくれない言葉を頭の中で必死に整理しようと努めながら、続く言葉を紡いでいく。

 

「何か不安になったり不満に思ったり、そういう事があれば誰かに吐き出してください。俺じゃなくてもいいです。家の中だと母さんが話しやすいかな…。あぁ、勿論猪股家限定じゃなく、友達や、それこそ千夏先輩のお父さんやお母さんにでも」

 

 結局言いたい事を整理できず長ったらしくなってしまったが、俺が言いたいのは─────

 

「…千夏先輩の周りにはたくさん味方がいますから」

 

「─────」

 

「何か他人事みたいな言い方になっちゃいましたけど、俺もそうですから。何てったって、同志ですし」

 

 言いながら俺は自分の右の足を、正確には右の足首の方を指差す。

 そこには、今はズボンの裾と靴下に隠れて見えないが、千夏先輩から貰ったミサンガが巻かれている。

 千夏先輩と交わした約束の証が、そこにある。

 

「…千夏先輩?」

 

 いつまで経っても千夏先輩から返事が返ってこない。思わず名前を呼びながら千夏先輩の顔を覗く。

 

「─────」

 

 微笑んでいた。今まで見た事がない、堪らなく嬉しそうに、千夏先輩は微笑んでいた。

 その綺麗な笑顔に思わず息を呑む。

 

「…大喜くんは、いい同居人だね」

 

「…そう思ってもらえたなら良かったです」

 

「でも、本当に大丈夫。由紀子さん達も皆よくしてくれてるし…、勿論大喜くんも」

 

「何か俺がついでみたいな言い方ですね。本当にいい同居人って思ってます?」

 

「本当だよ!」

 

 一頻り軽口を叩き合ってから、どちらからともなく笑い出す。かなり大きく笑うものだから、傍を通り過ぎていく人達が何事かとこちらに視線を向けてくるが構わない。

 笑い終わった時には俺も千夏先輩も息が絶え絶えで、少しの間呼吸を整えるために時間を使ってから、俺の方から提案する。

 

「一通り全部回りましたし、もう出ますか。それで、どこかでご飯でも食べてから帰りましょう」

 

「うん、そうしようか」

 

 千夏先輩から了承もとれた所で出口の方へと足を向ける。

 

 ─────昨日は不安で仕方なくて、千夏先輩を()()()()()事が出来るのかと自信がなかった。でも、今はこう思う。

 

 楽しかった。もし機会があるのなら、またこの人と一緒にどこかへ行きたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────あれ」

 

「健吾?どうしたの?」

 

「…いや、何でもない。多分、見間違い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あけましておめでとうございます。という事で新年一発目の投稿、デート回でした。
もう少しこうすればもっとデートっぽくなるんじゃ?とか色々考えましたが、原作でもそうですけどこの二人って恋人じゃないし、第一この作品での大喜くんはまだ千夏先輩を好きにもなっていない事実に気付き、『仕方ねぇ…。この辺で勘弁しといてやるよ』という事でこうなりました。

いうて千夏先輩に密着されるとかいうイベント起きてますけどね…。大喜くん許すまじ…(血涙)

え?最後に出てきた二人?さぁ?何生先輩と何屋先輩なんですかね?
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