大喜君がバドミントンに本気になるのを早くしてみた   作:もう何も辛くない

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決着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナ内で行われた男女の準々決勝は、八試合の内七試合が終わり、残る試合は一つのみとなった。

 観覧席で試合を観戦していた者、つい先程まで行われていた試合を応援していた者。そして、試合を終えた者全てが今行われている準々決勝最後の一試合に視線を向けている。

 

「インッ、7-7」

 

 残る一試合は最終ゲームへと移り、序盤から互角の打ち合いをしながら点差も開かず、均衡を保ち続けている。

 

 そんな死闘を繰り広げる両者は共に一年という点も、この試合の注目度を高める一つの要因となっていた。

 

 体育館に響き渡るのはシャトルを打ち合うインパクトの音と、コート内を駆け回るシューズの音のみ。

 どちらかが得点すれば審判がコールをし、一方の学校の仲間達が応援に声を張るが、プレー中は静寂の中、この二つの音のみが響くだけ。

 

 スマッシュを打ってもただ返すだけじゃなく、コース、角度を突けて少しでも次に繋がる意図のある打球を返す。そこから展開を組み立て逆に攻め返し、しかし攻め返された方もまたただ守るだけじゃなく、攻めに繋げる返球をする。

 

「10-10」

 

 得点が共に二桁に乗る。第三ゲームのここまで、得点が二点差に離れる事なく一点リードと同点を繰り返している。

 

 点差が開いた瞬間、勝負が決まる。そう思わせる程に、激しいラリーの応酬の中で保ち続けるこの均衡は不気味だ。

 

 そんな緊張感の中、大喜は必死に歯を食い縛りつづける。少しでも甘くなれば鋭い攻めが襲いかかり、少しでも攻めを緩めれば反撃の一撃が返ってくる。

 身体的にもきつい第三ゲームは同時に、大喜のメンタルも削っていた。

 

 

「13-13」

 

 息が切れる。汗を拭ってもすぐにまた流れ出てくる。

 それでも足は動く。腕も上がる。トーナメントという連戦の中、これだけタフな試合で第三ゲームに入っても動けているのは、悔しいけど針生先輩に練習を見て貰ったお陰だ。

 

 あの人の異常とも思えるスタミナ練習についていけたからこそ、まだ息が続いている。パフォーマンスを保つ事が出来ている。

 

「15-15」

 

 だからといって余裕がある訳でもない。以前より格段にスタミナがついたとはいえ、大喜は今ギリギリの状態だ。

 この均衡を崩す事が出来ないままデュースに入りでもしたら─────相手もスタミナに余裕がある訳ではないが、不利なのは大喜の方だ。

 

 だが焦って攻め急げば隙が出来、そしてその隙を遊佐は見逃さないだろう。そうなれば均衡は破れ、一気に飲み込まれる。

 その未来が見えているからこそ、大喜は歯を食い縛って耐え続ける。

 

「17-17」

 

 第三ゲームも終盤へ突入する。それでもなお保ち続ける均衡に、試合をする両者だけでなく、試合を見ている人達にまで二人の緊張感が移っていく。

 

 一点が積み重ねる毎に、一点の重みが増していく。

 

「18-18」

 

 大喜のスマッシュが決まり、リードを許さず同点へ引き戻す。

 

 ほんの少しの気の緩みも許されない状況で、精神をすり減らしながらのプレーが続く。

 

 遊佐のバックドライブを返し、更に返ってきた打球をフォアドライブで返す。そこでは決まらず、ふわりと勢いを殺したドロップをネットへと詰めて拾う。

 遊佐がいる方とは逆の方へと返ったシャトルは、コートの後方へと上がるロブとなって返ってくる。

 

 すぐに追いかけて回り込み、スマッシュの体勢─────からスイングを緩めてフェイントをかける。

 コート前方へ落ちていくシャトルを遊佐が拾い、その打球に対して間髪入れず、大喜が相手のボディ目掛けてドライブを打つ。

 しかし対処が難しい正面の打球に、遊佐は素早く反応してあっさりと返球。だけでなく、上手く勢いが殺された打球はネット際へと落ちていく。

 

 大喜が苦しい体勢となり、何とか返せたものの角度を突ける余裕がないまま高く、ただ繋げるだけの打球となってしまう。

 その打球に回り込み、遊佐が強烈なスマッシュを叩き込む。

 

 辛うじて大喜が反応、ラケットに当てて返球しようとする。

 シャトルは高く上がり、遊佐のコートへと返っていく。かに見えたが、その打球を遊佐はスルー。

 

「アウト」

 

 ラインを越えた所でバウンドした羽根。大喜の返球はアウトとなり、遊佐の得点となる。

 

「19-18」

 

 遊佐が一点リードする。それだけでなく、ここでもう一点を─────このゲームで初めての連続得点を許せば、遊佐がマッチポイントを握る事となる。

 

 今までとは比にならない重要なポイント。それだけじゃない。ここからは、マッチポイントの握り合いが始まる。

 たった今言った、今までとは比にならない重要なポイントがここから続くのだ。

 

 先程得点した遊佐のサーブから、ラリーが始まる。

 速いテンポ、かと思えば大喜が緩急をつけて遊佐を前へ引き摺り出し攻めを展開する。しかし大喜の攻めを巧みに凌ぎ、僅かな隙を突いて遊佐が一気に攻勢へと躍り出る。

 

 スマッシュ、ドライブ、ドロップ、前へ後ろへ振り回されながらも大喜は遊佐の打球を拾い続ける。

 

 バック側を襲う遊佐のスマッシュを拾う大喜。シャトルを高く上げ、空いた間を使ってすぐにオープンコートへと戻る。

 しかし遊佐のスマッシュの威力は未だに衰えず見せず、そのせいで打球を操り切れず、大喜が意図したよりもシャトルの位置が低く飛んでしまった。

 

 大喜が戻るよりも早く、遊佐が打つ体勢へと入る。

 連続でスマッシュか、或いは前へのフェイントか。

 その答えはバック側への連続スマッシュだった。

 

 まだコート中心へと戻っている途中で、重心がフォア側へと寄っていた大喜に対してこれ以上なく効果的な攻め。

 すぐに切り返してラケットを伸ばすも当てるのが精一杯。制球されなかった打球は明後日の方向へと飛んでいく。

 

 盛り上がるのは遊佐、そして観覧席から遊佐を応援する佐知川高校の選手達。

 この試合中、殆ど感情を出さずプレーを続けてきた遊佐が、ガッツポーズと共に大声を出して自身を奮わせる。

 それ程までに、喉から手が出る程に欲しい一点を捥ぎ取ったのは遊佐。

 

「…ふぅー」

 

 しかし、大喜は動じなかった。

 

 絶体絶命であるこの状況。一点取られれば負けというこの状況で、大喜は更にリスクを負ってギアを上げる。

 

 少しでもいけると感じた打球に飛びつきスマッシュ、それにフェイントも混ぜて遊佐をラリーの序盤から翻弄する。

 終わってみれば終始大喜が優勢のまま、最後はバックドライブで打ち抜き19点目を奪う。

 

 19-20

 

 大喜が一点を取り返したが、マッチポイントを遊佐に握られている状況は変わらない。

 あれだけ遠かった連続点を今、ここで奪わなければ大喜に勝利はない。

 

(やる事は変わらない)

 

 目の前の一点を取るために全力を尽くす。どんな状況下にいても、やる事は結局のところ変わらないのだ。

 

 大喜のサーブから始まる。短い打ち合いから次第にテンポが速く、スマッシュ、ドライブを打ち合うラリーへと激しさが増していく。

 

 どんな要因であろうと、失点は許されない。ミスなど論外、簡単なつなぎですら許されない、綱渡りのラリー。

 大喜は次の一点に望みを繋げるため。遊佐は今ここで勝利を捥ぎ取るため。走り、攻め、守る。

 

(前─────!)

 

 遊佐のスマッシュフェイントを見抜き、裏をかかれないギリギリのタイミングで動き出す大喜。

 

 ラリーが続き、長引く試合の中で、大喜は少しずつタイミングを掴んでいた。いつ動き出せば遊佐に裏をかかれずに済むか─────そのギリギリのタイミングを。

 

 当然、大喜の動きは遊佐には見えているのだろうが、スイングの軌道はもう変えられず、遊佐は前へと落とすしかない。

 それを読んでいた大喜がオープンコートへと叩き落す─────が、オープンコートを狙われると読んでいた遊佐が走り込んでいた。

 

 目一杯腕を伸ばし、シャトルを打ち上げる。

 

「─────」

 

 ネット際にいた大喜が遊佐に背を向け、打球を追い掛け駆ける。

 

 コースはギリギリ、高さも絶妙。走りながら、大喜は頭の中で思う。

 

(間に合わない─────?)

 

 いや、正確にはギリギリだが追いつける。追いつけるのだが─────そこから打つ体勢に持っていく事が出来そうにない。

 ギリギリ故、高い打点で打つ事は不可能。低い打点で打つのなら前を向きたいのだが、この前を向くのがタイミング的に難しい。

 

(前を向く…背中を向けたまま打つしかない…?)

 

 極限の状況下で、頭の中に浮かんだ一つの選択肢。

 返す方法はこれしかない。それなら、迷うな。大喜は走りながら自身を叱咤する。

 

 もう少しで床に着きそうなシャトルを大喜は()()()()。打球を跨ぎながら、視線はしっかりと羽根へと向けて狙いを定め─────ラケットを振るう。

 

 まともに練習をした事はなかった。それでも今の大喜には、()()()()()()()しか選択肢が残されていなかった。

 

 凄まじい試合の中で飛び出したアクロバットなプレーに沸き立つ観覧席。その声は大喜にも、遊佐にも届いてはいない。

 二人の視線は高く上がったシャトルへと注がれている。

 

((返る))

 

 打球が遊佐のコートへと入ると判断した二人はそれぞれ動く。

 

 大喜はコートの中央へと戻り、遊佐は落下地点へと入ってスマッシュの体勢をとる。

 

 完全に攻める方と守る方が定められたこの瞬間、大喜は遊佐の全身を視界に収めながら集中を研ぎ澄ます。

 

 遊佐は体勢的にはどっちにでも打てる。打たれてから動くのではもう遅い。

 それなら大喜がすべき事は一つ。初心に返り、相手が打つコースを読んで先回りする。

 

 タイミングも何も関係ない。それでもし裏をかかれても仕方ない、と割り切るしかない。

 今この状況で、遊佐のスマッシュを拾うにはそれしか方法はない。

 

 両足を浮かす。今のプレースタイルを確立させるために習得したリアクションステップ。この試合、遊佐を相手に破られ、封じられたそれを正真正銘解禁する。

 

(左!)

 

 遊佐の目線、体勢からは何も読み取れない。だが打つ直前は当然、ラケットの面は打つ方向を向く。

 第一ゲームではそこを逆手に取られ、裏をかかれ続けてきたが─────何故かは分からない。ここで遊佐は裏をかいてこない。真っ直ぐ、スマッシュでコースを打ち抜こうとしてくる。

 

 根拠はないが、そう直感した。

 

 そして、その直感は当たる。遊佐は大喜の読み通り左、つまりバック側へとスマッシュを打ってきた。大喜はスマッシュを拾おうと足を踏み出し、腕を伸ばす。

 

 威力はこの試合中一番だった。その上で、精度も見事にラインギリギリを捉えている。打ってくるのを待ってから動き出しては到底間に合わなかっただろう。

 

(とれる!)

 

 大喜のラケットがシャトルに当たる。しかし、響いた音はスイートスポットに当たった、あの気持ちのいいインパクト音とは違った。

 

 ガットに当たった音の中に金属音が混じる。

 ラケットの面、縁ギリギリに当たったシャトルは力なく浮いて、数秒と経たず床へと落下する。

 

 ()()()()()()()()

 

「ゲーム」

 

 試合終了を告げる、審判のコールが響き渡る。

 

「21-13、19-21、21-19。佐知川高校、遊佐くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 負け、た…?

 

 呆然と、俺のコート内に落下したシャトルを眺める。

 

 届いたと思った。実際に届きはした。だけど、遊佐くんのコートに届ける事は出来なかった。

 

 試合中、あんなにも高揚していたのが嘘のよう。ただ、負けたという実感が湧かないまま、それでもここに突っ立っている訳にもいかず、すでに試合後の挨拶をするために審判の前まで来ていた遊佐くんの所へと駆け寄る。

 

「「ありがとうございました」」

 

 握手をしながら、同時に挨拶をする。

 直後、どこからか小さな拍手が聞こえてきた。

 

 拍手は少しずつ広がっていき、観覧席中から、アリーナにいるスタッフ、まだ勝ち残っている選手達からも試合を終えた俺達を労う拍手が鳴り響いた。

 

「いい試合だったぞ、大喜!よくやった!」

 

 大きな拍手にかき消されない大声が耳に届く。

 声がした方を見上げると、ついさっきまで俺を応援してくれていた仲間達がいた。

 

 その中の一人─────西田先輩が俺に向かって手を振っていた。さっきの声は、西田先輩だったんだろう。

 

 いい試合…。うん、自画自賛だけど、俺もそう思う。今までのバドミントン人生の中で、一番いい試合が出来たと、終わってから思う。

 ここ最近では記憶にないくらい調子が良かったし、ミスらしいミスも殆どなかったし、相手の動きも良く見えてたし、それに加えて戦略の組み立てもかなり冴え渡っていた。

 

(…それでも、負けた)

 

 でも、負けた。勝てなかった。準々決勝を─────遊佐くんを越える事は出来なかった。

 

(…インターハイも、来年か)

 

 ラケットやタオルを鞄に片付けて、その場から立ち去る。

 

 一方、試合に勝った遊佐くんはその場に残り、ドリンクを飲んで体力の回復を図っていた。

 

 この試合が準々決勝の中で最後に終わっていたから、もうこの後すぐ準決勝が行われるだろう。その短い時間でどこまで回復できるかは分からないけど─────まあ、負けた俺には関係のない事だ。

 

 もっと早い段階で負けていれば負け審が待っていたんだろうが、準々決勝からは選手ではなくスタッフが審判を務めるため、俺はこのまま真っ直ぐアリーナを出ていく。

 

「…」

 

 最後に、ついさっきまで試合をしていた、誰もいないコートを一瞥してから。

 

 ホールへと出てきた俺は、ベンチに腰掛ける。鞄を床に置いてから、天井を見上げながら長く息を吐いた。

 

 これから準決勝が行われる。さっき、スタッフの人が準々決勝の勝ち進みを書きに来ていた。

 この場からでも、大きく貼り出されたトーナメント表は見える。針生先輩は勝っていた。

 

(応援行かなきゃ)

 

 まだ勝ち残っている針生先輩を応援しに行かなければ、とは思う。だけど、こんな事を思っちゃいけないって分かっているけれど、行く気が起きない。

 

「─────」

 

 行かないと怒られるよな。でもどうしても…と、その場に座ったままでいると、鞄の中から微かにスマホの音が聞こえてきた。

 

『お疲れ様!負けて悔しい気持ちは分かるけど、学校でもその湿気た顔してたら引っ叩くからね♡』

 

 雛からのlineが来ていた。この分から察するにどうやら、今の俺の状態をどこからか見たらしい。

 それで、似合わない気遣いなんてして、俺をそっとしてくれたようだ。

 

「引っ叩くからね♡って…。そのハート逆に怖いっつーの」

 

 雛に気を遣わせてしまった。だけど、ほんの少しだけ、気分が楽になったというか、胸が軽くなったような気がする。

 

「…応援、行くか」

 

 だからだろうか。さっきまで全く行く気が起きなかった針生先輩の応援へ。

 もしかしたら、俺の敵を討ってくれるかもしれないなんて汚い期待を持ちつつ、観覧席へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言おう。針生先輩がインターハイの出場を決めた。

 なお、針生先輩本人は決勝で兵藤先輩に負けた事を、それはそれは悔しがっていた。

 

 ちなみに、遊佐くんはというと準決勝で兵藤さんと当たり、一ゲームを奪うという快挙を成し遂げていた。

 だけどノーシードから連戦、そして直前の俺とのフルゲームの試合が響いたか、途中で動きが悪くなり、吞み込まれるように兵藤さんの攻撃を拾えなくなっていき、最後は呆気なくして負けていた。

 

(…凄いな。あの兵藤さんから一ゲーム取るんだもんな)

 

 そんな相手から俺が一ゲームを取ったなんて、去年の俺に言ったら信じるだろうか?

 きっと信じない。それでも俺は、ここまで成長する事が出来た。

 

 試合には負けた。でも、針生先輩に勝った時と同じ事を、俺は今思っていた。

 

 今までやって来た事は間違いじゃない。これからも続けていけば、来年は─────絶対に。

 

 そこまで考えた時、気付けばもう家の前まで来ていた。

 

 …そういえば、自分の事で精一杯ですっかり忘れていたけど、千夏先輩はどうなったんだろう。

 

 扉を開けて家の中へと入る。

 

 大丈夫だと信じている。きっと、勝ってインターハイを決めて、今頃は居間で母さんと父さんとじいちゃんにこれもか、と褒められているんだろう。

 

 廊下を通り抜け、台所へと入る。

 微かに開いた襖から、賑やかな話し声が聞こえてきて…その奥で、満面の笑みを浮かべた千夏先輩がいた。

 

「インターハイまでに力つけないと!今夜はごちそうね!」

 

「ありがとうございます」

 

「母さん、今日は寿司にしよう。寿司」

 

「いーや焼き肉…うなぎもええのう…。全部いっちゃお?」

 

「…自分らが食べたいだけでしょ」

 

 聞こえてくる会話から考えるまでもない。千夏先輩の顔を見て分かった。

 

 ─────勝ったんだ。

 

 凄い。有言実行させちゃうんだから、本当に凄いと思う。心の底からそう思う。

 

 なのに─────何だろう、この気持ちは。

 

「っ…!」

 

 今、胸に込み上げてくる気持ちから目を背けるように、踵を返す。

 

 今すぐこの場から離れたい。部屋に戻って、試合のビデオでも見て、とにかく何か他の事を考えたい。

 

 だけど、こういう時に限って思うように事は進んでくれない。

 

「大喜?帰ってるの?」

 

 廊下へ出ようと歩く俺の足音が聞こえてしまったらしい。居間の方から母さんの声がする。

 

 直後、襖が開く音がして─────今、俺の姿を千夏先輩に見られたくなくて、駆け出した。

 

 俺を呼ぶ声がしたけど構わない。とにかくここから出たかった。

 玄関で鞄を投げ出して、靴を履いて外へ出る。

 

 嫌な事が浮かんでくる頭を空っぽにしたい。

 黒い感情が渦巻く胸の中をスッキリさせたい。

 

 こんな時は全力で走るに限る。

 行先なんて考えず、連戦で溜まった疲労なんて関係ない。息を切らしながら走る、走る、走る。

 

(千夏先輩は勝った)

 

 走りながら思う。

 胸の中で渦巻くこの気持ちの正体。逃げるようにして家から出てきたあの時に─────いや、本当は初めから分かってたんだ。

 

(だけど…、俺は負けた)

 

 俺が抱くこの黒い感情の正体は、嫉妬だ。

 

 千夏先輩を祝うべきなのに、こんな醜い感情を抱く俺に途方もない嫌悪を感じながら、今はひたすらに走り続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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