こちらの前書きでは次回以降のお話をさせて頂きます。
また長くなりますのですっ飛ばして頂いても構いません。
まず十一話の進捗なのですが、これを書いている六月十九日午後十一時半現在進捗0%です。
はい、一か月も前回から間隔が空いておいて何やってんだ、と言った形ですが、言い訳をさせて頂きます。一つは六月頭になんと二回目の新型コロナに感染してしまいまして、全く動けない期間があった事です。まさか二回目があろうとは思っても居ませんでした……最近また流行り出してるらしいので皆さんもどうかご自愛ください。
二つ目は学業の本格化による執筆時間確保の難しさです。以前から述べていますが私は大学で理系に所属しておりまして、現在三年生です。そして理系の宿命と言いますか、毎週実験があってそのレポートを書かなければならないのです。更に三年生と言う時期だからこそ、いよいよ後期から研究室配属があります。希望の研究室に行けるか否かは私の成績にかかっておりまして、ただでさえ再履修を抱える私には正直余裕をぶっこいてる暇は無いのです。
幸い就活は大学院に進学する予定ですのでもう二年は先延ばしに出来そうですが、正直今までと比較すると執筆に掛けられる時間はかなり少なくなりそうです。
だからこそ本来はもう第二章を終わらせて第三章に入っていなければいけない筈だったのですが、そもそも執筆速度が遅い事、色々な事が重なって遅れに遅れた事で依然第二章中間に居るというのが現状です。
当然失踪する気は全くありませんが、同時にあと一年程度で完結まで持っていける自信も全くありません。
なので皆さんには完結が下手すれば再来年以降になる可能性がある事をご報告させて頂きます。
当然様々な過程をすっ飛ばしたら無理やり次回にでも最終回を迎える事は出来るでしょうが、私がこの小説を書こうと決意した理由や、調べている過程で見つけた様々な背景やストーリーを無視するような事はしたくありません。
なので可能な限り急ぎますが、今後の投稿や完結は今まで以上にお待ち頂けますと幸いです。応援して頂いている皆さんには大変申し訳ないのですが、何卒ご理解の程よろしくお願い申し上げます。
まあ何はともあれ、本編をどうぞ!
──六月二十日。
「いやー今日も晴れて良かったな!」
「週末から大雨の予報だからな。今年はいまいち晴れが少ないし、折角のレース日和を満喫しなきゃな」
メインレースを前に、少しずつ集まり始めた観客がスタンドのあちこちで思い思いに談笑していた。
「でも昨日の方が天気よかったよな~。今日はなんかすっきり晴れねえっつーか。あの雲どっか行ってくんねーかな」
「おいおい、分かってねぇな、お前」
ふいに無精ひげを生やしキャップを被った青年が口をはさむ。
「雲は時に良い事が起きる前兆にもなる……知らないのか?」
「はぁ? 聞いたことねえぞそんなん。晴天の方が良いに決まってるじゃねえか」
「いーや、俺は予言するぜ。今日のメインレース……俺の推しに幸運が降りかかる!」
ケイウンヘイローのデフォルメイラストが刺繍されたキャップを被った男は、腕を組んでそう断言した。
「お、おう……そうか……」
「言うて今日も無難にブルーアラオが勝ちそうな気がするけどなー。どの予想紙もケイウンヘイローは対抗止まりだし。特別ケイウンヘイローが有利になりそうな要素も無くないか?」
「いーや、あの子はやってくれる。ダービーの時こそあんな結果だったが、すぐに次のレースでシニア級相手に挽回して見せた。そして次はきっとブルーアラオを倒す! あの雲は吉兆の証だ!」
「……なんかお前、どんどんケイウンヘイローにのめり込んでるよな。因みにそのうちわは?」
「フッ、自作だ……」
男が手にするうちわには、『ケイウンヘイロー激推し♡』の文字が鮮やかな色使いで描かれていた。
◇◇◇
「菅原クン、ケイウンヘイロー君に出走前の激励には行かなくて良いのかい?」
いつも通りスタンド最前列に陣取った菅原に、ホープが話しかける。
「ああ。やれることは全てやった。後はあいつ次第だ」
「私は最後に背中を押してあげる事も“やれる事”だと思うがねェ……ところで、ブルークマモト君は大丈夫だったのかい?」
菅原はため息をついた。
「……熱発だ。大事を取って明日の出走は取り消しにしておいた」
「流行ってるねェ……明日のメイクデビュー、私が知る限りこれで出走取消三人目だよ。五人立てとは、もれなく全員掲示板入りだねェ」
「メンバー的にここで勝っておきたかったが、仕方が無いな」
「あ、やっぱりここに居た。おーいトレーナーさ~ん」
スタンドの中から、菅原の名を呼ぶ声がした。
「……ブラックか。久しいな。ケイには会ったか?」
声の主はブラックキャッスルだった。
「久しぶり~。さっきちょこっと話してきたよ。うちの顔見たらめっちゃ驚いてた」
「そうか。勉強の方は順調か?」
「うん、ぼちぼち。二年生の範囲でよく分かってないところあったから、受験講座で一から復習出来て助かってるよ。ところで新入生入ったって聞いたんだけど……その人は違うよね?」
「こいつは違う。ちょっと事情が複雑だから詳しくは省くが、まあサブトレーナーみたいな奴だ。新入生は風邪で寝てる」
「やあ初めまして、ブラックキャッスル君。ホープと呼んでくれ」
「ど、どうも……それでトレーナーさん、ケイちゃん勝てそう?」
菅原は腕を組んでコースの方を見つめる。
「今までだって調整を怠ったつもりは無いが、今回は過去最高の仕上がりだと思う。これで敵わなければ素直にブルーアラオに脱帽するしかない」
「ブルーアラオ君側のトレーニングも密かにチェックしていたが、私の見立てでは単純な能力ではもう互角かそれ以上と言って良いだろうねェ。メイクデビュー以来常に一回りあった実力差が一年がかりでようやく埋まったと見るべきだろう」
「だが、あくまでも互角だ。レース展開次第では上回られる可能性も否定できない。“絶対に勝てる”と断言できるレベルまでは持っていけなかった」
「ふーん……まあ、でも大丈夫でしょ」
「いやブラックお前な……」
ブラックキャッスルはにっこりとほほ笑むと、菅原の目を見る。
「トレーナーさんが見てるケイちゃんのイメージがどうかは知らないけど、うちにとってあの子は特別なウマ娘だよ。だから、信じてる。あの子ならやれる。トレーナーさんにとってケイちゃんは特別じゃないの?」
「俺は……」
菅原は目を伏せる。そして低いトーンで話し出す。
「俺にとっては、ただの教え子だ。特別なんて、存在しない……存在させては、いけない」
ホープがその様子を見てふっと息を吐いた。
「ともかく二人とも、そろそろ始まるよ。本バ場入場だ」
◇◇◇
足が砂を踏む軽い音が、幾重にも反響している。
今まで幾度となく通って来た本バ場へと向かうバ道を私は今日も進む。耳に付けた白いメンコのしわを気にしてちょっとだけ直す。
「ケイちゃん」
後ろから声を掛けられ、振り返る。そこに立っていたのは黒鹿毛の髪をショートボブに切りそろえたウマ娘──カナちゃんだった。
「カナちゃん。今日もよろしくね」
「うん、よろしく……ねぇケイちゃん、ちょっといいかな?」
「え、うん。どうしたの?」
「もしかしなくてもだけどさ……今日ケイちゃん、アオ倒す気満々でしょ」
「……えっ」
「分かるよ。何かめっちゃ闘志が漏れ出してるもん」
「そ、そんなに?」
私が思わず自分の体を見回すと、カナちゃんが笑った。
「あはは、比喩表現だよ。ケイちゃんらしくないなぁ」
「は、はは……まあでも、そうだよ。私は今日アオに勝つつもりで来た」
「だよね。実を言うとさ、ケイちゃんのトレーニング、ずっと傍目から見てたんだ。あんな負荷かけてピッチのトレーニングして、そこまでしなきゃいけない相手なんてアオ以外居ないもん」
「うん……あ、でも当然カナちゃんにだって負けるつもりないよ! 正々堂々勝負しよ!」
「いやいや~ぶっちゃけ私ケイちゃんとアオの勝負に混ざれる気なんて一ミリもして無いから。怪獣大決戦に付き合う気は無いよ~」
「か、怪獣って……」
ショックを受けた私の顔を見てカナちゃんはまた笑った。
「それにしても、いつかこんな日が来るだろうなとは思ってたよ。去年私が言った事憶えてる? “アオに並びかけられるのはケイちゃんだ”って」
「ああ……でも結局、中央の子とかこないだの佐賀の子が私より早くアオを追い越しちゃったけどね」
「それは確かにそうだけど……あの子達はアオより強かったかもしれないけど、少なくともアオのライバルではないよ。前にも言ったけどアオは気負いすぎちゃうからさ、何でも自分で背負い込もうとして無理しちゃう。“勝たなきゃ”、“目立たなきゃ”って。その結果二月に体調崩しちゃったでしょ?」
「うん、ライブに仕事にトレーニングにって無茶しちゃってたもんね」
「だけどそこに並べられるだけのライバルがいれば、アオ一人が無理する必要は無くなる。仕事だって分散するだろうし、自分一人に責任が掛かってるなんて気負う必要なんてない」
「……うん」
「私、今から楽しみなんだ。一人は天性のスター気質で、見た人を虜にするカリスマ。一人は努力家で、コツコツ積み重ねて高みへ上り詰める等身大のヒロイン。アオとケイちゃん、二人の新時代のアイドルが牽引する荒尾。そしてその先にどんな未来が待っているのか……」
「そ、そこまで期待されちゃうと困るよ……」
「そう? でも期待させて。私はどっちかと言うと高嶺の花より馴染みやすいケイちゃんみたいなタイプが好きだから」
「……それ暗に私がアオ程は可愛くないって言ってるようなもんじゃ?」
「あっ」
「二人とも~どうしたの? こんなところで話し込んで」
カナちゃんをどう詰めてくれようかと考えていたところで、パドックの方から歩いて来たのは他でもない話の中心、アオである。
「ううん、何でもないよ。今日のレース頑張ろうって感じ」
「そっか。私も今日はダービーの雪辱を果たさなきゃだし頑張るよ!」
そう言ってアオは天使の様に微笑む。全くいつ見てもこの子はこの上なく完璧な美少女だ。
「でも二人とも、早くいかないとお客さんたち心配するよ? 二人は一番と二番なんだから」
「それもそうだね。カナちゃん、行こ」
「は~いよ」
私たちは並んで歩きだす。バ道を出ると熱心なお客さんがスタンドから身を乗り出すようにして私たちを待ちわびていた。
「ケイウンヘイロー!! 頑張れよお゛お゛お゛!!!」
どこかで見かけた気がする男性のファンがうちわを振って熱烈に応援してくれた。思わず笑顔がちょっと引きつった気がするが多分気のせいだ。
1500mのスタート地点、第四コーナーのポケットへと歩みを進める。梅雨の真っただ中だが連日の晴れ間でバ場状態は良。丹念に均されたきめ細やかなダートは踏むたびに軽やかな音を立てる。
もう既にスタート地点に着いていた他のウマ娘達が私たちの方を見てくる。アオの方が上なのは言うまでもないが、一番人気と二番人気である私たちは否が応でもマークの対象になる。あるいは初めからアオに勝つつもりは無く、どうにか私に勝って二着の座を狙おうという魂胆の子も居るだろう。
係員に促されて奇数番の子達が枠入りを始める。続いて偶数番の私たち。
ゲートに入ると目の前の扉から普段にも増して圧を感じる。何しろ今回の作戦、万が一にも出遅れれば破綻は必至なのだ。過去何度かやらかしている出遅れは意地でも回避しなければならない。
感覚を研ぎ澄ます。耳は発走委員がゲートを開ける際の掛け声を聞き漏らさないようにスタンドカーに向け、目線はゲートが開くのを見落とさないよう瞬きすらも憚る。
「開けるよ! 用~意!」
重心をぐっと落とす。両脚に力を込める。
そして視界が開けた瞬間、
私は既に大地を蹴っていた。
◇◇◇
『スタートしました! 好スタートを切ったのは二番のケイウンヘイロー。各ウマ娘先行争いに移って行きます。さあ今日も先頭に立ったのはブルー……いや、これはケイウンヘイロー! ケイウンヘイローが内からすっと抜け出て先頭です!』
ざわっ……!
「ケ、ケイウンヘイロー!?」
「まじかよ逃げやがった!」
「ブルーアラオに何かあったのか?」
「いやブルーアラオがこのメンバー相手に先行争いで負けるわけがない! ケイウンヘイローの暴走だろ!」
観客たちの多くは目の前で起こっている異常事態を受け入れられなかった。
“ブルーアラオは逃げ、ケイウンヘイローは先行。ダービーは例外で今日はいつも通りレースが進むはず”……この一年間何度も繰り返され、植え付けられた固定観念。その崩壊を、それぞれが独自の解釈で処理しようとしていた。
また、レースを走る他のウマ娘達にとってもそれは同じだった。
彼女たちにしてみれば、この一年間を通じてトップで争ってきた二人の立場は明確だった。ブルーアラオは、遥か先を逃げる手を伸ばしても届かない雲の上の存在。
ケイウンヘイローはその後ろを行く、強い事には変わりは無いが頑張って手を伸ばせばもしかしたら届くかもしれない、雲のような存在。そんなイメージだった。
しかしその順番が、目の前で入れ替わっている。雲が、空の先に居る。
『こんなの想定外……!』
『これ、ついて行っても良いの?』
『暴走だとしたら絶対ハイペースになる! 迂闊に行ったら私も沈んじゃう!』
だからこそ、誰もがケイウンヘイローの逃げというイレギュラーに巻き込まれるのを恐れ、温存策を選んだのだった。
「よし、逃げられたねェ」
「ああ。ひとまずは作戦通りだ」
「な、なんかお客さん滅茶苦茶どよめいてるけど大丈夫なの? ケイちゃんって先行型じゃなかったっけ?」
「問題ない。これが今日の作戦だ。後はブルーアラオがどう反応するか次第だ……」
菅原達の前をバ群が駆け抜ける。白い砂塵を残して彼女たちの後姿は第一コーナーへと消えて行く。
レース場全体が奇妙な空気感に包まれたままレースは進んでいった。
◇◇◇
よし、とりあえず先頭に立てた。普段ならこの時点では目の前に誰かしらの背中が見えているのだが、私の前を遮るものは今や何もない。
私はスタンド正面を先頭で通過し、第一コーナーに突入する。
正直言ってスタンド正面の直線で大外から切り込んでくるアオと競り合う覚悟もしていたのだが、思ったよりすんなりと逃げに成功したという印象だ。ちょっと上手く行き過ぎているような気もしないでもないが、杞憂だと思いたい。
後ろから聞こえてくる足音はだいぶ距離があるようにも思える。やはり、私の逃げという展開を恐れて迂闊に追ってこないようだ。これならもう少しスローペースでも大丈夫かな?
そう思って私はほんの少しだけスピードを緩める。先頭に立つという事はペースの主導権を握ることが出来るという事でもある。このレースの展開が私の手中にあると思うと、なるほど逃げに固執するウマ娘が多いのにも頷ける。
二コーナーを抜けて向こう正面。白亜のダートに足跡を刻みながら先頭を進む。
アオはどこにいるだろうか。後ろを振り返って確認したい気持ちもあるが、これで真後ろにでもつかれてたら調子を乱されそうで怖かった。
ホープさんと立てた予測が正しければ、最終直線まで凌ぎ切れば勝算は高い。このまま行くんだ。
夏の気配を感じさせる三十度に迫らんとする気温と、時速六十キロで脚を動かす筋肉の発する熱で汗が溢れる。だけどまだ大丈夫。
第三コーナーの緩やかなカーブの差し掛かりと同時に600のハロン棒を通過する。
よし、先頭。
少し遅めのペースで走ったから余力がまだまだある。思ったよりも簡単に行けたな。
もう第四コーナーに差し掛かる。そろそろスパートをかけて確実に勝利を……!
──その時だった。
……!?
風切り音の中、真後ろで何かが動く気配がした。
ぞくっと体に走った悪寒を振り払って、左後ろを確認する。
──そこには、今まさに私に並びかけんとするアオの姿があった。
『ケイ、ようやくスパート? もう私に勝ったつもり?』
彼女の澄んだ碧い瞳は、そう私に語りかけてくるようだった。
◇◇◇
『第四コーナー通過! ブルーアラオが来た! ブルーアラオが来たぞ! 八番ブルーアラオ二番手から抜け出して先頭二番ケイウンヘイローに並びかけたー!』
「やっと来た!」
「行け、ブルーアラオー!」
道中ずっと続いたケイウンヘイローが牽引するスローの展開に耐えかねたかのように、第三コーナーからブルーアラオは動き始めていた。一足早くペースを上げると、第四コーナー入り口で遂にケイウンヘイローを外ラチ側から強襲したのだ。
「くそっ! やはり一筋縄では行かないか……!」
菅原が思わず悪態をつく。
「ケイちゃん大丈夫なの!? これも作戦!?」
「いや、破綻だ。第四コーナーまで抑え込んでいれば勝算はあるという算段だったが、ブルーアラオが指をくわえて見ているだけの筈がなかったんだ!」
「落ち着きたまえ。らしくないよ、菅原クン」
菅原とブラックキャッスルとは対照的に、ホープは落ち着いていた。
「お前、自分が考えた作戦が失敗しかけてるってのによく平気でいられるな!」
「失敗? 私はそうは思ってないがねェ。まだ想定の範疇さ」
「どういう事だ!? 今にも抜かされるっていう状況だぞ!」
それでもなおホープは不敵な笑みを浮かべて遠くのバ群を見つめていた。
「よく見ておきたまえ……あの子なら、恐らくは……」
◇◇◇
──油断した。
アオが先行抜け出しで仕掛けて来ることは無い、そんな根拠のない先入観があった。
しかし私が逃げというイレギュラーで走る以上、アオがイレギュラーで対応しない訳が無かったんだ。
いや、アオの事だ。もしかしたら私の作戦は全て予想していたのかもしれない。だからこそ敢えて並びかけたり追走しないで私が油断してスローペースに落とすのを誘ったのか……!
くそ、楽なんてせずにもっと最初からペースを早くしてリードを取っておけば!
アオは私のほぼ真横にまで並びかけて来る。今やリードは無いに等しかった。
アオはただ前だけを見据えて、毅然とした表情で走っていた。そうか、君はそんな顔で走るのか。いままで一度も並びかけた事なんて無かったから、知らなかった。
──負けるのか。
また、今まで何回も繰り返してきたように。
……そんな訳無い。
まだレースは終わってなんか無い。
アオが並びかけてきたから何だ。幸いこっちはスローペースで温存した分脚は残ってるんだ。
たくさんの人に助けられた。たくさんの人に応援して貰った。今だって、スタンドに私の勝利を信じて待っている人たちがいる。
もう一歩も引かないって、決めたじゃないか。
アオ。
君は誰よりも強くて、同時に誰よりも気配りが出来て、責任感だってある。私じゃ絶対に敵わないし、本当に心から尊敬してる。
だから、ごめん。
こうでもしなきゃ、君には勝てない。
私は全身全霊で君を打ち倒す。
君のライバルで居るために、君の側に立つためニ。
──負ケてタまるカ。
私は──ボクハ、ココデ勝タナキャイケナインダ。
ユ ズ ラ ナ イ
◇◇◇
その瞬間、歓声が止んだ。
何かが起こったのは誰もが分かった。しかし、何が起こったのかは誰も分からなかった。
何か、とてつもなく大きなものが、空間を支配した。
ただ観客の目に映った物は──絶対王者たる少女が置き去りにされ、もう一人の少女がまるで走る事だけを突き詰めた獣の様に疾走する光景だった。
『……っ!? ケイウンヘイロー加速した! ケイウンヘイロー……これはとんでもない速さだ! 並びかけたブルーアラオを一瞬で置き去りにして単独最終直線へ!!』
「……な、なに?」
「分からない……」
「うお゛お゛お゛お゛お゛!!! ケイウンヘイロォォォッッッ!!! かっこいいぞお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!」
少女は砂塵を渦の様に纏って猛進する。
凄まじいピッチで繰り出される脚はその一歩一歩が確実に地面を捉え、溢れんばかりのパワーは抉る様に大地を蹴り彼女の身体を前へと押し出す。額の流星の下でギラギラと光るブロンズ色の瞳には、ただ勝利への執念が宿っていた。
「ヒャッハハハハハ! 来た! 来たよ菅原クゥン!! 私が求めていたモノがッ!!!」
「な……何が起こっている……? ケイも、お前も……」
「何を寝言を言っているんだぁい!? 決まっているじゃないか! “領域”だよ! “領域”!! 出るならここだろうとは思っていたが! まさか本当に発動するとはッ!!」
困惑する多くの観客の中で、二種類の狂喜の声がスタンドにこだましていた。
「ああ、気になる! どんな条件を満たしたんだ? 心拍数は? 呼吸は? 今どんな感覚で走っている? 知りたい、知りたい、知りたいッ!」
「お、お前……」
二人を傍目に、疾走するケイウンヘイローの姿をうっとりと見つめたブラックキャッスルは、ただ一言だけ零した。
「ケイちゃん……すごい……」
『さあケイウンヘイロー、リードは五バ身以上! 二番手はブルーアラオ、三番手に四番ワタリフラワー! その後ろは混戦模様ですが、ケイウンヘイローただ一人突き抜けた! 脚色は衰えない!! 圧倒的な差で! 今! ゴールイーン!!!』
◇◇◇
ごうごうと何かの音が聞こえる。
くぐもっていて、妙にリズムがあって、まるで水中みたいで。
──それが自分の心臓の音だと自覚した途端、立っていられないくらいの立ち眩みに襲われた。
「……ッ!? かはっ! ゲホッ! ゴホッ!!」
なんだこれ。上手く息が出来ない。
地面に倒れ込む。平衡感覚がおかしい。視野が狭くなって、重力が入れ替わり何度も空に落ちそうな感覚になる。
「君、大丈夫!?」
誰かの声がする。服装からして恐らく救護班の人だ。
その人の手から酸素ボンベを受け取ると、私は夢中で吸引した。
少しずつ暗くなっていた視界が明るくなり、周囲を落ち着いて見られるようになった。
私はゴール板を十五メートルほど過ぎた場所で倒れ込んでいた。
ゴール板……そうだ、レースは。
「ケイ! 大丈夫か!」
私の名を呼ぶ声がする。
振り向くと、トレーナーさんが血相を変えて駆け寄って来る所だった。
「トレーナーさん……」
トレーナーさんは突然私の肩に手を置くと真っ直ぐに私の顔を見てくる。
「怪我は無いか!?」
「は、はい多分……でもそんな大げさな」
「バカ野郎! お前失速したとはいえ倒れ込んだんだぞ! 無茶しすぎだ!」
よく見たら私が倒れている場所の前には3、4メートルほど引きずったような跡があり、私の身体の左半分は砂まみれだった。
「あ、あのトレーナーさん。レースは……?」
トレーナーさんは呆れたようにため息をつくと普段通りの口調に戻った。
「……お前の完勝だ。七バ身差だぞ」
「……そうですか」
そっか。勝ったんだ、私。
私はトレーナーさんに肩を貸して貰って立ち上がる。すると、スタンドの方から歓声が沸き上がった。
「立ったぞ!」
「良かった~まじで焦ったわ」
「ゴールした途端あれだもんな。一瞬最悪の想像しちゃったよ……」
「ケイウンヘイロー!! おめでと~う!!!」
先程のキャップを被った男性ファンが、ひときわ大きな声で私の勝利を称えてくれた。それを皮切りに、万雷の拍手がスタンド中から沸き起こった。
『二番ケイウンヘイロー、立ち上がりました! どうやら大丈夫なようです! デビュー以来、何度挑んでも勝てなかったブルーアラオ相手に鬱憤を晴らすような七バ身差の圧勝です!』
私はスタンドに向かって大きく一礼する。自分ではそんなつもりなかったのに、涙まで溢れてきてしまった。
「ケイちゃん、おめでとーう!」
ブラック先輩もほっとしたような表情で手を振ってくれている。どうやら思った以上に色んな人を心配させちゃったようだ。後で謝らないとな。
……そういえば、アオは?
私が周囲を見渡すと、少し離れたところにある着順掲示板の前に佇むアオの姿を見付けた。私は彼女の元へと歩いていって話しかける。
「アオ! ……ありがとう。アオが居てくれたから、私……」
しかし、てっきりすぐに振り向いていつものような笑顔で笑いかけてくれるか、あるいは今まで一度も見たことが無い本気で悔しがる顔を拝めるかと思ったものの、彼女は掲示板を眺めたまま動かなかった。
「……アオ?」
「……ぁ、ケイ」
本当に聞こえていなかったのか、彼女の反応は素っ気無い物だった。しかし彼女はすぐにいつもの笑顔を作ると、
「……おめでとう! ついに負けちゃったね」
優しく私に語りかけてきた。
「アオ、どうしたの? 何かあった?」
「ううん? なんでもないよ!」
「そっか……なら良いんだけど。でも、今日はまだ私一勝目だから。これからもっとたくさん勝てるように頑張るよ。アオのライバルとして!」
我ながらちょっと面映ゆい台詞を言っちゃったな、と思っていると。
「……そうだね! 私も次は負けないから!」
──あれ?
「……う、うん!」
「……? どうしたの?」
「いや、何でもない! 検量室行こ、アオ!」
まだ続いてる拍手の雨の中を、二人で並んで歩き出す。
……何だったんだろう。
アオが一瞬見せた、決まりの悪そうな表情は。
◇◇◇
「やあやあ待っていたよケイウンヘイロー君! さあ根掘り葉掘り聞かせてもらうよ! どんな感覚だった? どんな状態だった!?」
検量室を出ると、待ち構えていたホープさんが見たことない形相で質問攻めに来た。
「ホ、ホープさん! 何の話ですか!?」
「そりゃ君、言うまでもないだろう? キミが発動させた“領域”についてさ!」
「……え?」
私は素っ頓狂な声しか出せなかった。
「……キミ、一応確認するが先ほどのレースの記憶、あるかい?」
ホープさんは真顔になると落ち着いた口調で訊いてきた。
「えっと、最初から逃げて、一二コーナーと三コーナーまで先頭で、そこでアオに並びかけられて……」
「その先は?」
私は言葉に詰まった。自分の事なのに、三十分も経ってない出来事なのに。
「……憶えて、無いです。何か、記憶にもやが掛かってて」
「……そうかい」
ホープさんは意外にもそれだけしか言わなかった。そして考え込むような仕草をすると、ぶつぶつと独り言を始めた。
「だとしたら領域には健忘の副作用がある? いや、過去の事例を鑑みてもそんな報告は無かった。倒れ込んだ衝撃による記憶障害? いや倒れ方は頭にショックが及ぶものでは無かった。そもそも僅か300m程度の発動で何故あそこまで消耗した? 使用者のキャパシティの問題なのか? だとしたらこれは万人に扱える代物ではないのか? 限界を超えた走りなんて多くの者には出来ず結局ほとんどのウマ娘は最初から限界を越えられない可能性が……」
そこまで言うとホープさんは頭を掻きむしって、そしてすぐに元に戻った。
「……悪いね。後は自室で考察してみるよ。何か思い出したことがあったら何でも言ってくれ」
「は、はい。お疲れ様です……」
ホープさんは俯いたまま歩き去った。
そういえば以前、全てのウマ娘が限界を超えた走りを出来るようになる世界が理想だとか言ってたっけ。私の事例が、ホープさんの夢を崩壊させてしまったかもしれないのか。
「ケイウンヘイローさーん。ライブまであんまり時間ないんで衣装への着替えお願いしまーす」
「あ、はーい!」
何とも言えない罪悪感が残りつつも、私は競走ウマ娘としての仕事に戻る。
そうだ、カナちゃんも言ってたけど今回の勝利でファンの人たちからの注目度だってぐっと上がったはずだ。ライブで応援してくれる人も増えるかな?
ふと廊下の窓から外を見る。明るい空の上の方、うっすらと掛かった雲が一部分だけ虹色に色づいていた。
写真でしか見た事無いけど、確か珍しい自然現象だ。えっと確か名前は……そうだ、
“景雲”だ。
前書きを使っちゃったのでここで叫ばせて下さい!
新時代の扉、めっちゃ面白かったです!
通常版と4DX版両方観ましたが4DXはあれですね、映画と言うよりアトラクションですね。
とにかく熱いストーリーになってましたのでまだご覧になってない方は是非劇場でどうぞ!