大喜君がバドミントンに本気になるのを早くしてみた 作:もう何も辛くない
何度も針生先輩に挑戦している内に、ふと気づいた事がある。それは、針生先輩が臆病だという事だ。…いや、臆病っていうのは語弊があるか。ただ、これをどう一言で形容すればいいのか分からない。
ただ、試合のプレーの中で、針生先輩の攻めるタイミングが遅いと感じる時がある。
「っ─────」
「…くっ」
例えば今なんかそうだ。ネット際に引き摺り出され、前に落とすしかなかった俺に対して針生先輩はリスクを嫌ったのか、ただ繋げてくるだけ。
このタイミングでプッシュされていたら俺はもっと苦しかった。
オープンスペースに向けられてはいるが、余裕を持って打球に追いつき、俺はリスクを取って得点を取るために攻める。
体勢は良くはない。それでも腕を目一杯に伸ばしてシャトルをラケットで捉え、力を込めてプッシュする。
針生先輩がラケットを伸ばすよりも前に打球が床へと落ち、俺の得点となる。
さっきの試合もそうだった。針生先輩の攻めのテンポが遅れた所を狙い、攻め返す。そうする事で得点を重ね、俺は初めて針生先輩から勝利を捥ぎ取った。
その後すぐ、ムキになった針生先輩が俺に再戦を申し込み、この試合が始まった。
すでに試合は互いに一ゲームずつ取り合って最終ゲームへと移っている。カウントは5-7で俺がリードされているが、まだまだ逆転の余地は残されている。
しかし苦しい状況なのは事実。第一、さっきの試合だって勝てたのは針生先輩が油断していたからというのもある。
それでも昨日までの俺は勝てなかった。
間違っていなかったんだ。俺が選んだ道は、挑戦し続けた事は、決して間違いじゃなかった。それだけは自信を持って良い!
「アウト。6-7」
針生先輩の打球がネットに掛かり、俺が連続得点を奪う。
得点を奪った俺は大きく息を吐き、奪われた針生先輩は悔し気に俺を見上げる。
…うん、やれる。繰り返すが、さっきの試合は針生先輩の中に油断があって、だから勝てたといえる。
でもこの試合は違う。針生先輩の中にもう油断という感情は微塵もない。それでも俺はこの人と戦えている。勝てないとは思わない。
ただ─────
(時間が…)
横目で見上げた先にある時計が、もうすぐ体育館が閉まる時間であると告げている。この試合も第三ゲームに突入したがまだ序盤。
多分、この試合を最後まで続ける事は─────
「逃げんなよ」
「─────」
できない、と内心で続けようとしたその時、ネットの向こうから針生先輩から声を掛けられる。
逃げる?誰が、誰から?
挑発だって分かり切っている。ただ、何度も挑戦し、跳ね返され続けた相手を追い詰めているこの状況で、ちょっとした興奮状態だった俺はその挑発を聞き流す事が出来なかった。
「それはこっちの台詞ですよ、先輩。負けそうになっても時間を言い訳に逃げないでくださいね」
「ぬかせ」
互いに好戦的に笑みを向け合い、先程得点した俺のサーブから試合を再開する─────
「はーい。熱くなってる所悪いけど、下校の時間ですよー」
事が出来なかった。突如ホイッスルの音が割込み、続いてホイッスルを吹いた張本人である監督が俺達の試合を止めに入る。
「え、いや、ちょっと今いいとこ…」
「知るか。今すぐ試合を止めろ、俺が主任に怒られる」
針生先輩が喰い下がるもバッサリと切り捨てられる。
何をやってるんだこの人は。もっとビシッと言えば続けられたかもしれないのに…え?それなら俺が言えば良いだって?
無理だよ。怖いもん。
「続きは本番でやれ。こんなとこで熱くなって、体力無駄遣いすんな」
「「…」」
…そうだった。本番は今日じゃなく、明日と明後日。全力を出し切るべき時はそこなんだ。
「…勝ち逃げは許さねぇぞ。俺と当たるまで負けんな」
「そちらこそ。今日の負けを引きずったりしないでくださいね」
まあ、その前に明日はこの人とペア組んで試合するんだけどね。とにかくまずは、明日のダブルスに集中しないと。
針生先輩への戦意を抑え、まずは明日のダブルスを頑張らねばと自分に言い聞かせながら、練習後の片付けを始める。
ネットを外し、得点板をしまいながら今日の針生先輩との試合を思い返す。
自分のバドミントン人生の中で、一番よく動けたと自負できる、会心の試合だった。
だからといって、何で本番前日にそれが出来るんだ、なんていう悔恨は全く浮かんでこない。むしろ、明日でも明後日でも、この調子を保って試合に臨める自信がある。
だって、今日の感覚は覚えている。なら明日も、明後日もその覚えている事を実行していけば良いだけなんだから。出来ない筈がないんだ。
「よく勝てたな、お前」
体育館の片付けが終わり、身支度も終えての帰り道。隣を歩いていた匡が話し掛けてきた。
主語がなく、何についての事なのかハッキリしない言葉だけど、当事者である俺には匡が何を話しているのかすぐに理解できた。
「何回も試合してきたし、一回くらいは勝てなきゃヤバいって」
「針生先輩はそんな甘い相手じゃないだろ。今日お前に負けるまでは部内で無敗だったらしいぞ」
調子には乗らない。慢心はしない。ただ、一つ壁を越えたという手応えはあった。
タコだらけの掌をじっ、と見つめる。ラケットをこの手に握り、何度も何度も振るってきた。その回数はきっと、本気で上を目指しているどの人よりも少ないだろうけど─────それでも、少しだけ、自分の努力に胸を張っても良いかもしれない。
「大喜!匡!」
意識が深く思考にのめり込みそうになったその時、どこからか俺と匡を呼ぶ声がした。
引き上げられた意識にハッとなり、匡と一緒に声がした方へと目を向ける。
目を向けた方にあったのは一軒のコンビニ。そして店の前では俺達に手を振る西田先輩と、お店で買ったと思われるタピオカを飲む針生先輩。そして何故か二人と一緒に、英語担当の山本先生がいた。
「何してるんですか?」
「やまもっちゃんが、大会前に好きなもん奢ってくれるって」
なんだと?
恐らく、一言一句同じ事を思った匡と目を見合わせる。
「一人五百円までだってさ」
「待て、俺はお前らだけに…」
「「アザーーーーッス」」
「おいっ!?」
山本先生にそんなつもりはなかったんだろうけど、俺と匡が勢いで押し切り、西田先輩から千円を受け取り店の中へと入る。
…そういえば、何で西田先輩がお金を出したんだろう?まさか山本先生の財布から─────いや、それ以上考えるのはやめておこう。きっと、最初に西田先輩と針生先輩に渡したのが二千円札だったんだ。それだったら辻褄が合うし、そうに違いない。
そういう事にしよう、うん。
どれを買おうか考えながら、店内を回る。お菓子にするか、ジュースにするか、はたまた何か揚げ物を買っていくか。
「お?」
レジの前ではたくさんのポップが飾られているが、その中の一つ、《からあげ一個増量中》に視線が引かれる。
よし、これにしよう。レジへと行き、店員にからあげを注文して代金を払う。ホカホカに温かい、からあげが入った紙箱を受け取り、匡がシュークリームを買い終わるのを待ってから一緒に店を出る。
「──────」
店の外では針生先輩達三人がまだ立っていた。しかしその三人だけではなく、新しく四人、店の前で針生先輩達に加わって屯していた。
その内の二人が山本先生に何やら集っており、奢ってーとか不公平だーとか言っている。
…西田先輩から聞いたんだろうな。それで、山本先生に断られて文句を言っているんだろう。
ただ俺が視線を引き寄せられたのはそこではない。その二人の後方で、店から出てきた俺をじっ、と見てくる二人の女子生徒。
千夏先輩と雛だった。
「?」
雛の目が俺が持つからあげに向けられ、一瞬欲望の光が瞳に灯る。まずい、と思うが、直後に雛が何やら思案顔になるから動き出すのが遅れてしまった。
何かを決意したように表情を引き締めた雛が、俺の方へ歩み寄ってくる。何事かと雛を待ち受けた俺だったが、それは間違いだった。
「いいもん食べてるじゃーん!!」
「あ」
俺の前まで来た雛が、目にも留まらぬ速さでからあげに刺さった爪楊枝を手に取り、そのまま口まで持っていきからあげを頬張った。
分かってたのに。雛がこのからあげを見たら何をするかなんて、分かり切っていたのに。
雛の百面相を見てたせいで反応が遅れた。くそぅ…。
「貴様ぁ、俺の唐揚げをぉっ!?」
「先生の奢りでしょ?うまーっ」
先生の金で俺が買った俺よりも先にからあげを食べ、勝ち誇るようにどや顔を向けてくる雛を睨む。
「お前、カロリー制限はどうしたんだよ」
「タンパク質だし」
「揚げ物を舐めるなよ!」
前はカロリーを気にしてたい焼きを食べるのを断念していたくせに、今日は迷わずからげを食べやがって。
「一個増量だったのに…。お前のせいでいつもの五個入りからあげになっただろ…」
「小さい男だなー。それじゃあ、最終日に差し入れ持って行ってあげるから。ちゃんと勝ち残りなさいよね!」
「差し入れ?」
ぶー垂れる俺を見て微笑みながら、雛は言う。
差し入れって、雛が?何を?もし俺の意見が通るのなら、会場近くにある中華まんのお店が気になってるから、そこで肉まんを買ってきてほしい。
「雛さま特性弁当作ってあげるー!」
リュックを肩に掛け直し、友達と一緒に去っていく雛。
特性弁当…え?手作り?
「…あいつ、料理できんの?」
「中学の料理実習ではまあ…普通だったと思う」
「匡。明後日、俺の命日になったらよろしく頼む」
「骨は拾う」
雛に聞かれたら大暴れするだろう内容の会話を、声を潜めて交わす。
いや、ちょっと本気で不安だ。大丈夫か?失礼なのは分かってるけど、雛が料理できるイメージあまりないぞ…。
「…」
「?」
まだ見ぬ明後日という日に不安を覚えていると、いつの間にか近くまで来ていた千夏先輩と目が合う。
いきなり何を、と思われるかもしれないが、千夏先輩は結構分かりやすい。目は口ほどに物を言うとはまさにこの事で、今もそうだが、俺の顔を見ながら時折ちらちらとからあげの方に視線が向いている。
…欲しいんだろう、このからあげが。
「一個食べますか?」
「っ!」
そう尋ねると、千夏先輩は目を輝かせながらこくこくこく、と頷く。
爪楊枝にからあげを刺して、千夏先輩に差し出す。千夏先輩は俺の手から受け取り、幸せそうにからあげを齧る。
「千夏先輩は先生に奢って貰わないんですか?」
「もうお金ないんだって」
本当にその通りなのか、断るための方便か。どちらか分からないが、西田先輩と女バスの先輩から逃げようと必死な山本先生はちょっと哀れだ。
明日、大事な大会がある二人の生徒のために男気を見せ、そこまでなら良かったのにまた二人に奢る事となり、そして今では尚も奢りの追加をせがまれる。
教師って大変なんだな。
「ありがとう、大喜くん。ごちそうさま」
教師の大変さを思い知らされていると、隣から千夏先輩からお礼を言われる。
「いえ。でも、そんなに食べたかったんですか?もう一個食べます?」
さっきの千夏先輩の目の語り具合を思い出す。あそこまで強い目力はなかなか出せない。
確かに千夏先輩はからあげが好きだし、家でもご飯に出てきたら美味しそうに食べていたけど、そこまで食べたかったか。
「蝶野さんを見てたら、羨ましいなって思って」
「そうですか。ここのからあげ、美味しいですしね」
「でも、もう充分だよ。これで試合も頑張れそう」
笑いながらありがとう、と一言言い残し、千夏先輩は女バスの先輩に呼ばれてそのまま行ってしまう。
「あっ、そうだ」
かと思いきや、踏み出した足を止めて振り返る。
どうしたのかと傾ける耳に、続く千夏先輩の言葉が届いた。
「今日の試合見てたよ、おめでとう」
「─────」
今日の試合というのが何を差しているのかなんて、聞くまでもない。
試合中は誰が見ているとか、それこそ千夏先輩が見ているかどうかなんて全く意識する余裕もなくプレイしていた。
俺が勝って、負けて、それで他の人がどう思おうと別に関係ない。関係ない筈なのに─────
「─────ははっ」
この人が見てくれていた。針生先輩に勝った所を見てくれていた。それがこんなにも嬉しいのは、千夏先輩に誓った打倒針生先輩を、目の前で達成する事が出来たからだ。
…そうに違いない。それ以外に理由なんてない。その筈だ。
「大喜」
「ん?なに」
「…いや、何か、
でも、たったそれだけで、こんなにも嬉しくなるものなんだろうか?
匡に怪訝な視線を向けられながら、内心そう思うのだった。