大喜君がバドミントンに本気になるのを早くしてみた   作:もう何も辛くない

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行かないでください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近、目覚まし時計の調子が悪い。たまにセットしておいた時間になっても鳴らない時がある。

 今日、たった今がまさにその時でお陰で少し寝坊してしまった。とはいえ先輩達が朝練に来るまでには充分間に合う。朝飯は…食べてる時間なさそうだし、ちょっと急がないといけないけれど。

 

 電池は取り換えたばかりだし、流石に寿命かな。俺が小学生になった頃から使ってたからもうすぐ十年?思い入れはあるけど、そろそろ買い替え時か…。

 

「おはよう、大喜。今日はトレーナー着てかないの?」

 

「はよ。あったかいから今日はいーや」

 

 先に起きて朝食の準備をしてくれている母さんと挨拶を交わす。

 

「それと時間ないから朝ごはんもいらない。カロリーメイト持ってくから」

 

「ちょっと?ちゃんと食べないと力出ないわよ」

 

「朝練サボる訳にもいかないし、許し─────」

 

 すでにテーブルに置いてあった、布に包まれた弁当箱を取って鞄に入れようとして、同じくテーブルに置かれていた本に目がいった。

 表紙は開かれ、ある程度読み進められていた本はとあるページを開いたままそこに置かれていた。

 

 【栄明高校 鹿野千夏 攻めの姿勢でリングへ一直線!!】

 

 高校バスケの注目選手特集にて、千夏先輩の写真が載っていた。一ページまるまる使われ、千夏先輩の紹介がされていたのだ。

 

「その子知ってるの?」

 

 動きを止め、じっと千夏先輩の紹介を眺めていた俺を振り返った母さんが見つけて問い掛けてくる。

 別に卑しい気持ちなんて一欠けらも持ってないのに、それでも女子の写真を眺めてた所を見つかったからか、小さな罪悪感が湧いてくる。

 

「まあ…。同じ学校の先輩だし、朝練で見かけるし」

 

「あー。バスケ部とバド部は同じ体育館で練習してるのか」

 

 納得いったという表情になった母さんは、視線を上に、どこかを見上げながら何かを懐かしむように口を開いた。

 

「実はその千夏ちゃんのお母さんと昔チームメイトだったのよ」

 

「はぁ!?」

 

「何よ、大声出して」

 

「いや、先輩とは一応知り合いだし…。普通に驚くって」

 

 たとえ知り合いでなくとも、校内のアイドルといってもいいあの人の親と自分の親に繋がりがあれば驚くわ。

 てか、マジか。昨日、千夏先輩の話を聞いてあの人のお母さんが母さんと同じくバスケをしていた事は知ってたけど、まさか栄明のOG、しかも同じ学年だったとは。

 

「世間って、狭いな…」

 

「たまに連絡は取ってたんだけど、千夏ちゃんがこんな立派になってるなんて思わなかったわぁ」

 

 世間の狭さに驚愕する俺を差し置いて、母さんは今の千夏先輩に感慨に耽っている。

 

 実はこの人、俺が知らない間に千夏先輩と会ってたりとかしてたのかな。今も千夏先輩のお母さんと付き合いがあるみたいだし、どこかに遊びに行ったりとか、それこそ互いの家に行ってたりとかしててもおかしくはない。

 …だとしたら、俺が知らない間に千夏先輩のお母さんが家に来てたりしてたのか?或いは覚えてないだけで会った事があるかもしれない。

 

「でも、残念よね。海外に転勤なんて」

 

「─────」

 

 母さんの口から出てきた思わぬ台詞に思考が止まる。

 

 海外?転勤?誰が。

 …千夏先輩が、引っ越す?海外に?

 

「三月半ばには引っ越すんですって。寂しいわぁ」

 

 あぁ…、そうか。昨日、休憩中に見た千夏先輩と女バスの監督が何か話していたあれは、その話をしていたんだ。

 

『今は少しでもボールに触ってたいんだよね』

 

 あの言葉も、こういう事だったんだ。あの時の俺は、この人は本当にバスケが好きなんだな程度にしか思わなかったけど。

 

「まあ、海外行っても連絡は取れるじゃん。それにもう日本に帰ってこないって訳じゃないんだろ?」

 

「…そうね。日本に帰ってきたらまたどこかに遊びに…ううん。むしろ私が遊びに行っちゃおうかしら!」

 

「猪股家の財政に見合った選択をしてくれよ」

 

 海外にいる友達に会いに行くのは良いが、とりあえず家の財政状況の事だけは考慮して選んでほしい。

 その忠告だけしてから、鞄を肩に掛けてリビングを出る。母さんに言った通り、今日は朝食を食べずに家を出る。

 時間の事もそうだが、何だか食べる気になれなかった。

 

 外に出れば、昨日までの冷え込みから打って変わって日差しに暖かさを感じる。

 やっぱりトレーナーを着ないで正解だった。あれ着て登校してたら下手したら汗をかいていたかもしれない。

 いくら暖かいとはいえ、それは飽くまでこの時期にしては、だ。真冬のこの時期に汗なんてかいたらまず間違いなく風邪を引く。

 

 いつもの通学路を行く。

 晴れ渡る青空には雲一つない。

 何とも清々しい朝だ。

 

 だというのに、俺の胸中はそんな朝の清々しさと真逆だった。

 

『でも、残念よね。海外に転勤なんて』

 

 気持ち悪い。千夏先輩が海外に行こうが、俺には関係ないじゃないか。

 

 千夏先輩が海外に行っても俺がしていく事は変わらない。俺の目標は変わらない。

 それなのに─────

 

 行ってほしくない、と思ってしまっている。何故?

 

「…何故って、決まってんじゃん」

 

 少し考えて、すぐに分かった。

 

 千夏先輩が頑張っている姿を見てきたからだ。

 

 負けた悔しさに涙を流しながら、前を向こうとしている姿を。

 

 毎朝一番に来て、誰よりも練習している姿を。

 

 そんな姿を見て、そんな千夏先輩を目標としていたから、行ってほしくないと思うのだ。

 

「…」

 

 校門を潜り、体育館へと行く。

 昨日は開いていなかった扉はすでに開いており、中からボールを突く音が聞こえてくる。

 今日も、先輩よりも先に来る事は叶わなかったらしい。

 

 靴を脱いで体育館の中へと入る。

 扉を開けた音で振り向いた千夏先輩がこちらを見ていた。

 

「おはよう、猪股君」

 

「おはようございます」

 

 千夏先輩から挨拶をしてくるのは初めてだった。先輩からの挨拶を俺も返し、壁際に鞄を置き、中からラケットとシューズを取り出す。

 

 少し離れた所からはまたボールを突く音がし始める。千夏先輩が練習を再開したらしい。

 

 …この人はいつからここにいるんだろう。今日は寝坊したからここに着いたのは少し遅かったけど、先輩の額にはうっすらと光るものが見える。

 

 ドライブ、からの急停止。フリースローラインより少し外れた所から放たれたシュートはしっかりとゴールを捉える。

 眺めている内に、先輩は何度もその動きを繰り返している事に気付く。ドリブルを開始する位置こそ毎回違うものの、急停止する場所、シュートを放つ場所は毎回同じだ。

 

 ─────あ。

 

 何度目か、先輩が同じ場所からシュートを放つ。

 その姿が、()()()()()()と重なった。

 

 ─────そうか。あの日からずっと、先輩は練習し続けてたんだ。

 

 俺が考えていたよりもずっと、千夏先輩は悔しかったんだ。

 一年半経った今でも、()()()と同じその場所からのシュート練習を続ける程に。

 

 ─────そんなに悔しかったのに、何で。

 

 そんなに悔しいのなら。その悔しさを晴らしたいと思っているのなら、何で。

 その気持ちも、今までの努力も全部、ここに置いていけてしまうんだ。

 

「行かないでください」

 

「え?」

 

「海外に。行かないでください」

 

 無意識の内にその言葉は口から出ていた。

 千夏先輩が驚き、目を丸くしてこちらを見ている。

 

「…千夏先輩の家庭の事情に口を突っ込む資格なんてない事は分かっています。でも、千夏先輩がほんの少しでも残りたいと思うのなら。ここでバスケをしたいと思うのなら。俺は行くべきじゃないと思います」

 

「猪股君」

 

「何度も()()()と同じ練習をして─────それくらい悔しかったんですよね?それなら…」

 

「ごめん」

 

 行かない方がいいと思います。

 そう続けようと思った。でもその前に千夏先輩が口を開いた。

 開いた口から出てきたのは、今の俺にとって聞きたくない言葉だった。

 

 謝罪なんて、聞きたくなかった。

 

 だけど─────

 

「海外、行かないんだ」

 

「…今、なんて?」

 

「行かないの。海外」

 

「………」

 

 その謝罪の意味合いは、俺が考えていたものとは大きく違っていた。

 

「…はいぃ!!?」

 

「正確にはね、家族は行くんだけど…。私は知り合いの家に住まわせてもらう事になったの。だから、私は

海外には行かない」

 

「…」

 

 思考がぐちゃぐちゃになって纏まらない。

 何だこれは、一体何が起こっているんだ。

 分からない。分からない、が、ただ一つだけ─────

 

 俺が突っ走った事だけは混乱する頭でも理解できた。

 

「~~~~~っ!ならいいんです!失礼しました!俺はコートの準備してきます!」

 

 捲し立てるように告げて、逃げるように去ろうとした。

 

「凄く悩んだんだよ」

 

 その直前、背後から聞こえてきた千夏先輩の声に立ち止まった。

 

「家族と離れるのはやっぱり寂しいし、私一人でやっていけるのかって不安もあった」

 

 突如始まった千夏先輩の独白に耳を傾ける。

 いきなり何を、なんて思わなかった。ただ何となく、千夏先輩の言葉を最後まで聞くべきだと、何故かそう思った。

 

「だけど、中学の部活を…引退した時の事を思い出す機会があって」

 

「─────」

 

 目を見開く。

 その言葉で思い当たる光景があった。

 

 昨日、千夏先輩と話した中学時代の話。俺が見た、千夏先輩が引退した翌日の事の話。

 

「全国、行きたかったなって。諦めたくないなって」

 

 振り返る。

 振り返った先で、千夏先輩は微笑んでいた。

 

「君が思い出させてくれた。ありがとう、大喜くん」

 

 その微笑みに、目を奪われる。

 が、胸の高鳴りに思わずその微笑みから目を逸らす。

 

 ─────な、なんだ今の…?

 

 初めての経験に戸惑いながら、もう一度千夏先輩の方を見る。

 

「うおっ」

 

 眼前に迫る茶色の塊。一瞬の既視感の後、今度は前回と違い、何とか反応して迫るバスケットボールをキャッチした。

 

 いきなり何をしてくれてるんだこの人は。危うくまた額に直撃するところだったぞ。

 ちょっと抗議してやろうと顔を上げる。

 

「また1on1しよっ」

 

「…はい」

 

 しかし、千夏先輩の笑顔を前に、俺の口から抗議の言葉は出てこなかった。

 

「今度はバドもやりましょう」

 

「うん、いいよ!」

 

 結局、朝練の事も忘れて俺は千夏先輩との1on1に興じた。

 昨日のように俺は千夏先輩にボコボコにされたけど、昨日とは違ってどれだけ打ちのめされても悔しさや情けなさという感情は浮かばなかった。

 

 代わりに、千夏先輩との1on1が楽しくてしょうがなかった。千夏先輩は1on1中ずっと楽しそうに笑っていたし、俺も笑っていたと思う。

 楽しくて仕方がない1on1は、他の先輩が体育館に入ってくるまで続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何やってんだ俺…。何やってんだ俺!」

 

 翌日の朝。俺はベッドの上で悶えていた。

 なお、昨日の夜も同じようにベッドの上で悶えていた。

 二日連続で悶えてしまう程に恥ずかしかったのだ。

 

 昨日の俺の恥ずかしい台詞達が脳裏を過る。その度に強烈な羞恥心が襲い掛かってくる。

 

「ぐぉぉ…ぐぉぉぉぉぉぉ…っ」

 

 今まで生きてきた十五年間で出した事のない声を出しながら頭を抱える。

 今日が日曜日でよかった。学校もそうだが、日曜日は部活が休みの日でもある。昨日の今日でまた千夏先輩と顔を会わせていたら─────俺は恥ずか死していた自信がある。

 

「…起きよう」

 

 時刻は九時半過ぎ。部活も予定も何もないし、このままベッドでごろごろしてても良いけどそんな気分じゃない。

 それにお腹空いたし…母さん、用意してくれるかな?

 

 ベッドから降り、一度大きく背中を伸ばしてから部屋を出る。階段を降り、リビングへと入る。

 

「おはよう」

 

「あ、はい。おはようございます先輩」

 

 リビングに入ると、台所に立っていた()()()()が俺の方を見て挨拶をした。

 俺も千夏先輩に挨拶を返してから、まずリビングを通り抜けて洗面所へと行く。

 

 お腹は空いたが、とりあえずまずは顔を洗わなければ。

 引き出しからフェイスタオルを取り、近くの棚の上に置いてから水道の蛇口を捻って水を出す。

 出てきた水を両手で掬い、顔にバシャバシャとかける。

 

 ある程度顔を濡らしてから、いつもの洗顔料を適量掌に載せ、顔に塗る。

 優しく擦らないよう、手で揉むようにして顔を洗う。

 顔全体に泡が行き渡り、一通り揉み終えてから再び顔に水を掛けて泡を流す。

 額、頬、口周り、顎としっかりと泡を洗い流してから水を止め、近くの棚の上に置いといたフェイスタオルで顔を拭く。

 

 だけど驚いたな。千夏先輩が家にいるなんて、一体何の用なんだろう?

 

「…ん?」

 

 ふと、今考えた事に引っかかりを覚えて顔を拭く手の動きを止める。

 

 何だ、どこに引っ掛かったんだ?思い出せ、俺はさっき何を考えた?

 

 …あ。

 

「っ!!?」

 

 ぐしぐしとタオルで顔を拭いて水気を取ってからタオルを投げ捨て洗面所から駆け出る。

 

 勢いよく扉を開ける。その音に驚いたのか、リビングにいた人達が驚いた顔でこちらに振り向く。

 

「大喜!どうしたの、騒がしい」

 

「い、いや…。だって…、えぇっ!?」

 

 リビングにいる三人。一人は俺の母親。そしてもう二人は千夏先輩、と、先輩によく似た─────先輩がもっと大人になったらこうなっているんだろうと思わせる、恐らく千夏先輩のお母さん。

 

「な、なんで千夏先輩がここに…」

 

「なんでって…。大喜くん、聞いてないの?」

 

「聞いてない…って、え?」

 

 きょとんとした顔で千夏先輩が言う。

 どういう意味かさっぱり分からず、思わず母さんの方へと振り向いた。

 

「話してなかったの?」

 

「だってこの子、さっさと寝ちゃうんだもの。話す暇がなかったのよ」

 

「…おい、母さん」

 

 千夏先輩のお母さんが問い掛け、母さんが溜め息混じりに答える。

 この会話でどういう事か分かった。多分、今千夏先輩がこの家にいる事情を母さんは…俺以外の家族は知っている。

 

「じゃあ、改めてあんたにも説明してあげるわ。こちら、鹿野千夏ちゃん」

 

「知ってる」

 

「話は最後まで聞きなさい。千夏ちゃんは春から家に住む事に決まったから、挨拶に来たのよ」

 

「…は?」

 

 母さんの隣で千夏先輩のお母さんが俺にどうぞよろしく、とお辞儀をしている。

 

 え?えぇ?何を言ってるんだ?千夏先輩が家に住む?春から?

 

「よろしくね」

 

「…」

 

 千夏先輩が言っていた、知り合いの家に住む事になったって…そういう事だったのか?

 いや、え?何で?どうしてそうなった?

 

「本当に助かるわ~」

 

「いいのよ。元チームメイトじゃない」

 

「さっすが名センター!」

 

 何だか盛り上がってる母親組。

 一方、俺達子供組は…というより俺はそれどころじゃなく。

 

 ─────わ、訳が分からない!

 

 とにかく事態を受け止める事に必死だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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