そして僕らは殺意を抱く   作:木下望太郎

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第13話  君を斬りたくて、斬りたくて

 

 僕はすぐにそちらへ駆け出す。道の角、生垣の陰から顔をのぞかせて様子をうかがった。

 

 部活にでも行くのか、永塚は制服を着ていた。見慣れた、僕の学校の制服。背格好も二つに分けてくくった髪も見覚えがある。

 さらに身を乗り出そうとして、生垣に体が当たった。枝が揺れる音に気づいたのか、永塚がこちらを振り向く。

 すぐに身を隠したので、向こうに見られてはいないはずだが。枝の隙間から見えたその顔は間違いなく永塚だった。

 

 心臓が破れそうだった。胃の底が熱かった。喉が渇いて、唾を飲み込む。

 

「やんのか」

 後ろから突然イヌイに声をかけられ、飛び上がりそうになった。どうにか息を整え、それでも切れ切れに言う。

「ああ……けど、僕がやる……君は、手を出すな」

 

 刀のバッグを肩から下ろし、ジッパーを開けた。刀の柄が中から顔をのぞかせる。左手でバッグごと鞘をつかみ、右手を柄の辺りにかぶせて、いつでも刀を抜けるようにする。バッグごしに感じる、柄と鞘の硬い感触。

 

 いつやるか。ここでは人目につくおそれがある、せめて住宅街を抜けるまで待つべきか。だが、永塚が学校にいくなら歩きではないはず、ここからは距離がある。おそらく駅かバス停に行くのだろう。そうなっては殺せない、危険だとしても今のうちにやらねばならない。

 

 後をつける。足音は消せている、はずだ。だが自分の鼓動が、荒い呼吸の音が永塚に聞こえていないか気になってしょうがない。手が震え、刀が鞘の中で軽い音を立てる。その音に自分で驚いて、さらに刀が暴れた。

 立ち止まり、呼吸を整える。肩に、脚に、つま先にさえ力が入っている。腕がひざが、指がこわばっている。柄も鞘も不必要に強く握りしめてしまう。大きく息を吸い、ゆっくりと強く息を吐く。その吐息すら震えていた。

 

 唇を噛みしめ、かぶりを振った。歩きながら目を閉じる。

 落ち着け。落ち着くんだ、ほら――殺す相手はそこにいる。そして刀はここにある。それだけ、ただそれだけだ、僕よ。それだけで、為すべきことは分かるだろう? 

 

 目を開ける。歩いていく永塚の後ろ姿が見えた。頭の横に垂らされた黒髪の房、それが揺れるたびに躍る白い光沢。髪と制服の間にのぞく細い首、白いうなじ。男のそれとは違う小さな肩。肉付きの薄い背中、いかにも貫きやすそうな。素早くは逃げられそうにもない、細い脚。

 

 この、すぐにでも殺せそうな生き物が。踏みにじったのだ、僕を。その脚、刀の一振りで小枝のように折れそうな脚が、僕の中を踏みにじった。汚れた靴で遠慮もなく、汚物をなすったような足跡をつけた。あのときに。

 

 心臓が大きく一度脈打った。血が僕の中を駆けた。胸から頭、頭から腕、指先、腹、腰、脚を通ってつま先まで。鼓動はそのまま打ち続けた。

 足音を忍ばせたまま歩調を速め、距離を縮める。

大きく息を吸い、腹に力を込めた。手を柄にかけ、足を踏み出そうとして。

 

 その足が止まった。地面に張りついたみたいに動かなかった。手も、柄にかかったまま動こうとはしなかった。

 

 腹の底から息をついた。今さらのように腕が震え、体から力が抜けた。斬りかからなかったことを、全身が安堵していた。

 

それが許せなかった。

 

 顔面を歪め、引きちぎるような力を込めて唇を噛む。血がにじむ。鉄のような苦味と生臭い匂いが口に満ちた。

 何をしている僕よ、何をしている。この味を、匂いをあいつに教えてやれ。僕が味わったこれを、あいつ自身の血で。

 

 柄を引き、刃をわずかに鞘からのぞかせた。そこに親指を押し当てる。皮膚が押され、肉がたわみ、やがて裂ける。みちり、と細胞の破れる感触を残して。

この痛みを。教えてやろう、何十倍にもして。

 

 指の傷からにじむ血をなめた。ほんの浅い傷だったが、血は止まる気配がなかった。再び、心臓が強く脈打っていた。

 

 殺そう。

 

 そう思った僕に震えはなかった。鼻から息を吸い込み、口から吐く。深呼吸ではなく、ごく普通の吐息。一歩、大きく踏み出す。

 

 そのとき、永塚の足が止まる。髪の房が揺れる。こちらを振り向く。眉根を寄せ、軽くにらむような顔で。

「あのさ。何なのかなーさっきから。宇佐見くん、だよね」

 

 僕は口を開けていた。右手は柄から離れていた。

 

 永塚は腰に片手を当て、面倒そうに息をつく。

「何か用、ずっとついてきてさ。何かハァハァ言っててキモいん――」

 そこまで言って、永塚は決まり悪そうに笑った。

「ごめん、今のなかったことにしといて。……あー……」

 髪に手を当て、何か考えるような顔をして、それから笑った。僕の顔は見ようとしなかった。

「前のあれ、あれはちょっと、ごめん、ていうか。うん、ごめん」

 僕は口を開けたままだった。鼓動は小さく、しかし速かった。

 永塚が顔を上げて笑う。

「でもほら、私は他、何にもしてないしさ。他の子たちみたいには」

 

 僕の顔がそのままの表情で固まる。

 何もしていない? 何もしていないだって? そんなわけはない。そんなわけはない、踏みにじられた。

 手に力がこもる。バッグごしに鞘を握りしめる。

 

「用ないんならもう行くよ? じゃあ」

 永塚が後ろを向き、歩き出した。

 僕は潰すような力を込めて柄を握った。音を立てないよう、ゆっくりと刀を抜こうとした。

 

 そのとき、永塚が肩越しに振り向いて僕を見た。

「他の子にした方がいいんじゃない? もし、殴るとかならさ」

 僕の手が止まった。柄を握ったそのままの体勢で、力だけが全身から抜け落ちていた。何度もまばたきをした。

 

 そうじゃない、そうじゃないんだ永塚。殺したい、誰でもいいんだ。君だけが悪いわけじゃない、それは知っている。誰でもいいから殺したい、踏みにじって見下ろしてやりたい。

 

 そう考えた瞬間、胸の中が冷たくなる。

誰でもいいのなら。なぜ僕は、あのクズどもを殺そうとしない?

 

 復讐ではないから奴らを殺さない、それはいいとしよう。僕の優越を確認するため誰かを殺す、それもいいとしよう。だが、だったら。『この殺人は復讐ではない』そう考えたのはなぜだ? それは『僕は敗者ではないから』。なぜなら『奴らは勝者ではないから』。

 だったら。僕と奴らの間に、最初から勝敗の関係はない。なら。『僕が奴らに何をしようと、復讐ではない』のではないか? なのになぜ、僕は奴らを殺そうとしない? 奴らの死をもって、直接僕の優越を確認しようとしない? どうしてそれを考えつきもしなかった? 

 

 僕は思い出す、奴らの視線がこちらを向くたび、息をひそめてうつむいたことを。決して目を合わさなかったことを。あれは、合わさなかったのか? 合わせられなかったのか?

 僕は僕という城の中で籠城していたはずだった。だが、それは籠城戦だったのか? それとも、城の外へ出られなかっただけなのか?

 

 唾を飲み込んだ。喉が動くのを感じた。手が震えた。

 気づけば、走り出していた。もと来た方向へ。声を上げたかったが、永塚に聞かれたくなかった。

 かなり走った後叫ぼうとしたが、胸が詰まってできなかった。息が切れてできなかった。

 

 

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