※pixiv小説にも投稿
本作は執筆予定だった長編モノの話に登場する一人へスポットを当てています。全体的に話も暗く鬱展開です。また、同性愛や百合のタグを付けてますが男性も出てきます。
会話が殆どありません…。
暴力、流血描写等が存在しますのでご注意下さい。
※この作品はフィクションです。
とある女子学生の話を一つ紹介する。
都内近郊の閑静な住宅街、その一等地に存在する豪邸にて、一人の少女が生まれ育った。
名前は
彼女の家庭は、近所の他愛無い世間話の中でも度々話題に上がる程、裕福な暮らしをして居た。無論、両親や子供共に何不自由無い生活を送って居ても、彼等は其れを周囲に自慢するような事は無かった。“慇懃無礼”と言う四字熟語があるが、この家族にはそう言った振る舞いも見受けられない。家の外に出れば、顔を合わせた人全てに必ず挨拶を送る。機会が有るなら、冗談を混じえた立ち話にも応じた。
詰まるところ篠紅女家は、他所からの評判がすべからく良い訳だ。
此処まで聞けば、ただの品性が良い金持ち一家の話に思える事だろう。
──リオンには双子の兄が居た。兄の名前はユウキ。
所謂、長男である彼は、両親からも執拗に大事に育てられた。“愛”と言えば聞こえは良いが、世間一般的な感覚からすると、それは過保護と捉える事も出来る。門限が厳しい、習い事は幾つも掛け持ち。専用の講師を雇い、徹底して学を身に付けさせた。だがユウキは賢かった。決して楽ではない日々の生活を、涙一つ流さず両親の期待通りに完璧に熟した。
そんな兄の姿を、いつもリオンは遠くから寂しそうに見て居た。
リオンは絵本が好きだった。たった一人の友人から譲り受けた絵本を抱き抱え、空いた時間は何度でも読み返す。この時だけは何もかもを忘れて幸せに浸る事が出来た。やがて大好きな親や兄にも相手にされないまま、一人で過ごす事が多くなった。両親に悪気は無かったにしろ、結果的にリオンは蔑ろにされたのだ。その一方で、心優しく育った兄のユウキは、寂しがる妹を知って居た。ぽつん、と後ろで佇むリオンを見掛けても、声を掛ける事は無かった。自分にだけ向けられる親の寵愛に酷く罪悪感を覚えて居た為、自ら妹への接触を避けて過ごして来た。
何度も季節が巡る度に、ユウキは長らくリオンと言葉を交わさなかった事を後悔するようになる。
リオンの年齢が十の半ばを過ぎた頃、兄妹は同じ学園に通うようになって居た。
「ユウキ、見て。今日は凄く天気が良いよ。」
「ああ、本当だな。」
リオンは美しく成長した。まるで一人寂しく過ごして来た妹とは思えない程に、穏やかな笑顔で隣に並ぶユウキに話し掛ける。今にして思えば、少女の心はこの時点で既に壊れて居たのだろう。誰でも良い。家族全員が知らなかった異変にもっと早く気付けて居たなら、これからリオンと共に過ごす学園生活は楽しかったのかもしれない。恐らくこの先で彼女を失う事は無かった。少なくともユウキは、自分が後ろめたさを抱えても妹を家族として十分好いて居た。
そんなリオンに違和感を覚え始めたのは此処から時が少し遡る。ユウキ達が通う中学校の卒業式がもう間も無くと言う春の季節だ。学生服を纏い何気無く家の廊下でリオンと擦れ違った際に、一切の感情を失くした眼差しを向けられた瞬間があった。何を訴え掛けるでも無い。瞳から光が消えたその双眸は、どれだけの月日が経ってもはっきりと脳裏に焼き付いて居る。其れは自分の行動を常に監視されてるような錯覚にさえ陥る程、忘れる事が出来無かった。
──ある朝の日、リオンの口から好きな人が出来たと打ち明けられた。年頃の娘らしく、はにかんだ表情で嬉しそうに話す姿は本当に普通の女の子だった。そしてこの時期辺りを境に、少しずつ兄妹の会話が増え始めたのだ。
相手は同い年の幼馴染みだと言った。正直、こんなに楽しげに語る妹の様子をユウキは見た事が無い。だからこそ素直に喜んだ。笑ってるリオンを少しでも長く眺めて居たいが為に、彼女の恋を心から応援しようと思った。
その相手の名前を聞いて、ユウキは愕然とした。
何故なら自分も想いを寄せる女性の名だったからだ。
ユウキは何も言えなかった。どうしようも出来無かった。誰が悪いと言う訳でも無いのだから。然し、何故彼女が同性に好意を持つに至ったのかは分からない。其の人物とは昔からリオンと仲が良い事だけ知って居た。当然ながらユウキは、妹に理由を聞き出す度胸が無かった。下手に深く追及する事で、長い時を経てようやくまともに会話が出来るようになった兄妹のこの関係が崩れるのを恐れたのだ。
「ねえ、ユウキ。私は今とても幸せ。」
不意にリオンが呟いた時、ユウキは黙って身を引く事を決意した。妹にはどうか幸せで居て欲しい。幼少の頃に酷く辛い思いをさせてしまったのだから、自分が諦める事がリオンへの償いだと。そう受け止めた。然しユウキはこの日、過ちを犯した。切っ掛けは至極瑣末だ。学校の帰り道に偶然出会した幼馴染みの女性と、少しの間並んで歩いた姿をリオンに目撃される。たったこの出来事一つだけでリオンの中に存在する引き金を容易く引いてしまうとは、当初こそユウキは分かる筈もなかった。
──事件は深夜に起きる。
部屋のベッドの上で、リオンはユウキの身体を跨がって居た。
異様に見開いた瞳で兄を凝視しながら、到底女のものとは思えない程の力で其の首根を締め付ける。薄い表皮に爪を容赦無く食い込ませると、ユウキは苦悶の表情を浮かべて抵抗を試みた。リオンは呼吸すら乱す事無く冷静だ。寧ろこの一連の動作に、慣れて居るようにさえ見える。一言も喋らず、半ば化け物の如く吊り上がった目尻が印象的だった。いよいよ意識が朦朧として来た頃、ユウキはついに妹の頬を殴ってしまう。室内に響く鈍い音と共に体勢を崩したリオンは、徐に手の甲で自分の口端を拭って見せた。目の前に居る妹は、普段の優しい面影が完全に無くなって居たのだ。最早今起きてる出来事は全て、質の悪い冗談だろうと心底願った。大切な妹に手を上げた事も、夢であってくれと無様に足掻いた。
「…っ、…リオン…」
何度と咳込みながら空気を求めるユウキが、明らかに様子の可笑しいリオンを見詰める。其の掠れた声に反応するように、リオンの瞳が揺れ動いた。そして彼女が最後に見せた表情は、露骨に目元を細めた不気味な微笑みだった。
この時ユウキの中を諦めに似た感情が支配した。
そう、唯一無二の妹は長過ぎた時間の中で変わってしまったのだ。幼い頃から毎日一人で居たリオンを知りつつも、見て見ぬ振りを続けて過ごして来た自分は何て愚かしいのか。何時でも声を掛けるタイミングは存在した。リオンが寂しくして居る、と、両親に話す事も出来た筈なのに其れをしなかった。ユウキは自らを責めながら、ぼんやりとした視界にリオンが持ち出したカッターを収める。これから自分の身に起こるであろう非道な想像を、薄く朧気に描いた。
「兄さんが二度と同じ事をしないように、僕がまじないを掛けてあげよう。」
ユウキが意識を飛ばす直前に聞いた声は確かにリオンのものだった。先の件で既に体力を消耗した身体では、その場から逃げようにも上手く身動きが取れない。やがて思考さえ停止したユウキに構う様子も無く、リオンはベッドに押さえ付けた兄の掌へ何度もカッターの刃先を振り下ろした。規則正しく肌のぶつかる生々しい音を立たせながら、白色のシーツが瞬く間に鮮やかな赤で染まる。
極めて残虐な行為を繰り返す彼女の表情が、いつか見た日のように楽しげに笑って居た気がした。
ユウキは、もう二度目と目覚めなくて良いと思った。今まで大事な事から逃げ続けて来たと言うのに、自らが死んで更に逃げるつもりなのか。否寧ろ其れでは駄目なのか。そんな仕様も無い自問自答に乾いた笑いが零れる。不運な事に、ユウキは生きて居た。微かに瞼を持ち上げると目の前に広がるのは、よく見覚えの有る自室だった。何とも憎らしい程に窓の外の天気は晴々として居る。
「おはよう、ユウキ。昨日は何かあったの?」
「……リオン」
「朝になっても起きて来ないし、部屋に来たらこんな大怪我して倒れてるんだもの。もう救急車を呼ぼうかと思ったくらい。」
ベッドの横から咄嗟に身を乗り出すリオンは普段と何も変わらない。昨晩切り刻まれた筈の掌を翳してみると、患部が丁寧に包帯で巻かれて居た。そして痛みも未だ健在だ。
ユウキは、彼女の話してる事が理解に届かなかった。無理矢理にでも現実を受け入れようとすると、耐え難い吐き気が込み上げて来る。近くの洗面所へ駆け込む余裕も無くユウキは枕元で戻した。其れを見たリオンが小さな悲鳴を上げると慌てて部屋を出て行く。恐らくタオルやらビニール袋を取りに行ったのだろう、遠くの方で落ち着きの無い妹の声が両親を呼んで居る。最早、全てに於いて意味が分からなかった。
一人取り残された部屋で、自然とユウキの瞳から大粒の涙が溢れ出す。胃液が染み付いたシーツにぐしゃりと顔を付けて、声を出して泣いた。一歩下がった所で妹を見守ろうなんて事は生温いに等しい。生きて、これから続く地獄に耐え抜く事こそがこの男に課せられた罰であり、償いなのだ。其の証拠に、リオンは生涯消えない痕を兄に残した。
予てより孤独だった自分を忘れるなと、直ぐ目に付く掌へと深く──。
海の彼方へ旅立つ親愛なる友へ。
そして己の意志を貫き彼女が最後まで愛し続けた人。
篠紅女リオンの幼馴染みである美乃井アキラへ、
真実を記したこの話を捧ぐ。