「こ・う・よ・う」
「うおっ…何だよ」
「さっきからずっと呼んでるんだけど」
「そ、そうだっけ…」
二人は現在デパート内にある洋服店の一つにいた。
紅陽は試着室の真ん前で何やら考え込んでいたが、何度も名前を呼ばれていたようで慌てて相手の方に視線を向ける。
そこには試着室のカーテンを開けて空色の長いワンピースと肩を見せない為に一枚羽織っている自分の姉がいた。どうやら自分の着ている服が似合っているかどうかを聞きたかったようだった。
「どう?イケてる?」
「いいんじゃね?身長の高い姉ちゃんには縦に長い服が似合うと思うし」
自分の経験談からそのようなアドバイスを送る。
男として女装をするうちに男子として年齢相応に身長が伸びてきて女性としては高身長に分類されてしまうため、どのような服を着るのがより身長が高いという男らしさを誤魔化せるのか考えて来た。
身長が高い事をコンプレックスに、低い事を女性らしさであると感じる女性はいるが、俳優やモデルで評価される人は身長が低めの可愛らしい人よりは高身長のスレンダーの人が多いため、結局のところどのようなアプローチで自分を良く見せるかが大事なのだろう。
「そう?じゃあ買う」
自分の姉が簡単に購入を決めてしまったためあっけにとられてしまう紅陽。
いくら褒められて気分を良くしたからといっても、女性が誰に見られても恥ずかしくない服を購入するとしたらそれなりに財布の体力を持って行くはずだ。
「そんなんで決めていいの?」
「いいのいいの、紅陽のおごりだし」
「嘘だろ!?それ三万するだろ!中学生にたかるなよ!」
「じょーだん、バイトの給料が入ったから自分で買うよ」
ただ単にからかっただけのようで、彼女はちろりと舌を出してから再びカーテンを閉める。
元々紅陽は自分の姉に相談事があると呼び出したのだが、数刻前に機嫌を損ねてしまったためこうして近場のデパートに繰り出してショッピングに付き合っている。
『へえー…うるさいか…ほお~…とりま遺書でも書く?』
『何なりとお申し付けください』
『取りあえず私の用事に付き合ってもらおうかなぁ?』
このようなやり取りの後、姉が近くの駐車場に停めていた車まで連行され今に至る。
少し前の出来事を思い出しているといつの間にか会計を済ませた散華が色々と試着して決めた服や小物を入れてもらった紙袋を片手に現れる。
「お待たせ」
「着ないんだ?」
「まあね」
そんな軽いやり取りをしながらも、男として女の手荷物を受け取る。
そろそろ機嫌も直っただろうと思った紅陽は本題に入ろうと切り込む。
「それじゃあ本題に入りたいんだけど…」
「次はランジェリーショップね。ちょっと古くなっちゃってね」
「えぇ~…」
「文句言わない」
だが散華の方はやり残したことがあったらしく、まだまだ弟を連れ回す気満々で有無を言わせるつもりは無いようだった。
◎
二人はよく行く下着屋であれこれ話していた。
「あの下着とかどう?」
「えーいいんじゃないの?好きなのを選べば…下着なんてどれも変わんないだろ」
相手からの求めにも気のない返事を返してしまう。
彼からすれば女性がふんどしを絞めるほどの変わり種でもない限り、下着は脱いでしまえばどれも変わらないと思ってしまうため、結果としてさばさばとした反応にどうしてもなってしまう。
そのリアクションに相手はご不満なようで。
「それは男の理屈よ。女性は常に見えない部分にも気を遣ってる、見える部分だけにこだわるのは二流、表面に見えない部分に気を遣ってこそ一流のレディーなの」
「そんなにぎらついていると逆に男は引くぞ」
「うるさい」
バッサリと自分の理屈を弟に切り捨てられて無理矢理黙らせようとする。
だが今日の紅陽はここで口を閉ざさなかった。
「常に勝負下着ばかり考えてるとかひいちゃうだろ。世の中偏見まみれで女は性欲が無くて、男は下半身でしか異性を考えられないと皆勝手に思ってるんだ。だからそんな性欲丸出しの女はモテないぞ」
「私の事を理解してくれる王子様はきっといるわ」
「三十路までに見つかるといいな」
「わ・た・し・は十九よ!まだまだ無限の可能性を秘めてるわよ!!」
「三十超えても結婚できない女は一様にそう言うんだぜ?」
ここまでのやり取りを終えると散華はヒートアップから一転して溜息を吐き眉を若干吊り上げ、人差し指を振りながら呆れたように言う。
「あのね?女の子が下着について異性にアドバイスを求めてるのよ?それは十中八九気がある相手って事なのよ。そんなてきとーな回答が求められていると思ってるのかしら?」
「姉は異性にカウントされないだろ」
弟の回答に不満なのか腰に手を当ててふんすと鼻を鳴らして口を開く。
「私を異性として見れないなんて失礼ね」
「見れたら大問題だろ…」
紅陽としてもその容姿は十分女性として魅力的な力を持っているのは認めている。
だがそれは客観的に見たらそうだというだけで、基山紅陽という一人物としての主観では姉の空川散華は何処まで行っても同じDNAを持つ人物でしかない。
「はぁーほぉー…」
若干やり取りに疲れながらも彼は店内を興味深そうに物色している。
それを見て彼女はにんまりとしながら話しかける。
「さすが我が弟、場慣れしているわね」
「ん、まあね」
紅陽はランジェリーショップという男がいるには圧倒的アウェー空間であっても俯いたり恥ずかしがることなく堂々をしている。
それもそのはずで、女装して何度もこの手の店に入り浸っており既に下着に目が慣れている事。女装の際に体つきを誤魔化すため下着とセットでヌーブラを購入と装着経験がある事。そもそも姉と一緒に来店しているという免罪符によって罪悪感を減らしている事などがある。
「いよいよ心も女の子になっちゃった?」
「んなわけ」
相手が面白そうに言ってくるのだが、紅陽は気のない返事をする。照れ隠しやからかわれている事に対して過剰に反応をしているわけでは無い、自然体の返事がそれを証明していた。
変装または変身する行為はいつもとは違う自分になったり、今の自分を捨てたいという深層心理から行う事が多いとプロファイルされるが、紅陽は決して男の自分を捨てて女性になりたいという気持ちを持っているわけでは無い。
ただ白夜の姿になった時に周りのリアクションがガラリと変わるのが面白いという悪戯心から行っている部分が大きい。あと単純に周りを騙しているというスリルが楽しくて仕方ないのだ。
それが仇になってうっかり今回の件を引き起こしてしまったのだが。
すると両手に下着を手にした散華は相手に向かって話始める。
「とりあえず上下二セット買ってくるから待ってて」
「うん」
「ちなみに普通女の子は下着の上下の色は揃えるけど、上下セットをその場で買おうとすると別々の時よりも高くなるし上下のどちらかが一方的に多くなっちゃうから色だけを合わせて別々で買うもんなんだよ。そう考えたら私ってオシャレさん」
「その情報を貰って俺はそれをどう活かせばいいんだよ?」
呆れたようなリアクションに満足そうになった彼女は両手に下着のままレジまで歩いて行く。
その背中を見ながら相変わらず変人だよなと、日常的に女装姿で過ごす事が多い少年は思った。
◎
「ふー…満足満足…」
「そりゃよかったです」
あらかた買い物を終えた二人は彼らの溜まり場である喫茶店に移動をしてお茶を楽しんでいた。
まだ時刻は昼だったが九月一日のため主婦層と思われる年配の女性たちこそ散見したが、空いていると言っても過言ではない状況だった。そのため二人だったがボックス席に座ることが出来た。
二人は席の隣に散華がストレス発散のために買った洋服や小物類たちがぎっしりと入っている紙袋が置かれている。
「それで私を呼んだ本題に入ろっか」
「やっとか…」
彼は疲労を隠そうともせずにそう言った。元々は自分の事で悩み事が溜まってしまったため誰かに聞いて欲しいと思ったために呼び出したのだ。
そして何より再婚は自分の姉も他人事ではないと思ったのだ。
だが疲れている相手の事など知った事かといった感じで散華はしみじみと語り始める。
「ええ、あまりにも遠い回り道だったわ」
「そんなカッコイイ感じで言われても…そもそも姉ちゃんが真っ直ぐな道を回り道にしたんだろ…」
「元はと言えば紅陽が私の影口を叩くからでしょう?」
彼女は相手のツッコミも知った事かと流してしまう。そして少しだけ目つきを鋭くして問いかける。
「それで何を話したいの?」
「あ、ああ…えっと…」
そこでふと我に返ると、目の前にいる姉もまた自分と同じ家庭環境の中で生活をしている。
という事は母親が再婚をすると聞いた時、自分と同じ気持ちになるのではないのかとそう考えてしまった。もしそうならこれから話す事は相手を傷つけるだけかもしれない。
そうであるなら黙っていた方がお互いの為なのかもしれない、一瞬そう考えてしまったのだ。
何やら深く考え込んで中々気持ちや考えに口が追いつかない自分の弟を見ていた散華は、薄く溜息を吐いてから話始める。
「……お母さんの再婚でしょ?」
「え…」
自分が言わなくてはいけない事、それを先んじて言われてしまった事、そしてそもそもそれを相手が知っていた事に対する驚きで彼は息を呑む事しか出来ない。
「し、知ってたんだ…?」
「うん、この前お母さんに教えてもらったから」
「へ、へー……」
彼は自分の姉から出てくる話に動揺を見せる。決して軽く見ていたわけでは無かったが、自分の母は己が思っていた以上に誠実な性格だったんだなと思った。
「ちなみに姉ちゃんはなんて答えたの?」
「『私やお父さんに義理立ては要らない』って言ったわ。お母さんの幸せは誰が何を言おうと自分で選べばいいと思うしね」
「何を言おうとか……」
紅陽は姉の言った言葉の数々が引っかかるのかブツブツと反芻している。
「で、紅陽が私に相談したいのは再婚をどう受け止めたらいいのかって事?それとも再婚が嫌だから私に手を貸して欲しいとか?」
自分の弟の考えることを理解しているのか相手の相談したかったことの一部当てて見せる。
「…それもある…けど…再婚を何が何でも止めようって気は無いんだ…」
「へぇ?」
彼女的には意外な返答だったためか眉をピクリと跳ね上げて興味深そうなリアクションをする。
「すっごい意外かも、あなたは十中八九再婚を嫌がると思ってたんだけど」
本来であればたとえ親しい、姉弟といった関係であっても気軽に踏み込んではいけないラインなのかもしれない。だが散華は容赦ないくそのエリアに踏み込んでいく。
そもそも悩みを打ち明けたら踏み込んで来るであろう人物であるのを理解していたため心がざわつくこともない。そもそも忖度や気遣いを求めずハッキリと物を口にして欲しかったため彼女に相談しようと思ったのだ。
「嫌…というか再婚そのものはやっぱ気に入らないんだけど…でも俺が逃げたらきっと自分の事が嫌いになってしまうかもしれなくて……違うか…俺は周りに嫌われるのがいやなのかもしれない…」
「…………」
「なっさけな…姉ちゃんはちゃんと折り合いをつけてるのにな…」
紅陽が口にした事は散華からすればあまりにも事前情報が少なすぎ、そして伝えられたことが断片的すぎるためか何を伝えたいのか殆ど理解できなかった。
散華はただ得た情報を黙って整理して何とか繋げようとしていただけだが、それの沈黙を呆れていると判断してしまった彼は苦笑いをしながら視線を俯かせてしまう。
彼は考えてしまった、もちろんそれだけが理由ではないのだが、自分がもし再婚拒否をすれば白夜として約束した古都の抱える悩みとその解決の意義が失われてしまうかもしれない、もしそれが周りにバレればきっと周りは自分を嫌悪するだろうと考えてしまう。
結局のところ自分の保身ばかり考えてしまう、そしてそんな自分が嫌になる。
もし仮に古都のように精神的に大人であればちゃんと自分の心と同時に周りと絶妙な距離感を保って答えを出すだろう。彼女は出すために自分の欠点を改めようと努力をしているのだ。
自分の未熟さに反吐が出る思いをしていると、この空間の硬直を打破したのは姉だった。
「いいんじゃない?別に簡単に首を振れなくても」
ハッキリとした口調でそう言った。
その迷いのない言葉を聞いてこれまで俯いていた顔を上げて相手の事を見る。そこには徹頭徹尾表情を消した散華がいた。不機嫌や苛立ちを抱えているというわけではなくただ無関心といった表情。
「何が……」
「悩むって事は見方を変えればそれだけ考えてるって事でしょ、私みたいに割り切れるのは必ずしも大人ってわけでは無いわ。肯定は時には目の前の問題を改善する事に対しての諦めって場合もあるから」
「諦め…」
これまで何となく聞くことを避けて来たこと、親の事をどう思っているのかという禁断の質問を。仮にその問いかけをしたら恐らく返って来るであろう答えを口にする。
「ハッキリと言っちゃうけどお父さんにもお母さんにもなーんにも期待してないからね。別に嫌いじゃないけど好感情も持ち合わせてないし」
「…………」
「でも紅陽は心のどこかで二人には元通りの空川家に戻って欲しいって思ってる部分があるって事でしょ?だから再婚を認めたくない気持ちを抱えてる」
彼の心の中にある思いは今姉の言った事だけでは当然無い、それ以外にも彼の抱える葛藤はあったが、言われた事に心当たりがあるのは事実だった。
「今すぐ再婚するってわけじゃないんだろうし、私が言ってあげられるのはどんどん悩む事が紅陽にとっての正解だと思うよ。これでお悩み相談終了ね今の私にはこれ以上の事は言ってあげられないから」
彼女はそう言って話を切り上げたがそもそも相談を口にしていないのだが。
「ありがとう…あともう一つ相談事があるというか…むしろそれが本題というか……」
「まだあるの?」
彼はお礼を述べた後、おずおずと言葉を繋げる。
そして彼はここ二週間ほどで起きた出来事を話し始める。
◎
「バカじゃないの?」
自分の弟から事情を聴いた散華が出した答えは、相手を一蹴してしまう。
「いや全くその通りなんだがストレート過ぎないか…」
相手があまりにも容赦なく切り捨てて来たため少しだけ怯んでしまう。これだけは自分の味方であって欲しかったのだがさすがにそこまで優しくはなかった。
「さっさと誤解を解きなさい」
「分かってるんだけど…それでも…」
既に相手が答えを出したというのにそれでもグダグダとそれを受け入れようとしない。
結局のところこの相談の本質は自分がこれからもこの歪な関係性を続けることを肯定してくれる相手が欲しいだけなのだ。
「女装して会っていた相手が再婚相手の連れ子で、しかもうっかり人生相談に乗っちゃったと」
「その通りなんだけど…何で内容をまとめて、そして復唱したの?」
「そして相手の弱みを握って脅そうと…」
「そこまではやらねえよ!俺を何だと思ってるんだ!!」
勝手にクソ野郎認定されてしまい、静けさとシックな雰囲気が売りの一つである喫茶店の中でついうっかり大声を上げてしまう。
紅陽は周りから奇怪な目で睨まれてしまったためすぐさま体を小さくして黙り込む。
散華は薄く溜息を吐いてから話始める。
「まぁ紅陽がそうしたいならそれはそれで別にいいけど」
「いいと思うかっ」
「都合のいい所だけ切り取らなくていいから。呆れてるだけだから」
彼女は言質を取ったと言わんばかりにいきり立つ弟の姿に呆れてしまう。
「ん……?」
「どうしたの?」
突然弟の視線が店の出入り口の方へと向かったためそれを気にした彼女も体を捻って後方を見やる。
「学生…確かこの辺の中学校だったっけ」
その制服はこの辺りに住んでいれば何度か見かける事のある中学校のそれだった。
「あ、あ……」
「どうした?」
だがその制服をまとった二人組を見た紅陽の顔は明らかな動揺に染まる。
その震える声を拾った散華は視線を再び相手に向ける。
だが姉のその問いかけに対して彼は正常に反応を示すことが出来ない。何故なら視線の先にいた二人組のうちの一人は吉志古都なのだから。