第七話でございます。
はい、四か月も何故期間が開いたのかと申しますと、単純にモチベの不足で御座います。
言い訳しようもありません。
投稿していなかった間に何があったかと申しますと、某ウイルスに遂に感染したり大学の期末試験で超低空飛行で落単を回避したり佐賀競馬場のウマ娘コラボに行ったり八年ぶりに東京に行ったりしました。
東京やっぱり凄いですね、東京。
宿をとったのが有明の方だったのですがあそこでも高頻度で列車もゆりかもめも来てましたし。
交通に関しては本当に不自由しない街だなと改めて感じました。あと新宿歌舞伎町に行ったりもしたのですがまあ総じてカオスな場所だなというのが印象です。客引きとはいえ人生で最も多くの女の子から声かけられたと思います。
東京旅行は小説の資料集めも兼ねていたので、結構先にはなると思いますがフィードバックする機会があろうと思います。ほどほどにご期待ください。
さて、小説の方は一応ミライちゃん回となっております。
それとこの世界の荒尾レース場の現状にも少し触れている感じです。ここはちょっと実際の会計資料などが見つからなかったので完全に私が独断で書いた部分です。
投稿開始から一年もたって未だ一章すら終わってないという牛歩にも程がある本作ではございますが、絶対に失踪だけは致しませんのでどうかお付き合いいただければ幸甚に存じます。
では、本編をお楽しみください、どうぞ。
※pixiv版は同一作者です。
「お疲れ様でーす。」
初勝利の数日後の昼下がり、いつものようにチームの部屋に来ると、中でスマホを弄っている先輩がいた。
「お、ケイちゃんお疲れ~。」
「あ、先輩こんにちは。…あれ、トレーナーさんは?」
「あれ、ケイちゃん聞いてなかった?今日は全体会議だから自主練だよ。」
「あっ、そうでしたね!じゃあメニュー自分で考えないと…」
「ケイちゃん真面目だね~。うちはスマホ弄る気満々だったよ?」
「ちょっと次のレースに向けて頑張らないといけないので…着替えたら外周行ってきますね。」
「はーい。流石にうちもちょっとはやるか…後で行くよ。」
そう先輩が言った直後、コンコンとドアを叩く音がした。
先輩と一瞬目を見合わせた後、先輩が返事をする。
「どうぞー?」
ドアが開くと、そこに立っていたのはさっきまで一緒に居た見知った顔、ミライちゃんだった。
「こんにちはー!ねえねえケイちゃん!いっしょにトレーニングしない?」
「え、私と?」
「うん!みんなもいるよ!」
ミライちゃんの後ろには、アオ達いつもの面々が居た。
「行ってきたら?他のチームとの練習なんて滅多にないんだし。」
「あ、でも先輩は…」
「うちは一人でやっとくから良いよ。行っといで。」
「じゃあお言葉に甘えて…ミライちゃん、ちょっと着替えるから待っててね。」
「うん!あ、そうだサンダルあったらもってきてねー!」
「え?あ、分かったー。」
そしてわたしはそそくさとジャージに着替えると、先輩に一礼して部屋を駆け出して行った。
「…では経理部門。先月の売り上げ状況と今後の予測を。」
「はい。先月は前年度比88%で売り上げ減。特にグッズ部門の低迷が顕著であり、先月の荒尾オリジナルグッズの総売り上げはダービーデイの土日に特別販売したトゥインクルシリーズグッズの二日間の売り上げを下回っております。」
「現状入場料及び広告掲載料が主な収入源となっておりますが、いずれも赤字を補填するには至らず折からの入場者減で減少の一途です。」「場内飲食店や出店者からの賃料及び出店料もこれ以上の増額は現状見込めず現在各事業者との交渉を…」
「ええいもういい!今後の展望は!」
「はい。現時点で確実な収入増加は見込めず、上半期決算は赤字確実と予測され、下半期も同様ならば今年度は前年度の八割の売り上げとなる見込みです。」
広い会議室を重い空気が覆う。
「…うち以外はどうなってる。」
「はい。やはり他のレース場も苦境のようです。南関東でさえ軒並み赤字との情報も入っておりますし、北見と岩見沢は今年がヤマと言われております。また岩手も債務が負担になりこのままでは廃止は免れないと…」
会議室のあちこちからどよめきが聞こえる。
「今年は宇都宮が消えたばっかりだってんのに…また消えるのかよ…」
「中央はあんなに盛況なのに…」
「『第二次ウマ娘ブーム』が懐かしいな…」
部屋の一番奥に座る理事長は煙草を手に取って吸うと、ため息と混ざった白煙を吐いた。
「笠松と高知はどうなってる。あそこは一番経営がまずいのではなかったか。」
「はい。笠松レース場は今でもオグリキャップ関連のグッズや彼女を排出したというブランド力で一定の収入があり、それでどうにか食いつないでいる模様です。高知についてはハルウララブームで得た莫大な収入を元手に存続しており、現在ナイター設備を整備する計画を進めているそうです。」
「ナイターか…」
「ナイターは中央には出来ない地方レースの特権です。ぜひうちも導入を。」
「そんな金はない!」
重役の一人が声を荒げた。
「売り上げを増やすための設備投資に回す予算すらもう我々には無いんだ!高知はハルウララで金が出来たからやってるんだ。でもうちにはそんなアイドルウマ娘は居ない!…ハルウララに全部持ってかれちまったんだ!」
「あの時は悲惨でしたな…うちにも連勝記録で評判な娘が居たのにまさか連敗の方に話題を持って行かれるなんて…」
「ウマ娘に罪はない。話題を作り、拡散するのは大人の仕事だ。…大人が負けた、それだけだ。」
沈黙が部屋を支配した。
「そうだ、アイドルウマ娘で思い出した。あの計画はどうなっている?コウザンハヤヒデ。」
理事長の後ろに控えていたコウザンハヤヒデに疑問が投げかけられた。
「はい。現在の所予定の範疇で進んでいます。ご心配なく。」
「そうだ…ハヤヒデ秘書!君の鳴り物入りのあの計画は本当に大丈夫なのか!?」
「聞けば計画対象のウマ娘は初戦で敗北、そこまでファンも付いていないというではないか。」
「想定の範囲内です。」
「君!そもそも君が最初に言い始めた時はややレベルが高いウマ娘を入学させて連勝させて話題にする、スターを『作る』というものだったではないか!それが地元勢に敗北!人選ミスではないのかね!」
「地元勢が勝てるならそれはそれで良い事です。そもそもメイクデビューからわずか二週間。それを議論するには時期尚早ではないでしょうか。それに…」
コウザンハヤヒデは毅然とした顔で言い放つ。
「私はスターを『作る』などとは申しておりません。彼女がスターに『なる』のです。私はその為に環境を用意した。後は彼女次第です。」
「屁理屈だ!」
「言い訳を止めろ!」
「独断専行の責任を!」
「一部免除した入学費をどう補填するつもりだ!」
「計画がこれでは埒が開かん!いっそ赤字が拡大する前にうちも…」
「お前!それは禁句だぞ!」
会議室は騒然となり、野次や暴言が沸き上がる。会議の輪から遠い教員やトレーナー達はその様子を不安そうに遠目で眺めるしかなかった。
その中に居た菅原はため息をついた。
「どいつもこいつも…上がこれでどうするんだ。」
「菅原トレーナー、聞こえるとまずいですよ。」
隣に居た同僚が指摘する。
「どうでもいい。どいつもこいつも自分勝手だ。他所に責任転嫁しようとする奴、文句ばっかり言って代替案も出さなかった奴、金の心配しかしていない奴、軽々しく無くすなんて言う奴、守るべき生徒たちに重責を課す奴。…それは俺もだが。それでいて議論は進まない。本当に自分勝手だ…」
そして遠い目をしてぽつりと呟いた。
「無くなってしまえば、そんなことも言えなくなるというのに…」
「…ねえミライちゃん、ほんとにここでやるの?」
「うん!とっても面白いんだよ!」
「そっかぁ…あはは…はは…」
私の目の前には、呆れるほど遠くまで続く干潟が広がっていた。
ミライちゃんに連れられ外に出て、てっきり北の四ツ山の方まで行くのかと思いきや南の方へ行くと言われた。
南の方へはあまり行ったことが無かったので何があるのか気になっていたが、ミライちゃんは思いのほかずんずん進んでいく。遂には右手に初めて見る駅が見え、一体何処まで行くのかそろそろ聞こうかと思っていたところで遂にミライちゃんは交差点を右に曲がった。踏切を超えてそろそろ目的地だとミライちゃんが言ったとき、目の前に広がっていたのはどこまでも広がるこの干潟だった。
「…アオ、もしかして気付いてた?」
「うん。ミライちゃんがこっち方面に行きたいって言うならまずここだろうなって…」
「ミライここ好きだもんね~小学校の時から変わってないよ。」
「みんな!はやくいこうよー!」
ただの海沿いランニングなら気が楽だったのだが、持ってきてと言われたサンダル、そして目の前でまさに干潟に足を踏み入れているミライちゃんを見るにこれからする事は明白である。
「あーあジャージ汚れるの確定…」
「お風呂直行だね~」
そういいつつ皆は干潟に入っていく。
「え、ちょ、ちょっと待って~!」
私も運動靴からサンダルに履き替えて恐る恐る足を踏み入れる。
予想と反して足は沈まない。これなら大丈夫かも、と思った瞬間。
「うひぃっ!」
右脚がぬぷっと音を立てて干潟にめり込む。サンダルの隙間から海水と泥が侵入して何とも言えない気持ち悪さを醸し出す。
「あ、ケイちゃん所々柔らかくなってる部分あるから気を付けてね。」
「先に言ってよー!」
「みんなー!ランニングしよー!」
「ケイ脚抜ける?」
「う、うん大丈夫…ほんとに走るんだね…」
「うん。ミライちゃんほんとに干潟遊びが好きでね。暇があったらいつもここで遊ぼうとかマジャク釣りしようとか。」
「まじゃく…?」
「あ、アナジャコの事ね。この辺によくいて筆で捕まえるんだよ。」
「ケイちゃんアオちゃんはやくー!」
「あ、行かなきゃね。まあ半分遊びだと思って楽しみながらやろうよ。」
「うん。分かった。」
そして私たちは走り出す。
海沿いを皆でランニングする。
その字面だけを見れば紛れもないキラキラした青春の一ページなのだが、現実はこうである。
ぬぷっ。ぐじゅっ。ぼちゃっ。ぼちゃん。
おおよそランニングには似つかわしくない効果音が羅列される。
まずとんでもなく走りにくい。干潟の泥は足に容赦なくまとわりついてきてたちまちサンダルは泥団子状態になった。
精一杯脚色して良いイメージで表現するならば、まるでウッドチップの様に衝撃を和らげ脚への負担が少ないトレーニング環境。
が、
「うひゃっ!」
実態は恐らくウッドチップなんて比じゃないくらいの天然素材が顔に飛んでくる状況である。
「しょっぱい!口入った!」
「私は髪に付いちゃった…」
「あはは、二人ともご愁傷さ…ぬあっ!?ちょっとニシノ飛んできたよ!」
「あら?申し訳ございませんわ~。」
「みんなおそいよー!はやくはやく!」
ミライちゃんだけは元気に先頭を軽やかに走る。
「なんでミライちゃんあんなに早く…」
「多分ミライは軽いから沈まないんだろうね…その代わりどろんこだけど…」
「私ももう脚がどろどろになっちゃったよ…これやる意味ある~?」
「ま、まあまあケイ、脚が重くなって実質負荷をかけたトレーニングと同じって事で…」
ものは言いようである。
「それにしてもこの干潟どんだけ向こうまであるの?もう岸があんなに遠くなっちゃってるけど…」
「えっと、ざっと三キロちょいだったかな?まだ半分も行ってないと思うよ。」
「えー長距離レースじゃん!ミライちゃんどこまで行く気なの?」
「ミライの事だし行けるとこまで行く気じゃないかな~。まあそろそろ止めとくか…おーい!ミライそろそろストップー!」
「カナちゃんが声を張り上げて米粒程に小さく見えるミライちゃんに呼びかけた。」
良く聞こえなかったがミライちゃんは何か叫んだ後、くるりと回ってこちらに駆け戻って来た。
「たのしかったー!」
「うっわミライなにその恰好!もうジャージの色が見えてないじゃん!」
ミライちゃんはもはや土人形の類にしか見えないほど干潟の泥を被っていた。
「えへへ~。あ、そうだケイちゃんみてみて!このこあっちでじめんあるいてたんだよー!」
「え、なになに?」
ミライちゃんは私に手を出すように言うと何か濡れたものを手のひらに置いた。
…それはエビというには胴が太く、どちらかというとザリガニのような…しかしどこかセミの抜け殻に似たようなフォルムを持つ、それでいて見た目に似合わずぶよっとした感触の得体のしれない生き物…そう、
「あ、マジャク…」
「ひぃっ!」
思わず身体をビクンと震わせてしまう。
「いつもあなのなかにいるのにそとにでてたの!めずらしいでしょ!」
「そそそ、そうなんだ…へえ…」
「あ、ケイはマジャク駄目?」
「い、いや慣れてないから驚いてるだけ…こ、こんな生き物もいるんだね…」
そう言いつつ私は一刻も早くこのマジャクとやらを放したかった。
「こ、これもう死んじゃってるの?さっきから動かないけど…」
「あれ?さっきまでげんきだったよ?ミライがつかまえたときも…」
そうミライちゃんが言った途端にビチビチビチ!と手の中のマジャクが凄まじい勢いで身を震わせた。
ひんやりと冷たいぶよっとした身体と触覚やら脚やらが私の手で暴れまわる。
「うひゃあああああ!!!」
「ほら、こんなにげんき!」
「分かったからー!誰でもいいからお願い取ってー!」
それを聞いてかアオがマジャクの背中をひょいっとつまむと私の手から取った。
「はぁ…気持ち悪かった…」
「もーミライ!ほんとに後先考えずにやるんだから!みんながみんなミライみたいに生き物触れるわけじゃないんだよ?」
「えー、だって…」
「それに食べるわけでもないのに不必要に生き物捕まえない!弱っちゃったらかわいそうでしょ!」
まだアオにつままれたままのマジャクが一回ビチッと身を震わせた。
「もう中学生なのにまだこんなことで怒んなきゃいけないなんて、まったくほんとにミライは子供なんだから…」
それを聞いてミライちゃんが明らかにむっとした。
「…ミライこどもじゃないもん。」
「まあまあ、二人とも喧嘩はやめよ?」
「ミライさんも悪気があった訳ではないですし、カナさんも少し怒りすぎですわ~。ミライさん、ケイさんにごめんなさいしましょう?」
そう促されてミライちゃんは頬を膨らませながらも私に言った。
「…ごめんなさい。」
「いいよいいよ、大して気にしてないよ。」
仲直りはしたものの、ミライちゃんは機嫌を損ねたままで少し気まずい空気が流れる。
「そうだ、ミライちゃん勝負しよ?」
マジャクを放したアオが何かを思いついた顔でミライちゃんに話しかけた。
「しょうぶ?」
「うん。ここから岸まで皆で競走するの。それで一番早く岸までついた人にはなんと…私の部屋にあるお菓子をあげます!」
「ほんとー!?やりたいやりたい!」
ミライちゃんは身体をぴょんぴょん弾ませて賛成した。
「アオ、お菓子ってあれだよね。アオの実家からの差し入れの…良かったの?」
「うん。あれはお父様のご友人の洋菓子屋さんからよく頂く物だから。私は食べなくても大丈夫だよ。」
「そっか、ならいいんだけど。」
ミライちゃんに明らかに有利なレース、お菓子が好きなミライちゃんが興味を引く賞品。確かにこれで機嫌を直してくれるなら良いだろう。
「あ、ケイ。手は抜いちゃだめだよ。ミライちゃんは手を抜いてるのに気づいたら怒っちゃうから。」
「うん、分かった。」
今日はまだ本気で走ってないし、ここで全力を出してみるのも良いだろう。
「じゃあ行くよ?よーい…」
一瞬周囲がしんと静まり返った。
「どん!」
掛け声とともに思い切り足を踏み切る。
その時、隣にいたアオちゃんがぎょっとした顔で叫んだ。
「あ、ケイ!それはやめた方が!」
「え?」
大きく前に出した左脚が表面の海水を激しく跳ね飛ばす。そして干潟に…ずぶずぶと脛の辺りまでめり込んでいく。
そして当たり前のようにもう片足を前に出してもう一度踏み切…れなかった。
左足は完全に干潟にめり込んでがっちりとホールドされ、びくともしない。
そうなると当然…前に行けなくなった運動エネルギーは固定された左脚を軸に下に向かう訳であって…
灰色をベースに貝殻やら砂利やら小さなカニやらを適度に含んだ栄養たっぷりの泥が眼前に接近してくる。
距離が近くになるにつれ磯の香りと土や石の香りが混ざった独特の匂いが鼻腔を満たす。
あ、なんか既視感…
べしょっ。
「あっ…」
「あーーー!!ケイーー!!」
「……!?!?……~~~~!!!」
「ちょ、ちょっとタイムタイム!ケイ大丈夫!?」
「~~~!!!…ぶはぁっっ!!あ゛ぁーーーー!!しょっぱぁーい!!!」
「あーケイちゃん顔面大変なことになってる…動けるー?」
「だ、大丈夫…あーもうやっちゃった…あれ?」
立ち上がろうと脚を動かそうとした時、左足が何かに止められた。
ちらっと左脚を見ると、見事に膝の下の辺りまで泥の中に埋まっていた。
「あれ…あの…これ抜けないんだけど…」
カナちゃんが苦笑いをしてアオが天を仰ぎ見た。
「え、えっとね、ケイ。干潟の泥って結構深くてね、それにいろんなものが混ざってるからかなり重たくて…一度深く入ったら全然抜けないの…」
「えっ。」
「有名な話があるよ~?潮干狩りに行った人が干潟にはまって動けなくなって、その間に潮が満ちてきて溺れかけて最終的にヘリコプターで救出されたっていう話が…」
「え!?ちょっとやだやだやめて!助けてー!」
「カナちゃん怖がらせないの!ほらケイ、手貸すから掴まって!満潮までは当分時間あるから大丈夫!」
「ごめんアオ…んっ!駄目だ動かない…」
「体低くして片手もついてみて。体重を分散すれば抜けやすいよ。」
私が言われた通りにすると、アオも綱引きの要領で私を引っ張る。
「よいしょー!」
「駄目そう?加勢しようか?」
「大丈夫!それよりカナちゃんはニシノちゃんの方やってあげて!」
「え?ニシノ?…なんでニシノまで嵌ってるの?」
「不覚ですわ~。」
「『不覚ですわ~』じゃなくて!あーもー何やってんの!ほら掴まっ…重っ!?」
「最近少し食べ過ぎまして~。」
「競走ウマ娘がなにやっちゃってんの!あー駄目だ!ミライ、手伝って…ってどこ?」
「多分あそこじゃないかな?」
遥か岸の方に佇む小さな影が見えた。
「あー!さては気づかずに行ったなー!?周り見ないんだからー!」
しばらくそうやって奮闘していると、少しずつ足が抜け始めた。
「動いた!」
「よし一気に行くよ!せーの!」
アオが大きなカブの姿勢で私を引っ張り、私も全力で足に力を入れる。
そして遂に。
ズボッ!!
鈍い音と共に灰色に染まった左足が泥の中から飛び出した。
…それと同時に、アオちゃんは勢いそのまま背中から干潟にひっくり返った。
「きゃっ!」
「あ、ありがとアオ…って大丈夫!?」
「だ、大丈夫…背中と髪どうなってる…?」
「…知らないほうが良いと思う。」
「アオとケイちゃん、抜けたならこっち手伝って~私も脚沈み始めたからやばい…」
「みんなー!どうしたのー?」
「あ、やっと来た!ミライも手伝って!」
そして皆でやっとの事で二人を引き上げ、ボロボロになって海岸までたどり着いた。
「遊びのはずだったのに普段のトレーニングより体の節々が痛い…」
「意図せず全身運動だったしね…」
「もう動きたくない…」
「えー?ミライまだげんきだよ!」
「すぅ…」
五人で階段状になった海岸沿いに腰掛けて、干潟を眺めていた。
先程から鳥の群れが降り立っては餌を探し、ついばんでいる。
「さっきから鳥がたくさん来るね。」
「これでも一番多いシーズンは過ぎてるんだよ。ここは『ラムサール条約』って言う条約で大事な水鳥の生息地って事になってるんだって。」
「うーん社会の授業で聞いたことあるような無いような…てかアオはやっぱり物知りだね。」
「そんなこと無いよ。ただ荒尾の事は知ってたいだけ。それにお父様からも競走ウマ娘として荒尾を盛り上げたいならそういう知識も持っておきなさいって言われてるし。」
「あ、もしかして『ロコドル』ってやつ?最近ちょっと流行りの。」
「ろこ…?なのかは分からないけど、やっぱりこれからやってく上で荒尾の事をPR出来るようにはしておきたいなって思ってるよ。」
「そっかぁ…」
…荒尾のPR?
それは、もしかして既に「荒尾以外」で走る予定があるってこと?
「それならアオ、容姿も大切にしないとちゃんと見てもらえないよ?…髪早く洗わないとまずいんじゃない?」
先ほどから気にはなっていたのだが、アオちゃんの長い栗毛の髪は半分ほどグレーに塗装されてしまっている状態である。
「えっ、そんなに?どうしよう…」
「そこの水鳥センターにシャワーなかったっけ?」
「あるけど…タオルがないし…」
「どうしようか…トレセンのお風呂は夕方からしか開かないしね。」
「じゃあうちおいでよ!」
ミライちゃんが元気よく提案した。
「それはありがたいけど…ご迷惑にならないかな?」
「だいじょうぶ!おかあさんもひさしぶりにみんなにあいたいっていってたし!」
「ミライの家なら確かにトレセンにも近いし良いかもね。じゃあ早く行こうか。もう乾いてカピカピになってきてるし。」
そして私たちはミライちゃんの機転で彼女の家へ向かう事になった。
会議を終えた教職員たちが会議室から出てくるとき、菅原を呼び止める声があった。
「菅原トレーナー。」
「貴女は…片淵教官。お疲れ様です。」
「お疲れ様です。突然なのですが少しお話宜しいでしょうか。」
菅原は腕時計を確認した。
「大丈夫です。立ち話も何ですし、場所を変えましょう。」
二人が移動した先は、まだ開店する前の食堂だった。
「どうぞ。」
菅原が給茶機で汲んできたお茶を差し出す。
「ありがとうございます。」
片淵はそれを受け取ると、数口飲んだ。
「それで、ご用件は何でしょうか。」
片淵は姿勢を調えると、話し出した。
「私の生徒…ケイウンヘイローの事です。」
菅原は驚く素振りもせずに頷いた。
「菅原トレーナーのご手腕のお陰で先日初勝利を挙げてから、見ていても明らかに調子が良くなっているようです。授業での集中力も上がっていますし、成績も以前から上位の方でしたが各教科担任からも成績が上がっていると言われています。」
「いえ、私は関係ありません。彼女の努力でしょう。」
「ご謙遜を。それで本題なのですが…」
「はい。」
「…貴方は、どこまで指示されているのですか?」
菅原はすぐには答えなかった。
「…何のことでしょうか。」
「例の『計画』です。さっきも槍玉に挙がった。」
菅原は無表情を貫いていた。しかし、微かに眉が動いたようだった。
「私はハヤヒデ秘書から彼女に貴方を斡旋する所までは指示されました。『計画』の概要も知っています。しかし、その後を…具体的に何をする気なのかは、知りません。」
片淵は続ける。
「恐らくハヤヒデ秘書の中での私の役目は終わりなのだと思います。そしてその役目は…菅原トレーナー、貴方に託されているはず。」
「役目など、そんな大層な物はありません。私は彼女のトレーナーであり、それ以上でも以下でもありません。」
「…それは無いでしょう、菅原さん。あの日…理事長室でお会いした時、貴方は確実にハヤヒデ秘書から何かを託されていた。」
菅原は小さくため息をついた。
「仮にあったとして…それを貴女が知る意味は?」
「あります。私は…」
毅然とした顔で言い返す。
「私は、教師です。…同じ教職者でも、あなた方トレーナーとは違う。貴方はトレーナーとして彼女を導き、勝利を掴ませることが本分でしょう。しかし私は違う。私は生徒たちに社会の中で生きる為の人間性を培わせ、無事に送り出す事が任務です。」
「それで?」
「もしその『計画』が彼女に負担を課し、危険に晒すような物であれば…私は止めなければならない。私自身の正義に従って。」
菅原は少し考える素振りを見せ、口を開いた。
「恐らく貴女が想像しているような…彼女を肉体的、精神的に圧迫するようなトレーニングなどの指示は下っていません。それどころか、具体的に何をしろという指示も特に下されてはいません。今行っている指導は基本的には普通の生徒と同じです。」
菅原は続ける。
「勿論、彼女の実力に合わせた勝つ為のトレーニングは行っています。彼女は素質がありますので。現時点では結果的に『計画』の達成に繋がればと考えております。」
片淵は毅然とした表情のままだった。
「…ご不満のようですね。」
「申し訳ありませんが、その通りです。」
菅原は少し考え込むと、再び話しだした。
「…貴女の心配を理解出来ない訳ではありません。確かにレース場と学園の存続という経営上の問題の解決を一生徒に賭けるなど到底健全ではないと私も思います。ですが同時に、私はそれが彼女にとって大きな負担にならない限りは、利用するのも止むを得ないのではないかという考えも同時に持っています。…それで最悪の事態が回避できるのならば。」
「『最悪の事態』とは?」
片淵が聞き返す。
「…失礼ですが、片淵教官。貴方のご出身は?」
「荒尾が地元ですが、それが何か。」
「ならば、想像してみてください。多くの人々が憩い、生徒たちが青春を過ごし、多くの人々の生活の基盤でもあるレース場と学園が…理不尽に奪われることを。夢を奪われた生徒たちの涙がにじんだ眼を。生活を奪われた人々が虚ろな表情で立ちすくむ姿を。地元から賑わいが消え去る光景を。…少なくとも私は、もう二度と見たくない。」
片淵は最初怪訝な顔をしていたが、合点がいったようにはっとした。
「菅原トレーナー、貴方は『あの』レース場に…」
「ただのたとえ話です。ですが、私はそれを回避出来るならばと思って協力しています。」
「…その結果、彼女に万一の事が起こってもですか?」
「そうならないように細心の注意はしているつもりです。最後、彼女がこの任から解放された時…誰一人涙を流さない事が望みですので。」
菅原の顔は、いつになく決意に満ちていた。
国道から東に逸れた路地に入り線路沿いを少し歩くと、比較的新しい見た目の二階建ての家があった。
「ただいまー!」
ミライちゃんが一切のためらい無くドアを開けて中に入る。
「おかーさーん!みんないえにあげてもいいー?」
廊下の奥の方から足音がした。
「あらミライ帰って来たと?別によかばってんがら練習はどげんしたと…なんねそん恰好!?」
奥から出てきたミライちゃんのお母さんは泥まみれの私たちを見て目を丸くした。
「ひがたでトレーニングしてきたの!ちょっとよごれちゃったからみんなにシャワーかしてあげてもいいかな?」
「ちょっとどころじゃなかろうもん!あーあみんな早くシャワー浴びんと…ばってんがら流石に五人は多かね…ミライとカナちゃんは後でよか?」
「全然大丈夫ですよ。私は比較的ましですし。」
「ありがとね。じゃあアオちゃんとニシノちゃんと…ケイちゃんだったかな?先に入って来んね。アオちゃん場所分かるよね?」
「大丈夫です!ありがとうございます!」
アオに連れられて廊下の奥へ向かう。
廊下の各所に手すりが付けられているのが目についた。お爺さんかお婆さんが同居しているのだろうか。
「あ、シャワー浴びるのは良いけど服どうする?」
「あ、脱いで置いといて良かよ!洗濯して乾燥機かけとくけんね。着替えは可愛いのが無かけんおばさんので我慢してくれる?」
「いえいえ!ありがとうございます!」
アオと顔を見合わせる。
「何とかなって良かったね。」
「うん。シャワー浴びてもこの泥だらけのジャージ着るのはちょっと嫌だったしね。」
そう話しながら服を脱ぎ、浴室の扉を開ける。
声には出さなかったが、思わず広っと言いそうになった。
広い浴室の中には手すりや台などが各所に配置されている。介護用というやつだろうか。
三人で順番にシャワーを浴びてからリビングに入ると、ソファーに腰掛けていたミライちゃんのお母さんが私たちに気づいた。
「あ、みんな上がったね。ミライ、カナちゃんと入って来んね。」
「はーい!」
ミライちゃんはそれを聞いてパタパタと駆け出す。
「あ!ミライそん恰好で走ったら泥の散らかるたい!も~…」
「あいかわらずですね、ミライ。」
「そうなんよ…トレセンに入ったらもう少し大人しくなるかな~って思ったっちゃけどあん子は変わらんね~。カナちゃんば見習って欲しかよ。」
「あはは、私は大したことないですよ。では行ってきますね。」
「はーい。…さて、服は今洗っとるけんみんな二階のミライの部屋で待っとってくれる?」
「分かりました。あ、お手洗いって借りても良いですか?」
「そんくらい聞かんでん全然よかよ。場所は大丈夫よね?」
「はい、大丈夫です。じゃあニシノちゃん、ケイ、二階上がろうか。」
アオに連れられ階段を上がり、幾つか並ぶ部屋の一つに入ると、ザ・子供部屋といった光景が広がっていた。壁際のポールハンガーには水色のランドセルがかかっていて、何も言われなければ小学生の部屋にしか見えない感じだ。
「可愛い部屋だね、色んな意味で…」
「ミライちゃんの個性が出てるよね~。『女の子の部屋』って感じで。」
「そうだね…あっ。」
学習机の上に写真立てが三つ置いてあった。
一枚はアオとミライちゃん、カナちゃん、ニシノちゃんが一緒に写った写真。まだみんな少し幼い表情をしている。
「これいつ撮った写真?みんなまだ小さいよね。」
「それはたしか四年生の時。レースクラブのみんなでキャンプに行った時のだね。」
残りの二枚はミライちゃんとカナちゃんが一緒に写った写真。恐らく動物園でゾウと一緒に撮った写真と、場所は分からないが二人が顔を寄せて写った写真だ。
「カナちゃんと写った写真が多いね。」
「二人は幼なじみでとっても仲良いからね~。」
「へー…」
相槌を打ちつつ私は少し不可解に感じた。
今の二人は確かに仲は悪くはないと思うけど、カナちゃんがミライちゃんをいじって時々口喧嘩にもなったりする。とっても仲が良いとまで言えるかと言われれば…
しかし写真に写る二人は満面の笑みを浮かべている。カナちゃんがこんなに笑っている姿を私は初めて見た。
今の二人に何かあったんだろうか?
「そうだ、ちょっと私お手洗い行ってくるね。」
そういってアオは部屋を出ていく。
「あ、私も行きたい。トイレって二つある?」
「一階のお風呂の前にありますわ~。」
「そっか、ありがとニシノちゃん。」
ニシノちゃんに言われた通りに階段を下って一階に降りる。そして用を足してトイレから出ると…
「え!?」
ミライちゃんのお母さんが手すり伝いに片足を引きずりながらリビングの方へ歩いている所だった。私は慌てて駆けよる。
「だ、大丈夫ですか!?」
「え?」
ミライちゃんのお母さんは一瞬キョトンとした顔で私を見つめた。
リビングに入ってミライちゃんのお母さんはゆっくりとソファーに腰を下ろす。
「えっと、ケイちゃんよね。驚かしちゃってごめんね。」
「いえいえ…その…脚、お悪いんですか?」
「ええ、少しね。昔にレースでやっちゃって、それで。」
「ミライちゃんから聞きました。障害の選手だったんですよね。」
彼女は懐かしむような顔で笑った。
「ええ…自慢するみたいだけど、これでも昔は速かったとよ?…中央に合格して、スカウトもしてもらって…メイクデビューは二冠を獲る子と一緒だったっけ。障害転向してからは重賞も獲って、ライブではたくさんの人が応援してくれた。」
彼女はリビングの隅に置かれたトロフィーを眺めながら語る。
「でも…だからこそ油断した。着地の角度を間違えてね…記憶が曖昧なんだけど、気づいたら病院に居て、もう二度と走れなくなってた。」
「それは…」
「もちろん走ったレースに悔いはないわ。他のウマ娘よりもずっと恵まれた選手生活だったと自負してる。けど…けどね、やっぱりあそこで転ばなかったらどんな未来があったのかなって…今でも思うの。」
彼女は笑っていながらも、どこか悲しそうな表情をしていた。
「…まあそのことをまだ小さかったミライに話したら、あの子張り切っちゃってね。『おかあさんのかたきをとる!』なんて言っちゃって。一体何が仇なのか謎なんだけど…」
「あはは…」
「でもね…私時々不安になるとよ。私自身がレースでこの体になっちゃったからってのもあるけど、あの子は本当に自分の夢の為に走れてるのかって…私の夢を背負わせちゃってるんじゃないかって。私はあの子に自分の夢を見付けて欲しい…別に競走ウマ娘じゃなくたっていい、自分だけの夢を…」
リビングに一瞬の沈黙が流れた。
「…ごめんね!こんなしんみりした話ばしちゃって。おばちゃんの自分語りなんてつまんなかったよね。」
「いえいえ!お話聞けて良かったです。」
「それにしてもケイちゃんは受け答えもしっかりしてて偉かね~。あ、ミライが電話で学校の話ばしてくる時に聞いたけど、東京から来たとよね、どの辺り?」
「えっと、目黒区です。目黒駅から山手通りを渡ったあたりで…」
「あ~あの辺りね!一回桜ば見に行ったことあるよ。にしてもほんとによく荒尾に来たね~。親御さんは心配せんやったと?」
「やっぱり少し心配そうでした。『高等部入試でもう一度南関を受けた方がいいんじゃない?』って何度も言われて。」
「まあそれが親心よねぇ。子供には何かあった時にすぐ行ける場所に居て欲しいってもんだし…でも本格化の兼ね合いもあるから高等部まで待ってられないってのも分かるよ。親だけど元競走ウマ娘だからね。」
彼女はそう言って苦笑いした。
そうこう話しているとリビングの扉が開いた。
「おかーさーん!あがったよー!あれ、ケイちゃんだけどうしたの?」
「ちょっとお母さんとお話しとったとよ。ごめんねケイちゃん、話につき合わせちゃって。」
「いえいえ、とんでもないです。」
「そう?ありがとう。じゃあみんなの服は二時間くらいしたら乾くと思うけん、二階で待っててね。」
ミライちゃんとカナちゃんと一緒にリビングを出て階段を上がる。
「おかーさんとなにはなしてたのー?」
「え?うーんとね…」
ミライちゃんは無垢な瞳をこちらに向けてくる。
「…東京の話だよ。うん。」
「そーなんだ!じゃあミライにもおはなしして!とうきょうのこともっとききたい!」
「あはは、えっとね…」
私は少しだけ嘘をついた。
ミライちゃんのお母さんの本音を私の口から伝える事は――とても憚られたからだ。
日が大分傾いた頃に、綺麗になったジャージを着て私達はミライちゃんの家を後にした。
学園へ帰る道の途中で、私は改めて前を歩く小さな背中を見る。
いつも天真爛漫で、悩みなんて何もなさそうなミライちゃん。
でも、その小さな背中に自ら母の無念を背負って走ろうとしている。
いつか母と同じ中央の舞台で、その身体に声援を一身に受けて駆ける事を夢見て。
――しかし未だ未勝利を抜けられていない事実に、彼女もやはり苦悩するのだろうか。
もっとも彼女から勝利を奪ったのは他ならぬアオと私ではあるのだが…
「みんな!つぎはどこいく?」
「へ?もう帰るんじゃないの?」
「えー?まだあそぼうよ!よつやまにいってもいいし…あ!もっかいひがたにいくのは?」
「「いかないよ!」」
…やっぱりそうでもないかもしれない。
「あ、トレーナさんお疲れ。会議終わった?」
「ああ。また散々口論ばかりしてろくな成果が無かったがな。ケイはどうした?」
「友達とトレーニングしてくるって言って出て行ったよ。」
「そうか。まあこんな機会だからたまには良いだろう。…ところで。」
「うん?」
「…お前はどうしてたんだ?ブラック。」
「…あっ。」
――その夜、コースをぐるぐる回らされる一人のウマ娘と、腕を組んで見守るトレーナーの姿が見られたという。