ウマ娘 潮騒のアレグレット   作:秋月@小説

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第九話です。
今までが長すぎたので今回は自重してやや短めに仕上がっております。
実は今回で第一章の三分の二くらいです。一年かかってようやくかという感じですが、気長に読み続けて頂いている皆様には感謝しかございません。
今回は久しぶりにレース描写を入れております。文章で表現するのがなかなか難しいシーンではありますが、楽しんでいただければ幸いです。
それと大学の方が後期から大変なことになりそうなので、前期の内に第一章を書き上げるつもりで進めて参ります。

どうでもいい筆者の近況ですが、友人たちに次々と彼女が出来ていて困惑しております。十代最後の年にしてのこのラッシュ。これが最終回発情期ですか?
私は…遂にただの一度も恋が実ることなく、貴重な十代がまもなく終わりを迎えようとしています。どこで道を間違えたんでしょうね。

ともかくそんな話は本当にどうでもいいので、どうぞ皆さま本編をお楽しみください。

※pixiv版は同一作者です。


平凡と特別

 「いくよ。よーい…スタート!」

私がそう合図をすると、目の前で構えを取っていた少女は一瞬で風になる。

一秒遅れて彼女が立てた風が私の髪を揺らす。

「相変わらず凄いなあ…」

私がそうひとりごつ相手は、言わずもがな私のルームメイト、アオだ。

今は日課となっている朝練でお互いに一周のタイムを計りあっているのだが、今日もまた彼女の走りに感服させられる。

しっかりとした体幹でぶれないフォーム、よく鍛えられたトモが生み出す推進力、落ちるどころか勢いを増していく速度…

それでいて容姿端麗、頭脳明晰、歌って踊れて性格も穏やかと来たら、もう粗捜しでもしないと欠点が見つからないレベルだ。

恐らくは中央を受験しても受かったかもしれないというのに、それをしなかったのは…ただひたむきに地元を愛する気持ちがあるから。

ここまで来たら当然ながら、彼女を推さないという人はいない。

彼女は未だキャリア一戦だというのに、もう既に荒尾のジュニア級のアイドル格としてその座を築きつつあった。

そして運命を呪うべくは、私も含めた他のジュニア級ウマ娘達だろう。

彼女は性格も優しいので妬まれることはほとんどないのだが…それゆえに皆モヤモヤの捌け口を失っているようでもある。

彼女の体がゴール板を駆け抜けた所でストップウォッチを止める。

「これは…」

そのタイムは、荒尾における1300mのジュニア級レコードに肉薄せんとする数値だった。

「どうだった?」

「昨日よりも0.2速くなってる…流石だね。」

「ほんと?よかった!」

そう言って笑う彼女は、流れた汗の一滴でさえ彼女を彩る宝石であるかのように見えるほど美しかった。

「さっ、次はケイの番だよ。」

「あ、うん。」

アオに促されて私もスタート地点へ向かう。

私はスタンドの正面、ホームストレッチ半ばに立つ。

今度のレースの条件は1300m戦。

向こう正面がスタート地点であった今までの二戦とは違い、距離が伸びた1300mのスタート地点はここだ。

レース本番では観客の視線も声も直接感じることになる。

今までよりずっと集中力が求められるだろう。

スタートの構えを取った私は、アオの方を見て合図を待つ。

「よ~い、どん!」

その声を聴くと同時に、私は地面をぐっと踏み切る。

朝方で静かだった周りの音を置き去りにして、私の耳には風を切る音だけが聞こえるようになる。

やや急な第一第二コーナーを身体を傾けながら抜けると、向こう正面へ躍り出る。

今までならばこの辺りがスタート地点だったが、今日はギャロップで一瞬で駆け抜ける。

1300m。今までの超短距離戦ならば最悪ペース無視で最初からトップスピードで走ったとしてもギリギリ持ったかもしれないが、この距離になるとペース管理という概念がより重視されてくる。

私の戦法は基本逃げだが、アオと対戦対峙する今回、恐らくハナはアオに奪われる。

だから無理に先頭争いはせずに、番手に控えるレースをすることになるだろう。

しかも今回は私たちの世代一の快速と評判のデコトラちゃんも出てくる。

三番手、先行でレースをすることも考えられる。

ならば、私が取る戦術は…

「ふっ!!」

第三コーナー中盤でスパート。

アオが走ると思われる位置を大回りで外から捲りにかかる。

私が能力面で数少ないアオに勝ると思われる物。

それは、スタミナだ。

私もアオも本質はマイラー寄りであるのだが、私は中距離適性が少しだけ高い。

それは短距離戦ではあまり役に立たないようにも思えるが、私はトレーナーさんと相談してスタミナを活かした対アオの戦術を考案した。

私がここからスパートをかけてアオに競り駆ければ、当然アオも速度を上げるだろう。

そこからの競り合いが鍵だ。スピードはアオの方が上でも、スタミナを削りあいながらの消耗戦なら私に分がある。

直線入り口からの220mでアオのスタミナを削り切り、ゴール板付近でアオがスタミナ切れを起こしたタイミングで私が僅差で交わす。

それしかないというのが私たちが辿り着いた結論だ。

確かに、アオは強い。

正攻法で勝つには分の悪い相手だ。

しかし、自分の長所を駆使して相手の短所を攻めれば勝機はある。

恐らくは僅差での決着になる。華々しい勝利にはならないだろうし、スタミナを削り切れなければ粘り込まれて逃げ切りを許してしまうだろう。

だから、これは賭けだ。

私がデビュー戦以降重きを置いてきた、「ライバルの分析」が正確な事に賭けたギャンブル。

これが正しければ…!

私の体がゴール板を駆け抜ける。

「わっ、ケイのタイムも良いね!私とあんまり変わんない!」

「よしっ!」

今でこれなら、スタミナを消費し尽くしたアオ相手なら交わせる可能性は十分ある!

「ふぅ…本番では負けないからね、アオ!」

「うん!こっちこそ!」

アオと顔を見合わせて笑う。

「さ、そろそろ終わりにして朝ごはん食べに行こ。」

「そうだね。」

私たちは並んで寮に向かって歩き出す。

その時、アオがどこか考えを巡らせるような表情をしていた事を、私は気にも留めなかった。

 

 

 

「はい、ここちゃんと覚えていてくださいね。同じ胞子植物でもシダ植物は葉、茎、根に分かれていて維管束がある。コケ植物は維管束が無く、根ではなく仮根で身体を固定しています。明後日のテストで出すので必ず覚えておくように。…はい、これで範囲は終わりです。本当は自習の時間をあげたかった所なんですが、まあこればかりはこの学校に入った以上我慢して頂く他ないですね。聞きたいことがある人は職員室まで来てください。では、テスト頑張って。」

「きりーつ、礼。」

「「ありがとうございました~。」」

「終わったね。」

「うん。これが試験前最後の授業って感覚ないよね~。」

「テスト期間にもトレーニングちゃんとあるしね…」

「ほんとあれ何とかならないのかな~。勉強時間ももっと欲しいのにね。」

「わたくしは今のままでも何とかなってますわよ~。」

「ニシノちゃんは…ちょっと特別だから参考にならないかな…」

「ほわぁ?」

そんな他愛ない会話を交わしている私たちは、まだ三人のままだ。

あの事故から一週間が経ち、事故に巻き込まれたユウワブルボンちゃんとシークレットカノンちゃんは授業に復帰していたが、ミライちゃんは依然として入院したまま。

カナちゃんもスクールカウンセラーとの面談を経て立ち直りつつはあるものの、まだ部屋にこもったまま…しかし、今度の土曜日に私と一緒にミライちゃんと話をしに行く事になっているため、そこでこの件に決着を付けられるかもしれない。

そして私たちは他の中学校より一週間遅い期末試験を目前に、そのかなり無理があるカリキュラムについて愚痴を飛ばしている訳だ。

そもそもトレーニングのために五、六時間目が無く、週に一日は二時間目で授業が終わるという特殊な環境の為、授業日数が圧倒的に足りない。それなのに、中学校の指導要綱は守らなければならない。そのため、単元を一部飛ばしながら速足で授業を進め、それでも足りないため特例として設けられた副教科一部履修免除なる制度を使って普通の学校にはある美術の授業を無くし、それでもなお足りない為期末試験は普通の中学校より範囲が狭くなり、その分は本来夏休みとなるべき時期に補修を設けて学習するというかなりの無茶をしながらこの学校は回っている。

「アオ、今日の夜一緒に問題出し合おうよ。」

「良いよ~。社会と英語で良いかな?」

「うん。あ、カナちゃんもうちの寮来る?」

「ご一緒して宜しいなら喜んで~。」

「じゃあさ、お菓子とジュースも持ち込んで…」

「それじゃ女子会じゃん~」

そんな他愛ない会話をしながら昼休みを過ごすと、いつも通りチームの部屋に向かう。

「お疲れさまでーす。」

「あ、ケイちゃんやっほー。」

「先輩お早いですね。あ、それって…数学ですか?」

「そうそう。ちょっと今回やばくてね~。レースの方が上手くいってない分せめてテストはって思って。」

「あぁ…その、昨日のレースは…」

「みなまで言うなケイちゃん。二番人気背負っといて掲示板外は流石に反省してるから。」

「ま、まあ次きっと勝てますよ!」

「ケイちゃ~ん、それ慰めになってないよ~。」

「あ、すみません…」

「いやいや謝んなくて良いんだけどね。そういやケイちゃん先週怪我したお友達って大丈夫なの?」

「命に別状はなかったんですけど、走れるようになるかはまだ分からないらしくて…とりあえず今度の土曜にお見舞いに行こうかなって思ってます。」

「そっか~。まあでもこればっかしは分かんないからね~。もう駄目だって言われてた怪我から戻って来たウマ娘もいるけどそれ以上に帰って来なかったウマ娘の方が多かったのが事実だし。まあ、女神様に祈るしかないよね。」

「はい…」

「とりあえずケイちゃんの言う通りお見舞いに行って励ましてあげるのが一番かな。病は気からって言うし。まあこの場合は怪我なんだろうけど。」

「やっぱりそうですよね。」

「ところでケイちゃんはテスト大丈夫なの?分かんない所あったらうちが教えてあげようか?」

「あ、ほんとですか?それなら…こことかなんですけど…」

「あー方程式か~うちもあんまり得意じゃなかったんだけど…」

こうしてただ勉強を教えてもらっていると、あ、今普通の中学生っぽいなと思う。

今でも連絡を取り合う東京の友達からは、トレセンは授業が少なくて羨ましいだとかアイドルみたいで楽しそうとか言われるのだが、その分肉体を酷使するし競争が激しいレース界に居る事を考えると、楽さという面では確実に普通の中学校の方が良いように感じる。

その後トレーナーさんが来てからトレーニングを始め、珍しくトレーナーさんがテスト前日だからと言って早めに練習を切り上げてくれたので、寮に戻って明日の教科の勉強をした。

そして夜に約束通りアオとニシノちゃんと一緒に問題の出し合いをしていた時。

「ねえアオ、お見舞いって何持って行けばいいのかな?」

「え?あ、ミライちゃんの所行くんだったっけ。うーん…」

「やっぱりお花とかフルーツが良いかな?」

「確かに定番だよね~。」

「ケイさん、それならお菓子を買っていくのはいかがですか~?」

「あ、ミライちゃん大好きだもんね。」

「それだったら駅前の洋菓子屋さんがおすすめだよ。ケーキもプリンも焼き菓子も全部おいしいもん。」

「ほんと?じゃあそれにしようかな。」

「あ、ついでにわたくしの分もお願いしますわ~。」

「それは自分で買おうよ…」

 

やがて九時になると、ニシノちゃんは自分の寮に帰っていた。

「ねえ、ケイちゃん。」

「何?」

「土曜日、カナちゃんと一緒に行くんだよね。…カナちゃん、立ち直れるかな。」

「それは行ってみないと分からないけど…きっと大丈夫だよ。」

「そうだよね。…うん。」

アオは俯きがちで自分に言い聞かせるように言った。

 

 

 

そして、しっかりと対策したからか意外にスムーズに終わった期末テストを経て土曜日がやって来た。

朝から向かおうと考えていた予定は土砂降りの雨に阻まれ、正午を回ってからの出発となった。

予定通り駅前の洋菓子屋で手土産を買うと、市民病院へ向けて歩き出す。

その隣には…カナちゃんがいる。

一週間以上ぶりに見た彼女は、私が記憶していたよりも少しやつれていた。

「ね、ねえカナちゃん。カナちゃんってテストは受けたの…?」

「うん。特別に寮の部屋で…」

「そ、そうなんだ~」

普段のカナちゃんに比べたら、口数が少ないのは明らかだった。

間が持たない…

どこか気まずさを感じながら歩いていると、カナちゃんが口を開いた。

「…ごめんね、ケイちゃん。ほんとは私が一人で解決しないといけないのに付き合わせちゃって。」

「ううん、気にしないで。たまには頼ってよ。」

「ありがと。…本当に皆には心配かけちゃったな。一週間以上も休んじゃって…病気でもないのに何やってんだって感じだよね。」

「気にする事無いよ。…学校はこれからどうするの?」

「月曜から戻るよ。…いつまでも部屋でじっとしてても何も変わらない。いい加減立ち直らなきゃね。」

「…そっか。」

それは良い事…なのだろうか。

私としては友達が戻ってくるのはとてもうれしい事なのだが…

無理してまで戻って来るべきなのか?いやそもそも無理して言っているのか本心なのか?

…わからない!

なんとも釈然といない思いで結局黙ったまま歩いていく。

しばらくすると左手に目的地の病院が見えた。

多少古びてはいるが、そこは仮にも市民病院の名を冠するだけあってなかなか立派な佇まいをしている。

今日は休診日らしく、大きな敷地の中は静かだった。

受付を済ませると、ミライちゃんがいる病棟へと廊下を歩いていく。

消毒液の香りというのだろうか。病棟内は形容の難しい独特の空気に包まれている。

整形外科のフロアを奥の方まで進むと、個室の病室にミライちゃんの名が書かれた名札が掛かっていた。

カナちゃんの方を振り返る。

カナちゃんは少し青ざめた表情をし、その手は小刻みに震えていた。

「…私が一人で先に入ろうか?」

「いや……ごめん、お願い。」

私は頷くと、病室の扉をノックする。

「ミライちゃん、来たよ。」

「はーい。」

返事を聞いて扉を開く。

部屋の中には窓際にベッドが置かれ、そこにミライちゃんが横になっていた。

ギプスで固定され包帯でぐるぐる巻きになった脚が見るからに痛々しい。

「久しぶり、ミライちゃん。元…気ではないか。」

「ううん、ぜんぜん元気だよ。来てくれてありがとう!」

そうは言っても、ミライちゃんは普段と比べると明らかに大人しかった。

「今日はお母さんは?」

「さっき来てたよ。一時間くらい前かな?」

「そっか。ご挨拶したかったけどまた今度かな。」

「あはは、そんな気にしないで良いよ!」

「そう?なら良いんだけど…あ、これお土産。お母さんの分も生菓子入ってるからミライちゃんが食べちゃって。」

「わ~ありがとう!気遣わせちゃってごめんね~」

「い、いや気にしなくていい…よ…?」

「? どうしたのケイちゃん。」

「あ…いや何でもない…」

…ミライちゃんがどこか大人っぽく見える。いや、子供っぽさが抜けた?

口調…もだが、よく見るといつも二つ結びにしていた髪を下ろしているからかもしれない。

丁度ボブカット程に切りそろえられた黒髪は、今までミライちゃんのイメージを決定づけていた子供っぽさが取り払われ、垢ぬけた印象を与える。

「入院生活退屈じゃない?普段は何してるの?」

「いや~退屈じゃないよ!片淵教官がこの前お見舞いに来たんだけどさ、『今は身体を動かせないんですから、折角の機会ですし勉学に励みなさい。』って。それで色んな教科の課題をこんなに…」

「うっひゃあ…」

ミライちゃんが見せてくれたベッドの傍らに置かれた物入の中には、これでもかと各教科の冊子が収められていた。

「でも結局ほかにやることもないからさ~、ずっと勉強と本を読んでるの。」

「あ、なるほどそれで…」

「ん?」

「いや何でもない。…ところでさ。」

私は核心の質問をした。

「脚、どう?…走れるようになりそう?」

ミライちゃんが一瞬口をつぐんだ。

「あれ?アオちゃんから聞いてなかった?まだ分かんないって。」

ミライちゃんは苦笑いをしながらそう答えた。

「あれは一週間前以上前だったでしょ。…もう、分かってるんじゃないの。」

ミライちゃんはばつの悪そうな顔をして一瞬目を瞑ると、彼女に似合わないアンニュイな表情を浮かべて呟いた。

「…たぶん、もう元のようには走れないって。」

「…」

分かっていた。

もう一週間以上経っても病状が伝わってこない。

その間に何度かお見舞いに行っていたアオも何も言わない。

もしかしたらアオには伝えていたのかもしれないが、少なくとも私に語ることは無かった。

大きな故障をしたウマ娘の復帰率。

それがどれほど少ないかは、歴史がまじまじと表していた。

だから、おおよそ見当は付いていたのだ。

「…ごめん。嫌なこと聞いちゃったね。」

「ううん。いつか言わなきゃいけなかったことだし。」

「…これから、どうするの?」

ミライちゃんは、まだぽつぽつと雨が降る窓の外を眺める。

「とりあえずリハビリして、歩けるようになるのを目指して…」

そこで言葉が詰まった。

「…どうすればいいんだろ。考えたこと無かったな。」

私には、かける言葉が見つからなかった。

 

トレセン学園の進路には、いくつかある。

まず思いつくのは、プロの競技者、即ち競走ウマ娘となる道。これはまあ多くの人々がまず最初に思いつく物だろう。そもそものトレセン学園の存在意義でもある。

この道に進み、成功した者は競走ウマ娘を引退した後も芸能人としてのキャリアが約束される。タレント、レース解説者、モデル、歌手など。知名度と容姿や歌唱力を活かした職で活躍する。

しかし、この道で成功する者は全競走ウマ娘の数パーセントに満たない。

競走ウマ娘達が名を売る為の舞台であるG1や重賞の数を考えれば、当然の事だろう。

そしてもう一つの道として、レースに挑まずあくまでも学生としてトレセン学園で過ごし、進学、就職を目指す物がある。

トレセン学園はある意味でスポーツ教育に特化した学校でもある為、在籍するだけで必然的にその道の専門知識が手に入る。

それを使えば、上位の学校にスポーツ推薦やらで楽に進むことが出来る可能性が高いのだ。

この選択をするものも、決して少なくない。立派な選択肢の一つだ。

…だが、ここで一つ疑問が残る。

「競走ウマ娘を志しながらも成功する事無く引退した者」はどうなるのか。

…これはもはや悲惨と言っても良い。

そもそもレースに全てを懸けて学園生活を送ってきたため、多くの生徒はそれ以外の道を考えていない。

レースの為に時間を割いてきたため、世間一般の学生よりも学力も低い。

たった一つの目標を失った競走ウマ娘は、文字通り「空っぽ」となってしまう場合が少なくないのだ。

中央でさえそれが起こり得る。ならば地方ともなればさらに深刻だ。

それこそ数十年前ならば、「女の子はお嫁に行くものだから気にしないで良い」で済んだのかもしれないが、今の時代そうは行かない。

――だが。

「まだ一年の一学期も終わってないんだからさ。ゆっくり考える時間はあるよ。」

不幸中の幸い、というのはどうかと思うが、私たちはまだ一年生だ。

今ならまだ勉学の道に入るのも全然できるし、最悪普通の中学校に転校する選択肢も取れる。

「そうだよね。…うん、そうする。」

彼女はそう答えた。

「そうだ、カナちゃんはどうしてる?調子が悪いってきいてるけど。」

「あ、それは…」

私はちらっと扉の方を見る。

扉は閉じられたまま、音も聞こえない。

「…もう良いみたいだよ。月曜日から学校来るって。」

「そっか。でもカナちゃんにもお見舞い来て欲しかったなぁ。」

「何か話したいことあったの?」

「うん。ミライ…カナちゃんに謝りたいことがあって。」

「謝りたいって?」

「うん。ケガしてからここで一人になる時間が増えて、その時気づいたんだ。ミライ、ずっとわがままな事ばっかりしてたなぁって。」

「わがまま?」

「ミライね、ほんとは自分が子供っぽいってわかってたの。」

「…そうなの!?」

「うん。ミライね、自分の思い通りにならない事が怖かったんだ。勉強も、レースも。遊びも。でも子供のうちなら、それは許してもらえるでしょ?『子供だから仕方ない』って。でもさ、大人になった途端それは自己責任って言うよね。

だから…ずっと子供のままで居たかった。上手くいかなかったらそのたびにだだこねて。子供っぽいって言われるのは嫌なのに、大人になるのも怖い。どこかで変わらなきゃって分かってたけど、宙ぶらりんのままで居たかった。

そこでカナちゃんに怒られた。生まれて初めてカナちゃんをあんなに怒らせた。あの時は意地っ張りで言い返したけど、カナちゃんの言ってることは間違ってないって心のどこかでは分かってて。どうしたらいいのか分からなくなって集中せずに走って、結局ばちが当たった…」

「ミライちゃん…」

「もっと早く大人になってたら、カナちゃんの言う事を聞いてたらこんな事にはならなかったのかなって…今になって気づいたの。だからカナちゃんに謝りたいなって。」

「…そっか。」

「…ケイちゃんから話しておいて。『ごめん』って。仲直りできるかは、分からないけど…」

初めて知った、ミライちゃんの本心。彼女の中にも、自己矛盾が存在していた。

この二人は、つまるところ不器用なんだ。

互いを信じているのに、すれ違う。傷つけてしまう。

なら、その解決の役目は私ではない。

「…だめ。」

「えっ?」

「それはカナちゃんに直接言ってあげなよ。」

私はそう言い残すと病室の扉を開ける。

「あっ…」

案の定カナちゃんが耳を扉に付けて会話を聞いていた。

「ほら、聞いてたでしょ。」

「でも…」

後ろを見るとミライちゃんが鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。

「私はここで失礼するから、二人でしっかり話してきなよ。…遠慮なんて、もう要らないでしょ?」

「…うん。」

私はカナちゃんが病室に入っていくのを見届けると、一人で廊下を歩きだす。

 

結局二人は、どこまで行っても親友なんだな。

私は改めてそう思うとともに、そこまで互いを思える二人を少し羨ましく思いながら寮への帰路に就いた。

 

 

 

そして月曜日。

HR前の時間にいつも通りアオやニシノちゃんと話していると、おもむろに教室の引き戸が開いた。

私たちはそちらの方向に目線を向ける。

「あっ…!」

アオが口元を抑えて声を漏らす。

そこには、鞄を持ったカナちゃんが立っていた。

「カナちゃん!もういいの!?」

「うん。…心配かけてごめんねアオ、ニシノ。」

「ええ。よろしくてですわ~。」

良かった。いつものカナちゃんだ。

「カナちゃん。」

私は彼女に語り掛ける。

「おはようケイちゃん。一昨日はありがとう。」

「いいよ。ミライちゃんとは話せた?」

「うん。面会時間終了まで話し込んで少し怒られちゃったけど。」

「そっか。」

――二人が何を話したのかは、最早聞く必要が無いだろう。

憑き物が取れたように晴れやかな彼女の表情を見れば、そんなもの容易に想像できたから。

 

 

 

そしてカナちゃんの復帰の翌日。

私は楽屋前の廊下に立っていた。

「良いなケイ。トレーニングでやったことを忘れるな。堅実にいけば勝機はある。」

「はい!トレーナーさん。」

トレーナーさんに最後の激励をしてもらうと、私はパドックへ向けて歩き出す。

 

『荒尾レース場第一レース「ジュニア」、ジュニア級1300m戦。出走ウマ娘7名のパドックをお伝えいたします――』

そう告げるアナウンスの音声は、雨音に紛れ少し聞き取りづらくなっていた。

梅雨真っただ中で連日降りしきる雨は、第一レースから既にコースを不良バ場へと変貌させ、レースの行方をまったく分からなくしていた。

それは私を筆頭に二番人気が三人もいるという珍しい状況からも容易に見て取れる。

しかしその中でも抜きんでた圧倒的一番人気は…

『さあ、ここで登場したのは前走を六バ身差で圧勝した荒尾のニューヒロイン候補!三枠三番ブルーアラオ、圧倒的一番人気です!』

「アオちゃーん!頑張れよー!」「応援しとるばーい!」

相変わらず凄まじい人気だ。

雨の中であってもパドックに立つ彼女の姿は美しく、ファンの注目の的となっていた。

私の名前を叫んでくれるような人は、流石にまだ居ないか。

「ケイちゃん!」

居た!?

私がその声の主を捜すと、傘を差したカナちゃんが私の方に手を振っていた。

私はにこりと笑うと、彼女に手を振り返す。

…応援してもらえるなら、頑張らなきゃな。

今回も確実に苦しい戦いになる。なにしろ今回のレースにはあの時のデビュー戦に出ていたメンバーの半数以上が揃っており、その中には私と走った前走との間にさらに一戦を重ね経験を積んだニシノちゃんや、デビュー戦で私に先着したデコトラちゃんもいるのだ。

しかし、この中でアオ以外に勝利を経験しているのは私一人だ。

前走で実力は証明した。

だからこそアオを下すなら、私しかいない。

そう信じて今日の舞台を迎えた。

アオ一強ムードの今の荒尾のジュニア戦線。

私が覆して見せる…!

 

 

 

『さあ荒尾レース場第一レース、出走各ウマ娘の本バ場入場です。勢いよく飛び出してきたのは快速自慢のウマ娘、一番デコトラ。ブルーアラオの差のついた二着に泣いた前走の無念を晴らします。続いて出てきたのは四番ニシノシャダイ。近走三戦で掲示板内二回と安定した戦績。今日こそ悲願の栄光を目指します。さあ続いて出てきたのは圧倒的一番人気!三番ブルーアラオです!キャリア一戦ながらもこの支持率!スタンドも湧いております!』

いつも遠くから聞こえるアナウンスや歓声が良く聞こえる。

スタートを待つ私が感じたのは、そんな印象だ。

降りしきる雨で止まない雨によってスタートを前にして体操服と靴はぐっしょりと濡れてしまい、かなり不快感がする。

今日の私は七人立ての7番で最大外。

やはり逃げを狙うにはあまり向かない枠順となった。

しかし問題ない。今日の私は番手狙い。

無理して先頭を目指さなくていいなら、この枠順も決して悪くない。

やがて少し気の抜けたファンファーレが鳴り響くと、枠入りが始まる。奇数番の私は先に枠入りする。

同じく奇数番のアオの姿を見ようとしたが、微かに栗毛の髪が隙間に覗いただけだった。

水がしみ出すバ場をぎゅっと踏みしめる。

鼓動が高まる。息を大きく吸って落ち着かせる。

『さあ係員離れます…態勢完了!』

ぎゅっと歯を食いしばる。

そして、視界が開けた。

『スタートしました!』

 

歓声に送られながら勢いよく飛び出す。上手くいった。

しばらくまっすぐ走って少しずつ内ラチ側へ切り込んでいく。

ゴール板を抜け第一コーナーの入り口が近づいてくる。

さあ、視界にアオの後ろ姿が見えるはずだ。ここまではシュミレーション通り…

通…り…

「…えっ!?」

 

確かに、彼女の姿はそこにあった。

灰色に包まれた雨天の中でも彼女の淡い栗毛の髪はよく目立った。

問題は、その後ろ姿が、「小さすぎた事」だった。

 

『おっと!?なんとブルーアラオ単独先頭ですがこれは大逃げ!大逃げです!これは全く予想外の展開!スタンドからも驚きどよめきの声が聞こえます!』

大逃げ!

全く想定外の展開に私は面食らった。

よりによってアオが一番選ばないであろう逃げ方を選択して来た!

 

一口に逃げと言ってもいくつか種類がある。

そもそも逃げは最初からハナを切ってそのまま先頭で粘り切る戦法ではあるが、ただ無策に先頭を行ったところで結局後方のウマ娘に追いつかれる可能性が大きい。だからこそ、歴代の逃げウマ娘達は様々な個性的な逃げを生み出して編み出してきた。

最初から最後までペース管理を徹底し、ばてる事無く確実に逃げ切る「サイボーグ」のような逃げ。

ペースを操ることでレースの主導権を握り、相手のスパートのタイミングをを引っかけることで惑わせる「トリックスター」のような逃げ。

――そして最も派手にして最も成功率の低い逃げ、それが大逃げだ。

ハナからトップスピードで二番手以下を完全に突き放し、あわよくばそのまま最後まで走り切れることを狙う…いや“祈る”逃げ方だ。

最初からトップスピードなど発揮するものだから、ごく一部の例外を除いてまずスタミナが持たない。

しかし稀に相手が油断した結果逃げ切りを許したり、無理についていこうとしたが為に全員ばてたり故障したりと破滅を招く事で勝利する事がある。

歴史上大逃げを好んだウマ娘は決して多くはなく、それゆえに数少ない活躍したウマ娘には「狂気の逃げウマ娘」やら「ターボエンジン」やら「異次元の逃亡者」やら大層な二つ名が与えられ、その走りはファンたちの記憶に刻み込まれている。

そう、つまり何が言いたいかというと大逃げはギャンブル性が強くまず使われない、ましてや堅実で真面目なアオが使うなど想定していなかったのだ。

そう思っていたのに、目の前のこの光景。

私は作戦通り二番手に付け、デコトラちゃんがすぐ後ろにつける。概ね想定内の範疇なのに、アオの位置だけが想定外。

私は混乱していた。

…どうする?

大逃げへの対処法はどうあがいても二つ。

追従か静観か。

今はレースの真っただ中。長く迷える暇はない。

私は必死に頭を働かせ、結論を出した。

――静観。

そもそも今回の作戦はアオのスタミナが私に少し劣る点を突いて練った物だ。

その考えで行けば、アオがこの局面で大逃げを使っている以上考えられる展開は一つ。

アオは最終直線で失速する。

そうなればスタミナを残した私が差し切れる可能性は大きい。

アオが無策で大逃げを選んだとは考えにくいが、それでも定石通りならまず持たないはずだ。

シュミレーション通り行けばいい。

私はそう自分に言い聞かせると、予定通りこの位置で留まることにした。

『さあ向こう正面に入ってブルーアラオ依然先頭一人旅。大きく離れて二番手にケイウンヘイロー、すぐ後ろにデコトラが追走。四番手にディアブロオーカン、ナガノコバンが続いて第三コーナーに差し掛かります!』

やはり来た!

第三コーナーに入ってからデコトラちゃんが並びかけてきた。

抜かせない!

私も前に出る。さあ、そろそろスパートだ!

想定とは違い、アオの後姿をかなり前に見ながらだがスパートをかける。

「勝負だ!アオ!」

そう叫んで泥飛沫を上げながら彼女の背中を追う。

追う。

追っている。

はずなのに。

「…!」

差が縮まらない。

それに気づいたときには既に第四コーナーを過ぎた後だった。

『さあブルーアラオ独走!ブルーアラオ独走!二番手争いはケイウンヘイローとデコトラ!先頭との差は縮まってきているが、これはどうやら届きそうにない!』

嘘だ。

大逃げを使ったアオのスタミナが持つはずがない。

差は確実に縮まっているが、どうやっても届かない。

何で。

何で届かないの。

デビュー戦で負けてから、トレーニングも意識も改めた。

今日の為に何度も対策を練った。

彼女に、少しでも追いついているつもりだった。

なのに、この埋まりようのない差は、一体何なの。

何が…ここまで違うの。

『期待に応え、ブルーアラオ先頭でゴールイン!またも圧勝!他のウマ娘をまるで子供扱いする圧倒的な強さを見せました!二着は接戦ですがどうやらケイウンヘイローが入線!三着にデコトラか!』

 

降りしきる雨を吹き飛ばすがごとき大歓声が起こった。

それが誰に向けられたものかは、もう考えるまでもなかった。

呆然とした私が見つめる先の彼女は流石に疲れた様子で、息を切らしながらファンの声に答えていた。

掲示板には、一着と二着の間に5という数字が点灯している。

5バ身。

最早惜敗という言葉も使えない、完敗だった。

今回のレースでアオの単独トップの座を揺るがす。そのはずだったのに。

逆にアオを最強の座へと押し上げてしまった。

「おいおいまじかよ!」「これは九州JGも決まったな!」

ファンの人たちの声が聞こえる。

もう、みんなの目にはアオしか見えていない。

アオは完全なる主人公へと成り上がってしまった。

…検量室へ行こう。

その場に留まるのが居心地悪く、私は足早に立ち去ることにした。

 

検量室へと向かうと、そこにはトレーナーさんが立っていた。

「…トレーナーさん。」

「ひとまず、お疲れと言っておこう。決して悪くない走りだったぞ。」

「…また…負けました…」

私は絞り出すように声を出した。

「想定外の展開に惑わされたな。お前は気づかなかったかもしれないが、最後の方はブルーアラオもかなり一杯になっていた。早めに追走してれば可能性は…いや、すまん。忘れてくれ。たらればは禁句だ。」

「違うんです!私、私まだスタミナ残ってたのに…思ったほど距離が縮まらなくて…」

「それはパワー不足、加速力の問題…になるが、お前のパワーはジュニア級の割にはかなり高水準だ。あそこから届かせるには中央のオープン級以上のパワーが必要と考えていい。だった。決して恥じる必要はない。」

「でも!私まだ自分に納得できません!もっとトレーニングしてたら…」

「…ケイ。自分を責めすぎるな。これを言うのはなかなか気が引けるが…」

その時、検量室の天井から吊るされたテレビに勝利者インタビューの様子が流された。

その中で、インタビュアーの「次走は何を考えていますか?」という問いに、アオは笑顔で答えた。

『中央や他の地方への遠征も含めて、様々な可能性をトレーナーさんと考えています!』

テレビを通じてでも、観客の感嘆の声が聞こえて来た。

そうか。

私はそれを聞いてどこか合点がいった。

夕方のライブで、彼女の後姿を見て踊りながらも、考えた。

 

アオは、“特別”なんだ。

 

デビュー二戦で荒尾を飛び出す事まで視野に入れられる。

 

能力も容姿も頭脳も性格も、アオには全てが揃ってる。

 

私は結局“平凡”だから、敵わないんだ。

 

私とアオの間に広がる差は、五バ身などという数字を超え、

水平線まで何も見えない大海原の様に、無限に広く感じた。

 

今の私はその海原の中を、ただただがむしゃらに前に進もうと、もがいていた。

 




今回投稿後に見返したら削除したはずの部分が戻っている二重表記の部分が多く見られたので修正を行いました。非常に見づらくなってしまい大変申し訳ございません。
概ね訂正したはずですがまだ残っている箇所がありましたらご指摘くださると幸いです。
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