ウマ娘 潮騒のアレグレット   作:秋月@小説

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第十二話です。
はい、すみません。二か月も投稿しなかった事の釈明を致します。
一つは大学のテストです。僕は一応は理系の癖に数学が絶望的に出来ないというお前船下りろ案件の脳構造をしており、期末試験を前にガッチガチに勉強しなければ普通に落単してしまうのです。
だから一か月前から勉強する必要があったんですね。
え、結果?…来年また頑張ります。
二つ目は帰省や大学の研修の関係です。これが連続してあったので八月前半はほとんど執筆する暇が無かったのです。こればっかしはどうしようもありませんでした。
しかしながら待っててくださる方もいらっしゃるというのにほとんど何のアクションも起こさず失踪しかけていたのは素直に申し訳ございませんでした。生きてるのか怪しい場合は僕のTwitterを覗いてくだされば幸いです。

さて、本編の方は遂に重賞、九州ジュニアグランプリです。
初期のころから名前だけは出してきて、どんな展開するかも色々練って来たレースです。楽しんでいただければ幸いです。また、もう一つ描かれる中央のレースの方はあえて名前は頑なに出していませんが言わずと知れたあの馬のレースです。
「あーこの物語ってこんくらいの時期だったんだなー」くらいに感じて頂ければと思います。


次回で第一章最終話となります。可能な限り次は遅れないように執筆いたしますのでお付き合いいただければ幸甚に存じます。
では、本編をお楽しみください。


決戦、九州ジュニアグランプリ

 その知らせがトレーナーさんの口から語られたのは、アオのレースが終わった翌日の事だった。

アオはその日の遅くに帰ってきて、らしくもなく着の身着のままベッドに倒れ込むように寝てしまった。

既に床に入っていた私は寝ぼけ眼でそれを確認すると、あえて何も言葉を掛ける事無くそのまま眠りについた。

そして明朝、いつもならば私より早く起きて朝練の準備をしているはずのアオは微かに寝息を立てて寝入ったままだった。

激走がよほど体に響いたのだろう。私も特に起こすことなく朝練に出発した。

そもそもアオは中央への特別出走手当として一日公欠が認められている。あれだけ頑張ったのだから一日休んだところで誰も責めはしないだろう。

私は正門から国道へ出ると、南へ向けて走りだす。

残暑は未だ厳しく、昼間は三十度を超える日が続く。暦の上ではもう秋の筈だがその気配が近づいているなど到底感じられない。これも温暖化とやらの仕業なのだろうか。

チェーンのハンバーガー屋の前を走り抜けると、右の脇道に逸れる。そこには防波堤沿いに続く細い道がある。

この道はアオに教えてもらった道だ。地元の人もあまり通らないし国道で車に気を遣って走る必要もない。

右手に広がる今の有明海は干潮と満潮の間くらいか。毎日見ているせいか今がどれくらいなのかいつの間にか分かるようになってきた。

陸地に近い方に居る水鳥達はまだのんきに餌を探してはついばんでいる。

小さな祠がある角を曲がり、国道の高架の下を通ってまた一直線に続く海沿いの小道へ出る。

防波堤に描かれた味のある絵が視覚にも楽しい。やがて行き止まりへ差し掛かるので左に逸れる小さな橋を渡って船着き場の脇を走る。

ここでようやく地元の人に会う。向こうが道を譲ってくれた。

「おはようさん、頑張ってね~」

「ありがとうございます!」

軽く会釈を返して走り続ける。ここまでくればゴールは目の前だ。

松林の中を抜けると海の方へ道を右に曲がる。

ここは六月にミライちゃんが連れてきてくれた干潟だ。

ようやく私は走りを止め、タオルで汗を拭う。

六角形の亀の甲羅みたいな形をしたブロックが敷き詰められた海岸の段に腰掛ける。

目の前には有明海がずっと向こうまで続く。しかし今日は対岸までは薄曇りではっきりしない。

夕方は夕日目当ての人々で割と賑わうここも朝方は貸し切りで静かなものだ。

そよそよと風が火照った頬を撫でる。

少し落ち着くと、やがて私は立ち上がる。

「…よし、もう一本!」

そして私は、今来た道をレース場まで引き返すのだった。

 

いつものように授業を受け、足早にチームの部屋へ足を運ぶ。

先週トレーナーさんから今日は次走についての打ち合わせをすると聞いていたからだ。

「お疲れ様です!」

私が挨拶をして部屋に入ると、意外にもトレーナーさんはまだ来ていなかった。

代わりに先輩が片手にスマホ、もう片手にダンベルをもってトレーニングをするという器用な事をしていた。

「お、ケイちゃんお疲れ。」

「こんにちは先輩。トレーナーさんまだ来てませんか?」

「いやー?うちが来たときはまだ居なかったよ?」

「そうですか…先輩今日はずっと筋トレですか?」

「うん。まあそれしか出来ないからね~」

先輩は先月のレース後に脚に怪我をしてしまい、今は次走未定で基礎トレに励んでいる。

「そういえば昨日のケイちゃんのお友達のレース観たよ。惜しかったね~」

「はい…途中まで本当に行けるんじゃないかって思ったんですけど……」

「まあ仕方ないよ。あの子はまた中央に挑戦するの?」

「まだ分かりません。今日公欠で会ってないんで。」

「そっか。ん~でもあれくらいならもう何回か走れば勝てそうな気もするけどね。ダートに変えてみたりしたら条件戦くらい案外さくっと勝ちそうだけど……」

そんなことを言っていると、トレーナーさんが部屋に入って来た。

「すまん、待たせたな。」

「あ、お疲れ様です。」

トレーナーさんは机に手に持っていた資料を置くと、壁際のホワイトボードの前に来る。

「では、予定通りケイの次走について話をしよう。ブラックはそのままで良い。」

「はーい、どうせこれくらいしかできないけどね。」

私は少し身構えていた。

というのも、今まで次走は特に何事もなくレースの翌日くらいには決まり、トレーナーさんが私に伝えてくる形だったのが、一週間近くの時間を置いて話し合うという形で決まろうとしているのだ。何かがあると考えるのが自然だろう。

「さて、ケイ。次走の候補なんだが……」

「……はい。」

「重賞、九州ジュニアグランプリはどうだ。」

「……え?」

私は思わず聞き返した。

そのレース名は知っていた。デビュー戦直後からアオ達といつか一緒に出られたらいいねと話していたレースだからだ。その後のごたごたで皆で揃って出走できる可能性は潰えてしまったのだが……

「で、出られるんですか?」

「ああ。」

トレーナーさんはさも当然といった様子で答えた。

「ジュニア級九月時点で五戦三勝二着一回。戦績は十分だ。これで出られないなら他に出られるやつを探す方が難しいと思うぞ。」

「……そ、そうですか。」

私はアオという存在に勝てなかった事に気を取られすぎていたが、冷静に考えたら決して見劣りしない成績を既に上げていたのだ。

重賞。その響きは甘美だ。毎年7000人以上デビューする競走ウマ娘の中で、何割がその出走権に手を届かせ、何人がその栄冠を手にできるだろうか。

そこにまで私は到達しているとなれば、出ない理由はまず無いだろう。

だが。

「……トレーナーさん。アオは…ブルーアラオは出て来ると思いますか。」

トレーナーさんは手元のファイルをめくる。

「まだ陣営から次走は発表されて無い。次も中央に挑む可能性はあるが、そうしないなら、確実に出てくるだろうな。」

「そうですよね……」

私は考え込む。

はっきり言おう。私はアオが出てきた場合、今の自分に勝算は無いと感じていた。

私だって強くなっている。その自信はある。

だが、アオの昨日の走りを見ても、あの域に自分が比肩しうるとは到底考えられなかったのだ。

……勝算が初めから無いなら、回避して確実に勝ちを狙いに行った方が良いのでは。

私の心には、そんな感情が生まれていた。

「あの、トレーナーさん。」

私がそう言いかけた時、先輩が口を開いた。

「ケイちゃん。その考え方は違うよ。」

「えっ。」

「ケイちゃん、勝てないなら初めから戦わない方が良いって考えてるでしょ。」

「それは……」

「まったく、四月に初めて会った時は純粋で可愛い子だったのに、もうそんなひねくれた事考えるようになっちゃったかね。…あのね、ケイちゃん。強い子が強い子と戦わないと、レースの仕組みそのものがおかしくなっちゃうんだよ。」

「それってどういう事ですか?」

「例えばだよ。一流の名バ達……シンボリルドルフでもテイエムオペラオーでもいいけどさ、あの人たちにダート適性があるのかは抜きにして荒尾に来て走ったら、どうなると思う?」

「……多分、圧勝すると思います。レースになるかすら怪しいかも。」

「でしょ。じゃあそれを見てケイちゃんはどう思う?強いな~凄いな~で済む?」

「……なんでこんなところで走ってるんだろうって思います。」

「うん。そして、その理由が『G1で走って負けるのが怖いから勝てそうなところを狙った』だとしたら?」

「『何それ?』って思います。……あっ。」

「うん、そういう事。強いウマ娘が自分より格下と走ることを選ぶことは確かに出来るし、勝つことは出来るよ。でも、その勝利には意味がない。脚を前に出したら歩けたくらいの事。そうする事で確かに負ける事は無いけど、一緒に走らされる格下からすれば有害でしかない。……自分達が得られるはずの勝利を強奪されてるような物だもん。」

私は目から鱗が落ちた気分だった。

「そもそもそれをされると、誰も勝ちあがれなくなる。レース界の新陳代謝が正しく機能しなくなる。それをされてG1で勝った側も勝った側で勝利の価値に疑問符が付く。レースの権威すら揺らぐ。」

「……」

「ケイちゃん、それは確かにルール違反じゃないけど、他のウマ娘の為にもやっちゃいけない事だよ。そして何よりも……」

先輩はにこりと笑って答える。

「レースは始まるまで何が起こるか分からない!確かにあの子は強敵かもしれないけど、勝てる可能性はゼロじゃない!少なくとも勝利の可能性は誰にだってあるんだし、ほとんどの子が欲しくても手に入らない出走権があるんだから、折角だし使わないと勿体ないよ。」

「……はい!」

私がそう返事をすると、黙っていたトレーナーさんが口を開いた。

「ブラック、お前……」

「ふふん、お礼は良いよ。うちはケイちゃんに走ってほしかっただけだから。」

「……何か変な物でも食べたか?お前らしくもない事を。」

「はぁ~!?それは無いでしょトレーナーさん!しかもそんな真顔で言わないでよ!」

先輩はトレーナーさんに食って掛かる。私はそれをどうどうと窘めた。

「悪い悪い。だがケイ、俺も概ね同意見だ。滅多にない機会なんだ、出た方が良い。」

「はい。でも……本当にアオには勝てる気がしないって言うのが本音です。」

「そこはこれからのトレーニングで解決しよう。まだ一か月あるんだ。かなりきつくなるが、やれるな?」

「はい!」

「頑張ってね~うちはとりまゆっくり療養させてもらうから~」

「何言ってるんだ。ブラックもやるんだぞ?無理ない範囲ならリハビリも兼ねて運動しないと体がなまる。」

「……うそぉ。」

「あはは、先輩も頑張りましょう?」

「は~い……」

 

そして九州ジュニアグランプリに向けたトレーニングが始まることになるのだが、その前に。

九月二十一日。

『さあ第五レースはジュニア級メイクデビュ―「ストロングガール。」九名のウマ娘で争われます。』

その日のデビュー戦には、見慣れた顔が挑むことになっていた。

「カナちゃーん!」

ミライちゃんがパドックに向かって呼びかける。

名前を呼ばれた彼女は少し照れくさそうに手を振り返した。

そう、カナちゃんが私たちに遅れる事約四か月、満を持してメイクデビューを迎える事になったのだ。

「二番人気、評価は悪くないね。」

「カナちゃん今日までずっと頑張って来たんだもん。絶対勝てるよ!」

「そうだね……」

四か月前に初めてあそこに立った時の事を思い出す。

あの頃の私はどこか根拠のない自信に溢れていて、もしかしたら自分は特別なのかもしれないなんて考えてたっけ。

それと比べたら、今の私は卑屈になったという先輩の言葉はあながち間違いでは無いのかな。

私としては自己評価が正しい水準に収まったという感覚だけど。

どこか緊張した面持ちの出走ウマ娘達は不慣れな様子でパドックを終えると、コースへとバ道を進む。それに合わせて私たちもスタンドの中を通ってコース側へと移った。

条件は私たちが走ったデビュー戦と同じ、800mの短距離戦。

ジュニア級メイクデビューの時期はもう佳境に差し掛かっているので、観客の関心も六月程は無い。関係者と思われる観客の声援がまばらに飛ぶ程度だ。

それもそのはず、この時期のデビュー戦では最早ジュニア級最大のレースである九州ジュニアグランプリには間に合わないからだ。

ファンファーレが鳴り響くと向こう正面のスタート地点にカナちゃん達が並ぶ。

観客たちが思い思いにスタートを見つめる中ミライちゃんは祈るようにぎゅっと手を合わせていた。

 

彼女たちの誰かは、もしかしたら更なる高みへ羽ばたくのかもしれない。もしくは苦難の道を歩むことになるかも、あるいは間もなくレースの道を諦め、次の夢を見付けるのかもしれない。

しかしこの瞬間だけは、十人十色の道を歩む彼女たちは同じスタートラインに立つ。

まだ誰にも分からない未来がここから始まる。

――なるほど、メイクデビューを見るのが好きだという人の気持ちも分かる気がする。

そして彼女たちの競走生活が今この瞬間、

 

スタートした。

 

 

 

『ヒロノジョー先頭でゴールイン!見事に人気に応えました!二着はスターオブシーズン、大きく離れて三着にタカキカナチャンかグレートコスモスといった態勢か!』

「「あぁ~……」」

私たちの声が揃った。

カナちゃんは後方に控えてレースを進め四コーナーから見事に追い込んだのだが……如何せん前の二人が速すぎたからか、かなり差を付けられて最後は三番手争いでゴールした。

「まあ、こういう時もあるよね……」

そもそもメイクデビューで勝てるウマ娘の方が圧倒的少数なんだ。残念ではあるけど深刻にとらえる必要は無いはず。

ここからのフィードバックでこれからが決まる。……それが私が学んだことだ。

 

――その後控室から戻って来たカナちゃんと会った。

カナちゃんは苦笑いしていたが、流石に悔しさを隠しきれていなかった。だがそれでも闘志は失っていないようで、次のレースへの決意を滲ませていた。

そんな会話の中で、私は彼女が呟くのを聞いた。

「やっぱりアオみたいにはいかないなぁ……」

 

――カナちゃんもそう口にした。

六月一日の初めてのメイクデビュー以来、毎週のようにメイクデビューが行われ、クラスメイトも先輩たちもデビューしていった。

そしてそのウマ娘達の多くは、凡走しか出来ずに初めてのレースを終える事となった。

アオの評判は荒尾ではほとんど周知の事実となっており、もうメイクデビューを迎えるウマ娘にとっては一種の目標になっている。しかしあそこまでの圧巻の走りを出来るウマ娘なんてそうそう現れるものではない。それどころか大半がレースの世界の現実をまじまじと見せつけられる始末だ。

どこかの誰か曰く、「数年に一人の逸材」だというアオ。

そんなのがそうポンポンと出てくる程世界は都合よく出来ていないという訳だ。

……そしてそんなのを真正面から負かそうっていうんだから、我ながら無謀もいい所だ。

でもトレーナーさんも後押ししてくれたんだ。もう一度正面から向き合うって決めたんだ。明日からのトレーニング、頑張るぞ。

 

 

 

――で。

「それがこれですか……」

私は目の前にある階段を見上げた。

ここは四山神社……ではなく荒尾市のお隣、玉名市の蛇ヶ谷公園。

いつも通りトレーニングを始めようとしたらトレーナーさんからリュックを渡され車に乗るように促され、あれよあれよと連れて来られたのがこの場所だ。

「なんかてっきり凄いトレーニング施設があってそこに連れていかれるのかと思ったんだけどね~。で、トレーナーさん結局やるのは階段ダッシュ?」

「いや、お前たちにはこれからこの山を登ってもらう。」

「「はい?」」

困惑する私たちにトレーナーさんは一枚の紙を手渡した。

どうやらインターネットからコピーして来たらしいその紙には『小岱山登山道』と書かれていた。

「しょう……なんて読むのこれ?」

「『しょうたいざん』だ。ここから登り始めて山頂まで三時間半ほどかかる。が、まあ今日は山頂の筒ヶ岳ではなく手前の観音岳まででいい。それでも人の足で歩くと三時間はかかるがな。」

「いやいや日が暮れちゃうよ!?夜間登山なんかやった事無いし!」

「言っただろ、『人の足で歩くと』って。」

……まさか。

「トレイルランという言葉を聞いたことはあるか?」

「……は、走るんですか!?」

「観音岳までの間なら極端に危険な場所は無い。ウマ娘の脚で走れば十分早く帰り着けるはずだ。」

「……トレーナーさんって、意外と根性論派?」

「その論議を今している暇は無いと思うぞ。タイムリミットは日没まで。一応懐中電灯をリュックに入れてあるが使わないで済むように戻ってこい。そうだな……制限時間以内に戻って来れたらご褒美を用意しよう。」

「えっ、どんなの!?」

「後からのお楽しみだ。さあ行った!」

「ええ!?」

そう言われてとりあえず私たちは走り出した。

「どうします!?」

階段を駆け上がりながら先輩に話しかける。

「とにかく行くしかないでしょ!日没って何時くらいだっけ?」

「た、たしか六時くらいです!」

「えっと今が一時半だから……四時間半!?道も知らないのに無茶すぎでしょ!」

「ご褒美が見合ってると良いんですけどね……」

「これでお菓子一つとかだったらまじで締め上げる!」

そんなことを話しながら階段を駆け上がる。

しかし上まで登るとたちまち階段は姿を消し、森の中の未舗装の山道へ変わる。

「ケイちゃん、登山の経験は?」

「高尾山なら!だけどあそこは上まで舗装されてたんでもう未経験の道です!」

「オッケー、私も藻岩山だけ!地獄だー!」

ぼやきながら登山道に挑む。落ち葉が降り積もる登山道の両側は中々急な斜面になっていて落ちたら怪我はしなくても自力で復帰するのは無理だろう。せめてスピードが出せればまだ良いのだが道は真っ直ぐではなく、思いっきり脚を上げなければいけない段差も所々あり思い通り走るのはまず不可能だ。

こうも走るのに制約があると少しモヤモヤしてくる。

景色も代わり映えしない木々ばかりで全然楽しくない。登山が趣味だという人たちは一体何を考えて登ってるんだろう。

それでもウマ娘の脚をもって登っているからだろうか。ペースはかなり早いと思う。この調子なら日没までというのも目ではないかも……

「あ、もしかしてあれ!」

先輩が指をさす先には森の切れ間があり、空が見えていた。

え、もしかしてもう山頂着いちゃった?

小岱山恐るるに足らず?

などと考えながら登りきると、そこにはそこそこ広めの広場があった。

テーブルがいくらか設置され休憩できるようになっている。

「いやー着いたね!」

「結構余裕でしたね。」

「ほんと!人ならこれに三時間かかるなんてほんとウマ娘に生まれて良かったー!」

全くだ。トレーナーさんは日没までとか言ってたがこれなら後二往復は行けるんじゃなかろうか。

「とりあえず休憩しようよ。リュックの中色々入ってるっぽいし。」

「ですね。」

私はリュックのチャックを開く。

中には水が入ったボトルと固形の携帯食料。懐中電灯と応急処置用の医薬品が入っていた。

「ザ・最低限って感じだね。お菓子とか入ってるかなって思ったんだけど。」

「まあトレーナーさんですし……」

「そうだねトレーナーさんだからね。その割にはご褒美を用意するなんて気が利いてるよね~」

「ですね。何なんだろ?」

そう言いながら私は携帯食料の袋を開けもぐもぐと食べだす。

が、これがいけなかった。この種の食べ物は口の中の水分を持って行く。

そもそも走っていたために喉が渇いていた私の口内はたちまちからからになってしまい、慌ててボトルの水を半分ほど一気飲みする。

「あはは!ケイちゃんそんなに飲まなくても!」

「つ、つい……でもまあ後は下りるだけですし……」

「まあそれもそっか~」

そう言うと先輩も中々良い飲みっぷりでボトルの水を喉に流し込む。

そうしてからしばし話していると、登山用具で全身を固めた二人のお婆さんがやって来た。

「あら!トレセンの子がここにいるなんて珍しかね~!」

「こんにちは!トレーニングの一環で山登りをしてるんです。」

「あら~ほんなこつね!お疲れ様やね~」

「私達も今下りてきたところとよ~。せっかくやけんアメちゃんばあげるたい!」

そう言ってお婆さんは私に飴玉を二つ渡してくれた。

「わあ、ありがとうございます!」

「よかよか!じゃあ頑張ってね~!」

おばあさんたちはそう告げると、明朗に笑いながら下りて行った。」

「いい物貰ったね。」

「はい。……あの、先輩。」

「ん、何?」

「私の聞き間違いかもしれないんですけど、今お婆さん『下りてきた』って言ってませんでした?」

「……おっとぉ?」

私は広場の隅に立っている案内看板に駆け寄る。

そこにはしっかりと現在地の名前が記されていた。

「笹千里駐車場」の名が。

そしてここから始まる、小岱山登山道のルート図が。

 

「えっ観音岳までここから95分?……ケイちゃん今って何時?」

「……三時半です。」

「……わあ。」

しばし沈黙。葉の擦れる音と小鳥の鳴き声がなんとも心地いい。

そして刹那、私たちはテーブルにリュックを取りに行き、走り出す。

「ケイちゃんもう一回聞くけど日没時間は!」

「六時です!」

「うおおおお走るよケイちゃん!」

「もう走ってまーす!」

駐車場から始まるなだらかな登山道を駆け上がる。道の両側には木々が生え、トンネル状になっている枝葉は子供の頃に観たアニメ映画のワンシーンみたいだ。

だが今はそんなこと考えている暇はない。

必死に走ろうとするがかなり大きな段差がそれを阻む。

ああもどかしい。いっそ飛び越えて行ければ……

……あ。

「そうだ飛び越えれば良いんだ!」

そう思いついた私は脚に思いきり力を込めて地面を踏み切る。

私の体は地面を離れ二段ほど上に着地する。

「! ……そっか!バカ正直に登って行く必要は無いんだもんね!」

私はこくりと頷くとひょいひょいと跳びながら上って行く。踏み切っても崩れなさそうな場所を選びながら登るのは中々頭を使うがスピードは格段に上がった。

流石に向こうから人が来たら止まるものの、そもそも人とあまりすれ違わないからペースはあまり乱されない。

ちょっとトレーナーさんがこれをトレーニングに取り入れた理由が分かった気がする。

トレイルランを通じて私の脚の瞬発力を鍛え、長距離を登らせる事でスタミナを、さらに考えながら登ることで走っている途中の思考力を。

加えて荒れた路面を走ることで体幹までも鍛えられる。

ただの山登りだと思っていたけど、自然に複合トレーニングが出来るようにしていたんだ。

流石にまだ不慣れで転びそうになったりもするけれど。

これを速く走り切れるようになったら、ぐっと強くなれるようになる気がする。

そしたら、ひょっとして、もしかするとアオにだって……!

と、順調に登っていたのだが残り百メートルの場所で歩みが止まる。

「これは……」

そこは、本来は階段だったのだろう。丸太でできた土台が所々に立っていた。

しかし、もはやそれは階段としての形状を保っていない。踏み場となるべき地面は雨の仕業なのか流出してしまい、ただの急斜面と化してしまっていた。

「流石にここは普通に登ろうか。無理してジャンプして転んだら助けも呼べないし……」

「ですね……」

というわけで止む無く普通に登ろうとするのだが、足掛かりを見付けては登ろうとしてもすぐに崩れてくる。あるいは私たちの歩幅では足が届かない。色々問答をしてようやく上に上がった時には十五分ほど経ってしまっていた。

そしてようやく森の切れ間を抜け、そこそこ広い広場に出た。「観音岳」と書かれた看板が立っている所を見るに、どうやらここが目的地らしい。

「着いたね……」

「着きましたね……」

先輩と二人で息を切らしていると、目の前に荒尾市と玉名市、そして少し遠くに有明海が広がる景色が広がっていた。

「あー結構綺麗だね~」

「ですね~日が傾いて海が金色に……あれ?」

「ん?どしたケイちゃん?」

「……制限時間は日没じゃ?」

私がそれを言うと、先輩は菩薩のような顔をして黙り込んだ。

どこかのお寺の鐘が鳴り響く音が聞こえる。

「……ここからあそこまで一時間で帰れるかな?」

「平地なら行けるんじゃないですか?」

「そうだね。平地なら余裕だね。」

先輩は大きくため息をつく。

「……諦めようか。潔く。」

「……はい。」

そして私たちはとぼとぼと来た道を引き返すのだった。

 

制限時間を過ぎ去り、樹木に囲まれた登山道はあっという間に真っ暗になった。

まさか使う羽目になるとは思わなかった懐中電灯を点灯させながら慎重に下っていくと、駐車場まで戻って来た。

「やった。ここまでくればあと少しですね。」

「そうだね……あ。」

駐車場に車が一台と人影が見えた。

私が懐中電灯で照らすと、良く見知ったトレーナーさんの姿が浮かび上がった。

「トレーナーさん?ゴールは蛇ヶ谷公園じゃないの?」

「時間切れだ。これ以上は危険だから迎えに来た。学園に戻るぞ。」

「え~トレーナーさん意外と優しいじゃん。とういうことは頑張ったからご褒美も……」

「無いぞ。時間切れなんだから当たり前だろ。」

「駄目か~まあでもせっかくだからご褒美が何なのか知りたかったな~。」

「なに、お前らが頑張れば明日にでも分かるさ。雨天以外はこれから毎日やるぞ。」

「……鬼畜~。」

 

こうして九州ジュニアグランプリに向けた特訓の日々が幕を開けた。

雨の日は体育館のトレーニングルームでの筋トレやたまにダンスレッスンや歌の練習をしたのだが、それ以外の日は本当に毎日車で小岱山へ向かった。翌日からは距離延長で観音岳の先の筒ヶ岳まで行く事になり、木の根が這い廻り崖と言った方が良いんじゃないかというレベルの道が連なる光景には思わず閉口した。もちろんそんな状況で制限時間以内に辿り着くことは叶わず、とっぷりと日が暮れた中を下山してきてトレーナーさんの車に回収される日々が続く。来る日も来る日も同じ事の繰り返しで、心が折れそうにもなった。

しかし、意外に慣れる物である。二週間も経ったころにはルートの最適化が済み、少しずつタイムが縮まって来た。トモもだいぶ強くなったみたいで、自覚できるくらいに瞬発力が向上した。

ほんの少し、ほんの少しずつだが私の身体は成長を遂げていた。

そしてトレーニングが始まって一か月が経ち、山頂付近の木々が秋の色を示すようになったころ。

「すごいケイちゃん!行けたじゃん!」

「えへへ、やりました!」

私は、あの「元階段」のポイントを飛び越えて進めるようになっていた。

土台の杭の部分なら力をかけても大丈夫だと分かり、とはいえ小さい為着地できるようになるには相当の時間が掛かったのだが……それでも毎日繰り返したことで私はこのルートをかなりの速度で攻略出来るようになっていた。

「じゃあケイちゃんごめんね、すぐ登る!」

「ゆっくりでいいですよ!」

先輩は自分には難しいと言って普通に登る方法を選んだのだが、それでもかなりの速さで登れるようになっていた。先輩は謙遜するが、怪我する前と比べても相当トモが鍛えられているようだった。

「よし、お待たせ。行こうか。」

「はい。今日のペースならいよいよ行けるんじゃないですかね?」

「絶対いけるよ。そして遂にご褒美とやらの正体を暴くんだ!」

私たちは最初と比べればかなりの速度で山道を走れるようになり、ここ数日はタイムリミットまであと少しという所まで来ていた。

もうトレーニングを始めた九月の基準ならクリアできている時間であったが、一か月の時が経ち日没時間が早まった事で条件が少しシビアになってきていたのだ。

だが今日のペースなら、これだけ早く行けたなら!

 

「ゴール!」

「やりましたね!」

十七時二十分。私たちは遂に日没前に下山に成功した。

「お疲れ。頑張ったな。」

トレーナーさんが相変わらず仏頂面で一応褒めてくれた。

「もうちょっと派手に褒めちぎってくれても良いのに……まあ良いや。それで約束通りご褒美はあるんだよね?」

「ああ、そこは守る。約束だからな。……乗れ。」

トレーナーさんは私たちに車に乗るように促した。

そして向かった先は。

 

「「はぁ~~……」」

全身を包むぬくもり。鼻腔に抜ける温泉のいい香り。

私たちは露天風呂に浸かって完全に「溶けて」いた。

トレーナーさんが連れてきたのは蛇ヶ谷公園から車ですぐの温泉だった。

すっかり陽が落ちて空は深い青に染まり、気温が落ちた事でもう私たちは湯船から出る気を無くしていた。

「いやー玉名って温泉で有名だったんだね~。うちもう山以外のイメージが無くなってて……」

「同感です……」

「こんだけ近いとこに温泉あるなら今度プライベートでも来よっかな~友達誘って……」

「私温泉って旅行で行くものってイメージだったんで驚きました……」

「あー分かる分かる。ここまで温泉地が近いトレセンって結構珍しいんじゃないかな?私門別と笠松しか知らないけど……」

「うーん……私も詳しくないんで何とも……というか今は判断力が鈍ってて思い浮かばないです……」

「うちもー。」

私たちはしばらく黙り込む。さらさらとお湯が湯船に注ぐ音と柵越しに見える滝のモニュメントが出す水音だけが響いていた。

「……ねえ、ケイちゃん。」

「はい?」

「思ったんだけどさ、多分うちが居なくてケイちゃんだけだったら、もっと早くノルマクリア出来てここにも来れてたよね。」

「そんな、そんな事……」

「ううん。うちが一番分かってる。結局最後までケイちゃんみたいにぴょんぴょん飛んで登ってくことなんて出来なかったし。やっぱりケイちゃんには敵わないなぁ……」

私は何か言おうとしたが、先輩のどこか遠い目をして口をつぐんだ。

私が何を言っても、今の先輩には情けを懸けられてるようにしか聞こえないだろう――そう分かっていたから。

 

「やったー!ごはんだー!」

「味わって食えよ。……安くは無いんだからな。」

温泉から上がって併設されたバイキング形式のレストランに入って夕食にありつく頃には、さっきの少しアンニュイな雰囲気の先輩は影も形も無かった。

果たしてあれは先輩の本音だったのだろうか?あるいはほんの一瞬の気の迷いだったのだろうか?その答えは、私には分かりかねた。

「ケイは出来るだけたんぱく質を多く摂る事を心掛けろよ。もう一週間を切ってるんだからな。」

「あ、はい。」

「そうそう!だからケイちゃん、これ美味しいから食べなよ!ザンギ!」

「え、ザンギ?唐揚げじゃないんですか?そもそもこれたんぱく質もあるけど脂質の方が多いんじゃ……もごっ!」

有無を言わさず先輩から唐揚げを口に突っ込まれた。

にっこり笑って「どう?」と味の感想を聞いてくる先輩の表情を見るに、やはり私の思い過ごしだったのだろう。今はそう考えておくことにした。

「……あ、おいしい。」

 

 

 

そして九州ジュニアグランプリを目前に控えた十月二十三日――

この日は特別なイベントがあった。

いや、私にとってではない。全ウマ娘ファン、あるいはレースに関わる全ての人にとっての歴史的な日。そう、

『さあテレビの前の皆様聞こえますでしょうか、この大歓声!ここ京都レース場には現時点で13万人以上のお客さんが詰めかけ、歴史的快挙達成の瞬間を今か今かと待ちわびています!「英雄」は「皇帝」に並ぶのか!はたまた大どんでん返しが起きるのか!「菊花賞」の発走は午後三時四十分からです!』

クラシック最終戦、「菊花賞」。

京都芝3000mで行われるそのレースは、曰く「最も強いウマ娘が勝つ」らしい。

事実このレースから飛躍していったウマ娘は数知れず。レース史において重要なマイルストーンの役割を担ってきた。

ではもしこのレースで、加えて「最もはやく」、「最も運が良い」ウマ娘が勝てばどうなるのだろうか?

答えは単純。ある称号が与えられる。ウマ娘にとって最も名誉ある、歴史上五人しか名乗ることを許されなかった称号が。

そしてその時、私たちはそのウマ娘をこう呼ぶのだ。

三冠ウマ娘、と。

 

「ちょ、ちょっと人多すぎない!?」

「そりゃみんなリアルタイムで観たいんだもん!『無敗の三冠ウマ娘』の誕生を!」

荒尾レース場のスタンド内は夥しい数の人で溢れかえっていた。

ダービーの時もこの前のアオのレースの時も多かったのだが今回はレベルが違う。荒尾の開催日じゃないのに通路まで人で満ち、出店が出てあちらこちらで中央のグッズが売られている始末だ。この熱気が普段もあればいいのに……と思わずには居られないが今考ええても無駄だろう。

いつの間にか『英雄』という大層な二つ名が与えられたそのウマ娘の支持率は100%。数値上は画面の向こう側の全てのお客さんが彼女の勝利を疑いすらしていないらしい。これでもし負けたらどうなるのやら……と邪な考えをしてしまう。

とはいえ彼女はダービーから今日の間に神戸新聞杯を鮮やかに勝利して見せ、調子はまさに絶好調。三冠達成はほぼ確実といった具合だ。

パドック上に彼女が姿を現す。相も変わらず精悍な顔つきにやや小柄ながらも完璧なスタイル。流れるように艶やかな鹿毛の髪。ダービーの時よりも更に洗練された彼女の姿は競走ウマ娘の究極形と言っても良いかもしれない。

彼女は凄まじい歓声に送られてパドックを後にする。

「いやーやばかったな!」「これはもう走る前から決まってるようなもんだろ。」「ウイニングライブ、楽しみだな~」

周りのファンたちの反応は既にウイニングライブにまで移っている。そこまで行って負けたミホノブルボンを忘れたのかと問い正したくなるが、勝利を疑いさえさせない圧倒的な説得力が私にもひしひしと伝わって来ていた。

 

『日本中のレースファンが、あるいは世界の関係者が、池のスワンまでもが注目する第六十六回、歴史に残る「菊花賞」のゲートインが始まります。細江さん、各ウマ娘の状態どうですか?』

『はい、歓声がこちらまで届きました!何人かかなり緊張した様子ですが彼女は堂々としています。』

画面に映る彼女はどこか遠くを見る様子で立っていた。彼女の髪と尾が風に揺れている。

『――3000mの先に栄光の瞬間が待っています。新しい歴史の扉が開かれようとしています!テレビの前の貴方も、歴史の目撃者です!ゲートインが終わりました……いざ!』

そして――日本中の期待を集めた歴史的瞬間の幕が開かれた。

 

今までゲートが最大の課題だった彼女は、今回は綺麗に飛び出た。レースは事前に逃げ宣言をしていたウマ娘が先頭に躍り出てレースを引っ張る形。彼女は中団後方でレースを進めて……

「……おい、掛かってないか!?」

誰かがそう指摘するとスタンド内がざわつき始めた。第三コーナーを過ぎたあたりから彼女は明らかにペースが速くなっている。ポジションも今までのレースと比較するとかなり前目に着けていた。

何かあったのか……いや、そうじゃない。

あれは焦り――当然だ。いくら圧倒的強さを持っていたって彼女はただの高校生に過ぎない。彼女はそんな身に日本中からの歴史的大偉業達成への期待を背負っている。焦って当然だ。

一瞬だけ、彼女は別世界の住人ではなく、一人の少女であるという一種の「人間味」が見えた気がした。

レースはホームストレッチを過ぎて第一第二コーナーからバックストレッチへ入っていく。

『向こう流しに入っている!離れていても想いが通う、奈瀬文乃との絆!お互いを信じ切って、さあどっから行くか!』

実況は彼女のトレーナーの名を口にした。

彼女のトレーナーは天才と称される名手、奈瀬文乃。運命的な出会いをした二人の一心同体と言える絆の深さはメディアでもよく報道され、皐月賞を制した時には早々に「奈瀬文乃、三冠ウマ娘との巡り合い」などと持て囃された。

実際二人がそれぞれ持っていた天性の身体能力と指導力が合わさったからこそここまで来たのだろう。それだけ信じあえる関係が少し羨ましい。だってうちのトレーナーさんは……いまいちよく分からないから。

『ご覧のような展開で、三コーナーの坂に向かいます!「神賛」が、「皇帝」が、そして「怪物」が辿った三冠への道!「英雄」はご覧の通り、坂の頂上で非常にいい感じ!800の標識を過ぎて坂を下る!先頭は依然として……』

スタンド内のボルテージも上がって来た。第四コーナーを過ぎたあたりで彼女の姿がカメラに大アップで写る。凄まじく大きなストライドとリズミカルなピッチで猛然と追い上げる姿はまるで翼が生えて飛んでいるようだ。

「「行っけー!!!」」

スタンド内が一体となる。私ももう興奮を隠せなかった。

『一番外から!一番外から「英雄」!捉えた!捉えた!後100m!アドマイヤジャパン粘る!しかし先頭は「英雄」だ!』

――ウマ娘は時に歴史を変える。

古代は戦争の中で。近代はレースを通じて。

しかしその瞬間は決して多くはない。有象無象のウマ娘の中の何人がそれだけの力を持ち、私たちは生きる中でその瞬間に何度巡り合えるのだろうか。

だけど一つだけ言えることがある。

それは今この瞬間、私たちは確実にその瞬間に巡り合ったという事だ。

『世界の人々よ見てくれ!これが!日本近代競バの結晶だぁー!!』

 

万雷の拍手と惜しみない賛辞が彼女に降り注ぐ。

シンボリルドルフ以来の無敗三冠。それを成し遂げた「英雄」とそのトレーナーの名が交互にコールされる。彼女のトレーナーがターフに姿を現す。二人は何か短く言葉を交わすと、並んでスタンドに向き直り深々と一礼をし、トレーナーが「英雄」の手を取り天に大きく掲げた。

三本の指を立てたその手を、高く、高く――

 

「いやー!すごかったね!」

興奮が少し収まってから、みんなと言葉を交わした。

「まさかほんとに三冠獲っちゃうなんてね。」

「あれだけ強いと今後も期待してしまいますわね~」

「だよね~。やっぱり行くのかな?来年の『凱旋門賞』とか……」

「流石に気が早すぎない?まあ期待しちゃうのは分かるけど。」

でもあの脚があれば、本当に凱旋門だって獲れるのではないだろうか。少なくとも私が見てきたウマ娘の中ではあれ以上を見たことない。

「さあケイちゃん、次は私たちの番だよ。」

「え?」

「三日後だよ。九州ジュニアグランプリ。あの人みたいには無理だけど、負けないくらい荒尾の人たちに勇気と希望を届けようよ!」

「うん……そうだね。」

「流石アオは言うこと違うな~。でも結局私たちの中から出れるのアオとケイちゃんだけになっちゃったね。」

「わたくしも抽選落ちしてしまいました~。今回は応援に回りますわ~。」

「二人とも頑張ってね!ミライスタンドから一番大きな声で応援するから!」

「うん、ありがと。」

――三日後か。

負けたくなんかない。今度こそアオに勝ちたい。だからあれだけハードなトレーニングだってこなしたんだ。

だけど……

 

 

 

十月二十六日。

その日は生憎晴天とはいかず曇り空が空一杯に広がっていた。

重賞開催の日とあって、普段と比べるとお客さんの数は多く、メインレースが近づくにつれてどんどんその数は増していった。

控室からその様子を眺めていると、クロカゲバクシンちゃんが話しかけてきた。

「頑張りましょうね!今日の私はバクシン日和ですので簡単には負けませんよ!」

「何それ……ねえ、そのバクシン云々ってやっぱりサクラバクシンオーさんに影響されて?」

「はい!あのお方は本当にすごいのですよ!初めてあのお方の走りを見た時から私の心にはバクシンソウルが宿ったのです!さあ最運ヘイローさんも一緒にバクシン道に励みましょう!」

「いや……遠慮しとく。」

「そうですか!……ケイウンヘイローさん、どこか調子でも?元気がないように見えますよ?」

「え、そう?あはは、そんなつもりないんだけどな。」

「何かお悩みがあればお聞きしますよ!『三強』のよしみで!」

「……え、三強?」

「はい!私とケイウンヘイローさん、ブルーアラオさんはファンの皆様から三強と呼ばれているのですよ!ご存じなかったのですか?」

「いや初耳なんだけど……てか、三強じゃなくて……」

私は口をつぐんだ。

「ケイウンヘイローさん?」

「……一強の間違いでしょ。」

遂に私は口にしてしまった。

分かっていながらも、口には出さないようにしていたその言葉を。

この日に向けて、散々トレーニングをしてきた。

あのきついトレイルランを完全にこなせれば、アオに勝てるようになるんじゃないか。そう思ってた。

でも途中で気付いた。アオの走りには、これでも通じないと。

実はアオは中央挑戦を終えてからこのレースまでの間に一戦挟んでいた。それもこの九州JGと同一条件のレースに。そこでアオはまたも後続に五バ身差をつけて鮮やかに快勝しているのだ。

そしてその時のタイムに、私のタイムは全く及んでいなかった。

力は付けた。だが、その力が満足に発揮できている気がしない。恐らく力の出し方が根本的に違うのだ……

ストライドやピッチを変えてみたり色々してみたのがしっくりこない。解決策が見えてこない。

走る前から、勝機が見えない。

挑戦を決めた時から苦戦必至は見えていたのだが、ここまで絶望的な戦いになるとは予想もしていなかった。この気持ちはきっと、先日の菊花賞で「英雄」と共に走る事になったウマ娘達と同じだろう……

「……こんな事で、走る意味なんてあるのかな。」

神妙な顔もちで私の話を聞いていたクロカゲバクシンちゃんが口を開く。

「……ケイウンヘイローさんは、一着になることが走る理由なのですか?」

「え?そりゃもちろん。」

「そうですか。……なら仕方ないですね。ですが、私から一言だけ言葉を掛けましょう。『視野狭窄』と。」

「え?」

彼女から飛び出た予想外に難しい言葉に驚いた。

「とにかくお互い頑張りましょう!私は全力でバクシンするのみです!」

そう言い残すと彼女は歩いて行った。

私は彼女の言葉の真意を結局見出すことが出来なかった。

 

九州ジュニアグランプリは現在荒尾ジュニア級の唯一の重賞となっており、ウマ娘達とファンにとって特別な位置づけとなっている。

その為なのか、なんとこのレースに限ってはG1でもないのに出走ウマ娘は特別に勝負服を纏って走ることになる。

……まあ、普段ウイニングライブで着る服で走るというだけなのだが。

なお、扱いは普通の重賞と同じの為ゼッケンは付けなければならない。そのため勝負服の上にゼッケンをつけるという傍目から見て結構シュールな絵面が完成する。特例での勝負服着用は良いのにゼッケン着用のルールは守らなければならないという所に運営側の融通の利かなさが垣間見える。

だが、普段の白地に数字だけの味気ないゼッケンではない、青地に黄色で番号と「九州ジュニアグランプリ」の文字が書かれた特別仕様である点は少しテンションが上がる。

普段より少しだけ華やかに着飾った私たちはパドック入りを待つ。

「頑張ろうね。ケイ。」

後ろに立つアオが話しかけてくる。

今回私は八枠十一番、アオが同じく八枠十二番なのでレース前に言葉を交わす時間があった。

「うん。……ねえアオ、『視野狭窄』ってどんな意味だと思う?」

「ん?それは見える範囲が狭まる事じゃないの?」

「そうだけど……ごめん何でもない。気にしないで。」

アオは少し怪訝な顔で首をかしげていた。

きっと何かの暗喩だとは思うのだが、考えても何かと結びつかない。

私はひとまずその問題を脳の片隅に追いやって、パドックへと脚を踏み出した。

『八枠十一番ケイウンヘイロー、チーム「ヤマザクラ」所属。二番人気です。前走から一か月の間隔をあけての参戦。身体にも成長が見られます。距離ロスが大きい大外枠の不利を覆せるかがカギとなってくるでしょう。』

拍手で迎えられて壇上から降りる。

『最後に登場したのは本日の主役、八枠十二番ブルーアラオ、一番人気です!中央では残念な結果に終わってしまいましたが、前走では五バ身差の圧勝でその貫禄を改めて私たちに見せてくれました。最大外も何のその、今日はどのようなレース展開を見せてくれるのでしょうか!』

いや一番人気と二番人気で紹介違い過ぎない?

クレームの一つも入れたくなるが客観的に見てもそのくらい違うという事なのだろう。

負けたくないのに勝てる気がしない、こんな気持ちでレースするなんて初めてだ……

 

ゲートに収まってからもその気持ちは晴れなかった。

今までの反省からしてとにかく離されないように食らいついて……機を見て早めに仕掛けるくらいの気持ちで……

――それで、勝てるの?

駄目だ、イメージしても憂鬱になるだけだ。もう忘れよう。レースに集中しよう。

係員が離れる。スターターが合図をする。

そして無機質な金属音と共に、ゲートが開かれる。

轟々とした風切り音が耳を包むとともにバ群に飲まれぬよう一気に飛び出す。そして。

やはり前か!

アオの背中が視界の端に映ったかと思うと、すぐに私の前へと移動してくる。ここまでは想定内。どうやったってハナは奪われる。

だがもう今までの静観とは行かない。離されないように私もペースを上げる。

様子を窺って少し後ろに控える作戦は全部失敗して来た。ならば食らいつくしかない。勝機が薄いならスタミナを消費してでも新戦術を試して出方を窺う!

一コーナーの急カーブでアオはちらりと私の様子を見る。

そして少し予想外な事に、更にペースを上げた。

アオなら自分のペースを保って走ると思ったのだが意外に差を詰められるのを好まないらしい。

第一コーナーから第二コーナーへ。アオが呼応して差を広げたため態勢は変わらずに進んでいく。

防波堤に立ってタダ見をする観客たちを横目に向こう正面。私もちらりと後ろの様子を窺う。

私から数バ身後ろではクロカゲバクシンちゃんと佐賀から参戦の子が三番手争いを繰り広げ、その後ろは団子状態で更に後方は見えない。

アオの勝負服の裾がはためくさまを前に見ながら走る。

レース中は、アオの背中しか見たことがない。並びかけて横顔を見たことも無い。一体どんな表情をして走っているのかすら分からない。

いつも彼女は前に居る。そしてずっとずっと先へ行く。

私だって前には進んでいる筈なのに、差は絶望的なほど開いていく。

でも、なんでなんだろう。諦めきれないのは。

どうしても食らいつきたいと思ってしまう。

あわよくば超えたいと思ってしまう。

その為ならハードなトレーニングだってこなせてしまう。

ああ、勝てそうにないって分かっているのに……

それでも、私は……!

「はぁっ!!」

いつもはアオのスパートを待っていたけど、今日は私から仕掛ける。

アオの背中がじわじわと近づく。

無謀かもしれないけど、高望みかもしれないけど。

私だって、私だってやっぱりなりたい!

君みたいな、特別に!

その為に、超えたい。

背中を見る側から、見せる側へ変わりたいんだ。

そしたら、私は……

その時だった。

「!!」

アオの脚のピッチが変わったことに気づいた。スパートを掛けたのだ。

少しだけ近づいた差がまた開く。

第三コーナーから第四コーナーへ。スタンドの歓声が近づいてくる。

これじゃ、また同じ結果に……!

いやだ!

脚にもう一度力を込める。

小岱山で一か月も繰り返した訓練を思い出せ。

ありったけの力を込めて身体を前へ前へと押し出す。

『さあ最終直線!ブルーアラオ先頭で六バ身くらいのリード!ケイウンヘイローが追走してその三バ身後ろでクロカゲバクシンも懸命に追う!』

駄目だまだ差が縮まらない!

また負けるの?あんなにやった特訓も無駄だったの!?

一体どれだけ走ればアオに近づけ……

近づ……

「あっ。」

私は一瞬目を疑った。

アオの脚が……鈍った!

残り100m程。

ウマ娘の脚なら五秒足らずで駆け抜けてしまう距離で、チャンスが訪れた。

恐らく私とのリードを保とうとしたことが裏目に出たのだ。中央で走った時こそラストは沈んだものの、ここ荒尾ではそんな素振りさえ見せなかったアオが!

もう考えている暇なんてない。がむしゃらに突っ込むしかない!

私だってもう余力はあんまりない。残ったパワーを全て推進力に変える。

アオの背中が近づく。残り50m。

遂にその荒くなった息遣いが聞こえる。残り30m。

彼女が立てる砂煙が体にかかる。残り15m!

ここまで迫ったのは初めてだ。届け!届け!あと一押し!

もう少し!

あと……少し……

なのに……!

 

五メートルほど先で、彼女の身体がゴール板を通過した。

『ブルーアラオ!逃げ切ったぁー!二着にケイウンヘイロー、三着にクロカゲバクシン!最後ペースを乱しましたがリードを保ったままゴール!荒尾ジュニア級王者の座を手にしました!注目の佐賀から参戦のクリスタルディーバはどうやら五着で入線の模様です!』

 

「……あははっ。」

やっぱり、駄目かぁ。

まだ点滅している着順掲示板を眺める。

しばらくして確定の文字が出て、着差が表示された。

二バ身半。

今までと比べれば確実に縮まった。――もうそれで良いか。

私は歓声を背にとぼとぼと検量室へ向かう。

早いことにトレーナーさんがもう立っていた。

「……ケイ。」

「すみません、トレーナーさん。詳しい話は……ライブの後で良いですか?」

「……分かった。」

大人しくトレーナーさんは解放してくれた。

検量を済ませると私はトイレの個室に籠った。

「……ぐずっ」

一人になった瞬間、自然と涙があふれ出た。

ああ、私まだ悔しいんだ。負けて当然なんか思ってても、悔しいんだ……

強くなりたい、強くなりたい、強くなりたい!

特別に……なりたい……!

 

ひとしきり泣いたら少し落ち着いた。

切り替えよう。次のレースの事を、そしていつかアオを超える事を考えよう。

まあでもやることは変わらない。今まで通りトレーニングして走るだけ。そしていつか夢を……あれ?

私の夢って何だっけ。

アオを超える事?いやそれは後から出来た目標だ。

特別な存在になる事?ううん、そんな高望みは考えて無かった。

最初の夢、何だっけ。

あれ……?

 

――私って、何のために走ってるんだっけ?

 

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