何とか四月中に間に合いました……今回はやや長め、そしてちょっと暗めの話になってます。
そして前回のコメント欄で本作のスタイルに関してアドバイスを頂いたので、本話はその辺りを反映させたベータ版となっております。従来から少し見やすくなったかな?と思います。
私の力では気づけない修正点も多くあると思いますので、「ここはこうしたほうが良い」という点ありましたら是非コメントをお寄せいただけると大変嬉しいです。
それに伴い、少しずつですが今までの話にも修正を入れて行こうと考えております。最新話の執筆と並行して進めますのでペースは結構遅くなるかと思いますが出来るだけ良い作品作りに努めて参ります。
それでは、とりあえず本編をご覧ください!
四月に入って世間ではいよいよ中央のクラシック三冠路線とトリプルティアラ路線が本格始動し、そこで繰り広げられる熱戦にレース界は盛り上がりを見せていた。
「桜花賞」では六番人気だったウマ娘が競り合いを制して勝利し、親子三代クラシック制覇の偉業を果たした。「皐月賞」でも同じく六番人気のウマ娘が好位先行からの抜け出しで粘り勝ちした。そしてそのウマ娘こそ他でもないアオが昨年の「野路菊ステークス」で敗北した相手でもあった。
今年のクラシック戦線は昨年のようにずば抜けて強いウマ娘は居ないため混戦模様になると予想されているが、それでも人々は夢を見ずにはいられない。史上二人目の無敗三冠を成し遂げたあのウマ娘や、変則二冠や日米オークス制覇を果たしたティアラの星たち。その再来を願って。
そんな世代の頂点達が覇を競うトゥインクルシリーズの舞台から遥か西と南に幾多の山と海を越えた先。有明海に面した埋め立て地に並ぶ校舎。
彼女達と同じ世代の一人であるはずの私はそこで、
……何も、出来ていなかった。
「昨日の『皐月賞』すごかったよね~」
「うん。私と走ったあの子がG1ウマ娘になっちゃうなんて思わなかったなぁ」
「再来週は春の天皇賞もありますし、しばらく話題には事欠きませんわね~」
週明けの月曜日、学園中の話題は中央のレースの事で持ちきりだった。つい昨日行われた「皐月賞」の話題がほとんどで、ごく一部の生徒が土曜日に行われた「中山グランドジャンプ」の話題を口にしている。
年二回しかない障害G1の話題がほとんど触れられていないのは、地方ではもう障害レースをやっていないため興味がある子が少ない事もあるだろうが、そもそも昨今の中央の障害軽視の現状を見れば仕方のないことだ。
障害レースは平地とは大きく異なる。スピードよりも険しい障害を乗り越えるためのパワーと長距離を走り切る為のスタミナが要求され、指導法からして別物だ。専門知識を持っていなければまともに育成できないため、初めからうちは障害レースはやらないと公言するトレーナーも多い。その上わざわざトレーニングを積んでレースに出ても見てくれるのはコアなファンだけ。これほどコストとリターンが釣り合わない競技もそうそう無い。
もう何年もスターと言えるほどのウマ娘も現れていないし、事故率も平地と比べて桁外れに多いこともあってそのうち障害レース自体が無くなってしまうのではないかとここ何年かで言われ始めている。
「ケイちゃんはどう思う? やっぱり春天勝つのは“英雄”さんかな?」
「……」
「ケイちゃん?」
「……あっ、ごめん。うーん順当に行くならそうなんじゃない?」
「だよね~あの人確か凱旋門も狙ってるって噂だし、メンバー的にも圧勝しそうだよね」
カナちゃんがそれに同意するように頷く。そこに被せるようにニシノちゃんも話し出す。
「わたくしとしてはあの方も捨てがたいですわ~。一昨年の菊花賞を制したあのウマ娘なら長距離では負けないと思いますわ~」
「確かに去年の有馬みたいに番狂わせがあっても面白いよね」
「……あ、そういえばみんなのとこは一年生入った?」
ふいに話題は新入生の事へと移る。
「うちはまだかな。選抜レース始まってからだって」
「ほんと? うちはもう何人か目を付けてるって言ってたよ。ケイちゃんのとこは?」
「あー……うちはもう一人契約取り付けたって言ってた」
「もう!? ケイちゃんのとこのトレーナーさん早いね~ケイちゃんの時も確か入学三日目とかだったよね」
「青田買いですわね~」
「ははは……それで結局目利きを誤るんだからつくづくもっと考えれば良いのにって思うよね」
三人が怪訝な表情を見せる。
「……? どういう事?」
「ううん、何でもない。ごめん、私新入生を迎える準備もあるからそろそろ行くね!」
私はその場から逃げるように走り出す。
それ以上話すのが……たまらなく苦痛だったから。
◇◇◇
「ケイちゃん、どうしちゃったんだろね。何か先週あたりからぎこちないって言うか、よそよそしいって言うか……」
「レースの話をちょっと避けているような気がしますわ~」
「アオは何か聞いてない?」
ブルーアラオはふるふると首を横に振った。
「そっか、アオが聞いて無いならもう分かんないね~」
「ううん……聞いてはいないけど、何となく分かるよ。ケイがああなったのは……」
ブルーアラオは、指で自身の髪をゆっくりと梳く。
「先週の、あのレースの後だったから」
◇◇◇
ブラック先輩が居た頃は、この部屋は三人で使っていた。そして先輩が引退した後はトレーナーさんと二人で。しかし一週間後には得体のしれないウマ娘……ホープさんが出入りするようになってまた三人に戻って──
今、はじめて四人がこの部屋に居る。
「紹介する。ブルークマモトだ」
トレーナーさんが促すと、傍らにいた少女は恭しく礼をした。
「はじめまして、ブルークマモトって言います♪ よろしくおねがいしま~す」
背丈は大体私と同じくらい。鹿毛の髪は肩の高さでミディアムロングに切りそろえられている。同じ色の尻尾をゆらゆらと揺らしながら笑みを浮かべて私を見つめる彼女の瞳は……どこかで見た気がする澄んだ青色だった。
「こちらこそ! 私は……」
「ケイウンヘイローさん、ですよね?」
「え、知ってるの?」
「ふふっ、噂はかねがね。アオお姉ちゃんと走ってるの何度も見ていましたし」
「お姉ちゃん……ってことはもしかしてアオの妹?」
「ぶっぶー。親戚って所です。アオお姉ちゃんはわたしたちの一族の中だと年が近い方なんで仲良くして貰っていたんです」
確かに彼女は瞳の色こそアオそっくりだが顔立ちは大分違う。姉妹というよりは親戚と言われた方が確かにしっくりくる。
「でもそれならアオのチームに行かなくて良かったの?」
「それはお姉ちゃんの為にケイウンヘイローさんの情報を流す為ですよ~」
「……よくもまあ、堂々と……」
「ふふ、冗談ですよ。単純にスカウトして貰えたのが嬉しかったからです。驚きました~?」
彼女はわざわざ少し身をかがめて上目遣いでいたずらっぽく笑う。
小悪魔妹系、という表現が似合うのだろうか。耐性が無い私はちょっとドキッとしてしまう。
「ブルークマモトちゃんはだいぶ良い性格してるね……」
「お褒め頂き光栄です♪ それとせっかくですから私の事は“くー”とお呼びください。ブルークマモトじゃ長いですし」
「うん、分かっ……クマちゃんとかじゃだめなの?」
「むっ、それはだめです! わたしクマじゃなくてウマ娘ですしー」
「……クマちゃ」
「くーです」
「……クマ」
「くーぅーでーすー!」
「はいはい、分かったよ、くーちゃん」
「もー、意地悪な先輩は嫌いです!」
彼女は頬をぷくっとふくらませる。
「ククク……可愛い後輩が出来たじゃないか、ケイウンヘイロー君」
部屋の隅でてっきり我関さずを決め込むつもりかと思ったホープさんが不意に話しかけて来た。
「先輩、この人は?」
「ああ、この人はホープさんって言って……よくわかんない人だよ」
「れっきとしたサブトレーナーだよ。キミはしれっととんでもないことを言うねェ」
抗議の声を上げるホープさんにしかめっ面をしたトレーナーさんが突っ込む。
「そもそも俺は一度もサブトレーナーとして雇った覚えすらないんだが」
「事実として既にそういう立場になっているんだから仕方ないだろう? 今更辞めさせようとしても私は不当解雇として訴える事ができる立場にあるしねェ」
「チッ、何でこんな事に……」
その様子を見たくーちゃんはしばし首を傾げて、私の顔を見てくる。
「“フクザツなかんけー”ってやつなんですか?」
「多分……」
私に訊かれても困るんだよなぁ。
二人が相変わらずのギスみを帯びた空気を漂わせる中、くーちゃんは流れを変えようと思ったのか不意に話題を変えてきた。
「それにしても見ましたよ、先週のレース。惜しかったですね」
「えっ、……見てたの?」
「それはそうですよ。私たちの一個上の世代のトップ二人の直接対決ですもん。クラスの皆の注目度すごかったですよ?」
「そ、そうなんだ……」
どくりと心臓が波打つのを感じる。
つい先ほどの出来事の様に先週のレースの風景が頭に過る。
詰められない距離、並びかけられた瞬間の衝撃、前を行くアオ達と開いていく差。
そして……聞こえてくるファンの人たちの落胆の声。
『所詮二番手は二番手って言うか……』
「……あ、あははっ! やっぱり私みたいなのには三着がお似合いって言いますか! 結局アオみたいなキラキラちゃんには勝てないよね~!」
「えっ? わたしとしては十分良いレースだったように思いましたよ。後ろは離れていましたし」
「うんまあね、好走は出来たから良いんだよ! アオを別枠で考えたら実質勝ちみたいなもんだし! あ、それでも結局は二着か! あははっ!」
「先輩……?」
くーちゃんが怪訝な顔で私を見てくる。
「おいケイ、そろそろトレーニングに入ろう。それとダービーに向けた話を……」
「あっ、そうですね! じゃあ私自主練行ってきます!」
「おい、何勝手に」
「トレーナーさんはくーちゃんの事見てあげてください! 私は自分でやってるんで~!」
私は引き留めようとする声を振り払って部屋を飛び出した。
……行先も、ろくに決めずに。
◇◇◇
「……菅原君、マズいよこれは」
ケイウンヘイローが話を無視して飛び出して行った後、ホープが菅原に深刻そうな顔で話しかける。
「ああ、分かっている」
「こうなる気はしていたが……あの子、敗北をバネにするどころか別のベクトルに向かってしまっている。現状を受け入れてしまおうとしている」
「……分かっている」
「敗北を悔しがるのがウマ娘の本能だ。負けを糧に勝ちたいという執念がウマ娘をさらに強くする。だが、それを受け入れてしまうようになって、悔しさすら感じなくなればそのウマ娘は……」
「分かってる!」
珍しく菅原が声を荒げた。それにブルークマモトの尻尾がビクンと跳ねる。しかしすぐに菅原は正気に戻ると、
「……すまん、取り乱した。ケイを追う。ホープ、ブルーを頼めるか」
「良いよ。むしろ追わなければ私渾身の蹴りを食らわせるところだった。行ってきたまえ」
そしてケインヘイローの後を追うように菅原も駆け出して行った。
「なんか……本当に複雑なんですね~」
「複雑って言うほどの事でもないさ。キミにはまだ分からないかもしれないが、ウマ娘に関わらず思春期の少女なんて多少面倒くさいものだよ。だが本来は身近な大人や友人が話を聞いたりする事で自分で少しずつ解決していくものなんだが、あの子の場合原因が他でもないその友人で、身近な大人がアレだからねェ。拗らせかけているんだよ」
「トレーナーさんって寡黙そうですもんね。陰キャとはちょっと違うけど……でもそれでよくトレーナー続けられてますね~」
「彼の場合メンタルケアは絶望的に苦手だが、単純にトレーニングで実力を伸ばす能力だけなら上手い方だからねェ。それと今までの担当はメンタル面が弱い子が少なかったから問題が顕在化しなかったのもあるかな。ケイウンヘイロー君は彼の今までの担当の中だとイレギュラーな方なんだよ」
「へぇ~……」
ブルークマモトは少し気の抜けた返事をする。
「その点キミは……当面大丈夫そうかな」
「え~? わたしだってバッド入る時はありますよ。まあそういう時はちょっと大げさにふるまって誰かに甘やかしてもらってケアするんですけどね~」
「ククク……それだけ図太ければ十分だねェ……」
◇◇◇
私は走っていた。特に理由も無く、ただ現状から目を背けたかった。
トレセンの門を飛び出し、国道を北に走る。しばらく走って、左のわき道に。大きな鳥居をくぐって、さらにその先にある階段を駆け上がる。
そこは四ツ山に登る参道だった。二週間前は桜が満開だったこの辺りも、もうすっかり青葉が茂るようになっている。そのまま本殿の方には行かず、展望所の方へと向かった。
誰も居ない展望所からは晴天の天気も相まってレース場と有明海、そして雲仙岳が良く見える。私は脚を止めて、その景色をただ茫然としながらしばらく眺めていた。
「ケイ!」
聞き慣れた声が静寂を貫く。
振り向けば、息を切らしたトレーナーさんが立っていた。
「トレーナーさん?」
「ハァ……ハァ……お前……どれだけ遠くに行く気だ……学園内で留めておいて欲しかったんだが……」
「すみません、夢中で……」
「ハァ……ともかくケイ、荒尾ダービーの話をしよう」
「……」
「もう二週間後だ。先週はレースの反動を考慮して軽めの調整しか出来なかった。本格的にトレーニングを……」
「トレーナーさん」
「なんだ?」
「……それ、やる意味ありますか?」
自分の口からその言葉が出たのが少し驚きだった。
トレーナーさんは珍しく目を見開いたようにも見えた。
「……どういう意味だ」
口に出して、自分の中で最後に残っていた何かが吹っ切れた。私は畳みかけるように心情を声にする。
「負ける戦いに出るのに、なんでわざわざトレーニングなんてする意味があるんですか!」
「お前何を言って……ッ」
「だってそうでしょう!? 何度も、何度も何度も! アオと走る時は万全の準備をしてきた! これなら勝てるって、これ以上は無理だって、その時にできるベストで挑んできた! メイクデビューの時は慢心だったかもしれないけど……その後はずっと!」
「ああ、それは側で見てきた」
「なのに! 何度走っても、何度挑んでも……勝てない……! あの子は絶対に勝たせてくれない。常に私の上を、努力も執念も全部無駄だったって烙印を押してくる!」
私は自分の眦から熱い物が零れているのを感じる。しかし私はそれを拭う事もしなかった。
「今度のレースは、アオと同格のウマ娘達が来るんですよね。佐賀や高知から……アオにすら勝てない私が、勝てる訳ないじゃないですか」
「そんな事やってみなければ」
「分かりますよ……っ! 火を見るよりも明らかじゃないですか」
「まだ二週間ある。俺はやりよう次第ではまだ勝機はあると思ってる」
「それはトレーナーさんの思い込みですよ。あなたが思うより私はずっと強くない。それは自分が一番よくわかってます」
「だが俺は」
「トレーナーさんに何が分かるんですか!!」
私は目の前の男──トレーナーさんに声を荒げる。
「一年間も一緒にいるのに、心を開いてくれるそぶりも見せない、あなたがトレーナーであること以外私に何も明かさない! そんな人の言葉を信じろだなんて都合良すぎですよ!?」
トレーナーさんは狼狽している。この人がここまで露骨に反応を見せるのは初めてかもしれない。
「……それは俺の落ち度だ。すまない。確かにお前がレースに出て実際に勝つ可能性は低いかもしれないし、実際に勝てないかもしれない。だが、その為の努力は必ず……」
「“無駄にならない”って言いたいんですか?」
私はトレーナーさんの言葉を遮った。
「私も努力が全部意味が無いとまで極端な事は思ってませんよ。努力は結果に残らなくても身には残る。そんな事耳にタコができるくらい聞いてきました。……でも、違うんです。身になるかどうかじゃない。心がもう持たないんです」
「お前……」
「“努力した上での負けは後ろめたくない”って。“敗北は次への原動力になる”って。“レースを通じて絆が深まる”って。……そんな綺麗事を今まで信じてました。なのに、私は……身が張り裂けそうになるくらい、悔しいんです。努力した分だけ、頑張った分だけ、それが敵わなかった事が。勝てなかった自分が許せなくなるんです。心の平穏が保てなくなって……負けるたびに、それは大きくなっていくんです。今は自分を責めるだけで済んでいるけれど、いつかそれが他の子に向けた物に替わる事が……大切な友達を憎む事に替わるのが、怖いんです……」
「……」
「ねぇ、トレーナーさん……“頑張る”って……“努力”ってなんですか……?」
自分の口から出たはずのその言葉は信じられないほど弱弱しく、蚊の鳴くようにか細かった。
「……荒尾ダービーには出ますよ。トレーニングだってします。競走ウマ娘として、選出された身としての義務は果たします。でも今は……頑張れる気がしません」
私はそれだけ言い残すと、トレーナーさんの返答を待たずして足早に歩きだす。
ふいにトレーナーさんが私の肩に手を掛けようとしたが、その手は空を切った。まあ、手を掛けられたところで振り払おうとも思ってたけど。
「……クソッ!」
トレーナーさんの悪態を背に聞きながら、私は四ツ山を下りた。
◇◇◇
それから、私は二週間トレーニングをし続けた。身は入らなかったが、性格がトレーニングをしない事だけは許さなかった。
「天皇賞・春」は案の定“英雄”があっさりと勝った。有馬の敗北は何だったのかと思わせる程の圧倒的なパフォーマンスで、マヤノトップガンが持っていたレコードを一秒も縮める規格外の走り。そしてインタビューで彼女の陣営は遂に『世界』への飛翔を匂わせたのだった。
そして世間が次は「NHKマイルカップ」だと湧く五月三日。
中央に先駆けて、私達のダービーの幕が上がろうとしていた。
『さあ皆さんお待たせしました。今年もクラシックの級ウマ娘達の祭典が始まります。四国・九州地区交流競走 農林水産大臣章典 九州皐月賞第三十一回“荒尾ダービー”。2000mの距離で争われます。今年は佐賀から三人のウマ娘を迎えてのレース、優勝ウマ娘には六月四日に佐賀レース場で行われる九州ダービー栄城賞への優先出走権が与えられます』
「なあ、誰が勝つと思う?」
スタンドの中で、男性の四人組が新聞を片手に痴話話をしていた。
「やっぱ佐賀のユウワンじゃね? シニアのB級でも勝ち切れるだけの実力、何と言ってもあの快速の逃げを差し切れるウマ娘が居るとは思えねぇ。強いて言うならスターオブジャパンが対抗か……」
「だが逃げと言ったらブルーアラオも負けてねえぞ。荒尾勢の中じゃやっぱり頭一つ抜けてる。荒尾六戦全勝の実力は伊達じゃない!」
「そんなら俺はナガノコバンを推すわ。ジュニア級じゃ目立たんかったけどクラシック級になって一皮むけて来とる。『スイートピー賞』じゃブルーアラオに三分の四バ身まで迫ってるし。お前は?」
話を振られた無精髭を蓄えキャップを被った青年が、腕を組みながら答える。
「俺は……ケイウンヘイローだ」
「あー確かにあの子も安定感は凄いんやけど……さっきのパドック的に今日は厳しいっちゃなか?」
「覇気全然なかったしな……」
「……俺は『ファイナルガール』であの子のスパートを目の前で見てから、あの子を最推しにするって決めたんだ。あの子はいつか奇跡を起こすような、そんな気がするんだ」
「お、おぉ、言うねぇ……」
「お前元々ブルーアラオちゃん推しだったのに、今じゃケイウンヘイロー一筋だもんな。……ってか、そんなグッズ売ってたっけ?」
「フフ……自作だ」
男が被るキャップには、味のあるケイウンヘイローのデフォルメイラストが刺繍されていた。
◇◇◇
あぁ、調整ミスった。メンタルは元々酷かったけど、体調も絶不調だ……
バ道を通りながら本馬場へ向かう足取りは重かった。
今日のレースの上位人気は佐賀勢とアオが占め、私は同率の四番人気。他に出走しているのは荒尾の比較的上位のウマ娘達だが、そのほとんどが下位の人気に甘んじている。
面識があるウマ娘だと私とアオ以外ではニシノちゃんが出走してきているが、こちらもだいぶ下の人気。ミライちゃんは言わずもがな、カナちゃんも出走が叶わず、私を一度負かしたやかましさがトレードマークのクロカゲバクシンちゃんも回避している。
こうなってくると実績で見れば今日の出走メンバーで対抗できそうなのは私という事になるのだろうが……
今回のレースは2000m、マイル1500mが最長だった私にとって未経験の中距離戦だ。トレーニングで走っては来たが、実際のレースでどうなるかなんて想像もつかない。それでいて佐賀勢は揃いもそろって私よりも体格が良く、見るからにスタミナも豊富そうだ。アオもこのレースに合わせて調整をしてきたのか、前走で仕上げていた身体をキープして万全の調子で挑みに来ている。
それと比べて私は全然駄目だ。体重は微増で、今日までのトレーニングの事を思い出してもこれは成長分ですと言い切れる自信は無い。これなら絞ってきた方が見栄え的にましだった。
「ケイウンヘイロー! 勝てよ~!」
キャップを被った男性が私に声をかけてくれる。私は彼に精一杯の作り笑顔で返すと、向こう正面のスタート地点へと歩いていく。
ここまで来たからには当然走る以外の選択肢なんてない。体調が悪いとはいえ出走取り消しにする程では無いし……
それと今日はお客さんの入りも九州ジュニアグランプリの時よりも多い。今日はゴールデンウィーク初日で普段は直接見に来れないお客さんも来ているだろうし、佐賀勢も出てくるレースだからそっちから遠征して来たファンも多いのだろう。そのことも相まってか私は自分が相当プレッシャーを感じている事を自覚した。
やがてゲート前へたどり着く。ちなみにスタンドから一番遠い位置のここでも観客の目はある。堤防の上にタダ見を試みるちょっとお行儀の悪いファンの人たちがちらほらと立っているのだ。
ゲートの方はすっかり準備を完了させて、ファンファーレが鳴る時を今か今かと待っている。やがてスタンドカーの上に乗った発走委員が赤旗を振ると、スタンドの方から微かに重賞ファンファーレが聞こえてきた。そして今日は一枠一番の私へ枠入りを促す声がかかる。
私は少しぎこちなくゲート内に歩みを進めると、後ろから扉をロックする音がした。
始まる。もう引き返せない。
私は身に着けた紺地に黄色でウマ番が染め抜かれた特別製のゼッケンを握りしめる。真横には快速自慢だという一番人気の佐賀のユウワンが控える。彼女は完全にレースに集中してこちらに目もくれない。
アオは確か大外十二番……様子は覗えないか。
刹那、発走委員の声が響いて目の前の扉が開け放たれた。
そして真横のユウワンが凄まじい勢いで飛び出して行く後姿を見て、
私は自分が出遅れたことを察した。
◇◇◇
『スタートしました! 一番ケイウンヘイロー、九番カクテルパーティーやや出遅れたか。向こう正面各ウマ娘先行争いに移って行きます。まず行ったのは二番佐賀のユウワン、それに引き続いて十二番ブルーアラオも大外から食らいつきます! 真ん中からは七番スターオブジャパンも果敢に行く。上位人気三人が競り合いながら向こう正面中間を通過、第三コーナーへ突入していきます!』
「行け、ユウワン!」
「ブルーアラオー! 荒尾の意地を見せてやれー!」
「……マズいね。先行組に取り残された」
観客が口々に各々の推しの名を叫ぶ中、スタンドの最前列に菅原とホープ、ブルークマモトの姿があった。
「ケイ先輩、あの位置からだと厳しいんですか?」
「うーん厳しいというか……あの子は逃げか先行以外の脚質で走った試しがない。以前も出遅れた事はあったがそれでも先行の範疇には収まっていた。それがあの位置……ほとんど差しと言っても良い位置からでもレースを展開できるのか全く分からない。そうだろう? 菅原クン」
「……ああ」
菅原は苦い顔で遥か遠くのバ群を見つめていた。
「結局二週間をかけてもあの子の調子を元に戻せず、トレーニングもどこか身が入らず。最終追切ではブルーアラオどころか他の何人かのウマ娘にも劣る始末。……どんな結果が待ってるか、キミに分からない訳が無いだろう?」
「どんな結果で帰って来たとしても、俺が責任を取る。それが俺にできる唯一の……」
「あーもういい。キミは根本的に対処が間違っている事に気付かないのかい? 昔のキミなら、“あの子”を担当していた頃の君なら違う選択をした」
「……あれは俺の過ちだ。二度と繰り返すつもりは無い」
菅原は少し目を伏せてぼそぼそと言葉を漏らす。
「キミは何を恐れている? ケイウンヘイロー君は“あの子”とは別人だよ。……いい加減今に目を向けたまえよ」
そんな会話を続ける二人にしびれを切らしたブルークマモトが声を上げる。
「……ちょっと二人共私に分かんない話はやめて欲しいんですけど~! それと、ケイ先輩たちもう目の前に来ますよ!」
◇◇◇
たくさんの歓声が混ざった大きなうねりを浴びながら一週目のスタンド前を駆け抜ける。
私はスタートから位置を変えずに六番手を追走する。横で競り合うのはナガノコバンちゃん。普段は特に関わりがあるわけでは無いが今まで幾度か共にレースを走り、前走のスイートピー賞で遂に先着を許した。確実に力を付けてきているウマ娘だ。
後ろをちらりと見ればに最後方にニシノちゃんが控えているのが見えた。ニシノちゃんは地味に差しが上手い。道中でかなり後方に居ても最後には上位の方に来ているなんてこともざらにある。油断しないように……
……私って、勝てないと分かってる戦いでも一丁前に分析だけはするんだな。
私はそんな自分の中途半端な所に気付いて思わず苦笑いした。
レースは一二コーナーを過ぎて二週目の向こう正面へと移って行く。
前の争いはまだ続いているようだ。逃げるユウワンをそうはさせまいとアオが必死に追走する。どこかその背中には焦りが見えているようにも感じるが……
だがこのレース、全体的に動きが鈍い。まあそれもそのはず、ほとんどのウマ娘にとってこの距離は初めてとなる為、どんなペースが正しいのか誰にも分からない。お互いに腹の探り合いで迂闊に行動に移れないのだ。
もちろん私だって例外じゃない。出遅れを回復して良いのか分からないままほとんど動かずに遂にここまで来てしまった。一つ言えることは、はっきり言って余力は余りない。ここから大きく動くことがあれば恐らく対応できない。せめて掲示板くらいは確保したいが……
そして第三コーナー。……遂にレースが動いた。
「ッ!」
ユウワンがギアを上げた。スパートを始める魂胆らしい。負けじとアオも食らいついて──
──あれ、追わない? アオは中々動こうとしない。
……いや、まさか!
競り合っていたアオとユウワンの差がぐんぐんと離れ始める。ユウワンがギアを上げたのでは無い、アオが後退し始めたんだ!
あのアオが、最終直線を前にして崩れた……!
そのチャンスを逃さず、三番手を追走していたスターオブジャパンが捕らえにかかる。二秒足らずでアオはなすすべもなく抜かされた。まだ第四コーナー前なのにこの展開。こうなった以上、私も行動に移らなきゃ。
私はギアを一段上げて前に出る。競り合っていたナガノコバンちゃんを抜いて前へ……
前……へ……
それ以上、私の脚は動かなかった。
そりゃそうだ。私よりもずっと強いアオが崩れる展開なんだもん。
私がそれを上回るわけ、無いじゃん。
一瞬だけ追い抜いたナガノコバンちゃんにすぐに抜かされ、彼女は前へと加速していく。前走と同じような展開──この子も強くなったんだな。
私、二番手の称号も返上かな……
◇◇◇
『さあ最終直線に入りました! 逃げる二番ユウワン! 追って七番のスターオブジャパン! この二人のマッチレースになるのか! 後ろとの差はどんどん開いていく! 荒尾勢は全く来ない! 三番手争いが十一番のニューキングとそこに並びかけてきたのが六番ナガノコバン! ブルーアラオはその後ろ、これはもう無理か!? 残り200m! 先頭変わらず二番ユウワン! スターオブジャパン届くか!? 競り合いは続いている!』
「うぉおおお! 行け! ユウワンあと少しだー!」
「いっけぇ! 差し切れー!」
「おいおいおい!? ブルーアラオどうしたんだよ!」
「今どこだ?」
「あそこだあそこ! 前の二人と十馬身以上離れちゃってる!」
「うわーまじか、2000m持たないか~! ……って言うか、ケイウンヘイローもどこ行った?」
◇◇◇
「ぜはぁっ、かはっ……」
脚に、力が、入らない。
後ろから突っ込んできたニシノちゃんが私を追い抜いていくのが見えた。続いてさらに二人が私をいとも簡単に抜き去っていく。
アオもペースこそ落ちたがまだまだ前の方で粘っているのが見える。四着か五着なら入れるんじゃないだろうか。
──そんな中で、私だけが何もできずに沈んでいった。
掲示板云々なんて次元じゃなかった。これはもう完全敗北、大惨敗。私の唯一残った強みだった三着以内100パーセントの実績すら失うのか。
私が持っていた実績が崩れ去っていく。鱗がべりべりと剥がされて、私は“アオに次ぐ二番手”から“ただのウマ娘”へと墜ちていく。
いや、きっとこれが正しかったんだ。今までが運が良かっただけ。きっと私は早熟型で、今まで走れていたのはピークが皆より早かったからなんだ。所詮私は特別なんかじゃなくて、ただのモブなんだもん。
ナガノコバンちゃんがそうだったように、たった今一度も抜かれたことが無かったはずのニシノちゃんに抜かれて、ぐんぐんと引き離されていくように。みんなは成長してるのに、私は沈没していく。私は皆に抜かれていく立場になるんじゃないか。
なら、もう走る意味なんて……
そう考えると、私の体から闘志が失われていくのが分かった。
ネイチャさん……あの有馬の日、私なんかに大事なはずのリボンをくれたのに。
ごめんなさい、貴女が期待を込めてくれたウマ娘は、何にもできません。
◇◇◇
『ユウワン! スターオブジャパン! ユウワン! スターオブジャパン! 届くか!? 届くか! 届いた! 交わしたッ! 今ゴールイン!』
白熱した最後の競り合いでスタンドの空気は最高潮の中でレースは終わった。
『荒尾ダービーを制したのはスターオブジャパンです! 道営、船橋から佐賀へと渡り歩いた旅人が今ここでその冒険譚に確かな勝ち星を刻みました! 二着ユウワンはスタートから果敢にハナを切りましたが最後僅かに及ばず! 三着は同じく佐賀勢のニューキング、ブルーアラオは五着! 遂に荒尾で初黒星となってしまいました!』
「うぅ~ブルーアラオ……」
「今年も荒尾勢は駄目かぁ……」
「やっぱ荒尾は地方最弱って言うのが現実だよなぁ。荒尾でどんだけ強くても他のとこのウマ娘相手じゃ敵わねえ……おいお前、どうした?」
キャップを被った髭面の男が肩を震えさせていた。
「ケイウン……ヘイロー……」
「えっ? あぁ、ケイウンヘイローは……九着か? こりゃ流石にまずいな、今まで勝ってきた面子相手でこれじゃ今後が思いやられる……」
「なんだよぉ、その走り……頑張ってくれよぉ! 俺はお前のひたむきな走りに惚れたってのに……なんで途中で諦めちたりしちまうんだよぉ……」
男は涙を流しながらそう叫ぶ。
しかしケイウンヘイローはその声に特に反応する事無く俯いたまま、とぼとぼと歩き去ってしまった。
むしろその声を聴いていたのは、ブルーアラオの方だった。
彼女は歩き去るケイウンヘイローの姿を見止めると、耳を後ろに絞った。
──それは、ウマ娘にとって明確な“怒り”を示すサインだった。