去年の六月頃から構想を練っていた作品ですが、今回遂に投稿に至りました。
基本は史実準拠で行くつもりですが、オリジナルの展開も考えています。
史実の考証等を進めながらゆっくり書いて行く所存ですので、応援の程宜しくお願いします。
※pixiv版は同一作者です。
第一章プロローグ 追憶
ウマ娘。それは、走るために生まれてきた存在。
彼女たちには尾があり、耳があり、そして超人的な脚がある。
彼女たちが残す栄光の蹄跡は、時に人々の活力となり、希望となり、そして溢れんばかりの感動を与えてきた。
彼女達の未来のレース結果は、まだ誰にも分からない。
彼女たちは走る。
瞳の先に待つ、ゴールだけを目指して……
◇◇◇
カツーン カツーン カツーン……
薄暗い階段に、私の足音だけが響いている。
非常口を示す緑の光だけが輝く踊り場を曲がり、さらに階段を降りると、同じく薄暗い、今度は八十メートルほどある長い廊下に出る。
トレセン学園、地下一階。
ほとんどの生徒たちが存在も知らず……知っていたとしても肝試しぐらいにしか使われない、そんな場所。
この場所にある施設は二つだけ。
一つは地上の倉庫に置き場の無くなった、即ちもう使われる予定は無いが、捨てるには忍びない、そんな物品がしまい込まれる地下倉庫。
そしてもう一つが、私の目的地。
「競走ウマ娘資料室」と書かれた部屋。
重厚な金属の扉を押し開け、中に入る。古本屋の香り。すぐに飛び込んできたのは、そんな印象だ。
真っ暗で何も見えないので、壁際をまさぐり、スイッチを押す。パッと天井の蛍光灯が灯り、競技用プール二個分はある大きな部屋を照らす。
人の背丈より高い本棚が何列も並ぶ部屋の様子が顕わになる。
私はその本棚のうちの一つ、「URA」と書かれた札が貼ってある棚に歩み寄り、手に持っていた、「〇×年度競走ウマ娘年鑑③」と書かれたバインダーを本棚に収めた。昨年引退した、「シニア級マイルG1完全制覇を成し遂げた女王」や「日本ウマ娘初のアメリカの某レース制覇」等の輝かしい功績を残したウマ娘……も含めた十数人分のウマ娘達の記録が、先程のファイルには収められている。
そして……
同じようなファイルが、部屋いっぱいにある本棚のほとんどを埋め尽くすように並んでいる。
そう、ここはかつて活躍したウマ娘達、戦績の優劣を問わない、全てのウマ娘達の記録を保存する場所だ。
「皇帝」も「英雄」も「暴君」も、全て特別扱いされることなく、他の無名に等しいウマ娘達と共に記録されている。
同期でナンバリングされるのでは無く、引退した年度ごとに記録されているため、一つのファイルに年齢の全く異なるウマ娘が載っている事も珍しくない。
デビュー後間もなく引退した、まだ十代前半のウマ娘と、本格化が遅く二十代まで現役だったウマ娘が隣同士で載っている事まであるのだ。
そんなファイルたちに書かれているウマ娘の情報は、多岐にわたる。デビュー年度、引退年月日、生涯戦績、表彰履歴、脚質特性、さらには毛色、最終時の身体測定データ、最盛期の競走能力。それに簡単な逸話などの人柄にかかわる事まで。一人につき三ページから五ページ程で、写真付きで編纂されて記録されている。
こんなに多いと年度ごとにファイルは十冊以上になってしまう。これでは特定のウマ娘の記録を探し出すのは困難を極めるのでは無いかと言われる事があるが、それはほとんど問題にならない。全く同じ情報がインターネットでも閲覧できるからである。ここにあるのはあくまでも物理媒体での保存が目的で、利便性はあまり考慮されていない。だからこうしたファイルたちは所蔵された後、ほとんど持ち出されることなく鎮座し続ける。
故に……整理されることもなく一方的にたまり続け、今や本棚のストックは後二個まで減っている。
理事長に報告した方がいいのかなぁ。
そんな事を思いながら部屋を出ようとしたとき、ふと私の足は止まった。
何か、引っかかることがあった。
そしてそれが、ここに入って以来、気になり続けていた、個人的な用事だった事を、思い出した。
気付けば私は、もう一度本棚に向かって、歩み寄っていた。
恐らくは、自室に戻ってパソコンで調べた方が、早い。
心の中ではそう思っていたが、実物を見たいという気持ちの方が、勝った。
ファイルの背表紙に書かれた年度を、慎重に調べていく。そして、十数年前のファイル達を、見つけ出す。どのファイルに記録されているのかは、分からない。頭文字から見当をつけて、一冊のファイルを引き出す。
ビンゴだ。
数十ページ捲ったところで、彼女の名を見つけた。
彼女のレース中の写真が載っている。恐らくは、三回目の有馬の時の。
必死の形相。そう形容するのが一番だろう。その目線が見つめるのは、ゴール版だろうか。あるいは、前を走っている筈の、二人だろうか。
彼女の生涯戦績は、41戦7勝。その中にG1は含まれていない。……だが、前人未到の、有馬記念三年連続三着という戦績を残し、ブロンズコレクターとして多くのファンに愛された。いろいろな情報に目を通しながら、ページを捲っていくと、紹介文と共に一枚の写真が載っていた。
『彼女を愛すファンは多く、また彼女も自らのファンを大切に思っていたようだ』
その文と共に載っているのは、彼女と、一人の少女の写真。笑顔を浮かべた彼女は、少し腰を屈め、少女に何かを渡している。目を凝らすと、それが彼女がいつも右耳に着けていた緑のリボンだと分かる。
そしてその少女もまた、ウマ娘だ。鹿毛の髪に、額には大きな流星。あどけない表情で、彼女を見つめている。
私はそれを見て、思わず息を飲んだ。そして、ファイルを棚に戻し、やや早足で、部屋の奥へと歩き出す。私が進むにつれ、ファイルに書かれた年代はどんどん遡っていく。やがてプラスチック製だったファイルは厚紙製に変わり、年代表記は手書きに変わる。さらに進むと、マジックだった文字が、筆で書かれたものへ変わる。確かめた事は無いが、このぐらいの年代のものだとウマ娘本人の写真が残っていない例や戦績が不明慮なものも多く、良くて写真の代わりに似顔絵、最悪名前以外の情報が断片的にしか載っていないらしい。
そして記録に残る最古の競走ウマ娘を記したファイルの横を過ぎると、そこで本棚は終わる……訳では無く、棚はまだ続く。しかし、表記がちょっと変わる。棚に貼ってある札が、「門別」に変わっている。そう、ここまであったのは「
稚内。
旭川、岩見沢、北見、根室、日高。
……聞きなれないレース場の名前が続く。よく見ると、その棚に置かれた古びたファイルの日付は、数十年前で止まっている。
そこにあるのは、廃止されたレース場の記録。恐らくは、たくさんのウマ娘達が青春を送り、多くの人々が歓声を送り……そのうち需要が無くなり、表舞台から消え去った、たくさんの歴史たち。それらが二度とその数を増やすことなく、眠っている。
北海道だけでは済まない。盛岡、水沢の現役の両レース場の棚を抜けると、怒涛の数の廃レース場の記録が並ぶ。比較的最近消えた、上山レース場を筆頭に、秋田、大舘、石巻、仙台、郡山……と続く。レース場によってはファイルは数冊に過ぎない。それでも、それは確かに存在したという確固たる証拠だ。そしてファイルの棚はいつまでも続く。そして何より、今は無きレース場がいかに多い事かと思わされる。
壊滅した北関東のレース場達がある。
URAのレースに名前だけは残るレース場がある。
ウマ娘ブーム直前で廃止になってしまったレース場がある。
他の娯楽との競合に負けてしまったレース場がある。
そうして気の遠くなるような数の歴史達の横を通り過ぎ、どのぐらい経ったのか分からなくなりかけた時、遂に私は目的地に辿り着いた。
佐賀レース場の棚の隣、そこが私の目的地だ。
荒尾レース場。
その棚には、そう書かれた札が貼ってある。
その棚から記憶を頼りに、ある年度のファイルを取り出す。その年度は一冊しかなかったので、探す手間は無い。
そして捲っていくうちに、私の手は一人のウマ娘のページで止まる。
*ケイウンヘイロー*
名前の欄には、そう記されている。
そのウマ娘の写真が載っている。ポニーテールに纏めた長い鹿毛の髪を靡かせ、疾走している写真。
額には大きな流星。凛々しい表情で前を見つめ、砂塵を立てて駆けている、躍動感に溢れた姿。
それだけなら、どこにでもいるダートウマ娘のスナップショットと変わらない。しかし、私の眼には決定的な違いが見えていた。
それはそのウマ娘が右耳に着けているのが……「彼女」と同じ、緑色のリボンであったからだ。
これだけなら、多くの人は偶然と言うだろう。しかし私にとってそれは「確信」であり、何年も心にあった謎の、答え合わせであった。
「あぁ……」
ふと私は独り言ちる。そして私は、もうはるかな昔の様に感じる、日々の事を思い出していた。
まだ私が、少女だった頃。あの
◇◇◇
……人々がウマ娘と聞いて思うことは、何だろう。
夢にまで見た華々しい大舞台で、鮮やかなターフの上を疾走する姿だろうか。
絶望的とまで言われた挫折から這い上がり、感動の奇跡を勝ち取る姿だろうか。
圧倒的な力で、歴史に不滅の金字塔を打ち立てる栄光の姿だろうか。
果たしてそこに、どんなに泥臭く、どんなに注目されなくても走り続ける者たちの姿が、
栄光の陰で、脇役として主人公達のお膳立て扱いされる者たちの姿が、
夢破れ、失意の下にひっそりとレースを去る者たちの姿が、
果たして、あるだろうか。
……地方レース。
それは、「怪物」の生まれ故郷であったり、「勇者」の英雄譚の一部でしか、世に名前を見せない。
しかし……地方レースと、そのウマ娘達は、物語の一部になるために居るのではない。
彼女たちは駆けている。己のため、誰かのため、皆のため。
たとえその蹄跡が煌びやかな装丁では無く、暗い資料室の隅の数ページの紙にしかならないとしても、
それが結果的に頂点で輝く栄光の陰に隠れてしまうのだとしても。
彼女たちは、駆けるのだ。泥臭く、されど気高く……
これから始まるのは、ある一人のウマ娘の物語。
数多の栄光の陰で走っていた幾千のウマ娘の内の一人が過ごした、少しだけ数奇な、青春の記録。
それは多くの人々には知られる事さえなく、知っていた人々の記憶からも、少しずつ薄れ、消えようとしている。
しかし、その埋もれかけていた物語は、
新たな生を受け、今再び、走り出す。
さあ、ファンファーレが鳴り響く。
その物語は、
潮騒と共に、幕を上げる。