そして僕らは殺意を抱く   作:木下望太郎

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第2話  宇佐見夏樹は死にたかった

 

 僕――宇佐見(うさみ) 夏樹(なつき)――は死にたかった。正確に言えば、『死んでみようかな』『死ねるといいな』といった感じ。ある少年殺人者は自分を『透明な存在』と語ったそうだが。陳腐なことに、僕もちょうどそういう感じ。

 

 で、分からないのは、だ。透明なはずの僕を、なぜ放っておいてくれないのか、だ。

 なぜ僕の上履きの中に濡れぞうきんが突っ込まれているのか。なぜ机の中に入れていた教科書に見知らぬ落書きがあるのか。アホだの死ねだのどーでもいいことが書かれているのか。戦時中の検閲でもあるまいし、教科書の本文がなぜ黒々と消されているのか。妙にくっついたページがあると思ったら、なんでまた鼻クソなんかがくっついているのか。どうして僕のときだけ、掃除当番が実質僕だけなのか。なぜ僕の弁当にほこりと虫の死骸がまぶされているのか、窓のサッシの隅にたまってるような。なぜ僕の言葉に答えない? 君らの出来の悪い耳は、脳ミソは、僕の言語に非対応なのか? なぜ、便所の虫を見るように僕をちらりと見て目をそらす? ゴキブリは君らだろうが。

 実にありがち。陳腐にしてチープ。腐ってる糞。(やっす)いお脳した奴らが考えそうな普通のこと。

 

 とはいえ、だ。それも一年以上続くと、僕の脳にまで腐敗が侵攻してくるらしい。ぼうっとしていることが多くなった。まれにだが、記憶のない時間がある。食欲はない。かと思えば、猛烈に腹が減る。食っては、下す。もしくは吐く。親には『中学になってから痩せたね』と言われた。のんきな話だ。

 そうして僕は、僕という城の中での籠城戦を展開した。クラスという集団にいながらも、僕一人が透明な城壁の中にいた。奴らがこちらを向くたび、目を伏せて視線が通り過ぎるのを待った。目に見えない城壁の陰で。

 

 誰にも助けは求めなかった。そうすることは、助けられることは僕の生き方ではなかった。学校は休まなかった。引きこもるなんてのは敗者の所業でしかない、僕にはまるでふさわしくない。本気で腹が痛んだり熱があるときはさすがに休むが。そういったときは、休んでしまえば症状は消えた。しかし、たまに見舞いと称して糞のような奴らが来ることもある。油断はできなかった。

 一年あまり僕は静かに、ごく静かに、一言も言わず一歩も引かず籠城した。似たような戦なら小学生のときにも長く経験していた。いわば百戦錬磨。

しかし、だ。大坂の陣、島原の乱の例を見るまでもなく、籠城というのは援軍の当てがあるときにだけ有効な戦術。そして援軍の見込みはなし。

未だ刀折れても矢尽きてもいないが。ぼちぼち落城かなぁ……そういった空気が僕の城内に漂い始めていた。

 

 疲れた、疲れました、つーかーれーまーしーた。馬鹿どもの相手をしてあげるのは。そう考えるのは別に苦ではない。

その馬鹿どもに何もできない自分。死にたくなるのはそれを想うときだ。

 今日はそんな気分だった。だから学校の帰り、こんな所まで歩いてきた。通学路でもなんでもない街外れまで。なんとなく、ふらふらと。そして折りよく人目もなく、ちょうどいい橋があったから『死ねるかな』と思ってやってみた。やってみただけなのに、このバカが突然押しやがったのだ。

 

 とはいえ。こいつが来なかったらどうしていたかは、自分でも分からない。

 

 

 

 

「ま、狭いし汚ぇけどよ、上がって上がって」

 そのバカがそう言って案内した所は、確かに狭くて汚かった。というか、家

ですらなかった。

 

 川原に投棄されている、ボロッボロに錆びたワゴン車。横のドアには工具で無理やり開けたのか、親指が通るくらいの穴が汚く開いていた。穴には細い鎖が通され、その鎖は南京錠でつながれている。どうやら、外から鍵を閉めておくためのものらしい。助手席のドアにも同じような鎖と錠がついていた。

 男はポケットから、キーホルダーにつけられた鍵束を取り出す。そのうちの一本で錠を外すと、引きずるような音を立ててドアを開けた。中から湿った空気が流れ出る。わずかにカビのにおいがした。

 

 上がり込んだ男に続いて、頭だけを突っ込んでみる。中は薄暗かった。横と後ろの窓はカーテンが閉められており、運転席と助手席の窓、フロントガラスには段ボールが貼りつけられていた。座席はすべて背もたれを大きく倒されている。その上に毛布やら大きなビニール袋、空き缶や弁当の空き箱が散らばっていた。隅の方の段ボール箱には、開封されていないジュースや缶詰が乱雑に詰め込まれている。

 

「……何ここ」

 思わずつぶやくと、男が座席の上であぐらをかいて言う。満面の笑みを浮かべて、鼻が詰まったような声で。

「まったく、しょほがなひなぁのび太くんはぁ。ペケペペン! ひ~み~つ~ち~き~! フワンフワンファ~ファ~」

 男は腹の辺りを探る動作をして、片手を上げてみせた。

 

 何秒か経ってから、ようやくドラえもんのモノマネだと気づいた。

「……何だよ、秘密『ちき』って」

「ツッコむのそこかよ!」

 男はものすごい勢いでこちらを向き、甲ではたくような形で手を繰り出した。続けて言う。

「それよっか先、ドラえもんかよ! とか、効果音まで口で言うのかよ! とかツッコめよ、空気読めよ」

 

 小さくため息をついて僕は言う。

「君こそ空気読んで動け。君んちに連れてってくれって言ったんだ。なんで秘密基地なんだよ、小学生か君? それともここが家だってのかい」

 

 男は笑って拳を突き出し、素早く手前に引いた。ガッツポーズでも取るみたいな動作で。同時に反対の手を、挙手するように高く上げた。

「イエス・家っす! ここが家っす!」

 

 僕は眼鏡を指で押し上げた。また何秒か考えて、ようやく男の言いたいことが分かった。

「つまり……ここが自分の家ですとそう言いたいわけか」

 男はまたはたくように手を繰り出す。懇願するような、しかし演技がかった表情で。

「ツッコめよ! 恥ずいだろうがスルーされっと。まーともかく、ほれ」

 

 男はビニール袋の中を探り、何かを取り出してこちらへ放る。バスタオルだった。

 果たして衛生的に大丈夫なものか気になったが、男はもう一つ出したタオルでがしがしと頭を拭いている。濡れたままよりはましだと判断して、僕も頭を拭いた。座席に座り、ドアを閉める。座席は妙に湿っていた。

 

 男はタオルをかぶったまま震えながら言う。

「うッは、(さっび)ぃ。今ごろ冷えてきたわコレ、本格的に。着替えるか、ジャージぐらいなら貸してやるよ」

 男は制服を脱ぎ、ネクタイを外す。シャツを脱ぎ捨て、向こうを向いてズボンとパンツを一緒にずらした。いやに白い尻が視界に入る。

 

 さすがに見たくもないので逆方向を向く。運転席の方には、後部座席と同じように何か入ったビニール袋や、カップ麺や弁当の空き箱、空き缶、マンガ雑誌なんかが適当に積み重ねられていた。単に捨てられているというのではなく、大ざっぱながら整理されている感じはある。

 

「悪い知らせがあンだが」

 トレーナーとジーンズに着替えた男はそう言って、シャツと上下のジャージを放り投げてきた。沈痛な面持ちで、視線をうつむけて首を横に振った。重々しい口調で続ける。

「……パンツは、貸してやれねぇ」

「や、貸していらないから」

 男は鼻で息をつき、顔を上げて満足げに笑った。

 僕は目線をそらし、ため息をついた。

 

 着替え終わって、僕は本題について尋ねた。この家だか基地だかも気になる

が、それよりも重要なこと。

「さっきのあれ。……どういうことなんだ」

「ああ……」

 男は背を丸めて顔をうつむけた。顔の前で手を組み、その手に目を向けながら言う。真剣な表情。

「すまねぇ……パンツはな、さすがにプライベートなアレだから貸すワケには――」

「そっちじゃないから」

 ツッコむように手の甲を向ける。それから続けた。

「死ぬの、殺すのとかさ。そっち」

 

 男は何も言わず、視線を僕の方から動かさず、近くにあったコンビニの袋に手を伸ばした。中からタバコを取り出す。口にくわえ、ライターで火をつけようとして、何度やってもつかなかった。

 

ライターを放り投げ、タバコをくわえたまま言う。その目は僕のひざの辺りを見ていた。

「……死にたかったのか? あんとき」

 僕は男の方から視線をそらさず、姿勢を変えず言う。

「さあ、ね」

 男も姿勢を変えずに言う。

「ほっといても落っちまいそーな顔してたぜ、横から見てっと。ってか気づかなかったか? オレ、近くから二分ぐれー見てたんだけどよ」

 

 誰かが近くにいたという記憶はない。下ばかり見ていたからか。何かを考えていたという記憶もない。川の水を見て、筆を洗った水みたいな色だなと思ったのは覚えている。その中に、僕の影がおぼろげに映っていた。輪郭を揺らめかせながら、それは僕をのぞいていた。飛ぶのか、死ぬのか、その気なのかと、僕の中をのぞいていた。僕の中には濁った水が流れるばかりで、返せる言葉はどこにもなかった。そこへ、後ろから背中を押される。

 

 男は言う。

「ビルだろーが崖だろーが飛べそーな顔してた。なんも見えてねー感じの目で

よ。……何アレ」

 

 僕は、落ちていく感覚を思い出して小さく震えた。

右脚を左のひざ上へ乗せ、その脚を両手でつかむ。小さく息をついた。

「……言う必要はないね」

「オレは、さ」

 男は火のついていないタバコを口から離し、大きく息を吐いた。

「オレは、死にたいね。……殺すってのはなんつーか……代わり。みてーな、よ」

 吐いてもいない煙を見上げるかのように、男は天井を見上げていた。

 

 

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