大喜君がバドミントンに本気になるのを早くしてみた 作:もう何も辛くない
中学を卒業し、高校入学までの間春休みに入る。
いつもより早く起き、いつもより早く準備して今、いつもより早く体育館に行くべく玄関で靴を履く。
靴を履きながら、靴下からはみ出たミサンガが外から見えないよう直してから立ち上がる。
「あれ?もう行くの?」
その直後、背後から近付いてくる足音と共にこちらに話し掛ける声がする。
「春休みなのに早いね」
「春休みだから、先輩達が来るのが早いんですよ。だからその分早く行って準備を済ませとかないと」
振り返ると、首を傾げてそこに立っている千夏先輩がいた。
まだ部屋着のまま、ラフな格好をしている千夏先輩。こんな先輩の姿を見れるなんて、ファンの人達からすれば嫉妬待ったなしだろう。
別にファンじゃない俺でもちょっと贅沢に思えるくらいだし。
「いってらっしゃい」
「…はい。いってきます」
外に出ようとする俺に、千夏先輩が声を投げ掛けてきた。
予想外のその言葉に詰まりながら、何とか平静を保って返事をする事が出来た。
だって、血の繋がりのない異性以外に「いってらっしゃい」とか言われた事ないし!しかも少し憧れに近い感情を向けてる対象に言われるとか!普通にドキッとするわ!
─────でも…、もし先輩みたいな姉がいたらこんな感じだったのかな?
千夏先輩が家に住むようになってから一週間。少しずつだが家の生活に馴染んできたように見える。少なくとも初日程緊張はしていないとは思う。
母さん達も…特に母さんは千夏先輩を本当の娘のように可愛がっている。というより実の息子の俺よりも可愛がってるんじゃないだろうか?多分。
買い物を頼む時とか千夏先輩の時と俺の時と態度が違いすぎるし。俺に頼む時とかめちゃくちゃ雑だし。
「って、そうじゃない。急げ急げ」
外に出てから立ち止まったままずっと考え事をしてしまった。早く行かなければ先輩達が来るまでに準備が間に合わなくなる。
バッグを肩に掛け直してから足を前に踏み出し走り出す。
─────あ、そういえば。
そして、走りながらふと思った。
─────千夏先輩より早く体育館に行くのって、これが初めてだな。
「ありがとう、ございました…っ」
三分間の地獄のノックを終え、ノッカーに挨拶をしてからコートを出る。
ひたすら動かし続けた両足が悲鳴を上げる。心臓が酸素を求めて激しく動く。
この後は三分、次の人がノックを受けている間休憩になる。休憩が終われば今度は俺がノックを出す番になり、そしてまた俺がノックを受けるというローテーションだ。
「おっつかれっ」
「ごふっ」
乱れる呼吸を整えていると、突然背中に強烈な衝撃を受けた。
何事かと振り返ると、そこには右腕を振り抜いた体勢でいる雛の姿があった。
その体勢を見て─────というより後ろにこいつがいる時点で犯人はもう確定的だろう。
「何すんだ!」
「にしし、私からのありがたい張り手エールの感想はいかが?」
「普通に痛いだけだっつうの!」
なーにがありがたい張り手だよ…。さっきも言ったけど痛いだけだよ。
まあこういう遠慮のない性格だから雛とここまで仲良くなれたんだろうけど。
「大喜は休憩中?ならちょっと水飲みに行かない?」
「…まあ、いいけど」
俺の抗議は無視ですか。別に気にしてないけどさ、こいつといい匡といいベクトルは違えど俺の友達は遠慮のない奴ばかりだな…(白目)。
雛と並んで体育館を出る。休憩の時間はそう残されていないけど、水を飲んですぐに帰ってくるだけなら普通に間に合うだろう。
と思いつつ遅れたら練習の流れを阻害する事になるんで少し早足で雛と一緒に体育館を出る。
「「あ」」
出た所で、バッタリと、体育館に入ろうとしていた千夏先輩と対面する。
二人同時に立ち止まり、目を見合わせる。かと思うと、千夏先輩はハッと何かを思い出したような表情を浮かべると口を開いた。
「そうだ。家に財布をわ「ああああああああああああああああああああああっ!!!」」
千夏先輩からすれば親切で言ってくれてるんだろうが状況がまずい。何故ならすぐそばに雛がいるからだ。
家に忘れた俺の財布について千夏先輩が知っているなんて、事情を知らない雛からすれば不自然極まりない。そこから追及されれば言い逃れる術はない。
「どっかに落としたと思ってたんですよ!拾ってくれてありがとうございます!練習終わったら返してくれませんか!?」
雛に知られたらどうなるか─────考えるだけで面倒臭い。
それはそれは面白がりながら千夏先輩との同居生活について聞いてくるんだろう。そんな面白い話なんてこれっぽっちもないのだが、それでも構わず問い詰めてくるに違いない。
そして、面白がりながら騒ぐ雛から話が周囲に伝わり、そしてバド部やバスケ部や野球部とかにボールにされてしまうんだ。
…それだけは避けなければ!俺はまだ生きていたい!百歳まで生き残るのが俺の人生の目標なんだ!
「…分かった。それじゃあ、もし先に練習終わったら校門の所で待ってるね」
「─────」
千夏先輩がニッコリと笑顔、されどどこか影を感じさせる笑顔を残してから俺の横を通り過ぎていく。
─────もしかして今俺、感じ悪かった…?
いや、もしかしてじゃなく間違いなく感じ悪かっただろう。
当然だ。事情が事情とはいえ、財布を届けてくれた人の言葉を無理やり遮ったのだから。
多分、千夏先輩に俺の意思は伝わった筈だ。…だけどもしかしたら、怒らせてしまったかもしれない。
「…?」
不意に肩を叩かれる。千夏先輩が去っていった方だ。もしかしたら、と思いながら振り返る。
「会話できるなんて…成長したっすね、兄貴」
「兄貴じゃねぇ。てかそのキャラ何故かデジャブ感じるな」
俺の肩を叩いたのは何の事情も知らず、呑気に感動している雛だった。
そんな雛にデジャブを覚えながら少し─────いや、割とだいぶイラっと来た俺だった。
「お前さ、同居の事を秘密にしたいって先に話しとけよ」
「それな。ホントそれな」
午前の練習が終わり、一時間の昼休憩に入った所で俺は匡にさっきの事について相談していた。
粗方さっきの出来事について話した後の匡の反応があれだ。
「…やっぱマズいよな」
「マズいっていうかそんな急に避けられたら千夏先輩は色々思うだろうな。
「─────」
いや、匡は盛ったと言うけれど決してあり得ない話じゃない。少なくとも前者については間違いなく思われただろう。
だとすれば、千夏先輩がやっぱりインターハイは諦めて両親の所に行く、と考え直してしまう事だってあり得てしまう。
「それだけは…それだけは避けなくては…」
「?何か知らんけど、誤解解ければいいな」
匡が首を傾げながら俺にエールを送る。そのエールを力に変え、どうやって誤解を解こうか頭脳をフル回転させる。
「あ、君達」
フル回転させた思考は不意に現れた男教師によって一瞬にして途切れた。
「何ですか?」
「これ運ぶの手伝ってくれ。来週の入学式で使うからさ」
男教師に呼び掛けに匡が対応すると、男教師は壁に立て掛けられたパイプ椅子を指差しながら続けた。
「俺らも新入生なんですけど」
「そうか。おめでとう」
「「…」」
俺も匡も何も言わなかったけど、多分この教師に対して同じ事を思っていたと思う。
─────何だこいつ。
入学式の準備を新入生に手伝わせるってどうかしてるだろ。俺でさえこれなんだ、匡はもっとえぐい事考えてそうだ。
「お、そこの君達も」
メンドクサイ。貴重な休憩時間をどうして入学式の準備に費やさなきゃいけないんだ。そう思いつつ拒否権はないんだろうなと考え動き出そうとした、その時だった。
俺達にパイプ椅子を運ぶよう言った男教師が俺達の背後に目を向けながら口を開いた。それに釣られて俺と匡が振り返ったそこには─────
「「え」」
「え」
突然呼ばれて戸惑う、階段から丁度降りてきた雛と非常口から丁度入ってきた千夏先輩がいた。
「…俺パス」
「そうはいかんざき」
逃げようとした匡の襟元を掴んで逃がさず、頼んだぞと言い残して俺達に丸投げしていった男教師に内心恨み言を言いまくりながら、とりあえず言われた通りにパイプ椅子を運ぶ事にする。
「めんどいー」
「同感。あいつは絶対に許さないリストに追加した」
「おー。久々だね、匡君の絶対に許さないリストに入る人が増えたの」
後ろで呑気に会話してる二人を他所に、巻き込まれたにも関わらず文句一つ言わずにパイプ椅子を持つ千夏先輩に近付く。
「あの、一つ持ちましょうか」
「うん。ありがとう」
「…」
とりあえず最初の一言を足掛かりにどうにか誤解を解く流れに持っていこうとしたのだが、失敗。
千夏先輩はお礼を言いながら俺にパイプ椅子を渡してソッポを向いてしまい、会話はそこでバッサリと切られてしまう。
…もしかして、怒ってる?あまり表情が変わらないから分かりづらいけどもしかして怒ってる?
いや、空気を読んで他人の振りをしてくれてるんだきっと。雛だっているし、そうに違いない。まさかあれで嫌われるなんて─────雛?
何故かいい笑顔でこっちに向かってサムズアップをする雛。何だあいついきなり。
かと思うと、雛は小走りで千夏先輩に近付き、その隣に立つと口を開いた。
「あの、千夏先輩ですよね?私、蝶野と申します。一つ質問してもいいですか?」
「うん?いいけど、どうしたの?」
「先輩って彼氏とかいるんですか?」
吹き出しそうになるのを堪えた俺を褒めてやりたい。つうかこいつ、なに、え、は、マジで何?
「あいつ何であんな謎の度胸あんの…?初対面の人、しかも先輩に普通あんなこと聞くか…?」
「…新体操部だし」
「意味分かんないし…!」
雛の謎の度胸に戦慄しつつ二人の会話に匡と共に耳を傾ける。
何だかんだ興味はある。千夏先輩に彼氏がいるなんて話は聞いた事はないが、もしいるとしたらその彼氏が今の千夏先輩の状況をよく思ってなかったりするかもしれない。
それにそういうのをナシにしても、学校の有名人である千夏先輩の恋愛事情には少し興味ある。趣味は悪いかもしれないけど。
「?いないよ」
「欲しいとは思わないんですか?一緒に帰ったり、遊びに行ったり」
いや喰い下がるなこいつ。彼氏いるかいないか聞くだけでも凄いのに、そこまで掘り下げるか?
「今は部活で精一杯だから」
「─────」
雛の問い掛けに間髪置かず、迷いのない笑顔で千夏先輩はそう答えた。
分かり切った答えだ。それでも俺は息を呑む。
何故ならそれは、両親と離れ離れになってでも叶えた目標がある、その上での返答なのだから。
そして、その事を俺は知っている。だからこそ、千夏先輩の微笑みを前に俺は改めて驚かされるのだ。
この人の強さに─────
「っ…、っ…、っ…!」
「…」
それはさておいて、気まずそうに俺と千夏先輩の顔を交互に見る
てかマジで違うっつーの。千夏先輩の誤解を解くのは早急にするとして、こいつの誤解も早めに解かないととんでもない事になるかもしれない。
「つっ…!?」
ちょっとした事故は、午後の練習が始まって少しした時に起きた。
午後からのアップを終えてから、スマッシュ練習が行われていた。
高く上がったシャトルを見上げ、コートの向こうにいる相手の位置を見ながら狙いを定めてラケットを振り抜く。
打ち下ろされた打球は拾われ再びシャトルは高く上がる。シャトルを見上げながら落下地点へと移動する─────その時だった。
時期は三月、外はまだ寒さが残り、体育館の中にもその名残はある。
とはいえコート内を縦横無尽に駆け回り続ければ当然体の熱は上がり、汗が流れる。
まだ三月だし、という油断もあったかもしれない。夏の間は床に落ちた汗で足を滑らせないよう細心の注意を払うのだが、それが散漫になっていた。
その注意の散漫さが今回の事故を引き起こす。
「大喜!」
俺自身、少し背筋に寒気が奔った。傍から見れば俺が思ってるよりも派手な転び方だったのかもしれない。コートの向こうに立っていた先輩が血相を変えてこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「大丈夫か?」
「…はい。ちょっと足捻りましたけど、痛みは特にありません」
先輩の問い掛けに対し、立ち上がって転んだ際に捻った方の足を動かしながら答える。
動かしても特に痛みはない。まだ転んだばかりだけど腫れもないし、問題はないだろう。
という事で練習を再開しようとするのだが─────
「バカ、お前は少し休憩。時間を置いても痛みが出ない事を確かめてからな」
監督にそう言われては仕方ない。とはいえ納得は出来ないままコートを出て先輩達&匡達中学生組の練習を眺める。
…。
………。
…………暇だ!
見るのも練習とはいえ、暇だ!うずうずする!何で痛みもないのにじっとしてなきゃいけないんだ!
「暇そうだな大喜。ちょっと水汲んできてくんね?」
「…はい、行ってきます」
俺が暇に感じているのを察して、先輩がいい笑顔を浮かべて大量の空のボトルが入った籠を差し出してくる。
ちょっとイラっとしつつ、しかし何もする事もないため籠を受け取って体育館を出る。
体育館を出て水飲み場に行き、足下に置いた籠から一つずつボトルを取って中に水を入れていく。
「大丈夫?」
何個目かのボトルに水を入れようとした時だった。
こちらに話し掛ける声と共に、視界の端で亜麻色の髪が一瞬揺れた。
動きを止めて振り向くと、こちらを心配そうに覗く千夏先輩が立っていた。
「えっと…?」
「足。さっき転んでたし、コートから出されてたから」
「あ、あぁ…。派手に転びましたけど別に痛みはないですよ。コートを追い出されたのも念のためってだけですから」
てっきり怒ってるのかと思った。でも、こうして俺を心配して話し掛けてくれてるって事はそうじゃない?
だとしたらやっぱり、今までの態度は…俺のために空気を読んでくれてたのかな。
…。
「あの、すいませんでした」
「え?どうしたの、急に」
「急にはこっちですよ。…あんな態度とって、すいませんでした」
先輩がこちらを向く。それを見てから、謝罪を続けるべく口を開く。
「先輩は思ってる以上に影響力あるから、もし同居の事がバレたらあることないこと騒がれて部活どころじゃなくなると思ったんです。でも、やっぱりいきなりあんな態度を取られたらいい気はしないでしょうし。だから…、すいませんでした」
俺なりに誠意を込めて謝ったつもりだ。体を千夏先輩の方に向けて、頭を下げて。
だけど、千夏先輩からの反応はなかなか返ってこない。不思議に思い、顔を上げて千夏先輩の顔を見る。
「…どうしました?」
千夏先輩は大きく目を丸くして、驚いた様子で俺を見ていた。
何に驚いているのか検討がつかず、どうかしたのか問い掛ける。すると─────
「大喜くんが同居の事を隠そうとしたのって、あの新体操部の子のこと好きだからだと思ってたから」
「…はい!?」
「だってあの子の前で他人の振りしだしたし」
いやいやいやいやいや、はい!?何故!?Why!?どうしてそうなる!?
「彼氏いるか聞かれたのも探り入れられてるのかとって。好きな人に同居の事隠したいのは分かるから。怪しまれないよう大喜くんと距離置こうと思って」
まさかの勘違いの仕方。こうなるとは思わなかった。
千夏先輩は続けて
「…ぷはっ」
「え?」
つい笑みを噴き出してしまう。だってしょうがないじゃん、何だよそれ。
「先輩、バカでしょ。…あははっ」
「む」
驚いて目を丸くした後、俺にバカと言われてムッとした表情になる千夏先輩。
そうした一つ一つの所作すら今の俺にはツボだった。
だって…、いや、可愛すぎだろ。
「笑いすぎ」
「す、すいません。…ぷっ」
「…もう知らん」
「あ、すいません。もうホントに笑いませんから」
頬を膨らませながらソッポを向く千夏先輩。今度はさっきとは違い、機嫌を損ねてしまったらしい。
慌ててもう一度謝るが、つん、とソッポを向いたままの先輩。それを見ながら何度も謝る。
先輩を怒らせてしまったけど、何故だろう。頬を膨らませる千夏先輩も可愛くて、どうしても頬のにやけを止められなかった。
そして、それを見た先輩がまた笑われたと勘違いしてまたソッポを向く。
そうして何とか先輩の機嫌を直せたのは、女バスの休憩が終わるギリギリの時だった。
もう少しで部内戦のVS針生先輩が書ける…!