ウマ娘 潮騒のアレグレット   作:秋月@小説

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大変お待たせしました!本編更新、第二章第十三話です!

色々事情があり長引いてしまい申し訳ありません。これから徐々に投稿を再開して行こうと思います。
投稿していなかった間にあった個人的な出来事としましては、八月に北海道を二週間強ほどバイクで旅していました。なんていうか、本当に植生が違うだけであんなにも異国感が漂うんですね。シラカバなんて九州じゃ見たこと無かったので新鮮でした。
それと、家畜も野生も色々動物を見かけましたね。ウマ、ウシ、エゾシカ、キタキツネ、ノウサギ……そしてヒグマにも出くわしました。襲われたりはしてないんですが、バリバリ野生個体だったのでぶったまげましたね……
北海道をバイクで旅するのは高校以来六年越しの夢だったので終わった後はだいぶ燃え尽きてました。それが投稿が遅くなった遠因でもありますが、十月にもなりいいかげん再開しようと思い立った訳です。

本格的にストーリーが進むのはもう数話先だと思いますので、今回は気軽に見てください。では、本編をどうぞ。


新生活

 唐突だが人間の価値観形成は幼少期に生まれ育った環境に依存する。

 

 個人差はあれど同じ集団や文化圏の中で過ごせばその基準を逸脱した価値観を持つ事は滅多にない。例えば日本で育てば並大抵の人間は同調圧力に逆らえないし、礼儀や外聞を重んじるようになるという事だ。極端なことを言えば、都会で生まれ育てば価値判断の基準は都会の物が中心となり、それ以下の都市は一概に田舎に見えるようになる、と言えるかもしれない。

 こと私が生まれ育ったのは東京だ。そんな中で育った以上自分でも目が肥えているとは思っている。大きな建物なんてどこにでもあるし、電車は蛇のように長いのが当たり前だ。

 

 だが、やはり私の眼にもこの学校は呆れるほど大きすぎる。

 

 スーツケースをごろごろと転がしてトレセン学園の構内を進む。広々とした前庭には三女神を模した巨大な噴水が滾々と水を注ぎ、その背後には中央に塔をあしらった洋風の校舎が聳える。こういうのは確かネオ・バロック様式と言うんだったか。

 何にしろ学校としては相当豪華な部類に属するだろう。機能性以外にリソースを割く余裕があるというのは言うまでも無く中央の潤沢な資金が背景にある。荒尾の雨漏りまでしていた特別教室棟の事を思い出すと、果たして本当に同じ趣旨の学校なのか怪しくなる程だ。

 校舎の中に入ってみると、三階まで吹き抜けの広大なエントランスがお出迎えだ。校舎正面が重厚感ある建築様式だったのに対して、反対側は全面ガラス張りでスタイリッシュな印象を感じさせる。床に敷き詰められたるは丹念に磨き上げられた石材。外光を青白く反射させ、歩くたびに硬質な音を吹き抜けに響かせる。普段は大勢の学生の声でごった返すであろうこの空間も夏休み期間中の今は静かなもので、空調の音がどこかで低く唸っているだけだった。

 

「えっと事務室は……」

 

 私は周囲をきょろきょろと見渡す。一応オープンキャンパスと受験の時の二回来たことはあるのだが、校内がどんな構造になっているのかなど把握できたためしがない。見える範囲では一階は購買と図書室と……レースの出走窓口かな? じゃあ事務室は二階だろうか。

 とりあえずスーツケースを担いで階段を上って二階へ。

 

「あっ、あそこかな?」

 

 すぐそばに事務室と書かれた札の掲げられた部屋があった。

 事前に貰った資料ではここで到着の手続きをして、それから諸々の説明があると聞いているが……

 

「失礼しま~……」

 

 荒尾の事務室のつもりで挨拶して入室する……が、

 

「えぇ……?」

 

 そこは私が知っている事務室の規模では無かった。

 広々とした室内には所狭しとデスクが並べられ、パソコンと向き合う職員の人たちで溢れていた。さながら役所である。

 その上窓口も何個もある。「学生支援課」「教育支援課」「広報戦略課」「管理課」……

 私が困惑して立ち尽くしていると、みかねた職員の人が話しかけて来てくれた。

 

「どうされましたか?」

「あ……あの、私……」

「あ、もしかして転校の手続きですかね?」

「いえ、転入です……」

「……ああ! 失礼しました! では学生支援課の机にお掛けになってお待ちください」

 

 危うく転入初日に転校の手続きを取られる所だった。ともかくどうやら学生支援課で合っていたらしい。よくあるプラスチックの骨組みにメッシュ素材の座面が貼られた椅子に座って少し待っていると、奥から眼鏡をかけた若い女性職員が出てきた。

 

「お待たせしました。私は学務部学生支援課地方連携担当の者です。本日到着予定のケイウンヘイローさんでお間違いなかったでしょうか」

「あ、はいそうです」

「ご転入おめでとうございます。ようこそ、トレセン学園へ」

 

 職員さんが丁寧に挨拶をして下さる。私も礼で返す。

 

「ではご説明を致しますね。ケイウンヘイローさんは荒尾トレーニングセンター学園中等部二年からの転入となりますので、特に支障が無ければこちらでも中等部二年C組にそのまま編入となります。寮の方は栗東寮となっておりますが、何かご都合が悪い点はございませんか?」

「はい、大丈夫です」

「かしこまりました。二学期の開始は八月二十九日からですのでそれまでは夏休み期間となります。自由に過ごして下さって構いません。二学期開始以降から管理棟一階の窓口で選抜レースの出走登録が可能になり、トレーナーとの契約も可能となります。それまでは担任教官の下で合同トレーニングに参加して頂く形になります。その他の点につきましては事前にお送りした説明資料の方を参照されてください。ここまででご質問はございますか?」

「えっと、校則とかのリストってありますか?」

「ありません。本校では学生による自治が行われておりますので。制服の着用も努力義務で強制ではありませんし、強いて言うなら『校内は静かに走れ』でしょうか。しかし公序良俗と寮ごとのルールは守っていただく必要があります」

 

 ほう。流石生徒の自主性の尊重を謳うだけはある。荒尾だって決して校則が厳しかった訳じゃないが、一般常識さえ守れば基本何しても自由という訳か。

 

「ただ一つ……是非心に刻んでおいて欲しいトレセン学園としての校訓はあります」

「と言うと?」

 

 職員さんはちらりと横を見た。目線の先には壁に飾られた大きな額縁がある。

 

『Eclipse first, the rest nowhere』

 

「“唯一抜きんでて並ぶ者無し”……」

「はい。常に高みを目指し、研鑽を怠らない。そんな学生像を私たちは求めます。必ずしもレースでという訳ではありません。学業でも、他の活動でも構いません。貴方が何かに全力で取り組むならば、私達職員も全力で貴方を支えます」

「……はい、分かりました」

「他に何か気になる点はございますか?」

「えっと、じゃあ一つ……さっき他の職員さんから間違われちゃったんですけど、地方からの転入って珍しいんですか?」

 

 職員さんは少し考え込んだ。

 

「あまり大きな声では言えませんが……やはり全体としましては、地方からの転入よりもこちらからの転出が多い印象です。現理事長の方針で地方所属の有望な学生は積極的に受け入れ、退学希望者も可能な限り引き留めるという対応をしてはいるのですが……高レベル化が進み、かつてのような群雄割拠の模様ではなく一部のトップ層によるタイトル独占が進む中央の現状を敬遠する動きや、中央は合わないと判断され地方に活躍の道を求め自主退学という形を取る学生も多いのが現状です」

「そうなんですか……すみません、変な事訊いちゃって。ありがとうございました」

「はい。では門限までに寮の方へ向かわれてください。失礼します」

 

 私はお礼を言って事務室を後にする。さて、確か寮の門限は二十二時だったが今はお昼の十五時過ぎ。ピークは過ぎているが八月の昼下がりなど灼熱に炙られるのが趣味という物好きくらいしか外を出歩きたくは無いだろうし、言うまでも無く私はそんな趣味は持ち合わせていない。だがこのまま寮に直行するというのも少し味気ない。とりあえず校舎の中でも見て周ろうか。

 

 壁に貼ってある校舎の案内図を俯瞰する。どうやらこの校舎は上空から見ると“E”の形で三つの建物を連結したような構造をしている。今いる中央のこの場所が管理棟になっていて、他の二棟はそれぞれ中等部と高等部の校舎。職員室はそれぞれの棟ごとにある。購買と図書室がこの棟に集約され理事長室、生徒会室がこの上にあるらしい。

 中等部の棟の中をぶらぶらと歩いてみるが、廊下にも何個も連なる教室にも人気は無い。普段この空間を埋めているであろう二千人強の学生の大半は今頃某所の海岸で夏合宿に励んでいる筈だ。そんな中でも律儀に空調だけは効いていて、窓辺から陽光が差し込む廊下でも暑さが気になることは無い。頭に浮かんだのは“流石中央”と“電気代の無駄”の二つの文字列である。

 

 やがて私が新学期から学ぶことになる中等部二年C組の教室が見えてくる。他の教室と同じ、明らかに機能以上のコストが掛かっていそうな木組の框があしらわれ、上部が扇状になった窓がはめ込まれた水色の引き戸が教室の前後にある。だがまあ構造自体は至って普通の教室である。全面ガラス張りとかじゃなくてちょっと安心した。

 ……ちょっと中を覗いてみようかな? 

 そうして扉に身体を預けて窓から中を覗こうとする。しかし軽く扉にもたれた途端、そのまま扉は横へとスライドしてしまった。

 なんとまあ、長期休み中に教室を施錠していないのは流石に不用心ではなかろうか。あるいは学園のセキュリティによほどの自信があるのであろうか。そして引き戸の立て付けの良い事。中々開かない扉よりよっぽどましであるが、この瞬間においては最悪である。

 扉にもたれかかっていた力はたった今支えを失い、そのまま前への運動エネルギーに替わった。その行き着く結果は一つ──“倒れる”! 

 

「うわぁっ!」

 

 私は思わず悲鳴を上げるが、すぐに立て直す。すぐに脚を前に出し、倒れそうになった身体を支えた。不意は突かれたが、歳を召した老人ではないのだ。このくらいでぶっ倒れるようなへまは犯さない。

 だが思わず声が出ちゃったのは恥ずかしい。夏休みで誰も人がいない時で良かったぁ……

 そう思って顔を上げた瞬間、果たしてそこに人影があった。

 

 黒髪のウマ娘だった。やや華奢な身体つきで、あまり快活そうな印象は感じ取れない。身体に纏うのは、殊勝にもトレセン学園の夏服である。夏休みだというのに。この学園には校内では絶対制服を着なければならないなんて規則があっただろうか。

 窓際の机に座ったそのウマ娘は、どこか間の抜けたまん丸の瞳で私を見つめていた。

 ……いや、実際はどうなのか分からない。その表情はどうみても驚愕を表す表情であって、私の到来など微塵も予測していなかったのだろう。

 そして恐らく私もまったく同じ表情をしていた。この一瞬に起こった出来事が多くてまだ状況を整理しきれていないが、少なくとも分かるのは、ずっこけかけた姿を見ず知らずの、恐らくクラスメイトになるであろう人に目撃されたという事実である。私は自分の体温が上がっていくのを感じ取った。

 

「「あ、あの!」」

 

 私と彼女の声が被った。やや低めのハスキーボイスだ。

 私はそこでたじろいだが、彼女の方は少し辺りを見渡すと、跳ねるように机から降りると、こちらに向かってきた。

 私が驚いて一歩退くと、

 

「すみませんっ……」

 

 そう言い残して彼女は私の横をすり抜けて瞬く間に走り去る。

 呆気にとられたままの私はその背中を追う事すら出来なかった。

 

「な、何だったんだろ……」

 

 すみませんと言うからには彼女は何か見られて都合の悪い事をしていたのだろうか? しかし私が見た彼女はただ机に腰掛けていただけだった。後ろめたそうな事なんて無さそうだったが……

 気を取り直して教室を見渡す。教室の前後に黒板が置かれ、整然と机が並ぶ。窓が大きく作られ、後ろの黒板の上に『Eclipse first, the rest nowhere』と書かれた額縁が飾られている他はまあ珍しい物はない。むしろ安心した。

 廊下に出て左右を見渡すが、先ほどのウマ娘の姿は無かった。先程と同じ、しぃんと静まり返った廊下がそこにあるだけだ。

 

 私はとりあえず他の教室を確認して……どうやら鍵が閉まっているのがデフォルトらしいのでたまたま巡回していた警備員さんに鍵が開いていた事だけ伝えて、結局この日はそのまま寮へと向かったのだった。

 

 

                     ◇◇◇

 

 

 さて、荷解きが終わってしまえばまだ学校が始まっていない以上やることは無い。辺りの散策に行こうにもこの残暑には些か気が滅入ってしまう。と言うわけで、しばしの間私は一年以上余り振りの怠惰な休みらしい休みを謳歌する事となったのだ。

 そうして過ごす事一週間余り。静かだった寮に生徒たちの喧騒が戻る頃──合宿組の帰寮をもってこの学校の二学期、つまり私にとってのトレセン学園での学生生活が始まった。

 

 窓から射す夏の日差しで目が覚める。寝ぼけ眼で開いたスマホの画面に表示された天気予報は快晴を示し、最高気温は今日も高くなりそうだと告げている。

 私は身体に纏った薄いブランケットを除けてベッドから立ち上がると、壁に掛けていた真新しい制服に向き合う。荒尾の制服と同じくベースはセーラー服だが、淡い紫と白を基調としたデザインが見た目にも涼やかで、私はこっちの方が好きだ。

 私は壁から制服を下ろすと、寝間着を脱いで袖を通す。姿見に映った制服を纏う私はどこかまだ現実味が無くて……でも私がくるくると身体を動かすとその通りに姿見の中の私も動く。それでようやく私は本当に現実に居るのだと確信する。

 

「おーケイ、もう着替えたのか? 気合入ってんな!」

 

 不意に戸が開いて入って来たのはショートカットの黒鹿毛のウマ娘。日に焼けた肌がいかにも運動部女子然とした印象を与える。

 

「おはようございます、サン先輩。先輩は今日も朝練ですか?」

「おうよ! やっぱこんなに晴れた日はランニング日和だしな! 多摩川の辺りをひとっ走りしてきたぜ!」

 

 この人はサンコメーテス先輩。私の同室になった高等部の先輩で、中央だけでなんと通算103戦も出走し、しかも長い休養を取ったことがほとんど無いというとんでもなくタフな人だ。今は一線を退いているようだがそのタフさは健在で、何気にファンが多い人でもある。

 

「でも先輩、昨日は曇りでしたけどそれでも『暑くなくてランニング日和だ!』って言っていませんでしたっけ?」

「お、そうか? まあ細かい事は気にすんな! そんな事よりケイは今日が初めてだろ? 中等部の職員室まで送って行ってやるから朝メシ食いに行こうぜ!」

 

 そう言って彼女は屈託なく笑う。どこか粗雑だが姉御肌の良い先輩だ。比較的人見知り気味の私でもこの数日ですぐに打ち解ける事が出来た。

 そんな先輩と連れ立って寮一階の食堂へと向かう。合宿組が帰って来るまではかなり静かだったこの食堂も、今日は七割方埋まって一見賑やかに見えるが、その空気は必ずしも明るいとは言えなかった。生徒たちは食事もそこそこに、壁に掛けられたテレビの画面に見入っている。

 

「相変わらずですね……」

「いくら見たって現状が変わる訳でも無いってのにな。まあ、気持ちは分からなくも無いけどな……」

 

 それもそのはず。つい先日、昨年の桜花賞とNHKマイルカップを制し、秋に向けて調整を進めていたティアラ路線のウマ娘──ラインクラフトが合宿先で倒れた。

 とにかく愛嬌のあるウマ娘で、ファンもとても多く学園でも慕われていた彼女に突如として降って掛かった災厄……又聞きだが現場に居合わせたウマ娘曰く、丁度朝の今くらいの時間に彼女の同室のウマ娘が助けを求める声を上げ、そこから何が起こったのか知る間もなく救急車が来て病院に搬送されて行ったらしい。

 搬送された時点で既に意識は無かったとか、前から様子がおかしかったとか、今は植物状態で回復の見込みがないだとか……どこまでが真相かは分からないものの、そのショッキングなニュースは頻度こそ一時より減ったものの連日メディアによって取り上げられ、日本中を悲しみに包んでいる。

 そんな彼女の急報を見た時、私でさえ心を痛めた程だ。同じ寮で彼女を知るウマ娘も多いここではなおさらだろう……

 

 そして注目の話題はもう一つ。

 

『さあ今月十日に現地入りした“英雄”は昨日もシャンティー・エーグルトレーニング場でゆったりとした軽めのトレーニングを実施し、順調にフランスの環境に適応している模様です。その後は現地日本人会主催のレセプションに出席し、多くの激励の言葉を受けたとのことです。「凱旋門賞」まで一か月余り、日本中の夢を背負って頑張ってもらいたいですね!』

 

 現役最強、無敗の三冠ウマ娘である“英雄”は以前から発表されていた通り世界一の大舞台「凱旋門賞」に出走する為日本を発ち、現地のトレーニング施設で調整を進めている。

 彼女の動向は全てがニュースとなり、URAもこの一大イベントをさらに盛り上げようとあらゆる広告媒体を駆使して日本中を巻き込もうと躍起になっている。そして実際にその空気に当てられて、学園内でもポスターや横断幕が貼られ、どこか祭りにも似た浮ついた空気感が目立つようになってきた。一か月前でこれなのだから、本番直前ともなれば今のラインクラフトの悲しい空気など忘れられてお祭り騒ぎになるのだろう。

 

 私たちは手早く朝食を済ませると支度を調えて学園へ向かう。お向かいの美浦寮からも生徒が出てきて、寮から校舎へと向かう動線はウマ娘で溢れる。改めて二千人強と言う生徒数の膨大さを認識する。

 

「校門の前に理事長秘書の人が立ってるから挨拶するのがマナーな。あの人どういう訳か生徒の名前全員分憶えているから、挨拶欠かすなんて失礼な事したら何されるか分からねえ」

「えぇ……そんな妖怪みたいな……それに私今日転入ですよ?」

 

 そんな事を話していると、なるほど確かに緑色のスーツに身を包んだ妙齢の女性が校門前に立っている。私は一応言われた通りに挨拶を敢行してみる。

 

「お、おはようございま~す……」

「おはようございます、ケイウンヘイローさん」

 

 妙齢の女性は私の名前を口にして、にこりと微笑んだ。

 

「……せ、先輩」

「な?」

 

 二千人以上いる生徒の、それもまだ転入してきてすぐで無名どころかほとんど誰にも認知すらされていない筈の私の名前を言い当てるなんて……

 

「あの人も謎が多くてなぁ。全生徒の名前と顔を憶えてる以外にも、門限破りの生徒を追いかけ回した挙句捕まえたなんて話がゴロゴロあって……現役の競走ウマ娘を、ただのヒトがだぜ?」

「……本当に何者なんですか?」

「それが分かれば苦労しねぇよ。まあ学園上層部は国と繋がっている部分もあるから、そこの理事長の秘書をやる以上少なくともオレ達一般生徒に明かすような立場じゃないんだろうな。まあ、謎は謎のまま次の世代へ引き継がれていくだけさ」

 

 そんな話をしながら校舎へと歩みを進める。視界に入る生徒達は当然九割方知らない顔だが、ちらほらとテレビやネットで見かけたような顔も見える。そして荒尾だと生徒達の言葉に九州訛りが多かったのだが、ここだとほぼ標準語……ちらほらとどこのか分からない方言が聴こえるくらいだ。全国から生徒が集まっている以上、なんというかもうちょっと方言まみれでも良いような気はするのだが。実力があるウマ娘の比率もやはり人口に比例するのだろうか。

 

 校舎に入り、広いエントランスホールから中等部の教室棟に入り、職員室前まで送ってもらって先輩と別れる。担任と挨拶を交わし、ホームルーム中に私の紹介をすると言われた。

 

「それと、あなたの他に実はもう一人転入生がいるから自己紹介はその子と一緒で良いかしら?」

「ええ、構いませんけど……ちなみにその子は?」

「まだ来てないのよ~。この時間に来るよう伝えたのだけれど、寝坊かしらね?」

 

 転入一日目から寝坊なんて、中々肝の据わった子だ。私だったら緊張で絶対しな──ん? なんか一年半前に似たようなことがあった気が……まあ気のせいだろう。うん、きっとそうだ。

 

「じゃあそろそろホームルームも始まりますし、私と一緒に教室に行きましょうか。もう一人の子は……まあまた後で考えましょう」

 

 私と先生は連れ立って職員室を後にする。まだ予鈴が鳴る前だからか廊下に居る生徒も多く、私がその様子を眺めていると先生が話しかけて来た。

 

「どうしましたか? ケイウンヘイローさん」

「いえ……本当にウマ娘が多いなって」

「あら、生徒が多い学校は始めて?」

「いえ、人数は私が通ってた小学校と同じくらいですけど、ウマ娘はそんなに多くなかったですし……荒尾は生徒数があんまり多くなかったですから」

「ああ、ケイウンヘイローさんの出身は東京でしたね。ちなみにどちら?」

「目黒です」

「あら素敵。目黒といえば桜並木ですよね。それと、確かあそこは昔目黒競バ場がありましたよね?」

「あー……らしいですね。もう跡形も残ってないので私もよく知らないんですけど……」

 

 私の実家がある一帯はかつてレース場があった場所だ。第一回日本ダービーもあそこで開かれたと聞いている。

 だがそれも大昔の話……レース場があった名残はバス停やコンビニの名前にわずかに残り、上から見ればかつてのコーナーの跡が僅かに窺えるらしい、くらいのものだ。

 

「あらそうですか。ではちょっと豆知識。大昔、まだトレセン学園が出来る前は中央も地方と同じく各レース場に学園を併設して生徒達がそこで暮らしていた時代があって、それを一か所に集約して出来たのが今のトレセン学園なんです。そして目黒競バ場は東京レース場の前身にあたる場所……つまり目黒もトレセン学園のルーツの一つなんですよ」

「へぇ、お詳しいですね」

「ふふ、一応社会の先生ですから。大学生の時に東京の歴史は軽く触れたんですよ」

 

 そんな事を話していると予鈴が鳴って、生徒達が散り散りに教室に入っていく。しばし無人の廊下を歩いて教室の前まで着くと、先生にドアの前で待機しておくように促され、先生は一人で教室に入って行った。

 

「はーい皆さん席についてくださーい。今日は転入生を二人紹介しますよ~。とはいえ一人はまだ来てないのでまずは一人だけ先に紹介しますね。では入って来て下さーい」

 

 私は息をふぅと吐いて扉を開ける。教室いっぱいから好奇の視線が向けられるのをひしひしと感じつつ、前の黒板の前に歩みを進める。通学バッグを身体の前に携えて立つと、先生が優しそうな瞳で私を見つめながら、自己紹介を促してくる。

 

「えっと、はじめまして、ケイウンヘイローです。熊本県の荒尾トレセン学園から転入して来ました。まだまだ不慣れな事ばかりですけど、これからよろしくお願いします」

 

 教室中からパチパチと拍手が聴こえる。

 

「はい、皆さん仲良くしましょうね~。じゃあケイウンヘイローさん、右から二列目の一番後ろの席に座ってください」

「はい!」

 

 そして私が先生から指示された席へと向かおうとした、その時だった。

 

 

 

 ──時に、転校生が二人いたとしよう。

 一人はどこにでも良そうな普通の身なりで、自己紹介も恙なく済ませるもうどうしようもないほどふつーの少女。で、もう片方の少女は転校初日から遅刻をかました挙句教室に入って来るなり扉のレールに足を引っかけて盛大に前転を披露し、ついでにその口にはにんじんが咥えられていたとしたら、注目を浴びるのは後者の方である事は明白だ。

 

 つまるところ、今私の目の前で起こった七秒余りの状況を淡々と説明すると、そういう事である。

 

「いてて……すみません、遅れました!」

 

 教室は一瞬のうちに騒然となる。

 嵐の様に飛び込んできたそのウマ娘は、スカートの裾をはたきながらおもむろに立ち上がった。

 

「はじめまして、皆さん! あたしユリノシルヴァって言います! よろしくね!」

 

 そしてやや華奢な身体つきの黒髪のウマ娘は、口に加えたにんじんをポリッという子気味良い音をさせて齧ると、屈託なく笑った。

 

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