前回早めに上がるとか言っときながら一か月経ってしまいました。深くお詫び申し上げます。今回相変わらず私生活が忙しかったのもありますが、話自体が少し難産気味でした。
書く前からこの話はめんどくさくなりそうだなとは感じていたのですが、いつも通り書いてる途中にアイディアが浮かんでくると楽観視していました。
所が書き始めたら迷走に迷走。着地点を見付けられず書くことを放棄する事数回。何とか落とし込みましたが内容の割に文字数が前回に匹敵するレベルで膨大になってしまいました。はっきり言って最適な文章が書けたかと言われれば疑問符が付きますが、これ以上お待たせする訳にもいかず、これ以上足踏みしていたら埒が明かないため投稿に至りました。
恐らくこれが年内最後の投稿です。絶望的にペースが遅く本当に申し訳ないのですが、来年こそは早くするとまたもや守れるか怪しいお約束をここに宣言させて頂きます。
それでは皆さん良いお年を。本編をお楽しみください。
『八番ブルーアラオ、先頭で今ゴールイン!二着デコトラ、三着はケイウンヘイロー!』
刹那、スタンドからは大歓声が上がる。荒尾の入場者数からは考えられないほどの大きな大きな歓声が、勝者へと注がれる。
「はぁ…はぁ…ぁ…」
ゴール板を駆け抜けた後、私は思わず座り込む。
慣れない走り方で無理をして走った為か、僅か800mのレースだったにも関わらず消耗が激しかった。
少し顔を上げて前を見れば、堂々たる勝者となったアオちゃんの姿がある。少し照れくさそうに、晴れがましい笑顔で嬉しそうに観客席に手を振っている。
「…っ!」
勝てると思っていた。漠然と敗北のビジョンは浮かんでいなかった。
根拠は無い。だが私が推薦でここに入学した事、スカウトで特別扱いされた事、色んな事が私の中で空虚な幻想を作り出した。
その時私の方に近づく足音がした。
見ずとも分かる。でも、合わせる顔がない。
「ケイちゃん…大丈夫?」
やめて。
「どこか調子悪い?その…私ケイちゃんならもっと…」
お願いだからやめて。
「ブルーアラオさん。検量とインタビューがありますので、あちらへ。」
「あ、はい……」
係員に促されアオちゃんは歩いて行った。
私も立ち上がらなきゃ。なのに、脚が動かない。
観客の視線が痛い。
早く逃れたい。
なのに、脚が上手く動かない。ぽっかり空いた喪失感が、無気力をもたらしていた。
私は何とか身体を起き上がらせると、顔を伏せたままヨロヨロと検量室の方へ向かう。
管理棟の中に入ると、誰かが私の前に立っていた。
「…トレーナーさん……」
「慢心だったな。ケイ。」
「…はい。」
「ケイ。…お前は本当に本気でトレーニングに挑んでいたか?」
「それは…」
「いつも力をセーブしてなかったか?お前は俺が指示した以上の事をしたか?言われたこと以外で自分を高めるために何か努力をしたか?」
「…」
「俺は自分の教え子の為なら何でもする。お前がもっと強くなりたいからアドバイスが欲しいと言ってきたら、全力で一緒に考えてやる。追加で自主トレがしたいというなら門限の許す限り何時間でも付き合ってやる。だが、それはお前が自分から高みを目指そうと努力した時だ。努力しないやつに無償で何でもやってやれる程の余裕はない。」
「…はい。」
「大きな夢を持つのは良い事だ。だが、夢想するばかりで眼前の目標に何もしない奴は大成しない。夢は持てば叶う物じゃない。積み上げるものだ。積み上げて届かせる物だ。」
「…」
「分かったなら一度周りを見渡してみろ。自分も、自分以外の物もだ。そこにお前に必要な物がある。」
「…はい。」
そう告げるとトレーナーさんは去っていった。
どこか慰めの言葉を期待していた私には致命的なほど痛い言葉だった。
努力しなきゃ勝てない。当たり前の言葉を再度認識するが、それよりもさっきの惨敗があまりに強く尾を引いていた。それに、
「…荒尾で。」
荒尾でさえ勝てないのに、私に未来があるんだろうか。
私は想像していた。デビュー戦で華々しく勝利する私を。
一人だけ抜きんでた実力で連戦連勝し、他のレース場に移籍する姿を。
地方レースの一線級にのし上がり、重賞にも出走。いずれは中央の大舞台で勝負服を着て、ネイチャさんみたいに、勝てなかったとしてもたくさんの人に応援され愛されるウマ娘になる姿を。
でも、その空虚な夢は一歩目すら踏み外して崩れてしまった。それどころか、今の自分が絶対に敵わないであろう驚異的な差を見せつけられてしまった。
今まで根拠もなくあった未来のビジョンが、
一気に霧がかり、見えなくなってしまった。
――それからどうその日を過ごしたのかは、よく覚えていない。
三着にはなったのだからウイニングライブの舞台にも上がった筈だが、アオちゃんの後ろでどのように歌い踊ったのか記憶がはっきりしない。気づいたら自室のベッドで横になっていた。無性にお腹がすいている。どうやら何も食べずにいたらしい。
時刻は21時過ぎ。ウイニングライブが18時頃からだったはずだから、少なくとも二時間以上経っているらしい。
どうせもう食堂も開いていない。そもそも遠いコンビニに行く気力もない。このまま寝てしまう方が良いだろう。
最後の気力を振り絞って制服を脱いで部屋着を着る。そういえばアオちゃんはどうしたのだろう。窓からスタンドの方を眺めると、まだ明かりが煌々と灯っているようだった。
今の私には関係のない輝き。
今朝まであの光を浴びるのは自分だなんて思ってたっけ。
…アオちゃんだけに負けたなら、正直ここまで落ち込むことは無かったのかもしれない。
だが、私はデコトラちゃんにも先着されている。私の走りの優位性は少なくとも彼女たち二人より下という訳だ。
私は他の子の走りを研究したり真剣に見たりしたことがほとんどない。
故にどうしようもなく恐ろしくなった。あの二人並の、いやそれ以上の子がもっと居るのだとしたら。
私はもう勝てないのではないか。慢心と余裕でトレーニングを怠った私の脚は、もう入学時にあった優位性などとっくの昔に失われているのではないか。
荒尾で負けた。日本でも水準としては下位の荒尾で。
今の私は、そんなレベルなんだ。
考えるのが怖くなり、私は睡眠に逃げることにした。
空腹が入眠を妨げたが、数十分も粘ればまどろみ始めた。
遠くなる意識の中で、扉の開く音と友の声がした気がした。
しかし私はそれを必死に聴かないようにして夢の世界へ逃げ込んだ。
早朝、あまり良くない夢を見たような気がする最悪の目覚めだった。昨日に増して凄まじい空腹が襲い、さらには猛烈な喉の渇きもあった。
流石に耐えられないと思い、水を飲みに行こうと廊下に出たら、めまいがして倒れ込んでしまった。
あまり頭も回らない。ああ、そういえば座学でやった低血糖の症状にそっくりだな、などと他人事のように考えていたら、誰かの悲鳴が聞こえて、私はされるがままに保健室に担ぎ込まれた。
保健室の先生からは、軽度の脱水症状と低血糖だと言われ大目玉を食らった。
通常の倍以上のエネルギー消費をするレースの後にほとんど何も飲み食いしなければこうもなると説教された。
基本優等生としてやってきたつもりだったから、ここまで説教されたのは何年ぶりだろうか。
かろうじて点滴までは不要だったらしく、経口補水液を処方されしばらくベッドで安静にしてるように言われた。
そう言われては何もすることがないので、再び眠ることにした。
起きたのは昼頃だった。未だかつてここまで長時間眠ったことがあっただろうか。
午前中降っていた雨はいつの間にか収まり、僅かに晴れ間をのぞかせていた。
枕元におにぎりが二つ置いてあった。
夢中でかぶりつくと、どこかお母さんのおにぎりに似ていて涙がにじんだ。
おにぎりのお陰かようやく動けるようになったため、先生にお礼を言って寮に戻ることにした。
コースの方ではもう今日のトレーニングが始まっていた。
トレーナーさんからの伝言で今日は来なくて良いと言われていたので、部屋で今日やる筈だった部分の教科書に目を通し、図書室で借りていた本を読む。
愛する人の罪を自らが引き受けようとする男を描いたミステリーだった。
陽も傾き、どこか寂しい気分になった私は外に出てみることにした。
海沿いの堤防の上を一人でただ歩く。
孤独とは斯くも寂しいものであったか。
ここ二か月、新天地に来たにも関わらず私の側にはいつも誰かが居た。
今日帰れば否が応でもアオちゃんと話さなければならない。
何を話す?散々余裕そうな態度をとっておきながらかっこ悪い負け方をしてしまった。
でも案外今までと変わらずにいられるだろうか。それなら――
「ここに居たんだ。ケイちゃん。」
振り返ると、そこにはカナちゃんが居た。
「カナちゃん…」
「もう身体は大丈夫なの?」
「うん。おかげさまで…心配かけてごめんね。」
「なら、もう良いか。…どうせアオは言えないだろうし。」
「え…?」
よく見ると、カナちゃんの表情が今まで見たことない程険しい事に気づいた。
「ケイちゃんさ…私たちの事舐めてたでしょ。」
その声は、余りにも冷淡だった。
「え、なんで…」
「分かるよ。だってさ、ケイちゃん全然本気で練習してないんだもん。」
「…!ちがう、それは…」
「ケイちゃんさ、本気を四月の能力測定で見せてくれたよね。あの時はほんとにすごいと思った。なのに、その後一回もあの走りしなかったよね。だから本番でやらかした。違う?」
「…」
「私あの時点で気付いてたよ。あのまま荒尾のダートでやったらああなるって。だからきっとトレーニングの過程で荒尾に合わせた形に仕上げるんだろうなって思ってた。…それで何もしなかった結果があれでしょ?」
「それは…」
「荒尾のウマ娘なら、田舎レース場の私達なら試さなくても勝てるって思ってたんでしょ。そりゃもしかしたら無意識だったのかもしれないけどさ。…舐めてたんじゃん。」
「ちがう、それは作…」
「それとさ。…単純にケイちゃんトレーニング足りないよ。ろくに努力もしないでさ。それで勝てるって思ったんだから随分な自信じゃん。」
「え…私トレーニングは一回もさぼってなんか…」
「そっちじゃないよ。…ケイちゃん自主練って一回でもした?」
「え…」
「アオがさ、毎朝早起きして何してたか知ってる?」
「いや…」
「やっぱりね。…アオは毎朝五時に起きて朝練してたんだよ。毎朝二時間入学から今日まで一日たりとも欠かさず。」
「…!」
早朝のアオちゃんの物音の正体が分かった。
「流石の私も真似できないからさ。六時くらいから加わるんだけどアオはほんとにタフなのよ。これでもまだ足りないっていつも言ってた。『素質じゃ私はケイちゃんに劣るから、負けないように人一倍努力するんだ』ってさ。」
「そんな…ことを…」
「この前の土曜だってさ、ケイちゃん達がモールに行ってる間アオは出走する全員の走りとか癖を研究してたんだよ。側にいた私も心配しちゃうくらい熱中してさ。それを踏まえて更に走り込みまでするんだからほんとに感服しちゃうよ。」
知らなかった。真面目だとは思っていたがアオちゃんがそこまでしていたなんて。私は、なにもアオちゃんの事を知らなかったんだ。
「それなのに…それなのに何なのあの走りは!」
「…っ!!」
「アオがあんなに努力して!ただでさえ身体弱いのに無理して!ひたむきなくらい向き合ってたのに!ケイちゃんは何してたんだよ!」
何も返せない。今の私に、何か言い訳する資格はない。
「いつも余裕ありそうな態度でさ!全力なんて一回も出さないで!…負けて当然だよ!あんな走りにアオが負けるはずない!」
「……ごめん…」
「アオだけじゃない。あのレースに挑んだ子はみんな努力してた。それでも負けちゃった子の方が多いけどさ。…レースは互いが全力でぶつかり合って着いた勝敗に意味があるんだよ。その上で負けたなら納得だって行く。…でも努力しないで勝負されたら敗者には納得すら出来ないんだよ!」
――私はアオちゃん達に負けた事にはどこか納得していた。きっと自分の中にどこか引け目があったからだ。
だが、私より後ろの着順だった子達の事まで気が回っていなかった。
「確かに私たちはケイちゃんと比べたら田舎者だよ。東京にはもっと強いウマ娘が山ほどいると思う。荒尾のレベルが低い事だって事実なんだと思うよ。…でもそれで『荒尾のウマ娘に負けた』だなんて、荒尾のウマ娘を舐めていい理由にはならないよ…!」
自己嫌悪が募る。私は結局周りを慮る事がまだ出来ていないんだ。
「ケイちゃんはきっとさ、さっさと荒尾を抜け出して別の所で、もっと大きな所で走りたいって思ってるよね。…それを否定する気はないけどさ、先を見ることよりも目の前を、足元を見なよ。…だから負けるんだよ。あんな姿、見たくなかったよ。」
カナちゃんは怒ったような、それでいてどこか悲しそうな顔で私を見つめていた。
「私は出走すらしてないしさ。言う資格なんて本当は無いんだろうけど。幼馴染たちと故郷をろくに見もしないで舐められるのだけは許せないんだよ。」
普段あれだけ飄々としているカナちゃんがこれ程まで熱くなって私を叱責している。
私のしたことは、それほどまでも重かったんだ。
カナちゃんがここまで怒っているくらいだから、アオちゃんはもう…
「その辺になさいませ、カナさん。」
私たちが振り返ると、そこにはニシノちゃんが立っていた。
「ニシノ…でもケイちゃんは私の友達を馬鹿にしたんだ!私が言わなきゃ誰も…」
「そのような事はわたくしはもちろん、アオさんの望むところではありませんわ。」
「でも!」
「冷静になさいませ。それに、土曜日にモールに行ったのはケイさんだけではありませんわ。ケイさんがそのような糾弾を受けるならば、当然わたくしもミライさんも同じことを言われて然るべきですわ。…それが出来ないならば、カナさん。貴女は逆に一人だけ出自の違うケイさんの弱みに付け込んでいるに過ぎませんわ。」
「…っ!」
「ケイさん。そんなにふせぎ込む必要はありませんわ。知らぬ物の力を測り違える事など中央の方々でさえされること。一度味わえば次に繋げばいいんですわ。」
「でも…多分私が荒尾の事を舐めてたっていうのはほんとだと思うんだ…カナちゃんの言い分は正しいもん…」
「それはこれから直せばいい。荒尾という土地を好きになっていけば自然に変わっていきますわ。」
荒尾を知る。
私はここの事をどこまで理解できているだろうか。はっきり言って、私にはまだここの「良さ」が良くわかっていない。
「そうだ、ケイさんに見せたいものがありますわ~。カナさんはしばらく頭をお冷やしなさいませ。ケイさん、宜しければこちらについてきて下さいませ~。」
口調がいつものに戻ったニシノちゃんに言われるがままに、私はついていく事にした。
「ニシノちゃん、ここって…」
「ええ、視聴覚室ですわ~。」
私はニシノちゃんに連れられるがままに、特別教室棟の一階に来ていた。
放課後のここには誰もおらず、シンと静まり返っていた。
ニシノちゃんは壁際にあるDVDやビデオテープが詰まった棚をまさぐりだした。
「ケイさんは、レースの真髄とは何だと思いますか~?」
「えっ…それは勝つことと…たくさんの人に見てもらう事なんじゃないかな?」
「ええ。それももちろん大切ですわ。ですが、それだけがレースの真髄ならば、中央だけで十分だとは思いませんか~?」
「それは…」
確かに本質を突き詰めればそうなのかもしれない。テレビもネットもある現代では、最早いつどこに居ても中央のレースが楽しめる。
「それでも地方レースが、荒尾が存在している理由。それは何だと思いますか?」
「……」
「あっ、ありましたわ。こちらです~。」
そういってニシノちゃんが取り出したのは数年前の日付と、「ファン選抜大阿蘇大賞典」と書かれたDVDだった。
ニシノちゃんはそれをテレビの下に置かれたプレイヤーに入れると再生ボタンを押した。
「わたくしもこれが『真髄』の正解になるか断言は出来ませんが――」
パッとテレビの画面が明るくなる。
「――一つの回答になれば、と思いますわ~」
少しチープなテロップと共に始まったその動画は、数年前の三月某日のレースを映したもののようだ。
レース名は「大阿蘇大賞典」。重賞だ。
映像ではこの前の開催日を遥かに超える人々が荒尾レース場に集っている。
場内には出店なども出てさながらお祭りのようだった。
レース内容もレベルが高く、見ごたえのあるものだったが違ったのはレース後だった。
なんとそのままファンとの交流イベントが始まったのだった。
ウマ娘達が観客席の中まで入り、積極的に握手や記念撮影、サインに応じている。
ファンからプレゼントをもらっているウマ娘も多い。
会話の内容もかなりファンとウマ娘の距離感が近いもので、ファンとの冗談めいた話でウマ娘が大笑いしている様子も見て取れた。
そこには全体的に和気あいあいとした空気が漂っていた。
最後のライブを映した所で映像は終わったが、その様子も盛んに手拍子や掛け声が入った賑やかな物だった。
「いかがでしたか~?」
「なんか…私が知ってるレースとかイベントとは少し違う感じだった。」
「ええ。なぜだかわかりますか~?」
「…ファンの人たちとの距離感が近い。中央と比べると特に。」
「その通りですわ~。私は、これがレースの真髄の一つだと考えておりますの~。」
ニシノちゃんは私の方を見てふんわりとほほ笑んだ。
「レースで大切なことは、ファンとウマ娘が応援を通じて絆を深める事。近くで言葉を交わして、心を通わせる事。私たちの走りや歌で勇気や希望、笑顔を届ける事だと思いますわ。ただ有名になるだけ、強いウマ娘を観る為だけならばそれは中央に任せれば良い。ならば地方で、荒尾で走る私たちが出来る事は中央よりもずっと身近な存在であること。雲の上の存在ではなく、手の届く等身大の物であり続ける事ですわ。」
「…そっか。」
「アオさんの強さの秘密。それは比類なきこの荒尾を愛する気持ちと、その為にならばどんな努力でもする精神力ですわ。その前には私も、ケイさんも今のままでは敵いませんわ。ですから…」
「ですから…?」
「ファンの人たちに好かれるように、まずは荒尾を好きになりましょう。ファンの人たちに愛されようとすれば、おのずと荒尾での戦い方も身についてくると思いますわ~。ケイさんの夢はナイスネイチャさんのようにたくさんの人に愛されるウマ娘になる事でしょう?ならケイさんが高みを目指すには、まずは荒尾でアオさんに並ぶ、いずれば超える程愛されなければなりませんわ。」
「けど…なれるかな。アオちゃんを超えるウマ娘に。」
「きっとなれますわ。だってケイさん、走りも容姿も素質はアオさんに全然劣ってないですわ。羨ましいくらいですわ~。」
「ふぇっ!?私全然容姿なんて…」
「自信を持って下さいませ。使えるものは全て自分の武器にする。ハングリー精神もウマ娘には大切ですわ~」
「…やってみる。」
ニシノちゃんに助言をもらった後、私は寮に戻ることにした。
…はっきり言って、まだ実感がわかない事もある。
けど、動かなきゃ始まらない。今の私を変えなきゃいけない。
そのために、まず始める事は…!
「アオちゃん!」
私が勢いよく扉を開けると、アオちゃんは尻尾をピンと伸ばして驚いた。
「わっ!おかえりケイちゃん。身体はもうだいじょ…」
「アオちゃん!明日の朝練、私も一緒に行ってもいい!?」
アオちゃんはキョトンとした顔をした後、目を輝かせてにっこり笑った。
「うん…うん!もちろんだよ!一緒に走ろ!」
「良かった!じゃあ明日は早起きしないと。アオと同じ時間に…あっ。」
うっかり「ちゃん」を付け忘れた事に気づいて口を閉じると、アオちゃんは微笑んだ。
「うん。明日は同じ時間に起こすね、ケイ。」
「…!うん、よろしく。…アオ。」
どこか気恥ずかしい会話をすると、私たちは顔を見合わせて笑った。
「ケイ!起きてー!朝練行くよー!」
「うん…分かったよアオ…」
翌朝、いつもより相当早い時間にアオから起こされた。
時計を確認すると、なんとまだ五時前だった。
「こんなに早かったんだね…アオ…」
「そうだよ。さあ、着替えて行こ。」
目をこすりながらジャージに着替えると、二人で外に出た。
丁度空が薄明るくなる頃だった。
曇り空からぼんやり出た光で足元は何とか見える。
もう六月だというのに、この時間はまだ空気が涼しかった。
「じゃあケイ、外周行くけど準備は良い?」
「うん。どのくらいやる?」
「うーん、五時半からコース使ってよくなるからそこまでかなぁ。あ、六時に通用門が開くからその後は四ツ山神社で階段ダッシュするよ。」
「うおっ…流石ハードだね。」
「そうかな?じゃあ行くよ。」
アオちゃんと並んでコース外周を走り始める。
門が開いていないため国道までは出ずに検量室脇で引き返す。かなり少ないが他にも朝練をやってる人は五、六人いるようだ。
30分間のランニングともなるとかなり息が上がって来る。アオに遅れは取ってないが、それでもアオはまだ涼しい顔をしている。
二か月間毎日これを続けていたというのだから、今は一体どれほどのスタミナを身に着けているのだろうか。
走り切る頃にはだいぶ周りも明るくなり、人も増えてきた。予想よりずっと多くのウマ娘が朝練をしていたのだと私は思い知った。
クールダウンをしていると、コースが開放されてウマ娘達が続々とコース内に入っていく。
「ケイ、私たちも行こう。」
「うん、分かった。」
はっきり言って私はクールダウンが済んでいなかったが、アオはもう動けるようだ。
この前と同じ、800mのスタート地点に立つ。
「とりあえず一本行こうか。並走で、直線入り口からスパートね。」
「うん。」
「じゃあ行くよ。よーい…どん!」
地面を蹴って走り出す。
もう一昨日のようなへマはやらかさない。
ある程度加減して走りだす…と思いきや、アオがとんでもない速さで駆けだした。
「…っ!?」
まだ追従できる速度だったが、もう私は全力に近い。
その上外側を走る私はコーナーで余計に体力を削られる。
直線入り口までは着いて行けたが、最終直線でアオがスパートをかけた時にはもう並ぶことも出来なかった。
まるで一昨日のリプレイを見ているようにぐんぐん差が開いていく。
「すごい…」
今のアオは私の足りない物を全て持っているように見える。
出遅れが無かった為か一昨日程ではなかったが、五バ身程の差を付けられてのゴールインとなってしまった。
「すごいねアオ…流石…」
「そんな事無いよ。じゃあ二本目行こうか。次は1300mね。」
「えぇ!?もう二本目!?っていうか延長!?」
「『ストロングガール』は800m戦だったけどジュニア級はこっちの方が多いもん。その後は1500、最後は2000ね。」
「…うっそぉ。」
「頑張るよ、ケイ。朝練し始めたってことは、勝ちたいんでしょ。」
「うぅ、アオがスパルタになったぁ…」
「私は変わってないよ!さあ行くよ!」
「はーい…」
1300m、1500m共にほとんど同じ結果に終わり、アオとの力の差を痛感していた私だったが、最後の2000m戦で少しだけ状況が変わった。
五、六バ身離されていた着差がここで初めて二、三バ身程まで縮まったのだった。
「はぁ…はぁ…ちょっと縮まったね…」
「うん…2000は練習中なんだ…距離適性の問題かもしれないけど…ここはケイちゃんの方が得意なのかもね。」
今まで涼しい顔をしていたアオちゃんが目に見えて消耗していた。
「あはは…確かに。それにしても疲れたね。部屋に戻ってやすも…」
「まだ階段ダッシュがあるよ。行こ!」
「うわぁ忘れてた!アオちゃんタフすぎるよ!」
私は慌ててアオちゃんの後を追った。
通用門を抜けて国道を北に向かうと、小高い山がある。
四つの峰がある山体から四ツ山と呼ばれており、頂上には配水池や神社、灯台などが置かれている。
頂上に登るルートはいくつかあるのだが、その中で最も急なのが…
「相変わらずすごい角度だよね…」
一番南にある、頂上までほぼ一直線に上る階段だ。
「うん。でも坂路がない荒尾では貴重なトレーニング場所だよ。準備できた?」
「一応。ここまで来たら覚悟決めるかぁ…」
「よし、じゃあ行くよ!」
石段を思いっきり踏み切って駆け上がり始める。
トレーナーさんの指示で何回もやったがこれが一番苦手だ。
足がもつれたり脚が引っかかってこけたらどうしようといつも不安になる。
先行するアオちゃんは一切の迷いなく踏み込んでいる。
どうしたらこんなに思い切りやれるんだろう。
まるで、けがを恐れていない…いや、考えていないような…?
頂上まで登りきると、流石に二人とも息を切らしたが、少しするとアオちゃんはもう呼吸を整える。
「ケイちゃん、二本目行くよ!先行ってるからね!」
そう言い残すと階段をひょいひょいと飛ばし飛ばしで駆け下りていった。
「え!?ちょっと待ってよー!」
その調子で五本を終えると、ようやく朝練は終わった。
「ぐはぁ…疲れたぁ…」
頂上にある展望台のベンチで私はだらしなく倒れ込んでしまった。
「ふふ、お疲れケイ。でも付いて来れた辺り流石の素質だね。」
「…着いて来れたって言ってる辺りなんやかんやで自分に自信はあるんだね。」
「えっ!?いやこれはそんなものじゃ…」
「ごめんごめん…それにしてもこれは…」
私は身体を起こして目の前の景色を見た。
「綺麗だね。」
私の視界には眼下にある荒尾レース場とそれを囲むように広がる雄大な有明海、そしてその彼方に雲から頭だけを出した雲仙岳が広がっていた。
「だよね。私もここからの景色が一番好き。静かで涼しいし、なによりこの景色だけは他のどんなレース場にも負けないと思うんだ。」
「私は夕焼けの時が一番好きかな。あそこの堤防から眺めたときほんとに綺麗だったもん。」
「ここから眺める夕焼けも綺麗だよ。干潮の時だと干潟の模様がすごく綺麗に見えるんだ。」
「へぇ。今度見に来てみようかな。…それにしてもさ。」
「なに?ケイ。」
私はくるりと反対側を向く。
「ここにこれがあるのには何か意味があるのかな?」
私がそう言った先には、天辺に鳩の像があしらわれた「慰霊塔」と文字が刻まれた塔だった。
「うーん、なんでなんだろうね。私もそこまでは知らないけど、そもそもこの四ツ山ってちょっとしたパワースポットなんだよ。古墳もあるしね。古代の人もこの山に何かを感じて古墳を作ったくらいだし、それにあやかったのかも。後は…普通に見晴らしが良いから亡くなった人にも綺麗な景色を見ながら荒尾の街を見守ってて欲しいとかそういうのかもね。縁を大切にしてるんだよ、きっと。」
「ふーん…そっか。」
そして私はもう一度天辺の翼を広げた形の鳩を見上げた。
そしてアオにそろそろ帰ろうかと話し掛けようとした時だった。
階段の方から誰かの足音が聞こえた。
私がそちらの方を向くと、それは良く見知った顔、カナちゃんだった。
カナちゃんはだいぶ息を切らしながらこちらの方へ歩いてくると、私と目が合った。
二人同時に、ばつが悪そうに眼をそらす。
きょとんとした顔のアオに、カナちゃんが話しかけた。
「おはよう、アオ。もう朝練は終わったの?」
「おはよう、カナちゃん。ついさっき終わったとこだよ。今日はケイも一緒だったんだ。」
「そうなんだ。…ねえアオ、ちょっとケイちゃんと話あるから先に帰ってて。」
そう言われて私はびくっとする。昨日の一件があるからはっきり言って今のカナちゃんと話すのは気が引ける。
「そうなの?じゃあ先に戻ってるね、カナちゃん、ケイ。」
「う、うん。後でね…」
「どこかぎこちない笑顔でアオに手を振ると、改めてカナちゃんと正対する。」
どう切り出したらいい物か。気まずい空気が私たちの間を流れる。
カナちゃんが口を開いた。
「…アオからの呼ばれ方変わったんだね。ケイちゃん。」
「え、あ、うん。昨日からね…」
「そっか。……」
私からも何か言わなきゃ。何を?本日はお日柄もよく?いや今日は少し曇ってるし…
「ケイちゃん。」
「えっ!?あっ、はい!」
私が思いがけず慌てるとカナちゃんは頭を下げた。
「…昨日はごめん。言い過ぎたって思ってる。」
「あっえっいやこっちがごめん!はっきり言ってカナちゃんの言ってた通りだったかもって思ってるし…」
「それはそれで正直すぎる気もするけど…まあ良いや。朝練も始めたんだね。」
「うん。今日はアオと一緒に…」
「そっか。…あのハードすぎるの全部こなしたの?なんやかんや言っても流石の能力だね。」
「ううん、そんな事ない。…今のアオには、私は絶対に敵わない。」
「ケイちゃんもようやく分かったね。…あれがうちのエース、ブルーアラオだよ。愛郷心と走る事への渇望を原動力に呆れるほどトレーニングを繰り返す、可愛い容姿に不釣り合いな怪物級の精神力と能力を持ったレースマシン…までは流石に言い過ぎか。」
「アオってクラブの時からあんな感じだったの?」
「いやー最初はあそこまでじゃなかったよ。アオがクラブに来たのは小三の時で少し遅いくらいだった。だけど人一倍走る気持ちが強くてめきめき実力を伸ばして小四の時にはもうクラブのトップになってた。」
「たった一年で!?でも確かアオって…」
「うん。身体が弱くて小さい頃はまともに運動も出来なかった。最初来た時も気持ちに体がついて来なくて、いっつも前のめりで走っては転んでた。…それでも何度でも立ち上がった。もっといい走りをしたい、皆に喜んでもらいたいって。心が強いんだよ、アオは。」
そういえばアオは勉強もいつもいつも必死にノートを取って時間があれば復習をするような子だ。
繰り返す事を苦としないのだろうか。
「でもさ、だからこそアオには弱点がある。気負いすぎるんだよ。だから頑張りすぎちゃう。あの朝練だってさ、冷静に考えてやりすぎだと思わない?」
「それは…確かに。」
「私怖いんだよ。いつか限界を迎えて、壊れちゃうんじゃないかって。身体も、もしかしたらそれ以外も。」
「壊れちゃう…」
ふとアオの姿を思い出す。少し小柄な背丈に、真っ白な肌。陽に当てると透けそうな明るい栗毛に淡い碧の瞳。人形のような顔と内に秘めた健気で優しい性格。それはまるで触れただけで傷つけてしまいそうな、芸術品の様に繊細な少女の姿だ。
「性格的にアオは行ける限り限界を目指そうとする。それはある意味良い事なのかもしれないけど、それにずっとついて行けるほどアオの身体は強くないんじゃないかって思うんだ。だからさ…誰かがどこかで止めてあげないといけない。あの子の後ろからじゃなくて、横に並んで呼び止めなきゃいけない。」
「何で横からなの?」
「そりゃあの子速すぎるんだもん。後ろから言ったって聞こえない。同じ速さで走れて横から呼びかけられる人、ライバルが必要なんだよ。」
「それじゃカナちゃんが…」
「私じゃ遅すぎるよ。…余りにもね。だからさ、ケイちゃん。」
カナちゃんは私を見て微笑んだ。
「ケイちゃんがアオを止めてあげて。根拠は無いけどさ、ケイちゃんなら出来そうだって思うんだ。」
「…私も全然追いつけないよ。アオは速すぎるし、私なんかまだまだ…」
「ケイちゃん、私が昨日怒ったのはケイちゃんの努力不足だよ。実力は疑ってないし、今でも潜在能力はアオ以上じゃないかって思ってる。今の荒尾でアオに並んで、ライバルになれるのはケイちゃんだけだよ。」
「…」
「もちろん今のままじゃ駄目だよ。次のレースも同じことになると思う。だから期待してるよ、次のレース。今度は勝って、アオのライバルになってあげて。」
私ははっきり言ってまだ自信は無かったが、少しぎこちなく頷いた。
「ちょっと長くなりすぎたね。戻ろうか、ケイちゃん。」
「うん。」
そして私たちは二人並んで階段を駆け下りていった。
「あ、ケイちゃん!身体はもういいの?」
午前の授業を終えチームの部屋に行くと、ブラック先輩が先に来ていた。
「はい。ご心配おかけしました…」
「いやいや無事でよかったよ~友達伝いにケイちゃんが朝にぶっ倒れたって聞いたときは滅茶苦茶驚いたけどね~」
「あはは…お騒がせを…」
私が倒れたという話は瞬く間に学校中に広がったらしく、今日はクラスメイトから教員に至るまで話しかけられる始末だった。
図らずも私は「倒れた人」として有名になってしまった訳だ。
「そうだ、遅くなりましたけど初勝利おめでとうございます、先輩。」
「ありがと~。いやーほんとぎりっぎりだったけどね。でもここ最近結構上位人気にして貰ってたし、ようやく恩返し出来たって感じだよ。」
先輩のレースは直接は観られなかったが、聞いた話だと中段に控える形を取った先輩が徐々に進出する形で先団に取りつき、先行策を取ったウマ娘と並ぶ形でゴール板に飛び込み写真判定の結果ハナ差で先輩に軍配が上がったのだという。
「そういえばトレーナーさんは?」
「まだ来てないっぽいよ。そうそう、昨日のトレーナーさん凄かったよ~手を火傷してたから何してたのか聞いたらさ~」
「それ以上は言うな、ブラック。」
振り返るとトレーナーさんが入り口に立っていた。
「あータイミング悪いな!ってか隠すほどの事でもないじゃんさ。自分の担当が大事だったんでしょ?だって火傷してまでお…」
「言わなくていい。ケイ、もう身体は普通に動かせるな?」
「はい。今日は友達と朝練もしてきました。」
「ブルーアラオとか。彼女のトレーニングは中々ハードだが大丈夫だったか?」
「はい…トレーナーさんアオの事知ってたんですか?」
「ああ。レース前の出走ウマ娘チェックの時に目を付けていた。その時に既にレース結果も想像が付いていたがな。」
「すみません…」
「はいはいトレーナーさんもケイちゃんも引きずらない!大体初戦で勝てる子の方が圧倒的に少ないんだし次勝てばいいでしょ!」
「ああそうだな。ケイ、次のレースなんだが14日のジュニア級に出走する予定だが、問題ないか?」
「あ、はい大丈夫ですけど…中二週ですか。」
「地方じゃ良くある話だ。今はとにかく未勝利を脱してオープンクラスを目指さなければならない。」
「中央の子みたいにたっぷり一か月休養とはいかないのよ私達は。特に未勝利クラスともなるとね。」
「もちろんお前の体調が大事だ。違和感があったらすぐに言ってくれ。レース中に事故が起これば取り返しが付かないからな。」
「分かりました。それと、トレーナーさん。」
「なんだ?」
私はとても今更な質問をトレーナーさんに投げかける。
「私に荒尾の走り方を教えて下さい。」
トレーナーさんは一瞬黙って私の方を見つめると、壁際のホワイトボードの方に歩み寄りながら答えた。
「ようやく…だな。」
そう言いながらペンをもって絵を描き始めた。
「簡単に説明しよう。もう散々味わったと思うが荒尾のダートは粒子が細かく固い事が特徴だ。粒子で脚を傷つけにくいというメリットもあるが…故にグリップ力に乏しく他のレース場で通用する脚で掻くような走りが通用しづらい傾向がある。少し前の話になるが、諸事情で中央のG1ウマ娘が移籍して来て出走した時もこれに悩まされて、圧倒的一番人気を背負いながらも完敗したことがあった。それほどまでにここのバ場は癖がある。別のレース場のダートに慣れているウマ娘程この傾向は顕著だ。」
「じゃあ、アオとか他の子達はどうやって…?」
「簡単だ。前から走っていたバ場と違うから慣れないんだ。最初から走っていれば自然と荒尾に適合した走りになる。」
「あ…」
「もちろん逆の現象も起こるがな。荒尾から全国で活躍するウマ娘が出ないのは単純な実力差だけではなく、荒尾の走り方が他のレース場で通用しないというのも関わっているのではと俺は考えている。」
「でもさー、ケイちゃんも転入じゃなくて最初からここでしょ?その理屈通らなくない?」
「ケイ、お前の走り方だが中央のウマ娘を真似たんじゃないか?」
「はい。オグリキャップさんの動画を見て…」
「やはりな。彼女の走りはカサマツレース場で培われた物だ。荒尾とは勝手が違う。」
「あ、私あそこ居たから分かるけど確かに結構違うよ。力入れるとぐって脚がめり込むんだよ。」
レース場毎に適切な走り方がある。
それは私にとっては全く新しい概念であり、今まで気にしたことも無かった事だった。
「でもさトレーナーさん。肝心の荒尾にあった走り方って何なの?」
「ああ、話が逸れていたな。つまりは地面を掻くためにつま先に力を集中する走り方ではグリップ力の少ない荒尾では上手く走れないんだ。だから出来るだけ接地面積を広く、蹄鉄全体で地面をとらえるように走るんだ。」
トレーナーさんは足のつけ方を説明する絵を描きながらそう言った。
「そして姿勢は無理に前傾にしなくていい。むしろ重心が前に行く事でこの前みたいな転倒しかける事態を起こしかねない。分かるか?」
「はい…けど何か、今までの走りを全部捨てるみたいで…二週間で仕上がりますかね?」
「そこは仕方がない。それにお前の実力ならすぐに慣れる。能力は備わっているのだから一度変えてしまえば十分走れる。」
「そう、ですかね。」
「まあまあケイちゃん。トレーナーさんが言ってるんだしさ。それに私もそう思うよ?」
「…やってみます。」
「よし、じゃあ早速トレーニングだ。いつも通り準部運動から始めてくれ。その後は運動場の方で走り方の実践をするぞ。ブラックも一緒だ。」
「はい!」
「えー私も~?走り方は身に着けたつもりなんだけどな~」
私たちはそう話しながら部屋を出たのだった。
「えー!ケイちゃんも14日のジュニアでるの?」
「うん。まずは未勝利を脱出するのが目標だってトレーナーさんが。」
「でしたらまた一緒ですわね~今度こそ負けませんわ~。」
数日後の昼休み、私はみんなと他愛のない話をしていた。
「皆早いね、もう二戦目か~。」
「カナちゃんはデビュー戦決まったの?」
「…ううん、まだだって。少なくとも今月中は無理だろうってトレーナーさんが。」
「そっか…」
「そんな顔しないで。少なくとも私はそこまで気にしてないよ。アオは次走決まった?」
「私は来月のジュニアになりそうかな。」
「来月?結構間隔開くね。」
「うん。本当はもっと走りたかったんだけどトレーナーさんが今後の事を考えて開けるんだって。」
「そっかー。じゃあ皆で走るのはお預けだね。」
「はやくみんなでいっしょにはしりたいなー!そしてミライがいっちゃくになるの!」
「あはは、ミライもう勝った気なの?」
「うん!ミライもっとつよくなるの!『きゅーしゅーじゅにあぐらんぷり』ねらってるんだ!」
「九州JGか~それは大きく出たね。」
九州ジュニアグランプリ。確か荒尾のジュニア級の頂点を決めるレースだ。
「あ、それ私も目標にしてるからライバルだね、ミライちゃん!」
「ならミライ~まずは勝たないと選抜対象になれないよ?」
「かつもん!だっておかあさんにいいとこみせるんだもん!」
「はいはい分かった分かった。ケイちゃんとニシノも目標にするの?」
「私は…良く分からないけど多分そうなる…と思う。」
「私も目標にしていますわ~。やはり重賞のタイトルは欲しいですもの~。」
「じゃあみんな一緒だね!カナちゃんも目指すでしょ?」
「あーうんまあ…そうだね。」
「よしじゃあ皆で目指そう!そしてみんなで掲示板に載ろうよ!」
「掲示板独占ですか~面白そうですわね~。」
「なにそれすごい!やろーやろー!」
「私もちょっとやってみたい…かも?」
「あはは、みんな威勢が良いね~」
そうして最初の目標を定めた私たちは、互いに切磋琢磨する事を誓ったのだった。
そして、あっという間に二週間が過ぎた六月十四日。
私は再びパドックに立っていた。
『荒尾レース場第一レース「ジュニア」、ジュニア級950m戦、七人のウマ娘で争われます。』
この日の第一レース、その一枠一番を引き当てた私はまさに今日一番最初に観客の前に姿を現した。
今日の私は一番人気。前走で再先着だった事と、積極的に予想紙の取材に応じたことが効いたらしい。
この二週間、私は走り方の矯正とウイニングライブの練習、何より対戦相手の研究に力を注いだ。毎朝アオと朝練にも行った。
決して油断はできない。だけどできる限りの事はしたつもりだ。
絶対勝つ。今度こそ第一歩を踏み出してみせる。そして一番人気に推してくれた人たちの期待にも応えてみせる。
ウォーミングアップをしているとミライちゃんが話しかけてきた。
「ついにきたねケイちゃん!」
「ミライちゃん。そういえば今日は三番人気だね。」
「うん!みんなにおうえんしてもらえてうれしいなぁ~!」
「あはは、そうだね。…いいレースにしようね、ミライちゃん。」
「うん!まけないよ~!」
ミライちゃんは手を振ると観客の方へ愛想を振り撒きに行った。
ファンの人気投票は正直だ。人気が上がったという事は確実にミライちゃんも実力を付けたという事だ。
「ケイさん。」
振り向くとニシノちゃんが居た。
「ニシノちゃん。今日はよろしくね。」
「ええ、宜しくお願いしますわ~。…あら、ケイさん。」
「何?」
「目付きが変わりましたわね。雰囲気が違って見えますわ~」
「え、そう?昨日は早めに寝たはずなんだけど…」
「そうではなく、覇気が出てきたと言いましょうか。どこか覚悟が感じられますわ~。」
「そうかな?私何か特別な事はしてないはずなんだけど…」
「きっとケイさんには、期待に応えるという責任感が生まれたのだと思いますわ~。」
「それは…確かに負けられないなって思ってはいるけど…」
「負けられない理由があるウマ娘は強いですわ~。その調子で期待に応えてファンの方々とご縁を作ればもっと強く、もっと荒尾が好きになれると思いますわ~」
その時、係員から号令がかかった。挨拶の為に皆が集まる。
「あら、時間ですわね。それでは良いレースにしましょう~」
そう言うとニシノちゃんは歩いて行った。
「縁…好きになる…」
はっきり言ってまだ良く分からない。
相変わらず荒尾の事をはそこまで良く知らないし、入学式の時にアオが言った「縁」がどんなものなのかもまだ分からない。
でも、もしかしてこのレースで勝てば、それが分かるのだとしたら。
なら、私は――
『ケイウンヘイロー一着で今ゴールイン!後続に四バ身差つけての見事な逃げ切りです!二着はディアブロオーカン、三着はミライエイゴウ!』
「はぁっ、はぁっ…!」
やった。
スタートダッシュを上手く決めた私は逃げの体制を取り、ミライちゃんと先頭争いをしながらもそのままハナをキープしてレースを進めた。
最終直線に入ってからもちゃんと末脚が伸びた。
追いつかれないかドキドキしていたが、次第に後ろからの音が小さくなっていき、そのままゴール板を駆け抜けていた。
ふと声に気づいて観客席の方を見る。
そこには、相変わらず数は多くないけれどレースを見守ってくれた観客の姿があった。
みんな一様に笑顔を浮かべ、私に歓声と拍手を送ってくれる。
それを見て思わず笑みが零れる。
私が一礼して大きく観客席に手を振ると、一層その声は大きくなった。
「すごい…!」
歓声って、こんなに気持ち良いんだ…!
「あーまけちゃった~!でもケイちゃんおめでとう!すごくはやかった!」
振り向くと、ミライちゃんとニシノちゃんが駆け寄って来る所だった。
「ミライちゃん…!うん、ありがとう!」
「ケイさん、おめでとうございますわ~。…ひとつだけ、聞いてもよろしいですか~?」
「ありがとう、ニシノちゃん。何?」
ニシノちゃんはふんわりとほほ笑むと、言った。
「荒尾の事は好きになりましたか~?」
ニシノちゃんにそう言われて、もう一度観客席を見つめる。
拍手は未だ止むことなく、私の名を呼ぶ声もあちこちから上がる。
「…うん。」
そして私は笑ってニシノちゃんを見る。
「――たった今、好きになった!」
「ウイニングライブ、たのしみだねー!」
「うん。いざセンターだって思うと緊張するな~。」
私たちは夜のライブの為に控室で待機していた。するとそこへ良く見知った顔が駆け込んできた。
「ミライちゃーん!ケーイ!」
「アオ、どうしたのそんなに慌てて?」
「それが…」
「えっ!機材トラブル!?」
「そうなの…音声機材が壊れちゃって…使う予定だったCDが取り出せなくなっちゃったって。」
「じゃ、じゃあウイニングライブは…?」
「あ、それ自体は大丈夫。音声はラジカセで代用するらしいから。ただ、予定してた曲が使えないから多分…」
「多分?」
「…ううん、何でもない!が、がんばってね!」
そう言うとアオはそそくさと立ち去って行った。
「なんだろーね、ケイちゃん。」
「うん…」
「今日のライブに出る子、説明ばするけん全員集合~」
そう職員さんに言われ、私達は集まった。
そして…
『さあ今日のウイニングライブは急遽予定を変更してお送りいたします!お送りするのは皆さんおなじみのこの曲!どうぞ皆さんご唱和を、可能な方はぜひ一緒に踊りましょう!では参りましょう、「炭坑節」!』
『月がァ~出た出た~月がァ~出たァ~ア、ヨイヨイ♪三池炭鉱のォ~上に~出たァ~♪』
「はいみんなもっと笑って元気よく!はい掘ってー掘ってーまた掘って!」
ナニコレ。
薄暗い日没後のコースに、スタンドからの照明にこんこんと照らされながら、私を含む三十人のウマ娘が円になって踊っていた。
スタンドの方をちらりと見ると、笑顔で掛け声をかける一部のファンの人たちと、かわいそうな物を見る目を向けたウマ娘達の姿がある。やめて、カナちゃんそんな目で見ないで。
集合後に職員さんに告げられたのは、今日のレースの三着までのウマ娘全員でこの炭坑節を踊るという余りにもシュールな提案だった。
文句を言う暇もなく、職員さんからの即席の振り付けレクチャーがあり、終わるとすぐにコース上に放り出された。
その職員さんは…さっきからメガホン片手に私たちに指示を飛ばしている。
「はい押してー押して!開いてちょちょんがちょん!はい掘ってー掘って――」
盆踊りの曲ってそれ以外の場所でやるとこんなにシュールなんだな…
前の方で踊るミライちゃんはニコニコしているが、先輩達…特に今日のメインレースを勝った先輩なんて死んだ魚の目をして機械的に踊っている。
そしてもれなく、私自身も。
私の…ウイニングライブ…
「どうして…どうしてこうなったぁぁあ!!」
「はいそこの子ー!叫ばないでもっと踊るー!はい、かっついっでかっついっで見上げて見上げて!」
こうして私の記念すべき初勝利の夜は、炭坑節のかけ声と共に更けていったのだった…